東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年3月25日(木曜日)

「春」です。

「春」の「3月」

になりました。

まばゆいほどに。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

すがすがしくやさしい。

「春」「3月」の。

黄金(こがね)のように尊い(とおとい)

透明な。

つよい朝の陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「3月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる季節の山焼き。

大気が「かおる」。

しずかなひざしです。

「春」のあさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしくちから強くしずかです。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

輝く優しき

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

かかやくやさしき

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「3月」。

「春」がふうせんのように。

ふくらみそしてみのり。

ひろがりゆく季節。

「3月」です。

季節のまつりが季節におわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

季節の花が咲き。

野草は「葉草」となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

はれて季節山水の風情です。

くさみどり葉のつつじが。

さえほこっています。

「春」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「季節」の小川。

「どんどん」ながれる。

季節のおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたいような不思議さ。

ずっと流れを追いかけて。

海原までたどれるのだろうか。

海原のもっとさきまで。

たどりつけるのだろうか。

たどりつけるのであれば。

いってみたいものです。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。
「1月」がおわれば「2月」
そして「春」の「3月」。

「はる」の「3月」です。

「陽」はすでに

日々にながくなりつつあります。

「春」がきて。

さらにも。

「春のかおりつたえる大地」を。

てらす「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

「春」の「3月」です。

「春」の「3月」の。

陽は日々たかくなっています。

夕暮れ時の夜にゆらぐ。

明るい家々のゆふべの灯火(ともしび)。

あたたかいぬくもり。

しあわせのだんらんのひかり。

春に燃えてゆらぐともしび。

しあわせいろの春のともしび。

むかしは団欒のともしび時には。

豆腐屋さんのラッパや。

季節のよるはよなきそばの

らっぱも聞こえました。

朝陽ののぼるのがはやくなりました。

夕陽がおりるのはおそくなりました。

朝の「春」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

明るい春の夜の空になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 ひばりを崇拝するイギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「ふゆ」から「春」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

昨年。
「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月11月もおわり」ました。
「11月」もおわりました。
「12月」になりました。
いきつくひまなく。
「新年」。
「初春」の「1月」「2月」もおわり。
「3月」です。

「季節」から「季節」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

そして「年」をこします・

「春」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「あらたな季節」にむかって

あるいて行くようです。

だから。

「新しい季節」をまつのであれば。

「新しい季節」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「季節」をまつのであれば。

すぎさる「季節」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

「かぜのおと」がかわり。

「季節」はなにかが生まれるようにおとずれます。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「春」ですね。

「季節」はゆっくりとあるいてやってくる。

「季節」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

ゆく先々を「来年」とすれば。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」にも。

「わらう」。

「鬼」のような「怪物」は。

存在するのでしょうか。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「はる」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「クリームいろの月」でした。

06:30amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「はる」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「はる」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」「11月」はおわり。
「12月」「1月」「2月」がすぎされば。

今は「3月」。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「春の花・花々」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「きせつ」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「はるかぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「きせつ」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の

「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「冬」によろこび。

「冬」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

去り過ぎた「「秋」そして「冬」。

「春」の女神「佐保姫(さほひめ)」が

微笑んでいます。

春が来ました。

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは暗くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「きせつ」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬から春」の「かぜおと」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

秋が過ぎて。ふゆがすぎて。

今はふたたび「春」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
「民族音楽技法」の作曲家で有名な
1881年 - バルトーク・ベーラ、作曲家(+ 1945年)
の生誕日です。

(彼の理論については
様々な音楽学者たちが研究を行っています。

ハンガリーの音楽学者レンドヴァイ・エルネーは、
バルトークは5度圏の和声を基にして、
それを拡張することで12半音階を等質に扱う
「中心軸システム」
(ジャズの「コルトレーン・チェンジズ」
と背景の理論はほとんど同じである)や。

作品の構成(楽式)から和音の構成に至るまで
黄金分割を基礎に置き、
そのためにフィボナッチ数列を活用したとの
論文を発表しています。)

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janos,
1881年3月25日 - 1945年9月26日)は。

ハンガリー領トランシルヴァニア(正確にはバナート)の
ナジセントミクローシュに生まれました。

晩年はニューヨークで没したクラシック音楽の
作曲家であり
ピアノ演奏家、民俗音楽研究家です。

作曲以外にも、
学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として。

東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、
アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの
精力的な活動を行いました。

またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン
(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から
教えを受けました。

ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、
コンサートピアニストやピアノ教師として活動致しました。

ドメニコ・スカルラッティ、J・S・バッハらの作品の校訂
なども行っています。

ヨーロッパ風に、
ベラ・バルトークやベーラ・バルトークと
表記されることもあります。

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janosの
作風

本人が「若い頃の私にとって、
美の理想はベートーヴェンだった」
と回想しているように。

ドイツ・オーストリア音楽の強い影響から出発致しました。

ハンガリー民族やハンガリー王国内の少数民族の民謡を
はじめとした民俗音楽の収集による科学的分析から。

その語法を自分のものにしていきました。
(同様の活動を行った先人にチェコのヤナーチェクがいます)

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janos
は。
民俗音楽の収集による科学的分析側面と。

同時期の音楽の影響を受けた側面の
バランスの中で作品を生み出す
という独自の道を歩みました。

ただし、
彼の楽曲は民俗音楽の構造面も分析したうえで、
なおかつソナタ形式など西洋の音楽技法の発展系を取り入れて
成立していること。

また
過去の音楽に目を向けて新しい音楽を生み出そうとした点など。

音楽史的には新古典主義の流れの1人と位置付けても
間違いではないでしょう。

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janosの
作品の変遷は大まかに以下のように区分できます。

〜1905年
ヨハネス・ブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響が強い、
後期ロマン主義的な作風。
ハンガリー民族としての意識を曲で表現しようとする作品もあったが、
まだ先人達同様にジプシー音楽的な要素を取り入れる形であった。

1906年〜1923年頃
友人コダーイ・ゾルターンと共に、
当時のハンガリー王国の各地から民謡収集を行い、
一方では民謡を編曲したピアノ曲などを作り、
他方では民謡の語法を科学的に分析した形で自身の作品に
活かし出した時期。
また自身の作品には、民謡以外にも
クロード・ドビュッシーや
イーゴリ・ストラヴィンスキー、
新ウィーン楽派など当時の最先端の音楽の影響も強く反映されている。
この末期には民謡の語法を消化し、独自のスタイルをほぼ確立する。

1926年〜1930年頃
特に室内楽作品において尖鋭的な和声と
荒々しいまでの強烈な推進力を持ちながら、
緻密な構造を持つ数々の作品を生み出した。
「無調的」ともいわれるが、
本人は無調音楽は存在しないとの立場をとっており、
この時期の作品でも調的中心は存在している。
またバロック音楽や古典派の影響など、
新古典主義の流れに乗っている面も見られる。

1930年〜1940年
その前の時代と同様に緻密な楽曲構造を持ちながら、
もう少し和声的にも明快で、より新古典的なスタイルを打ち出した時期。
数々の傑作を発表している。

1943年〜1945年
アメリカ時代。傾向としてはその前の時代の末期の延長線上にあり、
細かい動機よりも旋律的な要素を重視する傾向がある。

より明快、明朗に大衆に受ける方向へ変化したとも言われるが、
曲によってはそれ以前の厳しい顔をのぞかせる。

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janos
は。アメリカ移住前に手紙で吐露しているように。

「作曲は教えるものではないし、私には不可能です」
という考えの持ち主でした。

その生涯で作曲を教える立場に立ったことがないのです
(先述のシェルイを「弟子」とする記述も多いが、それは正しくないのです)。

++++++++++++++++++++++

作曲の理論的な面についても自身では
ほとんど明らかにしていません。

手紙で自身の音楽語法が
ハンガリー、ルーマニア、スロヴァキアの民俗音楽に
強く影響をされていると書いている程度です。

そのため、彼の理論については
様々な音楽学者たちが研究を行っています。

ハンガリーの音楽学者レンドヴァイ・エルネーは、
バルトークは5度圏の和声を基にして、
それを拡張することで12半音階を等質に扱う
「中心軸システム」(ジャズの「コルトレーン・チェンジズ」
と背景の理論はほとんど同じである)や
、作品の構成(楽式)から和音の構成に至るまで黄金分割を基礎に置き、
そのためにフィボナッチ数列を活用したとの論文を発表しています。

ただし、前者はともかく
後者については当てはまらない作品がかなりあり、
この説の妥当性を示唆するような
有力な証拠(スケッチの書き込み等)も見当たりません。
よりまして。
現在ではハンガリー国内・国外いずれにおいても、
専門の研究者でこの説を支持する人はあまり多くないようです。

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janos
ピアニストとしては
体格的には決して大柄ではなかったのですが。
手はかなり大きかったのです。

そしてヴィトルオーソとして
自身の未来を思い描くほどの実力を持つ
リスト直系の弟子であり
、晩年までピアニストとしての活動も行いました。

手紙などでは伴奏家としての腕前も自負していたようです。
多くのソリストとの共演歴もあります。

自作自演やシゲティとの共演などの録音も残しているため、
彼の演奏はCDなどで聴くことが出来ます。

ドイツ・オーストリア音楽をレパートリーとしていたが、
スカルラッティの編纂を行って自ら演奏したり、
自らに多大な影響を与えた
ドビュッシーの作品も多く取り上げていました。

自作のピアノ曲も自身が演奏会に取り上げるために
書かれたものが少なくないのです。

++++++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ
:Bartok Bela Viktor Janos
は。

また作曲は教えなかったが、ピアノ教育には熱心でした。
自作でも教育のための作品は重要な位置を占めており、
リスト音楽院ではピアノの教授として多くの弟子を育てました。

シャーンドル・ジェルジやリリー・クラウス、
ゲザ・アンダなどのピアニストを直接指導したほか。

指揮者のアンタル・ドラティや、
作曲家でバルトークの民俗音楽研究の助手も務めた
ヴェレッシュ・シャーンドルなどがピアノの弟子です。

また、指揮者ゲオルグ・ショルティは直接の弟子ではなかった
のですが。

指導教授の代役として一時バルトークのピアノのレッスンを
受けたことがあったことを回想しています。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

バルトーク・ベーラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A9

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

3月25日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8825%E6%97%A5

できごと

アミアンの和約(1802)。画像はジェイムズ・ギルレイ(英語)の風刺画「10年ぶりのキス!」
2005年日本国際博覧会、通称「愛・地球博」開催807年(大同2年2月13日) - 『古語拾遺』が成立する。
940年(天慶3年2月14日) - 平将門と追討の平貞盛・藤原秀郷の軍勢が激突し、将門が討ち死にする(承平天慶の乱)。
1655年 - オランダの天文学者クリスティアーン・ホイヘンスが土星の衛星タイタンを発見。
1802年 - アミアンの和約(英仏の講和条約)が結ばれる。
1807年 - 奴隷制度廃止運動: イギリス議会で奴隷貿易廃止法が可決。
1837年(天保8年2月19日) - 大塩平八郎の乱
1911年 - ニューヨークのトライアングルウェストシャツ工場で火災。死者145人。
1941年 - ユーゴスラビア王国が日独伊三国軍事同盟に加盟。
1943年 - 黒澤明監督の初監督作品『姿三四郎』封切り。
1945年 - 硫黄島で日本軍守備隊が玉砕。
1948年 - 川島芳子北京にて刑死。
1957年 - ローマ条約調印
1972年 - 西城秀樹がシングル『恋する季節』で歌手デビュー。
1973年 - 石川さゆりがシングル『かくれんぼ』で歌手デビュー。
1977年 - 狩人がシングル『あずさ2号』で歌手デビュー。
1978年 - 石野真子がシングル『狼なんか怖くない』で歌手デビュー。
1984年 - 阪急電鉄西宮北口駅に存在した神戸線と今津線の平面交差(ダイヤモンドクロッシング)を解消。
1989年 - みなとみらい21地区で横浜博覧会 (YES'89) 開催。10月1日まで。
1991年 - スピッツがシングル『ヒバリのこころ』とアルバム『スピッツ』でメジャーデビュー。
1991年 - 桃花台新交通桃花台線(ピーチライナー)が開業。
1992年 - ハウステンボスが開園。
1993年 - NECホームエレクトロニクスがPCエンジンDuo-Rを発売。
1993年 - 長野自動車道が全線開通。
1995年 - 門司港レトロがオープン。
1996年 - TBSがオウム真理教に坂本弁護士のビデオテープを見せたことを認める。
1996年 - 百武彗星が地球に最接近。
2005年 - 2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛称=愛・地球博)開催。
2007年 - 午前9時42分、「平成19年(2007年)能登半島地震」発生。
2008年 - 岡山駅突き落とし事件。

誕生日

ナポレオン・ボナパルトの義弟ジョアシャン・ミュラ(1767-1815)誕生
歴史家ヤーコプ・ブルクハルト(1818-1897)誕生
彫刻家ガットスン・ボーグラム(1867-1941)。画像はラシュモア山に彫った大統領の彫像
詩人・小説家の島崎藤村(1872-1943)。代表作『若菜集』(1897)、『夜明け前』(1929-1935)
作曲家バルトーク・ベーラ(1881-1945)誕生。 『弦楽四重奏曲第2番』op.17(1917)を聴く(ヘルプ・ファイル)
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を率いた海軍大将、南雲忠一(1887-1944)
シンガーソングライター、エルトン・ジョン(1947-)1614年 - ファン・カレーニョ・デ・ミランダ、画家(+ 1684年)
1692年(元禄5年2月8日)- 徳川継友、第6代尾張藩主(+ 1731年)
1767年 - ジョアシャン・ミュラ、軍人(+ 1815年)
1818年 - ヤコブ・ブルクハルト、歴史家(+ 1897年)
1852年(嘉永5年閏2月5日) - 寺内正毅、軍人、内閣総理大臣(+ 1919年)
1867年 - アルトゥーロ・トスカニーニ、指揮者(+ 1957年)
1867年 - ガットスン・ボーグラム、彫刻家(+ 1941年)
1872年(明治5年2月17日) - 島崎藤村、小説家(+ 1972年)
1881年 - バルトーク・ベーラ、作曲家(+ 1945年)
1882年 - 荻野久作、産婦人科医(+ 1975年)
1887年 - 南雲忠一、軍人(+ 1944年)
1896年 - 岡田源三郎、元プロ野球監督(+ 1977年)
1903年 - 佐伯勇、実業家(+ 1989年)
1910年 - 春日一幸、政治家(+ 1989年)
1916年 - 内藤幸三、元プロ野球選手(+ 2002年)
1921年 - シモーヌ・シニョレ、女優(+ 1985年)
1923年 - 上野重雄、元プロ野球選手
1924年 - 京マチ子、女優
1925年 - パウル・ビーヘル、児童文学作家(+ 2006年)
1930年 - 桂春団治(三代目)、落語家
1930年 - 長谷川良平、元プロ野球選手、監督(+ 2006年)
1933年 - 生方恵一、元NHKアナウンサー
1935年 - 木村七郎、元日本プロボクシング協会会長、フライ級プロボクサー経験者
1937年 - 柴田秀勝、声優
1937年 - 山田真二、俳優、歌手(+ 2007年)
1940年 - 志茂田景樹、小説家
1940年 - 竜崎勝、男優(+ 1984年)
1942年 - 李麗仙、女優
1947年 - エルトン・ジョン、シンガーソングライター
1948年 - 橋本治、小説家
1950年 - きよ彦、着物デザイナー
1951年 - ジャンボ鶴田、プロレスラー(+ 2000年)
1957年 - 的場均、騎手・調教師
1958年 - 新井正人、歌手、作曲家
1958年 - 小林美樹、元アイドル歌手、アナウンサー
1959年 - 嘉門達夫、シンガーソングライター
1959年 - 原田宗典、小説家
1961年 - 小曽根真、ジャズピアニスト
1965年 - サラ・ジェシカ・パーカー、女優
1966年 - 堀部圭亮、タレント
1966年 - 宮川一朗太、俳優
1966年 - 吉田小百合、声優
1966年 - ヤマジカズヒデ(dip (バンド))
1966年 - トム・グラヴィン、メジャーリーグベースボール選手
1967年 - マシュー・バーニー、現代美術家
1967年 - デヴィ・トーマス、フィギュアスケート選手
1969年 - 瀬戸輝信、元プロ野球選手
1969年 - エリック・シュールストロム、元プロ野球選手
1969年 - スコット・サンダース、元プロ野球選手
1970年 - さがね正裕、タレント(X-GUN)
1971年 - 登坂栄児(大日本プロレス統括部長)
1973年 - アンダース・フリーデン、ミュージシャン
1973年 - 稲光伸二、漫画家
1973年 -笹沼尭羅、声優
1975年 - 金村康平、元プロ野球選手
1975年 - 青木希久子、NHKアナウンサー
1976年 - Nana(本名:沢詩奈々子)、MAXのメンバー、タレント
1976年 - ジジ・リョン、タレント
1976年 - ケン・ロイド、ミュージシャン(FAKE?) ex.Oblivion Dust
1976年 - ヤナギブソン、お笑いタレント(ザ・プラン9)
1977年 -和田聰宏、俳優
1978年 - 野仲美貴、タレント
1979年 - はいだしょうこ、タレント
1980年 - 中村まゆみ、舞台女優・元お笑い芸人
1980年 - オレグ・ボイコ、フィギュアスケート選手
1981年 - 町田慎吾、ジャニーズJr.・Musical Academy
1981年 - 陽森、野球選手
1981年 - 阿部敦、声優
1982年 - 福士加代子、陸上選手
1983年 - 溝口涼子、漫画家
1985年 - 平塚奈菜、タレント
1985年 - 荻野なお、女優
1986年 - サンデーサイレンス、競走馬(+ 2002年)
1986年 - マルコ・ベリネッリ、バスケットボール選手
1987年 - 織田信成、フィギュアスケート選手
1987年 - 柳賢振、野球選手
1988年 - 熊谷智哉、サッカー選手
1988年 - 相沢桃、AV女優
1988年 - miko、歌手
1990年 - 鈴木梨乃、アイドル、女優
1993年 - 宮舘涼太、Jr.BOYS
2002年 - ディープインパクト、競走馬
生年不詳 - TAG(田口康裕)、ゲームクリエイター

忌日

平将門(?-940)、承平天慶の乱にて討死。画像は首塚
ロマン主義詩人ノヴァーリス(1772-1801)、肺結核で没。享年28歳。代表作『青い花』
オック語詩人、フレデリック・ミストラル(1830-1914)没
印象主義音楽のクロード・ドビュッシー(1862-1918)没。 『月の光』を聴く(ヘルプ・ファイル)603年(推古天皇11年2月4日)- 来目皇子、飛鳥時代の皇族
940年(天慶3年2月14日)- 平将門、武将、親皇(* 903年?)
1223年 - アフォンソ2世、ポルトガル王(* 1185年)
1558年 - マルコス・デ・ニサ、探検家(* 1495年頃)
1561年 - コンラドゥス・リュコステネス、モラリスト(* 1518年)
1603年(慶長8年2月13日) - 生駒親正、高松藩主(* 1526年)
1738年 - ターロック・オキャロラン、ハープ奏者(* 1670年)
1743年(寛保3年2月30日)- 蜂須賀宗英、第7代徳島藩主(* 1684年)
1751年 - フレドリク1世、スウェーデン王(* 1676年)
1801年 - ノヴァーリス、小説家(* 1772年)
1818年 - ヘンリー・リー (3世)、バージニア州知事(* 1756年)
1867年 - ジャック・イニャス・イトルフ、建築家(* 1792年)
1891年 - 斉藤きち、『唐人お吉』の名で知られる芸者(* 1841年)
1892年 - 三島億二郎、越後長岡藩大参事(* 1825年)
1897年 - チャールズ・エリオット、造園家・都市計画家(* 1859年)
1905年 - 松前修広、松前藩主(* 1865年)
1914年 - フレデリック・ミストラル、詩人(* 1830年)
1918年 - クロード・ドビュッシー、音楽家・作曲家(* 1862年)
1919年 - 辰野金吾、建築家(* 1854年)
1936年 - 山本条太郎、南満州鉄道総裁(* 1867年)
1948年 - 川島芳子、「東洋のマタ・ハリ」の異名で知られる情報員(* 1907年)
1951年 - エディ・コリンズ、メジャーリーグベースボール選手(* 1887年)
1953年 - 5代目柳亭左楽、落語家(* 1872年)
1953年 - 柳家つばめ (3代目)、落語家(* 1884年)
1957年 - 片岡良一、国文学者(* 1897年)
1957年 - マックス・オフュルス、映画監督(* 1902年)
1961年 - アーサー・ドルリー、国際サッカー連盟会長(* 1891年)
1968年 - 下村定、日本の陸軍大臣(* 1887年)
1975年 - ファイサル、サウジアラビア王(* 1906年)
1976年 - ヨゼフ・アルバース、美術家(* 1888年)
1979年 - 安藝ノ海節男、大相撲第37代横綱(* 1914年)
1980年 - 向江璋悦、法学者(* 1910年)
1980年 - ロラン・バルト、思想家(* 1915年)
1980年 - ミルトン・エリクソン、精神科医・心理学者(* 1901年)
1980年 - ワルター・ジュスキント、指揮者(* 1913年)
1986年 - 増田卓、元プロ野球選手(* 1921年)
1991年 - 細田徳寿、大分県知事(* 1904年)
1995年 - ジェームズ・コールマン、社会学者(* 1926年)
1996年 - 佐藤朔、フランス文学者(* 1905年)
2001年 - 塩瀬盛道、元プロ野球選手(* 1931年)
2003年 - 古尾谷雅人、俳優(* 1957年)
2004年 - 下川辰平、俳優(* 1930年)
2006年 - リチャード・フライシャー、映画監督(* 1916年)
2007年 - 島尾ミホ、小説家(* 1919年)
2007年 - アンドラニク・マルカリャン、アルメニア首相(* 1951年)
2008年 - ジーン・ピュアリング、歌手・編曲者(* 1929年)
2009年 - 遠藤幸雄、体操選手(* 1937年)

記念日・年中行事

いわゆる受胎告知の日。

電気記念日(日本)

1878年3月25日に、東京・銀座木挽町に開設された
中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、
式場に50個のアーク灯が点灯された。(日本初の電灯)

これを記念して日本電気協会が1927年9月に制定。

公立学校修了式(日本、当日が休日の場合は直前の平日になる)

日本の学校の年度は会計年度と同じく4月から翌年3月までであり、
この日までに修了式が行われる。
学生には学年最後のイベントで、次の日から春休みとなる。
ユダヤ暦第2アダルの15日(2005年)・プーリーム