<googlemap:35.6719761,139.6077468,12,300>

「ここをおして」をクリックされてください。

「ここをおして」をクリックされてください。は
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci

(申し訳ございません。今現在整備中ですがこの「画面」
を正しくみるためには
「ブラウザ」の「表示」=>「文字の「大きさ」」を「最小」
に設定されてご覧下さい。)

Google Map で
東京都 世田谷区 南烏山 3-23-1
http://maps.google.co.jp/
を検索されてください。

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成22年12月17日(金曜日)

「冬」=「12月」

になりました。

「冬」です。

今は「冬」の。

「ふゆ」の「12月」です。

これから先は。

さらに。

ふかまりゆく「季節」。

「きせつ」が「はなのまち」をまいながら。

みのりゆく「季節」です。

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

「秋」「11月」です。

昨年。
「秋」になり「9月」がおわり。
「10月」もおわり。
秋の最後の
「11月」「晩秋月」もおわり。
そして「12月」になり「冬」になった。
「12月」もほとんどが過ぎたかな
とおもったら。
12月31日になり。

あっというまに。
「年があらたまりました」。

そして今は「11月」です。

昨年の。

「春」の「3月」「4月」「5月」を

そして「夏」「6・7・8月」を

「秋」「9月」「10月」「11月」を

「冬」「12月」「1月」「2月」を

そして「3月」「4月」「5月」を.

「6月」「7月」「8月」を。

「9月」「10月」「11月」を。

乗り越えて。

「ふゆ」の「12月」です。

あまりにも
月日と。
時間と。そして年月のたつ。

その速さに。
驚きと恐怖さえをも感じます。

大気は「ふゆ」。

「冬かぜ」は。

ふゆの「季節風」。

天には「ふゆ」の。

「ふゆの花」の「はな」。

地には「ふゆ」の。

「ふゆの花草」の「はなびら」。

「ふゆの花々」の

「ふゆ」。

「冬」のこの時期には。
樹木の「落ち葉」はおちきり。

「落ち葉」は「ぴたり」ととまります。
落葉ぎりぎりまで。

「冬」をすぎての
「みのり」にそなえて。
しっかりと。

強い「冬」の
太陽の陽射しをえるためでしょう。

「ふゆ」には。

「ふゆの花」の花びらが

「季節の花」の「花」が。

花も見ぬうちに。

暗い夜中のあいだに。

「季節風」に。

弓射られて。

朝暗いうちにも。

地に落下しています。

樹木は

「季節」の

「きせつ木」としてのたたずまいから。

まさしく。

威風堂々たる「季節」の。

主人公としての。

たたずまいに。

なりました。

「季節の木」に。

「きせつ」の「季節風」。

「季節」の気配は。

はっきりと。

「まち」の葉木にも感じられます。

この。

「季節風」は。

これから。

「どのような風」に。

変化していくのでしょう。

「季節の花」の

若花のつぼみや。

「季節の花」の

若花のはなびらが。

たわわにみえます。

「季節の花」のつぼみは。

いつでも咲きそうな。

つぼみばかりです。

こがねいろの。

どんぐりのような。

つぼみです。

昨年の「晩秋」
「金木犀:きんもくせい」の残り香は
とおくから。
「とぼとぼ」と歩いてくるように。
ほのかに漂い。
また「とぼとぼ」と歩き去っていった
ようにいなくなりました。

「冬」の。
「冬の花」の花びらは。

少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに蕾膨らみ
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花咲き
少しずつ遠慮がちにしずかにしずかに花びらが舞う。

「季節」の「あけぼの」。

空の色が。

まさしくも

「季節」の「空色」

になってきました。

ミルクのはいった

コバルトのような

空色です。

「冬」になりました。

次第に陽ののぼるのは。

すこしづつおそくなり。

陽がくれるのは。

すこしづつはやくなりました。

今は「冬」。

「12月」です。

昨年の「春」の。

「3月」「4月」「5月」

「夏」「秋」「冬」「春」「夏」「秋」が去りゆき。

今はふたたび「冬」です。

「春」の女神(めがみ)

「佐保姫(さほひめ)」がはるか遠くに去っていった。

微笑みが再び目に浮かびます。

秋の女神(めがみ)

「竜田姫(たつたひめ)」が舞い降りて。

微笑んで去っていきました。

「冬」の「12月」です。

「ふゆ」。

あさの06:00AMころは。
くらくあおく
しだいに
そらがラピズラズリから
トルコ石にうつろうように。
そらがしらんできます。

「季節」の季節の気配からは。

まぢかいけれども。
さらに「なにかが深まりゆく」。
そして「季節」の訪れから。

さらにさらに。
深い「季節」に向かい。
そしてさらに。
深い「季節」の向こう側に。
さらなる「季節」の気配の。
あることが。
よくわかります。

文豪 川端康成の。

「雪国」の。

トンネルの中から。

「向こう側」は「雪国」。

そして

さらに「雪国」をすぎれば。

そこは「春の国」。

そして。さらに。

「日々」を旅して。

いつかはまた「季節の国」。

「季節」から先に。

さらなるトンネル

がいくつあるのでしょうか。

池面(いけも)の水面(みずも)
おさなき小さなわかみどり
なもしらぬ
小さな緑の浮き草
若草うきつあつまりて
つらなり水面(みずも)
水面(みずも)をおおいたり
水面(みずおも)にて
風にきそいてさまよえり
ちひさきわらべのごとし
池面の水面(みずおも)の。
小さきちひさなわかみどり

いざいまこそは

よき季節にあらむ

水面(みずも)なるそら

ふと空をみる

早朝(はやあさ)に
けふもはだのさむけれど
ぬくもりのあさ
陽のありがたき
われあゆむがごと
陽はあたかくなりけり
葉木は強き木にかわりたり
みちをあかるくてらさむ
季節がいだく木
季節はぐくむ木
季節みどり木あおし
季節実りの木紅し(あかし)
季節来(きた)るらむ

道端の野草の花もかわいらしい。
春夏秋冬の
前奏曲の旋律が聞こえます。

地にも木にも

みどり葉ひらき

みどり木ときわ木

ひろがりて

いふことのなし

いふことがなし

いふことはなし

ゆたかなりけり

今年の早朝は異常な寒さです。

気象予報で
「明日は暖かくなる」と聞いても
朝は寒いです。
「毎朝寒い」。
寒いと首都高の自動車も
「寒そうな運転の車」が多いです。

それでも「「季節」はきぬ」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------

++++++++++++++++++++++

平成21年1月12日日(月曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来「祝日」で元来は「休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

++++++++++++++++++++++

平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
++++++++++++++++++++++

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月5日(月曜日)*より診療を開始致しました。

------------------------------

年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年の8月12日(木曜日)(休診日)
より
平成22年の8月15日(日曜日)まで
の8月12日・13日(金曜日)・14日(土曜日)8月15日
は館内改装のため「夏季休診日」とさせていただきます。
きまっている休診日を除けば
8月13日(金曜日)と8月14日(土曜日)
が休診日となります。
院長は病院に常在到します。

はおわりました。
------------------------------

平成22年9月20日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成22年10月11日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------

平成22年11月3日(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

------------------------------
平成22年11月23日(火曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

山本クリニック脳神経外科世田谷では
平成22年12月29日(水曜日)まで診療を行います。
そして
平成23年1月4日(火曜日)より診療を開始到します。

平成22年12月30日(木曜日)より
平成23年1月3日(月曜日)までは年末年始体制で
休診日とさせていただきます。院長は常時病院に滞在到します。

------------------------------

平成23年1月10日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

------------------------------

★★★

今年の冬・春はインフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3.500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

-------------------------------

2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。

------------------------------

成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

入学式。桜の花。
インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。
再び
「寒さ」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬・春は「厳・春」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の冬場や春はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

-------------------------------

草木の周りは。
少しずつ「春夏秋冬」の「四季」を
あゆんでいます。

梅咲き・スミレ咲き。桜咲き。
木々の萌黄から。
眼に青葉。山ほととぎす。そして夏・秋・また冬
がやってくる。

「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
体調を崩される方が多いものです。
私はこの冬は「厳冬」になり極めて寒さが
激しいと思います。

このような今年の春・冬場はインフルエンザが
大流行するおそれが強い。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

感謝・感謝です。

「今日は何の日」は。

ドイツ海軍が大戦後初めてヴェルサイユ条約の
軍備制限条項の範囲内に収めながらも強力な高性能軍艦として建造した艦。

就役は1936年。英海軍はこれらの軍艦を、
小粒であるが強力であると認め、「ポケット戦艦」と渾名致した艦船
『アドミラル・グラーフ・シュペー』。
艦名はマクシミリアン・フォン・シュペーにちなんでいます

1939年 -
ウルグアイから国外退去を通告された
ドイツのポケット戦艦『アドミラル・グラーフ・シュペー』が
モンテビデオ港外で自沈した日です。

http://www.youtube.com/watch?v=RFXuO4-NsZE

++++++++++++++++++++++

アドミラル・グラーフ・シュペー (Admiral Graf Spee) は。
ドイッチランド級装甲艦の3番艦です。

本艦はドイツ海軍が大戦後初めてヴェルサイユ条約の
軍備制限条項の範囲内に収めながらも強力な軍艦として建造した艦です。

就役は1936年。英海軍はこれらの軍艦を、
小粒であるが強力であると認め、ポケット戦艦と渾名致しました。

艦名はマクシミリアン・フォン・シュペーにちなんでいます。
彼は第一次世界大戦において、
青島を根拠地としたドイツ東洋艦隊司令官でありました。

因みに、他にグラーフ・シュペーと呼ばれる船として、
第一次世界大戦において未完成に終わったマッケンゼン級巡洋戦艦の4番艦があります。
++++++++++++++++++++++

艦歴

1932年10月1日ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工致しました。

1934年6月30日進水式を行いました。

艦名を命名する折に、艦名のもととなった
マクシミリアン・フォン・シュペーの孫娘が式をとり行いました。
1936年1月6日に就役し、数ヶ月に及ぶ完熟訓練を大西洋で行いました。

翌年の1937年5月20日にジョージ6世戴冠記念観艦式に参加し、
日本の「足柄」やフランス海軍の「ダンケルク」らと共に
各国海軍の注目を集めました。

++++++++++++++++++++++

アドミラル・グラーフ・シュペーは第二次世界大戦の
開戦後通商破壊作戦に従事し、1939年9月30日を皮切りとして、
南大西洋やインド洋において多くの商船を沈めました。

これに対し、連合国は、大西洋に7つ、
インド洋に1つの、総勢で戦艦3隻、空母4隻、巡洋艦16隻からなる
対策部隊を編制し、通商破壊艦の探索にあたりました。

1939年12月13日、アドミラル・グラーフ・シュペーは
イギリス海軍G 部隊の主要艦である重巡洋艦エクゼター
(HMS Exeter、20cm砲装備)、軽巡洋艦エイジャックス(HMS Ajax、15.2cm砲装備)、
軽巡洋艦アキリーズ(HMNZS Achillies、15.2cm砲装備)の3隻に捕捉され、
ラプラタ沖海戦が勃発致しました。

この戦闘によるアドミラル・グラーフ・シュペーの損害は
比較的軽微であったが、
冬季の北大西洋の激浪に耐えて本国へ帰還できる状態にはなく、
艦長のハンス・ラングスドルフ大佐(Hans Wilhelm Langsdorff 1894-1939)は、
最寄りの中立国であるウルグアイのモンテビデオ港に艦を退避させました。
++++++++++++++++++++++

停泊期間中にイギリス海軍の宣伝放送や本国からの情報により、
単独では対抗できない有力な艦隊によって
脱出路を封鎖されてしまったと判断したラングスドルフは。

ウルグアイ政府が提示した港からの退去期限を迎えた12月17日に、
明らかな負け戦によって乗組員を危険に曝す事を避ける為、
乗員をドイツ商船に移乗させ、

アドミラル・グラーフ・シュペーをモンテビデオ港外へ出して自沈させました。

この様子は世界に向けラジオ放送で実況されました。
なおドイツ本国からは「自沈の際は遺憾なきをなせ」
との指示はあったものの、
ラングスドルフは自ら自沈の責任を取り、
19日に逗留先であるアルゼンチンのブエノスアイレスで
軍艦旗を身にまといピストル自殺を遂げました。

++++++++++++++++++++++

自沈の真相
アドミラル・グラーフ・シュペー自沈の理由としては、
古くから宣伝放送による敵艦隊勢力の誤認、
アドミラル・グラーフ・シュペーの弾薬の欠乏(事実ではない)、
ラングスドルフの敢闘精神の欠如などさまざまな説が考察されてきました。

戦後しばらくたってから、
当時アドミラル・グラーフ・シュペーの乗組員であった技術将校の証言により、
アドミラル・グラーフ・シュペーは、
次のようなドイッチュラント級装甲艦共通の構造的欠陥に起因する
致命傷を受けていた事実が明らかになりました。

当時の艦船用ディーゼル燃料は低温では粘度が高く、
そのまま機関に供給するには適さなかったため、
ドイッチュラント級装甲艦では、燃料タンクと機関とのあいだに
中間タンクを設置して一旦燃料を加熱し、
液状化させた後に機関に送り込む構造となっていました。

特に高緯度低温の海域ではこの燃料処理が必要不可欠でした。

ところが、中間タンクに蒸気熱を供給するパイプの一部は
非装甲で上甲板に露出しており、
そこへ6インチ砲弾一発が命中して燃料処理システムを
破壊してしまったのです。

その結果、豊富な燃料の大部分は加熱できず使用不可能となり、
中間タンクに残っていた処理済み燃料は16時間分にすぎず、
本国帰還はもちろんのことイギリス巡洋艦隊との戦闘継続すら
おぼつかない状態でありました。

該当箇所の修理は乗組員の手に負えず
長時間の入渠が必要であったが、
そのようなドイッチュラント級装甲艦の弱点は軍最高機密であり、
ウルグアイ政府に対しも実情を説明できないまま、
事実上の航行不能状態で出航を求められ自沈せざるを得なかったのです。
("Starshell
" by The Naval Officers Association of Canada; Volume VII, Number 34, Spring 2006 参照)

++++++++++++++++++++++

アドミラル・グラーフ・シュペーの引き揚げ
この装甲艦の所有権を有するドイツ連邦政府の抗議にも関わらず、
水深8メーターに沈むアドミラル・グラーフ・シュペーの残骸を
クレーン船の助けを借りて引き揚げる作業が2004年2月に開始されました。

この作業は民間投資家とウルグアイ政府が資金負担しています。

理由は残骸が船舶の航行に危険を生じさせているからとのことです。

何回かの不首尾があった後、
2月25日に比較的大きな残骸が初めて引き揚げられました。
それは27トンもある砲塔指揮所でした。

引き揚げ作業は2007年に完了する予定であったが、
2009年、大統領令により、引き揚げ作業は中止されました。

2006年2月にはアドミラル・グラーフ・シュペーの艦尾を飾った
、ハーケンクロイツを掴む羽を広げた鷲を象った、
重さ 400kg の主権紋章が引き揚げられました。
この鷲章はおよそ 2m の大きさで、
羽を広げた長さは 2.8m に達する。
これは数十万ドルの値打ちがあると見積もられています。

++++++++++++++++++++++

2006年8月、民間の引き揚げ会社がウルグアイ政府の意に反して
このナチのシンボルを販売する意志を発表した時、
大きな論争を惹き起こしました。

ネオナチ・グループはこれに関心を示し、
ある者は3百万ドルで購入する準備があると表明していると
ドイツのフランクフルター・ルントシャウ紙 (Frankfurter Rundschau) は伝えています。

タイタニック号引き揚げのドキュメンタリー映画の監督の
ジェームズ・キャメロンが引き揚げの様子を映像に残しています。

すべて引き上げられた後は、
艦を復元してモンテビデオ市の国立海事博物館に展示することが計画されています。
++++++++++++++++++++++

「続きを読む」=>*

++「続きを読むです1」++++++++++++++++++
アドミラル・グラーフ・シュペー (装甲艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%BC_(%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6)

艦歴
発注
起工 1932年10月1日
進水 1934年6月30日
就役 1936年1月6日
その後 1939年12月17日廃棄
性能諸元
排水量 基準:12,100トン、 満載:16,200トン
全長 186 m (610 ft)
全幅 21.6 m (71 ft)
吃水 7.4 m (24 ft) (最大)
機関 MAN社製9気筒2ストロークディーゼルエンジン8機
2軸, 52,050 hp (40 MW)
最大速 28.5 ノット (53 km/h)
航続距離 20ノット時で8,900海里 (16,500 km at 37 km/h)
または10ノット時で19,000海里 (35,000 km at 18.5 km/h)
乗員 1,150名
兵装 52口径11インチ (28.3cm) 3連装砲2基
5.9インチ (150mm) 砲8門
150mm砲6門
37mm対空砲8門
20mm対空砲10門
21インチ (530mm) 魚雷発射管8基
射撃間隔 28cm砲: 一分当たり2.5回
15cm砲: 一分当たり6から8回
射程 28cm砲 射撃角40度; (徹甲砲弾): 36,475 m
砲身寿命 28cm砲: 約 340回; 15cm砲: 約 1,100回
弾薬 28cm砲 一門: 105 - 120
装甲 砲塔 正面: (160mm)
装甲帯: (80mm)
デッキ: 40mm)
搭載機 Ar 196 二機, カタパルト一基

アドミラル・グラーフ・シュペー (Admiral Graf Spee) は、ドイッチュラント級装甲艦の3番艦である。本艦はドイツ海軍が大戦後初めてヴェルサイユ条約の軍備制限条項の範囲内に収めながらも強力な軍艦として建造した艦である。就役は1936年。英海軍はこれらの軍艦を、小粒であるが強力であると認め、ポケット戦艦と渾名した。

艦名はマクシミリアン・フォン・シュペーにちなんでいる。彼は第一次世界大戦において、青島を根拠地としたドイツ東洋艦隊司令官であった。他にグラーフ・シュペーと呼ばれる船として、第一次世界大戦において未完成に終わったマッケンゼン級巡洋戦艦の4番艦がある。

艦歴

英仏海峡へ向かうアドミラル・グラーフ・シュペー、1939年4月
自沈後、炎上を続けるアドミラル・グラーフ・シュペー1932年10月1日ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工。1934年6月30日進水式を行った。艦名を命名する折に、艦名のもととなったマクシミリアン・フォン・シュペーの孫娘が式をとり行った。1936年1月6日に就役し、数ヶ月に及ぶ完熟訓練を大西洋で行った。翌年の1937年5月20日にジョージ6世戴冠記念観艦式に参加し、日本の「足柄」やフランス海軍の「ダンケルク」らと共に各国海軍の注目を集めた。

アドミラル・グラーフ・シュペーは第二次世界大戦の開戦後通商破壊作戦に従事し、1939年9月30日を皮切りとして、南大西洋やインド洋において多くの商船を沈めた。これに対し、連合国は、大西洋に7つ、インド洋に1つの、総勢で戦艦3隻、空母4隻、巡洋艦16隻からなる対策部隊を編制し、通商破壊艦の探索にあたった。 1939年12月13日、アドミラル・グラーフ・シュペーはイギリス海軍G 部隊の主要艦である重巡洋艦エクゼター(HMS Exeter、20cm砲装備)、軽巡洋艦エイジャックス(HMS Ajax、15.2cm砲装備)、軽巡洋艦アキリーズ(HMNZS Achillies、15.2cm砲装備)の3隻に捕捉され、ラプラタ沖海戦が勃発した。この戦闘によるアドミラル・グラーフ・シュペーの損害は比較的軽微であったが、冬季の北大西洋の激浪に耐えて本国へ帰還できる状態にはなく、艦長のハンス・ラングスドルフ大佐(Hans Wilhelm Langsdorff 1894-1939)は、最寄りの中立国であるウルグアイのモンテビデオ港に艦を退避させた。

停泊期間中にイギリス海軍の宣伝放送や本国からの情報により、単独では対抗できない有力な艦隊によって脱出路を封鎖されてしまったと判断したラングスドルフは、ウルグアイ政府が提示した港からの退去期限を迎えた12月17日に、明らかな負け戦によって乗組員を危険に曝す事を避ける為、乗員をドイツ商船に移乗させ、アドミラル・グラーフ・シュペーをモンテビデオ港外へ出して自沈させた。この様子は世界に向けラジオ放送で実況された。なおドイツ本国からは「自沈の際は遺憾なきをなせ」との指示はあったものの、ラングスドルフは自ら自沈の責任を取り、19日に逗留先であるアルゼンチンのブエノスアイレスで軍艦旗を身にまといピストル自殺を遂げた。

自沈の真相
アドミラル・グラーフ・シュペー自沈の理由としては、古くから宣伝放送による敵艦隊勢力の誤認、アドミラル・グラーフ・シュペーの弾薬の欠乏(事実ではない)、ラングスドルフの敢闘精神の欠如などさまざまな説が考察されてきたが、戦後しばらくたってから、当時アドミラル・グラーフ・シュペーの乗組員であった技術将校の証言により、アドミラル・グラーフ・シュペーは、次のようなドイッチュラント級装甲艦共通の構造的欠陥に起因する致命傷を受けていた事実が明らかになった。

当時の艦船用ディーゼル燃料は低温では粘度が高く、そのまま機関に供給するには適さなかったため、ドイッチュラント級装甲艦では、燃料タンクと機関とのあいだに中間タンクを設置して一旦燃料を加熱し、液状化させた後に機関に送り込む構造となっていた。特に高緯度低温の海域ではこの燃料処理が必要不可欠だった。ところが、中間タンクに蒸気熱を供給するパイプの一部は非装甲で上甲板に露出しており、そこへ6インチ砲弾一発が命中して燃料処理システムを破壊してしまったのである。その結果、豊富な燃料の大部分は加熱できず使用不可能となり、中間タンクに残っていた処理済み燃料は16時間分にすぎず、本国帰還はもちろんのことイギリス巡洋艦隊との戦闘継続すらおぼつかない状態であった。

該当箇所の修理は乗組員の手に負えず長時間の入渠が必要であったが、そのようなドイッチュラント級装甲艦の弱点は軍最高機密であり、ウルグアイ政府に対しも実情を説明できないまま、事実上の航行不能状態で出航を求められ自沈せざるを得なかったのである。("Starshell" by The Naval Officers Association of Canada; Volume VII, Number 34, Spring 2006 参照)

アドミラル・グラーフ・シュペーの引き揚げ
この装甲艦の所有権を有するドイツ連邦政府の抗議にも関わらず、水深8メーターに沈むアドミラル・グラーフ・シュペーの残骸をクレーン船の助けを借りて引き揚げる作業が2004年2月に開始された。この作業は民間投資家とウルグアイ政府が資金負担している。理由は残骸が船舶の航行に危険を生じさせているからである。何回かの不首尾があった後、2月25日に比較的大きな残骸が初めて引き揚げられた。それは27トンもある砲塔指揮所であった。引き揚げ作業は2007年に完了する予定であったが、2009年、大統領令により、引き揚げ作業は中止された。

2006年2月にはアドミラル・グラーフ・シュペーの艦尾を飾った、ハーケンクロイツを掴む羽を広げた鷲を象った、重さ 400kg の主権紋章が引き揚げられた。この鷲章はおよそ 2m の大きさで、羽を広げた長さは 2.8m に達する。これは数十万ドルの値打ちがあると見積もられている。2006年8月、民間の引き揚げ会社がウルグアイ政府の意に反してこのナチのシンボルを販売する意志を発表した時、大きな論争を惹き起こした。ネオナチ・グループはこれに関心を示し、ある者は3百万ドルで購入する準備があると表明しているとドイツのフランクフルター・ルントシャウ紙 (Frankfurter Rundschau) は伝えている。タイタニック号引き揚げのドキュメンタリー映画の監督のジェームズ・キャメロンが引き揚げの様子を映像に残している。すべて引き上げられた後は、艦を復元してモンテビデオ市の国立海事博物館に展示することが計画されている。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

12月17日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8817%E6%97%A5

できごと
1777年 - フランスがアメリカ合衆国の初承認国となる。
1819年 - シモン・ボリバルがコロンビア共和国の初代大統領に就任。
1843年 - チャールズ・ディケンズ作『クリスマス・キャロル』が出版。
1892年 - バレエ『くるみ割り人形』初演。
1902年 - 教科書疑獄事件で200名以上が摘発される。
1903年 - ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功。
1920年 - 南洋諸島が日本の委任統治領となる。
1935年 - ダグラスDC-3型機が初飛行。
1939年 - ウルグアイから国外退去を通告されたドイツのポケット戦艦『アドミラル・グラーフ・シュペー』がモンテビデオ港外で自沈。
1944年 - バルジの戦いでマルメディ虐殺事件起きる。
1945年 - ホンジュラスが国際連合に加盟。
1945年 - 衆議院議員選挙法改正公布。婦人参政権・大選挙区制などを規定。
1950年 - 横浜・保土ヶ谷公園に日本初のサッカー場が完成。
1957年 - 上野動物園内に日本初のモノレール(東京都交通局上野懸垂線)が開業。
1961年 - インド軍によってポルトガル領ゴアが占領される。
1967年 - オーストラリアのハロルド・ホルト首相が行方不明になる。
1967年 - 呉市交通局の呉市電廃止。
1983年 - ロンドンの百貨店ハロッズでIRAによる爆弾テロ、5名が死亡。
1987年 - カプコンよりロックマンシリーズ第1作発売。
1987年 - 千葉県東方沖地震、死者2名。
1989年 - アメリカのテレビアニメ、ザ・シンプソンズ放送開始。
1994年 - ナスカの地上絵、古都京都の文化財が世界遺産に登録される。
1996年 - ペルー日本大使公邸人質事件発生。
1998年 - 米・英両国共同でイラクに対し砂漠の狐作戦開始。
2000年 - 京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(松岡町)。なお同社は、翌年6月24日にも事故を引き起こす。

誕生日
1239年(延応元年11月21日) - 藤原頼嗣、鎌倉幕府第5代将軍、最後の摂家将軍(+ 1256年)
1267年(文永4年12月1日)- 後宇多天皇、第91代天皇(+ 1324年)
1630年(寛永7年11月14日) - 貝原益軒、本草学者・儒学者(+ 1714年)
1770年 - ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン、作曲家(+ 1827年)
1777年 - フランソワ・マリウス・グラネ、画家(+ 1849年)
1778年 - ハンフリー・デービー、化学者(+ 1829年)
1842年 - ニルス・ホシュベリ、画家(+ 1934年)
1876年 - 島木赤彦、歌人(+ 1926年)
1881年 - 田邊宗英、実業家(+ 1957年)
1881年 - イングバル・ブリン、フィギュアスケート選手(+ 1947年)
1884年 - アリソン・アトリー、童話作家(+ 1976年)
1900年 - 勅使河原蒼風、いけばな草月流初代家元(+ 1979年)
1905年 - シモ・ヘイヘ、軍人、狙撃手(+ 2002年)
1915年 - アンドレ・クラヴォ (Andre Claveau)、歌手(+ 2007年)
1918年 - 宮崎剛、プロ野球選手
1922年 - 小鶴誠、プロ野球選手(+ 2003年)
1927年 - 米川泰夫、プロ野球選手
1930年 - 諸井誠、作曲家
1930年 - アーミン・ミューラー=スタール、俳優
1934年 - ケント・ハドリ、プロ野球選手(+ 2005年)
1936年 - ホルヘ・ベルゴリオ (Jorge Bergoglio)、枢機卿
1937年 - ジャイメ・レルネル、都市計画家
1937年 - 麻生実男、プロ野球選手(+ 1991年)
1937年 - アート・ネヴィル、米国のR&Bミュージシャン
1938年 - ピーター・スネル、陸上選手
1940年 - 山田耕嗣、放送評論家(+ 2008年)
1941年 - 藤山陽子、女優
1944年 - ベネ・フェレンツ、サッカー選手(+ 2006年)
1945年 - ジャクリーン・ウィルソン、児童文学作家
1946年 - 有藤通世、プロ野球選手・監督
1946年 - ユージン・レヴィ、俳優
1947年 - ウェス・ステューディ (Wes Studi)、俳優
1948年 - 西川知雄、弁護士
1948年 - ダリル・ウェイ、ヴァイオリニスト
1949年 - ポール・ロジャース、ロック歌手
1949年 - ソティリス・カヤファス、サッカー選手
1951年 - コリーン・オコーナー、フィギュアスケート選手
1951年 - タチアナ・カザンキナ、陸上競技選手
1953年 - ビル・プルマン、映画俳優
1956年 - ピーター・ファレリー (Peter Farrelly)、映画監督
1957年 - 夏目雅子、女優(+ 1985年)
1958年 - 假屋崎省吾、華道家、タレント
1958年 - マイク・ミルズ (Mike Mills)、ベーシスト (R.E.M.)
1959年 - 青山道雄、プロ野球選手
1959年 - マーベル・ウイン、プロ野球選手
1960年 - TARAKO、声優・シンガーソングライター
1960年 - モレノ・アルゼンティン、自転車競技選手
1962年 - 橘高淳、プロ野球選手・プロ野球審判
1962年 - ロッコ・ミーディエート、ゴルファー
1962年 - ガリーナ・マルチュギナ、陸上競技選手
1962年 - リチャード・ ジュエル (Richard Jewell)、アトランタオリンピック記念公園爆弾事件容疑者(+ 2007年)
1964年 - 須藤真澄、漫画家
1965年 - 池山隆寛、プロ野球選手・コーチ
1965年 - 芹沢直美、アイドル
1966年 - 有森裕子、元マラソン選手
1966年 - 脇浜紀子、読売テレビアナウンサー 
1966年 - 本村健太郎、弁護士・俳優
1966年 - ワレリー・リューキン、体操選手
1967年 - 松田慎司、プロ野球選手
1967年 - ジジ・ダゴスティーノ (Gigi D'Agostino)、DJ
1967年 - 馬渡松子、シンガーソングライター
1968年 - 斎藤充弘、プロ野球選手
1968年 - ポール・トレーシー、レーサー
1969年 - 村井克行、俳優
1969年 - ルディ・ペンバートン、プロ野球選手
1969年 - チャック・リデル、総合格闘家
1970年 - 西村知美、女優・タレント・歌手
1971年 - 牧瀬里穂、女優
1971年 - アントワン・リゴドー、バスケットボール選手 
1972年 - 佐々木恭子、フジテレビアナウンサー
1972年 - ローリー・ホールデン、女優
1972年 - ジョン・アブラハム (John Abraham)、俳優
1973年 - ポーラ・ラドクリフ、マラソン選手
1974年 - ジョヴァンニ・リビシ、俳優
1974年 - サラ・ポールソン(Sarah Paulson)、女優
1975年 - 福地寿樹、プロ野球選手
1975年 - スサンティカ・ジャヤシンゲ、短距離走選手
1975年 - ミラ・ジョヴォヴィッチ、女優
1975年 - 青木麻由子、女優、声優
1975年 - ニコラス・ディンスモア、プロレスラー
1975年 - ニコライ・モロゾフ、フィギュアスケートコーチ
1975年 - ブリー・シャープ (Bree Sharp)、シンガーソングライター
1976年 - 伊藤剛、プロ野球選手
1976年 - パトリック・ミュラー、サッカー選手
1976年 - エゲルハージ・ジャネット、ポルノ女優
1976年 - ニル・ダヴィドヴィッチ (Nir Davidovich)、サッカー選手
1976年 - タケオ・スパイクス (Takeo Spikes)、アメリカンフットボール選手
1977年 - アルノー・クレマン、テニス選手
1977年 - 塩川岳人、サッカー選手
1978年 - マニー・パッキャオ、プロボクサー
1978年 - チェイス・アトリー、メジャーリーガー
1978年 - アレックス・シントロン、メジャーリーガー
1978年 - リテーシュ・デーシュムク (Ritesh Deshmukh)、俳優
1978年 - 寺島よしき、英語講師
1979年 - KEN、DA PUMP
1979年 - ライアン・キー (Ryan Key)、ミュージシャン(イエローカード)
1979年 - ジェイミー・フォックスワース(Jaimee Foxworth)、ミュージシャン
1979年 - ドミトリー・パラマルチュク、フィギュアスケート選手
1979年 - 川村エミコ、お笑いタレント(たんぽぽ)
1981年 - 大瀧彩乃、アイドル
1981年 - 川久保拓司、俳優
1981年 - 竹下玲奈、ファッションモデル・タレント
1982年 - 番ことみ、グラビアアイドル・タレント
1982年 - 水野良樹、ミュージシャン(いきものがかり)
1982年 - 狩野恵輔、プロ野球選手
1982年 - 成瀬真尋、グラビアアイドル・タレント
1982年 - ジョシュ・バーフィールド、メジャーリーガー
1982年 - クレイグ・キールバーガー (Craig Kielburger)、活動家
1982年 - ライアン・モーツ (Ryan Moats)、アメリカンフットボール選手
1982年 - ステファン・ラズミー、プロバスケットボール選手
1983年 - 工藤あさぎ、ファッションモデル・アイドル
1983年 - 坂田直貴、俳優
1983年 - kors k(斎藤広祐)、DJ・作曲家
1984年 - 白河理子、タレント・コラムニスト
1984年 - 福田明日香、アイドル
1985年 - 緒方龍一、歌手(w-inds.)
1988年 - 陳善有、ショートトラックスピードスケート選手
1988年 - 高梨臨、タレント・女優・アイドル
1988年 - グレテ・グリュンベルク、フィギュアスケート選手
1988年 - アメリー・ラコステ、フィギュアスケート選手
1989年 - 岩嶋雅奈未、SI☆NA
1989年 - アレッシア・バルド、フィギュアスケート選手
1996年 - エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ、フィギュアスケート選手
2007年 - ジェームズ、イギリス王族
生年不詳 - 秋元千賀子、声優

忌日
942年 - ギヨーム1世、ノルマンディー公
952年 - ユーグ黒公、ブルゴーニュ公
1187年 - グレゴリウス8世、第173代ローマ教皇(* 1100年頃)
1219年もしくは1120年 - コノン・ド・ベテュヌ、十字軍参加者・詩人(* 1150年頃)
1273年 - ジャラール・ウッディーン・ルーミー、詩人(* 1207年)
1325年(正中2年11月12日)- 島津忠宗、鎌倉時代の武将・島津氏第4代当主(* 1251年)
1596年(慶長元年10月28日)- 酒井忠次、(* 1527年)- 戦国時代、安土桃山時代の武将(1596年12月17日
1655年(明暦元年11月20日)- 宇喜多秀家、安土桃山時代の大名・岡山城主(* 1573年)
1763年 - フリードリヒ・クリスティアン、ザクセン選帝侯(* 1722年)
1830年 - シモン・ボリバル、大コロンビア大統領(* 1783年)
1833年 - カスパー・ハウザー、素性不明の捨て子として知られる人物(* 1812年)
1837年(天保8年11月20日)- 藤原林七、石工(* 1765年)
1847年 - マリア・ルイーザ、フランス皇帝ナポレオン1世の皇后・パルマ公国女公(* 1791年)
1849年(嘉永2年11月3日)- 松本幸四郎 (6代目)、歌舞伎役者(* 1811年)
1860年 - デジレ・クラリー、スウェーデン王カール14世ヨハンの王妃(* 1777年)
1867年(慶応3年11月22日)- 阿部正方、第9代備後福山藩主(* 1848年)
1870年 - サヴェリオ・メルカダンテ、作曲家(* 1795年)
1881年 - ルイス・ヘンリー・モーガン、文化人類学者(* 1818年)
1895年 - イリニ・ヤーノシュ、発明家、化学者(* 1817年)
1897年 - アルフォンス・ドーデ、小説家(* 1840年)
1907年 - ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)、物理学者(* 1824年)
1909年 - レオポルド2世、ベルギー王(* 1835年)
1917年 - フランク・ゴッチ、プロレスラー(* 1878年)
1930年 - ピーター・ウォーロック、作曲家・音楽評論家(* 1894年)
1933年 - ポール・リッシェ、解剖学者・生理学者・彫刻家(* 1849年)
1938年 - 小川芋銭、日本画家(* 1868年)
1944年 - 一木喜徳郎、法学者・政治家・教育者(* 1867年)
1947年 - ヨハンス・ブレンステッド、化学者(* 1879年)
1957年 - ドロシー・L・セイヤーズ、推理小説家(* 1893年)
1960年 - 水谷長三郎、政治家(* 1897年)
1964年 - ビクター・フランツ・ヘス、物理学者(* 1883年)
1967年 - 山梨勝之進、軍人(* 1877年)
1967年 - 南波杢三郎、検察官(* 1883年)
1973年 - チャールズ・アボット、天文学者(* 1872年)
1975年 - ハウンド・ドッグ・テイラー、ブルース・ギタリスト、歌手(* 1915年)
1980年 - 吉阪隆正、建築家(* 1917年)
1983年 - 前田義徳、第10代日本放送協会会長・ジャーナリスト(* 1906年)
1983年 - 橋川文三、政治学者・評論家(* 1922年)
1991年 - 相田みつを、詩人・書家(* 1924年)
1992年 - ダナ・アンドリュース、俳優(* 1909年)
1992年 - 山川惣治、絵物語作家、漫画原作者(* 1908年)
1995年 - 安井琢磨、経済学者(* 1909年)
1996年 - 鴨武彦、国際政治学者(* 1942年)
1999年 - グローヴァー・ワシントン・ジュニア、スムーズジャズのサックス奏者(* 1943年)
2001年 - 南博、心理学者(* 1914年)
2002年 - 磯田憲一、プロ野球選手(* 1924年)
2003年 - 富士錦猛光、大相撲力士(* 1937年)
2004年 - 塚田京子、ソプラノ歌手(* 1949年)
2005年 - ジャック・アンダーソン、コラムニスト(* 1922年)
2006年 - 岸田今日子、女優(* 1930年)
2008年 - 武士桑風、書家(* 1913年)
2008年 - 上田哲、日本社会党衆議院議員・ジャーナリスト(* 1928年)
2008年 - ジャスティン・レヴェンス、総合格闘家(* 1980年)
2009年 - ジェニファー・ジョーンズ、女優(* 1919年)
2009年 - 涌井紀夫、日本の最高裁判所判事(* 1942年)
2009年 - ダン・オバノン、脚本家・映画監督(* 1946年)
2009年 - アルベルト・ラフォルス・カサマダ、画家・詩人(* 1923年)

記念日・年中行事

飛行機の日
1903年、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、
ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功した。
この日には4回飛行し、1回目の飛行時間は12秒、4回目は59秒で飛行距離は256mだった。

春日若宮おん祭