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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年2月3日(水曜日)

「3月」「4月」と「5月」の。

「春」はおわり。

「夏」「6月」そして「7月」「8月」

「9月」「10月」「11月」の「秋」

はおわり。

「12月」はおわり。

「2月」になりました。

「雪のふる ふゆ 冬」です。

早朝たくさんの。

「木枯らし」のかぜの舞うおとがきこえます。

「季節風」の舞う音はとても大きい。

はるかに遠くまでとどきます。

大地や道路のうえを。

縦横無尽に闊歩(かっぽ)する。

ちからある「木枯らし」の風。

ハチャトリアンの。

「剣の舞」がきこえます。

「冬」の。

「2月」

になりました。

「冬」です。

「冬」は。

だまって訪れて。

だまって冬道中をあゆむもの

であることが

あらためて。

みにしみて。

感じられます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。

まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「冬」です。

今は。「2月」。

あたらしい「冬」です。

「2月」の「冬」になりました。

「昨年」の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きました。

「昨年」の晩秋には。

「銀木犀:きんもくせい」も

「銀木犀:きんもくせい」も

昨年のはるかかなたに。

「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は。

今「2月」の「冬」を迎え。

さらなる深き。

「「冬」のさかり」の先にむけて。

もっともっと。

ゆたかな「みのり」をまつ。

準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。

「冬」になると。

「葉色」と「葉のあつさ」はかわります。

「「季節風」に耐える葉の厚さ」。

になります。

来年の秋のみのりの花まで。

すこやかに育つ「葉」になります。

「冬」の「2月」の。

「冬の樹木花」の花がみえます。

「冬の草花」の花もみえます。

「冬」の花木の。

「冬の花」が。

地面の上で。

「花びら」で存在を誇示しても。

木々の「花」は天上。

あおがねば。

「花」こそみえません。

けれども。

「冬」の花。

その「いのちの芳香」は。

とくとくと。

遠くまで。

ただよっているかのごとくです。

「2月」の「冬」です。

コロポックルのように。

地にひそみ。

「冬の草花」は元気です。

元気な「2月の冬」です。

「「冬」の花」の木は

花が落ちて。

「木や枝の下」に。

「フェルマータ"fermata"」*

が。

楽譜のように記譜されているような。

「「冬」の樹木」の「花」。

「落花生」のような。

「冬の花」です。

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C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の
標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。

ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの
保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
-------------------------------

「冬」です。

のんびりと朝があけます。

とりわけ朝暗いうちは。

のんびりと朝はあけます。

はだにさむい朝です。

今朝早朝は。

暗いうち晴れて。

霧雨の合間に。

久方ぶりにたくさんのたくさんの。

星をみました。

そして天井の空高く。

ひさしぶりに「月」の

かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」

(てんたかく)とは。

なるほどと考えます。

しっとりとした「2月」の。
「季節風」の。
「冬吹雪:ふゆふぶき」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。

スラーをかけた。
グラスハープの。
オーケストラを聴いているようです。

「2月」になり
「冬吹雪:ふゆふぶき」のかぜおとは。
「アリア」になり。
次第に出番が多くなりました。

中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「ふゆ吹雪:ふゆふぶき」。

「ベル・カント」が。
「ひとりふたり」はいるのが不思議です。

「冬の花」の木の上か。
電線にとまったり。
またさらに
上空で「冬吹雪:ふゆふぶき」は。
歌っているようです。

うっすらと「まど」の隙間から。

「季節風」は。

焚き火のけむりのように。

はいりこもうとします。

「2月の木枯らし」には。

「かおり」があります。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「2月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「季節風」の。

気配にあと押しされて。

「確かな「1月の冬」」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はさむい
陽射しを感じることが
多くなりました。

「2月」。

「冬」です。

そして。

さむいけれども元気な「冬」。

2月の「冬」の気配は。
あっというまに。
「冬」の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように。
おぼろに変化して。

次第に「ふかい「冬」」の気配にうつろいていく。
「つるべ井戸」の「つるべ」があがるようです。

「もっと深い「冬」」が。

ピアニッシモ。
ppで。
しのびよってきています。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの
「くれゆくふゆのいろ」
「むかえくるふゆのいろ」が感じられます。

陽射し(ひさし)やさしき。
空にも地にも天高くはれ。
大気のひそみかくれ。
そらにみちてあふれれば。
吐息(ためいき)となり。
吐息が霧雨か霞になり。
おりてくるような感じです。
のふかまりゆく気配
になりました。

街路樹はしっかりと
冬ながらも枝木の穂先もたわわにつよく
「晩冬」の萌黄色の若芽もち。
「初春」のあおい「木」にかわりました。
「新年」のあおい「木」は。

「実りの「春」」のおとづれを。
そしてさらなる「春の深まり」を超えて。

そして厳しい年月をがんばって。
「あたたかい「春」」を迎え。

今は。

「冬」をむかえています。

「本物の「冬」」。

「ふかい冬」

四季の季節をのりこえ。

「あたらしい冬」になりました。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
にも若葉はそだち。
若葉は冬の若枝となり。
若枝は天高くすこやかにのび。
空気のふかまりにますますすこやかに。
山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
空に燃えるが如くの炎葉です

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

深まりたり
空たかく
あやにしき
みどり木
さんしょう木
陽をあびてかがやけり
いざいまこそは
金色(かがね)にかわり
赤き空に燃えたたむ

さんしょう木
もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
わかば葉はいずるは花ならむ
「季節風」こす枝は幹ならむ
いざいまこそは
空(そら)たかくもえたたむ
金色(こがねいろ)なる
さんしょう木
「季節風」深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

草を浮かべる水面(おも)に
めだかのむれのひかりたり
むれておよげるひめだかの
みずのなかなるちいさないのち
みずのなかなるおおほきないのち
みのりてあまたにとほときいのちこそ
いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなふゆみつけたから
しだいに大きなふゆみつけた。

大きなふゆつけたから
さらに大きな大きなふゆみつけた

「小さい「ふゆ」みつけた」は。

「こころしずまる気」

がいたします。

「冬」になりました。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(水曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた診療スタッフで。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
限られた診療スタッフで。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

「世界三大バブル」の日のひとつです。

今現在では信じられないほど17世紀には。
欧州とりわけオランダでは。

チューリップは「大人気の高嶺の花」でありました。
信じられないほど欧州の人々を魅了したはなでした。

当然投機家たちの「金のなるはな」でした・。
チューリップの球根ひとつは「邸宅ひとつ」と
交換されることもありました。

球根はエース(aas、1エース=0.05g)単位で
量られ値がつけられました。
(ダイアモンドは1c(カラット)=0.02gですから
ダイアモンドと同じ価値観です)

1637の2月3日チューリップの価格が大暴落致しました。

1637年 - チューリップ・バブル崩壊*の日です。

チューリップ・バブルは
南海泡沫事件(イングランド)や
ミシシッピ計画(フランス)
と並んで近世ヨーロッパの三大バブルに数えられます。

(*カルヴァン主義(質素)信条の
オランダ人たちがなぜ投機に走ったのか、
いまのところ解明されていないのです。)

++++++++++++++++++++++

チューリップ・バブル
(蘭: Tulpenmanie、英: Tulip mania, Tulipomania、
チューリップ狂時代とも)は。

オランダで1637年に起こった世界最初のバブル経済事件です。

オスマン帝国から輸入されたチューリップの
球根に人気が集中し異常な高値がつきはじめました。

その後「1637年のきょう」に価格は1000分の1以下にまで下がり、
オランダ諸都市は混乱に陥りました。

チューリップ・バブルは
南海泡沫事件(イングランド)やミシシッピ計画(フランス)
と並んで近世ヨーロッパの三大バブルに数えられます。

++++++++++++++++++++++

バブルの前提
バブルをもたらした原因が何であるのか、
いまもって明らかにされていないか分析ができていません。

民衆の狂気と貪欲さに求める偶発説や。
このような価格の乱高下は日常的であったとする説・
などもあります。

オランダは当時、経済大国であったが、
バブルの担い手となった民衆は貧しい暮らしにあえいでいました。

++++++++++++++++++++++

オランダの北部7州は八十年戦争に勝利し、
17世紀の始めには実質上、独立を獲得していました。

そこからオランダは一躍オランダ海上帝国として
ヨーロッパに君臨致しました。

これには、ポルトガルから香料貿易を奪ったこと。
三十年戦争により中部ヨーロッパが混乱して
アムステルダムに商取引が集中したこと。
オランダ東インド会社がバタヴィア経営から利益をあげていたこと
などが背景にあります。

結果、所得は最高水準になり、
海外の美術品がオランダに集中してきていました。

++++++++++++++++++++++

その一方で、
物価もまた他地域にくらべて割高になっていました。
賃労働者や職人らの年収はおよそ250フロリンと推定されています。
これは家族4人が食べていくだけで精一杯な収入であり、
肉を口にすることはめったになかったといわれます。

かれらがバブルに参入するとき、
家財道具や家畜など換金できそうなものを取引に投じました。

さらにバブルが生じたマイナス材料として、
カルヴァン主義の浸透があげられます。

勤勉と倹約を美徳とするカルヴァン主義が広まっていた
当時のオランダでは、華美な服装などが慎まれました。

富める者も貧しい者も同じような服装をしており、
街なかで人の貧富を見分けるのは難しかったといわれます。

こうした信条のオランダ人たちがなぜ投機に走ったのか、
いまのところ解明されていないのです。

++++++++++++++++++++++

オランダへの伝播
チューリップの発祥は天山山脈と伝えられます。

オスマン帝国は勢力を広げるなかでチューリップと出会い、
たちまちのうちに魅了されてしまいました。
やがてコンスタンティノープル(イスタンブール)を陥落させると、
トルコ人たちは荘厳な宮殿を建立しました。

そこで幾種ものチューリップが
栽培・品種改良され衣服の模様や絵画に登場致しました。

16世紀になると、商人によってヨーロッパ各地に伝えられました。

++++++++++++++++++++++

膨大な品種が系統だてられて
チューリップが認識されるようになるのは、
植物学者カロルス・クルシウスの研究によります。

フランクフルトで細々と球根植物を研究していた
クルシウスは1593年、ライデン大学に招聘されました。

彼は豊富なチューリップの球根とともにライデンに移り、
そこでチューリップの研究・栽培をすすめました。

このことが、オランダにチューリップを伝えることになりました。

++++++++++++++++++++++

クルシウスが発見した特性のなかに、
のちにブレーキングとよばれる突然変異があります。

ブレーキングをおこした球根は美しい斑入りの花をつけました。

これはウイルスに感染した球根が
モザイク病に罹患したためであったが、
その仕組みが解明されるのは20世紀になってからです。

++++++++++++++++++++++

チューリップの特性
チューリップは短期間に増やすことが難しい種であり、
それが後述するように品薄状態をおこして高値がつきました。

チューリップは種子から育成する方法と
母球(球根)からクローンの子球を育成する方法とがある。
種子から育てると交配で新種が生まれる可能性があるものの、
花を咲かせるまで3-7年かかります。

母球から育成する場合はその年にすぐ花が咲くが、
母球が作り出す子球は2-3個程度になり、
子球を母球に成長させるのにしばらくかかる。
さらに発芽しない種子・母球も少なくなかった。
こうした事情から、
急激な需要の増大に生産が追いつかなかったのです。

++++++++++++++++++++++

ブームの到来

センペル・アウグストゥスバブルの
進展は三段階に分けて説明できます。

需給の不均衡による高値がついた第一段階、
投機家が参入してきた第二段階、
そして元手をもたない庶民をまきこんだ第三段階です。

この第三段階に至ってバブルの様相を呈し、暴落と混乱を招きました。

++++++++++++++++++++++

愛好家たち
1610年代、最初にチューリップの美しさに心を奪われたのは、
ゆとりのある植物愛好家たちでありました。

手に入りにくいチューリップの球根は、
当初から高値で取り引きされました。

また園芸家・愛好家たちは自分で品種改良や栽培も行い、
多様な名のチューリップが生まれました。
「リーフキン提督」(Admiral Liefken)
「ファン・デル・アイク提督」(Admiral Von der Eyk)
「フィセロイ」(副王、Viceroy)
「フェネラリーシモ」(大元帥、Generalissimo)
などが代表的な高級品種です。なかでも愛好家たちが絶賛したのは、
ブレーキングを起こして紫と白の縞模様の花を持つ
「センペル・アウグストゥス」(無窮の皇帝、Semper Augustus)
でありました。

単色の品種は安く売買されたが、
こうした美しい花の球根は少なくとも
1000フロリンの値がついていました。

そしてチューリップの人気が高まるにつれ値上がりしていきました。

++++++++++++++++++++++

投機家の参入
チューリップの人気に投機家が目をつけたのは、
1634年ごろと伝えられます。

かれらはチューリップを栽培することや花の美しさに興味はなく、
その値上がりを目的として市場に参入していきました。

チューリップ人気が
ライデンからアムステルダム、ハールレムなど他都市に伝わり、
需要の増大を見込んで球根の売買を行いました。

はたして彼らの目論みは当たり、
一攫千金をなす者も現れました。

高級品種の球根ひとつと邸宅が交換されることもありました。

高価な球根はエース(aas、1エース=0.05g)単位で
量られ値がつけられました。
そうでない品種は個数売り、
さらに安いものは袋づめで量り売りされました。

++++++++++++++++++++++

このときはまだチューリップ取引は球根が現物で
売買されていました。

また現物取引のため、チューリップ売買が行われるのは
冬の間にとどまっていました。

しかし過熱するチューリップ人気は、
季節を問わず取引できる仕組みを希求していました。

++++++++++++++++++++++

大衆化
チューリップで短期間に莫大な富を得られるという
噂が職人や農民などに広がると、
かれらが徐々に市場に参入してきました。

元手をもたない彼らはまず自分でも買える程度の球根から始めました。

その程度の品種でも値は上がり、
転売で利益を得る者が続出致しました。

それに伴い、市場に大きな変化が起きました。

通年取引とそれに伴う先物取引制度の導入です。

++++++++++++++++++++++

こうした取引は、
正規の証券取引所ではなく居酒屋で行われました。
取引において現金や現物の球根は必要なかったのです。

「来年の4月に支払う」「その時に球根を渡す」という
手形ですませることができ、
わずかな内金で売買できました。

内金といっても現金とは限らず、
家畜や家具など換金できそうなものなら何でも通用しました。
その手形が取引をくりかえすうちに幾人かを経由していき
、債権者や債務者がどこの誰だかわからないという
状況になりつつありました。

この先物取引システムによって元手がない者も投機に参加できました。
パン屋や農民までチューリップ市場に参加し、
それによって需要がふくらみ、
安価な品種でさえ急騰致しました。

しかし価格の上昇に伴って、
本来の買い手である植物愛好家が買わなくなっていきました。

特に民衆が取引していた安価な球根は愛好家に見向きもされなかったのです。

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当時の逸話がいくつか残っています。

イギリスから来た植物愛好家がオランダの友人宅を訪ねました。

その愛好家はチュールップ球根を「タマネギ」の珍種
と間違えて。
珍しいタマネギのようなものを
その皮をむいて中を開いてみました。

友人が帰ってきて
「これは何というタマネギですか」と聞いた。

「ファン・デル・アイク提督といいます」
「ありがとう」愛好家はノートにメモをとりながら質問した。
「これはオランダではよくある品種なのですか」
友人は愛好家の襟首をつかみ
「一緒に行政長官のところに来ればわかります」と答えました。

愛好家は金貨2000枚の賠償金を支払うまで、
債務者監獄に監禁されました。

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急落
1637年2月3日、突然の暴落が起こりました。
価格が下がったというよりも、むしろ買い手が
まったく見つからない状態でした。

手形は不渡りとなり、支払いきれない債務を負った者は
3000人ともいわれます。

オランダ各都市は混乱の淵に叩き込まれ、
そこかしこで払え払わぬの押し問答、債務者の雲隠れがおこりました。
いまやあらゆる債権者が同時に債務者となっていました。

債務履行を求めて裁判を起こす者もいたが、
債務者に履行能力がないことは明らかであり、
事態の解決に有効な手だてとはならなかったのです。

抜き差しならぬ情勢に議会・市当局もようやく動きだしました。

債務者と債権者の強烈なロビイング合戦の末
「調査が終わるまでチューリップ取引は保留とする」
というその場凌ぎの決定が下されました。

しかしこれによって一挙に解決に向かいました。
手形による契約はなし崩し的になかったことになり、
少数の破産者と成金を残してチューリップ狂時代は幕を閉じました。

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バブルの影響
チューリップ・バブルは、オランダ経済や
その後の歴史にほとんど影響を残さなかった。

植物愛好家は高価なチューリップを求め続けたし、
他の産業が打撃を受けたという史料も見つかっていない。

例外的に見てとれるのは精神文化への影響である。
節制・禁欲を旨とするカルヴァン主義的美徳観が復活し、
チューリップ相場に参加した者を露骨に批判する
パンフレットが出版されました。

チューリップをローマ神話の女神フロラに喩え
「貪欲なフロラに貢ぐ愚か者たち」と批判されました。

その後オランダ人は一時的にチューリップを憎むようになり、
オランダ人の間で教訓として語り継がれました。

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歴史学的見解
チューリップ・バブルは
大デュマの小説・「黒いチューリップ」や絵画に描かれるのみで、
歴史学的視点から研究されることはほとんどなかったのです。

スコットランド人チャールズ・マッケイの著した物語によって
1841年世界に伝えられ、
この事件は一躍脚光を浴びることとなりました。

その中で、チューリップ・バブルは
スキャンダラスで大衆の狂気によるものと描かれました。

近年までマッケイのバブル像がおおむね受け入れられ、
まともな研究対象とはならなかったのです。

しかしE.A.トンプソンおよびJ.トラザード (2002) は、
チューリップのみならず当時の物価は常に不安定であり、
大衆の狂気から事件を説明するのは誤りであるとしました。

これをきっかけに近年、研究が活発になってきており、
チューリップ・バブルの全体像や歴史的位置付けについて
今後の議論を待たねばならない状況にあります。

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チューリップ・バブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB

チューリップ・バブル(蘭: Tulpenmanie、英: Tulip mania, Tulipomania、チューリップ狂時代とも)は、オランダで1637年に起こった世界最初のバブル経済事件である。オスマン帝国から輸入されたチューリップの球根に人気が集中し、異常な高値がついた。その後、価格は100分の1以下にまで下がり、オランダ諸都市は混乱に陥った。チューリップ・バブルは南海泡沫事件(イングランド)やミシシッピ計画(フランス)と並んで近世ヨーロッパの三大バブルに数えられる。

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2月3日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%883%E6%97%A5

できごと
1451年 - オスマン帝国のスルタン、ムラッド2世が死亡、息子メフメト2世によって継承される。
1488年 - バルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰にたどり着き、アフリカ南端に辿りついた最初のヨーロッパ人となる。
1637年 - チューリップ・バブル崩壊。
1783年 - アメリカ独立戦争: スペインがアメリカ合衆国の独立を承認。
1809年 - イリノイテリトリーの創設
1815年 - スイスで最初の商業生産を目的とするチーズ工場が設立される。
1851年(嘉永4年1月3日) - ジョン万次郎がアメリカから10年ぶりに帰国する。
1870年 - アメリカ合衆国憲法修正第15条が可決される。
1870年(明治3年1月3日)- 日本で大教宣布が出され、祭政一致の方針が示される。
1922年 - 北陸本線勝山トンネル(現在の糸魚川市)雪崩が発生。列車が巻き込まれ死者73人、負傷者30名。
1931年 - ネーピア地震。ニュージーランド史上最大の被害を出す。258人が死亡。
1946年 - 通化事件。通化で日本人が蜂起するが八路軍に鎮圧され数千名が虐殺される。
1962年 - ケネディ米大統領がキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表。
1966年 - ソ連の無人宇宙探査機「ルナ9号」が史上初めて月面軟着陸に成功。
1969年 - カイロで開かれたパレスチナ国民議会でヤセル・アラファトがパレスチナ解放機構議長に任命される。
1970年 - 「核拡散防止条約」に日本が調印。
1972年 - 第11回冬季オリンピック、札幌大会開催。2月13日まで。
1998年 - アメリカ海兵隊のパイロットがイタリア・カヴァレーゼのスキー場でリフトのケーブルをくぐりぬけて飛行しようとし、ケーブルを切断、20人を死亡させる。
1998年 - オープンソースという言葉が生まれた。
2005年 - 福岡市地下鉄七隈線の天神南駅〜橋本駅間が開業。

誕生日
1654年 - ピエトロ・アントニオ・フィオッコ、作曲家(+ 1714年)
1669年(寛文9年1月3日)- 荷田春満、国学者(+ 1736年)
1748年 - サミュエル・オズグッド、第4代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1819年)
1795年 - アントニオ・ホセ・デ・スクレ、ボリビア独立の父(+ 1830年)
1809年 - フェリックス・メンデルスゾーン、作曲家(+ 1847年)
1826年 - ウォルター・バジョット、評論家・ジャーナリスト(+ 1877年)
1859年 - ヒューゴー・ユンカース、ユンカース社創設者(+ 1935年)
1869年(慶応4年1月10日)- 水野錬太郎、政治家(+ 1949年)
1874年 - ガートルード・スタイン、小説家(+ 1946年)
1878年 - 国分謙吉、政治家(+ 1958年)
1885年 - 田辺元、哲学者(+ 1962年)
1893年 - ガストン・ジュリア、数学者(+ 1978年)
1894年 - ノーマン・ロックウェル、画家(+ 1978年)
1907年 - ウォルト・モーレー、児童文学作家(+ 1992年)
1908年 - 永井隆、「長崎の鐘」・「この子を残して」の著者として有名な医学者(+ 1951年)
1909年 - 宮島義勇、撮影監督(+ 1998年)
1909年 - シモーヌ・ヴェイユ、哲学者(+ 1943年)
1924年 - エドワード・P・トムスン、歴史家・社会主義思想家(+ 1993年)
1931年 - 雨宮敬子、彫刻家
1933年 - 濱田隆士、古生物学者
1933年 - 志賀節、政治家
1934年 - 秋山登、プロ野球選手・監督・野球解説者(+ 2000年)
1935年 - ジョニー"ギター"ワトソン - 米国のブルース・ギタリスト
1940年 - 城之内邦雄、プロ野球選手
1943年 - 福本清三、俳優
1944年 - ヒサクニヒコ、漫画家
1944年 - 矢玉四郎、児童文学作家・画家
1949年 - 喜多嶋修、ミュージシャン
1950年 - モーガン・フェアチャイルド、女優
1952年 - 津雲むつみ、漫画家
1954年 - 烏丸せつこ、女優
1954年 - 根岸季衣、女優
1956年 - 福江純、天文学者
1957年 - 国谷裕子、キャスター
1957年 - みぶ真也、一人芝居俳優
1959年 - 小西康陽、ミュージシャン
1963年 - 彩花みん、漫画家
1963年 - 川合俊一、タレント、バレーボール選手
1964年 - 片瀬清利、プロ野球選手
1964年 - ミヒャエル・ルンメニゲ、サッカー選手
1964年 - エンリケ、ベーシスト
1966年 - 伊藤毅、ミュージシャン
1967年 - 岡本麻弥、声優
1970年 - リッチー・コッツェン、ミュージシャン
1971年 - 有田哲平、くりぃむしちゅー
1975年 - 牛川とこ、レースクイーン
1976年 - バート・ミアディッチ、プロ野球選手
1976年 - イゴール・ルカニン、フィギュアスケート選手
1976年 - 金東柱、野球選手
1977年 - ブルーノ・クアドロス、サッカー選手
1977年 - ダディー・ヤンキー、ミュージシャン
1978年 - 増沢由貴子(旧姓牧原)、騎手
1979年 - 川島明、お笑い芸人(麒麟)
1980年 - 吉岡美穂、タレント、レースクイーン
1980年 - 堤さやか、女優
1980年 - 張力、野球選手
1981年 - 風野舞子、タレント
1982年 - 松下亜吉、デザイナー、イラストレーター、ライター
1982年 - 清水ゆみ、女優
1984年 - まぁこ、お笑い芸人
1986年 - 柳原可奈子 、お笑い芸人
1989年 - 延江大輔、プロ野球選手
1992年 - 杉浦里穂、歌手、モデル、キャナァーリ倶楽部メンバー
1993年 - 池田晃信、俳優
1994年 - 佐藤駿、ジャニーズJr.
1996年 - 熊谷知博、子役
1997年 - 奥西亮太、子役
2000年 - 杉浦花菜、子役
非公表 - あゆみゆい、漫画家
非公表 - 永見はるか、声優
非公表 - 松永雪希、声優

忌日
619年 - カンタベリーのラウレンティウス、カンタベリー大司教
853年(仁寿2年12月22日) - 小野篁、歌人(* 802年)
1014年 - スヴェン1世、デンマーク王(* 960年)
1116年 - カールマーン1世、ハンガリー王(* 1070年頃)
1117年(永久4年12月30日)- 源基綱、平安時代の公卿(* 1049年)
1239年(暦仁元年12月28日)- 九条任子、後鳥羽天皇の中宮(* 1173年)
1399年 - ジョン・オブ・ゴーント、ランカスター公(* 1340年)
1428年(応永35年1月18日) - 足利義持、室町幕府第4代征夷大将軍(* 1386年)
1451年 - ムラト2世、第6代オスマン帝国スルタン(* 1404年)
1468年 - ヨハネス・グーテンベルク、印刷技術の開発者(* 1390年代)
1751年 - ヒダヤス・モヒュディン・カーン、ニザーム藩王
1752年(宝暦元年12月19日) - 大岡忠相、幕臣、大名、大岡越前のモデル(* 1677年)
1779年 - ルイ・ド・ジョクール、百科全書の執筆に携わった学者(* 1704年)
1814年 - ヤン・コジェルフ、作曲家(* 1738年)
1862年 - ジャン=バティスト・ビオ、物理学者(* 1774年)
1887年 - ベル・スター、西部開拓時代のアウトロー(* 1848年)
1900年 - デイヴィッド・マッケンドリー・キー、第30代アメリカ合衆国郵政長官(* 1824年)
1990年 - オトカル・ノヴァーチェク、ヴァイオリニスト・作曲家(* 1866年)
1901年 - 福沢諭吉、思想家・慶應義塾創設者(* 1835年)
1919年 - エドワード・ピッカリング、天文学者(* 1846年)
1923年 - 黒木為楨、日本陸軍の大将(* 1844年)
1924年 - ウッドロウ・ウィルソン、第28代アメリカ合衆国大統領(* 1856年)
1925年 - オリヴァー・ヘヴィサイド、技術者・数学者(* 1850年)
1935年 - ヒューゴー・ユンカース、ユンカース社創設者(* 1859年)
1936年 - ゾフィー・フォン・シェーンブルク=ヴァルデンブルク、アルバニア公ヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィートの妃(* 1885年)
1945年 - ローラント・フライスラー、ナチス・ドイツ人民法廷長官(* 1893年)
1946年 - エドワード・オッペンハイム、小説家(* 1866年)
1947年 - マーク・ミッチャー、アメリカ海軍の大将(* 1887年)
1959年 - 岡田正平、新潟県知事(* 1878年)
1959年 - バディ・ホリー、ロックンロール歌手(* 1936年)
1959年 - リッチー・ヴァレンス、ロックンロール歌手(* 1941年)
1975年 - ウム・クルスーム、歌手(* 1904年)
1978年 - 置鮎与一、博多人形作家(* 1896年)
1987年 - 高松宮宣仁親王、日本の皇族(* 1905年)
1989年 - ジョン・カサヴェテス、映画監督(* 1929年)
1994年 - アラン・ヘルフリッチ、陸上競技選手(* 1900年)
1997年 - ボフミル・フラバル、小説家(* 1914年)
1997年 - 与田凖一、児童文学者・詩人(* 1905年)
2000年 - 二階堂進、政治家(* 1909年)
2004年 - ノラ・グルムリーコヴァー、ヴァイオリニスト(* 1930年)
2005年 - エルンスト・マイヤー、生物学者(* 1904年)
2005年 - ズラブ・ジワニア、グルジア首相(* 1963年)
2006年 - ロマーノ・ムッソリーニ、ピアニスト・画家(* 1927年)
2009年 - 泡坂妻夫、推理作家(* 1933年)

記念日・年中行事

節分(日本、2002年・2003年・2004年・2005年)

のり巻きの日
1987年に、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が制定。恵方巻用の海苔にちなんだ。

大岡越前の日
1717年2月3日に、大岡忠相が南町奉行に就任したことに由来している。

ジュディ・オングの日(アメリカ・ネバダ州にて制定)

光悦忌