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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年3月10日(水曜日)

昨年

「3月」「4月」と「5月」の。

「春」はおわり。

「夏」「6月」そして「7月」「8月」

「9月」「10月」「11月」の「秋」

はおわり。

「12月」「1月」「2月」はおわり。

いま。「3月」になりました。

「はなのさく はる。 「春」です。

早朝たくさんの。

「はるかぜ」のかぜの舞う

かざおとがきこえます。

「季節風」の舞う音はとても大きい。

はるかに遠くまでとどきます。

大地や道路のうえを。

縦横無尽に闊歩(かっぽ)する。

ちからのある「はるかぜ」の風。

ハチャトリアンの。

「剣の舞」がきこえます。

「春」の。

「3月」

になりました。

「春」です。

「春」は。

だまって訪れて。

だまって季節の道中をあゆむもの

であることが

あらためて。

みにしみて。

感じられます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。

まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」です。

今は。「3月」。

あたらしい「春」です。

「3月」の「春」になりました。

「昨年」の晩秋には。
晩秋の花木。
「金木犀:きんもくせい」花を咲かせました。
日々ますます花をさかせていました。
「実りの花」。

「金木犀:きんもくせい」は「秋」に「2度」咲きました。
「銀木犀:きんもくせい」も咲きました。
「金木犀:きんもくせい」の花は黄金色です。
「銀木犀:きんもくせい」の花は「プラチナ色」です。

かおりも全く違います。
「金木犀:きんもくせい」より。
「銀木犀:きんもくせい」は10日遅れで咲きました。

「昨年」の晩秋には。

「銀木犀:きんもくせい」も

「銀木犀:きんもくせい」も

昨年のはるかかなたに。

「花」はおわりました。

そして。

「木犀:もくせい」は。

今「3月」の「春」を迎え。

さらなる深き。

「「春」のさかり」の先にむけて。

もっともっと。

ゆたかな「みのり」をまつ。

準備をしています。

「木犀:もくせい」は常緑樹です。

「春」になると。

「葉色」と「葉のあつさ」はかわります。

「「季節風」に耐える葉の厚さ」。

になります。

秋のみのりの花まで。

すこやかに育つ「葉」になります。

「春」の「3月」の。

「春の樹木花」の花がみえます。

「春の草花」の花もみえます。

「春」の花木の。

「春の花」が。

地面の上で。

「花びら」で存在を誇示しても。

木々の「花」は天上。

あおがねば。

「花」こそみえません。

けれども。

「春」の花。

その「いのちの芳香」は。

とくとくと。

遠くまで。

ただよっているかのごとくです。

「3月」の「春」です。

ラウスの妖精コロポックルのように。

地にひそみ。

「春の草花」は元気です。

元気な「3月の春」です。

「春の花」の木は

花が落ちて。

「木や枝の下」に。

「フェルマータ"fermata"」*

が。

楽譜のように記譜されているような。

「「春」の樹木」の「花」。

「落花生」のような。

「春の花」です。

-------------------------------
C・

イタリア語におけるフェルマータ"fermata"とは。
英語"stop"に相当する名詞です。
(例えばイタリアのバス停の
標識には"Fermata"の表示があります)。

音楽美学の世界では。

絵画には限られた面積があるのと同じように。
音楽には。
「限られた時間」—つまり「初め」と「終わり」—があることが
宿命とされています。
古い時代の楽譜のときはその終止線の上下や終結音の
上下に現在のフェルマータのマークの基となったデザインが
配されました。

そこで音楽の終わりを意味致しました。

時間の流れを止めることはできません。
けれども曲の終わりでは。
音楽を止めることによってその時空に終わりが
発生することとなります。
「停止」という意味の"fermata"の概念はそのように
発生したと解されます。

付与された音符や休符で音楽の時間の流れを
停止させる意味を持ちます。

「♪」
に付与されれば
「♪」
その音のまま「停止」=「ずっと鳴り続ける」
「休止符」
に付与されれば
「休止符」
その旋律は「停止」=「ずっと鳴らない」
ことになります。
楽譜の節目の
縦線に付与される場合には。
一記譜上に存在しない挿入された休符が空白時間として
求められます。

ただし
前の音から伸ばされたタイ(スラー)が。
縦線の上を横切っている場合と
そこにピアノにおけるペダルなどの
保続効果の指示が見られる場合は。
空白時間として処理されず音を保続させる時間を
別途挿入することとなります。

フェルマータ"fermata"。

そのマークは「一日の終わりである日没」
に由来したデザインとも言われています。
-------------------------------

「春」です。

のんびりと朝があけます。

とりわけ朝暗いうちは。

のんびりと朝はあけます。

はだにさむい朝です。

今朝早朝は。

暗いうち晴れて。

霧雨の合間に。

久方ぶりにたくさんのたくさんの。

星をみました。

そして天井の空高く。

ひさしぶりに「月」の

かがやきをみました。

地上の変化(へんげ)が天高くたちのぼり
月や星に結晶して。
芳香をはなつがごとく光をはなつように
見えます。

空気が澄み。
大気がすんでいるからでしょう。

「天高く」

(てんたかく)とは。

なるほどと考えます。

しっとりとした「3月」の。
「季節風」の。
「春吹雪:はるふぶき」の合唱も。
なかなかすてきです。

ブラスでもない。木管でもない。弦でもない。

スラーをかけた。
グラスハープの。
オーケストラを聴いているようです。

「3月」になり
「春吹雪:はるふぶき」のかぜおとは。
「アリア」になり。
次第に出番が多くなりました。

中でも
「極めて大きな声でうたっている」
「はる吹雪:はるふぶき」。

「ベル・カント」が。
「ひとりふたり」はいるのが不思議です。

「春の花」の木の上か。
電線にとまったり。
またさらに
上空で「春吹雪:はるふぶき」は。
歌っているようです。

うっすらと「まど」の隙間から。

「季節風」は。

焚き火のけむりのように。

はいりこもうとします。

「3月のはるかぜ」には。

「かおり」があります。

そぞろ そぞろに。
静かながらに。

「3月」の朝焼けと。
夕焼けどきに。

ひそやかながらもあきらかに。
「季節風」の。

気配にあと押しされて。

「確かな「3月の春」」のかおりが。
大気にかげろううや蜃気楼のように
ただよいはじめています。

昼間はさむい
陽射しを感じることが
多くなりました。

「3月」。

「春」です。

そして。

元気な「春」。

3月の「春」の気配は。
あっというまに。
「春」の「霞(かすみ)」に「霊気(れいき)」
のように。
おぼろに変化して。

次第に「ふかい「春」」の気配にうつろいていく。
「つるべ井戸」の「つるべ」があがるようです。

「もっと深い「春」」が。

ピアニッシモ。
ppで。
しのびよってきています。

朝日と東の朝焼け青空に。
「朝焼け」の。

空にはそらいろとピンクのレースのような

あやにしきの
「くれゆく季節のいろ」
「むかえくる季節のいろ」が感じられます。

陽射し(ひさし)やさしき。
空にも地にも天高くはれ。
大気のひそみかくれ。
そらにみちてあふれれば。
吐息(ためいき)となり。
吐息が霧雨か霞になり。
おりてくるような感じです。
のふかまりゆく気配
になりました。

街路樹はしっかりと
冬ながらも枝木の穂先もたわわにつよく
「晩冬」の萌黄色の若芽もち。
「初春」のあおい「木」にかわりました。
「新年」のあおい「木」は。

「実りの「春」」のおとづれを。
そしてさらなる「春の深まり」を超えて。

そして厳しい年月をがんばって。
「あたたかい「春」」を迎え。

今は。

「春」をむかえています。

「本物の「春」」。

「ふかい春」

四季の季節をのりこえ。

「あたらしい春」になりました。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
にも若葉はそだち。
若葉は冬の若枝となり。
若枝は天高くすこやかにのび。
空気のふかまりにますますすこやかに。
山椒(さんしょう)の木のみどり葉。
空に燃えるが如くの炎葉です

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる

深まりたり
空たかく
あやにしき
みどり木
さんしょう木
陽をあびてかがやけり
いざいまこそは
金色(かがね)にかわり
赤き空に燃えたたむ

さんしょう木
もえぎの炎(ほのほ)は芽葉(めは)
わかば葉はいずるは花ならむ
「季節風」こす枝は幹ならむ
いざいまこそは
空(そら)たかくもえたたむ
金色(こがねいろ)なる
さんしょう木
「季節風」深まれり

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

草を浮かべる水面(おも)に
めだかのむれのひかりたり
むれておよげるひめだかの
みずのなかなるちいさないのち
みずのなかなるおおほきないのち
みのりてあまたにとほときいのちこそ
いざみずもにうつしはぐくまむ

けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。

小さなはるつけたから
しだいに大きなじゃるみつけた。

大きなはるみつけたから
さらに大きな大きなはるみつけた

「小さい「はる」みつけた」は。

「こころしずまる気」

がいたします。

「春」になりました。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(水曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた診療スタッフで。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
限られた診療スタッフで。
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

武器をもたないものと争わぬ[合衆国(USA)」の
戦史のなかでも「例外的な戦略」の。

日本家屋が「材木でできている」ことを
考えてB29の高空爆撃の代わりに。
B29超低空飛行で
「焼夷弾:しょういだん」で「やきはらう」。

空襲のなかでも「最大の被害」をだした。

1945年 - 太平洋戦争:東京大空襲
の日です。

火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、
秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れました。

++++++++++++++++++++++

東京東京大空襲
(とうきょうだいくうしゅう、
英語:Bombing of Tokyo in World War II)は。

第二次世界大戦中にアメリカ軍により行われた
東京に対する「焼夷弾」を用いた
一連の計画的かつ大規模な戦略爆撃の総称です。

東京は、1944年11月14日以降に
106回の空爆を受けました。

特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月25日
に大規模な空襲を受けました。

通常「東京大空襲」と言った場合、
とりわけて
特に規模が大きかった
1945年3月10日に行われた空襲を指すことが多いです。

太平洋戦争(大東亜戦争)中に行われた空襲の中でも、
とりわけ民間人を「対象事象」にに被害を与えた空爆であり。

武器をもたないものと争わぬ[合衆国(USA)」の
戦史のなかでも「例外的な戦略」であるのです。

++++++++++++++++++++++

空襲の経緯
1945年3月9日以前の空襲

空襲を行ったB-29戦略爆撃機1942年4月18日に
アメリカ軍によるドーリットル空襲が行われました。

東京にも初の空襲がありました。
1944年7月、サイパン島などマリアナ群島をアメリカ軍が制圧し。
ここが日本本土空襲の基地となりました。

同年11月24日、軍需工場である
北多摩郡武蔵野町(現在の武蔵野市)の中島飛行機工場に
対する初の戦略爆撃による空襲が行われました。

それ以降、空襲が続き、
1945年1月27日には有楽町・銀座地区が標的になり、
有楽町駅は民間人の死体であふれました。

[合衆国(USA)」の
この頃の爆撃はレーダー照準を用いた
高度精密爆撃であったのですが。

爆撃失敗も多かったため、
後に夜間低空爆撃へと変化していきました。

++++++++++++++++++++++

3月10日の空襲

3月10日の大空襲は、日本(当時は大日本帝国)の
中小企業が軍需産業の生産拠点となっていると理由付けして。

町工場も混ざる木造建築ばかりの下町の市街地、
生活する市民そのものを焼き払うという
低高度夜間焼夷弾攻撃でした。

アメリカ軍の参加部隊は
第73、第313、第314の三個航空団が投入されました。

1945年3月9日夜、アメリカ軍編隊が首都圏上空に飛来。
22時30分(日本時間)、
ラジオ放送を中断して警戒警報が発令されました。

同編隊は房総半島沖に退去して行ったため、
警戒警報は解除されました。

ここで軍民双方に大きな油断が生じました。

その隙を突いて、
3月9日から3月10日に日付が変わった直後(0時7分)に
爆撃が開始されました。

B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は。
0時7分に深川地区へ初弾が投下されました。
その後、城東地区にも攻撃が開始されました。

0時20分には浅草地区や芝地区(現・港区)でも
爆撃が開始されています。

火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、
秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れました。

++++++++++++++++++++++

アメリカ軍が3月10日に東京大空襲を実施した理由は。
3月10日が
日本の陸軍記念日である事に因んでいるという説が有力です。

但し、アメリカ側の資料では陸軍記念日を
意識していたことは確認できていません。

東京大空襲でB-29は日本の貧弱な防空能力を見越して。

多くの爆弾投下機から殆どの機銃と弾薬を降ろして
通常の約2倍、6tの高性能焼夷弾を搭載していました。

投下された爆弾の種類は、
この作戦で威力を発揮した集束焼夷弾E46(M69)を中心とする
油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾などです。

++++++++++++++++++++++

有名なのはゼリー状のガソリンを
長さ約50cmの筒状の容器に詰めた
ナパーム弾です。

この形は日本家屋の瓦屋根を打ち貫いて家の中に入り
中身を散布するためでした。

縦にまっすぐ落ちるよう空中で体勢を制御するために
吹流しのようなものを付けています。

そしてこれらをまとめて一つの束にし、
「束ねる」という意味を込めて
「クラスター焼夷弾」と呼びました。

投下後空中で散弾のように分散するものです。
この空襲での爆弾の制御投下弾量は
38万1300発、1783tにのぼりましたた。

午前2時37分、アメリカ軍機は退去し、
空襲警報は解除されました。

++++++++++++++++++++++

当夜は強い冬型の気圧配置により
強い北西の季節風が吹いており。
この強風が以下の条件と重なり、大きな被害をもたらしました。

もともと精度の悪い
警戒用レーダーのアンテナを風が揺らしたため
ますます精度が悪化していました。

これにより、確実な編隊の捕捉と敵の企図の把握が出来ず
空襲警報の発令が極端に遅れました
(発令されたのは初弾投下8分後の3月10日午前0時15分)。

また、敵機はウインドウを大量に散布するなど致しました。

++++++++++++++++++++++

「低空進入」と呼ばれる飛行法を
初めて大規模実戦導入しました。

まず、先行するパス・ファインダー機が超低空で
エレクトロン焼夷弾を投弾して閃光で攻撃区域を本隊に示し、

爆撃機編隊も通常よりも低空で侵入して。
発火点を包囲するかたちで集束焼夷弾E46を投弾しました。

着弾は高度爆撃よりはるかに精密になりました。

後続編隊は早い段階で大火災が発生したため、
非炎上地域に徐々に爆撃範囲を広げたが、
火災による強風で操縦が困難になりました。

焼夷弾を当初の投下予定地域ではない荒川
(当時は荒川放水路)周辺やその外側の
足立区や葛飾区、江戸川区の一部にまで広げました。

このため、火災範囲は更に拡がりました。
折からの北西の季節風(空っ風)が火勢を
煽り、延焼を拡げた。
これら複数の要因が重なり被害が拡大致しました。

++++++++++++++++++++++

この時使用された焼夷弾は日本家屋を標的にした物であり、
ドイツがロンドンを空襲した際に不発弾として
回収された物を参考に開発されました。

当時の平均的な構造とは違う作りをしていました。
通常、航空爆弾は瞬発または0.02〜0.05秒の
遅発信管を取り付けることで、
爆発のエネルギーを破壊力の主軸にしている。

しかしこれでは木材建築である日本家屋に対しては
オーバーキルとなる。

そこで爆発力ではなく、
燃焼力を主体とした「焼夷弾」が開発され、
これが木造を主とする日本家屋を直撃したのです。

当時、都内では関東大震災を教訓に、
燃えにくい素材で建物を補強するなどの対策がなされていたが、
屋根瓦を貫き建物の中から燃やす仕組みとなっている
新型焼夷弾E46の前では無力同然であったのです。

++++++++++++++++++++++

火災から逃れるために、
隅田川に架かる多くの橋や燃えないと思われていた
鉄筋コンクリート造の学校などに避難した人もいたが、
火災の規模が常識を遥かに超える規模であるため、
超巨大な火災旋風が至る所で発生致しました。

あらゆる場所に炎が火龍の如く流れ込み、
焼死する人や、炎に酸素を奪われ窒息(ちっそく)死する人も多かった。

また、川に逃げ込んだものの、
水温が低く凍死する人も多く、
翌朝の隅田川は凍死・溺死者で川面が溢れていました。

水を求めて隅田川から
都心や東京湾・江戸川方面へ追い詰められた犠牲者が多いのに対し、
逆に内陸部、日光街道・東武伊勢崎線沿いに
春日部・古河方面へ脱出した生存者が多かった。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

東京大空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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3月10日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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できごと
紀元前241年 - ローマがカルタゴの艦隊を破り、第一次ポエニ戦争が終結。
266年(泰始2年1月17日) - 司馬炎が曹奐から皇位を簒奪し、魏が滅亡する。
1016年(長和5年1月29日) - 三条天皇が譲位し、第68代天皇・後一条天皇が即位。藤原道長が摂政となる。
1559年(永禄2年2月2日) - 織田信長が上洛し足利義輝に謁見する。
1661年 - フランス国王ルイ14世、親政を宣言する。
1846年(弘化3年2月13日) - 孝明天皇が第121代天皇に即位。
1864年 - エイブラハム・リンカーン大統領、ユリシーズ・グラント将軍を北軍最高司令官に任命。
1876年 - グラハム・ベルが電話による会話に成功。第一声は「ワトソン君、ちょっとこっちに来てくれないか」
1902年 - ボーア戦争で、南アフリカのボーア人がイギリス軍に最終的に勝利し、将軍を捕らえる。
1905年 - 日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利。
1910年 - 箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)、梅田駅〜宝塚駅間と石橋駅〜箕面駅間が開業。
1912年 - 袁世凱が中華民国臨時大総統に就任。
1941年 - 日本で治安維持法改正、これにより予防拘禁が導入。
1945年 - 太平洋戦争:東京大空襲。
1945年 - 太平洋戦争: 第1回平空襲(東京大空襲で余った焼夷弾を落としていった)。
1948年 - 民主・社会・国民協同の連立による芦田内閣成立。
1959年 - チベット蜂起。
1960年 - 昭和天皇の五女清宮貴子内親王が島津久永と結婚。
1965年 - 気象庁が富士山山頂で気象レーダーを用いた観測を開始。
1974年 - ルバング島で小野田寛郎少尉を救出。
1975年 - 山陽新幹線の岡山駅〜博多駅間が開業。それに伴って大規模ダイヤ改正実施。
1997年 - フジテレビが東京都新宿区河田町から同港区台場へ移転し、本放送開始。
2001年 - 東京スタジアム(現・味の素スタジアム)開業。
2005年 - 島根県議会が、2月22日を「竹島の日」とする条例案を可決。
2006年 - 全日本空輸からボーイング747SR型機が、全機退役(最終便は鹿児島発羽田行のANA624便)。
2009年 - 1985年の阪神タイガース優勝時に道頓堀川に投棄されたカーネル・サンダース人形が24年ぶりに再発見される。

誕生日
1452年 - フェルナンド2世、アラゴン国王(+ 1516年)
1503年 - フェルディナント1世、神聖ローマ皇帝(+ 1564年)
1522年(大永2年2月13日) - 三好長慶、戦国大名(+ 1564年)
1628年 - マルチェロ・マルピーギ、医学者、解剖学者(+ 1694年)
1772年 - フリードリヒ・シュレーゲル、思想家、詩人、小説家(+ 1829年)
1776年 - ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ、プロイセン王妃(+ 1810年)
1788年 - ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、小説家、詩人(+ 1857年)
1844年 - パブロ・デ・サラサーテ、作曲家(+ 1908年)
1845年 - アレクサンドル3世、ロシア皇帝(+ 1894年)
1858年(安政5年1月25日) - 御木本幸吉、真珠養殖法を開発(+ 1954年)
1870年(明治3年2月9日) - 中馬庚、教育者(+ 1932年)
1885年 - タマーラ・カルサヴィナ、バレリーナ(+ 1978年)
1890年 - 中村岳陵、日本画家(+ 1969年)
1892年 - アルチュール・オネゲル、作曲家・フランス6人組の一人(+ 1955年)
1902年 - 久邇邦久、日本の華族・陸軍軍人(+ 1935年)
1903年 - ビックス・バイダーベック (w:Bix Beiderbecke)、ジャズコルネット奏者(+ 1931年)
1907年 - 石井桃子、児童文学作家(+ 2008年)
1912年 - ジークフリート・ボリス、ヴァイオリニスト(+ 1980年)
1915年 - チャールズ・グローヴズ、指揮者(+ 1992年)
1920年 - ボリス・ヴィアン、作家・詩人(+ 1959年)
1922年 - 山下清、画家(+ 1971年)
1923年 - ヘイダル・アリエフ、アゼルバイジャン大統領(+ 2003年)
1923年 - ヴァル・フィッチ、物理学者
1928年 - 渥美清、俳優(+ 1996年)
1928年 - ジェームズ・アール・レイ、キング牧師暗殺の実行犯(+ 1998年)
1928年 - 岡田善雄、生物学者(+ 2008年)
1934年 - 藤子不二雄A(安孫子素雄)、漫画家
1934年 - フー・ツォン、ピアニスト
1937年 - ピンヨー・スワンキリ、建築家
1938年 - 古今亭志ん朝(三代目)、落語家・俳優(+2001年)
1938年 - 月亭可朝、落語家・タレント
1940年 - 大空眞弓、女優
1940年 - 足立光宏、プロ野球選手
1941年 - 徳光和夫、フリーアナウンサー(戸籍上、実際は3月3日)
1943年 - 道上洋三、朝日放送エグゼクティブアナウンサー・ラジオパーソナリティ
1946年 - 高橋博士、プロ野球選手
1947年 - ツトム・ヤマシタ、打楽器奏者
1948年 - 岡村定矩、天文学者
1948年 - 大原和男、プロ野球選手
1949年 - 大門正明、俳優
1949年 - 三笠優子、演歌歌手
1956年 - 北村晴男、弁護士
1956年 - ランディ・ジョンソン、プロ野球選手
1957年 - ウサマ・ビンラディン、アルカーイダ指導者
1957年 - 鹿取義隆、プロ野球選手
1958年 - シャロン・ストーン、女優
1959年 - 桶谷顕、脚本家(+ 2007年)
1960年 - 熊谷真実、女優
1960年 - 向坂樹興、フジテレビアナウンサー
1961年 - マイク・バークベック、プロ野球選手
1962年 - 道蔦岳史、クイズ王・放送作家
1962年 - 松田聖子、歌手
1962年 - 本田恵子、漫画家
1962年 - 多田野曜平、俳優、声優
1963年 - 藤谷美和子、女優
1963年 - 坂口千仙、プロ野球選手
1966年 - 植草朋樹、テレビ東京アナウンサー
1967年 - 鈴木大地、競泳選手(ソウルオリンピック金メダリスト)、順天堂大学講師
1967年 - 亀山房代、お笑いタレント(+ 2009年)
1970年 - 鈴木平、プロ野球選手
1970年 - 中島久美子、フジテレビプロデューサー
1971年 - 博多大吉、お笑いタレント
1971年 - つぶやきシロー、お笑いタレント
1971年 - 藤崎竜、漫画家
1972年 - 藤井隆、お笑いタレント
1972年 - ロブ・スタニファー、プロ野球選手
1973年 - 坪田敦史、ジャーナリスト
1973年 - エヴァ・ハーツィゴヴァ、スーパーモデル、女優
1974年 - 小林敦、バレーボール選手
1974年 - 池田東陽、アニメプロデューサー
1975年 - 逸見愛、タレント
1975年 - 山田花子、お笑いタレント
1976年 - 相橋愛子、声優
1978年 - 内田滋、俳優
1979年 - 魔裟斗、キックボクサー
1980年 - 広瀬仁美、女優
1981年 - サミュエル・エトオ、サッカー選手、カメルーン
1981年 - 黒海太、大相撲力士
1981年 - 杉浦太陽、俳優
1982年 - 大坂孝之介、ミュージシャン・作曲家
1982年 - 高橋光臣、俳優
1982年 - 小山田真、ハリウッド俳優
1982年 - ダニイル・バランツェフ、フィギュアスケート選手
1983年 - ソニン、歌手
1983年 - キャリー・アンダーウッド、歌手
1984年 - 川奈栞、グラビアアイドル
1984年 - 桃瀬ツカサ、タレント
1986年 - 野田李沙、ファッションモデル
1988年 - 織田菜月、アイドル
1988年 - イヴァン・ラキティッチ、サッカー選手
1989年 - 冨田真央、ジャニーズJr.
1989年 - ダヤン・ビシエド、野球選手
1990年 - ビワハヤヒデ、競走馬
1992年 - エミリー・オスメント、女優、歌手

忌日
483年 - シンプリキウス、第47代ローマ教皇
1792年 - ビュート伯ジョン・スチュアート、イギリス首相(* 1713年)
1823年 - ジョージ・エルフィンストーン、イギリス海軍の提督(* 1746年)
1826年 - ジョアン6世、ポルトガル王(* 1767年)
1832年 - ムツィオ・クレメンティ、作曲家(* 1752年)
1847年 - チャールズ・ハチェット、化学者(* 1765年)
1855年 - カルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボーン、スペインの王位請求者(* 1788年)
1861年 - タラス・シェフチェンコ、詩人(* 1814年)
1864年 - マクシミリアン2世、バイエルン王(* 1811年)
1870年 - イグナーツ・モシェレス、作曲家(* 1794年)
1872年 - ジュゼッペ・マッツィーニ、革命家(* 1805年)
1887年 - 井上井月、俳人(* 1822年?)
1898年 - グイド・フルベッキ、キリスト教宣教師(* 1830年)
1903年 - ソフィー・アンダーソン、画家(* 1823年)
1910年 - カルル・ライネッケ、作曲家・指揮者(* 1824年)
1910年 - カール・ルエーガー、ウィーン市長(* 1844年)
1916年 - ウォルター・S・サットン、生物学者・医学者(* 1877年)
1918年 - ジム・マコーミック、メジャーリーグベースボール選手(* 1856年)
1920年 - 岩谷松平、実業家(* 1850年?)
1925年 - マイヤー・プリンスタイン、陸上競技選手(* 1878年)
1930年 - 金子みすゞ、童謡詩人(* 1903年)
1934年 - 武藤山治、実業家(* 1867年)
1937年 - エヴゲーニイ・ザミャーチン、小説家(* 1884年)
1939年 - 山本懸蔵、労働運動家・戦前期の日本共産党党員(* 1895年)
1945年 - 河井?廬、篆刻家(* 1871年)
1945年 - 古屋慶隆、政治家(* 1879年)
1945年 - 太田仲三郎、実業家(* 1887年)
1945年 - 琴ヶ浦善治郎、大相撲の力士(* 1890年)
1945年 - 吉村操、映画監督(* 1905年)
1945年 - 豊嶌雅男、大相撲の力士・関脇(* 1919年)
1945年 - 枩浦潟達也、大相撲の力士・小結(* 1915年)
1948年 - エヴゲニー・スルツキー、経済学者(* 1880年)
1948年 - ヤン・マサリク、チェコスロヴァキア外相(* 1886年)
1951年 - 幣原喜重郎、日本の第44代内閣総理大臣、第40代衆議院議長(* 1872年)
1953年 - 峠三吉、詩人(* 1917年)
1960年 - 石黒忠篤、政治家(* 1884年)
1960年 - 瑛九、画家・版画家・写真家(* 1911年)
1963年 - 清元榮寿郎、清元節三味線方(* 1904年)
1969年 - ジミー・ワイルド、プロボクサー(* 1892年)
1971年 - 土井虎賀寿、哲学者(* 1902年)
1978年 - 長谷川才次、時事通信社初代代表取締役(* 1903年)
1982年 - 代田稔、医学博士、ヤクルト開発者(* 1899年)
1992年 - 赤羽根藤一郎、版画家(* 1922年)
1985年 - イスラエル・リガルディ、魔術師(* 1907年)
1985年 - コンスタンティン・チェルネンコ、ソ連共産党書記長(* 1911年)
1985年 - ボブ・ニーマン、プロ野球選手(* 1927年)
1995年 - 相沢治夫、俳優(* 1923年)
1997年 - 萬屋錦之介、俳優(* 1932年)
1998年 - ロイド・ブリッジス、俳優(* 1913年)
1998年 - 剣晃敏志、大相撲の力士(* 1967年)
2005年 - 照屋林助、音楽家(* 1929年)
2005年 - 星ルイス、漫才師(* 1947年)
2005年 - 赤羽根義章、国語学者(* 1958年)
2005年 - ケント・ハドリ、プロ野球選手(* 1934年)
2006年 - アンナ・モッフォ、ソプラノ歌手
2007年 - 時実新子、川柳作家(* 1929年)

記念日・年中行事

陸軍記念日(日本、1906年 - 1945年)

東京都平和の日(東京大空襲記念日、日本)

水戸の日(日本)

ミントの日(日本)

佐渡の日

砂糖の日

横浜三塔の日

チベット民族蜂起の日