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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年7月13日(火曜日)

昨年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」

がおわり。

そして「夏」「6月」「7月」「8月」。

「秋」の「9・10・11月」がおわり。

「冬」の「12月」「1月」「2月」がおわり。

今年の「春」の「3月」「4月」「5月」がおわり。

「夏」の「6月」がおわり。

「夏」の「7月」になりました。

ふたたび「夏」です。

夏焼けいろにけむる「夏」。

「こがねのきせつ」になりました。

真っ暗な早朝に。

すっかり車のとだえた。

コンクリートの道で。

舞い踊るように。

向こう側から。

「なつかぜ」のうたが。

なりひびいて。

道路を横切ってきこえてきます。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「昨年」
「9月」がおわわりました。
「10月」も終わりました。
「11月」もおわり。
「12月」で「冬」になりました。
「12月」がおわり。
「昨年」はおわりました。

「冬」も「年」を越しました。
「1月」「2月」「3月」「4月」「5月」
「6月」がおわり。

「季節」はしずかに。
しずかに。しずかに。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」のように。

そそとした「季節の舞台」の上を。

さらにふかまりつつゆく

「季節」から。

「深い季節」への景色を舞台の上で。

あゆみつつあります。

能の舞(のうのまい)の。

「おきなのあゆみ」は

「夏」の「7月」から。

さらにおくふかい「四季の季節」

「ふかい黄金(こがね)の「季節」」へと。

むかっています。

暗い朝の早朝に。
南の天に「明けの明星」が
輝いています。
闇夜の天高いかがやく惑星。

「明けの明星」金星に。
毎日「おはよう」のあいさつを
します。

「夏」の「7月」の。

早朝に。

はるか暗い早朝に。
「りす」のかすかな。
ひとりぼっちの。
鳴き声がきこえたような気が致しました。

けれどもそれは。

「季節風」の声。

毎朝の暗いうち「季節風」の「音色」は。
毎日違います。

「ろうろう」「こうこう」

耳をすませば。
「季節風」の鳴き声は。

「独唱」から次第に「合唱」に
なってゆきます。

そしてオーケストラの楽器の配列のように。
一風一かぜ(ひとかぜ)の
「季節風」の鳴いている場所も。
わかるように。なってきました。

「季節風」も

「夏」。

みのりの「夏」の季節。

にむけての。

ころもがえやひっこしをしている
ことがわかります。

「なつかぜ」に

「衣替え」して。そして。

また「より深い季節」への。

「衣替え」を。

するのでしょう。

「季節風」は。

「鳥」のようです。

木々の上から電線のうえにやどるようです。

「季節風」は

「街路樹」にもとまって。

「夏」を過ごすのでしょう。

「夏」です。

夏の「季節風」がうたう季節

になりました。

「7月」になりました。

日々ゆっくりと

日は長くなります。

陽はたかくなります。

夜は短くなります。

空はたかくなります。

天上の太陽 空たかく。

いまは「夏」。

そして。

「夏」から。

「深夏:ふかなつ」に。

向かいます。

あさは曇っていて。
さらに昼間でも「さむい」ことがある。
私がおきるまっくらな早朝は。
とてもとても。
とても寒いです。

雪国うまれの私は季節の朝に
さむいのがつらい
です。

宮沢賢治

「さむさのなつはおろおろあるき」

はすべての季節にありうるうた。

「さむさのきせつはおろおろあるき」
「サムサノキセツハオロオロアルキ」

早朝「そら」をみあげれば。
晴れているはず。日差しもあるはず。

けれども空には
「雲がいっぱい」で「空はくもりそら」
です。
ふしぎな「夏」のひざしです。

ふとかんがえれば・・。

そして「夏」には。

「夏」の「さむい日差し」から。

「芽」をまもり。

「夏」の太陽から。さらなる恵みを。

「実る木の芽」にあたえる。

「空」こそは。

「ソフトフイルター」の役目を。

「夏」の「おぼろくもりそら」が。

しているようです。

自然とは。

とてもよくできたものです。

変幻自在であり

そして規則も正しい。

なおかつにして。

自由が自在。

春夏秋冬。

大気に漂う霞がごとし。

深い山の奥に住むと

いう。

仙人の心境(ここち)

も。

よくわかる。

「夏」の街路樹もそうそうたる。
ふかまる春の羽振りを。
まとう木々に姿になってきました。

街路樹は「落葉樹」がよいです。

街路樹が「松や杉」のような。
「常緑樹」では
春はうっそうとして
陽の光をえられない。

夏場は枝ぶり葉っぱから陽の光を
さえぎれない。

晩秋も「針葉樹の落葉」では
木枯らしもつりがあわない。
とどのつまり
四季のリズムはつくれません。

ヴイバルデイの
「四季」の「夏」にある
木陰で休む羊飼いの旋律
も。
フランツ・シューベルトの
「菩提樹」の歌曲
も「うまれません」。

落葉の針葉樹で
強いからといって私の「好き」な。
「からまつ」をうえられても
街路樹には叶(かな)わないでしょう。

私の「大好き」な。
北原白秋の「からまつの詩」。

「からまつ」は

街路樹にはそぐはないかもしれません。

播磨の俳人滝野瓢水の句

「手に取るな

やはり野におけ蓮華草」

のように。

「夏」ではあっても。

やはり野におけ蓮華草。

やはり野におけから松木。

「からまつ」も蓮華草と同じくに。

清楚な華やかさとはかなさを

もっています。

やはり野におけ。

蓮華とからまつ。

「夏」の「からまつ」です。

そしていま。
「夏」をあゆみゆく
「からまつ」の時期になりました。

-------------------------------
北原白秋
 
「水墨集」より

  
 落葉松
-------------------------------

      一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。

      二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。

      三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
  きりさめ
 霧雨のかかる道なり。
 やまかぜ
 山風のかよふ道なり。

      四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。

      五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。

      六

 からまつの林を出でて、
  あさま ね
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。

      七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。

      八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

-------------------------------

木々の青葉の房が
早朝くらい中でも
うかびあがります。
とりわけ私は
くすのき科が。
「大好き」な「木」の
ひとつです。
ポプラも好きです。
イチョウもすきです。
けやきもすきです。
カエデもすきです。
もみじもすきです。
松もすきです。
杉もすきです。
からまつも好きです。

「夏」「6月」になり。
裸木の。
木々の穂先は小さいけれども毛氈(もうせん)
のようにあざやかな萌黄色と緑です。

まるで。
大きな里山の森の冬のうねりのようです。
今年は木々のわかばの冬のめばえがとてもとても
鮮烈です。

若芽のうえを吹き抜けていきます。

街角の雑草も
季節の草に変貌して。

「季節風」になり。

道端のくさばなは。
「遠慮がち」にながら堂々と一本の茎。

雑草も。
季節の草へと変貌しつつながらえています。
あたたかかう
ふかまる「秋」をまつ。
「季節」の野の雑草:ざつそうです。

朝暗いうちは。
とてもはださむいです。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックには。
ふとい孟宗竹のたけやぶ
があります。
竹はせがたかいから。

クリニック館内からはすこし離れた所にある。
はなれていても。
とおくからもみえます。

風しらしむ竹の

なつかぜに

笹葉は蒼くふるえたり

みどり葉笹葉に

なつかぜはやみ

なつ陽をうつすや

うつろひの

竹の葉なつかぜ

はやいくとせ

地にも空にも
みどり葉ひらき
みどり木はる空
天高くひろがりけり
ゆたかなりけり
いふことのなし
いふことがなし
いふことはなし
ゆたかなりけり

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

平成21年1月12日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います。

はおわりました。

-------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います

はおわりました。
-------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた時間帯で。
診療を行います
はおわりました。

-------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

-------------------------------

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。

はおわりました。

------------------------------

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始する予定
です。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

まだ予定段階ですが。
平成22年の8月12日(木曜日)(休診日)
より
平成22年の8月15日(日曜日)まで
の8月12日・13日(金曜日)・14日(土曜日)8月15日
は館内改装のため「夏季休診日」とさせていただきます。
きまっている休診日を除けば
8月13日(金曜日)と8月14日(土曜日)
が休診日となります。
院長は病院に常在到します。

まだ予定段階です。
よろしくお願いいたします。

------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝4:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がきます。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著であろうと推察されます。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」
であることを懸念しています。
そして気候の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表される。
ウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

-------------------------------
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です。

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は。

F1レース史上
1952年から1953年にかけて記録した7戦連続優勝は、
2004年にミハエル・シューマッハに並ばれたものの。

今でもF1史上最高タイ記録。

F1レーサーで有名な
1918年 -
アルベルト・アスカーリ、F1レーサー(+1955年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

アルベルト・アスカリ:Alberto Ascari 、
1918年7月13日 - 1955年5月26日)は。

イタリア・ミラノ生まれのF1ドライバーです。
1952年・1953年のワールドチャンピオン。
アルベルト・アスカーリとも表記されます。

ニックネームは出身地にちなみ
「フライング・ミラン(空飛ぶミラノ人)」、
もしくは「チッチョ(太っちょ)」。

http://www.youtube.com/watch?v=z7825kvROuI&translated=1
++++++++++++++++++++++

経歴
1920年代に活躍したドライバー、
アントニオ・アスカリを父に持ちます。

アスカリは幼い頃、父にレーシングカーの横に乗せられ、
モンツァ・サーキットのコースを走って貰ったことがある
そうです。

これが忘れられない出来事となりました。

しかし父は1925年にクラッシュで他界されました。

++++++++++++++++++++++

アスカリは1929年に
11歳で2輪の草レースを優勝。

その後暫くは2輪レースに没頭していたが、
1940年にアウト・アヴィオ・コストルツィオーニ
(フェラーリの前身となる会社)のティーポ815で
1940年のミッレ・ミリアに出場致しました。

4輪レーサーとしての経歴が始まるが、
第二次世界大戦の勃発により活動を一時中断致しました。

戦時中はイタリア軍関連の輸送業を営みました。

ビジネスパートナーのルイジ・ヴィッロレージと師弟関係を築きました。

以後ふたりはチームメイトとして行動を共に致しました。

++++++++++++++++++++++

アルベルト・アスカリ:Alberto Ascariは。
戦後の1947年から再び表舞台に登場し、
マセラティのセミワークスチームで活躍した後、
1949年にはスクーデリア・フェラーリに加入致しました。

スイスGPでフェラーリの国際グランプリ初優勝を達成。
モンツァ・サーキットで行われたヨーロッパGPでも優勝し、
イタリアを代表するドライバーとして認められました。

++++++++++++++++++++++

F1
1950年よりF1世界選手権が創設され、
アスカリは第2戦モナコGPから出走を開始。

初出走レースで2位という成績を収めるなど、
シリーズランキング5位となりました。

翌1951年は、
第6戦ドイツGPで初のポールポジション(以下PP)を獲得し、
決勝でも優勝。

初優勝をポール・トゥー・ウィンで飾りました。

これを含め2勝2PPを記録し、
ランキングでファン・マヌエル・ファンジオに次ぐ
2位となりました。

++++++++++++++++++++++

アルベルト・アスカリ:Alberto Ascariは。

1952年は圧倒的な強さを見せ、
参戦した7戦中6戦で優勝。
優勝したレースでは全てファステストラップ(以下FL)を記録し、
そのうち5度はポール・トゥー・ウィンという成績で、
フェラーリドライバーとして初のF1チャンピオンとなりました。

また1953年も8戦中5勝・2PP・5FLの成績でチャンピオンとなり、
シリーズ初の連覇を達成致しました。

++++++++++++++++++++++

アルベルト・アスカリ:Alberto Ascariは。
1954年はフェラーリを離れランチアと契約するが、
マシン開発が遅れ、実際にチームのマシンを駆ったのは
最終戦のみとなりました。

中盤にマセラティから2戦、
終盤にフェラーリからも1戦参戦しているが、
欠場したレースが過半数を数え、
完走なしでランキングは24位(2度のFLで獲得した2ポイント)。
ほぼ1年を棒に振る結果となりました。

++++++++++++++++++++++

1955年は第1戦アルゼンチンGPから参加。
予選2位からトップを奪うが、2
2周目に事故でリタイヤ致しました。

そして第2戦モナコGPでは、
レース中にシケインでクラッシュし、
マシンごと海に落ちるというアクシデントを起こしました。

この時は現場に待機していた潜水夫に救助され、
鼻の骨を折りながらも奇跡的な生還を果たしました。

++++++++++++++++++++++

事故死
モナコGPの4日後、アスカリはモンツァ・サーキットでの
スポーツカーテストに現われました。

エウジェニオ・キャステロッティとコンビを組んで
フェラーリ・750モンツァで耐久レースに出場することが決まっており、
モナコGPからの回復具合を確かめるため
急遽ドライブを志願、マシンに乗り込むこととなりました。

アスカリは黒猫が目の前を横切ると、
不吉と道を変えたほど信心深く、
常に青いシャツと青いヘルメットを着用してレースに挑んでいました。

しかし、この日はドライブする予定がなかったため
ヘルメットを持参しておらず、
キャステロッティのヘルメットを借りてコースに出て行きました。

しかしドライブから2周目、アスカリは突如急ブレーキを踏み、コースオフ。
マシンはそのまま土手に乗り上げて宙を舞い地面に落下、
そのはずみでアスカリはマシンから投げ出されました。

++++++++++++++++++++++

すぐに救急車で病院へ搬送されたが、その途中で死去。
36歳でした。

アスカリが急ブレーキを踏んだ理由は、
50年以上経過した現在でも分かっていません。
アスカリの事故が起こった直後、
モンツァの従業員と思われる制服の人物が現場で目撃されてはいます。

そこから推測された仮説も存在するが、あくまで仮説の域を出ていません。

父アントニオも同じ36歳で、
同じ「26日」に事故死していたことから、
このことがしばしば「アスカリ家の悲劇」として語られています。
クラッシュした場所は、
現在「アスカリ・シケイン」(Variante Ascari )と呼ばれています。

http://www.youtube.com/watch?v=z7825kvROuI&translated=1

++++++++++++++++++++++

1952 - 1953年のアスカリ

アスカリがチャンピオンを獲得した
1952年・1953年は下記に示す通り、全17レース(出場15レース)中、
優勝11回、ポールポジション11回、予選フロントロー14回、
ファステストラップ11回と「圧勝」のシーズンであった。

この2年間はアルファ・ロメオの撤退により
F1規格の参加台数が足りず、F2レースで選手権が争われたが、
F2マシンを保有していたフェラーリの独擅場となり、
チ−ムとしても(不参加のインディ500を除けば)14連勝の記録を残しました。

1952年から1953年にかけて記録した7戦連続優勝は、
2004年にミハエル・シューマッハに並ばれたものの、
今でもF1史上最高タイ記録である。
また連勝が途切れたのは、当時形式上は世界選手権に組み込まれていた
インディ500を欠場したためであり、
その後行われた2レースでは優勝しています。

このため出場したレースに限れば9戦連続優勝となります。

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アルベルト・アスカリ
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7月13日
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できごと
1553年 - イングランドでメアリー1世が即位。イングランド初の女王。
1765年 - ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン・ウェントワースがイギリス首相に就任。
1772年 - レゾリューション号およびアドヴェンチャー号がジェームズ・クック率いる2度目の太平洋探検のためプリマスを出港。
1837年 - ヴィクトリア英女王がバッキンガム宮殿に移り住む。これ以降バッキンガムが英王室の常住の場となる。
1863年 - ニューヨーク徴兵暴動勃発、南北戦争中の米ニューヨークでアイルランド系移民の労働者が徴兵反対を訴えた。
1864年(元治元年6月10日)- 明保野亭事件。
1870年 - 普仏戦争の原因となったエムス電報事件が起こる。
1878年 - ベルリン条約が締結。
1886年 - 日本標準時の基準を1888年1月1日から東経135度の子午線とする事が勅令により定められた。
1893年 - パークナム事件。
1911年 - 第3次日英同盟協約締結。
1919年 - アメリカ合衆国が金本位制に復帰。
1930年 - サッカーの第1回ワールドカップがウルグアイで開幕。
1948年 - 優生保護法公布。
1966年 - 東京都教育委員会が次年度の都立高校入試から学校群制度導入を決定。
1977年 - ニューヨーク大停電、ニューヨークで落雷が原因の停電が起こり、復旧までの3日間に900万人が影響を受けた。
1978年 - アルジェで第3回アフリカ競技大会が開幕。(7月28日まで)
1989年 - 群発地震が発生していた伊東市沖合の海底が噴火。
1993年 - イチローが野茂英雄からプロ入り初ホームラン。
1995年 - スレブレニツァの虐殺が発生。8千人が殺害される、第二次世界大戦以降では欧州最悪のジェノサイド。
1996年 - 大阪府堺市の小学校33校の児童約300人が食中毒症状を訴え、病原性大腸菌O157が検出される。学校給食が原因と見られ、7月15日には市立小学校と養護学校の全92校が休校に。
2001年 - モスクワで開かれていた国際オリンピック委員会(IOC)総会で2008年夏季オリンピックの北京開催が決定。
2003年 - プチエンジェル事件発生。犯人は自殺。
2003年 - イラクの暫定統治機関としてイラク統治評議会が設置される。
2004年 - 平成16年7月新潟・福島豪雨による大規模水害発生。新潟県三条市、中之島町などを中心に甚大な被害。
2006年 - 青森県立美術館が開館。
2008年 - プロゴルファーの不動裕理が女子ツアーで初めて選手生涯獲得賞金を10億円台に乗せる。

誕生日
紀元前100年 - ユリウス・カエサル、政治家(+紀元前44年)
40年 - グナエウス・ユリウス・アグリコラ、ローマ帝国ブリタニア総督(+93年)
1791年 - アラン・カニンガム、植物学者(+1839年)
1808年 - パトリス・マクマオン、フランス第三共和政第2代大統領(+ 1893年)
1815年(文化12年6月7日)- 梅田雲浜、儒学者(+1859年)
1841年 - オットー・ワーグナー、建築家(+1918年)
1882年 - 青木繁、画家(+1911年)
1918年 - アルベルト・アスカーリ、F1レーサー(+1955年)
1929年 - ダリル・スペンサー、プロ野球選手
1930年 - 東谷夏樹、元プロ野球選手(+2006年)
1930年 - 杉田豊、グラフィックデザイナー・絵本作家
1933年 - ピエロ・マンゾーニ、美術家(+1963年)
1935年 - 堺屋太一、作家・元経済企画庁長官
1936年 - 佐藤公博、プロ野球選手
1937年 - 水野忠夫、ロシア文学者、翻訳者
1940年 - パトリック・スチュワート、俳優
1942年 - 渡辺泰輔、元プロ野球選手、ハリソン・フォード、俳優
1943年 - 関口宏、俳優・タレント
1943年 - 阪本敏三、元プロ野球選手
1944年 - エルノー・ルービック、建築学者(ルービックキューブ発明者)
1945年 - 日野てる子、歌手(+2008年)
1948年 - 中山千夏、小説家・タレント・政治家
1950年 - 馬英九、中華民国総統
1951年 - 福間納、元プロ野球選手
1952年 - 三宅民夫、NHKアナウンサー
1952年 - 鵜沢達雄、元プロ野球選手
1955年 - 達川光男、元プロ野球選手・監督
1957年 - ティエリー・ブーツェン、F1レーサー
1957年 - 浅井純哉、高校野球指導者
1958年 - 山口二郎、政治学者
1959年 - ファンキー末吉、ミュージシャン(爆風スランプ)
1961年 - 大槻東巳、物理学者(大槻義彦の息子)
1963年 - エリック宮城、トランペット奏者
1963年 - 水野良、作家・ゲームデザイナー
1963年 - スパッド・ウェッブ (en:Spud Webb)、バスケットボール選手
1963年 - 村上信一、元プロ野球選手
1963年 - ファットボーイ・スリム、ミュージシャン・DJ
1964年 - 村田晃嗣、政治学者・同志社大学助教授
1965年 - 中森明菜、歌手
1966年 - 石川秀美、アイドル
1967年 - 北斗晶、女子プロレスラー
1968年 - 南央美、声優
1969年 - SLAKE(藤井岳彦)、作曲家
1970年 - 石毛博史、プロ野球選手
1971年 - 遠藤章造、タレント(ココリコ)
1971年 - 渡辺秀一、プロ野球選手
1972年 - 大地洋輔、お笑い芸人(ダイノジ)
1974年 - ヤルノ・トゥルーリ、F1レーサー
1974年 - 川本成、タレント(あさりど)
1975年 - はやのん、漫画家
1975年 - 長谷川崇夫、歌手
1976年 - 内藤裕子、NHKアナウンサー
1977年 - 鈴木紗理奈、タレント
1977年 - 今村文昭、プロ野球選手
1979年 - 井川慶、プロ野球選手
1979年 - 飯山裕志、プロ野球選手
1979年 - ルシンダ・ルー、フィギュアスケート選手
1980年 - 中孝介、歌手
1980年 - ジョン・コロンカ、プロ野球選手
1981年 - ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ、レーシングドライバー
1982年 - ヤーディアー・モリーナ、メジャーリーガー
1982年 - 秋信守、メジャーリーガー
1982年 - 中川英之、サッカー選手
1982年 - クリストファー・ベルントソン、フィギュアスケート選手
1983年 - 陳鏞基、メジャーリーガー
1985年 - 内竜也、プロ野球選手
1985年 - 苔口卓也、サッカー選手
1985年 - 上野なつひ、女優
1985年 - 平山智加、ボートレーサー
1986年 - 木原真佐人、陸上競技選手
1987年 - 及川夕依、ローカルタレント
1988年 - 五嶋龍、ヴァイオリニスト
1988年 - 渋谷飛鳥、タレント・女優・美少女クラブ31リーダー
1988年 - 仁藤拓馬、プロ野球選手
1988年 - 王靖超、野球選手
1988年 - 鴨志田道秋、お笑いタレント(シャンゼリーゼ)
1989年 - 道重さゆみ、モーニング娘。
1989年 - 柏原竜二、陸上競技選手
1989年 - 串田裕紀、野球選手
1992年 - 大谷澪、グラビアアイドル
1993年 - 能年玲奈、女性ファッションモデル
1995年 - 小水七海、AKB48

忌日
982年 - ギュンター、マイセン辺境伯
998年(長徳4年6月12日)- 寛朝、真言宗の僧(* 916年)
1205年 - ヒューバート・ウォルター、カンタベリー大司教・大法官
1380年 - ベルトラン・デュ・ゲクラン、百年戦争期のフランス軍人(* 1320年)
1611年(慶長16年6月4日)- 真田昌幸、戦国武将(* 1547年)
1645年 - ミハイル・ロマノフ、ロシア帝国のツァーリ(* 1596年)
1673年(寛文13年5月29日)- 板倉重矩、江戸幕府老中・烏山藩主(* 1617年)
1685年(貞享2年6月12日)- 八橋検校、近代箏曲の父とされる検校(* 1614年)
1755年 - エドワード・ブラドック、イギリス軍の将軍(* 1695年?)
1761年(宝暦11年6月12日) - 徳川家重、江戸幕府第9代将軍(* 1711年)
1762年 - ジェームズ・ブラッドリー、天文学者(* 1693年)
1793年 - ジャン=ポール・マラー、フランス革命ジャコバン派の指導者(* 1743年)
1807年 - ヘンリー・ベネディクト・ステュアート、ジャコバイトが支持するイングランドの王位継承権者(* 1725年)
1832年(天保3年6月16日)- 堀田正敦、江戸幕府若年寄・佐野藩主(* 1755年)
1849年(嘉永2年5月24日)- 橘守部、国学者(* 1781年)
1882年 - リンゴ・キッド、西部開拓時代のガンマン・アウトロー(* 1850年)
1885年 - アウグスト・ヴェラ、哲学者(* 1813年)
1886年 - 山内豊範、第16代土佐藩主(* 1846年)
1896年 - フリードリヒ・ケクレ、化学者(* 1829年)
1921年 - ガブリエル・リップマン、物理学者(* 1845年)
1924年 - アルフレッド・マーシャル、経済学者(* 1842年)
1943年 - ルッツ・ロング、陸上競技選手(* 1913年)
1945年 - アラ・ナジモヴァ、女優・脚本家・映画プロデューサー(* 1879年)
1945年 - ロスコー・ディッキンソン、化学者(* 1894年)
1946年 - アルフレッド・スティーグリッツ、写真家(* 1864年)
1951年 - アルノルト・シェーンベルク、作曲家(* 1874年)
1954年 - フリーダ・カーロ、画家(* 1907年)
1967年 - 吉野秀雄、歌人(* 1902年)
1970年 - レズリー・グローヴス、アメリカ陸軍の中将・マンハッタン計画指導者(* 1896年)
1970年 - 盛世才、新疆省の指導者(* 1897年)
1974年 - パトリック・ブラケット、実験物理学者(* 1897年)
1976年 - ヨアヒム・パイパー、ナチス・ドイツ武装親衛隊の大佐(* 1915年)
1977年 - ヘルマン・ケンペル、発明家(* 1892年)
1978年 - 畠山麦、俳優(* 1944年)
1980年 - セレツェ・カーマ、ボツワナ初代大統領(* 1921年)
1986年 - 神田隆、俳優(* 1918年)
1995年 - マッティ・ペロンパー、俳優(* 1951年)
1996年 - シンザン(競走馬)、三冠馬、長寿記録(* 1961年)
1997年 - アレクサンドラ・ダニロワ、バレエダンサー(* 1903年)
2002年 - ユーサフ・カーシュ、写真家(* 1908年)
2002年 - 林美雄、TBSアナウンサー(* 1943年)
2003年 - 坂口祐三郎、俳優(* 1941年)
2004年 - 森嶋通夫、経済学者(* 1923年)
2004年 - カルロス・クライバー、指揮者(* 1930年)
2006年 - レッド・バトンズ、コメディアン(* 1919年)
2006年 - 小谷輝二、政治家(* 1926年)
2006年 - 谷口徹次、俳優(* 1936年)
2006年 - 宮田征典、プロ野球選手(* 1939年)
2006年 - 坪内滄明、日本画家(* 1939年)
2007年 - 太田省吾、劇作家・演出家(* 1939年)

記念日・年中行事

日本標準時制定記念日(日本)
1886年7月13日に、東経135度を日本標準時とし、
1888年1月1日よりこれを実施するという内容の勅令第51号
「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が公布されたことに由来。
これによって兵庫県明石市の正午が全国のどの地域でも正午となるということに定められた。

オカルト記念日(日本)
1974年7月13日に、オカルトブームの火つけ役となった映画
「エクソシスト」が日本で初公開されたことに由来。

生命尊重の日(日本)
1984年に、生命尊重の日実行委員会
(医師、法律家、教育者、主婦等で構成)が、
優生保護法(現:母体保護法)公布にちなみ定めた。

盆迎え火(日本)
盆の初日。家門で火をたき、祖先の霊を迎える。