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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年2月7日(日曜日)

平成22年の「冬」2月

になりました。

平成21年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

「夏」の「8月」。

そして「秋」の。

「9月」「10月」「11月」がおわり。

「冬」の「12月」「1月」がおわり。

今は平成22年の「2月」です。

とてもとても。

あかるいあさです。

広くゆたかな「明るい朝」。

早朝の「あかるい陽射し」は。

日々毎日続いています。

山奥のさわ水のように。

ひんやりとした。

「ながれるみず」のような。

「冬」の風。

今は「冬」の「2月」です。

「冬」がきた。

「ふゆ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にもきた。

「冬」は。

「まち」にもやってきた。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
花が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
ひろい地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「冬」の「2月」

私の「大好き」な。

「冬の草花」の。

「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「冬」の樹木の。

「葉っぱと花」のふくらむ季節。

そして。

「木々の木の葉の紅葉の落葉。

「焚き火」のけむり。

「冬の花」と「木の葉もえる冬」

「みどりとこがね色」

「冬草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な。

萌え出づる「冬わかば」。

常緑樹の「冬」の若葉が。

美しい季節になりました。

そしていろいろに。

「冬」の木々の花ひらき咲く季節。

冬花(はな)と冬若葉(わかば)と。

こがねの冬若草(ふゆわかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「冬の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「冬の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

冬花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

ふゆ嵐の

弓に射られて

花ぞ舞い散る

ふゆはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

こからしの

ゆみにいられて

はなそまいちる

「秋の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。

花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「冬」になり。

今は「2月」。

ふゆばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「冬の花」。

「みかん」と「からたち」

こがねいろの実のふくらむ季節。

「冬」の「2月」。

そして。

「冬の花」や。

「みのる木々」

をみまもるのは。

「みかんの木」の。

「まるいみかん」の

「丸い群れ」。

「円いみかん」は。

「丸くたわわに実り」。

まるで。

「ぶどうのふさ」のようです。

「冬」の果実。

樹木にみのりつづけ。

おちない「みかん」。

冬将軍といれかわり。

立ち去った秋の「竜田姫(たつたひめ)」

さそわれて

実りはじめた「みかんの実」。

兄弟同士(姉妹同士)

お互いに。

「はなことば」でお話しをしているに

ちがいありません。

秋の「竜田姫(たつたひめ)」は去りいまは冬。

遠くで「春」の女神(めがみ)の。

「佐保姫(さほひめ)」が微笑んでいます。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」が。

沢山自生しています。

野生の「すみれ」も珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「冬かぜ」と「冬吹雪:ふゆふぶき」

が吹いています。

「冬」になりました。

「冬」がはじまりました。

「あかるくて」とてもよい。

さすらいの季節を伝える

「冬」の風です。

「冬」がふかまれば。

「もっと深い「冬」」の。

トンネルをこえる。

そこは「里山の「冬」」。

「冬吹雪:ふゆふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「冬から先」への。

「トンネル」のあることも

わかります。

冬樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「冬吹雪:ふゆふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」は「舞姫」。

「冬吹雪」は突如(とつじょ)

天から舞い降りるように。

吹きます。

「冬」の陽射しはまばゆい。

こがねにかがやくあやにしき。

ひかりかがやく「冬」になりました。

星のかがやく「冬」になりました。

風のうたう「冬」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「冬吹雪:ふゆふぶき」の声は

「冬かぜ」のふく音色は。

「冬」の女神(めがみ)

ひきいる女神たちの。

なぜかなつかしき笛のよう。

ふゆかぜのワルツ。

みのりのワルツ。

ふゆは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」「夏」「秋」へとあゆみ」。
今は「冬」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

霧雨(きりさめ)の。

霞(かすみ)の大気。

「冬吹雪:ふゆふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「冬かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「冬吹雪:ふゆふぶき」の。

鳴き声とともに。

「冬一番」の「ふゆのしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「冬かぜ」の合唱は。

「冬」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「冬」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「冬」のおとずれが。

わかります。

冬の女神(めがみ)

のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は
そぞろに「冬」の今年の芽栄え。

そして「冬」の旅愁。

昔昔の懐かしさをも感じさせます。

「ふけゆく冬の夜」に。

「夜のすすき」はどのようにして
「夜」をこすのだろうか。

「よるのすすき」がみたいです。

ススキの茎の「穂先」には。

「冬ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

ふゆくれば

こがね葉いずる

冬すすき

葉のいづる

そのときときこそは

冬さかりなるらむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「冬」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

のひとりです。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きょう」と。「あす」しか。

私にはありません。

「きのう」はありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「冬」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよる。
もっともっと奥の。
深く深まる「冬のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あかるい「冬」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「2月」。

「冬」です。

「冬の青葉の城」のような「2月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「冬」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「冬」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

冬の芽吹くときには。

街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
秋の早朝にみえます。

冬になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
「冬」にはいってからのことです。

「冬」そして1月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」がすぎ。「9・10・11・12月」がすぎ。
「冬」の「2月」。

今現在は落ち着いた「ふゆ」の葉木。
「冬」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「冬」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの冬」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「秋」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「冬」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「冬」の「めばえ」のひろがりです。

「冬がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「冬のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「冬」の若芽のめばえ」
が。
「冬葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。
いまは「冬」です。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」はすぎさり。
「秋」の「9月」「10月」がおわり。
「秋」の「11月」「冬」の「12月「1月」が去り。
今は「冬」「2月」。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色に葉っぱが消え
若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「冬」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「冬」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「春」から「冬」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「冬」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「冬のわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

冬の桜木(さくらぎ)。

冬になり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

冬の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

「冬」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「冬も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「冬」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません。

木々の秋の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「あき木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「秋の花」の姿となりそして「秋」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
秋葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。
そして秋。

そして今は。

「冬」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のカクテルいろの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコいしのプリンの空(そら)
はるかにとほくたかい空(そら)
ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームのような空(そら)
睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
空(そら)の向こうにまた空(そら)
空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

椎木(しいのき)は枝高し
そらに吼える若葉の穂束
そらに吼える蒼き獅子のごとし
天にも地にもみどりはさける
のあさふかまりて
陽の光ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
いふこともなし
ゆたかなるかな

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

ストックホルムで、
化学教授のハンス・フォン・オイラー=ケルピンと
植物学・地質学教授のアストリッド・クレーベという、
二人の著名な科学者の間に生まれ。

父のハンスはドイツ人で、1929年にノーベル化学賞を受賞。
母方の祖父のペール・テオドール・クレーベも
ウプサラ大学の化学教授で、
ツリウム、ホルミウムという元素の発見者
であり「天才科学者家系」にうまれた生物学者。

1935年にプロスタグランジンとベシグランジン。
1942年にピペリジン、1946年にはノルアドレナリンを発見
した天才生物学者。

1905年 -
ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー、生理学者(+ 1983年)
の生誕日です。

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ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Euler、1905年2月7日 - 1983年3月9日)は。

スウェーデンの生理学者で薬理学者です。

神経伝達物質の研究で有名です。

1970年度のノーベル生理学・医学賞を受賞致しました。

++++++++++++++++++++++

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Eulerは。

ウルフはストックホルムで、
化学教授のハンス・フォン・オイラー=ケルピンと
植物学・地質学教授のアストリッド・クレーベという、
二人の著名な科学者の間に生まれました。

父のハンスはドイツ人で。
1929年にノーベル化学賞を受賞しています。

母方の祖父のペール・テオドール・クレーベも
ウプサラ大学の化学教授で。
ツリウム、ホルミウムという元素の発見者です。

このような由緒ある家柄に生まれ、
幼い頃から科学、教育、研究に触れて育ったことから。

ウルフが科学者を目指したのも驚くことではなく。
彼は1922年にカロリンスカ研究所の医学部に進みました。

++++++++++++++++++++++

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Eulerは。

彼は赤血球沈降速度とレオロジーの専門家である
ロビン・ファーレウスの下で。

血管収縮物質の病態生理学の研究を行いました。

彼は1930年に博士号を取得し、
同年、薬理学の助手に採用されました。

1930年から31年にかけて、
ウルフはロチェスター大学のフェローとなり、
外国でポスドクとして研究を行う機会に恵まれまれました。

++++++++++++++++++++++

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Eulerは。
イギリスに行き、
ロンドンのヘンリー・ハレット・デール、
バーミンガムのバーグ・デールの下で研究を行いました。

次いで大陸に渡って
ベルギー・ヘントのコルネイユ・ハイマンス、
ドイツ・フランクフルトの
グスタフ・エムデンの下でも研究を行いました。

さらに1934年にはロンドンに戻り、
アーチボルド・ヒルについて生物物理学を学びました。

1938年にはG.L.ブラウンについて
神経-筋肉間の情報伝達について学びました。

1946年から47年にかけてはブエノスアイレスで
バーナード・ウッセイにより設立された生物学・医学研究所の
エドゥアルド・ブラウン・メネンデスの研究室で働きました。

++++++++++++++++++++++

ブエノスアイレスの。
エドゥアルド・ブラウン・メネンデスの。

優秀な研究者を嗅ぎ分ける彼の嗅覚が優れているということは。

デール、ハイマンス、ヒル、ウッセイがみな後に、
ノーベル生理学・医学賞を受賞していることからも
伺い知ることができます。

++++++++++++++++++++++

ウルフは第二次世界大戦後に、
ケーニヒスベルクのラジオ局で働いていた
ダグマー・クロンステッドと結婚致しました。

++++++++++++++++++++++

ポスドクとして短期間、デールの研究室に滞在していた間は、
彼にとって実りの多い期間でありました。

1931年、彼はジョン・ギャダムとともに
神経伝達物質としても働く重要なペプチドである
サブスタンスPを発見致しました。

ストックホルムに戻っても彼はこの研究を続け、
4つの重要な、内因性活性化物質を発見致しました。

1935年にプロスタグランジンとベシグランジン、
1942年にピペリジン、
1946年にはノルアドレナリンを発見しています。

++++++++++++++++++++++

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Euler
は。

1939年に彼はカロリンスカ研究所の生理学教授になり、
1971年に退官致しました。

また、ゲラン・リルジェストランドとの共同研究で、
肺の酸素の局地的な減少に対して生理学的に
動脈にシャントを形成するという、

「オイラー=リルジェストランド機構」という
重要な発見を致しました。

++++++++++++++++++++++

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Eulerは。

しかし、ノルアドレナリンが発見された1946年以降。

ウルフらは病的な状態にある生物の組織と
神経系の研究に没頭し始めました。

そして、ノルアドレナリンはシナプスの末端に貯まるという
画期的な発見を致しました。

1970年、彼はベルンハルト・カッツ、
ジュリアス・アクセルロッドとともに
ノーベル生理学・医学賞を受賞致しました。

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ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
:Ulf Svante von Euler
は。

彼はノーベル財団でも1953年以降、
ノーベル賞委員会の生理学・医学部門の医院として、
また1965年からは委員長として働きました。

彼は、1965年から67年にかけて
国際病理学会の会長を務めています。

またノーベル賞以外にも様々な賞を受賞しています。

1961年にはガードナー賞、65年にはジャーレ賞、
67年にはストーファー賞、53年にはカール・ルードヴィッヒメダル、
69年にはシュミードバーグ・プラケット、
70年にはラ・マドニーナを受賞し、
さらに世界中の大学から名誉博士号を贈られ、
多くの学会の会員に選ばれています。

ウルフは1983年3月9日に亡くなりました。

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++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラーノーベル賞受賞者
受賞年:1970年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:神経末梢部における伝達物質の発見と、その貯蔵、解離、不活化の機構に関する研究

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー:Ulf Svante von Euler、1905年2月7日 - 1983年3月9日)は、スウェーデンの生理学者で薬理学者。神経伝達物質の研究で、1970年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

2月7日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%887%E6%97%A5

できごと
1369年(応安元年/正平23年12月30日) - 足利義満が、室町幕府第3代将軍に就任する。
1657年(明暦2年12月24日) - 江戸幕府が吉原遊郭を日本橋から浅草千束へ移転させる。
1855年(安政元年12月21日) - 日露和親条約締結。
1873年 - 司法省が仇討ち禁止令を公布。
1965年 - アメリカが北ベトナム爆撃(北爆)開始。
1974年 - グレナダがイギリスから独立。
1985年 - 自民党田中派内で創政会が発足。
1987年 - 『マルサの女』が日本で劇場公開。
1989年 - 美空ひばり人生最後のコンサートが北九州市の九州厚生年金会館で行われる。
1992年 - EC加盟12か国が「マーストリヒト条約」に調印。
1993年 - 「能登沖地震」発生。
1995年 - 「兵庫県南部地震」で、気象庁が正式に震度7の地域を発表。
1998年 - 第18回冬季オリンピック、長野大会開催。2月22日まで。
2000年 - 愛知高速交通設立。
2001年 - ZONE『GOOD DAYS』でメジャーデビュー。

誕生日
1478年 - トマス・モア、思想家(+ 1535年)
1693年 - アンナ、ロシア皇帝(+ 1740年)
1741年 - ヨハン・ハインリヒ・フュースリー、画家(+ 1825年)
1801年 - ウィレム・デ・ハーン、動物学者(+ 1855年)
1812年 - チャールズ・ディケンズ、小説家(+ 1870年)
1834年 - ドミトリ・メンデレーエフ、化学者(+ 1907年)
1834年(天保4年12月29日)- 広沢真臣、長州藩士・参議(+ 1871年)
1838年(天保9年1月13日)- 赤根武人、幕末の長州藩士 (+ 1866年)
1867年 - ローラ・インガルス・ワイルダー、小説家(+ 1957年)
1870年 - アルフレート・アドラー、心理学者(+ 1937年)
1871年(明治3年12月18日) - 志賀潔、細菌学者(+ 1957年)
1871年 - ヴィルヘルム・ステーンハンマル、作曲家(+ 1927年)
1877年 - ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ、数学者 (+ 1947年)
1884年 - 鳩山秀夫、法学者(+ 1946年)
1885年 - シンクレア・ルイス、小説家(+ 1951年)
1885年 - 高碕達之助、政治家(+ 1964年)
1886年 - 木村篤太郎、政治家 (+ 1982年)
1889年 - ハリー・ナイキスト、物理学者 (+ 1976年)
1893年 - 鈴木茂三郎、政治家(+ 1970年)
1905年 - ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー、生理学者(+ 1983年)
1905年 - ポール・ニザン、小説家(+ 1940年)
1905年 - 波多野完治、心理学者(+ 2001年)
1906年 - 愛新覚羅溥儀、清朝第12代・満州国皇帝(+ 1967年)
1906年 - 浜村純、俳優(+ 1995年)
1906年 - オリェーク・アントーノフ、航空機設計者(+ 1984年)
1911年 - 入江たか子、女優(+ 1995年)
1913年 - 織田隆弘、高野山真言宗大僧正(+ 1993年)
1913年 - ラモン・メルカデル、NKVDの諜報員・トロツキーの暗殺者(+ 1978年)
1919年 - イルゼ・パウージン、フィギュアスケート選手
1922年 - 三根山隆司、大相撲力士、年寄高嶋(+ 1989年)
1925年 - 吉田とし、児童文学作家 (+ 1988年)
1926年 - 津島恵子、女優
1927年 - 依田光正、作曲家 (+ 1999年)
1927年 - ジュリエット・グレコ、シャンソン歌手
1929年 - アレハンドロ・ホドロフスキー、映画監督
1934年 - 金美齢、評論家
1935年 - バーブ佐竹、歌手(+ 2003年)
1937年 - 阿久悠、作詞家・小説家(+2007年)
1938年 - ジョニー・ワーハス、プロ野球選手
1943年 - 小林稔侍、俳優
1945年 - 菊川昭二郎、プロ野球選手
1948年 - リチャード・プレブル、ニュージーランドの政治家
1948年 - 植田芳暁、ミュージシャン
1948年 - 出口修至、天文学者
1948年 - 石鍋裕、フランス料理のシェフ
1949年 - 国井雅比古、NHKアナウンサー
1949年 - 青山ミチ、歌手
1952年 - 高橋佳代子、フリーアナウンサー
1953年 - アンリ=アレックス・パンタル、調教師
1959年 - カルロス・ポンセ、プロ野球選手
1959年 - 青島美幸、女優
1960年 - 松本保典、声優
1962年 - ガース・ブルックス、歌手
1962年 - デヴィッド・ブライアン、キーボーディスト(ボン・ジョヴィ)
1963年 - 香坂みゆき、女優
1964年 - 平松八千代、歌手
1964年 - 住宅正人、ちくわ笛演奏者
1966年 - 田島昭宇、漫画家
1966年 - 西沢立衛、建築家
1966年 - クリスティン・オットー、競泳選手
1967年 - 大沢伸一、ミュージシャン(MONDO GROSSO)
1968年 - 寺岡呼人、ミュージシャン
1969年 - 古賀誠、アニメーター
1969年 - 中川幸太郎、作曲家
1969年 - 浦上壮史、サッカー選手、指導者
1970年 - 福沢博文、俳優、スーツアクター
1971年 - 鎌田雅人、作曲家、ミュージシャン
1971年 - ローランド・メリーニョ、野球選手
1972年 - 諏訪内晶子、ヴァイオリニスト
1973年 - 園崎未恵、声優・歌手
1975年 - 松田樹利亜、シンガーソングライター
1976年 - 双川正文、お笑いタレント(GOGO丸サンキューの「ふたじろう」)、フジテレビプロデューサー
1976年 - 奥大介、サッカー選手
1977年 - 宮本恒靖、サッカー選手、(ヴィッセル神戸主将)
1977年 - たなかえり、女優
1977年 - 森野文子、女優
1978年 - DJ SUZUKI、DJ(アルファ)
1978年 - Manami、歌手(Paix2)
1978年 - アシュトン・カッチャー、俳優
1978年 - ダニエル・ファン・ブイテン、サッカー選手
1978年 - 鈴木良尚 宮本延春の豊川高等学校定時制での同級生
1979年 - 石毛佐和、声優
1980年 - イ・ジョンヒョン、歌手
1981年 - 高志綱、野球選手
1982年 - 向井理、俳優
1982年 - 大田祐歌、歌手、元タレント(チェキッ娘)
1983年 - クリスチャン・クリエン、F1ドライバー
1983年 - 小坂忠士、騎手
1984年 - 真田裕貴、プロ野球選手(横浜ベイスターズ)
1984年 - 高木あずさ、タレント、グラビアアイドル
1984年 - 松坂南、タレント、グラビアアイドル、女優
1985年 - 藤原ななこ、グラビアアイドル
1985年 - 奈良沙緒理、タレント
1986年 - 上村彩子、AKB48
1988年 - 加護亜依、歌手
1988年 - 紅りんご、AV女優
1988年 - 白崎つぼみ、AV女優
1988年 - 佐々木竜太、サッカー選手、鹿島アントラーズ
1988年 - マシュー・スタッフォード、NFL選手(デトロイト・ライオンズ)
1990年 - ダニエル・オブライエン、フィギュアスケート選手
1992年 - 矢島舞美、歌手(℃-ute)
1993年 - 太賀、俳優
1996年 - 萩原舞、歌手(℃-ute)
1999年 - 松元環季、子役

忌日
1002年(長保3年閏12月22日)- 藤原詮子、円融天皇の女御(* 962年)
1045年(寛徳2年1月18日)- 後朱雀天皇、第69代天皇(* 1009年)
1362年(貞治元年/正平17年1月12日)- 佐竹義篤 (九代当主)、常陸国の守護大名(* 1311年)
1395年(応永2年1月17日)- 結城直光、下総国の守護大名(* 1330年)
1546年(天文15年1月7日)- 千葉昌胤、下総国の戦国大名(* 1495年)
1626年 - ヴィルヘルム5世、バイエルン公(* 1548年)
1642年(寛永19年1月8日) - 安楽庵策伝、僧侶、落語の祖(* 1554年)
1652年 - グレゴリオ・アレグリ、作曲家(* 1582年)
1779年 - ウィリアム・ボイス、作曲家(* 1711年)
1799年(嘉慶4年1月3日)- 乾隆帝、第6代清皇帝(* 1711年)
1837年 - グスタフ4世アドルフ、スウェーデン王(* 1778年)
1873年 - シェリダン・レ・ファニュ、小説家(* 1814年)
1878年 - ピウス9世、第255代ローマ教皇(* 1792年)
1885年 - 岩崎弥太郎、実業家・三菱財閥創業者(* 1835年)
1898年 - アドルフォ・ファルサーリ、写真家(* 1841年)
1902年 - 楠本正隆、第3-5代衆議院議長・第6代東京府知事(* 1838年)
1909年 - クルト・ネットー、冶金学者(* 1847年)
1917年 - ジョゼフ・アレヴィ、言語学者・オリエンタリスト(東洋学者)(* 1827年)
1920年 - アレクサンドル・コルチャーク、ロシア革命期の白軍総司令官(* 1873年)
1928年 - 九条武子、歌人・教育者(* 1887年)
1937年 - エリフ・ルート、第38代アメリカ合衆国国務長官(* 1845年)
1938年 - ハーベイ・ファイアストーン、実業家・ファイアストン社創業者(* 1868年)
1941年 - 杉山彦三郎、茶研究家(* 1857年)
1942年 - イヴァン・ビリビン、イラストレーター(* 1876年)
1942年 - ドランド・ピエトリ、陸上競技選手(* 1885年)
1942年 - フリッツ・トート、ナチス・ドイツ軍需相(* 1891年)
1950年 - 井上正夫、俳優(* 1881年)
1959年 - ギター・スリム、ギタリスト、シンガー(* 1926年)
1959年 - ナップ・ラジョイ、メジャーリーグベースボール選手(* 1874年)
1960年 - イーゴリ・クルチャトフ、物理学者(* 1903年)
1972年 - ウォルター・ラング、映画監督(* 1896年)
1975年 - 香山滋、小説家(* 1904年)
1977年 - 牛原陽一、映画監督(* 1924年)
1979年 - ヨーゼフ・メンゲレ、ナチス親衛隊軍医(* 1911年)
1983年 - 武井武雄、童画家(* 1894年)
1986年 - ミノル・ヤマサキ、建築家(* 1912年)
1986年 - 藤井勇、プロ野球選手・監督(* 1916年)
1987年 - 小山敬三、画家(* 1897年)
1987年 - 住宅顕信、俳人(* 1961年)
1988年 - リン・カーター、ファンタジー・SF作家(* 1930年)
1991年 - オットー・フリードリッヒ・ボルノウ、教育学者・哲学者(* 1903年)
1991年 - 春風亭柳朝、落語家(* 1929年)
1992年 - バズ・ソイヤー、プロレスラー(* 1959年)
1994年 - ヴィトルト・ルトスワフスキ、作曲家(* 1913年)
1997年 - ダニイル・シャフラン、チェロ奏者(* 1923年)
1999年 - フセイン1世、ヨルダン王(* 1935年)
2000年 - シッド・エイベル、アイスホッケー選手(* 1918年)
2000年 - 新山志保、声優(* 1970年)
2002年 - 原健策、俳優(* 1905年)
2002年 - 田部文一郎、実業家(* 1907年)
2006年 - 富樫洋一、サッカージャーナリスト(* 1951年)
2007年 - アラン・マクダイアミッド、化学者(* 1927年)
2007年 - 星山博之、脚本家(* 1944年)
2008年 - 川村二郎、ドイツ文学者(* 1928年)

記念日・年中行事

北方領土の日(日本)
安政元年12月21日(新暦に直すと1855年2月7日)に
日露和親条約が結ばれ、北方領土が日本の領土として認められたことに由来。
北方領土返還運動を盛り上げる為に1981年政府が制定。

長野の日/オリンピックメモリアルデー
1998年(平成10年)2月7日に長野冬季オリンピックの開会式が行われたことに由来。

福井県ふるさとの日(福井県)
1881年、石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して福井県が設置されたことに由来し、
福井県が1982年に制定。

興師会(日蓮正宗)
日蓮正宗の開祖・日興上人の祥月命日にあたり
報恩の法要が総本山大石寺をはじめ、日蓮正宗の全ての寺院で営まれる。
日興上人は芹を好んで食べたので、本尊に芹を供える。