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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年11月19日(木曜日)

「秋」です。

「秋」の「11月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたいやさしい。

「秋」「11月」の。

透明感のするどい。

朝のつよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「11月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる山焼きのように。

何かが「かおる」。

しずかなひざしです。

あさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしい。

秋朝陽(あきあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

優しく輝く

眼(まなこ)なりけり

あきあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

やさしくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「秋」になりました。

今年も秋がきました。

「秋」がきて。

今は「11月」。

「秋」がふうせんのように。

みのりそしてふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「11月」です。

なつまつりはおわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

夏草の花は咲きおわり。

野草が葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「秋」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「秋」の小川。

「どんどん」ながれる。

あきのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたきことと。

感謝したい気持ちになります。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」「8月」がすぎて。
「9月」「10月」になる。

「あき」の「11月」です。

「陽」はすでに

日々にみじかくなりつつあります。

「秋」がきて。

「先の秋」に向かう「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

「秋」の「11月」です。

「秋」の「11月」の。

陽は日々ひくくなっています。

夜にゆらぐ明るい家々の灯火(ともしび)。

とてもやさしい。

しあわせのひかり。

しあわせの秋です。

朝陽ののぼるのがおそくなりました。

夕陽がおりるのははやくなりました。

朝の「秋」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「秋」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空の明るい秋の夜になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「夏」から「秋」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」もおわりました。
「春」「夏」がおわりました。

「夏」から「秋」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

「秋」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「冬」にむかってまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「秋」をまつのであれば。

「秋」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

すぎさる「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「秋」ですね。

「秋」はゆっくりとあるいてやってくる。

「秋」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょうか。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」には。

「鬼」という「怪物?」は。

存在しないのでしょう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「秋」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「秋」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「オレンジいろの月」でした。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「秋」の「朝焼け色」の線描です。

「秋」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「秋」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」はおわり。
今は「10月」。

「秋の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「秋の花」が。
蕾をふくらませています。
「秋の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「秋」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「秋の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「秋かぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「秋」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「秋」ではあるけれども。
「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

「秋」になりました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「11月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今はふたたび「秋」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

世界地図に「日本海」という用語を。
初めて用いたロシア海軍提督。

1770年 -
アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、
ロシア海軍の提督(+ 1846年)
の生誕日です。

(アダムとイヴの「アダム」ですが「ロシア語」では
「アダム」は「イワン」になります。)

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アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン
アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、
:ドイツ語: Adam Johann von Krusenstern
イヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールン
:ロシア語: Иван Фёдорович Крузенштерн[1]、
1770年11月19日 - 1846年8月24日)は。

エストニア出身のロシア海軍提督であり探検家です。

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アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、
:ドイツ語: Adam Johann von Krusenstern
イヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールン
:ロシア語: Иван Фёдорович Крузенштерн
は。

ロシアで最初に世界周航(1803年 - 1806年)を行いました。
彼はこの航海で「日本海」を通り、

後に彼が作成した地図には「日本海」を
"MER DU JAPON" と記したとされています。

「日本海」を最初に命名した人物として
日本の百科事典類には記されています。

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アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、
:ドイツ語: Adam Johann von Krusenstern
イヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールン
:ロシア語: Иван Фёдорович Крузенштерн
は。

クルーゼンシュテルンはエストニアの
ハグディ(Hagudi、現在のラプラ周辺)で生まれました。
彼の家族はバルト・ドイツ人でした。

血統はスウェーデンの貴族です。

エストニアがロシアに割譲された後も
当地に留まった
von Krusenstjerna家の子孫でもありました。

1787年、彼は海軍士官学校を出て
ロシア帝国海軍に入りました。

1793年から1799年までの間はイギリス海軍に派遣され学びながら
軍務につきました。

++++++++++++++++++++++

1803年、彼は
皇帝アレクサンドル1世と。
露米会社支配人ニコライ・レザノフ男爵の支援下で
ロシア最初の世界一周艦隊の指揮官となりました。

クルーゼンシュテルンの乗る
旗艦ナジェージタ(Nadezhda)と、
ユーリー・フョードロヴィチ・リシャンスキー中尉の乗る
ネヴァ(Neva)の二隻からなる艦隊の目的は。

清および日本との交易の確立、
南米との交易拡大、
カリフォルニアをロシアの植民地にするための
事前調査でありました。

++++++++++++++++++++++

二隻の艦隊は遣日使節ニコライ・レザノフと
仙台藩出身の津太夫ら4人の日本人漂流民、
ロシアやヨーロッパ各地の博物学者・天文学者・画家らを乗せ、
ロシア海軍のバルト海の軍港クロンシュタットを出港致しました。

途中デンマーク、イギリス、カナリア諸島、ブラジルに寄港し
大西洋を横断しホーン岬を回って北太平洋に向かいました。

二隻は航海の間、詳細な地図と記録
動植物の標本を作りました。

けれども。
艦隊の隊長になっていたレザノフと
海軍軍人のクルーゼンシュテルンとは事あるごとに対立致しました。

++++++++++++++++++++++

太平洋を横断した艦隊は1804年秋、
カムチャツカ半島から日本に向かったが、
長崎での幕府との交渉は不調に終わり
半年後に長崎を離れカムチャツカに戻りました。

1806年に母港に戻ったクルーゼンシュテルンは
詳細な航海記
"Reise um die Welt in den Jahren 1803, 1804, 1805 und 1806
auf Befehl Seiner Kaiserliche Majestat Alexanders des Ersten
auf den Schiffen Nadeschda und Newa"
(『アレクサンドル1世陛下の命令下、1803年、1804年、1805年、1806年に
ナジェージタとネヴァにより行った世界周航の記録』)を書き、
1810年にサンクトペテルブルクで出版致しました。

1811年-1812年にはベルリンで出版し、
1813年には英訳版がロンドンで出版されました。

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またフランス語、デンマーク語、オランダ語、
スウェーデン語、イタリア語でも出版されました。

太平洋の地図などを含む図録は
1827年にサンクトペテルブルクで出版され、
ロシア科学アカデミー会員に迎え入れられる栄誉を得ました。

彼は1816年にエストニアのキルツィにある荘園を得たが、
この荘園で1846年に没しました。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3

アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン
アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、:ドイツ語: Adam Johann von Krusenstern
イヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールン:ロシア語: Иван Фёдорович Крузенштерн[1]、1770年11月19日 - 1846年8月24日)はエストニア出身のロシア海軍提督であり探検家。ロシアで最初に世界周航(1803年 - 1806年)を行った。彼はこの航海で「日本海」を通り、後に彼が作成した地図には「日本海」を "MER DU JAPON" と記したとされ、「日本海」を最初に命名した人物として日本の百科事典類には記されている。

クルーゼンシュテルンはエストニアのハグディ(Hagudi、現在のラプラ周辺)で生まれた。彼の家族はバルト・ドイツ人だったが、スウェーデンの貴族でエストニアがロシアに割譲された後も当地に留まった von Krusenstjerna家の子孫でもあった。1787年、彼は海軍士官学校を出てロシア帝国海軍に入り、1793年から1799年までの間はイギリス海軍に派遣され学びながら軍務についた。1803年、彼は皇帝アレクサンドル1世と露米会社支配人ニコライ・レザノフ男爵の支援下でロシア最初の世界一周艦隊の指揮官となった。クルーゼンシュテルンの乗る旗艦ナジェージタ(Nadezhda)と、ユーリー・フョードロヴィチ・リシャンスキー中尉の乗るネヴァ(Neva)の二隻からなる艦隊の目的は、清および日本との交易の確立、南米との交易拡大、カリフォルニアをロシアの植民地にするための事前調査であった。

二隻の艦隊は遣日使節ニコライ・レザノフと仙台藩出身の津太夫ら4人の日本人漂流民、ロシアやヨーロッパ各地の博物学者・天文学者・画家らを乗せ、ロシア海軍のバルト海の軍港クロンシュタットを出港した。途中デンマーク、イギリス、カナリア諸島、ブラジルに寄港し大西洋を横断しホーン岬を回って北太平洋に向かった。二隻は航海の間、詳細な地図と記録、動植物の標本を作ったが、艦隊の隊長になっていたレザノフと海軍軍人のクルーゼンシュテルンとは事あるごとに対立した。太平洋を横断した艦隊は1804年秋、カムチャツカ半島から日本に向かったが、長崎での幕府との交渉は不調に終わり半年後に長崎を離れカムチャツカに戻った。

1806年に母港に戻ったクルーゼンシュテルンは詳細な航海記 "Reise um die Welt in den Jahren 1803, 1804, 1805 und 1806 auf Befehl Seiner Kaiserliche Majestat Alexanders des Ersten auf den Schiffen Nadeschda und Newa" (『アレクサンドル1世陛下の命令下、1803年、1804年、1805年、1806年にナジェージタとネヴァにより行った世界周航の記録』)を書き、1810年にサンクトペテルブルクで出版した。1811年-1812年にはベルリンで出版し、1813年には英訳版がロンドンで出版された。またフランス語、デンマーク語、オランダ語、スウェーデン語、イタリア語でも出版された。太平洋の地図などを含む図録は1827年にサンクトペテルブルクで出版され、ロシア科学アカデミー会員に迎え入れられる栄誉を得た。彼は1816年にエストニアのキルツィにある荘園を得たが、この荘園で1846年に没した。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

11月19日
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8819%E6%97%A5

できごと
461年 - 聖ヒラリウス、ローマ教皇に就任。
1392年(明徳3年/元中9年閏10月5日)- 明徳の和約、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲渡、日本の南北朝時代が終結。
1493年 - クリストファー・コロンブス、現在のプエルトリコにヨーロッパ人として初めて上陸
1794年 - アメリカ合衆国とイギリス、ジェイ条約を調印。アメリカ独立戦争以後残された問題の解決を狙いとしたもの。
1816年 - ワルシャワ大学設立。
1863年 - エイブラハム・リンカーンによるゲティスバーグ演説が行われる。
1868年(明治元年10月6日)- 戊辰戦争: 松山戦争
1906年 - 京阪電気鉄道設立。
1942年 - 独ソ戦: ウラヌス作戦がはじまる。
1946年 - アフガニスタン、アイスランド、スウェーデン、国際連合に加盟。
1956年 - 東海道本線全線電化完成。ダイヤ改正も同時実施。
1959年 - 学童擁護員(緑のおばさん)の制度開始。
1966年 - 横綱栃ノ海が引退。
1969年 - アポロ計画: アポロ12号乗組員、チャールズ・コンラッドとアラン・ビーン、月面の嵐の大洋に上陸。月に上陸した3人目および4人目の人類となる。
1971年 - 国産初の超音速航空機であるT-2が試験飛行で国産の航空機として初めて音速を越える。
1977年 - エジプト大統領アンワル・サダト、イスラエルを訪問。メナヘム・ベギンと会談。アラブ世界の指導者による初めてのイスラエル公式訪問となる。
1977年 - トランスポルテス・アエレオス・ポルチュギーゼス航空のボーイング727、マデイラ諸島で衝突、130名が死亡。
1980年 - 山口百恵と三浦友和が霊南坂教会で結婚。
1985年 - 冷戦: アメリカのロナルド・レーガンとソ連のゴルバチョフがジュネーヴで初めて会談。
1993年 - 環境基本法が公布。
1997年 - テレビアニメ「ドラゴンボールGT」最終話放映。11年9ヶ月の長期に渡った「ドラゴンボール」シリーズが完結。
1998年 - 筑紫哲也 NEWS23でビル・クリントン米大統領が市民と直接対話。
2000年 - ペルーのフジモリ政権が崩壊。
2003年 - PHS事業者アステルグループのアステル九州が停波。PHSの通信業者の事業停止としては日本初。
2006年 - 任天堂の据え置き型ゲーム機、Wiiが北米で発売開始。
2006年 - JR津山線で落石による脱線事故。26人が負傷。
2006年 - 世界最大の旅客機エアバスA380が初めて日本(成田国際空港)に飛来。空港適合性試験による。11月20日午後、離日。

誕生日
1600年 - チャールズ1世(+ 1649年)
1711年(ユリウス暦11月8日) - ミハイル・ロモノーソフ、科学者(+ 1765年)
1770年 - アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、ロシア海軍の提督(+ 1846年)
1805年 - フェルディナン・レセップス、フランス外交官、スエズ運河建設(+ 1894年)
1831年 - ジェームズ・ガーフィールド、第20代アメリカ合衆国大統領(+ 1881年)
1888年 - ホセ・ラウル・カパブランカ、第3代チェスの公式世界チャンピオン(+ 1942年)
1906年 - 森部静武、ヴァイオリニスト(+ 1994年)
1909年 - ピーター・ドラッカー、オーストリア生まれの経営学者・社会学者(+ 2005年)
1914年 - 若狭得治、全日空元社長(+ 2005年)
1917年 - インディラ・ガンディー、インドの第6代首相(+ 1984年)
1921年 - ロイ・キャンパネラ、元メジャーリーガー(+ 1993年)
1924年 - 西條八束、海洋学者(+ 2007年)
1933年 - ラリー・キング、ブロードキャスター
1934年 - 寺田陽介、元プロ野球選手
1942年 - カルバン・クライン、ファッションデザイナー
1945年 - 橋本昌、茨城県知事
1947年 - 水谷実雄、元プロ野球選手
1948年 - ピーター・ラウ、調教師
1949年 - 松崎しげる、歌手
1951年 - 松任谷正隆、音楽プロデューサー
1955年 - ディアンネ・デ・レーブ、フィギュアスケート選手
1958年 - 安藤優子、ニュースキャスター
1961年 - メグ・ライアン、女優 
1961年 - 佐々木優子、声優
1962年 - ジョディ・フォスター、女優
1965年 - ローラン・ブラン、フランスの元サッカー選手
1971年 - アンディ・シーツ、プロ野球選手
1971年 - 菅谷大介、日本テレビアナウンサー
1972年 - 水内猛、元サッカー選手
1973年 - 竜騎士07、推理作家、ゲームクリエイター
1974年 - 金沢イボンヌ、陸上ハードル選手
1974年 - マリオ・バルデス、元プロ野球選手
1976年 - 柴田淳、シンガーソングライター 
1977年 - 森本さやか、フジテレビアナウンサー
1977年 - 吉野誠、プロ野球選手
1979年- ライアン・ハワード、メジャーリーガー
1979年 - 勝野七奈美、歌手、モデル、宝石デザイナー(+ 2009年)
1980年 - 赤嶺寿乃、女優
1980年 - 小山桂司、プロ野球選手
1980年 - 山本健士、野球選手
1981年 - アンドレ・ロッテラー、レーシングドライバー
1981年 - 中村繪里子、声優
1981年 - 大沢千秋、声優
1981年 - 庄司夕起、バレーボール選手
1981年 - マーカス・バンクス、バスケットボール選手
1982年 - 伊沢麻未、歌手
1983年 - 長谷川浩大、騎手
1983年 - ダリア・ウェーボウィ、スーパーモデル
1984年 - 大場浩平、プロボクサー
1984年 - 本多雄一、プロ野球選手
1984年 - 大隣憲司、プロ野球選手
1984年 - LUKE、ファッションモデル
1985年 - 藤井脩祐、空手家
1985年 - ブラッドリー・ハーマン、野球選手
1985年 - 竹内あい、AV女優
1987年 - 大澤亜希子、お天気キャスター
1988年 - 尾藤竜一、プロ野球選手
1988年 - Ayano、シンガーソングライター、toi teens!?
1993年 - 橋本甜歌、タレント
1997年 - 平田真優香、子役

忌日
498年 - アナスタシウス2世
1492年 - ジャーミー、詩人(* 1414年)
1557年 - ボナ・スフォルツァ、ポーランド王ジグムント1世の王妃(* 1494年)
1567年(永禄10年10月19日)- 武田義信、戦国武将(* 1538年)
1577年(天正5年10月10日) - 松永久秀、戦国武将(* 1510年)
1630年 - ヨハン・シャイン、作曲家(* 1586年)
1665年 - ニコラ・プッサン、画家(* 1594年) 
1682年 - ルパート、カンバーランド公(* 1619年)
1818年(文政元年10月21日)- 司馬江漢、絵師・蘭学者(* 1747年)
1828年 - フランツ・シューベルト、作曲家(* 1797年)
1850年 - リチャード・メンター・ジョンソン、第9代アメリカ合衆国副大統領(* 1780年)
1887年 - エマ・ラザルス、詩人(* 1859年)
1938年 - レフ・シェストフ、哲学者(* 1866年)
1942年 - ブルーノ・シュルツ、小説家・画家(* 1892年)
1943年 - 宮城山福松、大相撲第29代横綱(* 1895年)
1949年 - ジェームズ・アンソール、画家(* 1860年)
1971年 - 内山岩太郎、神奈川県知事(* 1890年)
1976年 - 高橋吉雄、元プロ野球選手(* 1908年)
1982年 - 坪井忠二、地球物理学者(* 1902年)
1989年 - 森茂喜、森喜朗第85、86代内閣総理大臣の父。(* 1910年)
1992年 - 関沢新一、脚本家・作詞家(* 1920年)
1996年 - 松島詩子、歌手(* 1905年)
1998年 - 藤田哲也、気象学者(* 1920年)
1998年 - アラン・J・パクラ、映画監督(* 1928年)
1998年 - 竹村幸雄、政治家(* 1930年)
1999年 - ホルスト・P・ホルスト、写真家(* 1906年)
1999年 - 山村正夫、推理作家(* 1931年)
2003年 - 瀧安治、元プロ野球選手(* 1941年)
2004年 - ジョン・ベーン、薬理学者(* 1927年)
2004年 - ブライアン・トラックスラー、元プロ野球選手(* 1967年)
2005年 - 中山素平、元日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)頭取(* 1906年)
2005年 - 東野芳明、美術評論家(* 1930年)
2007年 - サボー・マグダ、小説家(* 1917年)
2007年 - 西田吉宏、自由民主党参議院議員(* 1934年)

記念日・年中行事
鉄道電化の日(日本)
1956年11月19日に東海道本線の京都駅〜米原駅間が電化し、
東海道本線が全線電化されたのを記念して、1964年に鉄道電化協会が制定。

農協記念日
1947年のこの日に農業協同組合法が公布されたのに因み、
農業協同組合中央会(JA全中)が制定。