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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年7月16日(金曜日)

「夏」=「7月」

になりました。

「夏」です。

今は「夏」の。

「夏」の「7月」です。

これから先は。

さらに。

ふかまりゆく「季節」。

「きせつ」が「はなのまち」をまいながら。

みのりゆく「季節」です。

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

「夏」「7月」です。

昨年。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」もおわり。
秋の最後の
「11月」「晩秋月」もおわり。
そして「12月」になり「冬」になった。
「12月」もほとんどが過ぎたかな
とおもったら。
12月31日になり。

あっというまに。
「年があらたまりました」。

今は「7月」です。

昨年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」を

そして「夏」「6・7・8月」を

「秋」「9月」「10月」「11月」を

「冬」「12月」「1月」「2月」を

そして「3月」「4月」「5月」を.

「6月」を。

乗り越えて。

「なつ」の「7月」です。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
驚きと恐怖さえをも感じます。

大気は「なつ」。

「夏かぜ」は。

なつの「季節風」。

天には「なつ」の。

「なつの花」の「はな」。

地には「なつ」の。

「なつの花草」の「はなびら」。

「なつの花々」の

「なつ」。

「夏」のこの時期には。
樹木の「落ち葉」はおちきり。

「落ち葉」は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。

「夏」をすぎての
「みのり」にそなえて。
しっかりと。

強い「夏」の
太陽の陽射しをえるためでしょう。

「なつ」には。

「なつの花」の花びらが

「季節の花」の「花」が。

花も見ぬうちに。

暗い夜中のあいだに。

「季節風」に。

弓射られて。

朝暗いうちにも。

地に落下しています。

樹木は

「季節」の

「きせつ木」としてのたたずまいから。

まさしく。

威風堂々たる「季節」の。

主人公としての。

たたずまいに。

なりました。

「季節の木」に。

「きせつ」の「季節風」。

「季節」の気配は。

はっきりと。

「まち」の葉木にも感じられます。

この。

「季節風」は。

これから。

「どのような風」に。

変化していくのでしょう。

「季節の花」の

若花のつぼみや。

「季節の花」の

若花のはなびらが。

たわわにみえます。

「季節の花」のつぼみは。

いつでも咲きそうな。

つぼみばかりです。

こがねいろの。

どんぐりのような。

つぼみです。

昨年の「晩秋」
「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ようにいなくなりました。

「秋」の。
「秋の花」の花びらは。

少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに蕾膨らみ
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花咲き
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花びらが舞う。

「季節」の「あけぼの」。

空の色が。

まさしくも

「季節」の「空色」

になってきました。

ミルクのはいった

コバルトのような

空色です。

「夏」になりました。

次第に陽ののぼるのは。

すこしづつはやくなり。

陽がくれるのは。

すこしづつおそくくなりました。

今は「夏」。

「7月」です。

昨年の「春」の。

「3月」「4月」「5月」

「夏」「秋」「冬」「春」が去りゆき。

今はふたたびみのりの「夏」です。

「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」がはるか遠くに去っていった。

微笑みが。目に浮かびます。

「夏」の「7月」です。

「なつ」。

あさの03:00AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

「季節」の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
さらに「なにかが深まりゆく」。
そして「季節」の訪れから。

さらにさらに。
深い「季節」に向かい。
そしてさらに。
深い「季節」の向こう側に。
さらなる「季節」の気配の。
あることが。
よくわかります。

文豪 川端康成の。

「雪国」の。

トンネルの中から。

「向こう側」は「雪国」。

そして

さらに「雪国」をすぎれば。

そこは「春の国」。

そして。さらに。

「日々」を旅して。

いつかはまた「季節の国」。

「季節」から先に。

さらなるトンネル

がいくつあるのでしょうか。

池面(いけも)の水面(みずも)
おさなき小さなわかみどり
なもしらぬ
小さな緑の浮き草
若草うきつあつまりて
つらなり水面(みずも)
水面(みずも)をおおいたり
水面(みずおも)にて
風にきそいてさまよえり
ちひさきわらべのごとし
池面の水面(みずおも)の。
小さきちひさなわかみどり

いざいまこそは

よき季節にあらむ

水面(みずも)なるそら

ふと空をみる

早朝(はやあさ)に
けふもはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
われあゆむがごと
陽はあたかくなりけり
葉木は強き木にかわりたり
みちをあかるくてらさむ
季節がいだく木
季節はぐくむ木
季節みどり木あおし
季節実りの木紅し(あかし)
季節来(きた)るらむ

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

地にも木にも

みどり葉ひらき

みどり木ときわ木

ひろがりて

いふことのなし

いふことがなし

いふことはなし

ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「「季節」はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

++++++++++++++++++++++

平成21年1月12日日(月曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月5日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

まだ予定段階ですが。
平成22年の8月12日(木曜日)(休診日)
より
平成22年の8月15日(日曜日)まで
の8月12日・13日(金曜日)・14日(土曜日)8月15日
は館内改装のため「夏季休診日」とさせていただきます。
きまっている休診日を除けば
8月13日(金曜日)と8月14日(土曜日)
が休診日となります。
院長は病院に常在到します。

まだ予定段階です。
よろしくお願いいたします。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

感謝・感謝です。

「今日は何の日」は。
http://www.youtube.com/watch?v=wq6_4t_8lYc

この核実験を以ってしばしば「核の時代」の幕開け
とされる。
1945年 - アメリカ合衆国が
ニューメキシコ州アラモゴードにおいて。

人類初の原子爆弾の実験に成功(トリニティ実験)
した日です。
その数週間後の広島・長崎への
原子爆弾投下へとつながりました。

人類は「究極兵器」を完成させてから
まだ65年しかたっていないのです。

++++++++++++++++++++++

トリニティ実験(トリニティじっけん、the Trinity test)とは。
1945年7月16日にアメリカで行なわれた人類最初の核実験です。

この実験はアメリカ・ニューメキシコ州ソコロの南東48km
(北緯33.675度、西経106.475度)の地点で行なわれました。

実験場は現在ではアラモゴードに本部を持つ
アメリカ陸軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場の一部となっています。

トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、
同型の爆弾が後に日本の長崎県長崎市に投下されました。

この実験による核爆発は約20ktのTNTの爆発と同規模のもので、
この核実験を以ってしばしば「核の時代」の幕開けとされます。

++++++++++++++++++++++

歴史

核兵器の開発は1930年代後半の政治潮流と科学の発展に端を発します。
この時代にヨーロッパでファシスト政権が誕生したことと、
原子の性質に関する新たな発見がなされたこととが一つの流れにまとまり、
アメリカとイギリスにおいて
原子核分裂反応をエネルギー源とする強力な兵器を開発する計画が生まれました。

この計画はマンハッタン計画と呼ばれています。

最終的には1945年7月に今日トリニティ実験場と呼ばれる場所で行なわれた
人類初の核実験と。
そして
その数週間後の広島・長崎への原子爆弾投下へとつながりました。

++++++++++++++++++++++

開発
核兵器の実現可能性を調べる研究は
アメリカとイギリスによって1939年には開始されていたが、
実際の開発が本格的に始まったのは、
1942年に研究がアメリカ陸軍の権限の下に委譲されて
マンハッタン計画となってからのことでした。

マンハッタン計画の目的は核兵器の内部で起こる
核分裂連鎖反応の源となる核分裂性物質を開発することと、
核兵器自身の設計でありました。

この計画はニューメキシコ州の
ロスアラモス研究所で最高機密として進められました 。

++++++++++++++++++++++

マンハッタン計画で研究された
2つのタイプの原子爆弾の動作原理。爆縮型(図下)は
複雑な動作を要するため、
実戦での使用の前に試験を行なう必要があると考えられました。

1944年1月から1945年7月にかけて、
核物質を生産する大規模な工場が稼動を続け、
ここで生産された核物質が核兵器の特徴を決めるために用いられました。

爆弾の設計で生じた問題について
様々な角度から取り組むために多面的な研究体制がとられました。

研究の初期には試験プラントや
研究所の加速器で作られたごく微量のウラン235(濃縮ウラン)や
プルトニウムを使って、
兵器の設計に関する決定が行なわれました。

これらの初期の研究から、
核分裂性物質の小片を別の小片に撃ち込んで
全体が臨界質量となるようにすれば爆弾を作るのは容易であると考えられました。

++++++++++++++++++++++

ウラン235の生産は当時の技術では
非常に困難であることが明らかになったが、
プルトニウムは専用に作られた
原子炉の副産物として得られるために生産は比較的容易でした。

このような原子炉は1942年になってようやく
エンリコ・フェルミによって開発されました。

しかしこのような原子炉で作られる「原子炉級」プルトニウムは、
サイクロトロンで作られるプルトニウムに比べて
純度がかなり低いものでした。

原子炉級プルトニウムに
こうした別のプルトニウム同位体が含まれているということは、
単純なガンタイプの爆弾ではうまく作動しないことを意味致しました。

すなわちこれらの同位体が放出する
余計な中性子によって爆弾が早期爆発(pre-detonate)してしまい、
出力が大きく損なわれてしまうのです。

++++++++++++++++++++++

1942年にこの問題が明らかになるとプルトニウム爆弾は
再設計を迫られ、
その結果、球形のプルトニウム・コアを通常爆薬によって圧縮し、
プルトニウムの密度を上げて臨界に到達させるという
爆縮(implosion)のアイデアが生まれました。

そこで問題は、
プルトニウムの球体を全ての面から正確に等しい圧力で
均等に圧縮するような仕掛けを作り出すことに移りました。

圧縮力に少しでも誤差があると、
大事なプルトニウムが爆弾の外に放り出されてしまい、
大規模な爆発を起こさず不発に終わってしまいます。

当時存在した技術で完璧な圧縮を実現するためにこの
「爆縮レンズ」を作り出すのは困難を伴ったため、
マンハッタン計画の軍の最高責任者であった
レズリー・グローヴズと科学部門の責任者であった
ロバート・オッペンハイマーは、
この爆弾を実戦で十分な信頼性を持って使用するためには、
この起爆機構の実験を行なう必要があると考えました。

++++++++++++++++++++++

実験計画
実験の計画自身は爆発物の専門家
ジョージ・キスシャコフスキーの下で働いていた
ハーバード大学の物理学教授の
ケネス・ベインブリッジによって起案されました。
この実験で爆発させる核兵器の威力は未知だったが、
にもかかわらず実験の結果については
秘密が保障されるような適切な場所を実験場として選ぶ必要がありました。

また、実験のデータを取得するために
適切な実験装置を設置したり、
未知の威力と大きな危険を伴うこの実験の参加者の安全を守るための
安全指針も策定する必要がありました。

この実験の公式写真家とされた
バーリン・ブリックスナーはこの爆発をフィルムに捉えるために
何十台ものカメラを設置致しました。

++++++++++++++++++++++

実験場

実験場には現在ホワイトサンズミサイル射場となっている
アラモゴード爆撃試験場の一部が選ばれました。

実験場の位置は爆撃試験場の北端(北緯33.675度、西経106.4756度)で、
アメリカ合衆国南西部のニューメキシコ州カリゾゾとソコロの中間に位置
到します。

名称
この実験に付けられた
トリニティ (Trinity:キリスト教における三位一体説)
という名称の正確な由来は不明だが、
ロスアラモス研究所長の
ロバート・オッペンハイマーが
ジョン・ダンの詩から引用したものとしばしば言われています。

オッペンハイマーはかつて交際してい
たジーン・タットロックを通じてダンの作品に触れており、
彼女は1944年7月に自殺しています。

1962年にレズリー・グローヴスはオッペンハイマー宛の手紙で、
実験の名前の由来について、
「トリニティ」という名前はアメリカ西部の川や山の名前として
よくあるものだったため、
実験が世間の注意を引かないようにこの名前を選んだのではないか、
と尋ねました。

これに対してオッペンハイマーは次のように答えている。
「確かに私がトリニティという名前を提案しましたが、
その由来はそのような理由によるものではありません…
何故私がこの名前を選んだのかは定かではありませんが、
自分が当時何を念頭に置いていたかについては覚えています。
私がよく知っていて愛している
ジョン・ダンの一篇の詩があります。
これは彼が死の直前に書いたものです。
以下はこの詩からの引用です:
'As West and East /
In all flatt Maps?and I am one?are one, /
So death doth touch the Resurrection.' ("Hymn to God My God, in My Sicknesses")」
オッペンハイマーは続けてこう記しています。

「この詩には三位一体に関する記述はありませんが、
ダンが書いた別のよく知られている賛美詩は次の一節から始まります:
'Batter my heart, three person'd God;?.' (Holy Sonnets XIV)
これ以上の手掛かりは私も持ち合わせていません」。

++++++++++++++++++++++

実験の予想

最終組立のために実験塔の最上部へ運び上げられる
「ガジェット」トリニティ実験の結果を観察する研究者たちの間では
爆発の大きさについての賭けが行なわれました。
予想には「0(不発)」というものから
「TNT 換算で18kt」(I. I. ラービによる予想)、
「ニューメキシコ州を破壊」、
「大気が発火して地球全体が焼き尽くされる」というものまでありました
(幸いにも最後の予想については事前の計算でほぼ不可能であることが分かったが、
研究者の中にはしばらくの間これを心配する者もいた)。
結果的にはラービが賭けに勝つこととなりました。

なお、核融合を用いた更に強力な爆弾の開発を
主張していたエドワード・テラーは、
あまりの破壊力の小ささに落胆し「こんなちっぽけなものなのか」と漏らしたという。

++++++++++++++++++++++

実験の準備
計測機器の較正を行なうため、
5月7日に108tの TNT を使って予備の爆発実験が行なわれました。
(この時以来、核爆発の出力はTNT換算のトン数を単位として表されるようになった。)

本番の実験で高い位置に原子爆弾を配置するために
、高さ20mの鋼鉄製の爆発実験塔が建設された。
これは、大気中で爆発させれば(爆発の衝撃波が球面状に膨張するために)
目標に直接与えるエネルギー量を最大化でき、
また発生する放射性降下物の量を最少に抑えられるので、
これによって航空機から爆弾を投下した際にどのようになるかを
より良く示すだろうと考えられたためでした。

組立が完了して実験を待つガジェット7月12日に実験場近くの
マクドナルド牧場に資材が到着し、
ここでプルトニウムのコアを内蔵した核爆弾
(ガジェットというニックネームが付けられていた)
の組立が行なわれることとなりました。

組立は7月13日に完了し、翌日に実験塔の上部へ引き揚げられました。

万一実験が失敗した際に貴重なプルトニウムを回収するため、
グローヴズ将軍の命令でジャンボというコードネームで
呼ばれる巨大な鋼鉄製の容器が用意されていました。

ジャンボは240tの重量を持ち、
当初の計画ではこの中にプルトニウムと通常爆薬5tからなる
起爆装置を置いて爆発させることになっていたものです。

爆縮が成功してプルトニウムの連鎖反応が起これば、
ジャンボは蒸発して消滅する。

連鎖反応が失敗に終わった場合には、
ジャンボの内部で爆発が留まるため、
貴重なプルトニウムが飛散するのを防ぐことができます。

ジャンボは多額の費用をかけてペンシルベニア州ピッツバーグで製造され、
鉄道で実験場まで運ばれました。

しかしジャンボが実験場に到着する頃には、
爆縮機構について研究者たちは強い信頼を持てるようになっていました。

本番の実験にジャンボを使わないことになった。
その代わりにジャンボは、ガジェットから730m離れた位置にある
別の鉄塔に引き揚げられました。

この距離は爆弾の威力を概算した結果決められた。
最終的にガジェットの爆発によってジャンボは破壊されずに残ったが、
ジャンボを支える鉄塔は倒壊致しました。

爆発は、当初7月16日午前4時(現地時間)に予定されていたが、
当日の早朝から雷雨が続いたために延期されました。

雨天の下では放射線や放射性降下物の危険が非常に大きくなることが予想され、
また雷によって予期しない爆発が起きてしまう可能性を研究者たちが
心配したためでした。

http://www.youtube.com/watch?v=FfoQsZa8F1c&feature=related
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トリニティ実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E5%AE%9F%E9%A8%93

種類 核実験場
位置 北緯33度40分38秒 西経106度28分31秒 / 北緯33.6773度 西経106.4754度 / 33.6773; -106.4754 ニューメキシコ州ビンガム近く
管理 マンハッタン工兵管区 (アメリカ合衆国)
現況 未使用
実験期間 1945年7月16日 [要出典]

実験場の位置
トリニティ実験場
アメリカ合衆国国家歴史登録財
アメリカ合衆国国定歴史建造物地域
所在地: ニューメキシコ州ソコロ
直近都市: ビンガム
面積: 36,480 エーカー (147.6 km2)[1]
建設: 1945年
NRHP指定日: 1966年10月15日[2]
NHLD指定日: 1965年12月21日[3]
NRHP登録番号: 66000493

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7月16日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8816%E6%97%A5

できごと
527年(継体天皇21年6月3日) - 近江毛野が軍を率いて新羅に攻められた任那の失地回復に向かう(磐井の乱の始まり)。
622年 - ヒジュラ暦1年1月1日。この年内に、預言者ムハンマドはメッカからメディナに移住(ヒジュラ)したため、彼らの太陰暦で年初にあたるこの日がヒジュラ暦の始まる日になった。
1054年 - カトリック教会と東方正教会が完全に決別。
1582年(天正10年6月27日)- 清洲会議が開かれ、羽柴秀吉が推していた三法師(後の織田秀信)が織田氏の後継者に決まる。
1782年 - モーツァルト作曲の歌劇『後宮からの誘拐』がウィーンで初演される。
1885年 - 日本鉄道・大宮駅〜宇都宮駅(現在の東北本線)が開業、日本初の駅弁を宇都宮駅で販売。
1894年 - 日英通商航海条約調印、治外法権を撤廃し関税率を引き上げ。
1909年 - イラン立憲革命を支持する国民軍が首都テヘランを占領、国王ムハンマド・アリー・シャーはロシアへ亡命。
1920年 - 阪急神戸本線・阪急伊丹線開業。
1941年 - ニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオ選手が56試合連続安打を達成。
1945年 - アメリカ合衆国がニューメキシコ州アラモゴードにおいて、人類初の原子爆弾の実験に成功。(トリニティ実験)
1948年 - キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件、ハイジャック犯が機長・副機長を射殺した結果ハイジャック機が墜落、25名の死者を出す。
1950年 - 1950 FIFAワールドカップの決勝リーグ第3戦がリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行なわれ、ウルグアイがブラジルに2-1で逆転勝ちを決め2度目の優勝を果たす(マラカナンの悲劇)。
1951年 - ナチス・ドイツのベルギー侵攻時に政府と袂を分かち単独降伏した選択への批判にさらされていたレオポルド3世がベルギー国王を退位、長男のボードゥアン1世が即位。
1951年 - J・D・サリンジャー作の小説『ライ麦畑でつかまえて』が発売。
1953年 - 伊東絹子がミス・ユニバースコンテストで3位入賞、「八頭身美人」が流行語に。
1963年 - 名神高速道路の栗東〜尼崎が開通(日本初の高速道路)。
1969年 - アポロ11号打ち上げ。
1972年 - 大相撲名古屋場所で高見山大五郎が優勝(外国出身力士の幕内初優勝)。
1978年 - 西ドイツのボンで第4回主要国首脳会議(ボン・サミット)が開幕、会期は7月17日まで。
1979年 - サッダーム・フセインがイラク大統領に就任。
1987年 - 富士山麓の忍野八海にてダイバー2人死亡。
1989年 - 越前海岸崩落事故。福井県丹生郡越前町玉川の国道305号線で岩盤が崩落する事故で15人死亡。
1993年 - 神奈川県横浜市に日本一の高さを誇る超高層ビル、横浜ランドマークタワーが開業。
1994年 - 青森県青森市の三内丸山遺跡で巨大建造物の柱3本が発見、国内最大の縄文期の集落の可能性。
1994年 - 7月22日までの間シューメーカー・レヴィ第9彗星が相次いで木星に衝突する。
1997年 - 臓器の移植に関する法律(臓器移植法)公布。
1997年 - ダウ平均株価が8000ドルの大台に達する。
1999年 - 上野駅〜札幌駅を結ぶ夜行寝台列車・カシオペアが運転開始。
1999年 - 排気量50cc超のトライクは道路運送車両法上では側車付二輪車(サイドカー)になり、道路交通法上では普通自動車免許で運転できることが明確に規定された。
2004年 - 性同一性障害特例法が施行。
2006年 - お笑い芸人で元極楽とんぼの山本圭一が未成年に性的暴行を働いた事由により、吉本興業を解雇される。
2007年 - 午前10時13分、マグニチュード6.8で最大震度6強の新潟県中越沖地震発生。柏崎市を中心に被害が発生。死者10人、重軽傷者1700人以上。
2008年 - JR東海バスの名古屋発東京行きの高速バスを、山口県在住の少年(14歳)がバスジャック。乗客・乗員は全員無事。
2008年 - 山口県宇部市の常盤公園のモモイロペリカン・カッタくんが死亡しているのが発見された。

誕生日
1486年 - アンドレア・デル・サルト、イタリアの画家(+ 1530年)
1723年 - ジョシュア・レノルズ、画家(+ 1792年)
1746年 - ジュゼッペ・ピアッツィ、イタリアの天文学者(+ 1826年)
1827年 -(文政10年6月23日)- 小栗忠順、江戸幕府勘定奉行・万延元年遣米使節団監察(+ 1868年)
1858年 - ウジェーヌ・イザイ、指揮者・作曲家・ヴァイオリニスト(+ 1931年)
1872年 - ロアール・アムンセン、探検家・南極に初到達(+ 1928年)
1883年 - チャールズ・シーラー、画家・写真家(+ 1965年)
1889年 - ジョー・ジャクソン、野球選手(+ 1951年)
1896年 - トリグブ・リー、初代国連事務総長(+ 1968年)
1907年 - バーバラ・スタンウィック、女優(+ 1990年)
1911年 - ジンジャー・ロジャース、女優(+ 1995年)
1919年 - 崔圭夏、大韓民国第10代大統領(+ 2006年)
1936年 - 福田康夫、政治家・日本の第91代内閣総理大臣
1936年 - 木之下晃、写真家
1937年 - 加茂さくら、女優
1939年 - 鈴木良三、サッカー選手
1941年 - 村瀬広基、元プロ野球選手
1942年 - マーガレット・スミス・コート、テニス選手
1942年 - 磯部琇三、天文学者(+ 2006年)
1942年 - 浮谷東次郎、レーサー(+ 1965年)
1942年 - 山口富士雄、元プロ野球選手
1943年 - 桂三枝、落語家、タレント
1943年 - 石川鷹彦、ギタリスト、アレンジャー(元六文銭)
1945年 - 林みのる、レーシングカーコンストラクター童夢代表
1946年 - 古川登志夫、声優
1948年 - ピンカス・ズーカーマン、ヴァイオリニスト
1949年 - 松本隆、作詞家
1951年 - ロン・シェーバー、フィギュアスケート選手
1952年 - 市村則紀、元プロ野球選手
1957年 - 篠塚和典、元プロ野球選手・野球解説者
1957年 - 安田あきえ、声優
1958年 - 山本精一、ミュージシャン
1959年 - 古手川祐子、女優
1961年 - 高田博久、元プロ野球選手
1961年 - 成田幸洋、元プロ野球選手
1962年 - ウベ・ホーン、やり投選手
1963年 - フィービー・ケイツ、女優
1964年 - ミゲル・インドゥライン、自転車プロロードレース選手
1964年 - 市村浩一郎、政治家
1965年 - 片桐麻美、シンガーソングライター
1968年 - 西村秀嗣、元プロ野球選手
1969年 - 戦闘竜、総合格闘家、元大相撲幕内力士
1969年 - 上中吉成、元プロ野球選手
1970年 - 柿沼康二、書家・アーティスト
1971年 - 高橋裕、山口放送アナウンサー
1971年 - エヴェリン・グロスマン、フィギュアスケート選手
1972年 - 児嶋一哉、お笑いタレント(アンジャッシュ)
1972年 - 桑原尚希、お笑いタレント(クールダウン)
1973年 - 袴田吉彦、俳優
1973年 - 山田賢治、NHKアナウンサー
1974年 - 小米良啓太、芸人、吉本新喜劇
1974年 - 今井圭吾、元プロ野球選手
1975年 - 宇野公介、プロ雀士(最高位戦日本プロ麻雀協会)
1975年 - 井上貴朗、元プロ野球選手
1977年 - 長谷川昌幸、プロ野球選手(広島東洋カープ)
1977年 - 新井峰秀、元プロ野球選手
1977年 - 大久保由美子、女優
1977年 - 橋本一美、女優
1977年 - 濱魁龍資文、元大相撲力士  
1978年 - 沢村玲子、女優
1978年 - ひろせまい、女優
1978年 - 平井直人、サッカー選手
1979年 - 戸田康平、シンガーソングライター
1979年 - 中村真衣、水泳選手
1979年 - キンヤ、歌手
1980年 - 鹿島丈博、体操選手
1980年 - 小林みき、グラビアアイドル、レースクイーン
1981年 - 白乃波寿洋、大相撲力士
1982年 - 村田洋子、タレント
1982年 - 上原浩一、タレント
1983年 - 白川峻、俳優
1983年 - MILKY、歌手 (POTBELLY)
1984年 - 西脇めぐみ、グラビアアイドル
1984年 - 平田清乃、ソフトテニス選手
1985年 - 尾上寛之、俳優
1985年 - 伊藤大輔、俳優
1985年 - 若三藤成豊、大相撲力士
1985年 - 日笠陽子、声優
1986年 - 植田健、俳優
1986年 - 諸見里しのぶ、プロゴルファー
1986年 - 宇野実彩子、歌手、AAAメンバー
1987年 - 高本彩、歌手(DRM)、お笑い芸人(ぺっちゃぱぁいず)
1987年 - 松田まどか、女優
1988年 - 佐久間信子、タレント
1988年 - 加護範子、AV女優
1988年 - 新川織部、サッカー選手
1989年 - ガレス・ベイル、サッカー選手
1991年 - 松本翼、俳優
1992年 - ジョアン・ヤマザキ、タレント
1994年 - マーク・インデリカート、俳優
1996年 - 藤井夏恋、ファッションモデル
1998年 - 松野莉奈、女優
生年不詳 - 石川桃子、声優
生年不詳 - 藤東知夏、声優
生年不明 - 黒猫、ヴォーカリスト(陰陽座)

忌日
947年(天暦元年6月26日)- 藤原忠文、平安時代の公卿(* 873年)
1225年(嘉禄元年6月10日) - 大江広元、初代鎌倉幕府政所別当(* 1148年)
1312年(正和元年6月12日)- 北条宗宣、第11代鎌倉幕府執権(* 1259年)
1324年(元亨4年6月25日)- 後宇多天皇、第91代天皇(* 1267年)
1342年 - カーロイ1世、ハンガリー王(* 1288年)
1388年(嘉慶2年6月13日)- 二条良基、公卿、歌人、菟玖波集撰者(* 1320年)
1565年(永禄8年6月19日)- 伊達稙宗、陸奥国の戦国大名(* 1488年)
1637年(寛永14年5月24日)- 松浦隆信 (宗陽)、第3代平戸藩主(* 1592年)
1663年 - ヴィルヘルム6世 (ヘッセン=カッセル方伯)(* 1629年)
1664年 - アンドレアス・グリューフィウス、詩人・劇作家(* 1616年)
1691年 - フランソワ=ミシェル・ル・テリエ、フランス陸相(* 1641年)
1706年(宝永3年6月7日)- 山内豊房、第5代土佐藩主(* 1672年)
1729年 - ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン、作曲家(* 1683年)
1732年 - ウッズ・ロジャーズ、海賊・初代バハマ総督(* 1679年)
1740年 - マリア・アンナ、スペイン王カルロス2世の妃(* 1667年)
1763年 - ジャック・オトテール、作曲家(* 1674年)
1782年 - ロビーサ・ウルリカ、スウェーデン王アドルフ・フレドリクの妃(* 1720年)
1829年(文政12年6月16日)- 近藤重蔵、探検家(* 1771年)
1872年(明治5年6月11日)- 長岡謙吉、元海援隊隊士(* 1834年)
1873年 - 近衛忠房、江戸時代の公卿(* 1838年)
1882年 - メアリー・トッド・リンカーン、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの夫人(* 1818年)
1893年 - アントニオ・ギスランツォーニ、オペラ台本作家(* 1824年)
1916年 - イリヤ・メチニコフ、微生物学者(* 1845年)
1917年 - 桂文三 (3代目)、落語家(* 1858年)
1919年 - 板垣退助、明治維新の元勲・自由民権運動の指導者(* 1837年)
1930年 - エクトール・リゴー、司祭・書誌研究家(* 1841年)
1960年 - アルベルト・ケッセルリンク、ドイツ空軍の元帥(* 1881年)
1969年 - アンドレ・ルーチス、プロボクサー(* 1900年)
1969年 - 井植歳男、実業家・三洋電機創業者(* 1902年)
1973年 - 石井照久、法学者(* 1906年)
1976年 - 山下登、元プロ野球選手(* 1934年)
1978年 - 中島武市、政治家、実業家(* 1897年)
1981年 - 四家文子、歌手(* 1906年)
1985年 - 岩切章太郎、実業家・宮崎交通創業者(* 1893年)
1985年 - ハインリッヒ・ベル、小説家(* 1917年)
1987年 - トニー谷、コメディアン(* 1917年)
1988年 - 澤井健一、武道家・太気拳創始者(* 1903年)
1988年 - ブルーザー・ブロディ、プロレスラー(* 1946年)
1989年 - ヘルベルト・フォン・カラヤン、指揮者( * 1908年)
1993年 - 小川平二、元労働大臣・自治大臣・文部大臣(* 1910年)
1994年 - ジュリアン・シュウィンガー、物理学者(* 1918年)
1998年 - 奥田敬和、元郵政大臣・自治大臣・運輸大臣(* 1927年)
1999年 - アンドレ・マルティネ、言語学者(* 1908年)
1999年 - 高柳先男、政治学者(* 1937年)
1999年 - ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア、雑誌編集長(* 1960年)
1999年 - キャロリン・ベッセット=ケネディ、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアの夫人(* 1966年)
1999年 - 柳原尋美、アイドル(* 1979年)
2000年 - ウィリアム・フート・ホワイト、社会学者(* 1914年)
2000年 - 森下重好、元プロ野球選手(* 1920年)
2001年 - テリー・ゴディ、プロレスラー(* 1961年)
2002年 - ジョン・コック、情報工学者(* 1925年)
2002年 - エルコンドルパサー、種牡馬(* 1995年)
2004年 - 平野龍一、法学者(* 1920年)
2004年 - 中野孝次、ドイツ文学者・評論家(* 1925年)
2004年 - 石川真澄、ジャーナリスト(* 1933年)
2004年 - 天野守信、合唱指揮者(* 1938年)
2005年 - 扇畑忠雄、歌人(* 1911年)
2005年 - 馬渕健一、実業家・マブチモーター創業者(* 1922年)
2005年 - 李玖、李王家当主(* 1931年)
2006年 - ボブ・オートン、プロレスラー(* 1929年)

記念日・年中行事

盆送り火(日本)

盆の最終日。7月13日に迎えた祖先の霊を送り出す。
焚いた送り火の煙に乗って帰るとされている。

海の日(2007年)

国土交通Day(日本、2000年 - )

駅弁記念日
1885年のこの日に開業した日本鉄道の宇都宮駅で、
日本初の駅弁が発売されたことに因む。この日とは別に4月10日が「駅弁の日」になっている。

虹の日(日本)
デザイナーの山内康弘が、
「人と人、人と自然、世代と世代が虹のようにつながる日に」と制定。
「なな(7)い(1)ろ(6)」(七色)の語呂合せ。