東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年12月10日(木曜日)

「冬」です。

「冬」の「12月」

になりました。

まばゆいほどに。

ことばでは。

いいつくせないほどの。

まぶしくて。

ありがたいやさしい。

「冬」「12月」の。

透明感するどい。

朝のつよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「12月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる山焼きのように。

何かが「かおる」。

しずかなひざしです。

あさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしい。

冬朝陽(ふゆあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

優しく輝く

眼(まなこ)なりけり

ふゆあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

やさしくかかやく

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「冬」になりました。

今年も冬がきました。

「冬」がきて。

今は「12月」。

「冬」がふうせんのように。

みのりそしてふくらみ。

ひろがってゆく季節です。

「12月」です。

なつまつりはおわり。

野には。

たんぽぽはかれ葉草となり。

夏草の花は咲きおわり。

野草が「かれ葉草」となり。

かれよもぎや。

かれすぎながいっぱいになりました。

枯れ山水の風情です。

みどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「冬」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「冬」の小川。

「どんどん」ながれる。

ふゆのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたいことと。

感謝したい気持ちになります。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。

そして来年も「春」の「3月」がきて。
そして「4月」「5月」がおわり。
「6月」「7月」「8月」がすぎて。
「9月」「10月」「11月」が過ぎて
「12月」になりました。

「ふゆ」の「12月」です。

「陽」はすでに

日々にみじかくなりつつあります。

「冬」がきて。

さらにも。

「冬のけわしい冬の道」をてらす「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

「冬」の「12月」です。

「冬」の「12月」の。

陽は日々ひくくなっています。

夜にゆらぐ明るい家々の灯火(ともしび)。

とてもやさしい。

しあわせのひかり。

冬にもえいるともしび。

しあわせいろの冬のともしびです。

朝陽ののぼるのがおそくなりました。

夕陽がおりるのははやくなりました。

朝の「冬」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「冬」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

空の明るい冬の夜になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 イギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「秋」から「冬」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

昨年。
「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月11月もおわり」ました。
「11月」もおわりました。
「12月」になりました。
いきつくひまなく。
「新年」。
「初春」の「1月」もおわり。
「2月」「晩冬」もおわりました。
「春」「夏」「秋」がおわりました。

「秋」から「冬」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

「冬」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「春」にむかってまで

あるいて行くようです。

だから。

「春」をまつのであれば。

「春」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「秋」がくるのをまつのであれば。

すぎさる「夏」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

「かぜのおと」のかわりに。
「春」はなにかが生まれるようにおとずれます。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「冬」ですね。

「冬」はゆっくりとあるいてやってくる。

「冬」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょうか。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」には。

「鬼」という「怪物?」は。

存在しないのあろうか。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「秋」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「冬」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「クリームいろの月」でした。

06:30amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「冬」の「朝焼け色」の線描です。

「冬」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「冬」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」「11月」はおわり。
今は「12月」。

「冬の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「冬の花」が。
蕾をふくらませています。
「秋の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「冬」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「冬の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「冬かぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「冬」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の

「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

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おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「冬」によろこび。

「冬」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

さる「冬」になりました。

「春」の女神「佐保姫(さほひめ)」は

とおくから微笑んでいます。

これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは早くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「11月」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬」の「木枯らし」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

秋が過ぎて。

今はふたたび「冬」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月5日(月曜日)*より診療を開始する予定
ですが。

まだ変動する可能性があります。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
日本では、『リリス』などの幻想文学や、
『お姫さまとゴブリンの物語』などの
児童向けファンタジーの作者として知られている。

「英国(UK)」の児童文学作家。
1824年 - ジョージ・マクドナルド、小説家・詩人(+ 1905年)
の生誕日です。

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ジョージ・マクドナルド
:George MacDonald, 1824年12月10日 - 1905年9月18日)は。
スコットランドの小説家、詩人、聖職者です。

日本では、『リリス』などの幻想文学や、
『お姫さまとゴブリンの物語』などの
児童向けファンタジーの作者として知られています。

今日ではさほどの知名度は無いが、
彼の作品(特に童話とファンタジー小説)は
W・H・オーデン、
J・R・R・トールキン、
C・S・ルイス、
マデレイン・レングルらといった作家たちに賞賛されています。

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例えば、C・S・ルイスはマクドナルドを
自分の「師匠」と呼びました。

その作品を読んだ経験を次のように語ってい
ます。

「ある日、駅の売店で『ファンタステス』を手に取り、
読み始めた。二三時間後、
私は自分が大いなるフロンティアを横断し終わったこと
に気付いた」。

G・K・チェスタートンは
『お姫さまとゴブリンの物語』を
「私という存在を変えた」本だと述べています。

マーク・トウェインも、
当初こそマクドナルドを嫌っていたものの、
彼と友誼を結びました。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・マクドナルド:George MacDonaldは。
1824年にスコットランド、旧アバディーンシャイアのハントリー(Huntly)
で生まれました。

父は農家で、
1692年の「グレン・コーの虐殺」から逃れた
グレン・コー(コー渓谷)のマクドナルド氏族の
末裔でありました。

この地方に見られる
「ドーリック方言(スコットランド語の北東部方言)」
は。
彼の非ファンタジー小説にも登場到します。

++++++++++++++++++++++

マクドナルドは、
会衆派教会とカルヴァン主義の影響下で育ちました。

だが彼はカルヴァン派の教義には多少、
相容れないものを感じていました。

伝えられる所によると、
予定説に関する説明を初めて聞かされた時、
マクドナルドは突如として泣き崩れたということです。

後年の作品"Robert Falcone"、『リリス』などからは。

神の救済が一部の人間にしか約束されていないという
思想に対する嫌悪が読み取れます。

++++++++++++++++++++++

ジョージ・マクドナルドは
アバディーン大学(University of Aberdeen)
で学位を取得したのち、
ロンドンに上京してハイベリー大学(Highbury College)で
会衆派協会の聖職者となるための教育を受けました。

1850年、
ウェスト・サセックス州アランデル(Arundel)
で牧師の口を得たが、
彼の説教は不人気で、給料を半分に減額されました。

その後マンチェスターで職を得たが、
健康上の理由で辞職。

アルジェに短期間の逗留をした後、ロンドンに移住。

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マクドナルドは一時、
雑誌"Good Words for the Young"
の編集者としても働きました。

1872年から73年にかけては
アメリカで講師としても成功致しました。

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ジョージ・マクドナルド:George MacDonaldの。
ファンタジーの
『ファンタステス』『お姫様とゴブリンの物語』
『北風のうしろの国』『リリス』、
児童向けの『かるいお姫さま』『黄金の鍵』『きえてしまった王女』
はマクドナルドの代表作です。

「私は子供のためではなく。

子供の心を持った人……5歳だろうと、15歳だろうと、
75歳だろうと実年齢は関係ない……
のために書くのだ」

とマクドナルドは記しています。

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彼は「不思議の国のアリス」の
原作者「数学家で小説家」の
ルイス・キャロルの助言者でもありました。

『不思議の国のアリス』の公刊をキャロルに
勧めたのはマクドナルドでした。

ジョン・ラスキンの友人でもあり、
ラスキンとローズ・ラ・トゥーシュ(Rose La Touche)
の付き合いにおいては仲人役を務めました。

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マクドナルドは当時の文学界の大物たちと
手広く交際していました。

テニスン、ディケンズ、ウィルキー・コリンズ、
アントニー・トロロープ(Anthony Trollope)、
ラスキン、ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes)、
サッカレーとの集合写真が現存しています。

アメリカのロングフェロー、
ホイットマンとも友人でありました。

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ジョージ・マクドナルド:George MacDonaldは。
1877年、王室費から年金を授与されました。

1905年にサリー州アシュテッド(Ashtead)で死亡。
火葬の後、北イタリアのボルディゲーラに埋葬されました。

彼は人間というものを探求するための文学的手法として
ファンタジーを利用致しました。

この手法は上でも触れたC・S・ルイスやJ・R・R・トールキン、
マデレイン・レングルらに大きな影響を与えました

(ちなみにルイスは1945年の
長編小説『天国と地獄の離婚』
にマクドナルドを登場させています)。

"Alec Forbes"など、
マクドナルドのファンタジーではない小説も、
スコットランドを写実的に描いた小説の草分けとして
重要です。

彼はスコットランド文学において
「菜園派」の創始者とされています。

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ジョージ・マクドナルド:George MacDonaldの子孫

息子の一人グレヴィル・マクドナルド
(Greville MacDonald)は医者になりましたが。

父と同様に多くの児童文学を執筆し、
また父の著書の新版発行に力を尽くしました。

別の息子ロナルド・マクドナルドも小説家となりました。
その息子、フィリップ・マクドナルド(Philip MacDonald)は
ハリウッドで脚本家となりました。

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ジョージ・マクドナルド
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89

ジョージ・マクドナルド:George MacDonald, 1824年12月10日 - 1905年9月18日)は、スコットランドの小説家、詩人、聖職者。

日本では、『リリス』などの幻想文学や、『お姫さまとゴブリンの物語』などの児童向けファンタジーの作者として知られる。

今日ではさほどの知名度は無いが、彼の作品(特に童話とファンタジー小説)はW・H・オーデン、J・R・R・トールキン、C・S・ルイス、マデレイン・レングルらといった作家たちに賞賛されている。例えば、C・S・ルイスはマクドナルドを自分の「師匠」と呼び、その作品を読んだ経験を次のように語っている。「ある日、駅の売店で『ファンタステス』を手に取り、読み始めた。二三時間後、私は自分が大いなるフロンティアを横断し終わったことに気付いた」。G・K・チェスタートンは『お姫さまとゴブリンの物語』を「私という存在を変えた」本だと述べている。マーク・トウェインも、当初こそマクドナルドを嫌っていたものの、彼と友誼を結んだ。

目次
1 前半生
2 作家として
3 子孫
4 作品リスト
5 出典
6 参考資料
7 外部リンク

前半生
1824年にスコットランド、旧アバディーンシャイアのハントリー(Huntly)で生まれた。父は農家で、1692年の「グレン・コーの虐殺」から逃れたグレン・コー(コー渓谷)のマクドナルド氏族の末裔であった。この地方に見られるドーリック方言(スコットランド語の北東部方言)は、彼の非ファンタジー小説にも登場する。

マクドナルドは、会衆派教会とカルヴァン主義の影響下で育った。だが彼はカルヴァン派の教義には多少、相容れないものを感じていた。伝えられる所によると、予定説に関する説明を初めて聞かされた時、マクドナルドは突如として泣き崩れたという。後年の作品"Robert Falcone"、『リリス』などからは、神の救済が一部の人間にしか約束されていないという思想に対する嫌悪が読み取れる。

ジョージ・マクドナルドはアバディーン大学(University of Aberdeen)で学位を取得したのち、ロンドンに上京してハイベリー大学(Highbury College)で会衆派協会の聖職者となるための教育を受けた。

1850年、ウェスト・サセックス州アランデル(Arundel)で牧師の口を得たが、彼の説教は不人気で、給料を半分に減額された。その後マンチェスターで職を得たが、健康上の理由で辞職。アルジェに短期間の逗留をした後、ロンドンに移住。マクドナルドは一時、雑誌"Good Words for the Young"の編集者としても働いた。1872年から73年にかけてはアメリカで講師としても成功した。

作家として

晩年(1901年)の写真ファンタジーの『ファンタステス』『お姫様とゴブリンの物語』『北風のうしろの国』『リリス』、児童向けの『かるいお姫さま』『黄金の鍵』『きえてしまった王女』はマクドナルドの代表作である。「私は子供のためではなく、子供の心を持った人……5歳だろうと、15歳だろうと、75歳だろうと実年齢は関係ない……のために書くのだ」とマクドナルドは記している。

彼はルイス・キャロルの助言者でもあった。『不思議の国のアリス』の公刊をキャロルに勧めたのはマクドナルドである。

ジョン・ラスキンの友人でもあり、ラスキンとローズ・ラ・トゥーシュ(Rose La Touche)の付き合いにおいては仲人役を務めた。

マクドナルドは当時の文学界の大物たちと手広く交際していた。テニスン、ディケンズ、ウィルキー・コリンズ、アントニー・トロロープ(Anthony Trollope)、ラスキン、ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes)、サッカレーとの集合写真が現存している。アメリカのロングフェロー、ホイットマンとも友人であった。

1877年、王室費から年金を授与される。1905年にサリー州アシュテッド(Ashtead)で死亡。火葬の後、北イタリアのボルディゲーラに埋葬された。

彼は人間というものを探求するための文学的手法としてファンタジーを利用した。この手法は上でも触れたC・S・ルイスやJ・R・R・トールキン、マデレイン・レングルらに大きな影響を与えた(ちなみにルイスは1945年の長編小説『天国と地獄の離婚』にマクドナルドを登場させている)。"Alec Forbes"など、マクドナルドのファンタジーではない小説も、スコットランドを写実的に描いた小説の草分けとして重要である。彼はスコットランド文学において「菜園派」の創始者とされている。

子孫
息子の一人グレヴィル・マクドナルド(Greville MacDonald)は医者になったが、父と同様に多くの児童文学を執筆し、また父の著書の新版発行に力を尽くした。別の息子ロナルド・マクドナルドも小説家となった。その息子、フィリップ・マクドナルド(Philip MacDonald)はハリウッドで脚本家となった[1]。

作品リスト

リリス 妖精文庫(上下)/月刊ペン社(1976)、ちくま文庫/筑摩書房(1986、再版) 荒俣宏訳
北風のうしろの国 ハヤカワ文庫FT/早川書房(1981(2005、再版))
お姫さまとゴブリンの物語 岩波少年文庫/岩波書店(1985(2003、再版))
カーディとお姫さまの物語 岩波少年文庫/岩波書店(1986(2003、再版))
かるいお姫さま 岩波少年文庫/岩波書店(1995)

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

12月10日
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8810%E6%97%A5

できごと
1336年(建武3年/延元元年11月7日) - 建武式目が制定される。
1901年 - 田中正造が足尾銅山の鉱毒事件について明治天皇に直訴。
1935年 - 株式会社大阪野球倶楽部(大阪タイガース、後の阪神タイガース)創立
1941年 - マレー沖海戦で日本海軍の陸上攻撃機隊がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈する。一方で、グアム・タラワ・マキン(現キリバス)を日本軍が占領する。
1954年 - 鳩山一郎内閣成立。
1967年 - 「東京新聞」の編集・発行等の業務を中日新聞社が継承。
1968年 - 東京都府中市で三億円事件が発生。
1991年 - 都営地下鉄12号線(後の大江戸線)練馬駅-光が丘駅間が開業。
1994年 - 新進党結党。
1997年 - 山陽自動車道の神戸JCT〜山口JCT間が全線開通し、中国自動車道とのダブルネットワークが完成
2005年 - 2006年FIFAワールドカップドイツ大会の組み合わせ抽選会が行われる(欧州時間では9日)。
2005年 - マイクロソフトがXbox 360を日本で発売。
2006年 - 新京成電鉄がダイヤ改正で、日中のみ20分間隔で京成千葉線千葉中央駅まで直通運転再開。
2007年 - 改正遺失物法が施行。
2007年 - レッド・ツェッペリンが19年ぶりに母国・ロンドンのO2アリーナで一夜限りの再結成コンサートを行う。

誕生日
1815年 - エイダ・ラブレス、世界最初のプログラマ(+ 1852年)
1822年 - セザール・フランク、作曲家(+ 1890年)
1824年 - ジョージ・マクドナルド、小説家・詩人(+ 1905年)
1882年 - 東郷茂徳、外務大臣(+ 1950年)
1891年 - ネリー・ザックス、詩人・作家(+ 1970年)
1896年 - 林武、洋画家(+ 1975年)
1901年 - 浜崎真二、元プロ野球選手(+ 1981年)
1906年 - 伊東静雄、詩人(+ 1953年)
1908年 - オリヴィエ・メシアン、作曲家(+ 1992年)
1908年 - 牛山喜久子、美容家
1912年 - 武智鉄二、演出家・映画監督(+ 1998年)
1913年 - 堺駿二、コメディアン(+ 1968年)
1920年 - 越智伊平、政治家(+ 2000年)
1926年 - ギター・スリム、ギタリスト、シンガー(+ 1959年)
1932年 - 青木栄一、地理学者
1934年 - 楠部大吉郎、アニメーター(+ 2005年)
1935年 - 寺山修司、劇作家(+ 1983年)
1936年 - 村山実、元プロ野球選手(+ 1998年)
1938年 - ユーリ・テミルカーノフ、指揮者
1941年 - 坂本九、歌手(+ 1985年)
1944年 - 三遊亭圓丈、落語家
1952年 - 坂田おさむ、シンガーソングライター(7代目うたのおにいさん)
1948年 - 桂文珍、落語家
1950年 - 我修院達也、俳優
1957年 - 嶺重慎、天文学者
1957年 - マイケル・クラーク・ダンカン、俳優
1957年 - 日詰昭一郎、シンガーソングライター、作曲家、ベーシスト(+ 2001年)
1958年 - 福本伸行、漫画家
1960年 - 佐藤浩市、俳優
1960年 - ケネス・ブラナー、俳優
1960年 - 郎平、元バレーボール選手、監督
1961年 - 川口克己、プロモデラー
1962年 - 桂正和、漫画家
1962年 - 唐沢潤、女優・声優
1962年 - 矢野和哉、元プロ野球選手
1964年 - ak(柿原朱美)、歌手
1964年 - 牧原れい子、元AV女優、ストリッパー
1965年 - ヘンリー・アキンワンデ、プロボクサー
1965年 - 福島弓子、元アナウンサー
1965年 - 石田靖、お笑いタレント
1966年 - 田中雅彦、バドミントン選手
1966年 - 小栗左多里、漫画家
1967年 - 有森也実、女優
1967年 - 吉野直子、ハープ奏者
1967年 - 堀江美保、元AV女優
1968年 - 荻野目洋子、歌手
1968年 - 渡辺潤、漫画家
1969年 - ジョン・ズーバー、元プロ野球選手
1970年 - 佐藤ひろ美、歌手
1970年 - レイ・ハラカミ、ミュージシャン
1970年 - YUKA、ミュージシャン
1971年 - ラレコ、FLASH職人
1972年 - 村上直、株式会社Blau 代表取締役社長
1974年 - 野村忠宏、柔道選手
1974年 - 進藤実、元プロ野球選手
1974年 - 高野忍、元プロ野球選手
1975年 - 津島亜由子、アナウンサー
1976年 - クロちゃん、安田大サーカス
1976年 - 喜名哲裕、サッカー選手
1977年 - ダン・ウィーラー、メジャーリーガー
1977年 - 峯田和伸、銀杏BOYZ
1977年 - 佐藤萌未、ファッションモデル
1977年 - 三枝実央、AV女優、元グラビアアイドル
1978年 - サマー・フェニックス、俳優
1979年 - 大山貴広、元プロ野球選手
1980年 - サラ・チャン、ヴァイオリニスト
1981年 - 小林且弥、俳優
1981年 - 相馬崇人、 サッカー選手
1981年 - 森大輔、歌手
1982年 - 西島梢(ナナムジカ)、歌手
1982年 - ルイス・ブラウン、元プロ野球選手
1983年 - 太田博久、お笑い芸人(ジャングルポケット)
1983年 - 武内晋一、プロ野球選手
1983年 - 坂本直弥、歌手(ON/OFF)
1983年 - 坂本和弥、歌手(ON/OFF)
1983年 - 篠山輝信、俳優
1983年 - チェ・ヨンウン、フィギュアスケート選手
1983年 - セイラ、タレント
1985年 - 榎本敏孝、元プロ野球選手
1985年 - クリステン・ロス、フィギュアスケート選手
1986年 - 塚田僚一、ジャニーズJr.、A.B.C.のメンバー
1986年 - 片岡さき、モデル、タレント
1987年 - 初音みのり、AV女優、グラビアアイドル
1987年 - 亜衣里、スパークリング☆ポイント
1989年 - 大前元紀、サッカー選手
1989年 - ワラッター・イムラーポン、チャラッター・イムラーポン、歌手
1990年 - 松井咲子、AKB48

忌日
1041年 - ミカエル4世、東ローマ帝国マケドニア王朝皇帝(* 1010年)
1475年 - パオロ・ウッチェロ、画家(* 1397年)
1508年 - ルネ2世、ロレーヌ公(* 1451年)
1573年(天正元年11月16日)- 三好義継、戦国時代の武将(* 1551年)
1603年 - ウィリアム・ギルバート、物理学者(* 1544年)
1618年 - ジュリオ・カッチーニ、作曲家(* 1545年頃)
1665年 - タルクィニオ・メールラ、作曲家(* 1594年頃)
1707年(宝永4年11月17日)- 松平光長、元越後高田藩主(* 1616年)
1831年 - トーマス・ゼーベック、物理学者(* 1770年)
1839年(天保10年11月5日)- 松平斉厚、江戸幕府寺社奉行・館林藩主・浜田藩主(* 1783年)
1852年(嘉永5年10月29日)- 都々逸坊扇歌、都々逸の祖として知られる寄席芸人(* 1804年)
1861年 - トマス・サウスウッド・スミス、公衆衛生の改革者として知られる医師(* 1788年)
1865年 - レオポルト1世、ベルギー初代国王(* 1790年)
1867年(慶応3年11月15日)- 坂本龍馬、薩長同盟の斡旋者として知られる元土佐藩士(* 1836年)
1868年(明治元年10月27日)- 林信太郎、新選組伍長
1875年 - 大田垣蓮月、尼僧・歌人(* 1791年)
1876年 - ジョージ・トレンホルム、第2代アメリカ連合国財務長官(* 1807年)
1889年 - ロレンツォ・レスピーギ、天文学者(* 1824年)
1896年 - アルフレッド・ノーベル、化学者(* 1833年)
1909年 - 本野盛亨、読売新聞創業者のひとりとして知られる実業家・官僚(* 1836年)
1911年 - ジョセフ・ダルトン・フッカー、植物学者(* 1817年)
1916年 - 大山巌、日本陸軍の元帥(* 1842年)
1928年 - チャールズ・レニー・マッキントッシュ、建築家(* 1868年)
1929年 - フランツ・ローゼンツヴァイク、哲学者(* 1886年)
1934年 - セオバルド・スミス、病理学者(* 1859年)
1936年 - ルイジ・ピランデルロ、劇作家・小説家・詩人(* 1867年)
1938年 - マリオ・ピラティ、作曲家(* 1903年)
1946年 - デイモン・ラニアン、小説家・記者(* 1884年)
1946年 - ウォルター・ジョンソン、メジャーリーグベースボール選手(* 1887年)
1949年 - 赤木桁平、評論家・衆議院議員(* 1891年)
1951年 - 波岡惣一郎。歌手(* 1910年)
1963年 - 大田洋子、小説家(* 1906年)
1965年 - ヘンリー・カウエル、作曲家(* 1897年)
1967年 - オーティス・レディング、歌手(* 1941年)
1968年 - カール・バルト、神学者(* 1886年)
1969年 - フランコ・カプアーナ、指揮者(* 1894年)
1969年 - リー・ハーライン、作曲家(* 1907年)
1976年 - 古今亭今輔 (5代目)、落語家(* 1898年)
1978年 - エド・ウッド、映画監督(* 1924年)
1982年 - ロイ・ウェッブ、作曲家(* 1888年)
1986年 - 中村吉治、歴史学者(* 1905年)
1987年 - ヤッシャ・ハイフェッツ、ヴァイオリニスト(* 1901年)
1990年 - アーマンド・ハマー、実業家(* 1898年)
1991年 - 山本七平、評論家(* 1921年)
1991年 - フランコ・マリア・マルファッティ、第3代欧州委員会委員長(* 1927年)
1992年 - 胡喬木、中華人民共和国の政治家(* 1912年)
1993年 - 田中清玄、政治運動家(* 1906年)
1993年 - 中井英夫、小説家(* 1922年)
1994年 - アレックス・ウィルソン、陸上競技選手(* 1905年)
1994年 - ガーネット・シルク、レゲエ歌手(* 1966年)
1999年 - リック・ダンコ、ロックンロールミュージシャン(ザ・バンド)(* 1942年)
2000年 - マリウス・バーサス・ジャンセン、日本学者(* 1922年)
2001年 - 江戸家猫八 (3代目)、ものまね芸人(* 1921年)
2001年 - ハインツ・レーグナー、指揮者(* 1929年)
2005年 - ユージーン・マッカーシー、元アメリカ合衆国上院・下院議員(* 1916年)
2005年 - リチャード・プライヤー、俳優(* 1940年)
2006年 - アウグスト・ピノチェト、チリ共和国の大統領(* 1915年)
2007年 - 竹内ゆうじ、お笑いタレント(* 1971年)
2007年 - 桑原甲子雄、写真家(* 1913年)

記念日・年中行事

ノーベル賞授与式
アルフレッド・ノーベルの忌日に因む。

世界人権デー (Human Rights Day)
1948年12月10日に、パリで行われた第3回国連総会で
「世界人権宣言」が採択されたことに由来し、
1950年の国連総会で制定。国際デーの一つ。
日本では、この日までの一週間を「人権週間」としている。