陽は日々たかくなっています。

夕暮れ時の夜にゆらぐ。

明るい家々のゆふべの灯火(ともしび)。

あたたかいぬくもり。

しあわせのだんらんのひかり。

なつに燃えてゆらぐともしび。

しあわせいろの夏のともしび。

団欒のともしび時に。

豆腐屋さんのラッパや。

季節のよるはよなきそばの

らっぱも

むかしは。

聞こえました。

朝陽ののぼるのがはやくなりました。

夕陽がおりるのはおそくなりました。

朝の「なつ」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「なつ」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

明るいなつの夜の空になりました。

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 ひばりを崇拝するイギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

http://www.youtube.com/watch?v=pr-N1PDHmzk

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「はる」から「なつ」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

昨年。
「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月11月もおわり」ました。
「11月」もおわりました。
「12月」になりました。
いきつくひまなく。
「新年」。
「初春」の「1月」「2月」もおわり。
「3月」「4月」「5月」がすぎました。

「6月」

「季節」から「季節」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

そしてまた「年」をこします。

「季節」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「あらたな季節」にむかって

あるいて行くようです。

だから。

「新しい季節」をまつのであれば。

「新しい季節」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「季節」をまつのであれば。

すぎさる「季節」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

「かぜのおと」がかわり。

「季節」はなにかが生まれるようにおとずれます。

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「なつ」ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=pr-N1PDHmzk

「季節」はゆっくりとあるいてやってくる。

「季節」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

ゆく先々を「来年」とすれば。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」にも。

「わらう」。

「鬼」のような「怪物」は。

存在するのだろうか。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「なつ」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「なつ」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「クリームいろの月」でした。

03:50amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「季節」の「朝焼け色」の線描です。

「きせつ」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「きせつ」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合間をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。

ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」「11月」はおわり。
「12月」「1月」「2月」「3月」「4月」「5月」
がすぎされば。

今は「6月」。

「季節の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「きせつの花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「季節の花・花々」が。
蕾をふくらませています。
「季節の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「きせつ」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「なつの花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「きせつのかぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「きせつ」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の

「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「冬」によろこび。

「冬」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

去り過ぎた「「秋」そして「冬」。

「春」の女神「佐保姫(さほひめ)」が

微笑んでとおざかりました。

夏が来ました。

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのは早くなり。
夕に暗くなるのは暗くなる。

しだいに陽がみじかくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「きせつ」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の冬の時期から。
そして初春の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。
樹木の上方で。
「雪の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ冬の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり季節のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「季節からあらたなる季節」の「かぜおと」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

秋が過ぎて。ふゆがすぎて。はるがすぎて。

今はふたたび「なつ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

+++++++++++++++++++++

平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

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★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

フランスの「コンコルド」に非常に類似した
「旧ソ連」の超音速旅客機の。

1973年 -
ソ連の超音速旅客機Tu-144、パリ航空ショーにて墜落した日
です。
死者14人。

++++++++++++++++++++++

「ソ連の超音速旅客機Tu-144」は
NATOコードネームでは
「チャージャー (Charger)」と名付けられました。

しかしTu-144はその外観がコンコルドに
非常に似たものであったことから。

登場当初から
「ソ連のスパイ活動によるコピー説」が
西側では広く普及しておりました。

そのためこの機は一般に
「コンコルドスキー(Concordski または Konkordski)」
と呼ばれていました。

++++++++++++++++++++++

開発の経緯
1950年代末、イギリスやフランス、アメリカ合衆国といった
西側の航空先進国では
超音速輸送機の研究や構想が盛んに行われました。

音速の二倍で飛び、
同じ航路を当時の亜音速のジェット旅客機の半分の時間で飛ぶ
超音速輸送機は。

1機あたりの生産性は倍になって航空会社の保有する機体の数を半減させることができます。

大西洋間の日帰り旅行が可能となるなど
乗客にとっては世界をより小さくするものであります。

将来的には商用旅客機のほとんどは
超音速輸送機になるだろう——

したがって、
超音速輸送機は航空史の新たな時代を担うものである…と、
ばら色の未来が真剣に語られていたのです。

++++++++++++++++++++++

ソ連でのこの種の航空機の必要性は
必ずしも高いとは言えなかったのですが。

スプートニク計画や世界初のSLBM搭載潜水艦の就役など、
西側より優れた科学技術を誇示することで
ソビエト連邦と社会主義の
求心力維持に活用してきたフルシチョフ政権にとっては。

西側諸国が超音速輸送機を実用化していくのを
指をくわえて見ていることは出来なかったと考えられます。

また、広大なソ連邦の中で政府高官や重要な物資や郵便物を
移動させるために使うのであれば、
超音速輸送機の需要が無いとは言えなかったようです。

陸上飛行でのソニックブームやオゾン層の破壊などの
超音速輸送機による環境破壊の問題については。
ソ連においてはあまり重要視されませんでした。

++++++++++++++++++++++

このような経緯もあって、
ソ連においても超音速輸送機の
開発がはじめられることとなりました。

開発を担当することになったのは
超音速機と旅客機と両方の設計について実績を積んでいた
ツポレフ設計局でした。

雑誌「Technology of the Air Transport」の
1962年1月号でTu-144の概要が発表され、
大臣会議による計画承認ののち、
航空省は1963年7月26日にTu-144の開発をスタートさせました。

計画では開始から4年後までに5機の原型機が製造され、
最初の機体は1966年には完成していることが求められました。

++++++++++++++++++++++

新たなる超音速旅客機の開発のため。

超音速戦闘機のMiG-21を用いた2機の試験機が製造されました。
この機体はMiG-21Iアナロークと名付けられましたが。

尾翼付きデルタのMiG-21に対し、MiG-21Iは無尾翼でした。

機首までなだらかに曲線を描くオージー翼を備えていました。

MiG-21Iを用いてオージー翼の特性や無尾翼機の操縦性などが試験され、
そのデータはTu-144の開発に活用されました。

原型機は1968年12月31日に初飛行致しました。

この初飛行はライバルのコンコルドより
2ヶ月早いものでありました。

また、この原型機は量産型Tu-144Sと異なる点が多かったのです。

主翼はコンコルドそっくりの
(そしてMiG-21Iと相似形の)オージー翼で、
機首のカナードは装備されていませんでした。

量産型Tu-144Sより翼幅はやや小さく、胴体もやや短かったのです。

4基のエンジンは中央にまとめられて
その外側で主脚が出入りし、
コックピット風防前のバイザーの窓はより
コンコルドに近い形のものでありました。

++++++++++++++++++++++

Tu-144原型機で試験が行われた後、
多数の改良点を盛り込んだ量産型Tu-144Sが製造され、
1971年7月1日に初飛行致しました。

++++++++++++++++++++++

特徴

Tu-144
ジンスハイム技術博物館にて野外展示中の
Tu-144量産型のTu-144Sでは。

製作の面倒なオージー翼の代わりに、
オージー翼の曲線を2本の直線で置き換えた
ダブルデルタ翼が取り入れられました。
翼幅、翼面積ともに拡大されました。

また、離着陸時にのみ展開し、
大きく機首上げモーメントを生じさせる引き込み式の
カナードが装備され、
エレボンをフラップとして用いることが出来るようになりました。

これにより
離着陸性能が大幅に向上致しました。

もし、このカナード(先尾翼)が無いと、
デルタ翼やオージー翼は後縁フラップが付けられません。

付けても後ろ側だけが持ち上がる形となり、
通常の尾翼の飛行機がエレベーターを下げて機首を下向きにするのと
同じことになってしまいます。

そこでカナードを付けて、主翼の後縁フラップを下げると同時に、
カナードのエレベーターを用いて機首を持ち上げることにより、
主翼に後縁フラップが付けられるようになりました。
++++++++++++++++++++++

大迎え角となる離着陸時に視界を確保するため
コンコルド同様に機首を下げられるようになっていたのですが。

コンコルドのように機首とバイザーが別に動作するのではなく、
単にバイザーごと機首が上下するようになっていました。

この機首を引き上げると、前方視界はわずかしか無かったのです。

胴体は原型機の段階から
コンコルドより若干太く作られており、
エコノミークラスで横5列の座席を設置できました。

Tu-144Sでは、胴体の長さもやや延長されました。

胴体後部に過熱や振動などの問題を引き起こしていたエンジンは、
左右2基ずつに分離され、より外側に移されました。

このためにエンジン構造と主脚とが主翼下面で競合するため、
主脚は小径のタイヤ8輪を装備する変わった構造とされました。

エンジン2基をまとめたポッドの、
それぞれのエンジンのダクトの間に引き込まれました。
++++++++++++++++++++++

エンジンそのものも原型機の
クズネツォフNK-144ターボファンの改良型NK-144Aに換装され、
パワーアップが図られました。

しかし、
それでもコンコルドとは異なりマッハ2での
超音速飛行時においてもアフターバーナーを
焚き続けなければならなかったと
言われており、
ただでさえ良くない超音速輸送機の燃費をさらに悪化させました。

後期にはより効率のよい
コレゾフ RD-36-51ターボジェットエンジンに換装して性能を向上した
Tu-144Dが生産されました。

++++++++++++++++++++++

フランスの「コンコルド」に非常に類似した
「旧ソ連」の超音速旅客機の。

1973年 - 6月3日
ソ連の超音速旅客機Tu-144、パリ航空ショーにて墜落致しました。
死者14人。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
Tu-144 (航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/Tu-144

NATOコードネームでは「チャージャー (Charger)」と名付けられた。しかしTu-144はその外観がコンコルドに非常に似たものであったことから、登場当初から「ソ連のスパイ活動によるコピー説」が西側では広く普及しており、そのためこの機は一般に「コンコルドスキー(Concordski または Konkordski)」と呼ばれていた。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

6月3日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%883%E6%97%A5

できごと
708年(和銅元年5月11日) - 和同開珎発行。
1098年 - 第1回十字軍:アンティオキアが8日間の包囲戦ののち、十字軍により陥落。
1140年 - フランスの神学者ピエール・アベラール、異端と宣告される。
1282年 - イベリア半島アラゴン王ペドロ3世の艦隊がファンゴス湾を出航する。
1309年 - ローマ皇帝ハインリヒ7世がスイス同盟を認め、原初同盟3邦に「自由特許状」を付与する。
1326年 - ノヴゴロド条約 (en)、ロシアとノルウェーの国境をフィンマルク郡と定める。
1539年 - エルナンド・デ・ソトがフロリダをスペイン領と主張。
1621年 - オランダ西インド会社、ニューネーデルラントに対する勅許状を得る。
1781年 - イタリア、カーリで地震 - M6.2、死者300人
1793年 - フランスで亡命貴族の財産売却法が成立する。
1807年 - アメリカ船が長崎に来航し、薪と水を要求する。
1810年 - フランスで警察大臣ジョゼフ・フーシェが更迭される。
1818年 - マラーター戦争:マラーター宰相がイギリス東インド会社軍に降伏する。
1850年 - ミズーリ州カンザスシティ、開基。
1855年 - スペインで鉄道法が公布される。
1878年 - 東京で、山形県庄内のワッパ騒動に関する判決が下される。原告森藤右衛門らが勝訴する。しかし、三島県令は還付金の大半を両羽橋架橋の費用に充てることになる。
1883年 - 隅田川で海軍カッター競漕大会を開催。日本初のボートレース。
1885年 - カナダ領内でのノースウェストの反乱最後の戦闘。クリー (en) 族の酋長ビッグ・ベアーがノースウェスト騎馬隊から逃走。
1889年 - カナダ太平洋鉄道、が大西洋岸から太平洋岸まで全通。
1896年 - ロシアと中国の間で、李鴻章−ロバノフ密約が結ばれ、日本の領土侵略の場合の相互援助を約束する。ロシアは東清鉄道の敷設権を獲得する。
1900年 - フランスのボージェがオートバイで時速63.79キロを出し、当時のスピード世界新記録を達成する。
1906年 - 神戸・六甲山ゴルフコースにてドルフィンガーが日本初のホールインワンを達成する。
1910年 - 閣議が、併合後の韓国に対する施政方針を決定する。
1915年 - サンマリノがオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告する。
1916年 - アメリカで国家防衛法が成立する。正規軍、州兵が強化される。
1920年 - 日本軍がソヴィエトのニコラエフスクを占領する。
1920年 - アメリカ海軍の戦艦テネシーが就役。
1922年 - 森永製菓が練乳の製造を開始する。
1924年 - カルピスの広告が新聞に初掲載される。「黒人マーク」を掲載。1989年に使用中止。
1929年 - ギリシアで共和国憲法が批准される。
1929年 - 日独伊が蒋介石の中国国民政府を正式に承認。
1929年 - チリとペルーの間に国境に関する協定が調印される。タクナ・アリカ紛争が解決する。
1930年 - 政府通達による国産品愛用運動開始。
1932年 - 小津安二郎監督の「生れてはみたけれど」が封切りとなる。
1932年 - ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリックが、対アスレチックス戦で4打席連続本塁打を放つ。
1935年 - ベーブ・ルースが現役を引退する。
1937年 - 前イギリス王ウィンザー公がウォリス・シンプソンと結婚。
1940年 - 第二次世界大戦:ドイツ空軍のパリ空襲。市民254人が死亡。
1940年 - 第二次世界大戦:ダンケルクの戦いがドイツ軍の勝利に終わり連合国軍は完全撤退。
1943年 - 第二次世界大戦:「戦時必需日用品」262品目が指定される。
1946年 - フランス軍の撤収でシリアが独立を果たす。
1946年 - 東宝が第1回ニューフェースの審査を行う。応募者は約4千人で採用は三船敏郎、久我美子、岸旗江ら男性16人、女性32人。
1946年 - NHKでアナウンサーが街頭で人々に意見を聞く番組『街頭録音』が放送開始。 テーマは「貴方はどうして食べていますか」。
1947年 - 文部省が学校での宮城遥拝の廃止を通達。天皇神格化を廃止。
1947年 - フランスの作曲家、フランシス・プーランクのオペラ『ティレジアスの乳房』初演。
1948年 - カリフォルニア州のパロマ山に、世界最大の200インチの反射望遠鏡を備えた天文台(パロマー天文台)が完成する。
1949年 - 測量法が公布される。(測量や地図作成の規範)
1950年 - 標高・世界第10位の山アンナプルナがフランスのモーリス・エルゾーグ (en:Maurice Herzog)、ルイ・ラシュナル (en:Louis Lachenal)率いるフランス隊によって初登頂がなされた。人類が足跡を刻んだ初めての8,000m峰である。
1951年 - 日本ダービーでトキノミノルがコースレコードで快勝。10戦無敗したが20日に病死し幻の名馬に。
1951年 - 日本橋三越でプロ野球の試合を実験的に実況TV中継。
1954年 - 警察法改正法案審議で乱闘になった衆院本会議で議長の要請で初めて警官隊が院内に出動。
1954年 - 近江絹糸(現オーミケンシ)争議。女子工員の結婚の自由・信書の開封廃止など22項目を要求し106日間の争議を開始。
1958年 - 日ソ定期航路開設協定調印。
1959年 - シンガポールが独立宣言。
1960年 - 大島渚監督の映画『青春残酷物語』が封切り。以降、吉田喜重の『ろくでなし』など「日本ヌーベルバーグ(新しい波)」と呼ばれる作品が話題に。
1960年 - 日本娯楽物産株式会社(後のセガ・エンタープライゼス)が設立される。
1961年 - ジョン・F・ケネディ米大統領とニキータ・フルシチョフソ連首相が初会談。(ウィーン会談)
1965年 - 第1次佐藤内閣第1次改造内閣が発足。
1965年 - アメリカの2人乗り有人衛星「ジェミニ4号」が打ち上げられ、E・ホワイト少佐がアメリカの宇宙飛行士として初めての船外活動。圧縮ガスとジェットによる操縦装置を使い21分間宇宙で過ごす。
1969年 - 都市再開発法」公布。
1969年 - 文化放送の深夜番組『セイヤング』が放送開始。
1970年 - オートレース八百長と野球の八百長にも関わったとして(黒い霧事件)、中日のエース・小川健太郎投手が永久追放処分。
1973年 - ソ連の超音速旅客機Tu-144、パリ航空ショーにて墜落。死者14人。
1975年 - 戦後初の国産戦闘機であるF-1が初飛行を行った。
1979年 - 春日山部屋土俵開き 。
1980年 - ハワイ出身の力士・高見山が日本に帰化。
1980年 - 冷戦:アメリカ戦略空軍指令部のコンピュータに、ソ連がアメリカに対し核兵器を発射したとの情報が流れ、誤報とわかるまでの3分間、対ソ核戦争の非常警戒態勢がとられる。
1983年 - 阪急の福本豊が939盗塁の世界新記録を樹立。ヤクルトの大杉勝男が日本球界初の両リーグ1000本安打を達成。
1986年 - ファミリーコンピュータ ディスクシステム向けゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ2」発売。
1989年 - 天安門事件:民主化要求運動で数百万人の市民が集結していた北京の天安門広場に軍が戦車・装甲車で出動し武力鎮圧。死者数百人。
1989年 - ソ連・ウラル地方で天然ガスのパイプラインから漏れたガスが大爆発し、通りかかった列車2本が吹き飛ばされて607人が死亡する。
1989年 - ウズベク共和国で民族暴動が発生する。
1989年 - 北海道旅客鉄道(JR北海道)池北線この日限りで廃止。翌日(6月4日)第三セクターふるさと銀河線(北海道ちほく高原鉄道株式会社)に転換、営業開始。
1989年 - 宇野宗佑内閣が発足。
1991年 - 雲仙普賢岳で小〜中規模な火砕流発生。報道関係者なども巻き込まれ43人死亡。
1993年 - ウェスティンホテル大阪が大阪市の新梅田シティに開業。
1995年 - ノルウェー中部に大雨が襲い、1870年からの観測史上最悪の洪水となる。
1997年 - リオネル・ジョスパン、フランス首相に就任。
1997年 - 京都市営地下鉄烏丸線・国際会館〜北山間が延伸開業。
1998年 - ドイツの高速鉄道ICEが脱線し、一部の車両が橋脚に激突する。101人死亡。
2001年 - 札幌ドーム開業。
2002年 - タカラによるアスキーアートキャラクター・ギコ猫の登録出願申請が取り下げられる。
2005年 - バーレーンマナマにて行われたFIFAワールドカップドイツ大会アジア地区最終予選にて日本代表が1-0でバーレーン代表を降す。
2006年 - モンテネグロが独立賛成多数の国民投票の結果を受けセルビア・モンテネグロからの離脱・独立を宣言。

誕生日
1534年(天文3年4月22日) - 細川幽斎、戦国武将、歌人、茶人(+ 1610年)
1726年 - ジェームズ・ハットン、地質学者(+ 1797年)
1808年 - ジェファーソン・デーヴィス、アメリカ南部連邦の大統領(+ 1889年)
1819年 - ヨハン・ヨンキント、画家・版画家(+ 1891年)
1864年 - ランサム・E・オールズ、オールズモビル創業者(+ 1950年)
1865年 - ジョージ5世、イギリス王(+ 1936年)
1873年 - オットー・レーヴィ、医学者(薬理学)(+ 1961年)
1877年 - ラウル・デュフィ、画家(+ 1953年)
1881年 - ミハイル・ラリオーノフ、画家(+ 1964年)
1886年 - 石坂泰三、東芝社長、第2代経済団体連合会(経団連)会長(+ 1975年)
1899年 - 左藤義詮、政治家
1899年 - ゲオルク・フォン・ベーケーシ、生物学者
1900年 - 北川冬彦、詩人
1901年 - 張学良、軍人・政治家(+ 2001年)
1904年 - 高見澤潤子、作家、田河水泡の妻 
1905年 - 山田六郎、大阪名物くいだおれ創業者(+ 1983年)
1906年 - ジョセフィン・ベーカー、ジャズシンガー
1906年 - 八田一朗、アマチュアレスリング(+ 1983年)
1908年 - 曽我廼家明蝶、俳優
1915年 - 泉靖一、文化人類学者
1920年 - 笠原和夫、プロ野球選手(+ 1998年)
1922年 - アラン・レネ、映画監督
1924年 - トルステン・ウィーセル、医学者(生理学)
1924年 - 上原賢六、作曲家
1925年 - トニー・カーティス、俳優
1928年 - ドナルド・ジャッド、画家・彫刻家・美術評論家(+ 1994年)
1929年 - ヴェルナー・アーバー、医学者(細菌学)
1929年 - 高鳥修、政治家
1930年 - 原勝彦、プロ野球選手
1930年 - マリオン・ジマー・ブラッドリー、SF作家(+ 1999年)
1930年 - 和田勉、テレビディレクター
1931年 - フランソワーズ・アルヌール、女優、演出家
1931年 - 内田康男、コニカ電子技術者
1934年 - 田中克彦、言語学者
1935年 - 木村勉、経営者
1939年 - キャサリーン・ウッディウィス (en:Kathleen E. Woodiwiss)、作家
1941年 - 石井裕士、ゴルフ
1941年 - 小林峻一、演出家
1942年 - カーティス・メイフィールド、ミュージシャン
1942年 - 合田栄蔵、プロ野球選手
1943年 - 武田邦彦、工学者
1945年 - ヘール・アーウィン、ゴルフ
1945年 - 宮本幸信、プロ野球選手
1946年 - 倉田誠、プロ野球選手
1947年 - 瀬戸孝則、政治家
1949年 - マモル・マヌー、ミュージシャン(ザ・ゴールデン・カップス)
1949年 - 山田茂、俳優
1951年 - 三枝美恵子、女優(愛の戦士レインボーマン・ミッチー)
1951年 - 村上もとか、漫画家
1952年 - 湯口敏彦、プロ野球選手(+ 1973年)
1955年 - 佐野稔、フィギュアスケート
1956年 - 松元真一郎、アナウンサー
1957年 - 林一郎、アナウンサー
1958年 - 中西英敏、柔道
1958年 - 中村由利子、ミュージシャン
1958年 - 野田国義、政治家
1959年 - 山中重信、プロ野球選手
1959年 - 竹口昭憲、プロ野球選手
1960年 - アネット・ペッチ、フィギュアスケート
1960年 - 右田一彦、プロ野球選手
1961年 - 黒田知永子、ファッションモデル
1961年 - ローレンス・レッシグ、法学者
1961年 - ホセ・トレンティーノ、プロ野球選手
1962年 - 堤久美子、歌手
1963年 - 唐沢寿明、俳優
1964年 - 亀田誠治、音楽プロデューサー・ベーシスト
1964年 - 出津孝一、騎手
1964年 - 斎藤哲也、アナウンサー
1964年 - 中瀬ゆかり、編集者
1964年 - ネルソン・リリアーノ、プロ野球選手
1965年 - 山田和利、プロ野球選手
1965年 - 道傳愛子、アナウンサー
1966年 - リック・ルーファス、キックボクサー
1966年 - 須貝尚介、騎手
1966年 - 石黒亜実、女優
1966年 - 藤尾領、ミュージシャン
1967年 - 入来智、プロ野球選手
1967年 - 田中実、プロ野球選手
1967年 - スベン・オットケ、ボクシング
1967年 - タマス・ダルニュイ、水泳
1967年 - ハニホー・ヘニハー、タレント
1968年 - 長嶋三奈、スポーツ記者
1968年 - 長峯かおり、サッカー選手・サッカー指導者
1969年 - 貴水博之、ミュージシャン
1969年 - 畠山鎮、将棋
1969年 - 嶺川貴子、ミュージシャン
1970年 - エフゲニー・ベルツィン、ロードレース
1971年 - 小林健、俳優
1971年 - 早瀬恵子、女優
1974年 - 大内登、テレビディレクター・テレビプロデューサー・お笑い芸人
1974年 - ステファン・レコ、プロフェッショナルファイター
1975年 - 早川大輔、プロ野球選手
1975年 - 吉武真太郎、プロ野球選手
1975年 - ホセ・モリーナ、メジャーリーガー
1975年 - 田中充、プロ野球選手
1975年 - 松田千晴、タレント
1976年 - 菅原智、サッカー
1976年 - ワシノミカ、ファッションデザイナー・ウェブデザイナー・イラストレーター
1977年 - クリスチアーノ・マルケス・ゴメス、サッカー
1977年 - 櫻井健介、アナウンサー
1979年 - 花男、ミュージシャン(太陽族)
1980年 - 鈴木桂治、柔道
1980年 - 松本あまり、タレント
1980年 - 金川直樹、プロ野球選手
1981年 - 川崎宗則、プロ野球選手
1981年 - 細野佑美子、タレント
1982年 - エレーナ・イシンバエワ、棒高跳
1982年 - 若林菜美子、タレント
1982年 - 石神深一、騎手
1982年 - 牧田明久、プロ野球選手
1983年 - 秦裕二、プロ野球選手
1983年 - 福士誠治、俳優
1984年 - 矢野喬子、サッカー選手
1985年 - 村岡沙耶香、タレント
1985年 - 高田周平、野球選手
1986年 - 大島あすみ、タレント
1986年 - 竹島由夏、タレント
1986年 - ラファエル・ナダル、テニス選手
1986年 - トマシュ・ベルネル、フィギュアスケート選手
1987年 - 長澤まさみ、女優
1988年 - 柳下大、俳優
1988年 - 三浦翔平、俳優
1988年 - 中川朋美、グラビアアイドル
1989年 - ケイティ・ホフ、水泳
1990年 - 清水芽衣、声優
1995年 - 安西かな、グラビアアイドル
1995年 - 北田和也、関西ジャニーズJr.
生年不明 - 笹野ちはる、漫画家
生年不明 - KOHTA、ミュージシャン
生年不明 - LEVIN、ミュージシャン(La'cryma Christi/ドラムス)

忌日
1615年(慶長20年5月7日) - 三好政康、大坂の役豊臣方の武将(* 1528年)
1615年(慶長20年5月7日) - 御宿政友、大坂の役豊臣方の武将(* 1566年?)
1615年(慶長20年5月7日) - 真田信繁(幸村)、大坂の役豊臣方の武将(* 1567年)
1615年(慶長20年5月7日) - 小笠原秀政、松本藩主(* 1569年)
1615年(慶長20年5月7日) - 大谷吉治、大坂の役豊臣方の武将(* 1581年?)
1615年(慶長20年5月7日) - 本多忠朝、大多喜藩主(* 1582年)
1615年(慶長20年5月7日) - 小笠原忠脩、松本藩の世子(* 1594年)
1657年 - ウイリアム・ハーベー、医学者(* 1578年)
1822年 - ルネ=ジュスト・アユイ、鉱物学者(* 1743年)
1858年 - ユリウス・ロイプケ、作曲家(* 1834年)
1865年(慶応元年5月10日) - 岡田以蔵、幕末四大人斬りの一人(* 1838年)
1875年 - ジョルジュ・ビゼー、作曲家(* 1838年)
1877年 - ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル、ケッヘル番号創始者(* 1800年)
1889年 - ベルンハルト・フェルスター、反ユダヤ主義思想家(* 1843年)
1894年 - オスカル・テーノ、画家(* 1842年)
1899年 - ヨハン・シュトラウス2世、作曲家(* 1825年)
1905年 - ハドソン・テーラー、キリスト教宣教師(* 1832年)
1924年 - フランツ・カフカ、小説家(* 1883年)
1925年 - カミーユ・フラマリオン、天文学者(* 1842年)
1946年 - ミハイル・カリーニン、ソビエト連邦最高会議幹部会議長(* 1875年)
1949年 - 佐藤紅緑、小説家・俳人(* 1874年)
1949年 - 白鳥敏夫、日本の駐イタリア大使(* 1887年)
1952年 - 豊田利三郎、実業家(* 1884年)
1955年 - 恩地孝四郎、版画家・装幀家(* 1891年)
1963年 - ヨハネ23世、第261代ローマ教皇(* 1881年)
1964年 - フランス・エーミル・シランペー、小説家(* 1888年)
1967年 - アーサー・ランサム、児童文学作家・ジャーナリスト(* 1884年)
1967年 - アンドレ・クリュイタンス、指揮者(* 1905年)
1968年 - 石黒宗麿、陶芸家(* 1893年)
1970年 - ヒャルマル・シャハト、ナチス・ドイツ経済相・ドイツ帝国銀行総裁(* 1877年)
1971年 - 剣持勇、インテリアデザイナー(* 1912年)
1972年 - 山内以九士、日本プロ野球の公式記録員(* 1902年)
1975年 - 佐藤栄作、日本の第61-63代内閣総理大臣(* 1901年)
1976年 - 川崎弘子、女優・福田蘭童の妻(* 1912年)
1977年 - アーチボルド・ヒル、生理学者(* 1886年)
1977年 - ロベルト・ロッセリーニ、映画監督(* 1906年)
1983年 - 前嶋信次、イスラム史研究者(* 1903年)
1989年 - ルーホッラー・ホメイニー、イラン・イスラム革命指導者(* 1900年?)
1990年 - ロバート・ノイス、インテル設立者(* 1927年)
1991年 - 永田武、地球科学者(* 1913年)
1991年 - カティア・クラフト、火山学者、雲仙普賢岳火砕流の犠牲者のひとり(* 1942年)
1991年 - モーリス・クラフト、火山学者、雲仙普賢岳火砕流の犠牲者のひとり、カティア・クラフトの夫(* 1946年)
1995年 - ジョン・エッカート、ENIAC開発者のひとり(* 1919年)
2000年 - マートン・ミラー、経済学者(* 1923年)
2001年 - アンソニー・クイン、俳優(* 1915年)
2007年 - 若前田英一朗、大相撲力士、関脇(* 1930年)
2008年 - グリゴリー・ロマノフ、ソ連共産党政治局員(* 1923年)

記念日・年中行事

測量の日
1949年に測量法が制定されたことを記念して、
当時の建設省(現在の国土交通省)が制定した。

ウェストン記念日
イギリス人宣教師で日本アルプスを初めて踏破した日本近代登山の祖、
ウェルター・ウェストンを偲んで、長野県上高地の梓川河畔にあるウェストン碑の前で献花、
記念講演、合唱等が行われる。
雲仙普賢岳祈りの日

1991年6月6日、雲仙普賢岳で大火砕流が発生し43人が犠牲者となった。
この犠牲者を追悼するために長崎県島原市が1998年から実施している。
大火砕流が発生した午前4時8分にサイレンが鳴らされ、市民に黙祷を呼びかけている。

ムーミンの日(〜2004年 日本のみ)

トーベ・ヤンソン作の「ムーミン」を愛する日本のファンらが
「ムー(6)ミン(3)」の語呂合せで制定。しかし、
ムーミン誕生60周年の2005年に「全世界に通用する記念日を」との見解から、
作者のトーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日がムーミンの日となる。
フィンランドの著作権者も了承し、
全世界共通で公式なムーミンの日となったため、
現在では6月3日はムーミンの日ではない。

記念花・誕生日石

誕生花
亜麻 花言葉:「感謝、親切が身に滲みる」
カスミソウ 花言葉:「清らかな心」
ユキノシタ 花言葉:「深い愛情」
クサキョウチクトウ 花言葉:「同意」

誕生日石
逆四分ゴールド 石言葉:「可愛い背信」