「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには

「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

Google Map で
東京都 世田谷区 南烏山 3-23-1
http://maps.google.co.jp/
を検索されてください。

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年6月13日(日曜日)

平成22年の「夏」6月

になりました。

昨年

平成22年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」が。

おわり。

今は平成22年の「6月」です。

とてもとても。

あかるいあさです。

広くてゆたか。

「明るい朝」。

早朝の「あかるい陽射し」は。

日々毎日続きます。

山奥のさわ水のように。

ひんやりとした。

「ながれるみず」のように。

「夏」の風が流れる。

今は「夏」の「6月」です。

「夏」がきた。

「なつ」がきた。

どこに来た。

「山」にきて。

「里」にきて。

「野」にもきた。

「夏」は。

「まち」にもやってきた。

今年の「冬」・から「春」は予期せぬ

インフルエンザ*の

大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。

薬事法の「能書」にあるとおり

「正規の」

「2回法によるインフルエンザワクチン」の

予防接種をおすすめいたします。

常時いつでも接種可能です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

昨年の。
冬間近くの。
さらなる前に。

「晩秋」>のころ。

「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」の。
花の蕾が淡い黄金色にかがやいて。
花が見えてから「10日間」で。
花は去りました。
黄金色のじゅうたんが毛氈(もうせん)ように。
ひろい地面「金色」に広がりました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」に続いて。
「銀木犀:きんもくせい」もプラチナ色の
花が咲き始めました。

「昨年」の。
「秋」の日の。
「金木犀:きんもくせい」のあとを追って。
「銀木犀:きんもくせい」の花は去り。
地面に「プラチナ」が一面に広がっていました。

「夏」の「6月」

私の「大好き」な。

「季節の草花」の。

「蕾(つぼみ)」と。

「わかば」と。

「夏」の樹木の。

「葉と花」のふくらむ季節。

そして。

「木々の木の葉」のもえいずる季節。

季節は焚き火のけむりのよう。

「季節の花」と「木の葉もえる季節」

「みどりとこがね色」

「季節の草いろ」の。

季節になりました。

私の「大好き」な。

萌え出づる季節の「わかば」。

緑樹の「夏」の若葉が。

美しい季節になりました。

そしていろいろに。

「夏」の木々の花ひらき咲く季節。

夏花(はな)と夏若葉(わかば)と。

こがねの夏若草(わかくさ)の。

ワルツの季節になりました。

山本クリニックの庭園は。

大昔は。

雑木林であったのです。

「野生」の。

「やまぶき」や。

「やぶつばき」や。

「季節の花さく木々」が。

とても沢山。

群生してはえています。

日々毎日にどんどんと。

みるみるうちに。

「季節の花」が。

つぼみや「花」を大きくしています。

けれども「夏の花」は。

蕾が大きくなったそのよるには。

花咲き。

暗い朝にちっていることが。

すくなくありません。

夏花は

ぬばたまの

暗き闇夜に

なつ風の

弓に射られて

花ぞ舞い散る

なつはなは

ぬばたまの

くらきやみよに

なつかせの

ゆみにいられて

はなそまいちる

「季節の花」は。
早朝には「白鷺の羽」
のように地面に
舞い降ちています。

昨年の。
「晩秋」
「木犀:もくせい」の花の
「芳香」は蕾のみえるまえから
あります。

花が去ったあとは
「あっというまに芳香が消えます」。

「晩秋」の
「木犀:もくせい」たちのかおりがさり。

「夏」になり。

今は「6月」。

きせつばとともに。

つぼみを日々。

大きくしている。

「きせつの花」。

「みかん」と「からたち」

こがねいろの葉っぱのふくらむ季節。

「夏」の「6月」。

冬将軍といれかわり。

立ち去った秋の「竜田姫(たつたひめ)」

さそわれて

「春」の女神(めがみ)の。

「佐保姫(さほひめ)」の。

ほほえみも。

とほくにたちさりました。

私は山茶花(さざんか)よりは。

「やぶつばき」がずっとすきです。

山本クリニックの庭園には。

いずれも。

野生の「やぶつばき」と

野生の「山茶花(さざんか)」が。

沢山自生しています。

野生の「すみれ」も

珍しい品種がはえています。

堂々たる。

「夏かぜ」と「夏吹雪:なつふぶき」

が吹いています。

「夏」になりました。

「季節」がはじまりました。

「あかるくて」とてもよい。

さすらいゆく季節を伝える

「季節」の風です。

「きせつ」がふかまれば。

「もっと深い「きせつ」」の。

トンネルをこえる。

そこは「里山の「きせつ」」。

「きせつ吹雪:きせつふぶき」は

遠くの蒸気機関車の鳴き声のように

聞こえます。

また次に「季節から先」への。

「トンネル」のあることも

わかります。

季節樹の妖精の吹くフルート

のよう。

そして。

「季節吹雪:きせつふぶき」をなだめるように。

「樹木の穂先」が舞います。

「樹木の穂先」は「舞姫」。

「季節吹雪:きせつふぶき」は突如(とつじょ)

天から舞い降りるように。

吹きます。

「なつ」の陽射しはまばゆい。

こがねにかがやくあやにしき。

ひかりかがやく「なつ」になりました。

陽のかがやく「なつ」になりました。

風のうたう「なつ」になりました。

きょうは。
とてもとても寒い。

「季節吹雪:きせつふぶき」の声は

「季節かぜ」のふく音色は。

「季節」の女神(めがみ)

ひきいる女神たちの。

なぜかなつかしき笛のよう。

きせつのかぜのワルツ。

みのりのワルツ。

きせつは。

いまは。

モデラート・マ・ノン・トロッポ。

フオルテです。

最近は
朝くらい早朝には「星がみえます」。
「明けの明星」の金星が南の空に高くみえます。

病院の明かりが灯り暗闇のなか。
朝はやく。

「明けの明星」の金星に「おはよう」を
毎日こえで「御挨拶」を伝えます。
「明けの明星」の金星から「おはよう」と
返事がかえってくる声をききながら。
病院の明かりをともします。
まだ真っ暗なのですが。

夏場の早朝のくらい時には。
明星はみえずらかった。
季節が「冬から「春」「夏」「秋」「冬」へとあゆみ」。
今は「夏」。

いよいよ。
大気が「澄んできた」ということでしょう。

霧雨(きりさめ)の。

霞(かすみ)の大気。

「季節吹雪:きせつふぶき」の「音」。

「ろうろう」「こうこう」

「季節かぜ」の鳴き声

「ろうろう」「こうこう」

「季節吹雪:きせつふぶき」の。

鳴き声とともに。

「季節いちばんのしらべ」が。

あわせきこえます。

「どれみふあ」「そらしど」

朝暗いうちの「はるかぜ」の合唱は。

「なつ」の「ふうりん」のようです。

あれ沢山の「ふうりん」かな。

「夏」の「ふうりん」の音色です。

「ろうろう」。

さやかにやさしくも「あたたかい音」です

「こうこう」

わびわびと。

「蜜蜂をよんでいる音」です。

「蜜蜂」のはぜる元気な「音」から

「夏」のおとずれが。

わかります。

季節の女神(めがみ)

のおとずれが。

わかります。

「ススキの穂先」は

そぞろに「夏」の今年の芽栄え。

そして「夏」の旅愁。

昔昔の懐かしさをも感じさせます。

「ふけゆく夏の夜」に。

「夜のすすき」はどのようにして

「夜」をこすのだろう。

「よるのすすき」がみたいです。

ススキの茎の「穂先」には。

「夏ふくろう」が。

何匹も集ってつどい。

何匹ものふくろうが。

皆で何かを真剣に。

考えているように。

みえます。

なつくれば

こがね葉いずる

夏すすき

葉のいづる

そのときときこそは

夏さかりなるらむ

「ススキの葉先」は。

「しあわせと幸福を手招き」

している

何本もの「手」のように。

みえます。

エドヴァルド・ムンク:Edvard Munch

の「季節」の絵画のようです。

私も「日々を旅ゆく人間」です。

奥の細道の序文に松尾芭蕉が。

「月日は百代の過客(ひゃくたいのかかく)
にして行かふ年も又旅人也。」

「つきはひゃくたいのかかくにして
いきかふとしもまたたひひとなり」

とかたり。詠みました。

私は

「日々の月日」に。

道連れをさせていただき。

「時」を旅をする

「旅人(たびびと)」

です。

「日々月日の旅のつれあい」は。

私には。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

「きのう」はないのです。

子供たちの聞き入る

昔々の「ものがたり」のように。

「きょう」と。「あす」しか。

ありません。

朝くらいとき。
陽の出の直後は。
いつも一瞬は晴れています。
いまだ かすかにも。
のこる「季節」の気配
であるけれども。

あきらかに。
そしてしっかりと。
しのびよる。
もっともっと奥の。
深く深まる「季節のおとづれ」からの大気。

もっと。
「あかるい季節」の気配が。
「確かに」。
そして明らかに。
そして輪郭もはっきりと。

感じられるようになりました。

「6月」。

「夏」です。

「なつの青葉の城」のような「6月」

をむかえました。

はやいものです。
速いものです。
早いものです。

街路樹もそうそうたる
羽振りの木々から
「はじまりゆく「なつ」の樹木」にうつろうように
変化しています。

「夏」。
「樹木の若葉の芽生え」があることに
気がつきました。

夏の芽吹くときには。

街路樹のポプラも
幹や枝葉の穂先が。
ろうそくのともしびのように。
「炎の様」になっています。
あたかも
ゴッホの描いた「夜の糸杉」のように。
秋の早朝にみえます。

夏になり。
この「穂先」が一気に「ポプラの葉」へと
扇・おおぎのごとく開きました。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「夜の糸杉」から。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画の「ひまわり」
のように。
一斉に開きます。
「なつ」にはいってからのことです。

「冬」そして1月。

今は「晩冬」の「2月」がおわり。

「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。
「夏」の「8月」がすぎ。「9・10・11・12月」がすぎ。
「なつ」の「6月」。

今現在は落ち着いた「はる」の葉木。
「はる」の木々の「葉」
へと。
そしてふかまる「きせつ」の木々の「幹:みき」へと。

ふかまる「みのりの季節」にむけて。
「あつく」うつろいています。

ポプラも。つばきもくすのきも。
レースのハンカチをふるように
「「はる」のわかば」の「めばえ」がみえます。
窓越しにもみえます。

今は「季節のわかば」の「めばえ」は
とても大きくなりました。
「きせつ」の「めばえ」のひろがりです。

「夏がくると」。
空と木枯らしのかなでる「蛍の光」や
「夏のコンチエルト」にあわせるように。

ポプラの葉や芽葉は。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
ハンカチは木を去っていきました。

樹木のハンカチは。
大地を訪れて飛翔し。
大地にまいおり大地にもどります。
そして大地となります。

そして。
ポプラの葉や芽葉が。
ハンカチのようにふわふわと。
ふわふわと。
「穂先から葉葉」は「舞い振りまがら」
木を去っていく光景は。
あたかも。

「夜の魔法」「夜のガスパール」

のようです。

そして。

「花の去った枝」には。
「「きせつ」の若芽のめばえ」
が。
「きせつ葉」がみえます。

木々の「葉」が「枝や幹」を
「保護する役割をしている」
ことに気づきました。

桜の花の時期とうってかわり
桜の木の公園
の桜の木々は。
夏になりとても獰猛な気配を放つ。

初めて気がつきました。
いまは「なつ」です。

「晩冬」の「2月」がおわり
「春」になり「3月」「4月「5月」がおわり。
「夏」の「8月」はすぎさり。
「秋」の「9月」「10月」がおわり。
「秋」の「11月」「冬」の「12月「1月」「2月」が去り。
今は「夏」「6月」。

「さくら」は冬の濃い緑の樹肌になり。
やさしさとおだやかさ
が感じられます。

そしていつしか
幹先に若葉色の葉をもまじえています。
しだいにしだいに。
紅黄色に葉っぱが消え
若葉にかわりつついくことに
きがつきます。

さくらから。
さくらはのきぬずれのおとが。
きこえるころ
です。

桜の樹木も「丸くなりました」。
桜の樹木も毎年毎年と毎日毎日。
「旅(たび)をしている」のでしょう。

朝陽をあびる落葉樹は
「すべてがあざやかな黄金色」に
かがやきます。
朝陽をしっかりと。
「いうにいわれぬ美しい絵のごとく」
陽射しを受け止めています。

「なつの朝陽」は真東に大変鋭いことに
気づきました。
眩しいです。

今はまぶしい「夏」の「あさひ」です。

するどいけれども。

「あたたかいろ」がかんじられます。

春は別として。
桜の木は木の下で。
夏は心安らかに。
「休める木ではないなあ」
と思います。
昨年は
秋になり
桜の樹木も安堵の葉色
になりました。
ちょっとばかりびっくり致しました。

枝や幹からは秋の陽の木漏れ日がみえます。

夏桜の木は獰猛なほど葉をおいしげらせ
ていました。
夏には
桜の木の下で木陰で。心安らかにやすもうという
気はおきません。

いまは「ふゆ」から「はる」になりました。
そよかぜに揺れる残り葉は
招き誘われるような気すら致します。

「はる」になり幹にはもう「花は散る」。
ちったあと枝の根元には。
「はるのわかば芽栄え(めばえ)」
若葉がみえます。

けれども
やはり桜の木は

シューベルトの歌曲の旋律にある「菩提樹」
ではないのです。

なつの桜木(さくらぎ)。

なつになり

人生に果てて(はてて)

なれるが如く桜樹木はかわりました。

良い木になってきました。

素敵(すてき)です。

季節の桜木(さくらぎ)。

季節の桜木(さくらぎ)。

「なつ」の桜木(さくらぎ)。

木々でも。
いちょうや。松や。杉などの針葉樹
は。またソテツなどは。
「古い時代の木」です。

「チャールズ・ダーウィンの進化論」からは
「針葉樹」から。
「常緑樹」「広葉樹」「落葉樹」にと。
「進化」しているはずです。

「原始的」な樹木ほど。
「硬い幹」です。
例外はありません。

硬ければ。
幹は硬ければ動物に
「かじられる」ことはないでしょう。

いにしえの古代の時代にも。

恐竜をはじめめとする
「大型」の草食動物にも。

かたければかじられることは
なかったでしょう。

街並みを彩る街路樹には「落葉植物」が多いです。

ふと。考える。

街路樹が「松や杉」のように。
「春も葉を持つ針葉の常緑樹」では。

冬はうっそうとして道端では
やさしい暖かな陽射しをかくしてしまう。

夏場は枝ぶり葉っぱぶりからつよすぎる日の光は
さえぎれません。
そして
「春」の「夕焼け陽」には。
「金色のちいさき鳥の形して」
秋の夕焼けの陽射しに舞うこともできません。

常緑樹の針葉樹では。
は四季のリズムをつたえる

北大路魯山人のかたる

ことば。

「ざっくり感(ざっくりかん)」

が。

ありません(原文どおり)。*

北大路魯山人氏は「書」を能く(よく)されましたが。
文章そのものは得意なかたではありません。
文筆を学ばれたわけではなかったのです。
語彙が極端に乏しいのです。
よりまして。
北大路魯山人氏の文章には「かたり」と。
独特の「いいまわし」があります。

木々の秋の萌黄が早朝暗い中でも
うかびあがります。
私はくすのきが「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
モミジもすきです。
カエデもすきです。
松や杉もすきです。
月桂樹やシナモンもすきです。
オリーブもすきです。
オレンジの木もすきです。
「そてつ」の木もすきです。
ツバキもすきです。
ソテツもすきです。
南天もすきです。
木や植物がすきです。

木々の穂先は毛氈(もうせん)
のようにあざやかな夏の萌黄色です。
まるで大きな深い山の森のうねりのようです。
今年は木々のわかばの秋のめばえが非常に鮮か
です。
木々は「春樹」の役目をおわりました。
「秋木」とかわろうとしています。
「あき木」とかわりました。

街角の雑草も花は咲きはじめ。
「秋の花」の姿となりそして「秋」を迎える。
「ほとけの座」や「はこべ」が
「かたばみ」や「いたどり」が
ますます姿を大きくして。

そして「すすき」もくわわりました。

冬草から春草へ。
そして気がはやく。
夏草へのたたずまいをしている草もある。
そしてもうすっかり夏草へと黄金色に転した
街角には雑草もあります。
こがねいろ。

雑草も。
同じく花をさかせ自ら種をとばし
秋葉がみえる。
そして秋を迎える。
冬が来て。木枯らしに吹かれ。
雪をかむり。そして。
春がくる。
そしてまた夏。
そして秋と冬。

そして今は。

「なつ」。

ツツジは潅木。

ツツジの花の葉の優しさには

あらためてびっくりしました。

黄緑・草色のビロードです。

のぞきこむと若葉はまだ沢山ある。

何故か得をしたように思えました。

そして雨にうたれて

そのまま地に落ちた

ツツジの若葉は

幾何学的に裏側を下にむけて

逆さじょうごのように

落下していることに

気がつきました。

まるで。

「若草色」のきのこが。

沢山はえているようです。

木から落ちても。
まだ「若葉」です。ふと。
ヴェルディの「椿姫」「La Traviata」
の「つばき」を思い出しました。

1852年パリに滞在したヴェルディは
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
の戯曲版『椿姫』の上演を見て感激し
ました。
そのころ新作の作曲依頼を受けていた
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために。
翌1853年初めに比較的短時間で作曲された
『椿姫 』(La Dame aux camelias、1848年出版)
は。
アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が
実際の体験を基にして書いた長編小説。
主人公のモデルはかつて作者が交際をしていた
マリー・デュプレシという高級娼婦。
恋人アルマンのイニシャルである
『AD』は
小デュマのイニシャルと同じです。

この作品は人々に愛されて幾度も舞台、映画化され
続けてきました。

朝暗いうちは。

とても。

はださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

山本クリニックには。
検見川の落合遺跡の遺跡発掘の際に
みつかった「古代のハスの種子」から。

2000年ぶりに発芽したことで有名な。
「古代蓮(ハス)」があります*。
【大賀ハス:おおがはす】です。
「有名な古代ハス」です。
とても勇壮なハスで。
花のいろはとてもあまりにも美しく。
たとえ様もありません。

ハスの花がさき。
「「蓮(ハス)」の実」になりました。
「はすの実」も「はす」の葉も。
2mくらい水面から高いところに
あります。

睡蓮(すいれん)があります。
睡蓮(すいれん)は「葉」が水に浮び。
はのきれこみは羊の足のようです。
睡蓮(すいれん)を「ひつじぐさ」とは
なるほどと考える。
睡蓮(すいれん)の茎の長さには
おどろかされます。

「姫睡蓮(ひめすいれん)」でさえも。
池はばが長ければ四方八方に「水の中の枝」。

「モネ」の描いた睡蓮(すいれん)の
「水の中の枝」は「どれほど長いのだろう」。

睡蓮(すいれん)も「太古の時代」に
陸の動物に「かじられないように」
水中に「逃げ込んだ」のでしょう。

-------------------------------

大賀ハス(オオガハス、おおがはす)とは。
1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川
(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある
東京大学検見川厚生農場
(現・東京大学検見川総合運動場)の
落合遺跡で発掘された
今から2000年以上前の古代のハスの実から
発芽・開花したハス(古代ハス)のことです。

戦時中に東京都は燃料不足を補うために
花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていた
「草炭」を採掘していました。

採掘は戦後も継続して行われていました。
1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘現場でたまたま
1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

その調査によりもう2隻の丸木舟と
ハスの果托などが発掘されました。

「縄文時代の船だまり」であったと
推測され落合遺跡と呼ばれました。

植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士
(当時・関東学院大学非常勤講師)が
発掘品の中にハスの果托があることを知り。
1951年(昭和26年)3月ボランティアの協力
を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

翌日で打ち切りという
30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により
地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され予定を延長し
4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

大賀博士は5月上旬から発掘された
3粒のハスの実の発芽育成を試みるも2粒は失敗に終わりました。
だが1951年3月30日に出土した1粒が育成に成功致しました。

翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪を咲かせました。
このニュースは国内外に報道されて多いな「驚愕」を与えました。
同年11月17日付米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」
として掲載され博士の姓を採って「大賀ハス」と命名されました。

シカゴ大学のリピー博士らによって放射性炭素年代測定が行われました。
ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

この古代ハスは、
1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として
千葉県の天然記念物に指定されました。
また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、
現在日本各地は元より世界各国へ根分けされ、
友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

-------------------------------

ふと「パンの神」を思い出しました。
(「牧神パン(Pan)」=「Pan」=「パン」=
「飯(はん)」=「全般の般」=「パンアメリカンのパン」=

「パン」「pan」は「すべて」という意味の
古代ギリシャ語そして「サンスクリット」も同じ。

古典ギリシア語 Παν、Pan「パンの神」は。
幼少時からゼウスから他の神々全て*に好かれたので
(古代ギリシャ語でTheophilusテオフイルス/ラテン語では
amadeus アマデウス**)
「パン」と名づけられました。

「頭は人間で胴体は山羊」です。

「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」
ギリシア神話に登場する魔神***。
に追いかけられ
あわてて身を守るため川に飛び込み「頭は人間で胴体は人魚」
に変身したために。

「パニック」=「panic:パン的」
という言葉が生まれました。

星座に「山羊座」という星座があります。

山羊座は不思議ですが
「あわてて身を守るため川に飛び込み
「頭は人間で胴体は人魚」」
に変身した「パンの神」を示しています。
山羊ではありません。

むしろ正確には人魚です。

だから。
「山羊座」という「意味」はわかります。
けれども「命名」の観点から。
「山羊座」というのはかなり「妙」な気が致します。
「人魚座」というのが正しい。

 


名称「パンの神」の由来は「ギリシャ神話」でも
非常に多くの「言い伝え」がいくつがあります。
その「言い伝えの数」に正比例して「混乱」があります。

**
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
「アマデウス」とは「パンの神」のことです。
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの
ヴォルフガングは「おおかみが行く」という意味です。
よって
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは

「狼のように歩み神に愛されたモーツアルト」
ということになります)

***
「テュホン:テューホーン:Τυφών: Typhon」は
「台風:たいふう」と日本語では名前を変えています。

****
タイフーン級原子力潜水艦は
旧ソ連・ロシアの941型(プロジェクト941)
戦略ミサイル搭載原子力潜水艦のことです。
タイフーンはそれに付けられたNATOコードネームですが
この名称は日本の「台風」とは「直接関係」はありません。

日曜の

朝晴れて

はじめて気づく

にわの小ささ

にちようの

あさはれて

はじめてきづく

にわのちいささ

朝晴れて

にわの小さき

気づかぬときは

病(やまい)なりけり

日曜の朝

あさはれて

にわのちいさき

きづかぬときは

やまひなりけり

にちようのあさ

葉のつきて。

物心もつく

桜かな

はのつきて

ものこころもつく

さくらかな

休診日ですが。
早朝に朝まだ暗いうちから
首都高を走って病院に到着致します。

空はきらきらのラピス・ラズリの
紺碧のジュースから
ミルク色のはいった
トルコ石の「プリン」に変わるように変化
していきます。

遠くにぽかぽか浮ぶ「雲々」は
トルコ石の「プリン」の上の「クリーム」の
ようです。
にわのあじさいは「アイスクリーム」
のようです。

きらきらラピス・ラズリの空(そら)
紺碧のカクテルいろの空(そら)
ミルクをそそそいだ空(そら)
トルコいしのプリンの空(そら)
はるかにとほくたかい空(そら)
ほかほか浮ぶ雲々(くもぐも)そら
プリンの上のクリームのような空(そら)
睡蓮(すいれん)の水面に空(そら)
睡蓮(すいれん)のうえに空(そら)
空(そら)の向こうにまた空(そら)
空(そら)そのまたむこうにももっと大きな空(そら)

春のうららのこもれびに

緑木いらかをかぜはやみ

青風ひるむやうつろひの

四季のつきひははやいくとせ

夏のうららのこもれびに

緑木いらかのつねなりて

赤き空(そら)にて炎えたたむ

四季のつきひははやいくとせ

秋のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜさやか

秋風かたれるやすらきの

四季のつきひははやいくとせ

冬のうららのこもれびに

緑木いらかにかぜつよし

冬風弓(ゆみ)射る木枯らしの

四季のつきひははやいくとせ

日々のうららのこもれびに

祈想い(おもい)のいらかにかぜつよし

生きる力に祈りはせ

四季のつきひははやいくとせ

やまひのとまやのこもれびに

祈願りの(いのり)のいらかにかぜさみし

やみいるこころに力(ちから)はせ

四季のつきひははやいくとせ

いづるわかばのこもれびに

ひかりのいらかにかぜやさし

おもふこころに瞑想(おもひ)のせ

四季のつきひははやいくとせ

やさしくかたるるこもれびに

あさひのいらかにかぜさむし

ゆれるからだに意思(こころ)つみ

四季のつきひははやいくとせ

かわるるつきひのこもれびに

かたりのいらかにあめさみし

うたれしからだに決意(さだめ)おい

四季のつきひははやいくとせ

ゆめみしあさひのこもれびに

くもまのいらかにつきうすし

いさりてあゆめる未来(のそみ)みし

四季のつきひははやいくとせ

陽(ひ)いでてあふるるこもれびに

もののふいらかにかぜあおし

ひかりてかかやく希望(ねかひ)もて

四季のつきひははやいくとせ

椎木(しいのき)は枝高し
そらに吼える若葉の穂束
そらに吼える蒼き獅子のごとし
天にも地にもみどりはさける
のあさふかまりて
陽の光ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
いふこともなし
ゆたかなるかな

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は。

「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の御予約の。
患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。

はおわりました。

平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。
「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

GPSなどない当時
今現在でいう「カーナビ」のように。

誘導装置はジャイロスコープによって方向を設定して。
アネロイド気圧高度計によって
飛行高度を設定して。
機首先端にある小さなプロペラの回転数によって
飛翔距離を割り出して。

一定回転数でエンジン停止して。

制御装置が機体を急降下させ目標に突入する
「V1爆弾」。

「命中率」こそ低かったものの
「異常にみみざわりなエンジン音」と
「このエンジン「停止」」
と同時に「急降下」してくる「V1」は。

心理的に「英国(UK)」
のロンンドン市民に脅威をあたえた
「大陸間爆弾」の「元祖」。

1944年 - 第二次世界大戦:
ナチス・ドイツがV1飛行爆弾によるイギリス攻撃を開始
した日です。

++++++++++++++++++++++

V-1(ブイワン。ドイツ語でファオ アインス)とは。

第二次世界大戦時、ドイツ空軍が開発したミサイル兵器です。

パルスジェットエンジンを搭載した。
現在の巡航ミサイルの始祖とも言える兵器です。

宣伝相ゲッベルスはこれを

「報復兵器第1号(Vergeltungswaffe 1)」と命名して
対英報復を煽りました。

しばしば誤解されているが
V-1 とは上記の略号です。

正式名称はフィーゼラー Fi 103。

++++++++++++++++++++++

V-1の実用化
1933年頃、フィーゼラー社が
空軍に対してこの種の兵器の開発を提案していたと言われます。
空軍は関心を示さなかったようです。

しかし、1942年6月、ドイツ空軍はフィーゼラー社に対して
パルスジェットを動力とする飛行爆弾の開発を命じました。

これが V-1 開発の始まりです。

理由は。
イギリス本土に対する爆撃機による戦果が期待できない問題や。
陸軍が開発する V-2 に対する対抗意識もあったと言われています。

この飛行爆弾には
有人飛行機同様フィーゼラーFi 103 の呼称が与えられました。
けれども
兵器の特性上、機密保持の観点から
「Kirschkern(サクランボの種)」及び
「Flakzielgerat(高射砲標的装置)」と呼ばれ、秘匿されました。

++++++++++++++++++++++

なお。
パルスジェットエンジン本体はアルグス社、
誘導装置をジーメンス社、
発射台をヘルムート・ヴァルターの会社が担当したので。

フィーゼラー社が携わったのは機体本体のみでした。

誘導装置はジャイロスコープによって方向を設定、
アネロイド気圧高度計によって
飛行高度を設定、機首先端にある小さなプロペラの回転数によって
飛翔距離を割り出し、
一定回転数でエンジン停止、
制御装置が機体を急降下させ目標に突入到します。

++++++++++++++++++++++

1942年12月、Fw 200コンドルより投下実験、
同12月には V-2 の実験を行っていた
ペーネミュンデ陸軍兵器実験場 (HVP) の
西隣の空軍兵器実験場カールスハーゲンより
バルト海に向けて試射に成功致しました。

開発を命じてから
わずか6ヶ月というスピードです。

これはV-2と違い、単純な構造であったことと。

V-2がそのほとんどを手探りで進まざるを得ない新技術を
大量に導入しなければ完成しない兵器であったこととの
差でありました。

++++++++++++++++++++++

こうしてこの新兵器は、
長距離ロケット V-2 のライバルとなりました。

イギリスに対する長距離攻撃兵器として
V-2とどちらを採用するかは、
新たに発足された長距離攻撃委員会にゆだねられることになりました。

1942年5月26日、
長距離攻撃委員会の委員はペーネミュンデで討議を行いました。
結局どちらも生産という結論に達しました。

委員は発射見学をするが、
このときV-2は50%の成功確率であったにもかかわらず
2回中2回成功で100%成功。
かたやV-1は2回中ともに墜落という不運に見舞われました。

当然、軍はV-2に注目、
割りを食ったV-1は1944年6月にようやく実戦配備となりました。

実にノルマンディー上陸作戦の1週間後のことでした。

++++++++++++++++++++++

V-1の成果

復元されたV-1の発射台V-1は、
空軍第155対空連隊に配備されました。

同連隊は大規模な発射設備の他に
移動可能なカタパルト式発射機を装備していたと言われています。

大規模発射施設は V-1 の存在を事前に察知していた
連合軍の爆撃によって破壊されたものもありました。

約半数が生き残り
北フランスのカレー地方より19発が発射されました。

しかしながらイギリス、ロンドンに到達したのはわずかに1発で、
ほかは進路をはずす、途中で墜落するという到達率の低さでありました。

6月末までに2,000発を発射したものの
依然として到達率は低い状態であり、
当然ロンドンに決定的打撃を与えることなど
到底不可能でありました。

++++++++++++++++++++++

その後9月まで1日平均102発を発射、
9月はじめまでに計8,564発(諸説あり)が発射されたものの、
ロンドンに到達したのは全体の25%程度に過ぎず、
さらには撃墜技術の向上によって、
もともと信頼性の低かった誘導性能と相まって、
9月までにはさらに低下することになりました。

最終的には72%が撃墜、
または墜落という有様でありました。
残りの28%も、ロンドンに到達したのはそのうち9%で、
残りの19%は他の地域に落ちることになりました。

なお、全8,564発中1,912発(22%)は
イギリス戦闘機により撃墜、
1578発(18%)が対空火器によって撃墜、
278発(3%)は阻塞気球に衝突しています。

結局ロンドンに到達したのは2,340発となりました。

++++++++++++++++++++++

9月以降は連合国軍がカレー地方に進攻したため、
陸上発射を断念、空中発射という方式をとることになりました。

オランダやベルギーから発進したハインケルHe 111に搭載された
V-1はロンドンを目指して飛んだものの、
その到達率は陸上発射よりもさらに低く、6.5%となっていました。

10月に連合軍がベルギーのアントウェルペンを奪取すると、
今度はこれに矛先を向けることになりまし。

そして年末までに8,698発を発射しています。
他にベルギーのリエージュに3,141発、
ブリュッセルにも151発が発射されました。

++++++++++++++++++++++

1945年3月3日からは、オランダから
改良され飛行距離の伸びたV-1が再びイギリスにむけて発射されました。
全275発を発射し、イギリスに到達したのは
125発(45%)で、
86発(31%)が対空火器で撃墜、4発は戦闘機で撃墜されています。

同月28日、2発がロンドンに到達し、
翌29日に最後の1発がハットフィールドに落下したのが、
V-1の最後の実戦でありました。

実際に発射されたV-1は21,770発にのぼり、
さらに発射失敗とされているものが2,448発あります。

なお、イギリスの被害は死者および重傷者24,165人であり、
ヨーロッパ本土での被害は不明です。
++++++++++++++++++++++

連合軍ではV-1はパルスジェットの
耳障りなエンジン音から「ぶんぶん爆弾(buzz-bomb)」
あるいは「ドゥードゥルバグ(doodlebug、アリジゴクが原義)」、
「飛行爆弾(flying bomb)」などと呼ばれていました。

当時、夫を戦場に送り、
一人シティの弁護士事務所に勤務していた
ロンドン女性は次のような記録を残しています。

V-1飛行爆弾は心理的にロンドン市民に大きな影響を及ぼしていたようです。

「そう、あの頃、V-1ミサイルが飛んできましたね。
あの新型兵器はぞぉっとするような音を立てながら飛んで来て、
エンジンが停止するや地面に突っ込んでゆきました。
エンジンが鳴り止んだ瞬間、
必ず起こるあの爆発を待つ恐ろしさといったらありませんでした。
偶々、午前9時に旧市街のグレイスチャーチ通りをバスで通っておりました時のことです。
・・・バスが停車して掃除婦たちがどやどやと乗ってきました。
座席についた頃、乗客たちはV-1のぶぅんという低いうなりが近くで
しているのに気づきました。
と、はたと、V-1のエンジンが鳴り止んだのです。
すると掃除婦たちは一人残らず、座席の下へと頭から突っ込んだのです。

・・・幸いなことに、V-1はバスを飛び越えて、川の向こう岸で爆発しました」
++++++++++++++++++++++

戦後のイギリス空軍の評価では、
「V-1号はランカスター爆撃機よりも炸薬量あたりの投射コストが安く、効率的な兵器」
となっています。

++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
V1飛行爆弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/V1%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E7%88%86%E5%BC%BE

V-1(ブイワン。ドイツ語でファオ アインス)とは、第二次世界大戦時、ドイツ空軍が開発したミサイル兵器である。パルスジェットエンジンを搭載した、現在の巡航ミサイルの始祖とも言える兵器である。宣伝相ゲッベルスはこれを「報復兵器第1号(Vergeltungswaffe 1)」と命名して対英報復を煽った。しばしば誤解されているが[要出典]、V-1 とは上記の略号である。正式名称はフィーゼラー Fi 103である。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

6月13日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8813%E6%97%A5

できごと
1866年 - アメリカ合衆国憲法修正第14条が提案される。
1878年 - ベルリン会議開幕。
1886年 - シュタルンベルク湖でバイエルン王ルートヴィヒ2世の遺体が発見される。
1898年 - カナダでユーコン準州が発足する。
1917年 - 第一次世界大戦: ドイツ軍航空隊のゴータ G.IVが爆撃機によるはじめてのロンドン空襲を行い、162名の死者を出す。
1935年 - ジェームス・J・ブラドックがボクシングヘビー級の世界王者になる。
1940年 - アメリカ海軍の戦艦ノースカロライナが進水。
1944年 - 第二次世界大戦:ヴィレル・ボカージュの戦い。
1944年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツがV1飛行爆弾によるイギリス攻撃を開始する。
1948年 - 太宰治が愛人と玉川上水へ投身自殺。
1952年 - スウェーデン軍のDC-3がソビエト連邦のMiG-15に撃墜される。
1963年 - 「小さな親切」運動本部が発足する。
1971年 - ベトナム戦争: ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズを掲載。
1982年 - ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズがサウジアラビア王に即位。
1983年 - 戸塚ヨットスクール事件で校長の戸塚宏が傷害致死容疑で逮捕。
1983年 - パイオニア10号が海王星の軌道を横断する。
1987年 - 広島東洋カープ・衣笠祥雄選手が2131試合連続出場を記録。
1996年 - 福岡空港ガルーダ航空機離陸事故。
2000年 - 朝鮮半島の分断後55年で初の南北首脳会談。
2002年 - アメリカ合衆国が弾道弾迎撃ミサイル制限条約を脱退する。
2002年 - 議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件。
2004年 - 日本経済新聞でプロ野球球団オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併が報じられる。プロ野球再編問題 (2004年)の始まり。
2005年 - 少年に対する性的虐待疑惑の裁判で裁判にかけられていたマイケル・ジャクソンに全面無罪の判決が下る。
2006年 - 都電荒川線の梶原〜栄町間で追突事故発生。乗員乗客計27人が負傷。

誕生日
1773年 - トマス・ヤング、科学者・考古学者(+ 1829年)
1831年 - ジェームズ・クラーク・マクスウェル、物理学者(+ 1879年)
1863年 - ルーシー・ダフ=ゴードン(en:Lucy, Lady Duff-Gordon)、ファッションデザイナー(+ 1935年)
1865年 - ウィリアム・バトラー・イェイツ、詩人・劇作家(+ 1939年)
1870年 - ジュール・ボルデ、細菌学者(+ 1961年)
1897年 - パーヴォ・ヌルミ、中長距離走者(+ 1973年)
1899年 - カルロス・チャベス、作曲家(+ 1978年)
1917年 - アウグスト・ロア=バストス、小説家(+ 2005年)
1920年 - 梅棹忠夫、民族学者
1923年 - 船田譲、政治家(+ 1985年)
1928年 - ジョン・フォーブス・ナッシュ、数学者
1935年 - クリスト、美術家
1935年 - サマック・スントラウェート、タイの第34代首相
1944年 - 潘基文、国連事務総長
1947年 - 木樽正明、プロ野球選手
1947年 - ジョセフ・ジャニアック、タクシードライバー、調教師、馬主
1947年 - 佐藤竹秀、プロ野球選手(+ 2001年)
1949年 - レフ・カチンスキ、ポーランドの大統領
1949年 - 榊原良行、プロ野球選手
1952年 - 宮脇敏、プロ野球選手
1952年 - 月光恵亮、音楽プロデューサー
1954年 - 山田栄子、声優
1954年 - 清水有生、脚本家
1958年 - 岸野靖之、サッカー選手、指導者
1960年 - 山田邦子、タレント
1961年 - 宮脇康之、俳優
1964年 - 水島かおり、俳優
1965年 - 今中麻貴、フリーアナウンサー
1965年 - 岡本透、プロ野球選手
1966年 - 服部尚貴、レーシングドライバー
1966年 - スコット・クールボー、プロ野球選手
1966年 - グリゴリー・ペレルマン、数学者
1968年 - 森口博子、歌手・タレント
1968年 - 河合美智子、タレント
1970年 - リヴァース・クオモ(ウィーザー)、ミュージシャン
1971年 - 柘植恵水、アナウンサー
1971年 - ジェイソン・トンプソン、プロ野球選手
1972年 - カブラヤオー、競走馬(+ 2003年)
1972年 - ダレル・メイ、プロ野球選手
1973年 - 藤井敬之(音速ライン)、ミュージシャン
1974年 - 櫻井孝宏、声優
1974年 - ブライアン・スウィーニー、プロ野球選手
1975年 - 乾貴美子、タレント
1975年 - 面出哲志、プロ野球選手
1975年 - 玉木朋孝、プロ野球選手
1976年 - CHANNEL、MC
1977年 - ホセ・オーティズ、プロ野球選手
1978年 - 市川実日子、女優
1978年 - 佐藤友亮、プロ野球選手
1978年 - 菊住守代司(キャプテンストライダム)、ミュージシャン
1978年 - 小山伸一郎、プロ野球選手
1978年 - 藤田瞳子、俳優
1978年 - リチャード・キングソン、サッカー選手
1980年 - VOFAN、イラストレーター・漫画家
1980年 - 甲斐まり恵、フリーアナウンサー
1982年 - 杉本恵太、サッカー選手(名古屋グランパスエイト)
1982年 - 寺田あやこ、札幌テレビアナウンサー
1983年 - 金村大裕、プロ野球選手(阪神タイガース)
1983年 - 山本一徳、プロ野球選手
1984年 - 伊調馨、レスリング選手
1985年 - TAKAYO(Takayo)、ミュージシャン
1986年 - 家長昭博、サッカー選手(ガンバ大阪)
1986年 - 本田圭佑、サッカー選手(名古屋グランパスエイト)
1987年 - 加賀美セイラ、女優、歌手、ファッションモデル
1988年 - 古屋敬多(Lead)、ミュージシャン
1988年 - 林慧、サッカー選手
1990年 - 向野澪、タレント
1991年 - 川綱ゆめ、タレント
1993年 - デニス・テン、フィギュアスケート選手
1993年 - 阪本奨悟、俳優
1994年 - 矢神久美、SKE48
生年不明 - 田辺イエロウ、漫画家

忌日
1231年 - パドヴァのアントニオ、カトリック教会の聖人(* 1195年頃)
1256年(建長8年5月19日)- 湛慶、仏師(* 1173年)
1273年(文永10年5月27日)- 北条政村、第7代鎌倉幕府執権(* 1205年)
1623年(元和9年5月16日) - 本因坊算砂、囲碁棋士(* 1559年)
1645年(正保2年5月19日)- 宮本武蔵、剣術家(* 1584年頃)
1784年 - ヘンリー・ミドルトン、大陸会議議長(* 1717年)
1817年 - エベニーザー・ハザード、第3代アメリカ合衆国郵政長官(* 1744年)
1871年 - ロベール・ウーダン、マジシャン(* 1805年)
1886年 - ルートヴィヒ2世、バイエルン王(* 1845年)
1911年 - 篠原泰之進、新撰組諸士調役兼監察(* 1828年)
1931年 - 北里柴三郎、医学者(* 1853年)
1931年 - サンティアゴ・ルシニョール、画家(* 1861年)
1947年 - アルベール・マルケ、画家(* 1875年)
1948年 - 太宰治、小説家(* 1909年)
1948年 - 山崎富栄、太宰治の愛人(* 1919年)
1962年 - ユージン・グーセンス、指揮者(* 1893年)
1965年 - マルティン・ブーバー、哲学者(* 1878年)
1966年 - 山田守、建築家(* 1894年)
1971年 - 日夏耿之介、詩人、イギリス文学者(* 1890年)
1972年 - ゲオルグ・フォン・ベケシ、生物学者(* 1899年)
1977年 - マシュウ・ガーバー、俳優(* 1956年)
1982年 - ハーリド・ビン・アブドゥルアズィーズ、サウジアラビア王(* 1912年)
1982年 - リカルド・パレッティ、F1レーサー(* 1958年)
1986年 - ベニー・グッドマン、ジャズクラリネット奏者(* 1909年)
1987年 - ジェラルディン・ペイジ、女優(* 1924年)
1990年 - 木暮実千代、女優(* 1918年)
1998年 - ビルゲル・ルート、スキー選手(* 1911年)
2001年 - 蔵忠芳、俳優(* 1955年)
2002年 - 村田英雄、歌手(* 1929年)
2005年 - デイヴィッド・ダイアモンド、作曲家(* 1915年)
2006年 - チャールズ・ホーヒー、アイルランド首相(* 1925年)
2006年 - 岩城宏之、指揮者(* 1932年)
2007年 - オスカル・モラヴェッツ、作曲家(* 1917年)
2008年 - 古賀雷四郎、北海道開発庁・沖縄開発庁長官(* 1915年)
2009年 - 三沢光晴、プロレスラー(* 1962年)

記念日・年中行事

小さな親切運動スタートの日

1963年のこの日に「小さな親切」運動本部が発足したことを記念。
その年の東京大学の卒業式の告辞の中で茅誠司総長が
「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなり、
6月13日に茅誠司ほか8名の提唱者が、この運動を発足させた。

鉄人の日
1985年のこの日、
「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄が連続試合出場の世界記録を更新したことを記念。

FMの日
F・Mがそれぞれアルファベットの6番目と13番目であることから。

無意味の日
「む(6)いみ(13)」の語呂合わせ。