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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年4月20日(火曜日)

昨年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」

がおわり。

そして「夏」「6月」「7月」「8月」。

「秋」の「9・10・11月」がおわり。

「冬」の「12月」「1月」「2月」がおわり。

今年の「春」の「3月」がおわり。

「春」の「4月」になりました。

ふたたび「春」です。

春焼けいろにけむる「春」。

「こがねの「春」」になりました。

真っ暗な早朝に。

すっかり車のとだえた。

コンクリートの道で。

舞い踊るように。

向こう側から。

「はるかぜ」のうたが。

なりひびいて。

道路を横切ってきこえてきます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」「2月」「3月」がおわり。

「4月」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「季節の舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「季節」から。

「深い季節」への景色を舞台の上で。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「春」の「4月」から。

さらにおくふかい「四季の季節」

「ふかい黄金(こがね)の「季節」」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「春」の「4月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に。
「りす」のかすかな。
ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「春」。

みのりの「春」の季節。

にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「はるかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また「より深い季節」への。

「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のようです。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にもとまって。

「春」を過ごすのでしょう。

「春」です。

春の「季節風」がうたう季節

になりました。

「4月」になりました。

日々ゆっくりと

日は長くなります。

陽はたかくなります。

夜は短くなります。

空はたかくなります。

天上の太陽 空たかく。

いまは「春」。

そして。

「春」から。

「深春:ふかはる」に。

向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私は季節のさむいのがつらい
です。

宮沢賢治

「さむさのなつはおろおろあるき」

はすべての季節にもありうるうた。

「さむさのはるはおろおろあるき」
「サムサノハルハオロオロアルキ」

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「春」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「春」には。

「春」の「さむい日差し」から。

「芽」をまもり。

「春」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

「春」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むという

仙人の心境(ここち)が。

よくわかる。

「春」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる春の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
春はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「春」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華とからまつ。

「春」の「からまつ」です。

そしていま。
「春」をあゆみゆく
「からまつ」の時期になりました。

-------------------------------
北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

「春」「3月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。

若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
季節の草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
季節の草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「秋」をまつ。
「季節」の野の雑草:ざつそうです。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

風しらしむ竹の

はるかぜに

笹葉は蒼くふるえたり

みどり葉笹葉に

はるかぜはやみ

はる陽をうつすや

うつろひの

竹の葉はるかぜ

はやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木はる空
天高くひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始する予定
です。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。
19世紀中葉の王侯貴族の肖像画で知られ。
派手やかな宮廷肖像画の代表的存在である画家。

1805年 -
フランツ・ヴィンターハルター、画家(+ 1873年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター
:Franz Xaver Winterhalter
,1805年4月20日 - 1873年7月8日)は。

ドイツの画家・版画家です。

19世紀中葉の王侯貴族の肖像画で知られています。
派手やかな宮廷肖像画の代表的存在です。

『侍女に囲まれたウジェニー王妃』(1855)、
オーストリアのエリーザベト皇后肖像画(1865)
などが有名
です。

++++++++++++++++++++++

フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター
:Franz Xaver Winterhalter
は。
パリに住みながらヨーロッパ中の貴族の肖像画を描きました。

ヴィクトリア女王のお気に入りの画家でした。

彼は他にもナポレオン・ボナパルト、
フランス国王ルイ・フィリップなどの肖像画も手がけました。

++++++++++++++++++++++

前半生
フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターは。

1805年4月20日にバーデン大公国、
シュヴァルツヴァルトにあるメンツェンシュヴァント
(Menzenschwand、現在のザンクト・ブラージエンSt.Blasienの一部)
という小さな村で。

フィーデル・ヴィンターハルター
(Fidel Winterhalter、1773-1863)の第6子として生まれました。

フィーデルは村の農家兼松脂職人で、
その妻エーファ・マイヤー(Eva Meyer、1765-1838)は
旧家の出でありました。

父親は代々の農民であったが、
ヴィンターハルターはこの父親から強い影響を受けました。

++++++++++++++++++++++

8人きょうだいのうち生き残ったのは4人でしたが。

生涯を通じてヴィンターハルターは家族、
特に同じく画家であった
弟のヘルマン・フィーデル・ヴィンターハルター
(Hermann Winterhalter、1808-1891)と
非常に良好な関係を保ちました。

++++++++++++++++++++++

フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター
:Franz Xaver Winterhalter
は。
ザンクト・ブラージエンのベネディクト派修道会に学んだのち。

1818年に絵と彫刻を学ぶため、
13歳で故郷メンツェンシュヴァントを離れ、
フライブルク=イム=ブライスガウの
カール・ルードヴィヒ・シューラー(Karl Ludwig Schuler、1785-1852)
の工房でデッサンとリトグラフの
職業訓練を受けました。

++++++++++++++++++++++

1823年、18歳のときミュンヘンに行き
実業家フォン・アイヒタール男爵(David von Eichthal、1775-1850)
の後援を受けました。

1825年、バーデン大公ルートヴィヒ1世(1763-1830)より
奨学金を得てミュンヘン芸術アカデミーに留学し、
ペーター・フォン・コルネーリウス(Peter von Cornelius、1783-1867)
の下で絵画を学びましたが。
コルネーリウスの伝統的な技法には馴染めませんでした。

もっと自分に合う師を探し上流貴族御用達の
肖像画家ヨーゼフ・シュティーラー
(Joseph Stieler、1781-1858)
について学びまし。

この時期、ヴィンターハルターは
リトグラファーとして生計を立てていました。

++++++++++++++++++++++

ヴィンターハルターは、
1828年にカールスルーエのバーデン大公レオポルト1世の
妃ゾフィーの絵の師範になり、
社交界に入りました。

レオポルト大公の支援により
1832年から1834年までイタリアに旅行、
活躍の場を南ドイツの外に広げることになりました。

ヴィンターハルターは
ローマでルイ=レオポール・ロベール(Louis-Leopold Robert)
の様式によるロマン主義的な風俗画を製作し、
フランス学士院長オラース・ヴェルネ(Horace Vernet)
の知遇を得ました。

カールスルーエに戻ると、
レオポルト大公夫妻の肖像画を描き、大公の宮廷画家となりました。

++++++++++++++++++++++

しかしヴィンターハルターはバーデンを離れ、
イタリアで描いた
風俗画『甘やかな安逸(Il dolce Farniente)』が
1836年のサロンで注目されていたフランスへと移りました。

翌年製作の『デカメロン(Il Decameron)』も賞賛されました。

どちらもラファエロ様式の保守的な作品でした。

1838年、公女と並んで座るヴァーグラム公(Napoleon Alexandre Berthier)
の肖像画をサロンに展示致しました。

また同年、ベルギー王妃ルイーズ=マリーと
その息子ブラバント公の肖像を描き、
またたく間に肖像画家としての地位を確固たるものと致しました。

おそらくこの絵を通じてヴィンターハルターの名は、
ベルギー王妃の母でもあるフランス王妃
マリー・アメリー・ド・ブルボンの知るところとなったのでしょう。

++++++++++++++++++++++

宮廷画家

この成功によりヴィンターハルターは、
モデルによく似せながら実物以上に絵を引き立て、
公式の装束に当世風の流行で華を添えることの巧みな
王侯貴族専門の肖像画家として好評を得ました。

しかし美術界でのヴィンターハルターの評判は芳しくなく、
1836年のサロン・デビューを賞賛した批評家たちからも、
真面目に取り上げるべき画家ではないと切り捨てられました。

この評価はヴィンターハルターの経歴を通じてつきまとい、
宗教画・歴史画を重んじ風俗画を軽視する傾向の中で
ヴィンターハルターは肖像画製作のみを余儀なくされることとなりました。

ヴィンターハルター自身は王家からの初期の依頼を
、歴史画、宗教画などの大きなテーマ性のある絵画(subject painting)
や学術的に評価される分野へ戻る前の一時的な寄り道とみていました。

しかし結局は自身の成功に引きずられ、
後半生のほとんどを肖像画家として活動することになりました。

++++++++++++++++++++++

ヴィンターハルターにとっては、
肖像画こそが成功と富を得た分野であり、
王侯貴族の後援を受け国際的著名人となっていきました。

多くの王室肖像画のモデルにはヴィクトリア女王もいました。

1842年、ヴィンターハルターは初めて英国を訪問して以来、
何度かヴィクトリア女王とアルバート公、
さらには増えていく2人の家族を描くために再訪して。
少なくとも120点の絵画を製作し、
その多くは王室所蔵品(Royal Collection)として
バッキンガム宮殿ほかの王宮で公開展示されています。

ヴィンターハルターはまた英国貴族の
肖像を何点か製作しているが、
そのほとんどが宮廷と社交のある人物でありました。

++++++++++++++++++++++

1848年のルイ・フィリップの亡命にも評判を損なうことはなく、
ヴィンターハルターはスイスへ行き、ベルギーと英国で仕事を
致しました。

侍女に囲まれたウジェニー王妃
 (1855年、コンピエーニュ城美術館Chateau de Compiegne蔵) 
18世紀の田園風景に範を取ったこの記念碑的作品は、
森の木陰を背景に女主人とその取り巻きを配置しています。

この構図は非常に作為的で形式的なものです。

中央やや左よりの王妃は、取り囲まれながらも
他を圧する存在感を示します。

王朝の瓦解から次の王朝の興隆まで、
ヴィンターハルターは辛抱強く耐え続けることになります。

死の数年前までパリを離れることはなく、
フランスでの肖像画依頼が途絶えると、
歴史画のような古典的分野に戻り
『フロリダ(Florida)』(1852、ニューヨーク、メトロポリタン美術館)
を描いています。

スペインの伝承をもとに女性美を賛美した喜びに満ちた作品です。
同年、婚約を破棄され、独身のまま絵画制作に専念致しました。

++++++++++++++++++++++

ナポレオン3世即位後、
ヴィンターハルターの人気は上昇し、
以降フランス第二帝政下でフランス王家・宮廷主席画家となりました。

美しいウジェニー王妃を好んでモデルとし、
王妃もヴィンターハルターの要請に積極的に応じました。

1855年、ヴィンターハルターは傑作
『侍女に囲まれたウジェニー王妃の肖像
(Portrait de l'Imperatrice Eugenie entouree de ses dames d'honneur)』を描きました。

この絵でヴィンターハルターは、
牧歌的な光景の中に、侍女とともに仲良く輪になって
花を集めるフランス王妃を配しました。

この絵は賞賛を浴び、1855年の万国博覧会で展示されました。

今なおヴィンターハルターの最も有名な作品です。

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フランツ・ヴィンターハルター
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