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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年5月2日(日曜日)

平成22年の「春」5月

になりました。

昨年

平成22年の。

「春」の「3月」「4月」が。

おわり。

今は平成22年の「5月」です。

とてもとても。

あかるいあさです。

広くてゆたか。

「明るい朝」。

早朝の「あかるい陽射し」は。

日々毎日続きます。

山奥のさわ水のように。

ひんやりとした。

「ながれるみず」のように。

「春」の風が流れる。

今は「春」の「5月」です。

「春」がきた。

「はる」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にもきた。

「春」は。

「まち」にもやってきた。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
花が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
ひろい地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「春」の「5月」

私の「大好き」な。

「はるの草花」の。

「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「春」の樹木の。

「葉と花」のふくらむ季節。

そして。

「木々の木の葉」のもえいずる季節。

季節は焚き火のけむりのよう。

「春の花」と「木の葉もえる春」

「みどりとこがね色」

「春草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な。

萌え出づる季節の「わかば」。

緑樹の「春」の若葉が。

美しい季節になりました。

そしていろいろに。

「春」の木々の花ひらき咲く季節。

春花(はな)と春若葉(わかば)と。

こがねの春若草(はるわかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「春の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「春の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

春花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

春風の

弓に射られて

花ぞ舞い散る

はるはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

はるかせの

ゆみにいられて

はなそまいちる

「春の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。

花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「春」になり。

今は「5月」。

はるばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「春の花」。

「みかん」と「からたち」

こがねいろの葉っぱのふくらむ季節。

「春」の「5月」。

冬将軍といれかわり。

立ち去った秋の「竜田姫(たつたひめ)」

さそわれて

秋の「竜田姫(たつたひめ)」は去りいまは春。

「春」の女神(めがみ)の。

「佐保姫(さほひめ)」の。

ほほえみが感じられます。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」が。

沢山自生しています。

野生の「すみれ」も

珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「春かぜ」と「春吹雪:はるふぶき」

が吹いています。

「春」になりました。

「季節」がはじまりました。

「あかるくて」とてもよい。

さすらいゆく季節を伝える

「春」の風です。

「春」がふかまれば。

「もっと深い「春」」の。

トンネルをこえる。

そこは「里山の「春」」。

「春吹雪:はるふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「春から先」への。

「トンネル」のあることも

わかります。

春樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「春吹雪:はるふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」は「舞姫」。

「春吹雪」は突如(とつじょ)

天から舞い降りるように。

吹きます。

「春」の陽射しはまばゆい。

こがねにかがやくあやにしき。

ひかりかがやく「春」になりました。

陽のかがやく「春」になりました。

風のうたう「春」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「春吹雪:はるふぶき」の声は

「春かぜ」のふく音色は。

「春」の女神(めがみ)

ひきいる女神たちの。

なぜかなつかしき笛のよう。

はるかぜのワルツ。

みのりのワルツ。

はるは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」「夏」「秋」「冬」へとあゆみ」。
今は「春」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

霧雨(きりさめ)の。

霞(かすみ)の大気。

「春吹雪:はるふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「春かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「春吹雪:はるふぶき」の。

鳴き声とともに。

「春一番」の「はるのしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「はるかぜ」の合唱は。

「春」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「春」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「春」のおとずれが。

わかります。

春の女神(めがみ)

のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は

そぞろに「春」の今年の芽栄え。

そして「春」の旅愁。

昔昔の懐かしさをも感じさせます。

「ふけゆく春の夜」に。

「夜のすすき」はどのようにして

「夜」をこすのだろう。

「よるのすすき」がみたいです。

ススキの茎の「穂先」には。

「春ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

はるくれば

こがね葉いずる

春すすき

葉のいづる

そのときときこそは

春さかりなるらむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「春」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きのう」はないのです。

子供たちの聞き入る

昔々の「ものがたり」のように。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「春」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよる。
もっともっと奥の。
深く深まる「春のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あかるい「春」」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「5月」。

「春」です。

「春の青葉の城」のような「5月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「春」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「春」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

春の芽吹くときには。

街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
秋の早朝にみえます。

春になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
「春」にはいってからのことです。

「冬」そして1月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」がすぎ。「9・10・11・12月」がすぎ。
「春」の「5月」。

今現在は落ち着いた「はる」の葉木。
「はる」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「春」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの春」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「はる」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「「春」のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「春」の「めばえ」のひろがりです。

「春がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「春のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「春」の若芽のめばえ」
が。
「春葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。
いまは「春」です。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」はすぎさり。
「秋」の「9月」「10月」がおわり。
「秋」の「11月」「冬」の「12月「1月」「2月」が去り。
今は「春」「5月」。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色に葉っぱが消え
若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「「春」の朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「春」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「ふゆ」から「はる」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「はる」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「はるのわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

はるの桜木(さくらぎ)。

はるになり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

季節の桜木(さくらぎ)。

季節の桜木(さくらぎ)。

「春」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「春も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「春」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません(原文どおり)。*

北大路魯山人氏は「書」を能く(よく)されましたが。
文章そのものは得意なかたではありません。
文筆を学ばれたわけではなかったので。
語彙が極端に乏しい。
よりまして。
北大路魯山人氏の文章には「かたり」と。
独特の「いいまわし」があります。

木々の秋の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「あき木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「秋の花」の姿となりそして「秋」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
秋葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。
そして秋と冬。

そして今は。

「春」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

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大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のカクテルいろの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコいしのプリンの空(そら)
はるかにとほくたかい空(そら)
ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームのような空(そら)
睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
空(そら)の向こうにまた空(そら)
空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

椎木(しいのき)は枝高し
そらに吼える若葉の穂束
そらに吼える蒼き獅子のごとし
天にも地にもみどりはさける
のあさふかまりて
陽の光ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
いふこともなし
ゆたかなるかな

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
1952年 - イギリスで「世界初のジェット旅客機」
である「コメット」が就航した日です。

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デ・ハビランド コメット
:de Havilland DH.106 Comet は。

イギリスのデ・ハビランド社が製造した
世界初のジェット旅客機です。

「コメット」の名称は自社の
デ・ハビランド DH.88に続いて二代目になります。

定期運航就航後、
程なくして、与圧された胴体の繰返し変形による金属疲労が
原因の空中分解事故を起こしました。

そこで得られた教訓がその後の航空技術、
就中安全向上に果たした役割もまた非常に大きいものです。

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デ・ハビランド コメット :de Havilland DH.106 Comet の開発

第二次世界大戦中の1944年に
ブラバゾン委員会(戦後の航空輸送に関する委員会)が
纏めた「500mph(800km/h)で大西洋横断可能」な
ジェット旅客機計画がありました。

これを受けてデ・ハビランド社が英軍需省の補助金を得ました。
1946年から開発に着手致しました。

初期案は24席の無尾翼機でありました。

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開発が難航していた
ロールス・ロイス エイヴォンの実用化は
1950年より先になるという予想の下に。

敢えて旧式ながら実績のある
自社製のゴースト (Ghost) が採用されました。

アンダーパワーを克服し、
高与圧と低温に耐える必要から、
機体構造にはモスキートなど同社のお家芸とも言える
木製高速機で十分な経験を積んだ、
エポキシ接着剤リダックス (Redux)が多用され、
圧倒的軽量化と平滑化と高剛性化が図られました。

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デ・ハビランド コメット
:de Havilland DH.106 Comet の完成

ダグラスDC-7同年に愛息を
自社の高速研究機 DH.108 の事故で失った
サー・ジェフリー・デハビランド
(Geoffrey de Havilland) にとって。

世界初のジェット旅客機の完成は悲願になりました。

1949年7月27日(自らの57回目の誕生日)の初飛行時には。
チーフ・テストパイロットのジョン・カニンガム元空軍大佐と共に、
自ら操縦席に座りました。

これは当時の最新鋭レシプロ機ダグラスDC-7よりも早く、
ロッキード・スーパーコンステレーションとほぼ同時であり、
追従者は他にない独走状態でありました。

因みに試作2号機の処女飛行も、
翌年の同じ7月27日に同じメンバーでなされました。

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しかし敗戦国ドイツから
多くの航空技術者を移入させたアメリカは。

青天井の予算を与え戦時中のプロジェクトを継続させた結果。

早くも1947年には後退翼の
超革新的な大型ジェット爆撃機B-47を進空させ、
その「フラミンゴのようにスマート」と評されたほど
優美なフォルムで全世界に衝撃を与えました。

対して保守的な外観のコメットには
失望の声も半ばしていたということです。

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就航

速度・高度共に
前人未到の領域を飛ぶ初のジェット旅客機には。

地上支援体制を始め運航システムの殆ど総てを
新規開発する必要がありました。

イギリス空軍、英国海外航空
(BOAC、現ブリティッシュ・エアウェイズ)と
協働の上、航路開拓も含めて
2年間の入念な準備期間が置かれました。

その間2機の試作機
(G-ALVG, G-ALZK)は世界各地に飛来し先々で羨望を浴びました。

1952年5月、満を持した
初の商用運航がBOACのコメット Mk.I に
よってヒースロー〜ヨハネスブルグ間で行われ、
所用時間を一気に半減させてみせました。
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乗客数こそ従来のプロペラ機と同等かそれ未満でしたが。

従来の2倍の速度だけでなく、
天候の影響を受けにくい高高度を飛行することに
よって快適性もレシプロ機の比ではない事が明らかになりました。

定時発着率の高さも実証され、
初年度だけで3万人が搭乗する人気を博しました。

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デ・ハビランド コメット
:de Havilland DH.106 Comet の活躍

順次航路を全世界に拡大し、
翌1953年には試作2号機がファーンボロ航空ショーで
超低空90度バンクターンを決めてみせ、
南回り航路経由でヒースロー〜羽田間という
長距離路線にも定期就航致しました。

第二次世界大戦争中にジェット機の試作にまで成功したものの、
占領下で航空機開発の一切を禁じられ、
ジェット時代の到来に為す術なくいた
日本の旧航空技術者達は、コメットの銀翼と快音に
切歯扼腕したということです。

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エールフランスやトランス・カナダ航空などでも
運航開始され、懸念された燃費も低廉なジェット燃料と
高い満席率で相殺されることが分かりました。

就航当初の様子見気分は払拭されました。

日本航空やパンアメリカン航空、南アフリカ航空などの
世界中のナショナル・フラッグ・キャリアから
50機以上のバックオーダーを抱え、
量産体制に入ったデ・ハビランド社は前途洋々でした。

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金属疲労による連続事故
詳細は「コメット連続墜落事故」を参照

就航から1年の間に3機の Mk.I/IA が離着陸時の事故で失われたが、
乗客に死者は出ませんでした。

何れも高速機特有の挙動に不慣れなパイロットの
誤操縦によるものと判断されました。

けれどもマニュアルが改訂され運用法が変更された他、
既存機にも失速性能向上のための改良が施されました。

しかし1954年1月と4月にイタリア近海で2機が連続して墜落し、
共に乗客乗員が全員死亡致しました。

回収された残骸の状況などより空中分解が疑われたが、
当初原因不明とされたため、
コメットは耐空証明を取り消され全機運航停止処分になりました。

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この時羽田に滞在していたがBOAC機も、
運航停止の報を受けて急遽本国に取って返しています。

徹底調査

回収され復元されたG-ALYP機と亀裂発生個所時の
イギリス首相のウィンストン・チャーチルの
厳命を受けたロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント (RAE)によって。

1月に墜落した機体の大規模なサルベージと
復元作業が行われ、徹底的な調査が実施されました。

また与圧された胴体が金属疲労で破壊された可能性が指摘されたため、
巨大な水槽を建造して中に胴体を沈め、
水圧を掛けて地上で人工的に与圧状態を作り出す、
極めて大がかりな再現実験が行われました。

アメリカからダグラスも参加した解析の結果、
数万フライト分と計算されていた構造寿命が、
実際には一桁低かったことが判明致しました。

1955年2月には、離着陸サイクルで
加減圧と熱収縮の反復に晒されたことで発生した
金属疲労が原因だとする、最終報告が纏められました。
窓枠の角、或いは航法装置取付部に亀裂が発生し、こ
れが成長して機体が破裂的な空中分解に至ったのです。

このシーケンスが明らかになったことで、
その後のジェット旅客機は窓などの開口部の角が落とされ、
また万一亀裂が生じてもその成長を食い止める
フェイルセーフ構造が採り入れられました。

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再デビュー

英国海外航空のコメットMk.III
オリンピック航空のコメットMk.IV連続墜落事故発生当時、
製造ライン上にあったエイヴォン搭載のパワーアップ型 Mk.II は、
世界各国のエアラインからの発注を総てキャンセルされました。

胴体構造を強化変更し飛行回数を制限した上で、
英空軍の輸送機として継続運用され、
安全性を実証する傍らデータ収集が続けられました。

続くMk.III は、抜本的な改設計を受け、
大西洋横断飛行が可能なストレッチ版の本格仕様に成長し
1954年末に初飛行したものの、
同年367-80(後のボーイング707)を進空させたアメリカのボーイングが、
自社の新型機が実用化するまでの間、
FAAに政治的圧力を掛け耐空証明再発行を先延ばしし続けさせたとも言われ、
設計着手から10年を経たコメットはこの空白期間にリードを失い、
陳腐化を余儀なくされてしまいました。

1958年にMk.IVが、英国海外航空の手によって
漸くロンドン-ニューヨーク間の定期便に再就航したが、
わずか1カ月弱後にデビューした
より高速でより大型のボーイング707やダグラスDC-8ら第2世代機との競合に敗退し、
英国海外航空までがボーイング707を発注する上に、
事実上の後継機となるイギリス製のヴィッカースVC-10が就航したことなどにより
オーダーが途絶えたために、
1964年末にシリーズ合計112機をもって生産を中止致しました。

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その後も長らくの間アルゼンチン航空や
ダン・エア、オリンピック航空や
メヒカーナ航空など世界各国の航空会社で運用されました。

なお、Mk.IIとMk.IVシリーズの事故率は同時代に就航していた
競合機より明らかに低く、
安全対策が完全に奏功したことを実証してみせたものの、
より運航効率の良いボーイング727や
マクドネル・ダグラスDC-9などの中型機が登場したこともあり、
1982年までに全機退役致しました。

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デ・ハビランド DH.106 コメット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%93%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89_DH.106_%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88

デ・ハビランド コメット (de Havilland DH.106 Comet) は、イギリスのデ・ハビランド社が製造した世界初のジェット旅客機。「コメット」の名称は自社のデ・ハビランド DH.88に続いて二代目である。

定期運航就航後、程なくして、与圧された胴体の繰返し変形による金属疲労が原因の空中分解事故を起こしたが、そこで得られた教訓がその後の航空技術、就中安全向上に果たした役割もまた非常に大きい。