都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成22年3月4日(木曜日)

東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年3月4日(木曜日)

「春」です。

「春」の「3月」

になりました。

まばゆいほどに。

ことばでは。

いいつくせないほどの。

まぶしくて。

すがすがしくやさしい。

「春」「3月」の。

黄金(こがね)のように透明な。

朝のつよい陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「3月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる山焼き。

何かが「かおる」。

しずかなひざしです。

「春」のあさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしくしずかです。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

輝く優しき

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

かかやくやさしき

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「3月」。

「春」がふうせんのように。

ふくらみそしてみのり。

ひろがりゆく季節。

「3月」です。

季節のまつりは季節におわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

季節の花が咲き。

野草は「葉草」となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

はれてみどりの山水の風情です。

くさみどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「春」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「春」の小川。

「どんどん」ながれる。

はるのおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたいような不思議さ。

ずっと流れを追いかけて。

海原までたどれるのだろうか。

海原のもっとさきまで。

たどりつけるのだろうか。

たどりつけるのであれば。

いってみたいものです。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。
「1月」がおわれば「2月」
そして「春」の「3月」。

「はる」の「3月」です。

「陽」はすでに

日々にながくなりつつあります。

「春」がきて。

さらにも。

「春のかおりつたえる道」を。

てらす「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

「春」の「3月」です。

「春」の「3月」の。

陽は日々たかくなっています。

夕暮れ時の夜にゆらぐ。

明るい家々のゆふべの灯火(ともしび)。

あたたかいぬくもり。

しあわせのだんらんのひかり。

春に燃えてゆらぐともしび。

しあわせいろの春のともしび。

むかしはともしび時には。

豆腐屋さんのラッパや。

はるのよなきそばの

ラッパも聞こえました。

朝陽ののぼるのがはやくなりました。

夕陽がおりるのはおそくなりました。

朝の「春」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

明るい春の夜の空になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 ひばりを崇拝するイギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「ふゆ」から「春」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

昨年。
「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月11月もおわり」ました。
「11月」もおわりました。
「12月」になりました。
いきつくひまなく。
「新年」。
「初春」の「1月」「2月」もおわり。
「3月」です。

「季節」から「季節」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

そして「年」をこします・

「春」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「あらたな季節」にむかって

あるいて行くようです。

だから。

「新しい季節」をまつのであれば。

「新しい季節」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「季節」をまつのであれば。

すぎさる「季節」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

「かぜのおと」がかわり。

「春」はなにかが生まれるようにおとずれます。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「春」ですね。

「季節」はゆっくりとあるいてやってくる。

「季節」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

ゆく先々を「来年」とすれば。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」にも。

「わらう」という。

「鬼」のような「怪物」は。

存在するのでしょうか。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「はる」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「クリームいろの月」でした。

06:30amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「はる」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「はる」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきこと。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」「11月」はおわり。
「12月」「1月」「2月」がすぎされば。

今は「3月」。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「春の花・花々」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「きせつ」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「はるかぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「きせつ」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の

「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「冬」によろこび。

「冬」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

去り過ぎた「「秋」そして「冬」。

「春」の女神「佐保姫(さほひめ)」が

微笑んでいます。

春が来ました。

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは暗くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「きせつ」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬から春」の「かぜおと」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

秋が過ぎて。ふゆがすぎて。

今はふたたび「春」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
江戸幕府が
東海道・東山道・北陸道に一里塚を設置
した日です。

一里塚(いちりづか)は「旅人の休息地」であるとともに
距離の「道路標識」でもありました。
よって。

室町時代の一休
(或いは一休に近しい遊女・地獄太夫)が。
「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」
と詠んだ歌は「距離=のこされた距離」
を「一里塚」と詠んだうたです。

1604年(慶長9年2月4日) -
江戸幕府が東海道・東山道・北陸道に一里塚を設置
した日です。

++++++++++++++++++++++

一里塚(いちりづか)とは、
大きな道路の側に
1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)です。

元々は中国起源のものなのです。

中国では。
塚の側に槐の木を植えたり標識を立てたりしていました。

ただし当時の中国での1里は約500mでありました。

++++++++++++++++++++++

日本では、平安時代末期に。

奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが
最初と言われています。

室町時代の一休
(或いは一休に近しい遊女・地獄太夫)が。
「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」
との歌を詠んでいます。

++++++++++++++++++++++

けれども
一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代です。

慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、
江戸幕府は日本橋を起点として全国の街道に
一里塚を設置するよう指令を出しました。

一里塚の設置は、大久保長安の指揮の元に行われました。
一里塚は。
10年ほどで完了致しました。

一里塚には榎(えのき)などの木が植えられ、
木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていました。

++++++++++++++++++++++

また現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在する
ものが多いのですが。
元来は一里塚は。
街道の両側に対で設置されるのが本来の姿です。

一里塚の樹種
一般的に榎を植えた一里塚が多いです。
19世紀末の天保年間の調査による「宿村大概帳」によると、
榎が一番多く、過半数を占めます。

次に松が4分の1強、ついで杉が1割弱です。

他の
栗、桜、檜、樫は数本程度しか植えられていません。

++++++++++++++++++++++

山本クリニック脳神経外科世田谷のまん前には
甲州街道があり山本クリニック脳神経外科世田谷は
甲州街道に面しています。

甲州街道の一里塚一覧(こうしゅうかいどうのいちりづかいちらん)
をまとめてみました。

甲州街道に設置された一里塚を一覧形式でまとめたものです。

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江戸からの里程 塚の通称 (位置)

1里 - 隼町(東京都千代田区隼町1付近) 江戸中期にはすでになかった。当初からなかった可能性もある
2里 - 追分(東京都新宿区新宿三丁目1付近)
3里 - 笹塚(東京都渋谷区笹塚二丁目12付近)
4里 - 下高井戸、上北沢(東京都杉並区下高井戸一丁目41付近)
5里 - 仙川(東京都調布市仙川町三丁目2)
6里 - 小島(東京都調布市小島町一丁目17)
7里 - 常久(東京都府中市清水ヶ丘三丁目15) 府中市史跡
8里 - 本宿(東京都府中市日新町一丁目10 NEC府中事業場内) 府中市史跡
9里 - 万願寺(東京都日野市万願寺二丁目38-5) 日野市史跡
10里 - 日野台(東京都日野市日野台四丁目4付近)
11里 - 竹の鼻(東京都八王子市新町5)
12里 - 散田村新地(東京都八王子市並木町付近)
13里 - 駒木野(東京都八王子市裏高尾町付近)
14里 - 小仏峠?(東京都八王子市裏高尾町付近?)
15里 - 与瀬(神奈川県相模原市相模湖町与瀬)
16里 - 藤野(神奈川県相模原市藤野町小渕付近?)
17里 - 塚場(山梨県上野原市上野原1013) 上野原市史跡
18里 - 大椚(山梨県上野原市大椚199) 上野原市史跡
19里 - 荻野(山梨県上野原市野田尻1028) 上野原市史跡
20里 - 恋塚(山梨県上野原市犬目1353-8) 山梨県史跡
21里 - 上鳥沢(山梨県大月市富浜町鳥沢付近)
22里 - 殿上(山梨県大月市猿橋町殿上付近)
23里 - 下花咲(山梨県大月市大月町花咲1652付近) 大月市史跡
24里 - なし?(山梨県大月市初狩町下初狩付近?)
25里 - 白野(山梨県大月市笹子町白野付近)
26里 - 黒野田(山梨県大月市笹子町黒野田付近)
27里 - 笹子峠、矢立(山梨県大月市笹子町黒野田付近)
28里 - 日影(山梨県甲州市大和町日影付近)
29里 - 横吹(山梨県甲州市大和町鶴瀬付近)
30里? -
31里? -
32里? - 南田中(山梨県笛吹市一宮町田中付近)
33里? -
34里? -
35里? - 板垣(山梨県甲府市善光寺一丁目付近)
36里? -
37里? -
38里? - 志田(山梨県甲斐市志田付近)
39里? - 韮崎(山梨県韮崎市付近?)
40里? - 祖母石(山梨県韮崎市祖母石付近?)
41里? -
42里? - 六里、武川(山梨県北杜市武川町牧原付近)
43里? - 七里、三吹(山梨県北杜市武川町三吹付近)
43里10町 - 台ヶ原(山梨県北杜市白州町台ヶ原)
44里? -
45里? -
46里 - 平岡(長野県諏訪郡富士見町落合平岡付近)
47里 - 重修、塚平(長野県諏訪郡富士見町富士見塚平付近)
48里 - 御射山神戸(長野県諏訪郡富士見町富士見神戸) 富士見町史跡
49里 - 大池(長野県茅野市金沢大池付近)
50里 - 茅野(長野県茅野市宮川付近)
51里 - 四賀神戸(長野県諏訪市四賀神戸付近)
52里 - 片羽(長野県諏訪市諏訪一丁目付近)
53里 - 富部(長野県諏訪郡下諏訪町五官付近)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%B7%9E%E8%A1%97%E9%81%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7
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一里塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A

一里塚(いちりづか)とは、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)である。

元々は中国起源のもので、塚の側に槐の木を植えたり標識を立てたりしていた。ただし、当時の中国での1里は約500mであった。

日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。室町時代の一休(或いは一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。

一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、江戸幕府は日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令を出した。一里塚の設置は、大久保長安の指揮の元に行われ、10年ほどで完了した。一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在するが街道の両側に対で設置されるのが本来の姿である。

一里塚の樹種
一般的に榎を植えた一里塚が多いが、19世紀末の天保年間の調査による「宿村大概帳」によると、榎が一番多く、過半数を占める。次に松が4分の1強、ついで杉が1割弱で他の栗、桜、檜、樫は数本程度しか植えられていない。

五街道の一里塚一覧
東海道の一里塚一覧(姫街道を含む)
中山道の一里塚一覧
甲州街道の一里塚一覧
日光街道の一里塚一覧
奥州街道の一里塚一覧
関連項目 [編集]

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3月4日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%884%E6%97%A5

できごと
1167年(仁安2年2月11日) - 平清盛が太政大臣に就任する。
1474年(文明6年2月16日) - 一休宗純が大徳寺の住持に就任する。
1604年(慶長9年2月4日) - 江戸幕府が東海道・東山道・北陸道に一里塚を設置する。
1657年(明暦3年1月18日) - 明暦の大火が記録上鎮火する。
1791年 - バーモント州がアメリカ合衆国に加入。14番目の州になる。
1798年(寛政9年1月17日) - 湯島聖堂を「昌平坂学問所」と改称し、同時に幕府の直轄とする。
1899年 - 著作権法公布。
1966年 - 東京国際空港でカナダ太平洋航空のDC-8が着陸に失敗し、墜落(カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故)。64名死亡。
1967年 - 高見山が外国人初の関取に。
1993年 - 大阪市営地下鉄堺筋線・動物園前 - 天下茶屋が延伸開業。
1999年 - バンダイがワンダースワンを発売。
2000年 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが家庭用ゲーム機プレイステーション2を日本国内で発売。
2002年 - アンセット・オーストラリア航空が運行を停止。
2004年 - 読売ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督が脳梗塞で倒れる。
2006年 - 駒大苫小牧が野球部OBの飲酒・喫煙問題で春のセンバツ出場を辞退。

誕生日
1394年 - エンリケ航海王子、ポルトガルの王族(+ 1460年)
1533年(天文2年2月9日)- 島津義久、薩摩国の戦国大名(+ 1611年)
1561年(永禄4年2月19日)- 井伊直政、戦国武将、徳川四天王近江彦根藩初代藩主(+ 1602年)
1678年 - アントニオ・ヴィヴァルディ、作曲家(+ 1741年)
1782年 - ヨハン・ルドルフ・ウィース、編集者(+ 1830年)
1793年(寛政5年1月22日) - 大塩平八郎、儒学者、大坂町奉行所与力(+ 1837年)
1817年 - エドワーズ・ピアポント、第33代アメリカ合衆国司法長官(+ 1892年)
1878年 - 有島武郎、小説家(+ 1923年)
1880年 - 松岡洋右、外交官、外務大臣(+ 1946年)
1890年 - ノーマン・ベチューン、医師(+ 1939年)
1891年 - ホゼ・アコスタ、元メジャーリーガー(+ 1977年)
1904年 - ジョージ・ガモフ、理論物理学者(+ 1968年)
1920年 - 荒金天倫、僧侶(+1990年)
1922年 - 古川清蔵、プロ野球選手
1925年 - ポール・モーリア、作曲家(+2006年)
1928年 - 黒田義之、映画監督
1931年 - 天知茂、俳優・歌手(+ 1985年)
1934年 - 森岡賢一郎、作曲家
1935年 - ベント・ラーセン、チェスプレーヤー
1936年 - ジム・クラーク、レーシングドライバー(+ 1968年)
1941年 - ユーリ・シモノフ、指揮者
1943年 - 立花照人、プロ野球選手
1944年 - 三田一郎、素粒子物理学者
1945年 - 村井邦彦、作曲家
1946年 - 桜井浩子、女優
1946年 - 中条きよし、俳優・歌手
1948年 - レロン・リー、プロ野球選手
1948年 - ジェイムズ・エルロイ、小説家
1951年 - 山本リンダ、歌手
1951年 - サム・パラーゾ、プロ野球選手
1953年 - ジェームス・スミス、プロボクサー
1953年 - 魔夜峰央、漫画家
1955年 - 市川猿十郎、俳優
1955年 - 佐野史郎、俳優
1959年 - 山田貴敏、漫画家
1959年 - マイク・ブラウン、メジャーリーガー
1961年 - 浅野温子、女優
1961年 - 金子柱憲、プロゴルファー
1963年 - 坪倉唯子、歌手、ツアーアシスタントミュージシャン
1963年 - 野島伸司、脚本家
1964年 - MORRIE、歌手
1965年 - 小谷真生子、キャスター
1966年 - シャーリーン・ウォン、フィギュアスケート選手
1967年 - ふじいあきら、マジシャン
1968年 - ジョバンニ・カラーラ、プロ野球選手
1969年 - 白井康勝、プロ野球選手
1970年 - アレックス・クリビーレ、オートバイレーサー
1970年 - 河本忍、俳優
1971年 - 本山哲、レーシングドライバー
1971年 - ネリオ・ロドリゲス、プロ野球選手
1972年 - ヨス・フェルスタッペン、レーシングドライバー
1973年 - 緒方かな子、タレント
1974年 - 安井順平、お笑い芸人
1974年 - アリエル・オルテガ、サッカー選手
1976年 - ヒラム・ボカチカ、プロ野球選手
1977年 - 星野卓也、お笑い芸人
1977年 - 今野忠成、騎手
1979年 - ヴィアチェスラフ・マラフェエフ、サッカー選手
1980年 - 蛇澤敦、野球選手
1981年 - 酒井順也、野球選手
1983年 - サミュエル・コンテスティ、フィギュアスケート選手
1985年 - KONAN、グラビアアイドル
1987年 - 木村朱美、ファッションモデル
1987年 - 青島あきな、グラビアアイドル
1988年 - 細田よしひこ、俳優
1988年 - 未来(みくる)、グラビアアイドル
1990年 - 蓮沼藍、子役
1991年 - 中村蒼、俳優
生年不詳 - 桑田乃梨子、漫画家
生年不詳 - みなみ、ミュージジャン(ホイフェスタ)
生年不詳 - こやまひろかず(イラストレーター、ゲームクリエーター)
生年不詳 - アキラ、ストリッパー

忌日
1160年(永暦元年1月25日)- 源義平、平安時代の武将(* 1141年)
1172年 - イシュトヴァーン3世、ハンガリー王(* 1147年)
1184年(元暦元年1月20日) - 源義仲、平安時代末期の武将(* 1154年)
1193年 - サラーフッディーン、アイユーブ朝創始者(* 1137年または1138年)
1303年 - ダニール・アレクサンドロヴィチ、モスクワ公(* 1261年)
1576年(天正4年2月4日)- 畠山義隆、能登国の戦国大名(* 1556年?)
1615年 - ハンス・フォン・アーヘン、画家(* 1552年)
1701年(元禄14年1月25日) - 契沖、国学者、僧侶(* 1640年)
1710年 - ルイ3世、コンデ公(* 1668年)
1805年 - ジャン=バティスト・グルーズ、画家(* 1725年)
1832年 - ジャン=フランソワ・シャンポリオン、考古学者(* 1790年)
1852年 - ニコライ・ゴーゴリ、小説家(* 1809年)
1855年(安政2年1月16日)- 江川英龍、伊豆国韮山代官(* 1801年)
1858年 - マシュー・ペリー、軍人・日米和親条約を締結(* 1794年)
1883年 - アレクサンダー・スティーヴンズ、アメリカ連合国副大統領(* 1812年)
1893年 - 池田慶政、第8代岡山藩主(* 1823年)
1906年 - ジョン・マカリスター・スコフィールド、アメリカ陸軍総司令官(* 1831年)
1910年 - クヌート・オングストローム、物理学者(* 1857年)
1916年 - フランツ・マルク、画家(* 1880年)
1925年 - モーリッツ・モシュコフスキ、作曲家(* 1854年)
1925年 - モンテ・ウォード、メジャーリーグベースボール選手(* 1860年)
1935年 - 久邇邦久、日本の華族・陸軍軍人(* 1902年)
1944年 - ルイス・バカルター、ギャングスタ(* 1897年)
1948年 - アントナン・アルトー、俳優・作家(* 1896年)
1952年 - チャールズ・シェリントン、生理学者(* 1857年)
1960年 - レナード・ウォーレン、バリトン歌手(* 1911年)
1965年 - 有田八郎、政治家(* 1884年)
1976年 - ヴァルター・ショットキー、物理学者(* 1886年)
1977年 - ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク、ドイツ首相代行(* 1887年)
1979年 - 保利茂、政治家、第59代衆議院議長(* 1901年)
1980年 - ルーキー新一、コメディアン(* 1935年)
1982年 - 人生幸朗、漫才師(* 1907年)
1986年 - リチャード・マニュエル、ミュージシャン(ザ・バンド)(* 1943年)
1987年 - 北村西望、彫刻家(* 1884年)
1991年 - 石井順一、高校野球指導者(* 1899年)
1993年 - 岩本章、プロ野球選手(* 1921年)
1994年 - ジョン・キャンディ、俳優(* 1950年)
1997年 - ロバート・H・ディッケ、物理学者(* 1916年)
2001年 - 大和田明、プロ野球選手(* 1934年)
2002年 - 半村良、小説家(* 1933年)
2003年 - セバスチアン・ジャプリゾ、小説家(* 1931年)
2004年 - 中野弘彦、日本画家(* 1927年)
2008年 - レナード・ローゼンマン、作曲家(* 1924年)
2008年 - 小島朋之、政治学者(* 1943年)
2008年 - 柳原和子、ノンフィクション作家(* 1950年)

記念日・年中行事

雑誌の日
富士山マガジンサービスが2008年に制定。
ざっ (3) し (4) の語呂合わせから来ている。

ミシンの日
日本家庭用ミシン工業会が1990年に制定。ミ (3) シ (4) ンの語呂合わせから来ている。

サッシの日
吉田工業(現YKK AP株式会社)が制定。サッ (3) シ (4) の語呂合わせから来ている。

さんしんの日
琉球放送(現RBCiラジオ)パーソナリティ上原直彦が1993年に提唱、
現在に至る。沖縄楽器の三線=さん (3) しん (4) の語呂合わせから来ている。

酸蝕歯の日
グラクソ・スミスクラインの日本法人が制定。
さんしょく(3)し(4)の語呂合わせから来ている。