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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年5月22日(土曜日)

「春」。

「5月」です。

「春」の。

「5月」になりました。

「5月」の「春」がやってきました。

「春」がきた。

どこにきた。

「山」にきて「里」にきて。

「野」にもきて。

「まち」に。

「春」がやってきた。

-------------------------------
今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

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です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

昨年
「晩冬」の「2月」がおわり。
「春」になりました。

「3月」「4月」「5月」がおわり。
「8月」になりました。
「夏」です。
「6月」=「夏の始まり」です。
「6月」がおわり「7月」です。
「7月」もおわりました。
最後の夏月「8月」。
夏の「8月」もおわりました。

「9月」の「秋」になり。
「9月」がおわりました。
「10月」「11月」もおわりました。

「12月」「1月」「2月」

そして「3月」「4月」もおわりました。

「5月」の「春」です。

光陰矢のごとし。

野の「はる」

里の「はる」。

「まち」の「春」。

そして。

家路のこいしい「春」。

家々に「ゆふべ」の。

ともしび暖かき「はる」

「野」の「はる」に。

「里山」の「はる」に。

そして。

街(まち)の「春」。

「みのり」の「はる」に。

なりました。

「ちいさな春」をこえて。

もっと「大きな季節」を。

むかえようとしています。

いまは。

「里山」の「春」

「野」の「春」

「まち」の「春」

「はる」を「むかえよう」。
「新年」そして「初春」。
「くるとしつき」は
「無我のうちにむかえよう」。
「冬」がすぎたら。
そうしたら「春」をむかえよう。
「春」がすぎたら「夏」をむかえよう。
「夏」がすぎたら「秋」をむかえよう。
「秋」がすぎたら「冬」をむかえよう。
自在に「かんがえることなくながれてゆく」。

「自然」の「ときの流れ」は。
真(まこと)の幸せの「しらべ」。

「1月」は去り「2月」。
「2月」は去り「3月」。
「3月」は去り「4月」。
「4月」は去り「5月」。
「5月」は去り「6月」。
「7月」「8月」が去り。
「9月」「10月」
「11月」「12月」が去り。
そして「1月」「2月」
「3月」「4月」が去り。
今は「5月」

「ひたひた」と。

さらに深まりゆき。

とおりすぎていく「季節」。

「さくさく」とひびく。

日々の過ぎ去る。

「季節」の足音は。

「とほとほ」と。

朝早くまだ暗い街中に

聞こえるようにとおざかり。

さってゆく。

また「新たな季節」が。

かわりにやってくる。

白く柔らかな春霞の衣をまとい

初々しい。

「春」の姫君の。

「春の姫」「佐保姫(さほひめ)」*

は。

やさしく微笑んでいます。

「佐保姫(さほひめ)」は春の神です。

五行説では春は東の方角にあたります。
平城京の東に佐保山があるために。
春の神は佐保姫と呼ぶようになりました。

白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性です。

竜田山の神で秋の竜田姫と対を成すことになります。

日本の「秋」の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」が去り。

そして。

「冬」がきて。去り。

おとづれる「春」。

日本の「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」。

「どなた」がみつけた「姫君」か。

すてきな女神であると。

感嘆致します。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「魔王:Erlkonig」*は。
「おそい冬の夜」の「嵐のなかを馬駆ける」
「父親」と「子」の情景を描写したものです。

かならずしも「冬の夜」を情景と考えなくても
「魔王」の詩*の
その「魔王」の「おそろしさ」は通じます。


魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。

ゲーテは「ハンノキの王」Erlkonigから。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

この詩はゲーテによって
1782年の歌劇『漁師の娘』
(Die Fischerin) の一部として作詞されました。

-------------------------------

『魔王』はデンマークで生まれた

「比較的新しい伝承」であると考えられます。

それをヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが
ドイツ語に翻訳した『ハンノキの王の娘』
(Erlkonigs Tochter)が
ゲーテの詩の元になっています。

これはヘルダーが1778年に出版し
た『歌の中の人々の声』
(Stimmen der Volker in Liedern)という
民謡を集めた本に収録されています。

魔王(Erlkonig)が。
どのようなものであるかは様々な議論があります。
その名前は字義的には「ハンノキの王」を意味する。
英訳としては。
「妖精の王」(Elf King)がよく用いられます。
それに当たるドイツ語は。
「Elfenkonig」になってしまいます。

よく聞かれる説としては「Erlkonig」は
デンマーク語で妖精の王を意味する
「ellerkonge」または「elverkonge」からの
誤訳だとするものがあります。

しかし。
ゲーテはむしろその「ハンノキの王」から。
樹木の精霊の王として。
魔王を設定し想像力を膨らませたものです。

ドイツおよびデンマークの伝承では
魔王は死の前兆として登場します。
その意味では
「アイルランドのバンシー」
に似ています。

魔王は死に瀕した人物の前に現れます。
魔王の姿かたちや表情がこれから
その人物に訪れる死の内容を表します。

苦しい表情であれば苦しい死であるし
穏やかな表情であれば穏やかな死であるという。
別の解釈としては
妖精の王に触れられた者は必ず死に至るという
伝承が元になったという説もあります。

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今は「5月」の「春」

早いです。

速いものです。

速いのか早いのか。

はやいのか。

けさ暗いうちに。

地をはうような。

「季節風」の

嵐(あらし)がふきました。

「春の花」と「季節風」は。

相性が。

よいようです。

もしかしたら。

「春」の女神(めがみ)の。

「佐保姫(さほひめ)」と。

「春の日」の歌う「季節風」とは。

相性が。

よいのかもしれません。

暗い朝に。

「春の花」の花びらが。

夜の間に「季節風」の。

風弓に射られて。

白鷺の羽が舞いおりているようです。

「春」の。

「季節風」の音は。

宙を舞う前の。

「むささび」の声のような。

「おたけび」。

けれども。

しだいに。

「季節風」は。

「やまりす」の。

「歌声」のようにかわりました。

「やまりす」のうたう。

鳴き声はとてもかわいくて。

小さな「ことり」の鳴き声と。

まったく区別がつきません。

そして「5月」の「春」。

「季節風」のバラード

「佐保姫(さほひめ)」のワルツ

が聞こえます。

「季節風」。

「春いちばん」。

今日の朝暗いうちに。
春の暗闇の地面のうえから。

「早朝に「季節風」の音」
が聞こえました。

不思議な「春」の「はるかぜ」の音」。
「鳴き声」のようです。

いつしか。
「季節風」と。
「「はるかぜ」の音」だけになりました。

「はるかぜ」と
「季節風」は。
早朝暗いうちにふくものである
ことがわかります。

「絵」にかきたい「音」なのです。

面白いが「おそろしい」情景であるような気も致します。
しいてこわい光景をおもいうかべるのであれば

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(Johann Wolfgang von Goethe)
の「冬」の「魔王」のようになるのでしょう。

「春」の声。
「こうこう」と鳴く。
「季節風」
の風音がくわわっていきます。

その「季節風」の音の。
背景に流れる「通奏低音:Generalbass;ゲネラル・バス」*
「はるのはるかぜ」のこえは。
暗闇の「はるの足音」のように聞こえる。
あかるい「はる」の日に。
「陽射しの降るまち」では。
「足音だけが遠ざかっていく」「足音」

「とぼとぼ」
にしだいに重複してきました。
「季節」のあさの「あしおと」と。
「さむさ」のさるあしおとの。
そして「季節」のあしおとの。
「フーガ」と「カノン」。
「季節風」はトッカータ。
「なついちばん」は「フーガ」と「カノン」。

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通奏低音(つうそうていおん)とは
バロック音楽において行われる演奏形態の一つです。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて演奏する形態です。
イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)

の訳語です。
伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名があります。
略してコンティヌオと呼ぶことも多いです。
ドイツ語のゲネラルバスも使われることがあります。

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常緑の木々の深春葉のいろ。
緑がますますあざやかに。
深まる春におちついて。
考えるが如く
「ロダンの彫塑(ちょうそ)」の色合いです。

常緑の木々の葉は。
深緑(ふかみどり)になりました。
そして「冬」をむかえて。
「春緑」のいろあいに
うつろいできました。
もう「緑をうつろいて」
さすがにつかれた黄赤色の葉もみえます。
枯れ葉も樹木のにぎわいです。木々の防熱衣としては
なくてはならないものです。
「春」をむかえます。

「春」の夜明(よあけ)の空から。
「春」の陽がのぼり。
「春」の日の「空色」になってきました。

けれども。
朝暗いうちはミルクのはいった
コバルトのような
カフエ・オレ・コバルトの空色です。
そして雲は天高く「春」の雲です。

あさの05:00AMころに。

東の空
さやかににあかるく
まだくらくあおく
しだいに
雲多い空はラピズラズリからトルコ石
のようににうつろうように。
しらんできます。

その上空にさらに。
明らかなる大きな質量のある。
「深まる季節の気配」を感じます。

野路はた見たりビロードのしだ
わらべのごときビロードのしだ
わらびのごとく輝けりビロードのしだ
山奥にひそむビロードのしだ
しのぶの羊歯(しだ)ビロードのしだ
めずらしき羊歯ビロードのしだ
ときわの緑のほのほビロードのしだ
山奥のしだのビロードのしだ
「まち」にもいきるビロードのしだ
けなげなりもあはれなりビロードのしだ
生い立ちしらずビロードのしだ
されどそのちからこそとほとしビロードのしだ

「春」きたれり。

「春」いざいまこそは

「春」よき季節にあらむ

「春」ふと空をみる

おとたかき

換気扇より

なかれいる

ひともとの春風の

かせのこえこそ

さわやかなりし

今時にもかかわらず放射冷却で
朝はとても寒いが。
「ぬくもり」はある。

確実に日は長くなりました。
葉木(はき)の樹木は「木」にかわり。
秋の木から「冬の木」にうつろいさらに
「冬の木」から。
「春の木」にうつろう時期
です。

外路樹の若葉は
緑濃くオリーブの葉のごとし
つみとりたくなる
ほどにきれいです。
けれどもひそやかに木々の葉にも
深い「はる」からさらに「はる」。
の気配がうつろいて。
うつります。

そして春の「佐保姫(さほひめ)」
は微笑みをうかべてよそのくにから
みつめています。
かわりに秋の「竜田姫(たつたひめ)」
のほほえみながらたちさりました。

まちなみ蒼く(あおく)
いろどりて
木々の榛葉のかがやけり
暑さの夏秋をうつろひて
ふかまるみどりのむろ木なり
しずまるみどりのもえ木なり
みのりの季節こそありがたし
みのりの季節こそこひしかり
季節鳥なきてささやけり
季節の木々は榛葉にかがやけり

道端の野草もかわいらしい。

化粧をして。

春夏秋冬の季節の。

前奏曲の旋律が聞こえます。

早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は気温がさがり大気は不安定です。
「寒い」。
寒いと首都高の自動車も暗い中
「辛そうな運転の車」が多いです。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)
は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。
梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼の青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝

「今日は何の日」は。

元来医師であり。
「シャーロック・ホームズ」以後には
政治家でもあった。

1859年 - アーサー・コナン・ドイル、推理作家(+ 1930年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

アーサー・コナン・ドイル
:Sir Arthur Conan Doyle KBE、
本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)は。

イギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家です。

推理小説や歴史小説を多く著したほか。
SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示したことで有名です。

++++++++++++++++++++++

『シャーロック・ホームズ』シリーズに登場する
史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出しました。

エドガー・アラン・ポーとともに
現代の推理小説の生みの親とされています。

現実社会でもジョージ・エダルジ事件や。
オスカー・スレイター事件で被疑者の無実を主張致しました。

冤罪を晴らすために力を尽くしました。

また、冤罪を防ぐために刑事事件の控訴院を設立することに尽力
致しました。

++++++++++++++++++++++

SF分野では『失われた世界』、
『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、
また歴史小説でも
『白衣の騎士団』、
『勇将ジェラールの回想』などを著しています。

++++++++++++++++++++++

年譜
1859年、スコットランドの首都・エディンバラ市で、
イングランド生まれの役人の父とアイルランド人の母の間
に生まれました。

父方の祖父・ジョン(John Doyle)は
ダブリンで生まれロンドンに出て"H.B."の
筆名で著名な風刺画家となり、
伯父のリチャード・ドイル(Richard Doyle)はイラストレーターで、
ドイル家はアイルランド系で
芸術の職につくものが多かったのです。

イエズス会系のインデペンデント・スクールである
ストーニーハースト校(Stonyhurst College)に学びました。

学校を離れた
1875年にキリスト教を拒絶して不可知論者となりました。

++++++++++++++++++++++

その後1876年から1881年にかけて
エディンバラ大学で医学を学びました。
この時アストン(Aston:現在はバーミンガムの一地域となっている)の町で
外科医師の助手として働いています。

この頃古典文学の廉価版の古本や
エミール・ガボリヨ、
エドガー・アラン・ポーの作品を愛読致しました。

父親がアルコール依存症により精神病院に入院したため、
在学中に北氷洋行きの捕鯨船に船医として8箇月程乗り込み、
弟妹の多い一家の家計を支えました。

++++++++++++++++++++++

級友より数箇月遅れて22歳で大学を卒業した後は
アフリカ航路の荷物汽船の船医として3箇月程働きました。

山師の気を持つ級友とプリマスで診療所を
共同経営したが喧嘩別れ致しました。

その後1882年にポーツマス市のサウスシー(Southsea)地区に
眼科を専門とする診療所を開きました。

彼の診察所は振るわず、患者を待つ間に小説を書き
三文雑誌へ送ったが、その度に返却され終いには
切手代すらも怪しくなりました。
++++++++++++++++++++++

なお「そのころ、現在FAプレミアリーグに属している
ポーツマスFCの創設時に同チームに所属しており、
初代ゴールキーパーを務めていた」と広く信じられています。

けれども
実際に所属していたのはポーツマスFCとは
別のポーツマスAFCというクラブで、
このクラブはポーツマスFCが結成される4年前に解散しています。

++++++++++++++++++++++

1884年、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』
(J.Habakuk Jephson's Statement)という
1872年のメアリー・セレスト号(Mary Celeste)
乗組員失踪事件に基づいたフィクションである
マリー・セレスト号(Marie Celeste)事件についての
短編小説が『コーンヒル・マガジン』
(Corn-hill Magazine)1月号に
匿名で投稿掲載され評判になりました。

この小説のためメアリー・セレスト号失踪事件が
マリー・セレスト号と誤った名称のまま有名となってしまいました。

++++++++++++++++++++++

1885年、彼は患者の姉であった
ルイーズ・ホーキンズと結婚致しました。

彼女は結核のために1906年に死去。

彼はその後1897年の出会いのときに一目ぼれをしたものの、
妻を気遣って精神的なかかわりをもち続けていた
ジーン・リッキーと1907年に結婚致しました。

++++++++++++++++++++++

1887年のクリスマス、
彼の最初のシャーロック・ホームズシリーズである
『緋色の研究』が『ビートンクリスマス年鑑』に
シャーロック・ホームズの登場として発表されました。

あちこちの出版社から断られ続けた挙句
ワード・ロック社と25ポンドで著作権買取という条件にて
世に出た作品です。

発表後はしばらく売れずドイルは
もうホームズ物は書くまいと考えていたが、
アメリカの雑誌リピンコット・マガジンからの依頼を受けて書いた
『四つの署名』がリピンコット・マガジン1890年2月号に掲載されると
ホームズは莫大な人気を博しました。

だが、ドイル自身は自らの歴史小説やSF物のほうに価値を感じ、
シャーロック・ホームズシリーズを快くは思っていなかったのです。

++++++++++++++++++++++

『白衣の騎士団』のような
中世の騎士道を描きたかったといわれています。

1890年、ドイルはウィーンで眼球の研究をしていました。

翌1891年にロンドンへ移り、
眼科専門医として診療所を開いたが、
患者が訪れない暇を執筆時間に充てた。

ドイルは医者を止めて作家として暮らしを立てていくことを
決心したが
、作者が望む以上のホームズ人気の高まりに動揺致しました。

同年11月の母親への手紙で
「僕はホームズの殺害を考えている……
そして彼を永久に消してしまいたい。
ホームズは僕の心をよりよいものから取り払ってしまった」
と書いています。

1893年に「悪の組織の首魁」として登場させた
ジェームズ・モリアーティ(モリアーティ教授)と共に
『最後の事件』でスイスのライヘンバッハの滝壷へとホームズを
突き落としてしまいました。

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しかし読者はシャーロック・ホームズの復活を声高に要求致しました。

「ホームズの死」を悼んでこれ見よがしに
喪章を着けて外出する熱狂的読者もいたという。

これに押された作者ドイルはホームズが
日本の「バリツ」という武術を用いてモリアーティを滝壷へ突き落とし、
自身はモリアーティの手先から逃れるために身を隠し、
辛くも助かったことにして復活させた(『空家の冒険』冒頭部)。
モリアーティは母親メアリのスペルをもじったもので、
ドイルが母親のことを
快く思っていなかったことの表れとも言われています。

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シャーロック・ホームズは結局、
56の短編と4つの長編に登場致しました。

最終作『最後の挨拶』で引退した事になっています。

ドイルを最も有名たらしめたシャーロック・ホームズシリーズではあるが、
その甚大な人気のゆえに実際の事件が作者ドイルのもとへ持ち込まれたり、
時にはドイル自身が名探偵と思い込まれることもあり、
随分閉口させられたようです。

またある日、ビリヤードにドイルが遊びに行った際、
謎の客からキューを贈られ、それを使用しているうちにキューが壊れ、
中空になっていたキューの中から
「アルセーヌ・ルパンからシャーロック・ホームズへ」
と書いた紙が出てくるという手の込んだイタズラがあったという。

なお、ホームズシリーズには多くの矛盾が存在することも知られ、
大部分はストランド・マガジン誌上で発表されているが、
ドイルはそれらに気付いていながらも敢えて書き直しをすることはせずに、
読者にその穴を探させたりするという方針を採っていました。
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19世紀と20世紀の世紀転換点の時期に南アフリカで起こり、
世界中からイギリスによる露骨な帝国主義的行動に非難が集中したボーア戦争に従軍し、
『南アでの戦争:原因と行為』と題された小冊子を執筆致しました。

この冊子は他国でも広く翻訳出版されることとなりました。
この冊子の功績により、
1902年にイングランド南部のサリー副知事に任命され、
また同年ナイト爵に叙せられました。
したがって「サー」の称号はシャーロック・ホームズシリーズの功績とは
無関係です。

20世紀初頭に、彼はエディンバラとボーダー・バラズの議員に
それぞれ立候補した。かなりの票を得たが、いずれも落選致しました。

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1903年、『勇将ジェラールの冒険』(Adventures of
Gerard)を執筆。
1912年、『失われた世界』(The Lost World)というチャレンジャー教授、
ロクストン卿、マローン記者らが猿人、恐竜と遭遇する小説を執筆。

後に同一登場人物シリーズで『毒ガス帯』、『霧の国』を出版。

晩年は、第一次世界大戦での息子キングスリーの死もあってか、
心霊学に傾倒し英国心霊現象研究協会会員となるが、科学的すぎるとして脱退。
交霊会や心霊学の講演、それに関する執筆などを行ない、
「心霊主義の聖パウロ」の異名を取りました。

そして、
コティングリー妖精事件において大失態を演じてしまいました。

1948年、短編の遺稿が発表されました。
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アーサー・コナン・ドイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%AB

アーサー・コナン・ドイル:Sir Arthur Conan Doyle KBE、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。

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5月22日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8822%E6%97%A5

できごと
1903年 - 第一高等学校の生徒であった藤村操が華厳の滝で自殺。社会に大きな影響を与え、後を追うものが続出。
1946年 - 第一次吉田茂内閣発足
1960年 - チリ地震発生。翌日、日本でも津波の被害。
1967年 - ベルギー・ブリュッセルのイノバシオンデパートで火災。死者322人。
1971年 - びわ湖放送設立
1973年 - 東京ゴミ戦争。区内に最終処分場を持つ江東区が、反対運動により清掃工場の建設が進まない杉並区を地域エゴと断じて、杉並区からのごみ収集車を実力で追い返す。
1987年 - 第1回ラグビーワールドカップがニュージーランドとオーストラリアで開催
1990年 - 南イエメン・北イエメンが統合されイエメン共和国成立。
2004年 - 小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、第2回日朝首脳会談を行う。
2005年 - 陸上自衛隊第六次イラク派遣隊の第三派が出発した。これで第六次イラク派遣隊総勢約500人の派遣が完了する。

誕生日
1724年 - ニコラ・トマ・マリオン=デュフレーヌ、探検家(+ 1772年)
1759年 - ヘトヴィヒ・エリーザベト、スウェーデン王カール13世の妃(+ 1818年)
1782年(天明2年4月11日) - 広瀬淡窓、儒学者・漢詩人(+ 1856年)
1783年 - ウィリアム・スタージャン、物理学者・発明家(+ 1850年)
1813年 - リヒャルト・ワーグナー、作曲家(+ 1883年)
1840年(天保11年4月21日) - 島津忠義、第12代薩摩藩藩主(+ 1897年)
1844年 - メアリー・カサット、画家(+ 1926年)
1848年(嘉永元年4月20日) - 井伊直憲、第16代彦根藩主(+ 1904年)
1852年 - エミール・ソーレ、ヴァイオリニスト・作曲家(+ 1920年)
1857年(安政4年4月29日) - 大和田建樹、作詞家(+ 1910年)
1859年 - アーサー・コナン・ドイル、推理作家(+ 1930年)
1880年 - アーネスト・オッペンハイマー、実業家(+ 1957年)
1885年 - 中勘助、作家(+ 1965年)
1889年 - 瀬越憲作、囲碁棋士(+ 1972年)
1891年 - アレクシス・ロラン=マニュエル、作曲家(+ 1966年)
1900年 - 西角井正慶、国文学者(+ 1970年)
1902年 - 風巻景次郎、国文学者(+ 1960年)
1905年 - 華頂博信、日本の皇族(+ 1970年)
1907年 - エルジェ、漫画家(+ 1983年)
1907年 - ローレンス・オリヴィエ、俳優(+ 1989年)
1908年 - ホートン・スミス、プロゴルファー(+ 1963年)
1911年 - 徳川義知、日本赤十字社常任理事・徳川黎明会会長(+ 1992年)
1912年 - ハーバート・ブラウン、化学者(+ 2004年)
1920年 - トーマス・ゴールド、天体物理学者(+ 2004年)
1924年 - シャルル・アズナブール、歌手
1924年 - 林直明、プロ野球選手
1925年 - ジャン・ティンゲリー、彫刻家・画家(+ 1991年)
1925年 - ジェームズ・キング、テノール歌手(+ 2005年)
1927年 - ジョージ・オラー、化学者
1928年 - 佐野洋、小説家
1933年 - アーノルド・ローベル、絵本作家(+ 1987年)
1933年 - 陳景潤、数学者(+ 1996年)
1933年 - 金山勝巳、プロ野球選手
1939年 - ポール・ウィンフィールド、俳優(+ 2004年)
1939年 - イアン・アンダーウッド、音楽家
1940年 - フェルナンド・マトス・シルヴァ、映画監督
1941年 - 江田五月、政治家
1943年 - ベティ・ウィリアムズ、平和運動家
1944年 - 中村吉右衛門2世、歌舞伎俳優
1944年 - 白石静生、プロ野球選手
1945年 - フランソワ・ブルギニョン、経済学者
1946年 - ジョージ・ベスト、サッカー選手(+ 2005年)
1946年 - マイケル・グリーン、物理学者
1947年 - 小田義人、プロ野球選手
1949年 - 大竹まこと、タレント
1949年 - 大竹オサム、料理人
1949年 - 牧野節子、児童文学作家
1951年 - 観山正見、天文学者
1952年 - 佐野正幸、スポーツライター、ノンフィクション作家
1954年 - 中村修二、青色発光ダイオード発明者
1956年 - マーク・ブロハード、プロ野球選手
1958年 - 唐沢俊一、作家・評論家
1959年 - クァク・ジェヨン、映画監督
1960年 - 庵野秀明、アニメ演出家
1962年 - 増田章、武道家、空手家
1962年 - 中鶴勝祥、アニメーター、キャラクターデザイナー
1964年 - アシュレイ・レニー、女優
1964年 - 嶋大輔、俳優
1964年 - マイア・ウソワ、フィギュアスケート選手
1965年 - 錦織一清、タレント
1965年 - 亀田史郎、ボクシングトレーナー・亀田3兄弟の父
1965年 - 野中徹博、プロ野球選手
1969年 - 宇多丸、MC(RHYMESTER)
1969年 - 橋本清、プロ野球選手
1970年 - ナオミ・キャンベル、スーパーモデル
1970年 - ペドロ・ディニス、F1ドライバー
1971年 - 池谷のぶえ、女優
1971年 - 田頭欣士、野球選手
1972年 - ゴリ、お笑い芸人(ガレッジセール)
1972年 - 榎康弘、プロ野球選手
1972年 - 野月貴弘、歌手([[SUPER BELLZ]])
1974年 - ジョン・ベイル、プロ野球選手
1976年 - 木村卓寛(天津木村)、お笑い芸人(天津)
1976年 - ダニエル・アーランドソン、ドラマー(アーク・エネミー)
1976年 - 田村恵、プロ野球選手
1977年 - 中払大介、サッカー選手
1977年 - パット・スマレン、騎手
1978年 - ジニファー・グッドウィン、女優
1979年 - 森章剛、プロ野球選手
1979年 - 鏡貴也、小説家
1979年 - 津口竜一、野球選手
1980年 - 田中麗奈、女優
1980年 - 村越としや、写真家
1980年 - 園木理人、ミュージシャン(SPLAY)
1980年 - 湊川誠隆、プロ野球選手
1980年 - 片岡未来、タレント
1981年 - 原史奈、女優
1981年 - ブライアン・ダニエルソン、プロレスラー
1981年 - メリッサ・グレゴリー、フィギュアスケート選手
1982年 - アポロ・アントン・オーノ、ショートトラックスピードスケート選手・日系アメリカ人
1982年 - 駒居鉄平、プロ野球選手
1983年 - 藤井彩香、モデル、女優
1984年 - カロリーネ・ヘルフルト、女優
1985年 - TAO、ファッションモデル
1986年 - 松本亜希、ファッションモデル
1986年 - ヨーコBrooklyn、サックスプレイヤー(ピストルバルブ)
1986年 - タチアナ・ボロソジャル、フィギュアスケート選手
1988年 - 大山貴世、アイドル
1989年 - 大山恭平、 サッカー選手
1992年 - 徳永千奈美、タレント
1994年 - 高木美帆、スピードスケート、サッカー選手
不明 - motsu、ラッパー (m.o.v.e)

忌日
337年 - コンスタンティヌス1世、ローマ皇帝(* 272年)
748年(天平20年4月21日)- 元正天皇、第44代天皇(* 680年)
1068年(治暦4年4月19日)- 後冷泉天皇、第70代天皇(* 1025年)
1124年 - ヴィプレヒト2世、マイセン辺境伯(* 1150年頃)
1455年 - ヘンリー・パーシー、第2代ノーサンバランド伯(* 1392年頃)
1455年 - エドムンド・ボーフォート、第2代サマセット公(* 1406年)
1540年 - フランチェスコ・グイチャルディーニ、歴史家(* 1483年)
1548年(天文17年4月15日)- 松平信孝、戦国武将
1602年 - レナータ・フォン・ロートリンゲン、バイエルン公ヴィルヘルム5世の妃(* 1544年)
1623年(元和9年4月23日)- 筑紫広門、戦国武将(* 1556年)
1667年 - アレクサンデル7世、第237代ローマ教皇(* 1599年)
1748年 - ミール・カマルディン、ニザーム藩王国初代藩王(* 1671年)
1760年 - イスラエル・ベン・エリエゼル、ユダヤ教のラビ(* 1700年頃)
1770年 - ゾフィー・マグダレーネ・フォン・ブランデンブルク=クルムバッハ、デンマーク王クリスチャン6世の妃(* 1700年)
1802年 - マーサ・ワシントン、初代米大統領ジョージ・ワシントンの妻(* 1731年)
1836年(天保7年4月8日)- 岩井半四郎 (6代目)、歌舞伎役者(* 1798年)
1859年 - フェルディナンド2世、両シチリア王(* 1810年)
1866年(慶応2年4月8日)- 吉良の仁吉、侠客(* 1839年)
1868年(明治元年閏4月1日)- 富山弥兵衛、新選組伍長・御陵衛士(* 1843年)
1870年(明治3年4月22日)- 鈴木鵞湖、日本画家(* 1816年)
1873年 - アレッサンドロ・マンゾーニ、作家(* 1785年)
1874年 - 前田慶寧、第13代加賀藩主(* 1830年)
1885年 - ヴィクトル・ユーゴー、小説家(* 1802年)
1885年 - テオドール・バリュー、建築家(* 1817年)
1898年 - エドワード・ベラミー、小説家(* 1850年)
1901年 - ガエタノ・ブレーシ、イタリア王ウンベルト1世の暗殺者(* 1869年)
1902年 - リリー・マーティン・スペンサー、画家(* 1822年)
1903年 - 石坂周造、尊皇攘夷志士(* 1832年)
1903年 - 藤村操、第一高等学校生徒(* 1886年)
1904年 - 上野彦馬、写真家(* 1838年)
1910年 - ジュール・ルナール、小説家・劇作家(* 1864年)
1912年 - アントニオ・パチノッティ、物理学者(* 1841年)
1912年 - 李容九、一進会の指導者(* 1868年)
1918年 - フリードリヒ・ザイツ、作曲家(* 1848年)
1922年 - カール・タイケ、作曲家(* 1864年)
1925年 - ジョン・フレンチ、イギリス陸軍の元帥(* 1852年)
1932年 - オーガスタ・グレゴリー、劇作家(* 1852年)
1933年 - フェレンツィ・シャーンドル、心理学者(* 1873年)
1937年 - 海老名弾正、思想家・牧師(* 1856年)
1942年 - 加藤建夫、日本陸軍の少将・加藤隼戦闘隊隊長(* 1903年)
1949年 - ハンス・プフィッツナー、作曲家(* 1869年)
1949年 - ジェームズ・フォレスタル、初代アメリカ合衆国国防長官(* 1892年)
1959年 - 吉岡弥生、医師・東京女医学校(現在の東京女子医科大学)創立(* 1871年)
1963年 - 松林桂月、日本画家(* 1876年)
1967年 - ラングストン・ヒューズ、作家(* 1902年)
1971年 - 岡邦雄、科学史家(* 1890年)
1972年 - セシル・デイ=ルイス、作家(* 1904年)
1975年 - レフティ・グローブ、メジャーリーグベースボール選手(* 1900年)
1976年 - オスカー・ボナベナ、プロボクサー(* 1942年)
1977年 - 江田三郎、政治家。日本社会党書記長・副委員長を歴任。(* 1907年)
1982年 - ジェヴデト・スナイ、トルコ大統領(* 1899年)
1983年 - アルベルト・クラウデ、生物学者(* 1899年)
1985年 - ウォルフガング・ライザーマン、アニメーター(* 1909年)
1988年 - 野村光一、音楽評論家(* 1895年)
1989年 - 相沢忠洋、考古学者(* 1926年)
1989年 - 佐々木宏一郎、プロ野球選手(* 1943年)
1990年 - ロッキー・グラジアノ、プロボクサー(* 1922年)
1992年 - ラーンキ・ジェルジ、作曲家(* 1907年)
1992年 - ゼリグ・ハリス、言語学者(* 1909年)
1992年 - 李良枝、小説家(* 1955年)
1993年 - ミェチスワフ・ホルショフスキ、ピアニスト(* 1892年)
1994年 - 小峰元、小説家(* 1921年)
1994年 - ノーマン・リード、陸上競技選手(* 1931年)
1995年 - 篠田節夫、俳優・声優(* 1924年)
1997年 - アルフレッド・ハーシー、微生物学者・遺伝学者(* 1908年)
1998年 - ジョン・デレク、俳優・映画監督(* 1926年)
2002年 - 川上源一、実業家・ヤマハ発動機創業者(* 1912年)
2006年 - 冨田弘一郎、天文学者(* 1925年)
2006年 - 矢島文夫、言語学者(* 1928年)
2006年 - 李鍾郁、世界保健機関事務局長(* 1945年)
2007年 - 平岩外四、第7代経団連会長(* 1914年)
2007年 - 鈴木光枝、女優(* 1918年)
2008年 - ロバート・アスプリン、SF作家(* 1946年)
2009年 - 三遊亭生之助、落語家(* 1935年)

記念日・年中行事

国際生物多様性の日
国際デーの一つ。

ガールスカウトの日
1947年のこの日、第二次世界大戦で中断されていた
日本のガールスカウトを再興するために準備委員会が発足したことを記念し、
ガールスカウト日本連盟が制定。

サイクリングの日
日本サイクリング協会が2009年4月20日に制定。
1964年のこの日、同協会が文部大臣から設立認可を受けたことを記念。