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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年4月24日(土曜日)

「春」。

「4月」です。

「春」の。

「4月」になりました。

「4月」の「春」がやってきました。

「春」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にもきて。

「まち」に。

「春」がやってきた。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

昨年
「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「8月」になりました。
「夏」です。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」「11月」もおわりました。

「12月」「1月」「2月」

そして「3月」もおわりました。

「4月」の「春」です。

光陰矢のごとし。

野の「はる」

里の「はる」。

「まち」の「春」。

そして。

家路こいしい「春」。

家々に「ゆふべ」の。

ともしび暖かき「はる」

「野」の「はる」に。

「里山」の「はる」に。

そして。

街(まち)の「春」。

「みのり」の「はる」に。

なりました。

「ちいさな春」をこえて。

もっと「大きな春」を。

むかえようとしています。

いまは。

「里山」の「春」

「野」の「春」

「まち」の「春」

「はる」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。
「春」がすぎたら「夏」をむかえよう。
「夏」がすぎたら「秋」をむかえよう。
「秋」がすぎたら「冬」をむかえよう。
自在に「かんがえることなくながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せの「しらべ」。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。
「5月」は去り「6月」。
「7月」「8月」が去り。
「9月」「10月」
「11月」「12月」が去り。
そして「1月」「2月」「3月」が去り。
今は「4月」

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「季節」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る。

「季節」の足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆく。

また「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとい

初々しい。

「春」の姫君の。

「春の姫」「佐保姫(さほひめ)」*

は。

やさしく微笑んでいます。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

日本の「秋」の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」が去り。

そして。

「冬」がきて。去り。

おとづれる「春」。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

すてきな女神であると。

感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

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『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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今は「4月」の「春」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「季節風」の

嵐(あらし)がふきました。

「春の花」と「季節風」は。

相性が。

よいようです。

もしかしたら。

「春」の女神(めがみ)の。

「佐保姫(さほひめ)」と。

「春の日」の歌う「季節風」とは。

相性が。

よいのかもしれません。

暗い朝に。

「春の花」の花びらが。

夜の間に「季節風」の。

風弓に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「春」の。

「季節風」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「季節風」は。

「やまりす」の。

「歌声」のようにかわりました。

「やまりす」のうたう。

鳴き声はとてもかわいくて。

小さな「ことり」の鳴き声と。

まったく区別がつきません。

そして「4月」の「春」。

「季節風」のバラード

「佐保姫(さほひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「季節風」。

「春いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
春の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「季節風」の音」
が聞こえました。

不思議な「春」の「はるかぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「季節風」と。
「「はるかぜ」の音」だけになりました。

「はるかぜ」と
「季節風」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「冬」の「魔王」のようになるのでしょう。

「春」の声。
「こうこう」と鳴く。
「季節風」
の風音がくわわっていきます。

その「季節風」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「はる」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「季節」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「季節」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「季節風」はトッカータ。
「なついちばん」は「フーガ」と「カノン」。

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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深春葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる春におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑(ちょうそ)」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「春緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防熱衣としては
なくてはならないものです。
「春」をむかえます。

「春」の夜明(よあけ)の空から。
「春」の陽がのぼり。
「春」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「春」の雲です。

あさの05:00AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる季節の気配」を感じます。

野路はた見たりビロードのしだ
わらべのごときビロードのしだ
わらびのごとく輝けりビロードのしだ
山奥にひそむビロードのしだ
しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
めずらしき羊歯ビロードのしだ
ときわの緑のほのほビロードのしだ
山奥のしだのビロードのしだ
「まち」にもいきるビロードのしだ
けなげなりもあはれなりビロードのしだ
生い立ちしらずビロードのしだ
されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「春」きたれり。

「春」いざいまこそは

「春」よき季節にあらむ

「春」ふと空をみる

おとたかき

換気扇より

なかれいる

ひともとの春風の

かせのこえこそ

さわやかなりし

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「春の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
深い「はる」からさらに「はる」。
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
は微笑みをうかべてよそのくにから
みつめています。
かわりに秋の「竜田姫(たつたひめ)」
のほほえみながらたちさりました。

まちなみ蒼く(あおく)
いろどりて
木々の榛葉のかがやけり
暑さの夏秋をうつろひて
ふかまるみどりのむろ木なり
しずまるみどりのもえ木なり
みのりの季節こそありがたし
みのりの季節こそこひしかり
季節鳥なきてささやけり
季節の木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。

化粧をして。

春夏秋冬の季節の。

前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに
「国学の四大人(しうし)」の一人。
「泣く子も黙る」国学者・歌人
の。

1697年(元禄10年3月4日) -
賀茂真淵、国学者・歌人(+ 1769年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

賀茂 真淵(かも の まぶち)、
元禄10年3月4日(1697年4月24日) -
明和6年10月30日(1769年11月27日)は。

江戸時代の国学者、歌人です。

通称
庄助、三四。

真淵は出生地の敷知郡にちなんだ雅号です。
淵満とも称しました。

++++++++++++++++++++++

生涯
賀茂真淵は1697年、伊庭村(浜松市)の
賀茂明神神職である岡部政信の三男として生まれました。

岡部家は京都の賀茂神社の末流とされます。

宝永4年、
江戸の国学者荷田春満の弟子で。
春満の姪真子(真崎)を妻とし浜松で私塾を開いていた
杉浦国頭に師事致しました。

享保8年(1723年)に結婚するが翌年に妻を亡くしました。
享保10年には浜松宿本陣梅谷家に入塾致しました。

37歳の時、家を捨てて京都に移り
荷田春満を師として学びました。

元文元年(1736年)に春満が死去すると
浜松へ戻りました。梅谷家に養子を迎える時期に。

賀茂 真淵(かも の まぶち)
は1738年には江戸に移り私塾を開き国学を講じました。

++++++++++++++++++++++

賀茂 真淵(かも の まぶち)は。
延享3年(1746年)、
50歳となっていた真淵は御三卿田安徳川家の
和学御用掛となって徳川宗武に仕えました。

宝暦13年(1763年)、
本居宣長は、
伊勢神宮の旅の途中伊勢松阪の旅籠に真淵を訪れ、
入門致しました。
その夜、生涯一度限りの賀茂 真淵(かも の まぶち)から。
教えを受けた話は
「松阪の一夜」として知られています。

以後文通(万葉集問目)が続いたとされます。

++++++++++++++++++++++

江戸の賀茂 真淵(かも の まぶち)の
住居跡は、賀茂真淵県居の跡として
東京都中央区(日本橋久松町9先)に説明書きが立っています。

また、墓は品川の
東海寺大山墓地(東京都品川区北品川三丁目)にあります。

浜松の生家の側には
「賀茂真淵記念館」(静岡県浜松市中区東伊場一丁目22-2)があります。

靖国神社の第2代宮司をつとめた
賀茂水穂((かものみずほ)はその子孫といわれています。

++++++++++++++++++++++

人物 としての賀茂 真淵(かも の まぶち)
賀茂真淵は荷田春満(かだのあずままろ)を師とし、
万葉集などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究致しました。

荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに
「国学の四大人(しうし)」の一人とされます。
++++++++++++++++++++++

主な著書に『歌意考』『万葉考』『国意考』『祝詞考』
『にひまなび』『文意考』『五意考』『冠辞考』『神楽考』
『源氏物語新釈』『ことばもゝくさ』などがあります。

國學院の編になる『賀茂真淵全集』(6巻)、
またその増訂版である『増訂賀茂真淵全集』
(12巻、吉川弘文館)
および、『校本賀茂真淵全集』(思想編上下)、
久松潜一監修『賀茂真淵全集』(28巻、続群書類従完成会)
が刊行されています。

++++++++++++++++++++++

和歌における古風の尊重、万葉主義を主張して
和歌の革新に貢献致しました。

その門流を「県居(あがたい)学派」、
あるいは「県門(けんもん)」と称しました。

弟子の加藤千蔭(かとう・ちかげ)は。

賀茂真淵像として、
外見はふつうの人とは大きく変わっていました。
頭の回転が鈍い感じの人に見えることもありました。

ときどき専門の話題を語る際に、
非の打ち所のない弁舌であった。と語っています。

++++++++++++++++++++++

弟子
真淵は教育者としても長じ、
門下生には本居宣長・荒木田久老(あらきだ・ひさおゆ)・
加藤千蔭・村田春海・楫取魚彦(かとり・なひこ)・
塙保己一(はなわ・ほきいち)・
内山真龍・栗田土満(ひじまろ)・
森繁子などがおり、県居学派と呼ばれます。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++

賀茂真淵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%9C%9F%E6%B7%B5

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

4月24日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8824%E6%97%A5

できごと

アメリカ議会図書館閲覧室
イースター蜂起1800年 - アメリカ議会図書館発足。
1854年(嘉永7年3月27日) - 吉田松陰が下田で黒船への密航を失敗、翌日幕吏に捕縛。
1916年 - イースター蜂起、アイルランドで急進的な反英独立を掲げるシン・フェイン党が蜂起。
1921年 - 日本で初の女性による社会主義団体赤瀾会が結成。
1932年 - 目黒競馬場で第1回東京優駿大競走(現在の日本ダービー)開催。
1951年 - 国鉄桜木町電車火災事故発生。
1963年 - 少女漫画雑誌、週刊マーガレットが創刊される。
1965年 - アメリカの北爆に反対し小田実らが「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」(ベ平連)を結成。
1973年 - 首都圏国電暴動。国鉄の順法闘争で首都圏の列車が遅れ、利用客の一部が暴徒化。
1974年 - ギヨーム事件、ブラント西ドイツ首相の秘書ギュンター・ギヨームが東ドイツ情報機関のスパイとして逮捕。
1987年 - 『朝まで生テレビ!』放送開始。
1990年 - アメリカでスペースシャトル「ディスカバリー」打上げ。軌道上でハッブル宇宙望遠鏡を放出。
1993年 - テーマパーク東武ワールドスクウェアが完成。
2005年 - ヤクルトスワローズの古田敦也が通算2000本安打を達成。
2006年 - JR東日本の山手線や埼京線・湘南新宿ライン(山手貨物線)の内回り・外回りと上り・下りの4本の線路が約25メートルにわたって最大で高さ約5センチメートル盛り上がり、5時間以上ストップした。
2007年 - 全国(一部の市町村を除く)の小学6年生・中学3年生で全国学力テストを実施。
2009年 - 本田圭佑が所属するVVVフェンローが、オランダ2部リーグ優勝、1部昇格となる。

誕生日
1533年 - ウィレム1世 - オランダ総督(+ 1584年)
1697年(元禄10年3月4日) - 賀茂真淵、国学者・歌人(+ 1769年)
1742年 - ロマン・ホフシュテッター、作曲家(+ 1815年)
1817年 - ジャン・マリニャック、化学者(+ 1894年)
1836年 - ウィンスロー・ホーマー、画家(+ 1910年)
1845年 - C・シュピッテラー、詩人・小説家(+ 1924年)
1856年 - フィリップ・ペタン、ヴェルダンの英雄・フランスヴィシー政府首相(+ 1951年)
1873年 - 江木翼、政治家(+ 1932年)
1895年 - 船田中、政治家(+ 1979年)
1896年 - 浜尾四郎、推理作家(+ 1935年)
1904年 - ウィレム・デ・クーニング、画家(+ 1997年)
1906年 - ウィリアム・ジョイス、「ホーホー卿」の異名で有名なプロパガンダ放送アナウンサー(+ 1946年)
1909年 - 松本清、実業家・政治家・マツモトキヨシ創業者(+ 1973年)
1918年 - 津田文吾、政治家(+ 2007年)
1919年 - ヴォルフガング・パノフスキー、物理学者(+ 2007年)
1924年 - 中村栄、元プロ野球選手
1926年 - 中村徳次郎、元プロ野球選手
1927年 - 神代辰巳、映画監督(+ 1995年)
1928年 - ジョニー・グリフィン、サクソフォーン奏者(+ 2008年)
1929年 - 樽井清一、元プロ野球選手(+ 1995年)
1930年 - リチャード・ドナー、映画監督
1932年 - 桂由美、ブライダルファッションデザイナー
1934年 - シャーリー・マクレーン、女優
1935年 - 田中久寿男、元プロ野球選手(+ 2001年)
1939年 - 渋谷誠司、元プロ野球選手
1942年 - リチャード・N・ルボウ、大学教授
1942年 - バーブラ・ストライサンド、歌手・女優
1946年 - 星野富弘、詩人
1947年 - 大野勢太郎、フリーアナウンサー
1947年 - 山中正竹、元野球選手
1948年 - つかこうへい、劇作家
1948年 - 阿部知子、衆議院議員
1952年 - ジャン=ポール・ゴルチエ、ファッションデザイナー
1955年 - 嶋田久作、俳優
1955年 - 堀尾正明、フリーアナウンサー・元NHKアナウンサー
1956年 - 加藤久、サッカー選手、指導者
1957年 - 蓬莱昭彦、元プロ野球選手
1959年 - 高橋ナオヒト、アニメーション監督
1960年 - 菊池正美、声優
1961年 - 戸塚哲也、サッカー選手、指導者
1962年 - 堀敏彦、テレビ新潟アナウンサー・元タレント
1962年 - スチュアート・ピアース、サッカー選手・指導者
1963年 - 加藤誉昭、元プロ野球選手
1964年 - 山本シュウ、ラジオパーソナリティ・DJ
1964年 - ジャイモン・フンスー、ダンサー・ファッションモデル・俳優
1965年 - 岸川勝也、元プロ野球選手
1965年 - マイケル・ブロワーズ、元プロ野球選手
1966年 - アレッサンドロ・コスタクルタ、サッカー選手
1966年 - 田島貴男、ミュージシャン(オリジナル・ラヴ)
1966年 - クリスティアン・テツラフ、ヴァイオリニスト
1967年 - オマー・ビスケル、メジャーリーガー
1968年 - 大鶴義丹、俳優
1968年 - 永田裕志、プロレスラー
1968年 - 中村敦、ミュージシャン (ex.KATZE,HEAVEN)
1969年 - 加世田美智久、元プロ野球選手
1971年 - 村上てつや、ミュージシャン(ゴスペラーズ)
1971年 - 毬川羽音、女優
1971年 - Takanori、ダンスミュージシャン(LLブラザーズ)
1972年 - チッパー・ジョーンズ、メジャーリーガー
1972年 - 犬伏稔昌、元プロ野球選手
1972年 - 戎信行、元プロ野球選手
1973年 - サチン・テンドルカール、クリケット選手
1973年 - カルロス・ミラバル、元プロ野球選手
1974年 - 村田善則、元プロ野球選手
1974年 - 宮ノ腰達也、バスケットボール選手
1975年 - 宮崎一彰、元プロ野球選手
1975年 - 浅井みどり、アナウンサー
1975年 - 大岩秀樹、東進ハイスクール講師
1975年 - 東まゆみ、漫画家
1975年 - サム・ドゥーミット (en:Sam Doumit)、女優
1975年 - レイモンド・カラ (en:Raymond Kalla)、サッカー選手
1976年 - スティーヴ・フィナン、サッカー選手
1976年 - ファン・マヌエル・ガラテ (en:Juan Manuel Garate)、自転車競技選手
1977年 - エリック・バルフォー、俳優
1977年 - カルロス・ベルトラン、メジャーリーガー
1977年 - 小林恵、モデル、女優
1976年 - ロマン・クレスタ、ラリードライバー
1978年 - キム・ヒョンジュ、女優
1978年 - ロニー・ショルツ (en:Ronny Scholz)、自転車競技選手
1978年 - 岡山一成、サッカー選手
1979年 - 森ゆきえ、漫画家
1979年 - サンパ・ラユネン、ノルディック複合選手
1979年 - ローレンティア・タン (en:Laurentia Tan)、馬術選手
1980年 - カツラギエース、元競走馬・種牡馬(+ 2000年)
1980年 - コシバKEN、総合司会(ET-KING)
1980年 - カレン・アスリアン (en:Karen Asrian)、チェス選手(+ 2008年)
1980年 - フェルナンド・アルセ (en:Fernando Arce)、サッカー選手
1980年 - クラウス・クロル (de:Klaus Kroll)、スキージャンプ選手
1981年 - 田中マルクス闘莉王、サッカー選手
1981年 - 山本梓、タレント
1981年 - テーラー・デント、テニス選手
1982年 - イリーナ・チャシナ、新体操選手
1982年 - ケリー・クラークソン、歌手
1983年 - 湯浅直樹、アルペンスキー選手
1984年 - 高橋マリ子、ファッションモデル
1984年 - 福下恵美、女優・タレント、BeForUのメンバー
1985年 - 名塚佳織、声優
1985年 - グエン・トラン・フォク・アン、野球選手
1987年 - 野崎亜里沙、タレント
1987年 - 河内麻沙美、SDN48
1987年 - 深川和那、女子バレーボール選手(NECレッドロケッツ)
1987年 - ヤン・フェルトンヘン (en:Jan Vertonghen)、サッカー選手
1987年 - クリストファー・レタン (en:Kristopher Letang)、アイスホッケー選手
1988年 - 吉本一謙、サッカー選手
1991年 - 山碕薫太、Veteran(関西ジャニーズJr.)
1994年 - 浅野優梨愛、タレント・子役

忌日
1342年 - ベネディクトゥス12世、第197代ローマ教皇(* 1285年)
1583年(天正11年3月3日) - 塩屋秋貞、戦国時代の土豪(* 1521年)
1601年(慶長6年3月22日) - 毛利秀包、武将(* 1567年)
1636年(寛永13年3月19日) - 酒井忠世、江戸幕府大老(* 1572年)
1736年 - プリンツ・オイゲン、オーストリアの軍人・貴族(* 1663年)
1803年 - アデライド・ラビーユ=ギアール、画家(* 1749年)
1891年 - ヘルムート・フォン・モルトケ、軍人(* 1800年)
1901年 - リチャード・ブラントン、建築家(* 1841年)
1908年 - 津田仙、農学者・キリスト教学者・津田梅子の父(* 1837年)
1924年 - スタンレー・ホール、心理学者(* 1844年)
1940年 - ファンニ・ブラーテ、画家(* 1861年)
1942年 - L・M・モンゴメリ、小説家(* 1874年)
1947年 - ウィラ・キャザー、小説家(* 1873年)
1960年 - マックス・フォン・ラウエ、物理学者(* 1879年)
1964年 - ゲルハルト・ドーマク、生化学者(* 1895年)
1966年 - 小穴隆一、画家(* 1894年)
1967年 - ウラジーミル・コマロフ、宇宙飛行士(* 1927年)
1972年 - 安西正夫、実業家(* 1904年)
1973年 - 巽聖歌、童謡作家(* 1905年)
1979年 - 小畑実、歌手(* 1923年)
1980年 - アレホ・カルペンティエル、小説家(* 1904年)
1982年 - ビレ・リトラ、陸上競技選手(* 1896年)
1982年 - ゼノ・ゼブロフスキー、修道士(* 1891年)
1984年 - 霧島昇、歌手(* 1914年)
1986年 - ウォリス・シンプソン、ウィンザー公エドワードの妻(* 1896年)
1989年 - 青木伊平、竹下登首相の秘書(* 1930年)
1991年 - 林正之助、吉本興業元会長(* 1899年)
1993年 - オリバー・タンボ、アフリカ民族会議議長(* 1917年)
1995年 - 村井秀夫、オウム真理教幹部(* 1958年)
1997年 - ユージン・ストーナー、銃器設計者(* 1922年)
2003年 - 御法川英文、自由民主党衆議院議員(* 1936年)
2004年 - エスティ・ローダー、実業家・エスティローダー創業者(* 1906年)
2005年 - 費孝通、社会学者・人類学者(* 1910年)
2006年 - ブライアン・ラボーン、サッカー選手(* 1940年)
2009年 - 齋賀富美子、国際刑事裁判所判事(* 1943年)

記念日・年中行事

植物学の日
植物分類学者・牧野富太郎の誕生日(文久2年4月24日(旧暦))に因む。

ユダヤ暦ニサンの15日(2005年)(ペサハ)

復活祭
キリスト教、2011年

日本ダービー記念日
1932年、目黒競馬場で日本初のダービーが開催されたことに因む。
イギリスのダービー・イステイクスに倣って企画されたもので
エジンブで19頭が出走。ちなみに優勝したのは一番人気のワカタカ。