「ここをおして」をクリックされてください。

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年1月12日(火曜日)

「春」の「3月」「4月」「5月」

がおわり。

そして「夏」「6月」「7月」「8月」。

「秋」の「9・10・11月」がおわり。

「冬」の「12月」がおわり。

「冬」の「1月」になりました。

「冬」です。

冬焼けいろにけむる「冬」。

「こがねの「冬」」になりました。

真っ暗な早朝に。

すっかり車のとだえた。

コンクリートの幹線道路で。

舞い踊るような。

向こう側から。

「冬木枯らし」のうたが。

ひびきわたってきこえてきます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」もおわりました。
「3月」「春」です。

「春」の。
「3月」「4月」「5月」はおわり。

「8月」はおわりました。
「秋」も過ぎ去りました。
「12月」もおわりました。

また「冬」も「年」を越しました。

「1月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「冬舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「冬」から。

「深い冬」への景色を舞台の上で。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「冬」の「1月」から。

さらにおくふかい「四季の季節」

「ふかい黄金(こがね)の「季節」」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「冬」の「1月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に。
「りす」のかすかな。
ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「冬」。

みのりの「冬」の季節。

 にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「ふゆかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また「より深い冬」への。

「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のようです。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にもとまって。

「冬」を過ごすのでしょう。

「冬」です。

冬の「季節風」がうたう季節

になりました。

「1月」になりました。

日々ゆっくりと

日は長くなります。

陽はたかくなります。

夜は短くなります。

空はたかくなります。

天上の太陽 空たかく。

いまは「冬」。

そして。

「冬」から。

「深冬:ふかふゆ」に。

向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私は冬さむいのがつらい
です。

宮沢賢治

「さむさのなつはおろおろあるき」

は冬でもいえることば。

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「冬」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「冬」には。

「冬」の「さむい日差し」から。

「芽」をまもり。

「秋」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

「冬」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)も。

よくわかる。

「冬」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる冬の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
冬はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「冬」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華草とからまつ。

「冬」の「からまつ」です。

そしていま。
「冬」をあゆみゆく
「からまつ」の時期になりました。

-------------------------------
北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

「冬」「12月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。

若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
冬草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
冬草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「秋」をまつ。
「冬」の野の雑草:ざつそうです。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

冬風しらしむ冬竹の

笹葉は蒼くふるえたり

みどり葉笹葉にかぜはやみ

冬陽をうつすやうつろひの

竹の葉木枯らし冬をいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木冬空
天高くひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始する予定
です。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

-------------------------------
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

[合衆国(USA)」
で。
17世紀にピューリタンを新世界に導いた政治家。
1629年にマサチューセッツ湾植民地に加わった
政治家。

1588年 - ジョン・ウィンスロップ、
マサチューセッツ湾植民地知事(+ 1649年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ジョン・ウィンスロップ英:John Winthrop、
1588年1月12日-1649年3月26日)は。

17世紀にピューリタンを新世界に導いた政治家です。
1629年にマサチューセッツ湾植民地に加わりました。

1630年4月8日に最初の知事に選ばれました。

1639年から1648年の間に投票で
知事を辞めさせられたこともあったが再選もされ。
全部で12回選ばれました。

政治家として尊敬される人物であるが、
1634年に議会を創ったときの頑固さでは批判されました。

++++++++++++++++++++++

ウィンスロップはイングランドのサフォーク州エドワードストーンで。
アダム・ウィンスロップ (1548-1623)と
その妻アン・ブラウンの息子として生まれました。

ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに短期間通い、
グレイズ・インで法律を学び、
1620年にロンドンの地区裁判所で弁護士になりました。

極端に信仰心が厚く、イングランド国教会は
カトリックの儀礼を取り去らねばならないというピューリタンの信条を
熱心に信奉致しました。

神が異端であるイングランドを裁くと確信しておりました。

イギリスのピューリタンは神の怒りの時に備えて
安全で居られる所へ逃げ場を求める必要があると信じました。

++++++++++++++++++++++

同じように信じる他のピューリタンが
マサチューセッツ湾会社の勅許を取得致しました。

チャールズ1世は、植民地がアメリカに対する
商業的投機以上のものであることに明らかに気付きませんでした。

しかし、1629年3月4日、ウィンスロップは
ピューリタンの裕福な友人達と共にケンブリッジ同意書に署名した。
これは次の航海に乗船し、ニューイングランドで
新しいピューリタンの植民地を建設することを誓うものでありました。

植民地の土地はアメリカ州の先住民族から取り上げるものであり、
ウィンスロップの言い訳に従えば、
先住民族はその土地を「支配」しているのでもなければ、
それに対する「公民権」も持っていないということでした 。

++++++++++++++++++++++

ウィンスロップは400ポンドを投じアーベラ号で出港致しました。

この船名はアイザック・ジョンソンの妻であり、
第3代リンカーン伯爵トマス・クリントンの娘の名に因むものでした。

ウィンスロップはイングランドに居たときから
若いジョンソンと付き合いがあり、ジョンソン家で多くの時を過ごしていました。

ボストン地区の最初のイギリス人ブラックストーンは
子供の時にアイザックの親友であり同じ学校に通っていました。

アイザックの祖母、レディ・チャタートンは
欽定訳聖書を翻訳した者の娘であり、
ジョンソン家はイングランドに2つの学校を所有していました。

そのうちの1つは今でも学校として使われています。

++++++++++++++++++++++

アイザック・ジョンソンの家系は、
イングランドのノルマン征服に遡り、
フランスのルーアンのジョンソン家の出であり、
またさらに古く968年南イングランド(ケント)征服の時の
ウィリアム1世にも繋がっていました。

ロンドン・ヘラルド・オブ・アームズによれば、
ジョンソン家は4度の十字軍に参加し、
リチャード獅子心王と共に戦いました。

ウィンスロップはアイザックが死んだときに
75,000ボンド以上に上る遺産の検認にあたりました。

アイザックの弟、ジェイムズ・ジョンソン大尉が
1635年に到着したが、アイザックの遺産に対する権利を否定されました。

トマス・ダドリー達の助けにより、
ウィンスロップはこの資産を管理し、
30年以上もその管理料を取り続けました。

多くの文書が不思議なやり方で廃棄されました。

その文書はボストン創設者によって保管されていた
「最後の審判の日の記録」の一部でした。

++++++++++++++++++++++

ウィンスロップ達はジョンソンの妻を密通罪で告発し、
首に縄を付けて絞首台に乗せました。

これは彼女を出て行かせるためでした。

ジェイムズ・ジョンソン大尉の唯一の罪は、
自宅でアン・ハッチンソンと彼の妻が一緒に聖書の研究をさせたことだった。

ハッチンソンはイングランドのリンカーンシャーから
レディ・アーベラとともにやってきた「キリスト教信仰を持つ善良なる婦人」
であったのです。

++++++++++++++++++++++

ジョンソンの父エイブラハムが
ロンドンの王立高等法院に遺産の相続請求を致しました。

アイザック・ジョンソンと妻のアーベラは、
ボストン市トレモント・ストリートの所有地、
現在のキングズ・チャペルに埋葬されました。

ナサニエル・ホーソンの『緋文字』第1章に
アイザック・ジョンソンに関する記述があります。

++++++++++++++++++++++

ウィンスロップはその事業である造船所を運営する目的で
従僕を危険にさらしたことがありました。

曰く「彼らは水を清浄にしていなかった。
ウィンスロップがボストンに呼び立てられる前に多くの者が死んだ。」

ウィンスロップは密通で告訴された
メアリー・ラザムとジェイムズ・ブリトンの絞首刑に立ち会いましたが。

ウィンスロップ自身もその家からあまり離れていない
見捨てられた開拓地でインディアンの女と邂逅したことを認めました。

多くの男達が一晩中ウィンスロップを探し求めたが、
家から遠く離れた所にいる彼を見付け、
大変奇妙な話で弁解することになりました。

++++++++++++++++++++++

ウィンスロップは1629年にイギリスを出発する前に
植民地知事に選ばれており、
以降も何度も選ばれました。

知事としてはピューリタンの中でも過激的要素が無く、
異端による刑の執行の数を最小にしようとし、
多くのピューリタンが支持する婦人のベールのような
保守的習慣を押しつけることを阻止しようとしました。

ピューリタンの信者仲間と同様に、
均一の原理に基づく信仰のあるキリスト教社会を
作ることに務めました。

1638年に異端審問を行ってアン・ハッチンソンを
植民地から追放したのも
この理由でした。

この審問のとき、ハッチンソンを
「アメリカのイゼベル」と呼びました。

++++++++++++++++++++++

植民地の周りの奥地にいる先住民族については、
彼らがキリスト教徒ではないので神がそこに病気を送り込んで
倒れてしまったと信じてもいました。

「これらの地域に先住民族がいなければ、神が追求した。
300マイルという空間でその大半は天然痘で一掃されてしまい、
その菌はまだ残っている。
神はそうすることで我らにこの土地の権利を与えた。
この地域に残っているものは高々50名に過ぎず、
我らの保護下にある。」

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ジョン・ウィンスロップ (マサチューセッツ湾植民地知事)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%97_(%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%84%E6%B9%BE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E7%9F%A5%E4%BA%8B)

ジョン・ウィンスロップジョン・ウィンスロップ英:John Winthrop、1588年1月12日-1649年3月26日)は、17世紀にピューリタンを新世界に導いた政治家である。1629年にマサチューセッツ湾植民地に加わり、1630年4月8日に最初の知事に選ばれた。1639年から1648年の間に投票で知事を辞めさせられたこともあったが、再選もされ、全部で12回選ばれた。政治家として尊敬される人物であるが、1634年に議会を創ったときの頑固さでは批判された。

+「続きを読むです2」++++++++++++++++++

1月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8812%E6%97%A5

できごと
1876年 - 「医術開業試験法」制定。
1898年(明治31年) - 日本で伊藤博文が第7代内閣総理大臣に就任し、第3次伊藤内閣が発足。
1911年 - オーストリア陸軍のレルヒ少佐が、新潟県高田(現在の上越市高田)陸軍歩兵連隊の青年将校に、日本で初めてスキーの指導を行なった(とされている)。
1914年 - 桜島で大噴火。大隅半島と陸続きになる。(大正大噴火)
1928年 - 大相撲実況ラジオ放送が開始。放送時間内に終了させる為に仕切りに制限時間が設けられる。
1930年 - 青森県八戸市で第1回日本スケート選手権大会開催。
1945年 - 第二次世界大戦で、ソ連軍がドイツ戦線を突破しポーランドに進撃。
1946年 - 中国に亡命していた日本共産党幹部・野坂参三が16年ぶりに帰国。
1960年 - 日本政府が貿易為替の自由化方針を決定。
1962年 - 歌会始が初めてテレビ中継される。
2006年 - 教皇ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂犯メフメト・アリ・アジャが釈放される。
2009年 - アメリカ合衆国への入国手続きに電子渡航認証システム(ESTA)が必須となる [1]。
2009年 - 日本の民間放送テレビ局でアナログ放送での右上に「アナログ」のウォーターマーク表示を開始(一部の放送局とコマーシャル中は除く)。

誕生日
1588年 - ジョン・ウィンスロップ、マサチューセッツ湾植民地知事(+ 1649年)
1628年 - シャルル・ペロー、詩人・童話作家(+ 1703年)
1746年 - ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ、教育実践家(+ 1827年)
1856年 - ジョン・シンガー・サージェント、画家(+ 1925年)
1876年 - ジャック・ロンドン、小説家(+ 1916年)
1878年 - 緑嶌友之助、大相撲の力士・元小結(+ 1952年)
1884年 - 宮澤裕、政治家(+ 1963年)
1893年 - ヘルマン・ゲーリング、政治家・軍人(+ 1946年)
1896年 - 吉屋信子、小説家(+ 1973年)
1899年 - パウル・ヘルマン・ミュラー、化学者(+ 1965年)
1903年 - 加瀬俊一 、外交官・日本の初代国連大使(+ 2004年)
1907年 - セルゲイ・コロリョフ、ロケット開発指導者(+ 1966年)
1907年 - 田上穣治、法学者(+ 1991年)
1913年 - 加藤嘉、映画俳優(+ 1988年)
1916年 - ピーター・ウィレム・ボータ、元南アフリカ共和国大統領(+ 2006年)
1918年 - マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー、思想家(+ 2008年)
1921年 - 三國一朗、タレント(+ 2000年)
1921年 - 木村勉、元プロ野球選手
1925年 - 七尾伶子、女優・声優(+ 2006年)
1925年 - 目時春雄、元プロ野球選手(+ 1995年)
1926年 - 三浦朱門、小説家
1930年 - 槙原稔、実業家、三菱商事相談役
1930年 - 安藤美紀夫、児童文学作家(+ 1990年)
1934年 - 小川健太郎、元プロ野球選手(+ 1995年)
1934年 - 酒井敏明、元プロ野球選手(+ 2007年)
1935年 - 石井トミコ、女優
1938年 - 高林恒夫、元プロ野球選手
1939年 - かまやつひろし、ミュージシャン
1939年 - 安井かずみ、作詞家 (+ 1994年)
1939年 - 木暮正夫、児童文学作家(+ 2007年)
1941年 - 藤井旭、天体写真家
1944年 - ジョー・フレージャー、プロボクサー
1947年 - 橋本大二郎、前高知県知事
1947年 - ジーン・マーチン、元プロ野球選手
1948年 - 新井将敬、政治家(+ 1998年)
1949年 - 羽田健太郎、作曲家、ピアニスト(+ 2007年)
1949年 - 村上春樹、作家
1952年 - 楠田枝里子、タレント、エッセイスト、元日本テレビアナウンサー
1953年 - 橋本晃一、声優
1953年 - テリー・ウィットフィールド、元プロ野球選手
1954年 - 立原啓裕、タレント
1957年 - 松ヶ根親方、元大関若嶋津
1959年 - ブリクサ・バーゲルト、ミュージシャン、詩人、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンメンバー
1959年 - ケイ・グラント、DJ
1960年 - マイク・マーシャル、元プロ野球選手
1962年 - モーリー・ロバートソン、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン、作家、ジャーナリスト、ポッドキャスター
1962年 - 堀井哲也、元野球選手
1963年 - 尾形大作、演歌歌手
1964年 - ジェフ・ベゾス、実業家
1965年 - 麻生侑里、声優
1967年 - 井上雄彦、漫画家
1968年 - 石原詢子、演歌歌手
1970年 - 金聖響、指揮者
1970年 - ナイジェル・ウィルソン、元プロ野球選手
1970年 - 澤登正朗、元サッカー選手
1972年 - 干場崇永、元プロ野球選手
1973年 - オリビエ・ペリエ、騎手
1973年 - ジャッジ金子、プロレスレフェリー
1974年 - メラニー・チズム、歌手、スパイス・ガールズメンバー
1974年 - DJ TATSUTA、DJ
1974年 - 松本ぷりっつ、漫画家
1976年 - 古城茂幸、プロ野球選手
1976年 - 中谷美紀、女優
1976年 - 幸英明、日本中央競馬会騎手
1976年 - クリステル・チアリ、タレント
1977年 - ヨアンディ・ガルロボ、野球選手
1979年 - 金澤健人、プロ野球選手
1980年 - 藤巻亮太、ミュージシャン、(レミオロメン)
1981年 - 笹村浩介、野球選手
1982年 - ドントレル・ウィリス、メジャーリーガー
1982年 - 村田あゆみ、アイドル、声優
1983年 - 田中美保、ファッションモデル
1983年 - 朝川ちあき、ファッションモデル
1983年 - 青野毅、プロ野球選手
1985年 - 辻本祐樹、俳優
1985年 - フェルナンダ・ルビオ、性同一性障害を抱えるポルノ出演者
1985年 - 屋宜由佳、タレント
1986年 - イモトアヤコ、お笑いタレント
1986年 - 綾瀬メグ、AV女優
1988年 - 久田美佳、アイドルタレント
1989年 - 三井保奈美、グラビアアイドル
1989年 - 藤村あさみ、女優
1989年 - NAO、女子プロレスラー
1989年 - サキ、オレスカバンド
1992年 - ジョー・タラモ、騎手
1992年 - 小林万桜、ジュニアアイドル
1993年 - 光井愛佳、歌手、モーニング娘。8期メンバー
1996年 - 竹内美宥、AKB48
1997年 - 鈴木美知代、タレント
1997年 - 田中明、子役
生年不明 - たかみ裕紀、漫画家

忌日
1519年 - マクシミリアン1世、神聖ローマ皇帝(* 1459年)
1537年 - ロレンツォ・ディ・クレディ、画家・彫刻家(* 1459年頃)
1550年 - アンドレーア・アルチャート、法学者・作家(* 1492年)
1665年 - ピエール・ド・フェルマー、数学者(* 1601年)
1674年 - ジャコモ・カリッシミ、作曲家(* 1605年)
1719年 - ジョン・フラムスティード、天文学者(* 1646年)
1759年 - アン、オラニエ公ウィレム4世の妃(* 1709年)
1764年(宝暦13年12月10日)- 太田資俊、江戸幕府寺社奉行・館林藩主・掛川藩主(* 1720年)
1833年 - アントナン・カレーム、フランス料理のシェフ(* 1784年)
1834年 - ウィリアム・グレンヴィル、イギリスの首相(* 1759年)
1865年(元治元年12月15日)- 歌川国貞、浮世絵師(* 1786年)
1875年(同治13年12月5日)- 同治帝、清第10代皇帝(* 1856年)
1878年 - ヨシフ・ギンヅブルク、銀行家(* 1812年)
1909年 - ヘルマン・ミンコフスキー、数学者(* 1864年)
1911年 - サミュエル・モンタギュー、初代スウェイスリング男爵(* 1832年)
1911年 - ゲオルグ・イェリネック、法学者(* 1851年)
1915年 - 有坂成章、銃器設計者・日本陸軍の中将(* 1852年)
1934年 - パウル・コハンスキ、ヴァイオリニスト・作曲家・編曲家(* 1887年)
1942年 - セオドール・アンネマン、奇術師(* 1907年)
1946年 - 河野安通志、野球選手(* 1884年)
1950年 - 竹越与三郎、日本の衆議院・貴族院議員・評論家(* 1865年)
1956年 - サム・ラングフォード、プロボクサー(* 1883年)
1957年 - ヴィクトル・スタルヒン、元プロ野球選手(* 1916年)
1960年 - ネビル・シュート、小説家(* 1899年)
1960年 - カルロス・ディサルリ、タンゴピアニスト(* 1903年)
1965年 - 大坪砂男、推理作家(* 1904年)
1976年 - アガサ・クリスティ、推理作家(* 1890年)
1977年 - アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、映画監督・脚本家(* 1907年)
1983年 - ニコライ・ポドゴルヌイ、元ソビエト連邦最高会議幹部会議長(* 1903年)
1986年 - ルードヴィッヒ・ビーアマン、宇宙物理学者(* 1907年)
1987年 - 大久保康雄、翻訳家(* 1905年)
1991年 - 立石一真、実業家・オムロン創業者(* 1900年)
1992年 - ウォルト・モーレー、児童文学作家(* 1907年)
1993年 - 石井良助、法制史学者(* 1907年)
1995年 - 入江たか子、女優(* 1911年)
2001年 - ウィリアム・ヒューレット、ヒューレット・パッカード創立者(* 1913年)
2001年 - ウラジーミル・セミチャストヌイ、元ソ連国家保安委員会(KGB)議長(* 1924年)
2001年 - アファームド、競走馬(* 1975年)
2002年 - サイラス・ヴァンス、第57代アメリカ合衆国国務長官(* 1917年)
2003年 - レオポルド・ガルチェリ、元アルゼンチン大統領(* 1926年)
2003年 - 深作欣二、映画監督(* 1930年)
2004年 - ランディ・ヴァンウォーマー、シンガーソングライター(* 1955年)
2006年 - 本田竹広、ジャズピアニスト(* 1945年)
2007年 - 田上嘉子、女優(* 1922年)

記念日・年中行事

スキー記念日/スキーの日
1911年1月12日にオーストリア陸軍のレルヒ少佐が、
新潟県高田(現在の上越市)の陸軍高田歩兵第58連隊の青年将校に、
日本で初めてスキーの指導を行なったことから。

スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが1994年に制定。

桜島の日
1914年(大正3年)に鹿児島県の桜島で大正大噴火が始まったことにちなむ。
鹿児島市では毎年この日に噴火を想定した防災訓練が行われる。

成人の日(国民の祝日)---2004年、2009年、2015年など
ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日が成人の日と定められている。