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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年11月26日(木曜日)

「秋」です。

「秋」の「11月」

になりました。

まばゆいほど。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

ありがたいやさしい。

「秋」「11月」の。

透明感のするどい。

朝のつよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「11月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる山焼きのように。

何かが「かおる」。

しずかなひざしです。

あさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしい。

秋朝陽(あきあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

優しく輝く

眼(まなこ)なりけり

あきあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

やさしくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「秋」になりました。

今年も秋がきました。

「秋」がきて。

今は「11月」。

「秋」がふうせんのように。

みのりそしてふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「11月」です。

なつまつりはおわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

夏草の花は咲きおわり。

野草が葉草となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「秋」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「秋」の小川。

「どんどん」ながれる。

あきのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたきことと。

感謝したい気持ちになります。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」「8月」がすぎて。
「9月」「10月」になる。

「あき」の「11月」です。

「陽」はすでに

日々にみじかくなりつつあります。

「秋」がきて。

さらにも。

「先の秋」に向かう「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

「秋」の「11月」です。

「秋」の「11月」の。

陽は日々ひくくなっています。

夜にゆらぐ明るい家々の灯火(ともしび)。

とてもやさしい。

しあわせのひかり。

しあわせの秋です。

朝陽ののぼるのがおそくなりました。

夕陽がおりるのははやくなりました。

朝の「秋」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「秋」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空の明るい秋の夜になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「夏」から「秋」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月もおわり」ました。
「11月」。

「11月」もおわりました。
「12月」もおわりました。
「新年」「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」もおわりました。
「春」「夏」がおわりました。

「夏」から「秋」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

「秋」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「冬」にむかってまで

あるいて去って行くようです。

だから。

「秋」をまつのであれば。

「秋」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

すぎさる「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「秋」ですね。

「秋」はゆっくりとあるいてやってくる。

「秋」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょうか。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」には。

「鬼」という「怪物?」は。

存在しないのでしょう。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「秋」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「秋」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「オレンジいろの月」でした。

06:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「秋」の「朝焼け色」の線描です。

「秋」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「秋」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」はおわり。
今は「11月」。

「秋の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「秋の花」が。
蕾をふくらませています。
「秋の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「秋」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「秋の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「秋かぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「秋」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の
「秋」ではあるけれども。
「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「夏」によろこび。

「夏」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

「秋」になりました。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「11月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

今はふたたび「秋」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月5日(月曜日)*より診療を開始する予定
ですが。

まだ変動する可能性があります。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

「御婦人」の医師でありながら一生「男装」で
すごされた医師がいます。
女性として史上初の合衆国陸軍軍医*。
南北戦争で活躍したアメリカの軍医であり。
名誉勲章を極めて数多く授与された「御婦人」の医師。

(*当時南北戦争のころは[合衆国(USA)」
でも「御婦人」の医師は「認められず」
看護師として扱われました。
苦労の末「実績をもって」女性として史上初の合衆国陸軍軍医
になられました。

1832年 - メアリー・エドワーズ・ウォーカー、軍医
(+ 1919年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

メアリー・エドワーズ・ウォーカー
:Mary Edwards Walker
は。
彼女はなぜか男性の服装をされていました。
その男装のために逮捕されたことも何度かあります。

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メアリー・エドワーズ・ウォーカー
:Mary Edwards Walker, 1832年11月26日 - 1919年2月21日)
は。

南北戦争で活躍したアメリカの軍医です。
女性として名誉勲章を授けられた唯一の人物です。

メアリー・エドワーズ・ウォーカー:Mary Edwards Walker
は生涯のほとんどを男装してすごしました。

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メアリー・エドワーズ・ウォーカー
:Mary Edwards Walker
は。
ニューヨーク州オスウィーゴの。

アルヴァー・ウォーカーと
ヴェスタ・ウォーカーの間に生まれました。

メアリー・ウォーカーは、
教師として働いて得た給料を貯金しこれを学費
として医学を学びました。

++++++++++++++++++++++

メアリー・エドワーズ・ウォーカー
:Mary Edwards Walker
は。

1855年、シラキューズ医学大学で博士号を得て卒業致しました。

学友のアルバート・ミラーと結婚到します。

二人で共同してニューヨーク州ロームで開業致しました。

その当時、女性の医者というものが信用をされなければ
敬意も払われませんでした。

よって患者さんが来ず開業は失敗に終わりました。

++++++++++++++++++++++

南北戦争が始まると、メアリー・ウォーカーは
民間人として北軍に志願致しました。

陸軍には女性の軍医が存在しなかったため、
当初は、看護師としての実務のみが許されました。
あるいは「医師」としての「診療」を
しても「お給料」は払われませんでした。

この時期、1861年7月21日の
第一次ブルランの戦いに参加し、
ワシントンD.C.の特許局病院にも勤務しています。

また、フレデリックスバーグの戦いや
チカモーガの戦いの直後のチャタヌーガなど、
北軍の前線にほど近い野戦地でも。
無償の外科医として活動致しました。

++++++++++++++++++++++

メアリー・エドワーズ・ウォーカー:Mary Edwards Walker
は。
やがて、1863年9月に
『少軍医候補生(民間人)契約』
をカンバーランド軍と交わし、
女性として史上初の合衆国陸軍軍医になりました。

その後、第52オハイオ歩兵連隊の少軍医として勤務致しました。

この期間、彼女は頻繁に前線を越えて敵地に入り、
民間人の治療にあたりました。

1864年4月10日、南軍の部隊に捕らえられ
スパイとして逮捕されました。
(実際にスパイ活動を行っていたという
見方もあります)。

++++++++++++++++++++++

メアリー・エドワーズ・ウォーカー:Mary Edwards Walker
は。

逮捕後リッチモンドへ送られ、
1864年8月12日に捕虜交換の一部として解放されました。

引き続きアトランタの戦いに参加した後には。
ケンタッキー州ルイビルの女性捕虜収容所の監督を務め、
テネシーの孤児院の院長となりました。

++++++++++++++++++++++

戦後、
ウィリアム・T・シャーマン、
ジョージ・ヘンリー・トーマスの両将軍が。

メアリー・ウォーカーを
名誉勲章の受勲候補として推挙致しました。

1865年11月11日、
アンドリュー・ジョンソン大統領の署名の元、
特に第一次ブル・ランの戦いにおける功績に対し、
名誉勲章が送られました。

勲章の授与に伴う賞状には次のように書かれている。

++++++++++++++++++++++

報告により明らかであることは。

メアリー・E・ウォーカー医学博士は政府に価値ある貢献を行い、
さまざまな面で熱意に満ちた目ざましい努力を行い、
しかもケンタッキー州ルイビルの女性捕虜収容所においては
陸軍大将シャーマンおよび陸軍大将トーマスの推挙されて
服務した少軍医としての義務と責任を全うした。
合衆国軍医として誠実に働き、
戦場と療養所との両方で、自身の健康も省みず、
傷病兵に対して愛国的情熱をもって治療に尽くし、
軍医として活動していた間には4ヶ月にわたり
南軍の捕虜収容所での戦時捕虜生活に耐え忍んだ。
軍人にあらざる彼女ゆえに現行法の下では
名誉昇進を与えることはできないが、
大統領は彼女の功績と苦難に対しなんらかの栄誉が認められて
しかるべきものと考える。

よって、メアリー・E・ウォーカー博士へ、
そのおおいなる貢献に対し、名誉勲章を与えるものとする。

++++++++++++++++++++++

メアリー・エドワーズ・ウォーカー
:Mary Edwards Walker
は。
戦後はライターや講師として、
健康や節制、女性の権利、女性の衣装改革といった
問題を論じることに人生を費やしました。

1917年、合衆国議会により、
名誉勲章の授与基準が「敵との直接的な戦闘」に
関わった者にのみ与えるものとされ、
それまでに授与されていた勲章のうち
条件を満たさない900件あまりの勲章について
返還を求めることとなりました。

++++++++++++++++++++++

この対象に、
メアリー・エドワーズ・ウォーカーもそうだが。
おもしろいことに、
バッファロー・ビルも含まれています。

ウォーカーはこの返還命令を拒否致しました。
死ぬまで勲章を身に帯びていました。

ウォーカーの死後の1977年、
ジミー・カーター大統領によって、
ウォーカーの名誉勲章が回復されています。

++++++++++++++++++++++

第二次世界大戦中に建造された
リバティ船「SSメアリー・ウォーカー」は
彼女にちなんで名づけられたものです。

++++++++++++++++++++++

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

メアリー・エドワーズ・ウォーカー
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC

彼女はよく男性の服装をし、その男装のために逮捕されたことも何度かある。メアリー・エドワーズ・ウォーカー(Mary Edwards Walker, 1832年11月26日 - 1919年2月21日)は南北戦争で活躍したアメリカの軍医。女性として名誉勲章を授けられた唯一の人物である。フェミニストでもあり、生涯のほとんどを男装してすごした。

生涯
ニューヨーク州オスウィーゴのアルヴァー・ウォーカーとヴェスタ・ウォーカーの間に生まれたメアリー・ウォーカーは、教師として働いて得た学資をもとに医学を学び、1855年、シラキューズ医学大学で博士号を得、卒業した。学友のアルバート・ミラーと結婚し、二人で共同してニューヨーク州ロームで開業したが、その当時、女性の医者というものが信用をされなければ敬意も払われなかったため、繁盛することはなかった。

南北戦争が始まると、メアリー・ウォーカーは民間人として北軍に志願した。陸軍には女性の軍医が存在しなかったため、当初は、看護師としての実務のみが許された。この時期、1861年7月21日の第一次ブルランの戦いに参加し、ワシントンD.C.の特許局病院にも勤務している。また、フレデリックスバーグの戦いやチカモーガの戦いの直後のチャタヌーガなど、北軍の前線にほど近い野戦地でも無償の外科医として活動した。やがて、1863年9月に『少軍医候補生(民間人)契約』をカンバーランド軍と交わし、女性として史上初の合衆国陸軍軍医になった。

その後、第52オハイオ歩兵連隊の少軍医として勤務。この期間、彼女は頻繁に前線を越えて敵地に入り、民間人の治療にあたった。1864年4月10日、南軍の部隊に捕らえられ、スパイとして逮捕された(実際にスパイ活動を行っていたという見方もある)。逮捕後リッチモンドへ送られ、1864年8月12日に捕虜交換の一部として解放された。引き続きアトランタの戦いに参加した後、ケンタッキー州ルイビルの女性捕虜収容所の監督を務め、テネシーの孤児院の院長となった。戦後、ウィリアム・T・シャーマン、ジョージ・ヘンリー・トーマスの両将軍がメアリー・ウォーカーを名誉勲章の受勲候補として推挙。1865年11月11日、アンドリュー・ジョンソン大統領の署名の元、特に第一次ブル・ランの戦いにおける功績に対し、名誉勲章が送られた。

勲章の授与に伴う賞状には次のように書かれている。

報告により明らかであることは、メアリー・E・ウォーカー医学博士は政府に価値ある貢献を行い、さまざまな面で熱意に満ちた目ざましい努力を行い、しかもケンタッキー州ルイビルの女性捕虜収容所においては陸軍大将シャーマンおよび陸軍大将トーマスの推挙されて服務した少軍医としての義務と責任を全うした。合衆国軍医として誠実に働き、戦場と療養所との両方で、自身の健康も省みず、傷病兵に対して愛国的情熱をもって治療に尽くし、軍医として活動していた間には4ヶ月にわたり南軍の捕虜収容所での戦時捕虜生活に耐え忍んだ。
軍人にあらざる彼女ゆえに現行法の下では名誉昇進を与えることはできないが、大統領は彼女の功績と苦難に対しなんらかの栄誉が認められてしかるべきものと考える。よって、メアリー・E・ウォーカー博士へ、そのおおいなる貢献に対し、名誉勲章を与えるものとする。

戦後はライターや講師として、健康や節制、女性の権利、女性の衣装改革といった問題を論じることに人生を費やした。

1917年、合衆国議会により、名誉勲章の授与基準が「敵との直接的な戦闘」に関わった者にのみ与えるものとされ、それまでに授与されていた勲章のうち条件を満たさない900件あまりの勲章について返還を求めることとなった。この対象に、メアリー・エドワーズ・ウォーカーもそうだが、おもしろいことに、バッファロー・ビルも含まれている。ウォーカーはこの返還命令を拒否、死ぬまで勲章を身に帯びていた。ウォーカーの死後の1977年、ジミー・カーター大統領によって、ウォーカーの名誉勲章が回復されている。

第二次世界大戦中に建造されたリバティ船「SSメアリー・ウォーカー」は彼女にちなんで名づけられたものである。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

11月26日
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%8826%E6%97%A5

できごと
1842年 - ノートルダム大学開学。
1868年(明治元年10月13日) - 明治天皇が江戸城に入る。名称を東京城と改めて皇居とする
1917年 - NHL発足。
1935年 - 日本ペンクラブが発足。初代会長は島崎藤村。
1941年 - アメリカのハル国務長官がハル・ノートを提示。
1942年 - 映画「カサブランカ」がニューヨークで世界初公開。
1948年 - ポラロイドカメラが発売。
1949年 - プロ野球、2リーグ制発足。
1949年 - 西鉄クリッパーズ(西武ライオンズ)設立。
1975年 - スト権スト。日本国有鉄道全線がこの日から8日間運休。
1996年 - 大分自動車道が全線開通
2003年 - ブリストルで超音速輸送機コンコルドの最後のフライトが行われる。
2004年 - 京都市営地下鉄東西線の醍醐駅〜六地蔵駅間が開業。
2005年 - Jリーグ・東京ヴェルディ1969が前身の読売サッカークラブ時代を含め、クラブの歴史で初めてのJ2降格。
2008年 - 阪急西宮ガーデンズが開業。
2008年 - 大相撲関脇の安馬公平が大関に昇進。同時に四股名を日馬富士公平(はるまふじ こうへい)に改める。
2008年 - ムンバイ同時多発テロが発生。

誕生日
1288年(正応元年11月2日)- 後醍醐天皇、第96代天皇(+ 1339年)
1811年(嘉慶16年10月11日) - 曽国藩、清の湘軍創設者(+ 1872年)
1817年 - アドルフ・ヴュルツ、化学者(+ 1884年)
1822年 - リリー・マーティン・スペンサー、画家(+ 1902年)
1830年(天保元年10月12日)- 佐々木高行、土佐藩士・枢密顧問官(+ 1910年)
1832年 - メアリー・エドワーズ・ウォーカー、軍医・フェミニスト(+ 1919年)
1837年(天保8年10月29日)- 井上正直、江戸幕府老中・鶴舞藩主(+ 1904年)
1838年 - 横山松三郎、写真家・洋画家(+ 1884年)
1838年 - ジョン・ニューランズ、化学者(+ 1898年)
1847年 - マリア・フョードロヴナ、ロシア皇帝アレクサンドル3世の皇后(+ 1928年)
1857年 - フェルディナン・ド・ソシュール、言語学者(+ 1913年)
1862年 - オーレル・スタイン、探検家(+ 1943年)
1869年 - モード、ノルウェー王ホーコン7世の妃(+ 1938年)
1885年 - ハインリヒ・ブリューニング、第12代ドイツ国首相(+ 1970年)
1888年 - フランシスコ・カナロ、タンゴのヴァイオリニスト・指揮者(+ 1964年)
1892年 - 三杉磯善七、大相撲の力士(+ 1951年)
1894年 - ノーバート・ウィーナー、数学者(+ 1964年)
1895年 - ビル・ウィルソン、アルコール依存症克服運動家・アルコホーリクス・アノニマス共同創設者(+ 1971年)
1895年 - ベルティル・リンドブラッド、天文学者(+ 1965年)
1898年 - カール・ツィーグラー、化学者(+ 1973年)
1909年 - ウジェーヌ・イヨネスコ、劇作家(+ 1994年)
1911年 - サミュエル・ハーマン・レシェフスキー、チェスの選手(+ 1992年)
1913年 - マーティン・ワイト、歴史学者(+ 1972年)
1915年 - 林田悠紀夫、政治家(+ 2007年)
1915年 - アール・ワイルド、ピアニスト
1918年 - パトリシオ・エイルウィン、チリ大統領
1919年 - フレデリック・ポール、SF作家
1919年 - 深見安博、元プロ野球選手(+ 1972年)
1922年 - チャールズ・モンロー・シュルツ、漫画家(+ 2000年)
1924年 - ジョージ・シーガル、彫刻家(+ 2000年)
1925年 - ユージン・イストミン、ピアニスト(+ 2003年)
1927年 - 奥田敬和、政治家(+ 1998年)
1929年 - 平泉渉、科学技術庁・経済企画庁長官
1931年 - ヨーゼフ・シヴォー、ヴァイオリニスト(+ 2007年)
1932年 - 河野基比古、映画評論家(+ 1991年)
1933年 - 柿澤弘治、政治家
1933年 - ロバート・グーレ、歌手・俳優(+ 2007年)
1937年 - 矢野進、騎手・調教師
1939年 - アブドラ・バダウィ、マレーシア首相
1939年 - ティナ・ターナー、歌手
1940年 - 琴櫻傑將、大相撲第53代横綱・先代佐渡ヶ嶽親方(+ 2007年)
1940年 - 中野寛成、政治家
1940年 - 吉川春子、政治家
1940年 - エンリコ・ボンビエリ、数学者
1942年 - カルーセル麻紀、タレント
1942年 - 佐藤進、元プロ野球選手
1944年 - 杉山武彦、交通学者・一橋大学学長
1945年 - 赤松正雄、公明党衆議院議員
1946年 - 下條アトム、俳優
1946年 - 苅谷俊介、俳優
1949年 - マリ・アルカティリ、東ティモールの初代首相
1949年 - 星野秀孝、元プロ野球選手
1952年 - ウェンディ・ターンブル、テニス選手
1954年 - ウラジミール・セリン、調教師
1954年 - 安西正弘、声優
1956年 - 柿崎幸男、元プロ野球選手
1958年 - 宮脇明子、漫画家
1960年 - 山森雅文、元プロ野球選手
1961年 - ラインハルト・シュトゥンプ、サッカー選手
1962年 - 横田真之、元プロ野球選手
1963年 - 最相葉月、ノンフィクション作家・編集者
1963年 - 岸大武郎、漫画家
1963年 - 市川右近、歌舞伎役者、俳優
1964年 - 中竹和也、騎手・調教師(JRA)
1964年 - フレニ・シュナイダー、アルペンスキー選手
1965年 - 香寿たつき、女優
1966年 - ただのいっこ、俳優
1966年 - ブライアン・ハリス、プロレスラー
1967年 - DJ TSUYOSHI、DJ
1968年 - 潮崎哲也、元プロ野球選手
1969年 - マルジャン・サトラピ、随筆家・漫画家
1969年 - 土井善和、元野球選手
1972年 - Ryo、MC(ケツメイシ)
1973年 - 高木礼子、声優
1973年 - ジョン・ジマーマン、フィギュアスケート選手
1975年 - PUSHIM、歌手
1975年 - 二代目市川亀治郎、歌舞伎役者
1975年 - パトリス・ローゾン、フィギュアスケート選手
1976年 - ブライアン・シュナイダー、メジャーリーガー
1976年 - 悠希、ミュージシャン(人格ラヂオ)
1977年 - イヴァン・バッソ、自転車競技選手
1977年 - ポール・ビネボーズ、フィギュアスケート選手
1978年 - 福山潤、声優
1978年 - 江草天仁、漫画家・イラストレーター
1979年 - マッシミリアーノ・ブラルドーネ、アルペンスキー選手
1980年 - 久嶋美さち、歌手
1980年 - 小野寺力、プロ野球選手
1980年 - 大野智、歌手・嵐メンバー、
1981年 - ほしのひかる、ストリッパー
1981年 - 大城バネサ、歌手
1981年 - ナターシャ・ベディングフィールド、歌手                                              
1981年 - 青木高広、プロ野球選手*                                                    
1983年 - 丸山隆平、歌手・関ジャニ∞メンバー
1983年 - 加藤英美里、声優
1984年 - アントニオ・プエルタ、サッカー選手(+2007年)
1985年 - 斉藤美穂、グラビアアイドル
1985年 - 小宮山慎二、プロ野球選手
1986年 - 佐藤悠基、陸上競技選手
1986年 - 伊藤かな恵、声優
1986年 - M-chan、トランペットプレイヤー(ピストルバルブ)
1988年 - 與真司郎、歌手、AAAメンバー
1988年 - 小林優美、ファッションモデル
1988年 - 北篤、プロ野球選手
1988年 - 倉田秋、サッカー選手
1989年 - ピョ・ヨンミョン、フィギュアスケート選手
1991年 - 奥本貴之、プロボクサー
1992年 - 井澤勇貴、HotchPotchi
1993年 - 小野恵令奈、AKB48
1994年 - 吉倉あおい、ファッションモデル、女優

忌日
1504年 - イサベル1世、カスティーリャ女王(* 1451年)
1574年(天正2年11月13日)- 小早川繁平、安芸国の国人領主(* 1542年)
1611年(慶長16年10月22日) - 景轍玄蘇、臨済宗の僧(* 1537年)
1650年(慶安3年閏10月3日) - 毛利秀元、初代長府藩主(* 1579年)
1700年(元禄13年10月16日) - 徳川光友、尾張国尾張藩の第2代藩主(* 1625年)
1821年(文政4年11月2日) - 木下幸文、歌人(* 1779年)
1822年 - カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク、プロイセン宰相(* 1750年)
1842年 - ロバート・スミス、アメリカ合衆国国務長官・海軍長官(* 1757年)
1851年 - ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト、ナポレオン戦争期のフランス軍元帥(* 1769年)
1855年 - アダム・ミツキェヴィチ、詩人(* 1798年)
1857年 - ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、詩人(* 1788年)
1861年 - ヴィルヘルム・ヘンゼル、画家(* 1794年)
1871年(明治4年10月14日)- 黒駒勝蔵、侠客・尊皇攘夷派志士(* 1832年)
1883年 - ソジャーナ・トゥルース、奴隷解放運動家(* 1797年?)
1896年 - ベンジャミン・グールド、天文学者(* 1824年)
1907年 - 初代三遊亭圓遊、落語家(* 1850年)
1911年 - 小村壽太郎、日本の外務大臣(* 1855年)
1920年 - 一戸直蔵、天文学者(* 1878年)
1923年 - 大谷喜久蔵、日本陸軍の第9代教育総監(* 1856年)
1926年 - ジョン・ブローニング、銃器設計者(* 1855年)
1928年 - ラインハルト・シェア、ドイツ帝国海軍軍人(* 1863年)
1937年 - アレクサンドル・クラスノシチョーコフ、極東共和国指導者(* 1880年)
1944年 - フローレンス・フォスター・ジェンキンス、ソプラノ歌手(* 1868年)
1945年 - 三宅雪嶺、評論家(* 1860年)
1952年 - スヴェン・ヘディン、探検家(* 1865年)
1954年 - ハロルド・J・ティンパーリ、ジャーナリスト(* 1898年)
1959年 - アルバート・ケテルビー、作曲家(* 1875年)
1961年 - アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル、ピアニスト(* 1875年)
1968年 - アルノルト・ツヴァイク、小説家(* 1887年)
1974年 - 沢村国太郎、俳優(* 1905年)
1977年 - 吉葉山潤之輔、大相撲第43代横綱(* 1920年)
1978年 - 玉置一徳、民社党衆議院議員(* 1912年)
1981年 - マックス・エーワ、第5代チェスの世界チャンピオン(* 1901年)
1983年 - 木村武雄、政治家(* 1902年)
1984年 - 鷲見三郎、ヴァイオリニスト・ヴァイオリン指導者(* 1902年)
1986年 - 高川格、囲碁棋士(* 1915年)
1990年 - 馮友蘭、新儒家(* 1895年)
1991年 - 蕭淑嫻、作曲家(* 1905年)
1993年 - 庄野英二、児童文学者(* 1915年)
1997年 - 奥野健男、文芸評論家(* 1926年)
2000年 - 小坂善太郎、政治家(* 1912年)
2003年 - 小林千登勢、女優(* 1937年)
2004年 - 島田正吾、俳優(* 1905年)
2004年 - フィリップ・ド・ブロカ、映画監督(* 1933年)
2005年 - 有澤孝紀、作曲家(* 1951年)
2005年 - 鈴木尚之、脚本家(* 1929年)
2005年 - 宮城音弥、心理学者(* 1908年)
2006年 - 土屋香鹿、元福岡県知事(* 1906年)
2006年 - 小杉健郎、天文学者(* 1949年)
2006年 - 稲葉興作、実業家(* 1924年)
2006年 - イサーク・ガルベス、自転車競技選手(* 1975年)
2007年 - 磯村隆文、第16代大阪市長(* 1930年)
2007年 - ビル・ハータック、騎手(* 1932年)
2008年 - エドウィン・サルピーター、天文学者(* 1924年)

記念日・年中行事
ペンの日(日本)
1935年のこの日、日本ペンクラブが創立されたことに由来し、
同クラブが1965年に制定。

いい風呂の日(日本)
入浴剤の業界団体「日本浴用剤工業会」の定めた「いい風呂の日」。1(い)1(い)2(ふ)6(ろ)から取った語呂合わせで、健康ランド等の入浴施設で無料券を配ったりする。