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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年11月28日(土曜日)

「秋」。

「11月」です。

「秋」の。

「11月」になりました。

「秋」がきた。

「秋」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にもきた。

「まち」にも。

「秋」がやってきた。

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今年の冬・春はインフルエンザ*の
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東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
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昨年
「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「8月」になりました。
「夏」です。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」もおわりました。
「11月」です。
「秋」「11月」が終わりました。

「12月」です。
「冬」になりました。

昨年の「12月」が終わりました。

「新年」の「初春」になりました。
「1月」がすぎ。

「初春」の「2月」がすぎ。

「3月」「4月」「5月」。

そして「8月」と「9月」「10月」がおわり。

いま「11月」です。

光陰矢のごとし。

野の「秋」

里の「秋」。

「まち」の「秋」。

そして。

みなの「秋」

「野」の「秋」に。

「里山」の「秋」に。

そして。

街(まち)の「秋」。

「みのり」の「秋」に。

なりました。

「ちいさな秋」をこえて。

もっと「大きな秋」を。

むかえようとしています。

いまは。

「里山」の「秋」

「野」の「秋」

「まち」の「秋」

「ふゆ」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。
「春」がすぎたら「夏」をむかえよう。
「夏」がすぎたら「秋」をむかえよう。
自在に「かんがえることなくながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せの「しらべ」。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。
「5月」は去り「6月」。
「7月」「8月」が去り「9月」「10月」が去り。
そして「11月」。

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「秋」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆく。

そしてまた「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな秋霞の衣をまとう初々しい

「秋」の「竜田姫(たつたひめ)」*

は「夏」をいなして。

「秋」を導きました。

そしていま。

「春」の「佐保姫(さほひめ)」は。

はるかかなたに去り。

「竜田姫(たつたひめ)」の。

「秋」の「11月」になりました。

「秋」の姫君の。

「秋の姫」「竜田姫:たつたひめ」*が。

やさしくみつめています。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

「秋」がきて。

おとづれる

日本の「秋」の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」。

日本の「秋」の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」

「どなた」がみつけた「姫君」か。

うるわしき女神と感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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今は「11月」の「秋」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「季節風」の

嵐(あらし)がふきました。

「秋の花」と「季節風」は。

相性が。

よいようです。

もしかしたら。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」と。

「あきのみのり」とも。

相性が。

よいのかもしれません。

暗い朝に。

「秋の花」の花びらが。

夜の間に「季節風」の。

弓風に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「秋」の。

「季節風」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「季節風」は。

「やまりす」の。

「歌声」のようにかわりました。

「やまりす」の。

とてもかわいい鳴き声は。

「ことり」とまったく区別がつきません。

そして「11月」の「秋」。

「季節風」のバラード

「竜田姫(たつたひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「季節風」。

「「秋」いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
秋の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「季節風」の音」
が聞こえました。

不思議な「秋」の「秋かぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「季節風」と。
「「秋かぜ」の音」だけになりました。

「秋かぜ」と
「季節風」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「夏」の「魔王」のようになるのでしょう。

「秋」の声。
「こうこう」と鳴く。
「季節風」
の風音がくわわっていきます。

その「季節風」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「夏」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「秋」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「夏」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「季節風」はトッカータ。
「なついちばん」は「フーガ」と「カノン」。

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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深冬葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる秋におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「秋」をむかえて。
「秋緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防熱衣としては
なくてはならないものです。
「秋」をむかえます。

「秋」の夜明(よあけ)の空から。
「秋」の陽がのぼり。
「秋」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「秋」の雲です。

あさの05:30AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる「秋」の気配」を感じます。

野路はた見たりビロードのしだ
わらべのごときビロードのしだ
わらびのごとく輝けりビロードのしだ
山奥にひそむビロードのしだ
しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
めずらしき羊歯ビロードのしだ
ときわの緑のほのほビロードのしだ
山奥のしだのビロードのしだ
「まち」にもいきるビロードのしだ
けなげなりもあはれなりビロードのしだ
生い立ちしらずビロードのしだ
されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「秋」きたれり。

「秋」いざいまこそは

「秋」よき季節にあらむ

「秋」ふと空をみる

おとたかき

換気扇より

なかれいる

ひともとのかぜの声こそ

さわやかなりし

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「「夏」の木」から。
「「秋」の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
深い「夏」からさらに「秋」。
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
は微笑みをうかべてよそのくにへ
たびだちました。
かわりに秋の「竜田姫(たつたひめ)」
のほほえみがみえます。

まちなみ蒼く(あおく)
いろどりて
木々の榛葉のかがやけり
暑さの夏秋をうつろひて
ふかまるみどりのむろ木なり
しずまるみどりのもえ木なり
みのりの秋こそありがたし
みのりの秋こそこひしかり
秋虫なきてささやけり
春木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。

化粧をして。

春夏秋冬の。

前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月5日(月曜日)*より診療を開始する予定
ですが。

まだ変動する可能性があります。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

1883年 - 東京・麹町に。
イギリス人のコンドルが設計した
日本初の洋式社交クラブ。

鹿鳴館(ろくめいかん)*が開館した日です。
「鹿鳴」は詩経の『鹿鳴の詩』に由来。
来客をもてなすことを表す語です。
中井櫻洲が名付けました。

(*施工は土木用達組
(大倉喜八郎と堀川利尚との共同出資で設立した組織)
が担当致しました。

(大倉喜八郎が創立した大倉組商会の建設部門は
大成建設株式会社の源流です)。

++++++++++++++++++++++

鹿鳴館(ろくめいかん)とは
外国からの賓客や外交官を接待するために
明治政府によって建てられた
社交場です。

当時の急激な西欧化を象徴する存在でもあります。
また、
鹿鳴館を中心にした外交政策は。
「鹿鳴館外交」とも呼ばれました。

++++++++++++++++++++++

鹿鳴館(ろくめいかん)計画を推進したのは。
外務卿(内閣制度以降は外務大臣)井上馨でした。

当時の日本外交には課題がありました。

不平等条約改正交渉、
特に外国人に対する治外法権の撤廃要請などで辣腕を振るって
いましたが。

日本に住む外国人の多くは数年前まで行われていた
磔刑や打ち首を実際に目撃しており、
外国政府は自国民が残酷な刑罰に処せられることを危惧して
治外法権撤廃に強硬に反対していました。

そのため、
井上は日本が文明国であることを外国人に示す必要があると考えた
のでした。

++++++++++++++++++++++

それまでは外国賓客の迎賓館として準備された建物は
ありません。

1870年(明治3年)、急遽改修した浜離宮の延遼館か
あるいは三田の蜂須賀邸などを借用していました。

鹿鳴館の建設地は内山下町の
旧薩摩藩装束屋敷跡
(現在の千代田区内幸町、現帝国ホテル隣の大和生命ビルの地)
に決まりました。

1880年(明治13年)に着手。
途中規模変更(拡大)があり
3年がかりで1883年(明治16年)7月、落成。
設計はジョサイア・コンドルによるものでした。

施工は土木用達組
(大倉喜八郎と堀川利尚との共同出資で設立した組織)
が担当致しました。

(大倉喜八郎が創立した大倉組商会の建設部門は
大成建設株式会社の源流です)。

++++++++++++++++++++++

鹿鳴館(ろくめいかん)は。
煉瓦造2階建てでした。

1階に大食堂、談話室、書籍室など。
2階が舞踏室で3室開け放つと100坪ほどの広間になっていました。

バーやビリヤードも設備されていました。

++++++++++++++++++++++

鹿鳴館時代
1883年(明治16年)11月28日、
1200名を招待して落成の祝宴が行われました。

「鹿鳴」は詩経の『鹿鳴の詩』に由来し、
来客をもてなすことを表す語で、中井櫻洲が名付けました。

祝宴当日は井上馨の誕生日でした。

鹿鳴館では外国からの賓客接待ばかりでなく。

天長節(11月3日、明治天皇誕生日)の祝賀会行事をはじめ
数々の国内行事も行われるようになりました。

これらの夜会、舞踏会、高官婦人による慈善事業などが
世間の注目を集めました。

++++++++++++++++++++++

一方、欧化政策を批判する国粋主義者
は「嬌奢を競い淫逸にいたる退廃的行事」として
非難の声を挙げていました。

また当時にあっては、日本の政府高官やその夫人でも
西欧式舞踏会におけるマナーやエチケットなどは
知るすべもありません。

その物の食べ方、服の着方、舞踏の仕方などは。
どれをとっても様にならないものでした。

本人たちは真剣勝負だったが、
試行するも錯誤ばかりが目立ちました。

西欧諸国の外交官も
うわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら。

その書面や日記などにはこうした日本人を「滑稽」などと
記して嘲笑していました。

++++++++++++++++++++++

井上の鹿鳴館外交への風当たりは次第に厳しいものとなりました。
さらに条約改正案(外国人判事の任用など)が世間に知られると、
大反対が起こりました。

面目を失した井上は明治20年 (1887) 4月9月に
外務大臣を辞任致しました。

鹿鳴館時代はこうして井上とともにその短いが燦然とした歴史に
一応の幕を下ろすことになりました

(鹿鳴館では
その後も数年間にわたって天長節夜会が開催されています)

++++++++++++++++++++++

総理官邸の仮装舞踏会
鹿鳴館外交の中でも最も華麗な舞踏会のひとつとして知られるのは、
明治20年4月20日の仮装舞踏会「ファンシー・ボール」です。

しかしこの舞踏会は実は鹿鳴館で催されたものではなく
総理官邸で行われたもので
しかも実際には「鹿鳴館外交」ともあまり関係のないものでした。

伊藤博文総理・梅子夫人の主催ということで開かれ
この舞踏会は、
実際には時のイギリス公使夫妻が主催したもので、
伊藤は好意で官邸を会場に貸し出したにすぎなかったのです。

しかし当時の国粋主義者たちは、
このことを知るや「亡国の兆し」と口を極めて罵りました。

アメリカへの渡航歴があり、
外務大丞をつとめたこともある勝海舟でさえ。

これを契機に憂国の感を深めました。

これを21か条の時弊を挙げた
建白書にしたためて政府に意見しています。

++++++++++++++++++++++

その後
1890年(明治23年)、宮
内省に払い下げられ、華族会館が一部を使用。
1894年(明治27年)6月20日の明治東京地震で被災し、
修復後、土地・建物が華族会館に払い下げられました。

旧鹿鳴館の建物は1927年(昭和2年)、
徴兵生命保険(現・大和生命保険)に売却された後も保存されていたが、
1940年(昭和15年)に取壊されました。

1940年3月9日の東京日日新聞は以下のように報じている。
「日本徴兵保険会社では最近のビル飢饉時代に
建物に比較して広大な敷地を遊ばしておくのは
土一升、金一升の場所から惜しいところでもあり、
不経済であるとの理由で建物の取毀しを決定したともいはれ
、取毀した敷地後にはバラツク仮建築を建築して商工省分室として
貸室することに内定、数日前から工事に着手した」。

++++++++++++++++++++++

その際に取外された階段と壁紙は、
東京大学工学部建築学科に保存されています。

また、その際に売却されたシャンデリアが
江戸川区の灯明寺に残っています。

建築家谷口吉郎は、
鹿鳴館の滅失について、11月8日の東京日日新聞に
「明治の哀惜」というタイトルで記事を寄せました。

「明治に生れた人達が、自分の所持品を持ちよつて、
それを小博物館にすることは出来なかつたらうか。
それこそいい明治の記念物となったらうに。
明治時代の人から、次の時代に贈るほんとに
いい贈物になつたことと思ふ」

「新体制が活発な革新意識に燃えるものであるなら、
それと反対に古い文化財に対しては
極度に保守的であつて欲しいと思ふ」。

谷口は後に博物館明治村の開設に尽力し、
初代館長となりました。

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鹿鳴館の正門として使用された
旧薩摩藩装束屋敷跡の
通称「黒門」は旧国宝に指定されていました。
1945年(昭和20年)、空襲により焼失致しました。

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鹿鳴館
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鹿鳴館(ろくめいかん)とは外国からの賓客や外交官を接待するために明治政府によって建てられた社交場である。当時の急激な西欧化を象徴する存在でもある。また、鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」とも呼ぶ。

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11月28日
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できごと
1520年 - フェルディナンド・マゼランが太平洋に到達。
1880年 - 官営幌内鉄道手宮〜開運町(〜札幌) 手宮線
1883年 - 東京・麹町にイギリス人のコンドルが設計した日本初の洋式社交クラブ鹿鳴館が開館。
1912年 - アルバニアがオスマン帝国から独立。
1924年 - 孫文が神戸で大アジア主義講演を行う。
1960年 - モーリタニアがフランスから独立。
1975年 - 東ティモールがポルトガルからの独立を宣言。
1983年 - 衆議院解散(田中判決解散)。
1987年 - 南アフリカ航空295便墜落事故。
1991年 - 創価学会が日蓮正宗から破門される。
1994年 - ノルウェーのEU加盟が国民投票の結果、1972年に続き否決される。
1999年 - 東名高速飲酒運転事故が発生。

誕生日
1563年(永禄6年11月13日) - 細川忠興、小倉藩の初代藩主(+ 1646年)
1820年 - フリードリヒ・エンゲルス、経済学者(+ 1895年)
1829年 - アントン・ルビンシテイン、ピアニスト、作曲家(+ 1894年)
1868年 - フランティシェク・ドルドラ、ヴァイオリニスト(+ 1944年)
1878年 - 寺田寅彦、物理学者(+ 1935年)
1881年 - シュテファン・ツヴァイク、小説家・評論家(+ 1942年)
1889年 - 伊沢蘭奢、女優(+ 1928年)
1897年 - 宇野千代、小説家(+ 1996年)
1919年 - 井筒研一、元プロ野球選手(+ 1992年)
1920年 - セシリア・カレッジ、フィギュアスケート選手(+ 2008年)
1926年 - 原田清、元プロ野球選手
1928年 - ピノ・ランチェッティ、ファッションデザイナー(+ 2007年)
1929年 - 向田邦子、小説家(+ 1981年)
1929年 - 上田誠也、地球物理学者
1929年 - 石原照夫、元プロ野球選手(+ 2006年)
1932年 - 服部武夫、元プロ野球選手
1935年 - 常陸宮正仁親王、皇族・昭和天皇の二男・今上天皇の弟
1936年 - 里見浩太朗、俳優
1940年 - 鴻池祥肇、自民党参議院議員
1941年 - 明石勇、元NHKアナウンサー
1944年 - 福井威夫、本田技研工業代表取締役社長
1945年 - 中曽根弘文、自民党参議院議員・中曽根康弘元首相の長男
1946年 - 二宮和弘、柔道家
1947年 - 渡辺篤史、俳優
1947年 - 藤本和宏、元プロ野球選手
1949年 - 名木田恵子、児童文学作家
1949年 - アレクサンダー・ゴドノフ、バレエダンサー・俳優(+ 1995年)
1950年 - エド・ハリス、俳優
1950年 - 与那城ジョージ、サッカー選手指導者
1950年 - 大口広司、ドラマー(元ザ・テンプターズ)(+ 2009年)
1951年 - あべ静江、歌手・女優
1951年 - ロック岩崎(岩崎貴弘)、日本初のプロ・エアショーパイロット(+ 2005年)
1951年 - 青山一也、俳優
1953年 - 大貫妙子、ミュージシャン
1953年 - 松平健、俳優
1953年 - 八木茂、元プロ野球選手
1955年 - 馬淵史郎、明徳義塾高等学校野球部監督
1957年 - 松木安太郎、サッカー解説者
1957年 - 樋口泰行、実業家
1957年 - 古口哲、ボクサー
1958年 - 新藤栄作、俳優
1958年 - 広岡瞬、元俳優
1959年 - 松原みき、シンガーソングライター(+ 2004年)
1959年 - 井上敏樹、脚本家
1960年 - ジョン・ガリアーノ、ファッションデザイナー
1961年 - 小木茂光、俳優
1961年 - 福田洋也、ギタリスト
1961年 - アルフォンソ・キュアロン、映画監督
1963年 - 清水信明、元プロ野球選手
1965年 - 風間ルミ、シュートボクサー
1965年 - 菊池均也、俳優
1965年 - 太田貴、元プロ野球選手
1966年 - 安田成美、女優
1966年 - 吉田剛、元プロ野球選手
1967年 - 原田知世、歌手・女優
1967年 - 蓮舫、民主党参議院議員
1967年 - アンナ・ニコル・スミス(+ 2007年)
1968年 - ken(ケン)、ギタリスト(L'Arc?en?Ciel)
1968年 - スコット・シェルドン、元プロ野球選手
1968年 - 兼清麻美、NHKアナウンサー
1969年 - 堀内健、ネプチューン
1972年 - イェスパー・ストロムブラード、ミュージシャン
1972年 - ホセ・パーラ、元プロ野球選手
1972年 - 名波浩、サッカー選手
1972年 - 松雪泰子、女優
1972年 - 赤城進、声優
1973年 - 奈須きのこ、小説家、シナリオライター
1975年 - シロ・シルビノ・リセア、野球選手
1975年 - 下田崇、サッカー選手
1975年 - バカリズム(升野英知)
1977年 - 施川ユウキ、漫画家
1978年 - 大森隆弘、卓球選手
1978年 - 長塚智広、競輪選手
1978年 - 八木早希、毎日放送アナウンサー
1978年 - 吉野サリー、AV女優・ストリッパー
1978年 - オーランド・ロマン、野球選手
1979年 - 林昌樹、プロ野球選手
1979年 - マイク・シュルツ、プロ野球選手
1979年 - チャド・イアン・マレーン、芸人(ジパング上陸作戦)
1981年 - 上園和明、サッカー選手
1982年 - 辻村明須香、プロゴルファー
1983年 - 折原みか、タレント
1984年 - 吉井小百合、スピードスケート選手
1984年 - エリザベス・パットナム、フィギュアスケート選手
1986年 - 野田クリステル、芸人(マヂカルラブリー)
1987年 - 木下達生、プロ野球選手
1987年 - 的場勇人、騎手
1987年 - 蔦絵梨奈、タレント
1988年 - 宇治川麗菜、タレント
1989年 - 恒吉梨絵、タレント
1991年 - 鈴木湧太、ジャニーズJr.
1991年 - 河北麻友子、子役
1994年 - 松原彩華、フィギュアスケート選手
生年非公表 - 五藤めぐみ、フリーアナウンサー

忌日
740年(天平12年11月1日) - 藤原広嗣、奈良時代の廷臣
1170年 - オーウェン・グウィネズ、ウェールズ・グウィネズ君主(* 1100年以前)
1183年(寿永2年閏10月12日) - 妹尾兼康、平安時代の武将(* 1123年)
1456年(康正2年11月1日) - 馬加康胤、室町時代の武将(* 1398年?)
1585年 - エルナンド・フランコ、作曲家(* 1532年)
1680年 - ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、彫刻家・建築家・画家(* 1598年)
1694年(元禄7年10月12日) - 松尾芭蕉、俳諧師(* 1644年)
1794年 - フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン、プロイセン王国の軍人(* 1730年)
1794年 - チェーザレ・ベッカリーア、法学者・経済学者(* 1738年)
1815年 - ヨハン・ペーター・ザーロモン、指揮者・作曲家・ヴァイオリニスト(* 1745年)
1856年(安政3年11月1日) - 広瀬淡窓、儒学者・漢詩人(* 1782年)
1859年 - ワシントン・アーヴィング、小説家(* 1783年)
1884年 - 間部詮勝、元江戸幕府老中・鯖江藩主(* 1804年)
1914年 - ヴィルヘルム・ヒットルフ、物理学者・化学者(* 1824年)
1939年 - ジェームズ・ネイスミス、バスケットボール考案者として知られる体育指導者(* 1861年)
1945年 - ドワイト・フィリー・デイヴィス、第49代アメリカ合衆国陸軍長官(* 1879年)
1947年 - フィリップ・ルクレール、フランスの将軍(* 1902年)
1948年 - 井上篤太郎、実業家・京王電気軌道(京王電鉄の前身)の実質的創業者(* 1859年)
1954年 - エンリコ・フェルミ、理論物理学者(* 1901年)
1956年 - 石川三四郎、社会運動家(* 1876年)
1960年 - 常ノ花寛市、大相撲第31代横綱(* 1896年)
1960年 - リチャード・ライト、小説家(* 1908年)
1962年 - ヴィルヘルミナ、元オランダ女王(* 1880年)
1966年 - 桂小文治、落語家(* 1893年)
1966年 - ヴィットリオ・ジャンニーニ、作曲家(* 1903年)
1967年 - レオン・ムバ、初代ガボン大統領(* 1902年)
1968年 - イーニッド・ブライトン、児童文学作家(* 1897年)
1970年 - 伊木寿一、歴史学者(* 1883年)
1972年 - ハヴァーガル・ブライアン、作曲家(* 1876年)
1975年 - 田中彰治、元自民党衆議院議員(* 1903年)
1985年 - 白洲次郎、吉田茂のブレーンとして知られる実業家(* 1902年)
1986年 - エミリオ・スカナヴィーノ、画家・彫刻家(* 1922年)
1987年 - ハル薗田、プロレスラー(* 1956年)
1993年 - 水原明窗、切手収集家(* 1924年)
1994年 - ジェリー・ルービン、政治活動家(* 1938年)
1994年 - ジェフリー・ダーマー 、連続殺人犯(* 1960年)
1995年 - 横沢三郎、プロ野球監督・パシフィック・リーグ審判部長(* 1904年)
1999年 - 佐藤誠三郎、政治学者(* 1932年)
2002年 - 西村正夫、元プロ野球選手・プロ野球監督(* 1912年)
2004年 - 兼坂弘、自動車技術者・評論家(* 1923年)
2006年 - 小田切みき、女優(* 1930年)

記念日・年中行事

太平洋記念日
1520年11月28日に、ポルトガルの航海者フェルディナンド・マゼランが、
後にマゼラン海峡と命名される南米大陸南端の海峡を通過して太平洋に出たことに由来。
マゼランは、その時「El Mare Pacificum(平穏な海)」と表現している。

税関記念日