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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成21年12月13日(日曜日)

平成21年の「冬」12月

になりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「8月」。

そして「秋」の。

「9月」「10月」「11月」がおわり。

いまは「冬」の「12月」です。

とてもとても。

あかるいあさ。

透明な感じのつよい「明るい朝」。

早朝の「あかるい陽射し」は。

日々毎日続いています。

さわ水のように。

ひんやりとした。

「ながれるみず」のような。

「冬」の風。

「冬」の「12月」です。

「冬」がきた。

「ふゆ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にもきた。

「冬」は。

「まち」にもやってきた。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「冬」の「12月」

私の「大好き」な。

「冬の草花」の。

「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「冬」の樹木の。

「葉っぱと花」のふくらむ季節。

そして。

「木々の木の葉の紅葉の落葉。

「焚き火」の季節。

「冬の花」と「木の葉もえる冬」

「みどりとこがね色」

「冬草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な。

萌え出づる「冬わかば」。

常緑樹の「冬」の若葉が。

美しい季節になりました。

そしていろいろな。

「冬」の木々の花ひらき咲く季節。

冬花(はな)と冬若葉(わかば)と。

こがねの冬若草(ふゆわかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々の毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「冬の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「冬の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

冬花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

ふゆ嵐の

風に弓射られて

花ぞ舞い散る

ふゆはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

こからしの

かせにいられて

はなそまいちる

「秋の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。

花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「冬」になり。

「12月」。

ふゆばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「冬の花」。

「みかん」と「からたち」

こがねい実のふくらむ季節。

「冬」の「12月」。

そして。

「冬の花」や。

「みのる木々」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

「秋」の果実。

樹木にみのりつづけ。

おちない「みかん」。

秋の「竜田姫(たつたひめ)」

にさそわれて

実りはじめた「みかんの実」。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」でお話しをしているに

ちがいありません。

秋の「竜田姫(たつたひめ)」は去りいまは冬。

とおくで「春」の女神(めがみ)の。

「佐保姫(さほひめ)」が微笑んでいます。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」ばかりです。

野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「冬かぜ」と「冬吹雪:ふゆふぶき」

が吹いています。

「冬」になりました。

「冬」がはじまりました。

「あかるくて」とてもよい「冬」。

「冬」の風です。

「冬」がふかまれば。

「もっと深い「冬」」の。

トンネルをこえる。

そこは「里山の「冬」」。

「冬吹雪:ふゆふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「冬から先」への。

「トンネル」のあることも

わかります。

冬樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「冬吹雪:ふゆふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」は「舞姫」です。

「冬吹雪」は突如(とつじょ)

天から舞い降りるように。

吹きます。

「冬」の陽射しはまばゆい。

こがねのにしき。

ひかりのかがやく「冬」になりました。

星のかがやく「冬」になりました。

風のうたう「冬」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「冬吹雪:ふゆふぶき」の声は

「冬かぜ」のふく音色は。

「冬」の女神(めがみ)

ひきいる女神たちの。

なつかしき笛ふく。

ふゆかぜのワルツ。

みのりのワルツ。

ふゆは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」「夏」「秋」へとあゆみ」。
今は「冬」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

霧雨(きりさめ)の。

霞(かすみ)の大気。

「冬吹雪:あふゆふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「冬かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「冬吹雪:ふゆふぶき」の。

鳴き声とともに。

「冬一番」の「ふゆのしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「冬かぜ」の合唱は。

「冬」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「冬」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「冬」のおとずれが。

わかります。

冬の女神(めがみ)

のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「冬」の今年の芽栄え。

そして「冬」の旅愁。

昔昔の懐かしさをも感じさせます。

「ふけゆく冬の夜」
「夜のすすき」はどのようにして
「夜」をこすのだろうか。

「よるのすすき」がみたいです。

ススキの茎の「穂先」には。

「冬ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

ふゆくれば

こがね葉いずる

冬すすき

葉のいづる

そのときときこそは

冬さかりなるらむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「冬」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「冬」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよる。
もっともっと奥の。
深く深まる「冬のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あかるい「冬」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「12月」。

「冬」です。

「冬の青葉の城」の「12月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「冬」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「冬」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

冬の芽吹くときには。

街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
秋の早朝にみえます。

冬になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
11月にはいってからのことです。

11月そして12月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」がすぎ。「9・10・11月」がすぎ。
「冬」の「12月」。

今現在は落ち着いた「ふゆ」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「冬」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「秋」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「冬」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「冬」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「冬」の若芽のめばえ」
が。
「冬葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。
いまは「冬」です。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」はすぎさり。
「秋」の「9月」「10月」がおわり。
「秋」の「11月」。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色に葉っぱが消え
若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「冬」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「冬」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「冬」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「冬のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「冬」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「冬」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の秋の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「あき木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「秋の花」の姿となりそして「秋」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
秋葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。
そして秋。

そして今は。

「冬」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のカクテルいろの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコいしのプリンの空(そら)
はるかにとほくたかい空(そら)
ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームのような空(そら)
睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
空(そら)の向こうにまた空(そら)
空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

椎木(しいのき)は枝高し
そらに吼える若葉の穂束
そらに吼える蒼き獅子のごとし
天にも地にもみどりはさける
のあさふかまりて
陽の光ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
いふこともなし
ゆたかなるかな

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年11月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月5日(月曜日)*より診療を開始する予定
ですが。

まだ変動する可能性があります。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
世界の大詩人。ドイツの大詩人。
とりわけ『歌の本』の詩からは多くの歌曲が生まれ。

1838年にフリードリヒ・フィリップ・ジルヒャー
によって曲が付けられた
「ローレライ」(『歌の本』収録)の原作者の詩人。
ナチス時代にはその著作は焚書の対象になったが、
「この詩だけは」作詩者の名前が抹消されて歌われ
ていました。

「大詩人」。

1797年 - ハインリヒ・ハイネ、詩人(+ 1856年)
の生誕日です。

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クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ
:Christian Johann Heinrich Heine,
1797年12月13日 -1856年2月17日)は。

ドイツの詩人、作家、ジャーナリストでした。

デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれました。
当初は商人、ついで法律家を目指したが、
ボン大学でA・W・シュレーゲルの、ベルリン大学で
ヘーゲルの教えを受け作家として出発到します。

『歌の本』などの抒情詩を初め、
多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、
政治批評を執筆到します。

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クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ
:Christian Johann Heinrich Heine
は。
1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、
若き日のマルクスとも親交がありました。

文学史的にはロマン派の流れに属するが、
政治的動乱の時代を経験したことから
批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も
多く発表しています。

平易な表現によって書かれたハイネの詩は
様々な作曲者から曲がつけられており、
今日なお多くの人に親しまれています。

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ドイツでの文筆生活
すでに学生時代より50以上の雑誌に寄稿を行なっていた
ハイネは職業作家、ジャーナリストとしての活動をはじめました。

大学終了後はまずノルデルナイ島で休養を取り、
その後両親の住むリューネベルクを訪れたのち
ハンブルクに移住致しました。

1826年よりハンブルクのカンペ書店から
『旅の絵』の刊行を開始し、
1827年には没年まで13版を重ねた代表詩集『歌の本』
を同書店より刊行しています。

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クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ
:Christian Johann Heinrich Heineは。
1827年にミュンヘンに移るが、
この旅上カッセルでグリム兄弟と、
フランクフルトでルートヴィヒ・ベルネと知己を得ています。

ミュンヘンではコッタ出版
の『新一般政治年鑑』編集者となり、
またハイネの多くの詩に曲をつけることになる
ロベルト・シューマンと親交を結びました。

その後1829年にベルリンへ転居。そ
の間にイギリス、オランダ(1827年)、イタリア(1829年)、
ヘルゴラント島(1830年)を旅行し、
それらの体験は『旅の絵』や『イギリス断章』などの作品に結実
させました。
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1830年よりサン=シモン主義に親しむようになるが、
しかし著作中の政治批判や社会批判により、
次第にドイツ当局から監視の目を向けられることになりました。

フランス時代

妻マチルド・ハイネハイネはフランス移住を決意し、
1831年5月に終生までの住処となるパリに移りました。

ハイネはフランス時代に。
多くの著名な芸術家、文学者や
サン=シモニストと交流を持っていました。

その中には作曲家
エクトル・ベルリオーズ、
フレデリック・ショパン、
フランツ・リスト、
ジョアキーノ・ロッシーニ、
フェリックス・メンデルスゾーン、
リヒャルト・ヴァーグナー、

作家
オノレ・ド・バルザック、
ヴィクトル・ユゴー、
ジョルジュ・サンド、
アレクサンドル・デュマ

らのそうそうたる顔ぶれ
が含まれます。

++++++++++++++++++++++

クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ
:Christian Johann Heinrich Heine
は。

1832年、ゲーテの死を受けて
「文学の決算書」として
『ドイツ近代文学の歴史のために』を執筆
致しました。

このころより青年ドイツ派の作家
ハインリヒ・ラウベと交流を持つようになります。

1835年にドイツ連邦議会により青年ドイツ派の出版が禁止され、
ハイネは彼らの筆頭に上げられてしまいました。

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1839年、ルートヴィヒ・ベルネの死をうけて
『ベルネ覚書』に取り組む。

1841年クレッサンス・ユージェニー・ミラー
(愛称マチルド)と結婚。

1843年、パリで25歳のカール・マルクスと親交を結び、
1845年のマルクスの出国まで頻繁に会う。

マルクスはハイネの
『ドイツ。冬物語』(13年ぶりのドイツ旅行を題材にしたもの)
の出版の手助けをするなど援助に務めました。

ハイネもマルクスに多くの詩を読み聞かせて意見を求めました。

1844年、シレジアの窮乏した織物工が起こした
蜂起を題材にした時事詩「貧しき職工たち」
(のち「シレジアの職工」)を
『フォーアベルツ』誌に発表、社会主義者の機関紙で
フリードリヒ・エンゲルスの激賞を受けました。
同年『新詩集』刊行。

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1844年に生涯ハイネを援助していた
叔父ザロモン・ハイネが死去し、
ハイネを含めた親族間で激しい遺産争い起きました。

この争いは1847年に甥のカールがパリのハイネを訪れて
合意が成立するまで続きました。

このころよりハイネは筋萎縮症に罹り健康状態が急速に悪くなり、
1846年にはドイツでハイネ死去の誤報が流れました。

1848年には体半分が動かなくなり、
5月のルーブル美術館訪問を最後に外出ができなくなりました。

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1851年、
クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ
:Christian Johann Heinrich Heine
は。
『歌の本』『新詩集』とともに三大抒情詩と呼ばれる
『ロマンツェーロ』刊行。

1855年、病床のハイネのもとに
ムーシュ(蝿)の愛称で呼ばれた
エリーゼ・クリニッツ(de:Elise Krinitz)という
若い女性がたびたび訪れるようになり、
翌年の死去まで最晩年の詩人と交流をもちました。

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遺産
ハイネの詩は多くの音楽家から曲が付けられており、
とりわけ『歌の本』の詩からは多くの歌曲が生まれています。

1838年にフリードリヒ・フィリップ・ジルヒャー
によって曲が付けられた
「ローレライ」(『歌の本』収録)はよく知られており、
ナチス時代にはハイネの著作は焚書の対象になったが、
この詩だけは作詩者の名前が抹消されて歌われていました。

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ハイネの詩は多くの音楽家から曲が付けられており、
とりわけ『歌の本』の詩からは多くの歌楽曲が生まれています。
フランツ・リスト、
クララ・シューマンもこの詩に曲を付けている。

またミュンヘン時代より交流のあったロベルト・シューマンは
『歌の本』に収録された作品群から
『詩人の恋』『リーダークライス作品24』『二人の擲弾兵』
などの歌曲を作っており、
フランツ・シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』も
この詩集のなかの「帰郷」から詩がとられています。

フェリックス・メンデルスゾーンが作曲した
「歌の翼に」なども『歌の本』からの詩です。

ほかにツェーザリ・キュイが
ハイネの悲劇をもとにオペラ
『ウィリアム・ラトクリフ』を制作しています。

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日本では森鴎外が翻訳したものを始め。

明治時代より多数の著書が翻訳されており
、萩原朔太郎、佐藤春夫など多くの詩人に親しまれました。

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ハインリヒ・ハイネ
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%8D

クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ:Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日 -1856年2月17日)は、ドイツの詩人、作家、ジャーナリスト。デュッセルドルフのユダヤ人の家庭に生まれる。当初は商人、ついで法律家を目指したが、ボン大学でA・W・シュレーゲルの、ベルリン大学でヘーゲルの教えを受け作家として出発。『歌の本』などの抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を執筆した。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、若き日のマルクスとも親交があった。

文学史的にはロマン派の流れに属するが、政治的動乱の時代を経験したことから批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表している。平易な表現によって書かれたハイネの詩は様々な作曲者から曲がつけられており、今日なお多くの人に親しまれている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

12月13日
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8813%E6%97%A5

できごと
1577年 - イギリスの軍人フランシス・ドレークが艦隊を率いてプリマスから世界周航に出発。
1874年 - 「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」という太政官布告が出された。
1902年 - 哲学館に付与されていた卒業生に対する教員免許の無試験交付特権が剥奪される(哲学館事件)
1931年(昭和6年) - 日本で犬養毅が第29代内閣総理大臣に就任し、犬養内閣が発足。
1937年 - 日本軍、南京を陥落させる。翌12月14日より6週間の残敵掃討作戦が南京大虐殺の一端とされ、現在も論争になっている。
1939年 - ラプラタ沖海戦
1950年 - 地方公務員法公布
1973年 - フランスの新興宗教ラエリアン・ムーブメントの設立者ラエルがエロヒムの啓示を受けたとされる。
1974年 - マルタがイギリス連邦内の共和国となる。
1981年 - ポーランド首相ヤルゼルスキが戒厳令を発令。
1991年 - NECホームエレクトロニクスがPCエンジンLT・SUPER CD-ROM2を発売。
2003年 - 名古屋市営地下鉄名城線 砂田橋駅〜名古屋大学駅間開業。
2003年 - ソニーがPSXを発売。
2004年 - 埼玉県さいたま市内の量販店ドンキホーテ2店舗が相次いで放火され従業員3人が焼死(ドン・キホーテ放火事件)。
2004年 - ジャスダック証券取引所が「店頭売買有価証券市場」から「取引所有価証券市場」へと業態転換。
2006年 - 著作権法違反幇助に問われたWinnyの開発者に京都地方裁判所が罰金150万円の有罪判決を言い渡す。
2008年 - アンドリー・ラジョエリナのテレビ局を当時大統領のマーク・ラヴァルマナナが閉鎖。これがきっかけとなって3月までマダガスカル・クーデターが勃発する。

誕生日
1520年 - シクストゥス5世、第227代ローマ教皇(+ 1590年)
1553年 - アンリ4世、フランス国王(+ 1610年)
1797年 - ハインリヒ・ハイネ、詩人(+ 1856年)
1816年 - ヴェルナー・フォン・ジーメンス、電気技術者(+ 1892年)
1841年(天保12年11月1日) - 赤松則良、海軍中将・貴族院議員(+ 1920年)
1880年 - 駒ヶ嶽國力、大相撲力士・元大関(+ 1914年)
1891年 - サミュエル・ドゥシュキン、ヴァイオリニスト(+ 1976年)
1902年 - タルコット・パーソンズ、社会学者(+ 1979年)
1905年 - 島田正吾、俳優(+ 2004年)
1910年 - 入矢義高、中国文学研究家(+ 1998年)
1915年 - クルト・ユルゲンス、俳優(+ 1982年)
1919年 - ハンス・ヨアヒム・マルセイユ、ドイツ空軍のエース・パイロット(+ 1942年)
1923年 - フィリップ・アンダーソン、物理学者
1923年 - ラリー・ドビー、元メジャーリーガー(+ 2003年)
1924年 - 小倉昌男、実業家・ヤマト運輸元会長(+ 2005年)
1927年 - クリストファー・プラマー、俳優
1930年 - 野母得見、元プロ野球選手
1932年 - 仲代達矢、俳優
1934年 - リチャード・D・ザナック、映画プロデューサー
1943年 - ローカル岡、漫談家(+ 2006年)
1944年 - みなみらんぼう、歌手
1947年 - 山上たつひこ、漫画家
1948年 - テッド・ニュージェント、ギタリスト
1950年 - 石山一秀、元プロ野球選手
1951年 - 浅田次郎、作家
1951年 - ミッキー吉野、ミュージシャン
1952年 - 井筒和幸、映画監督
1953年 - 四方正美、元女優
1957年 - スティーヴ・ブシェミ、俳優
1957年 - 藤正樹、歌手
1957年 - 吉田真梨、歌手
1958年 - 樋口可南子、女優
1958年 - リン=ホリー・ジョンソン、フィギュアスケート選手・女優
1960年 - ジョー・リノイエ、作曲家・歌手
1961年 - モーリス・スミス、プロフェッショナルファイター
1963年 - 岡崎京子、漫画家
1963年 - 恩田快人、ベーシスト・元JUDY AND MARY
1964年 - hide、ギタリスト・アーティスト(X Japan)(+ 1998年)
1965年 - 園田健一、漫画家
1967年 - 織田裕二、俳優
1969年 - 柴崎浩、ギタリスト
1969年 - 古本新乃輔、俳優
1969年 - 石川英郎、声優
1972年 - 井戸田潤、スピードワゴン
1973年 - 黒木知宏、元プロ野球選手
1973年 - 角田晃広、東京03
1977年 - 綾部祐二、ピース
1978年 - BJペン、総合格闘家
1978年 - マキシマムザ亮君、マキシマムザホルモン
1979年 - 中村九郎、作家
1979年 - タナカ・アイコ、アダルトモデル
1980年 - 妻夫木聡、俳優
1981年 - エイミー・リー、歌手(エヴァネッセンス)
1982年 - 首藤真吾、ラジオDJ
1982年 - 瑛太、俳優
1982年 - 田中幸太朗、俳優
1982年 - 河相巧矢(センチライン)、ミュージシャン
1982年 - 木下あゆ美、女優
1982年 - 恩田美栄、女子フィギュアスケート選手
1982年 - Hi69、プロレスラー
1983年 - 山中美代子、マンゴスティン
1983年 - オティリア・イェジェイチャク、競泳選手
1983年 - 張俊、野球選手
1984年 - 嶋基宏、プロ野球選手
1985年 - 横峯さくら、プロゴルファー
1985年 - 水橋みく、AV女優
1985年 - アンディー・サイツ、フィギュアスケート選手
1986年 - 山崎憲晴、プロ野球選手
1988年 - 中山卓也、俳優
1989年 - 古川愛李、SKE48
1993年 - 保田真愛、ジュニアモデル
1993年 - 山下威豆三、ニコニコ動画配信者
1995年 - 若葉美花子、子役
1998年 - 前田航基、子役
生年不明 - 中村春菊、漫画家

忌日
658年(斉明天皇4年11月11日) - 有間皇子、孝徳天皇の皇子(* 640年)
1204年 - モーシェ・ベン=マイモーン、ユダヤ教のラビ・哲学者(* 1135年)
1250年 - フリードリヒ2世、神聖ローマ皇帝(* 1194年)
1466年 - ドナテッロ、彫刻家(* 1386年)
1521年 - マヌエル1世、ポルトガル王(* 1469年)
1658年(万治元年11月19日) - 千宗旦、茶人(* 1578年)
1784年 - サミュエル・ジョンソン、文学者(* 1709年)
1828年(文政11年11月7日) - 本居春庭、国学者(* 1763年)
1840年 - ルイ・ド・ラ・ブルドンネ、チェスの非公式世界チャンピオン(* 1795年)
1864年(元治元年11月15日) - 中山忠光、江戸時代の公卿(* 1845年)
1867年(慶応3年11月18日) - 伊東甲子太郎、新選組参謀・御陵衛士盟主(* 1835年)
1867年(慶応3年11月18日) - 藤堂平助、新選組8番隊組長・御陵衛士(* 1844年)
1901年 - 中江兆民、思想家(* 1847年)
1911年 - トーマス・ブレーク・グラバー、貿易商(* 1838年)
1919年 - ヴォルデマール・フォークト、物理学者(* 1850年)
1930年 - フリッツ・プレーグル、医化学者(* 1869年)
1935年 - ヴィクトル・グリニャール、化学者(* 1871年)
1944年 - ワシリー・カンディンスキー、画家・美術理論家(* 1866年)
1950年 - エイブラハム・ウォールド、数学者(* 1902年)
1955年 - エガス・モニス、医学者(* 1874年)
1955年 - 赤松克麿、元衆議院議員(* 1894年)
1968年 - 佐藤千夜子、歌手(* 1897年)
1969年 - レイモンド・スプルーアンス、アメリカ海軍大将(* 1886年)
1969年 - 獅子文六、作家(* 1893年)
1977年 - 小原國芳、教育者・玉川学園創設者(* 1887年)
1981年 - コーネリアス・カーデュー、作曲家(* 1936年)
1983年 - 安岡正篤、陽明学者(* 1898年)
1987年 - クロード・トーマス・スミス、作曲家(* 1932年)
1999年 - ロバート・ワーゲンホッファー、フィギュアスケート選手(* 1960年)
2002年 - 小林章良、元プロ野球選手(* 1923年)
2004年 - デビッド・ホイーラー、計算機科学者(* 1927年)
2005年 - 阿子島たけし、音楽評論家(* 1940年)
2006年 - 永山武臣、実業家(* 1925年)
2007年 - メイ牛山、美容研究家(* 1911年)
2008年 - 飯島愛、AV女優・タレント(* 1972年)

記念日・年中行事

正月事始め・煤払い・松迎え

正月を迎える準備を始める日。
昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、
お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣があった。

江戸時代中期まで使われていた宣明暦では、
旧暦の12月13日の二十八宿は必ず「鬼」になっており、
鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、
正月の年神様を迎えるのに良いとして、この日が選ばれた。

聖ルチアの日 (Saint Lucy's day)
ヨーロッパに伝わる守護聖人の一人で、
眼・ガラス・農業の守護聖女といわれる聖ルチアの日。

双子の日
1874年(明治7年)に「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」
という太政官布告が出されたのを記念してもうけられた。

美容室の日
西洋髪結 正宗 卓 氏が 毎年12月13日を『美容室の日』とし、
美容業界からの社会貢献として2003年からスタート。
一年に一度『美容室の日』に、
お客様への感謝の気持ちをそれぞれのカタチで表現しつつ、
盲導犬の普及という社会貢献をカタチにしていきたいと呼びかける

先進国でありながら、
全国で盲導犬として活躍しているのは千頭に満たないという対応の遅れや、
盲導犬育成に様々な課題があるという部分に、美容業界に通じるものを感じ、
寄付の対象に選び、
募金活動で集められたものは、盲導犬協会へ全額寄付される。

ビタミンの日
鈴木梅太郎が、脚気を予防する成分を米糠から抽出し、
アベリ酸(後にビタミンB1)と命名して、東京化学会で発表したのが、
1910年12月13日であったことを記念して、2000年9月に制定。