「ここをおして」をクリックされてください。
「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭
脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)
Google Map で
東京都 世田谷区 南烏山 3-23-1
http://maps.google.co.jp/
を検索されてください。
東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成22年8月30日(月曜日)
平成22年の。
8月の「なつ」。
「夏」です。
昨年の
「3月」「4月」「5月」はおわり。
「夏」「8月」
「秋」「9月」「10月」「11月」
「冬」「12月」「1月」「2月」
「春」「3月」「4月」「5月」も。
「6月」「7月」も。
おわりました。
今は「なつ」「8月」
季節あゆみふかまりゆくゆく。
「四季」おりおりの「季節」。
いまは「なつ8月」。
季節には。
「ながさ」があるようです。
その年によっても。
「ながさ」はちがう。
ことしの「季節」のながさは
どうだろう。
「8月」になりました。
「夏」の「8月」です。
朝早くの遠くから。
たくさんのたくさんの。
「季節風」のうたう声が。
聞こえます。
暗い早朝に。
車の途絶えたくらい広い道路を。
季節風が舞い踊っています。
「きせつ」のうたう風の。
声が聞こえてきます。
今年の「冬」・から「春」は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。
1回法=3500円
2回法=7.000円
です。
昨年
「新年」「初春」になり。
「1月」がおわり。
「2月」。
「2月」がおわりました。
「春」の「3月」「4月」「5月」もおわりました。
「夏」の「6・7・8月」と
「秋」「9・10・11月」
「冬」「12月」「1月」「2月」
「春」「3月」「4月」「5月」
「夏」「6月」「7月」
もおわりました。
「8月」になったとたん。
空は青白くなりました。
今は「8月」。
みのりの「なつ」の「8月」です。
「夏」の「8月」。
そろそろ とぼとぼと。
「四季の細道:ほそみち」に沿って。
あゆみゆく「季節」。
「したたかなる」
「季節のあゆみ」
そして。
季節のかおり。
あきらかなる「春」の。
かおりから。
「8月」の。
「季節」の。
ふかまる「かおり」の。
その手応えは。
しっかりと。
感じられます。
「夏」「8月」。
ふかまる「季節」「8月」の「かおり」。
この「季節」の
「季節のかおりへの変化(へんげ)」は。
毎年ちがいます。
「季節」のあいだの。
かおりの変化(へんげ)」は。
「毎年」新しい。
「うれしい新しいかおり」
がします。
大気の織り成す(たいきのおりなす)。
季節の風がはこぶ。
「季節」から。
「新たなかおり」の。
「季節」を恵まれることは。
とても幸せなことです。
けれども。
とてもとても。
さむいです。
暗い早朝に。
吹く季節風。
「8月」の「夏」の。
「きせつかぜ」の。
「ねいろ」「音色」にかわりました。
「なつ」の「夏風」の鳴き声の音色は。
「なつ」の「渡り鳥たち」とおなじ。
「大気にしみいる」ねいろ
のようです。
「ふうせん」のような。
かぜにとばされる。
「しゃぼんだま」を。
おもわせる音色です。
「季節風」として。
とばされる。
「季節かぜ」の
声楽4声
(ソプラノ・アルト・テノール・バス)が。
混声の合唱で聞こえます。
「ろうろう」。
いま「季節風」は。
「なつかぜ」にかわりました。
まだ真暗い早朝の朝もやから。
「早い「季節」のおとずれ」の「大気」が。
かすみのような「香り」で。
しのびよる気配は。
ろうそくの灯(ともしび)
のようにゆらぎながら。
「季節」の。
何かを。行く先をさがしながら。
何かをさがしながら。
照らすかのようにさまよい。
近寄りしのびよることが
わかります。
ゆきさきは。
もっとふかい。
「季節風」のけふる「きせつ」。
「なつ」。
「夏」です。
「8月」の。
「夏」です。
はやいものです。
はやいものです。
「夏」の「8月」は。
「さらに」。
「大気」と「自然の気配」に。
「特有の独特の気配と香り」が混じります。
「りす」の「鳴き声」か。
「さんしょううお」のかおりか。
不思議な感じが致します。
木々は
「季節」をのりきる準備をすませて。
これからの。
「季節」の。
「季節」のあらたな実りに向けての。
息吹が力強く感じられます。
街路樹はしっかりと。
「季節」の枝木の穂先もたわわにつよく。
「ふかまる春」に向けての。
萌黄色から若葉の芽吹きをそなえて。
「季節」の「木」に
かわりました。
そしていま。
「きせつ」にも若葉を抱いた木々は。
さらに「季節」の芽栄え(めばえ)にも。
うつろいてかわろうと
しています。
「昨年」は
木々がへったため。
夏にはせみの声も少なくなりました。
けれども「一昨年」より
「昨年」はは鳴き声は多かった
ようにおもえます。
季節の虫の声は「昨年」は
「まえの年」よりは多かったように
おもえました。
「きせつ」の「わたりどり」は。
どうでしょうか。
今は。
「なつ」の「8月」
「季節風」の「こえ」。
「ろうろう」。
みかんの木に「かぜ」
がとまっているようです。
「鳥」(とり)の様です。
「季節風」の声はいつもかわります。
「季節」の気配に加えて。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックの。
庭の。
山椒(さんしょう)の木の芽は。
「はる」の若葉にすくすくとそだち。
若枝も天高くすこやかにのび。
ますますに。ますますに。
「季節の陽」をあびて。
「季節」の山椒(さんしょう)の葉の。
みどりがとても。
とても奇麗です。
山椒のことを
「きのめ」=木の芽とは。
なるほどと
かんがえる。
さんしょう木
萌黄(もえぎ)鮮やかに芽葉(めは)
みどり葉わか葉いずる花のごと
四季こすわか枝は幹ならむ
四季なりてたゆまずとまらず
夏あゆみそだちて
幹は天たかくそだちたり
いざいまこそは
空(そら)にもえたたむ
金色(こがね)の炎
さんしょう木
けれども
早朝は本当にはだ寒いのです。
「小さな「きせつ」みつけた」から
しだいに「大きな「きせつ」みつけた」
「大きな「きせつ」みつけた」から。
そして「大きな大きな「きせつ」」みつけた。
大きな大きな。
「季節」がきた。
「きせつ」「季節」です。
ちょっと「安心する気」が致します。
「なつ」がきました。
おとこあり
はたらきに
はたらきて
またはたらけり
はたらきて
いつしか
としをとり
つまはさきだち
つえをつきて
そのひとは
けふもはたらく
そのひとの
ちをうつつえのおとは
大地をたたける竹刀の
おとがする
その男(ひと)はけふもはたらく
-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------
-------------------------------
平成21年1月12日(月曜日)
は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ限られた
時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------
平成21年2月11日(水曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------
平成21年3月20日(金曜日)
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の。
御予約の患者さんのみ。
限られた
時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------
平成21年4月29日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------
平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
-------------------------------
平成21年7月20日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。
診療ができないので二日間「休診日」になります。
平成21年8月13日(木曜日)まで。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
------------------------------
平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。
また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始する予定
です。
------------------------------
年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------
平成22年の8月12日(木曜日)(休診日)
より
平成22年の8月15日(日曜日)まで
の8月12日・13日(金曜日)・14日(土曜日)8月15日
は館内改装のため「夏季休診日」とさせていただきます。
きまっている休診日を除けば
8月13日(金曜日)と8月14日(土曜日)
が休診日となります。
院長は病院に常在到します。
よろしくお願いいたします。
はおわりました。
------------------------------
平成22年9月20日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------
平成22年10月11日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
------------------------------
私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。
睡眠時間は「4時間」。
朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。
朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。
真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。
朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。
★★★
今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。
1回法=3500円
2回法=7.000円
です。
当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。
インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。
-------------------------------
2004年10月15日より厚生労働省により
肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。
------------------------------
成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。
------------------------------
学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。
体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気候の変動は
激しいと思います。
このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。
麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。
成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。
はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です
-------------------------------
「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。
「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。
人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。
昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。
難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。
私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。
難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。
「良くなられていく」笑顔に。
心より感謝・感謝。
「今日は何の日」は。
日本航空機製造が製造した
戦後初の国産旅客機であるYS-11.
双発ターボプロップエンジン方式の旅客機が初飛行を行った日です。
第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機。
1962年 - 戦後初の国産旅客機であるYS-11が初飛行を行った
日です。
(正式な読み方は「ワイエスいちいち」です。
けれども
一般には「ワイエスじゅういち」、または「ワイエスイレブン」
と呼ばれることが多いです。)
http://www.youtube.com/watch?v=ipnOwYQAkAE
++++++++++++++++++++++
YS-11(ワイエスいちいち)は。
日本航空機製造が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機です。
第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機です。
正式な読み方は「ワイエスいちいち」です。
けれども
一般には「ワイエスじゅういち」、または「ワイエスイレブン」
と呼ばれることが多いです。
時刻表ではおもにYS1またはYSと表記されていましたが。
全日本空輸の便では愛称「オリンピア」の頭文字Oで表記されていました。
++++++++++++++++++++++
2009年現在、日本において旅客機用途では運航終了しています。
それ以外の用途では自衛隊機、海上保安庁機として運用されています。
また、東南アジアへ売却された
YSも2008年中に多くが運航終了となっています。
機体はストアされて解体こそ免れているものの。
機体そのものが旧式であることもあり、
世界的に見ても
この飛行機が旅客機として使用されている場面は非常に限られています。
http://www.youtube.com/watch?v=NtYExPJsb18
http://www.youtube.com/watch?v=Bjq9_Ni9f9k
++++++++++++++++++++++
国産航空機計画
ダグラスDC-3連合国の占領下からGHQ SCAPによる
航空禁止令が布告されていた日本が、
1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約の発効で再独立致しました。
日本企業による飛行機の運航や製造の禁止が一部解除されました。
この年の7月に航空法や航空機製造事業法が施行されました。
民間航空会社は1951年(昭和26年)に日本航空がGHQの意向で発足し、
翌年の1952年(昭和27年)には全日本空輸の前身である
日本ヘリコプター輸送、極東航空が発足致しました。
その翌年の1953年(昭和28年)までに
東亜国内航空の前身となる日東航空、富士航空、北日本航空、東亜航空が発足致しました。
戦後の日本の航空路線は、
ダグラスDC-3やDC-4、コンベア440などのアメリカ合衆国製や
デ・ハビランド DH.114 ヘロンなどイギリス製の航空機が占めておりました。
++++++++++++++++++++++
戦前の航空機開発・製造で実績のあった日本で
自国製の航空機を再び飛ばしたいというのは、多くの航空関係者の望むところであった
のです。
日本の航空機産業は1950年(昭和25年)に
勃発した朝鮮戦争で米軍機の修理の受注が入るようになり、
1955年(昭和30年)4月に川崎航空機(現川崎)と
新三菱重工業(現三菱重工業)に
自衛隊向けの機体(ロッキードT-33Aジェット練習機、ノースアメリカンF-86F )
の国内ライセンス生産が決定したことで。
当時の航空機産業の監督官庁である
通商産業省(現・経済産業省)は
その産業基盤を商品サイクルの長い輸送機の開発生産に取り組ませることで
基盤を安定させる思惑がありました。
++++++++++++++++++++++
加えて、利用客の増加が見込まれた
国内航空の旅客機に国産機を用いることで。
軍用機と民間機を共通化して開発すれば開発コストが低下すると考えました。
「国内線の航空輸送を外国機に頼らず、
さらに海外に輸出して、日本の国際収支(外貨獲得)に貢献する」
との名目で国産機開発の計画が立ち上げました。
世界的に国家から軍用機の開発を受注した
航空機メーカーが技術を蓄積して、
その技術を旅客機に転用する例が多く、
開発コストを下げて価格競争力を持たせて販売するビジネスモデルを構想致しました。
当時は運輸省でも民間輸送機の国内開発の助成案があり、
通産省の国産機開発構想と行政の綱引きの対象となって権限争いが行われていました。
++++++++++++++++++++++
閣議了承により。
運輸省は耐空・型式証明までの管轄、
通産省は製造証明と生産行政の管轄の二重行政で決着致しました。
国内線用の旅客機の本格研究は新明和工業で始まっていました。
1956年(昭和31年)に運輸省が発表した
「国内用中型機の安全性の確保に関する研究」
の委託を受けて基礎研究を行っていました。
この研究で後の設計に参加する新明和の
菊原静男、徳田晃一によって行われました。
この研究はDC-3の後継機種の仕様項目を研究するもので、
レシプロエンジン双発の第一案(36席)、第二案(32席)、
ターボプロップエンジン双発の第三案(52席)、
第四案(53席)の設計案が提案され、
最適とされた案は第三案とされ、その後のYS-11の叩き台となりました。
++++++++++++++++++++++
輸送機設計研究協会発足
1957年(昭和32年)に日本企業による
飛行機の運航や製造の禁止が全面解除される事を見越して。
1956年(昭和31年)に通産省重工業局航空機武器課の赤澤璋一課長
の主導で国産民間機計画が打ち出されました。
通産省は各航空機メーカーと個別会談を行い、
各社から賛同を得たことから、
日本航空工業会に中型輸送機計画案を提出するように要請致しました。
日本航空工業会がこの要請で開発案を提出したことから、
通産省は中型輸送機計画開発の5カ年計画として、
1957年(昭和32年)度予算で、8,000万円を要求したが、
第1次から第3次折衝まで予算請求が認められず、
1957年(昭和32年)1月20日、
水田三喜男通商産業大臣と池田勇人大蔵大臣の
大臣交渉で予算を獲得することができました。
鉱工業技術研究補助金の名目で3500万円の予算を獲得致しました。
++++++++++++++++++++++
この年の1957年(昭和32年)5月に
理事長に新三菱重工副社長の荘田泰蔵を選任致しました。
専任理事に木村秀政日本大学教授を迎えた
「財団法人 輸送機設計研究協会」(通称「輸研」)が
東京大学内に設立されました。
小型旅客輸送機の設計が始まりました。
輸研に参加したメーカーは新三菱重工業(現三菱重工業)、
川崎航空機(現川崎重工業)、
富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機の
機体メーカと住友金属、島津製作所、日本電気、東京芝浦電気、三菱電機、
東京航空計器製造所の部品メーカーでありました。
新型航空機の開発の大型プロジェクトを
特定の企業一社に独占的に任せることは
他社の反発を招くことを懸念した為でありました。
++++++++++++++++++++++
輸研には、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や
雷電、烈風を設計した新三菱の堀越二郎。
中島飛行機で一式戦闘機(隼)を設計した富士重工業の太田稔。
川西航空機で二式大艇や紫電改(及び紫電)を設計した
新明和工業の菊原静男。
川崎航空機で三式戦闘機(飛燕)や
五式戦闘機を設計した川崎重工業の土井武夫といった。
戦前の航空業界を支えた人物が参加、設計に没頭致しました。
航空業界ではこれに航研機の製作に携わった
木村秀政を加えて「五人のサムライ」と呼びました。
++++++++++++++++++++++
設計案として、日本の国内線需要を勘案して。
1,200mの滑走路で運用できるもの、
航続距離は500マイルから1,000マイル、
整備性から低翼、経済性から60席以上。
双発ターボプロップエンジン、開発期間は4年。
開発費用は30億円の基本設計で固まりました。
当初、開発期間は5年であったが、
運輸省から国内の旅客機の残余寿命が3〜4年の機体が
多いので代替時期を勘案すれば
5年では長過ぎるとの主張から4年に短縮されました。
++++++++++++++++++++++
国産旅客機製造の理解と国からの予算獲得のため、
1958年(昭和33年)12月11日に
日本飛行機の杉田工場でモックアップを完成披露致しました。
試作機の予算を獲得するためのデモンストレーションであり
技術的な検討を目的とするものではなかったのです。
このため、客室の艤装に力を入れ、
航法士席や二つの化粧室を設け、横列5席の構成とし、
内装は当時の有力デザイナーの渡辺力に依頼して、
西陣織の座席が設置されました。
この座席は当時の価格で一席50万円以上したと言われています。
++++++++++++++++++++++
そのときのキャッチフレーズが
「横浜・杉田で11日に会いましょう」でありました。
これはYに横浜、Sに杉田、11に合わせて
公開日を11日にしたジョークの一種であるが、
これによって名前の由来を誤解させてしまうこととなりました。
このモックアップを作るのにかかった
費用は5,500万円(当時)で、
点滅ランプの機構が用意できなかったため、
担当者が隠れてスイッチを入れたり切ったりしていました。
++++++++++++++++++++++
名称
機種名であるYS-11の「YS」は。
輸送機設計研究協会の「輸送機」と「設計」の頭文字「Y」と「S」をとったもの。
一方、「11」の最初の「1」は搭載を検討していた
エンジンの候補にふられた番号で、実際に選定された
「ダート10」の番号は「1」でありました。
後ろの「1」は検討された機体仕様案の番号で、
主翼の位置や面積によって数案が検討されていました。
機体仕様案の中には第0案もありました。
こうした命名の経緯もあって、
当初、関係者のあいだでは「ワイエス・いちいち」と呼ばれていたが、
いつしか、「ワイエス・じゅういち」と呼ばれるようになったのです。
http://www.youtube.com/watch?v=tXBPY10IXuA&feature=fvsr
++++++++++++++++++++++
「続きを読む」=>*
++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
YS-11
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11
++「続きを読むです2」++++++++++++++++++
8月30日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8830%E6%97%A5
できごと
1590年(天正18年8月1日)- 徳川家康が江戸城に公式入城、江戸城が徳川氏の居城となる。
1900年 - 幸徳秋水が「自由党を祭る文」を「万朝報」で発表。
1911年(明治44年) - 日本で西園寺公望が第14代内閣総理大臣に就任し、第2次西園寺内閣が発足。
1945年 - 連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着。
1962年 - 戦後初の国産旅客機であるYS-11が初飛行を行った。
1970年 - 植村直己がマッキンリーに登頂。日本人初の五大陸最高峰登頂。
1973年 - 江夏豊が対中日戦でノーヒットノーラン達成。
1974年 - 三菱重工爆破事件。8名が死亡し、376人が負傷した。
1978年 - 王貞治が800号本塁打達成。
1999年 - 日本ジャグリング協会 (JJA) 設立。
2005年 - トヨタ自動車の高級車販売ディーラー「レクサス店」が全国143店舗で始動。
2006年 - 夏季五輪招致で、国内立候補都市を決める日本オリンピック委員会(JOC)選定委員会が開かれ、国内候補都市が東京都に決定。詳しくは2016年東京オリンピック構想を参照。
2006年 - 海上自衛隊のあたご型護衛艦の2番艦護衛艦あしがらが進水。
2007年 - 第65回世界SF大会が日本で開かれた。アジアで初のワールドコン開催。
2009年 - 第45回衆議院議員総選挙。自由民主党が大敗し、政権交代を訴えた民主党が歴史的な圧勝。
誕生日
1377年 - シャー・ルフ、ティムール朝第3代君主(+ 1447年)
1594年 - 中川久盛、岡藩2代藩主(+ 1653年)
1627年 - 伊藤仁斎、儒学者、思想家(+ 1705年)
1785年(乾隆50年7月26日)- 林則徐、清の欽差大臣(+ 1850年)
1810年 - 堀田正睦、老中(+ 1864年)
1814年 - ホーレス・メイナード、第31代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1882年)
1827年 - ギーゼラ・フォン・アルニム、作家(+ 1889年)
1852年 - ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ、科学者、ノーベル化学賞受賞者(+ 1911年)
1855年 - イーヴリン・ド・モーガン、画家(+ 1919年)
1860年 - イサーク・レヴィタン、画家(+ 1900年)
1871年 - アーネスト・ラザフォード、物理学者(+ 1937年)
1883年 - テオ・ファン・ドースブルフ、画家(+ 1931年)
1902年 - 木村武雄、政治家(+ 1983年)
1907年 - ジョン・モークリー、ENIACの開発者の一人(+ 1980年)
1909年 - バージニア・リー・バートン、絵本作家(+ 1968年)
1918年 - テッド・ウィリアムズ、メジャーリーグ選手(+ 2002年)
1924年 - ケニー・ドーハム、ジャズトランペッター(+ 1972年)
1924年 - アレクサンドル・ロバノフ、芸術家(+ 2003年)
1925年 - 永山武臣、実業家(+ 2006年)
1926年 - 松川博爾、プロ野球選手(+ 2007年)
1931年 - 八奈見乗児、声優
1932年 - 村木賢吉、演歌歌手
1933年 - 河村久文、プロ野球選手(+ 2005年)
1934年 - 金子勝彦、スポーツアナウンサー
1935年 - 佐々井秀嶺、僧侶
1937年 - ブルース・マクラーレン、レーシングドライバー・オーナー(+ 1970年)
1943年 - ジャン=クロード・キリー、アルペンスキーヤー
1943年 - 佐々木宏一郎、プロ野球選手(+ 1989年)
1944年 - 野川由美子、女優
1944年 - タグ・マグロー (en:Tug McGraw)、メジャーリーガー(+ 2004年)
1944年 - モリー・アイヴィンズ (en:Molly Ivins)、コラムニスト(+ 2007年)
1945年 - 佐藤勝彦、宇宙物理学者
1946年 - アンナ=マリア、ギリシャの王妃
1946年 - ペギー・リプトン (en:Peggy Lipton)、女優
1947年 - 山内昌之、歴史学者
1948年 - 井上陽水、歌手
1948年 - フレッド・ハンプトン、社会運動家
1948年 - ルリス・ブラック、俳優、脚本家、コメディアン
1949年 - クリス・ラッタ、声優、俳優(+ 1994年)
1949年 - ペーター・マッファイ (en:Peter Maffay)、ドイツのミュージシャン
1950年 - アントニー・ゴームリー、彫刻家
1951年 - ダナ・ローズマリー・スカロン (en:Dana Rosemary Scallon)、歌手
1951年 - ティモシー・ボトムズ、俳優
1952年 - 梶間健一、プロ野球選手
1953年 - ロバート・パリッシュ、バスケットボール選手
1954年 - 功刀俊洋、歴史家
1954年 - アレクサンドル・ルカシェンコ、ベラルーシの大統領
1954年 - デヴィッド・ペイマー、俳優、声優
1955年 - 大野豊、プロ野球選手
1955年 - 室山真弓、姉妹漫画家コンビ室山まゆみの姉
1956年 - ベルナデッテ・ツルブリッゲン (en:Bernadette Zurbriggen)、スキーヤー
1957年 - 長内孝、プロ野球選手
1957年 - 小川淳司、プロ野球選手
1958年 - 西村麻聡、ミュージシャン
1958年 - アンナ・ポリトコフスカヤ、ジャーナリスト(+ 2006年)
1959年 - 駒崎幸一、プロ野球選手
1959年 - 田辺繁文、プロ野球選手
1960年 - ハサン・ナスルッラーフ、ヒズブッラー議長
1961年 - 所十三、漫画家
1962年 - アレクサンドル・リトビネンコ、反体制活動家、ライター
1963年 - マイケル・チクリス、俳優
1963年 - ポール・オーケンフォールド (en:Paul Oakenfold)、DJ
1963年 - 小山昌男、プロ野球選手
1964年 - ギャビン・フィッシャー、カーレースエンジニア
1965年 - 神野美伽、歌手
1965年 - 塚本やすし、画家
1965年 - 木村恵二、プロ野球選手
1965年 - 郭建成、プロ野球選手
1966年 - 小谷実可子、シンクロナイズドスイミング選手・スポーツコメンテーター
1966年 - 村口史子、プロゴルファー
1966年 - 木内孝胤、政治家・元投資銀行家
1966年 - マイケル・ミシェル、女優
1968年 - ウラジミール・マラーホフ (en:Vladimir Malakhov)、アイスホッケー選手
1968年 - 布川智子、アイドル
1969年 - 山本美希、NHKアナウンサー
1969年 - ディミトリス・スグロス、ピアニスト
1970年 - 光良、歌手
1971年 - ラーズ・フレデリクセン (en:Lars Frederiksen)、ボーカリスト、ギタリスト(ラーズ・フレデリクセン・アンド・ザ・バスターズ)
1971年 - 山田潤、プロ野球選手
1971年 - 服部浩紀、サッカー選手
1971年 - 河下水希、漫画家
1972年 - キャメロン・ディアス、女優
1972年 - 西郷泰之、野球選手
1972年 - パベル・ネドベド、サッカー選手、チェコ代表
1972年 - ブレット・ドイル、騎手
1973年 - 佐藤アツヒロ、俳優
1973年 - 高山哲哉、NHKアナウンサー
1973年 - リサ・リン (en:Lisa Ling)、ジャーナリスト
1974年 - 内藤大助、プロボクサー、WBC世界フライ級チャンピオン
1973年 - 尾上紫、日本舞踊家、女優
1974年 - ハビエル・オチョア、自転車選手
1975年 - 前田和之、野球選手
1975年 - ラディ・ジャイディ、サッカー選手
1975年 - 中山智香子、バドミントン選手
1975年 - あんじ、ファッションモデル、女優、タレント
1975年 - マリナ・アニシナ、フィギュアスケーター
1976年 - マイク・コプラブ (en:Mike Koplove)、メジャーリーガー
1976年 - 南野やじ、お笑い芸人
1977年 - 石塚さより、声優
1977年 - フェリックス・サンチェス、ハードル選手
1977年 - 原俊介、元プロ野球選手
1977年 - 松本輝、プロ野球選手
1977年 - 大関真、俳優
1977年 - エルデン・ヘンソン、俳優
1977年 - ショーン・アレキサンダー、アメリカンフットボール選手
1977年 - カミル・コソフスキー (en:Kamil Kosowski)、サッカー選手
1977年 - マーロン・バード、メジャーリーガー
1977年 - イェンス・ルドヴィグ (en:Jens Ludwig)、リードギタリスト(エドガイ)
1978年 - クリフ・リー、メジャーリーガー
1978年 - 吉沢悠、俳優
1978年 - 川村綾、静岡朝日テレビアナウンサー
1978年 - シネイド・ケアー、フィギュアスケート選手
1979年 - フアン・イグナシオ・チェラ、テニス選手
1979年 - 佐伯英恵、ファッションモデル
1979年 - 石澤昌幸、ファッションモデル
1979年 - スコット・リッチモンド、メジャーリーガー
1981年 - アナイシ・エルナンデス (en:Anaysi Hernandez)、柔道家
1981年 - アンドレ・ニクラウス (en:Andre Niklaus)、十種競技選手
1982年 - アンディ・ロディック、テニス選手
1982年 - 岡村仁美、TBSアナウンサー
1982年 - 八代じゅん、タレント
1982年 - アリナ・ドゥミトル、柔道家
1982年 - 枝松直紀(センチライン)、ミュージシャン
1983年 - 松本潤(嵐)、タレント、歌手、俳優
1983年 - NAOTO(片岡直人、EXILE)、パフォーマー、歌手
1983年 - 桜井ひな、グラビアアイドル
1983年 - グスタボ・エバート (en:Gustavo Eberto)、サッカー選手(+ 2007年)
1983年 - ヨンネ・アーロン (en:Jonne Aaron)、ボーカリスト(ネガティヴ)
1984年 - 駒勇明日香、タレント
1984年 - 長沢彩、声優
1984年 - 星野涼子、タレント
1984年 - 山内麻美、ファッションモデル
1984年 - 山本光将、プロ野球選手
1984年 - 劉艶、フィギュアスケート選手
1985年 - リーゼル・ジョーンズ、競泳選手
1985年 - リチャード・ダフィー (en:Richard Duffy)、サッカー選手
1985年 - ティアナ・マディソン (en:Tianna Madison)、走り幅跳び選手
1986年 - 草野真梨絵、歌手
1986年 - ザファー・イェレン (en:Zafer Yelen)、サッカー選手
1986年 - アルド・シモンチーニ (en:Aldo Simoncini)、サッカー選手
1986年 - 大塚里夏、レースクイーン・グラビアアイドル
1987年 - 竹村千里、ゴルファー
1987年 - キャメロン・フィンリー (en:Cameron Finley)、子役
1988年 - JYONGRI、歌手
1988年 - エルネスツ・ガルビス、テニス選手
1988年 - 春川恭亮、俳優
1989年 - 垣内彩未、アイドル
1989年 - かりん、タレント
1990年 - 林真鳥、ジャニーズJr.
1990年 - 藤村直樹、俳優
1991年 - 鎌田あかね、タレント
1992年 - 結城巳貴、タレント
1993年 - 財前光希、ファッションモデル
生年不詳 - 羽海野チカ、漫画家
生年不詳 - 米澤円、声優
生年不詳 - 魔神ぐり子、漫画家
忌日
526年 - テオドリック、東ゴート王国の王 (* 454年)
785年(延暦4年7月17日)- 淡海三船、奈良時代の文人(* 722年)
826年(天長3年7月24日)- 藤原冬嗣、平安時代の公卿(* 775年)
1025年(万寿2年8月5日)- 藤原嬉子、後朱雀天皇尚侍(* 1007年)
1158年 - サンチョ3世、カスティーリャ王(* 1134年)
1204年(元久元年8月4日)- 宇都宮朝綱、鎌倉時代の武将(* 1122年)
1284年(弘安7年7月18日)- 一条実経、鎌倉時代の公卿(* 1223年)
1294年(永仁2年8月8日)- 鷹司兼平、鎌倉時代の公卿(* 1228年)
1428年(正長元年7月20日)- 称光天皇、日本の第101代天皇(* 1401年)
1470年(文明2年8月4日)- 京極持清、室町時代の守護大名(* 1407年)
1483年 - ルイ11世、フランス王(* 1423年)
1517年 - コンラッド・スーセンホーファー、鎧鍛冶職人(* 1450年-1460年頃)
1526年(大永6年7月23日)- 冷泉為広、室町時代の公卿・歌人(* 1450年)
1531年(享禄4年7月18日)- 足利政氏、第2代古河公方(* 1462年)
1549年(天文18年8月8日)- 荒木田守武、連歌師(* 1473年)
1557年(弘治3年8月7日)- 北就勝、戦国武将
1557年(弘治3年8月7日)- 千葉親胤、下総国の戦国大名(* 1541年)
1580年 - エマヌエーレ・フィリベルト、サヴォイア公(* 1528年)
1619年(元和5年7月21日)- 島津義弘、薩摩国の戦国大名(* 1535年)
1723年 - アントニ・ファン・レーウェンフック、生物学者(* 1632年)
1741年(享保15年7月30日)- 色部安長、米沢藩江戸家老(* 1664年)
1773年 - ニコロ・ナッツオーニ、建築家(* 1691年)
1807年 - ロバート・マクレランド、第4代アメリカ合衆国内務長官(* 1807年)
1821年 - ジョン・フランシス・マーサー、メリーランド州知事(* 1759年)
1831年 - ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク、ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト1世の妃(* 1800年)
1835年 - ウィリアム・テイラー・バリー、第10代アメリカ合衆国郵政長官(* 1784年)
1849年(天保12年7月14日)- 林述斎、儒学者(* 1768年)
1879年 - ジョン・ベル・フッド、アメリカ連合国陸軍中将(* 1831年)
1880年 - ロバート・マクレランド、第4代アメリカ合衆国内務長官(* 1807年)
1885年 - 大炊御門家信、江戸時代の公卿(* 1818年)
1903年 - 後藤貞行、彫刻家(* 1850年)
1908年 - ジョヴァンニ・ファットーリ、画家・版画家(* 1825年)
1918年 - ジェイムズ・ドナルド・キャメロン、第32代アメリカ合衆国陸軍長官(* 1833年)
1918年 - モイセイ・ウリツキー、ペトログラードチェーカー議長(* 1873年)
1928年 - フランツ・フォン・シュトゥック、画家・彫刻家・建築家(* 1863年)
1928年 - ヴィルヘルム・ヴィーン、物理学者(* 1864年)
1939年 - ハンス・クント、ボリビア軍の軍事顧問(* 1869年)
1940年 - ジョゼフ・ジョン・トムソン、物理学者(* 1856年)
1946年 - グリゴリー・セミョーノフ、白軍の指導者(* 1890年)
1965年 - 宮崎繁三郎、日本陸軍の中将(* 1892年)
1970年 - エルンスト・ツィナー、天文学者(* 1886年)
1970年 - 月形龍之介、俳優(* 1902年)
1970年 - エイブラハム・ザプルーダー、ザプルーダー・フィルム撮影者(* 1905年)
1978年 - トーマス・チャーチ、造園家・環境デザイナー(* 1902年)
1984年 - 有吉佐和子、小説家(* 1931年)
1985年 - フィリー・ジョー・ジョーンズ、ジャズドラマー(* 1923年)
1987年 - 助高屋高助 (5代目)、歌舞伎役者(* 1900年)
1987年 - 兪鎮午、小説家・法学者・韓国新民党党首(* 1906年)
1990年 - 内山龍雄、物理学者(* 1916年)
1991年 - ジャン・ティンゲリー、現代美術家・彫刻家・画家(* 1925年)
1992年 - 伊達正男、社会人野球選手(* 1911年)
1992年 - 五社英雄、映画監督(* 1929年)
1993年 - リチャード・ジョーダン、俳優(* 1938年)
1994年 - リンゼイ・アンダーソン、映画監督(* 1923年)
1994年 - 天谷直弘、日本の資源エネルギー庁長官・経済産業審議官(* 1925年)
1995年 - 山口瞳、小説家(* 1926年)
1995年 - フィッシャー・ブラック、経済学者(* 1938年)
1996年 - 大野昭和斎、木工芸家(* 1912年)
1996年 - ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン、グラフィックデザイナー・タイポグラファー(* 1914年)
1996年 - 玉上琢弥、国文学者(* 1915年)
1997年 - 神田鎮雄、将棋棋士(* 1930年)
2001年 - 古波蔵保好、随筆家(* 1910年)
2003年 - ドナルド・デイヴィッドソン、哲学者(* 1917年)
2003年 - チャールズ・ブロンソン、俳優(* 1921年)
2004年 - フレッド・ホイップル、天文学者(* 1906年)
2004年 - デレク・ジョンソン、陸上競技選手(* 1933年)
2005年 - ヘンドリック・ヴァン・アンデル・シッパー、オランダ歴代最長寿女性(* 1890年)
2006年 - ナギーブ・マフフーズ、小説家(* 1911年)
2006年 - グレン・フォード、俳優(* 1916年)
2006年 - 粟田彰常、日本陸軍の大尉(* 1920年)
2006年 - ジョセフ・オツオリ、陸上競技選手(* 1969年)
2007年 - マイケル・ジャクソン、ビール・ウイスキー評論家(* 1942年)
2008年 - トミー・ボルト、プロゴルファー(* 1918年)
2008年 - 五十嵐豊一、将棋棋士(* 1924年)
2008年 - キラー・コワルスキー、プロレスラー(* 1926年)
記念日・年中行事
富士山測候所記念日(日本)
1895年(明治28年)8月30日に
大日本気象学会員の野中至が私財を投じて
富士山頂の測候所の工事の完成を中央気象台に連絡してきたことに由来。
これが、現在の気象庁富士山測候所の前身となった。
マッカーサー進駐記念日(日本)
1945年のこの日、GHQ最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着した。
冒険家の日(日本)
1970年に植村直巳がマッキンリーに単独登頂し、
1965年に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から
130kmを世界で初めてボート下りした日。
ハッピーサンシャインデー(日本)
「ハッピー(8)サンシャイン(30)」の語呂合わせ。