東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年5月20日(木曜日)

「春」です。

「春」の「5月」

になりました。

まばゆいほどに。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

すがすがしくやさしい。

「春」「5月」の。

黄金(こがね)のように

かがやいている。

透明な。

つよい朝の陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「5月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる季節の山焼き。

大気は「かおる」。

しずかなひざしです。

「春」のあさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしく。

けれどもちから強くしずかです。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

輝く優しき

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

かかやくやさしき

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「春」になりました。

今年も春がきました。

「春」がきて。

今は「5月」。

「春」がふうせんのように。

ふくらみそしてみのり。

ひろがりゆく季節。

「5月」です。

季節のまつりは季節におわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

季節の花が咲き。

野草は「葉草」となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

はれて季節の山水の風情です。

くさみどりの葉のつつじが。

さえほこっています。

「春」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「季節」の小川。

「どんどん」ながれる。

季節のおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたいような不思議さ。

ずっと流れを追いかけて。

海原までたどれるのだろうか。

海原のもっとさきまで。

たどりつけるのだろうか。

たどりつけるのであれば。

いってみたいです。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。
「1月」がおわれば「2月」
そして「春」の「3月」「4月」がすぎて。

「はる」の「5月」です。

「陽」はすでに

日々にながくなりつつあります。

「春」がきて。

さらにも。

「春のかおりつたえる大地」。

大地をてらす「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

http://www.youtube.com/watch?v=pr-N1PDHmzk

「春」の「5月」です。

「春」の「5月」の。

陽は日々たかくなっています。

夕暮れ時の夜にゆらぐ。

明るい家々のゆふべの灯火(ともしび)。

あたたかいぬくもり。

しあわせのだんらんのひかり。

春に燃えてゆらぐともしび。

しあわせいろの春のともしび。

団欒のともしび時に。

豆腐屋さんのラッパや。

季節のよるはよなきそばの

らっぱもむかしは。

聞こえました。

朝陽ののぼるのがはやくなりました。

夕陽がおりるのはおそくなりました。

朝の「春」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「春」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

明るい春の夜の空になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 ひばりを崇拝するイギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )
http://www.youtube.com/watch?v=pr-N1PDHmzk

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「ふゆ」から「春」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

昨年。
「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月11月もおわり」ました。
「11月」もおわりました。
「12月」になりました。
いきつくひまなく。
「新年」。
「初春」の「1月」「2月」もおわり。
「3月」「4月」がすぎました。

「5月」

「季節」から「季節」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

そして「年」をこします。

「春」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「あらたな季節」にむかって

あるいて行くようです。

だから。

「新しい季節」をまつのであれば。

「新しい季節」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「季節」をまつのであれば。

すぎさる「季節」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

「かぜのおと」がかわり。

「季節」はなにかが生まれるようにおとずれます。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「春」ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=pr-N1PDHmzk

「季節」はゆっくりとあるいてやってくる。

「季節」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

ゆく先々を「来年」とすれば。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」にも。

「わらう」。

「鬼」のような「怪物」は。

存在するのだろうか。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「はる」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「春」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「クリームいろの月」でした。

04:00amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「はる」の「朝焼け色」の線描です。

「春」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「はる」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。

ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」「11月」はおわり。
「12月」「1月」「2月」「3月」「4月」がすぎされば。

今は「5月」。

「春の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「秋の花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「春の花・花々」が。
蕾をふくらませています。
「春の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「きせつ」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「春の花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「はるかぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「きせつ」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の

「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「冬」によろこび。

「冬」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

去り過ぎた「「秋」そして「冬」。

「春」の女神「佐保姫(さほひめ)」が

微笑んでいます。

春が来ました。

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは暗くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「きせつ」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり冬のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「冬から春」の「かぜおと」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

秋が過ぎて。ふゆがすぎて。

今はふたたび「春」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。
19世紀ロシア文学
(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)
のさきがけとなった写実的小説をものした
フランスの小説家。

大天才にして大文豪である
また大食漢でも有名な
フランスの小説家。

1799年 - オノレ・ド・バルザック、小説家(+ 1850年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

オノレ・ド・バルザック
:Honore de Balzac, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、
フランスの小説家です。

サマセット・モームは自著『世界の十大小説』のなかで。
バルザックを。

「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べています。

バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群
『人間喜劇』を執筆致しました。

これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)
のさきがけとなった写実的小説です。

『レ・ミゼラブル』の作者ヴィクトル・ユーゴーの親友でもありました。
オノレ・ド・バルザックの「ド」は貴族を気取った自称です。

++++++++++++++++++++++

オノレ・ド・バルザック:Honore de Balzacは
トゥールで生まれました。

父親はトゥールの要職にある実務家、
母親はパリ育ちで夫より30歳あまり年下でした。

幼少時代からあまり母親に愛されず、
生後すぐにトゥール近郊に住む乳母に預けられました。

その後、寄宿学校に入れられて
1807年から1813年まで孤独な少年時代を送りました。

その6年間に母親が面会に訪れたのは2度だけだったそうです。

母親からの愛の欠乏と、
その後の彼の人生における女性遍歴の多さは、
関連づけて言及されることが多いものです。

++++++++++++++++++++++

母親アンヌ=シャルロット=ロールは神経質な人物でした。

宗教家サン=マルタンやエマヌエル・スヴェーデンボリらの
神秘思想やフランツ・アントン・メスメルの
動物磁気に傾倒する神秘主義者でもありました。

そのことがバルザックに多大な影響を与えました。
そして受け継がれました。

なお、バルザックは自分の母親について。

「おれを滅茶苦茶にしたのはお袋の奴だ」と
終始主張していたということです。

++++++++++++++++++++++

1814年、父の仕事がきっかけで
オノレ・ド・バルザック:Honore de Balzac一家は
パリへ引っ越します。

バルザックはソルボンヌ大学に聴講生として通い、
法科大学の入学試験に合格。

父の退官によりパリ郊外へ引っ越すことになったとき、
1人でパリに残り創作活動を始めました。

両親は息子が公証人になることを希望したが、
バルザックはそれを拒みました。

当初は屋根裏部屋で生活し、
その生活の様子は『あら皮』などの初期の小説に反映しています。

++++++++++++++++++++++

オノレ・ド・バルザック:Honore de Balzacは。
1829年以降、
『ふくろう党』、『結婚の生理学』、『私生活情景』を発表し、
1831年の『あら皮』で成功致しました。

バルザックの小説執筆スタイルは以下のようなものでありました。

まずコーヒーを牛飲し、主として夜間に長時間にわたって、
何回も推敲を繰り返しながら執筆致しました。

執筆が終わると、疲れをおしてすぐに社交界に顔を出しました。

小説を書いている以外の時間は、
社交界でご馳走をたらふく食べるか、
知人と楽しく過ごすかのいずれかに費やされました。

++++++++++++++++++++++

もはや伝説になっているバルザックの大食いは、
(糖尿病が原因と思われる)晩年の失明や、
死因となった腹膜炎を引き起こしたと思われます。

借金も豪放、食事も豪胆でありました。

事業の失敗や贅沢な生活のためにバルザックがつくった
莫大な借金は、ついに彼自身によって清算されることはなく、
晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人
ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産によって清算されました。

++++++++++++++++++++++
作風
バルザックの小説の特性は
社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に。

人間の精神の内部を精密に描くというところにあります。

高潔な善人が小説のなかに出てきます。
けれども。
かれらは偽善的な社会のなかで苦悩のうちに死んでいきます
(『ゴリオ爺さん』、『谷間のゆり』など)。

創作の天才で、多作にも関わらず、
死に至るまでアイデアが尽きることはありませんでした。

社会のあらゆる人物、場面を描くことによって、
フランス社会史を成す『人間喜劇』を構想したが
未完におわりました。

パリの死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンと
親しく交際があったと言われており、
サンソン回想録を執筆しています。

++++++++++++++++++++++

主な作品
1831年 『ツールの司祭』
1832年 『ルイ・ランベール』
1833年 『ウージェニー・グランデ』
1834年-35年 『絶対の探求』、『ゴリオ爺さん』
1835年 『谷間のゆり』
1846年 『従妹ベット』
1847年 『従兄ポンス』
『バルザック全集』(全26巻)が
東京創元社で出版し、1973年に完結重版もされました。

21世紀に入り「選集」が、
水声社全5巻と
藤原書店全15巻で出されています。

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オノレ・ド・バルザック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF

オノレ・ド・バルザック:Honore de Balzac, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、フランスの小説家。

サマセット・モームは自著『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説である。『レ・ミゼラブル』の作者ヴィクトル・ユーゴーの親友でもあった。オノレ・ド・バルザックの「ド」は貴族を気取った自称。

生涯・人物
トゥールで生まれた。父親はトゥールの要職にある実務家、母親はパリ育ちで夫より30歳あまり年下だった。幼少時代からあまり母親に愛されず、生後すぐにトゥール近郊に住む乳母に預けられた。その後、寄宿学校に入れられて1807年から1813年まで孤独な少年時代を送る。その6年間に母親が面会に訪れたのは2度だけだった。母親からの愛の欠乏と、その後の彼の人生における女性遍歴の多さは、関連づけて言及されることが多い。

母親アンヌ=シャルロット=ロールは神経質な人物であり、宗教家サン=マルタンやエマヌエル・スヴェーデンボリらの神秘思想やフランツ・アントン・メスメルの動物磁気に傾倒する神秘主義者でもあった。そのことがバルザックに多大な影響を与え、受け継がれた。なお、バルザックは自分の母親について「おれを滅茶苦茶にしたのはお袋の奴だ」と終始主張していたという。[要出典]

1814年、父の仕事がきっかけで一家はパリへ引っ越す。バルザックはソルボンヌ大学に聴講生として通い、法科大学の入学試験に合格。父の退官によりパリ郊外へ引っ越すことになったとき、1人でパリに残り創作活動を始める。両親は息子が公証人になることを希望したが、バルザックはそれを拒んだ。当初は屋根裏部屋で生活し、その生活の様子は『あら皮』などの初期の小説に反映している。1829年以降、『ふくろう党』、『結婚の生理学』、『私生活情景』を発表し、1831年の『あら皮』で成功する。

バルザックの小説執筆スタイルは以下のようなものであった。まずコーヒーを牛飲し、主として夜間に長時間にわたって、何回も推敲を繰り返しながら執筆した。執筆が終わると、疲れをおしてすぐに社交界に顔を出した。

小説を書いている以外の時間は、社交界でご馳走をたらふく食べるか、知人と楽しく過ごすかのいずれかに費やされた。もはや伝説になっているバルザックの大食いは、(糖尿病が原因と思われる)晩年の失明や、死因となった腹膜炎を引き起こしたと思われる。借金も豪放、食事も豪胆であった。事業の失敗や贅沢な生活のためにバルザックがつくった莫大な借金は、ついに彼自身によって清算されることはなく、晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産によって清算された。

作風
バルザックの小説の特性は、社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、人間の精神の内部を精密に描くというところにある。高潔な善人が小説のなかに出てくるが、かれらは偽善的な社会のなかで苦悩のうちに死んでいく(『ゴリオ爺さん』、『谷間のゆり』など)。創作の天才で、多作にも関わらず、死に至るまでアイデアが尽きることはなかった。社会のあらゆる人物、場面を描くことによって、フランス社会史を成す『人間喜劇』を構想したが、未完におわった。

パリの死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンと親しく交際があったと言われており、サンソン回想録を執筆している。

主な作品
1831年 『ツールの司祭』
1832年 『ルイ・ランベール』
1833年 『ウージェニー・グランデ』
1834年-35年 『絶対の探求』、『ゴリオ爺さん』
1835年 『谷間のゆり』
1846年 『従妹ベット』
1847年 『従兄ポンス』
『バルザック全集』(全26巻)が東京創元社で出版し、1973年に完結重版もされた。
 21世紀に入り「選集」が、水声社全5巻と藤原書店全15巻で出されている。

伝記研究
アンリ・トロワイヤ、尾河直哉訳 『バルザック伝』 白水社
シュテファン・ツヴァイク、水野亮訳 『バルザック』 早川書房
ロベルト・クルティウス、小竹澄栄訳『バルザック論』 みすず書房
鹿島茂・山田登世子共著 『バルザックがおもしろい』 藤原書店
鹿島茂・山田登世子編 『バルザックを読む』〈1、2〉 藤原書店
大矢タカヤス編 『バルザック「人間喜劇」ハンドブック』〈1、2〉 藤原書店
ロベール・クルティーヌ、石井晴一・渡辺隆司共訳 『食卓のバルザック』柴田書店
石井晴一 『バルザックの世界』第三文明社
新訳 『艶笑滑稽譚』を岩波書店で刊行
高山鉄男 『バルザック』 <新書.人と思想>清水書院
古屋健三、小潟昭夫編 『19世紀フランス文学事典』 慶應義塾大学出版会。 - 西尾修が「オノレ・ド・バルザック」の項目を執筆
日本におけるバルザックの関係資料として、武蔵大学図書館には、水野亮の寄贈による水野文庫がある。

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5月20日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8820%E6%97%A5

できごと
325年 - 第1回ニカイア公会議。ニカイア信条を採択、復活祭の日付を制定。
1498年 - ヴァスコ・ダ・ガマが第一次航海でカリカットに到達。
1631年 - 三十年戦争: マクデブルクの戦いが終結。
1862年 - エイブラハム・リンカーン米大統領がホームステッド法に署名、同法が発効。
1873年 - リーヴァイ・ストラウスとジェイコブ・デイヴィスがリベットでポケットを補強したズボンの特許を取得、ジーンズの発祥とされる。
1875年 - パリでメートル条約が締結。
1902年 - キューバがアメリカ合衆国から独立。
1903年 - 日本人で初めてチベットに入国した仏教学者・河口慧海が4年ぶりに帰国。
1908年 - ジャワで民族主義的政治結社プディ・ウトモが結成される。
1918年 - アメリカ海軍の戦艦ニューメキシコが就役。
1933年 - 大阪市営地下鉄御堂筋線・梅田(仮駅) - 心斎橋駅間が開業。
1941年 - 第二次世界大戦: クレタ島の戦いはじまる。
1942年 - 翼賛政治会結成。国会議員のほぼ全員が参加。
1949年 - 台湾で世界一番長い戒厳令、台湾省戒厳令がはじめて施行される。
1968年 - 『信濃の国』が正式に長野県の県歌として制定される。
1969年 - 立命館大学全共闘が同校のわだつみ像を破壊。
1977年 - オリエント急行のイスタンブール行最終列車がパリを出発。
1978年 - 新東京国際空港(成田空港)が開港。
2001年 - ウィキペディア日本語版が開設される。
2002年 - 東ティモールがインドネシアから独立。シャナナ・グスマンが初代大統領に、マリ・アルカティリが初代首相に就任。
2008年 - シンガポール航空により、世界最大の旅客機エアバスA380が、日本(シンガポール - 成田)に初めて乗り入れる。

誕生日
1799年 - オノレ・ド・バルザック、小説家(+ 1850年)
1822年 - フレデリック・パシー、経済学者・国際平和連盟設立(+ 1912年)
1806年 - ジョン・スチュアート・ミル、思想家・経済学者(+ 1873年)
1830年 - エクトル・マロ、小説家(+ 1907年)
1851年(嘉永4年4月20日) - 山葉寅楠、実業家(+ 1916年)
1851年 - エミール・ベルリナー、発明家(+ 1929年)
1860年 - エドゥアルト・ブフナー、生化学者(+ 1917年)
1890年 - ベニャミーノ・ジーリ、テノール歌手(+ 1957年)
1897年 - コートニー・ホイットニー、弁護士・法学博士、合衆国米軍将官(+ 1969年)
1898年 - ジョセフ・マーフィー、牧師(+ 1981年)
1901年 - 島秀雄、鉄道技術者(+1998年)
1904年 - マージェリー・アリンガム、推理作家(+ 1966年)
1908年 - ジェームズ・ステュアート、俳優(+ 1997年)
1914年 - 前畑秀子、水泳選手(+ 1995年)
1922年 - 大野俊康、神職
1924年 - 相田みつを、書家・詩人(+ 1991年)
1927年 - 小笠原弘、俳優(+ 2006年)
1929年 - 一陽斎蝶一、奇術師
1931年 - 猪谷千春、スキー選手・IOC理事
1936年 - 河崎義祐、映画監督
1936年 - 太田誠、アマチュア野球指導者
1937年 - 荒木勇、政治家・習志野市長
1939年 - 東條由布子、作家
1940年 - 王貞治、プロ野球選手・監督
1940年 - オットー・ジェリネク、フィギュアスケート選手
1941年 - ゴー・チョク・トン、シンガポール首相
1942年 - カルロス・ハスコック、アメリカ合衆国の軍人、狙撃手(+ 1999年)
1945年 - 昔昔亭桃太郎、落語家
1946年 - ジム・ライトル、プロ野球選手
1948年 - 玄田哲章、声優
1950年 - 毛利蔵人、作曲家(+ 1997年)
1957年 - 野田佳彦、民主党衆議院議員、元同党国会対策委員長
1955年 - ディエゴ・アバタントゥオーノ、俳優
1955年 - 植上健治、プロ野球選手(+ 1995年)
1956年 - 工藤一彦、プロ野球選手
1958年 - 加川明、歌手・俳優
1958年 - 西村博巳、プロ野球選手
1958年 - 赤嶺賢勇、プロ野球選手
1959年 - イズラエル・カマカヴィヴォオレ、ハワイアンシンガー(+ 1997年)
1959年 - 佐藤修、東北放送アナウンサー
1961年 - ラルフ・ブライアント、プロ野球選手
1961年 - 高野光、プロ野球選手(+ 2000年)
1962年 - 三間雅文、音響監督
1963年 - 高木宣宏、プロ野球選手
1964年 - ジェフ・シュワーズ、プロ野球選手
1965年 - 佐藤晃、ミュージシャン(infix)
1966年 - 益子直美、バレーボール選手
1969年 - 高橋和也、ミュージシャン・俳優
1970年 - 河村隆一、ミュージシャン
1971年 - GISHO、ミュージシャン(PENICILLIN)
1971年 - 光浦靖子、お笑いタレント
1971年 - 大越基、プロ野球選手
1975年 - ラルフ・ファーマン、レーシングドライバー
1976年 - 里崎智也、プロ野球選手
1976年 - ラモン・ヘルナンデス、メジャーリーガー
1978年 - 永井大、俳優・タレント
1978年 - 山本舞衣子、アナウンサー
1978年 - ウィルソン・バルデス、プロ野球選手
1979年 - 岩見よしまさ、お笑いタレント
1979年 - クリストフ・ルメール、騎手
1980年 - 森千夏、女子砲丸投選手。アテネオリンピック日本代表。(+ 2006年)
1980年 - 新保友映、ニッポン放送アナウンサー
1981年 - イケル・カシージャス、サッカー選手
1981年 - 田中賢介、プロ野球選手
1981年 - 藤井淳志、プロ野球選手
1981年 - 岡本篤志、プロ野球選手
1981年 - 新井亮司、プロ野球選手
1981年 - 飯窪五月、お菓子系アイドル
1981年 - 瀬戸内あすか、AV女優
1982年 - ペトル・チェフ、サッカー選手、チェコ
1984年 - 宇都格、プロ野球選手
1984年 - 平野良、俳優
1985年 - 村田透、プロ野球選手
1986年 - 丸田恭介、騎手
1987年 - みづなれい、AV女優
1988年 - 長瀬実夕(MIYU、Miyu)、歌手
1990年 - 吉田紗也加、女優
1993年 - キャロライン・ジャン、フィギュアスケート選手

忌日
1277年 - ヨハネス21世、ローマ教皇(* 1215年)
1506年 - クリストファー・コロンブス、探検家(* 1451年頃)
1550年(天文19年5月4日) - 足利義晴、室町幕府12代将軍(* 1511年)
1622年 - オスマン2世、第16代オスマン帝国スルタン(* 1604年)
1632年(寛永9年4月2日)- 池田忠雄、岡山藩主(* 1602年)
1648年 - ヴワディスワフ4世、ポーランド王(* 1595年)
1720年(享保5年4月14日)- 山内豊隆、第6代土佐藩主(* 1673年)
1784年(天明4年4月2日)- 田沼意知、江戸幕府若年寄(* 1749年)
1834年 - ラファイエット、アメリカ独立戦争に参加した軍人(* 1757年)
1885年 - フレデリック・セオドア・フリーリングハイゼン、第29代アメリカ合衆国国務長官(* 1817年)
1887年 - アレクサンドル・ウリヤノフ、レーニンの兄(* 1866年)
1889年 - 上杉斉憲、第12代米沢藩主(* 1820年)
1891年 - 畠山勇子、大津事件の際ロシア皇太子宛の遺書を残し自害した女性(* 1865年)
1896年 - クララ・シューマン、ピアニスト・ロベルト・シューマンの妻(* 1819年)
1897年 - ホレイショ・キング、第22代アメリカ合衆国郵政長官(* 1811年)
1899年 - カルロッタ・グリジ、バレエダンサー(* 1819年)
1915年 - チャールズ・フランシス・アダムズ (2世)、実業家(* 1835年)
1925年 - 徳川頼倫、日本図書館協会総裁・日本の貴族院議員(* 1872年)
1925年 - 海野厚、童謡作家・俳人(* 1896年)
1932年 - ウィリアム・ベンソン、アメリカ海軍の大将(* 1855年)
1940年 - ヴェルネル・フォン・ハイデンスタム、詩人・小説家(* 1859年)
1942年 - エクトール・ギマール、建築家(* 1867年)
1942年 - ワシーリー・カラファーティ、作曲家(* 1869年)
1945年 - 閑院宮載仁親王、日本の皇族(* 1865年)
1945年 - 景浦將、プロ野球選手(* 1915年)
1947年 - フィリップ・レーナルト、物理学者(* 1862年)
1955年 - 桂文治 (8代目)、落語家(* 1883年)
1970年 - 江川宇礼雄、俳優(* 1902年)
1971年 - マーティン・ディーゴ、野球選手(* 1905年)
1973年 - ヤルノ・サーリネン、バイクレーサー(* 1945年)
1976年 - 荻原井泉水、俳人(* 1884年)
1978年 - バッキー・ハリス、プロ野球選手(* 1908年)
1983年 - エリック・ホッファー、社会哲学者(* 1902年)
1985年 - 牛原虚彦、映画監督(* 1897年)
1986年 - ヘレン・ブルック・タウシグ、医学者(* 1898年)
1987年 - 今井兼次、建築家(* 1895年)
1988年 - マイク・ラインバック、プロ野球選手(* 1949年)
1989年 - ジョン・ヒックス、経済学者(* 1904年)
1993年 - アル・エイバー、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1927年)
1994年 - 伊東正義、日本の内閣官房長官(* 1913年)
1997年 - 高辻正己、日本の48代法務大臣(* 1910年)
1997年 - 若二瀬唯之、大相撲の力士(* 1942年)
1998年 - 宮崎義一、経済学者(* 1919年)
1999年 - 由利徹、コメディアン(* 1921年)
2000年 - ジャン=ピエール・ランパル、フルート奏者(* 1922年)
2000年 - 田中豊一、物理学者(* 1946年)
2002年 - スティーヴン・ジェイ・グールド、古生物学者(* 1941年)
2003年 - 平井富三郎、日本サッカー協会第5代会長・実業家(* 1906年)
2005年 - 神田坤六、群馬県知事(* 1908年)
2005年 - ポール・リクール、哲学者(* 1913年)
2007年 - スタンリー・ミラー、化学者(* 1930年)
2008年 - ジョシュア、ファッションモデル(* 1982年)
2009年 - 近藤摂南、書道家(* 1922年)
2009年 - ルーシー・ゴードン、女優・モデル(* 1980年)

記念日・年中行事

世界計量記念日
1875年のこの日にメートル条約が締結されたことに因み、
条約締結125周年を記念して2000年から実施。

東京港開港記念日
1941年のこの日に、東京港の芝浦・竹芝両埠頭が完成し、
外国貿易港として開港指定を受けた。

ローマ字の日
財団法人日本のローマ字社(NRS)が1955年に制定。
ローマ字国字論を展開した物理学者・田中舘愛橘の1952年5月21日の命日に因み、
きりのいい20日を記念日とした。

森林(もり)の日
村名に「美」の字がつく村10村で結成した
「美し村(うましさと)連邦」が制定。
5月は「森林」の中に「木」が5つ入っていることから、
20日は「森林」の総画数が20画であることから。

なお、美し村連邦は、参加する村のほとんどが平成の大合併で消滅することから、
2003年に解散している。

三国祭り(福井県坂井市三国町)本祭りの日

酒田祭り(山形県酒田市)本祭りの日