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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成23年5月5日(木曜日)

「はる」です。

「はる」の「5月」

になりました。

まばゆいほどに。

ことばでは。

いいつくせないほどに。

まぶしくて。

すがすがしくやさしい。

「はる」「5月」の。

黄金(こがね)のように

かがやいている。

透明な。

やさしい朝の陽射しです。

しあわせいろの。

あかるい朝の陽射し。

やさしいあかるい朝の陽射し。

「5月」の。

「朝」の陽射しの「あかるさ」は。

なにものにも。

たとえようもありません。

けぶる季節の山焼き。

大気は「かおる」。

しずかなひざしです。

「春」のあさひ。

「朝陽」の光は。

とてもやさしく。

けれどもちから強くしずかです。

春朝陽(はるあさひ)

緑木枝間に

われを見る

まばゆくも

輝く柔しき

眼(まなこ)なりけり

はるあさひ

みどりきえたまに

われをみる

まばゆくも

かかやくやさしき

まなこなりけり

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

「冬」になりました。

今年も冬がきました。

「はる」がきて。

今は「5月」。

「春」がふうせんのように。

ふくらみそしてみのり。

ひろがりゆく季節。

「5月」です。

季節のまつりは季節におわり。

野には。

たんぽぽは葉草となり。

季節の花が咲き。

野草は「葉草」となり。

よもぎや。

すぎながいっぱいになりました。

季節の「はれ山水」の風情です。

くさみどりの葉のつつじが。

さえほこっています。

「はる」になり「川の水音」は。

あたかも。

「ゆたかな清流」の。

「みずのながれのおと」の如く。

きこえるようになりました。

「季節」の小川。

「どんどん」ながれる。

季節のおがわ。

高さも低さこそ見えないのに。

あゆみたゆまず。

ながれる水の流れ。

ありがたいような不思議さ。

ずっと流れを追いかけて。

海原までたどれるのだろうか。

海原のもっとさきまで。

たどりつけるのだろうか。

たどりつけるのであれば。

いつのひか。

海原のもっとさきまで。

いってみたいものです。

春分の日もすぎれば。
「さくら」咲きはじめ
「さくら」がおわり。
「4月」が終われば。
「5月」になり。
「5月」もおわれば。
6月に。「夏」になり。
6月も終われば。
7月 たなばた。
7月 もおわれば。
せみのなく8月。
8月の夏はすぎれば。
9月の秋になり秋の虫が鳴く。
そして9月がおわり。
中秋10月なり紅葉の季節。
そして10月がおわり。
「11月」になり。
晩秋「11月」もおわり12月の「冬」。
「12月」になればまた「年」があけ。
また「初春」がくる。
「1月」がおわれば「2月」
そして「春」の「3月」「4月」「5月」
そして「6月」「7月」「8月」
「9月」「10月」「11月」「12月」
「1月」「2月」「3月」「4月」がすぎて。

「はる」の「5月」です。

「陽」はすでに

日々にながくなりつつあります。

「春」がきて。

さらにも。

季節のかおりつたえる大地。

その大地をてらす「ひざし」の。

やさしい「光」の日々毎日です。

http://www.youtube.com/watch?v=yTn48NiIb04&feature=related

「春」の「5月」です。

「はる」の「5月」の。

陽は日々たかくなっています。

夕暮れ時の夜にゆらぐ。

明るい家々のゆふべの灯火(ともしび)。

あたたかいぬくもり灯火。

しあわせのだんらんのひかり。

きせつに燃えてゆらぐともしび。

しあわせいろの季節のともしび。

団欒のともしび時に。

豆腐屋さんのラッパや。

季節のよるはよなきそばの

らっぱも

むかしは。

聞こえました。

朝陽ののぼるのがはやくなりました。

夕陽がおりるのはおそくなりました。

朝の「はる」の陽射しは

窓越しにも「まばゆい」

くらいです。

夕暮れの「あき」の陽射しは

「はしりおえた」

「陸上競技の選手」のようです。

つかれて。けれども充実して。

くれてゆきます。

明るいはるの夜の空になりました。

http://www.youtube.com/watch?v=yTn48NiIb04&feature=related

まことに。

冬来たりなば春遠からじ。

ふゆきたりなば

はるとおからじ

(出 典は。

 ひばりを崇拝するイギリスの詩人シェリー*の

『西風に寄せる歌』の一節。

英 語の原文: 

If winter comes,

can spring be far behind? )

「英国:United Kingdom UK」のロマン派の
詩人は。「御自分」のテーマの「鳥」を
紋章のようにもっています。
英国ロマン派の詩人は、
それぞれ愛好し、崇拝する鳥を持っていました。

ジョン・キーツは、
「夜鶯」(ほととぎす)の神秘的な声に魅惑され。
夜の闇に響くその歌声を主題に詩を書いています。

ワーズワースにとって、詩の霊感をもたらし、
彼に生きることの喜びを教えてくれる鳥は、
「郭公」(かっこう)でした。

パーシー・シェリーは「雲雀」(ひばり)の声に魅惑され。
ひばりを崇拝する鳥として。
主題とした詩を書いています。

「ふゆ」から「はる」への

移り変わりは

二階から。

「かけあし」の足音の。

とんときこえぬ。

「空き家」のような。

「うつろいかた」でした。

二階から。

「かけあし」の足音がきこえない。

まるで「かげろう」

の「たたずまい」のように。

季節がうつろいました。

昨年。
「9月」の初秋がおわり。
「名月中秋10月11月もおわり」ました。
「11月」もおわりました。
「12月」になりました。
いきつくひまなく。
「新年」。
「初春」の「1月」「2月」もおわり。
「3月」「4月」「5月」「6月」「7月」
「8月」「9月」「10月」「11月」「12月」
「1月」「2月」「3月」「4月」
がすぎました。

「5月」

「季節」から「季節」への移り変わりは

「かげろう」のようにうつろいでいきます。

そしてまた「年」をこします。

「季節」はひそやかにと。

こっそりと。ゆっくりと。

しのびあしで。あるいて来ます。

そしてゆっくりと。

「あらたな季節」にむかって

あるいて行くようです。

だから。

「新しい季節」をまつのであれば。

「新しい季節」がひそやかに。

しのびあしで。

歩いてくるのをまたなければ。

なりません。

「季節」をまつのであれば。

すぎさる「季節」がゆっくりと。

しのびあしで。

歩いていくのをまたねば。

なりません。

「かぜのおとに*」おどろかされるまで。

またねばなりません。

「かぜのおと」がかわり。

「季節」はなにかが生まれるようにおとずれます。

http://www.youtube.com/watch?v=yTn48NiIb04&feature=related

秋きぬと目にはさやかに見えねども 

風の音にぞおどろかれぬる

(藤原敏行・古今集169)

いまは「ふゆ」ですね。

「季節」はゆっくりとあるいてやってくる。

「季節」がひそやかにかくれてやってくる。

さきのことすぎるかもしれないが「来年」。

このように「時」のうつろいを

心はせれば。

考えると「おそろしいもの」です。

考えなければ。
「なおおおそろしい」
ものであるものかもしれない。

「考えずにいるつけ」がまわって
くるからかもしれません。

「来年」のことを考えれば。

「鬼」が笑う。

ゆく先々を「来年」とすれば。

「来年」のことを考えずに。

すむのであれば。

「鬼」は

笑わないのでしょう。

「鬼」とはなんだろう。

「日本以外の国」にも。

「わらう」。

「鬼」のような「怪物」は。

存在するのだろうか。

今日の深夜早朝03:15amには。

久方ぶりに。

大きな「はる」の「星空」がみえました。

早朝くらいうちは。

空に月。

「お月様」が「雲のじゅうたん」に。

天高くにねそべって。

かさををさしている。

ようです。

「はる」の「夜空」の。

「おぼろ月夜」です。

「クリームいろの月」でした。

06:30amころ日があければ。
まだまだくらい朝日を背に。
西のコバルトの空高く明るい。
とても高い成層圏近くの高い高度に。

西のコバルトの空高に。
「刷毛」でひいたように「絹雲(けんうん)」が
何本も何本も。
描かれて。
たなびいていました。

実に見事な筆捌(ふでさばき)です。
ためらいのない「朝焼け」
「季節」の「朝焼け色」の線描です。

「きせつ」の朝。

「陽射し」ののぼるころは。

「西」の空

のほうが明るいのです。

朝が明けて午前になれば。

まばゆいほどの。

「きせつ」のひざしが。

陽がのぼる。

東から。

窓のカーテンと。

木々の合掌(あいま)をぬって。

「さあ 外においで!」

とさそうがごとく。

大きな声で。

よびかけてくるようです。

ハーメルンの笛吹き男のようです。

高い成層圏近くの高い高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」
の端には渦巻きのような「ぬけあな」があり
「さらなる遠方の青空」が透けてみえます。

さながらにして。
東山魁夷画伯の描かれた大きな壁画。
大きな屏風絵の世界。

東山魁夷画伯の描かれた大きな絵画を
彷彿とさせますです。

東山魁夷画伯。
「よくえがかけた画伯です」。

この「あおぞら」をみていると。

陽のひかりをみていると。

とても

信じられないくらいに。

元気がわいてくることに。

気が付きました。

「太陽」の「陽射し」。

「陽」の「めぐみ」は。

なんと。

ありがたいことだろう。

なんと尊いことだろう。

そら一杯の青空の

天井(てんじょう)と。

「太陽のひかりのひざし」は。

「生きとし生けるもの」にとって。

なによりもの。

まことの。

「めぐみ」です。

それを戴けるのは。

「よろこび」おおきことです。

「太陽のひかりのひざし」は

「いのちへのめぐみ」。

「いのちのよろこび」。

ありとあらゆる「生命」「いのち」をはぐくみ。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をたたえる。
ありとあらゆる「生命」「いのち」をなぐさめる。

「生きとし生けるもの」の「いのち」に。
さらなる。
「はるかかなた」までの。
「いきるちから」をさずけるものです。
「太陽」。

ありがたいものです。

はやいものです。

ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば

去年も
「12か月」が
終わりました。

中秋から晩秋にうつろい。
「寒月」の「12月」がおわり。
新年の「1月」がおわり。
「晩冬」の「2月」がおわり。
「初春」の「3月」「4月」がおわり。
「夏」「8月」がおわり。
「秋」「9月」「10月」「11月」はおわり。
「12月」「1月」「2月」「3月」「4月」「5月」
そして「6月」「7月」「8月」
「9月」「10月」[11月」「12月」
「1月」「2月」「3月」「4月」
がすぎされば。

今は「5月」。

「季節の花」の花の花びら。

ひろって。
手のひらにかかげれば。
「きせつの花」の花のかおりは。
プラチナ色の香りが
致します。

今は。
「季節の花・花々」が。
蕾をふくらませています。
「季節の花」の。

はながは鐘袖(ベル・スリーブ)のように。
ふくらんでいます。

「きせつ」の花の「はなびら」が。

闇夜のあいだに。

朝の早朝まだ。

「花」にもきがつかぬうちに

また地に舞い下りています。

「きせつの花」

には。

ひとのよの。

「人のいのち」の。

「こたえ」があるような

気が致します。

ふと野の花は。

一般的には。

香らない花が。

多いことに気づきました。

伊藤左千夫の「野菊の墓」の「野菊」は。
矢車菊 (やぐるまぎく)
はとても綺麗なむらさきの「のぎく」です。
けれども「のぎく」は香りません。
(Corn lower, Bachelor's-button)です。

因みに
最高級の(今はもうとれない)
インド・カシミール地方で産出されたの
サフアイアの色は

「矢車菊色:やぐるまそう色」といわれます。

「カシミール・ヴァイオレット」。

麦畑やとうもろこし畑の中に 咲いていたことから。
「コーン・フラワー」=「野菊」(Corn lower)
です。

別名 「矢車草(やぐるまそう)」
といわれることがあります。

実は「矢車菊 (やぐるまぎく)」と
「矢車草(やぐるまそう)」まったく違う植物です。
矢車菊 (やぐるまぎく)が「野菊」。
「矢車草(やぐるまそう)」は「高山植物」。

「野菊」は春から夏にかけて咲くむらさきの花です。

古代エジプトのツタンカーメン王の墓 からも
発見された由緒正しき「野菊」。
色は紫。むらさきです。

ツタンカーメン王の。

まだ幼な子王妃が。

「亡きツタンカーメンンに野菊の花束ささげるけなげな姿」
が鮮烈に眼に浮かびます。

この「花」が。

「野菊」です。

「野菊の墓」の「野菊」。

けれども。

「野菊」は

香らない。

毎朝暗い早朝と。

うす暗くなる午後6時ころには。

「季節風」が

ふいている。

「季節風」がかわりばんこに。

あちこちで

「ろうろう」「こうこう」とないています。

「きせつのかぜ」の
「季節風」の
「コーラス」を聞いていると。

ふと。

「この「きせつ」におびえるひと」の気配が
脳裏をはしりました。
はてだれだろう。

うら若き乙女。
貧しさに。
苦労に苦労をかさねて。
苦しんで苦しんだ苦しんだあげくに。
24歳にして世を去った
「樋口一葉」。

樋口一葉の

「うらわかき」
「「冬」と「春」の短歌」がきこえるようです。

散たまるふもとの落葉わけて思ふ
埋もれぬべきは雪の山里

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ
うもれぬへきはゆきのやまさと

庭の面につもる紅葉の色見れば
散りての後もにしきなりけり

にわのおもにつもるもみしのいろみれば
ちりてのあともにしきなりけり

世の中の秋にあはじとおくれけん
一もと野ぎく思ひあがりて

よのなかにあきにあはしとおくれけん
ひともとのきくおもひあがりて

折々に散るものどけし春雨の
はれたる軒の山桜ばな

おりおりにちるものどけしはるさめの
はれたるのきのやまさくらばな

わが園のものとおもへば初わかな
はつかなれども嬉しかりけり

わがそののものとおもへばはつわかな
はつかなれどもうれしかりけり

立ち渡る霞をみれば足引きの
山にも野にも春は来にけむ

たちわたるかすみをみれはあしひきの
やまにものにもはるはきにけむ

わたつ海の波のいづこに立ち初て
果なくつゝむ春の霞ぞ

わたつみのなみのいづこにたちそめて
はてなくつつむはるのかすみぞ

さざ波やしがの都のいにしへの
おもかげうすく立つ霞かな

ささなみやしかのみやこのいにしえの
おもかけうすくたつかすみかな

鶯のけさおとづるゝ声聞て
はじめて春の心地こそすれ

うくいすのけさおとつるるこへききて
はしめてはるのここちこそすれ

うれしくもわがものにして聞てけり
このあかつきの鶯の声

うれしきもわかものにしてきこへけり
このあかつきのうくいすのこへ

のどかなるけさの雨にやはるの野の
みどりも色まさるらむ

のとかなるけさのあめにや
はるののの
みとりのいろもまさるらむ

おくれたる友の為にとしをりして
谷間の蕨折り残しけり

おくれたるとものためにとしをりして
たのまのわらひおりのこしけり

ちりたまるふもとのおちはわけておもふ

うもれぬへきはゆきのやまさと

にわのおもにつもるもみしのいろみれば

ちりてのあともにしきなりけり

よのなかにあきにあはしとおくれけん

ひともとのきくおもひあがりて

-------------------------------

おりおりにちるものどけしはるさめの

はれたるのきのやまさくらばな

わがそののものとおもへばはつわかな

はつかなれともうれしかりけり

たちわたるかすみをみれはあしひきの

やまにものにもはるはきにけむ

わたつみのなみのいづこにたちそめて

はてなくつつむはるのかすみぞ

ささなみやしかのみやこのいにしえの

おもかけうすくたつかすみかな

うくいすのけさおとつるるこへききて

はしめてはるのここちこそすれ

うれしきもわかものにしてきこへけり

このあかつきのうくいすのこへ

のとかなるけさのあめにや

はるののの

みとりのいろもまさるらむ

おくれたるとものためにとしをりして

たのまのわらひおりのこしけり

「24歳」の「とても貧しい乙女」の。

「冬」によろこび。

「冬」にもおびえおののく。

隠したくはない「乙女のほこり」

けれども。

隠さざるを得ぬ「乙女のほこり」

かなしさの。おもかげと。

光さす。輝きと。

お若い「御婦人」の「知」「智」が。

ほこりたかくも。

そしてはかなくも。

「ひしひし」とよみとれます。

「秋」の女神(めがみ)の。

「竜田姫(たつたひめ)」の

去り過ぎた「「秋」そして「冬」。

「春」の女神「佐保姫(さほひめ)」が

微笑んでまいおりました。

「冬」がさりました。

「竜田姫(たつたひめ)」の微笑みが。

またおとづれそしてさりました。

これからは日は。
陽は次第にながくなる。
日が長くなる。
朝は明けるのはやくなり。
夕に暗くなるのはおそくなる。

しだいに陽がながくなる。
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。

心やすらかなる
安堵感をかんじます。

けれども。
「安堵」と「落胆」は。
常に表裏一体。
両羽(もろば)の剣。

「ぬかよろこび」の「ぬか」のような
ものです。

「ながくなる陽」も両羽(もろば)の剣を
持っています。

そして。
季節には「大気の音色(ねいろ)」もあるようです。

朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。

東京都 山本クリニック世田谷の庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。

この「きせつ」になり。
森山を分け入ると。

木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごとくに紅葉したまま
しもがれする
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。

「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。

身の丈以上ほどにもなって群生する。
野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
が。
病院の林の一角に野生のまま
おいしげっています。

野生の「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの真珠が群れたように実る
「実りの木の実」の風にそよぐ音色には。
おどろかされます。

あけびつたもうれしい。
あけびの「実」がみつかればなおなおうれしい。

またたびをみつけました。
根元にねこにかじられきずがある。

里山の季節の時期から。
そしてつぎの「あたらしい」の里山の季節
になりました。

四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は
とてもとても多いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と
「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。

古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。

*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus
(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。

実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。

邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「大和の国の音楽」と同じように思えます。
聴こえます。

「音楽」は「音」「おと」です。
そして「しらべ」=メロディとハーモニーです。
人類が「この音楽」を「楽譜」として
「寸分たがわず」「譜面」という名の「紙」に
「かくことを完成させた」ということは
大変なことです。

人間は。
人類は。
わずか「400年」で。

「音楽の旋律」に対する「楽譜」を。
「あらたな言語」を
完全に「完成」させたことになります。

まさにミューズの神の「神業かみわざ」です。

木々のめぶきの
冬なおも。
ますます力強い息吹を感じます。

「真夏」をすぎ「冬」になると。
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「冬若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。
雪の上のみどり。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「冬を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる冬」がすぎさり「春」。
「開花」の炎が。

樹木の上方で。
「春の到来」を.
くすぶりてまちわびてています。
たえしのぶ季節の樹木です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり季節のおとずれを
伝えていました。

桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえるようになりました。
「黄色調」です。
そして今「樹木」は「葉のいろ」をかえ
「宙」に舞おうとしています。

明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「夏から秋」。
「秋から冬」
そして「季節からあらたなる季節」の「かぜおと」。

木々の四季の。
大気の「色」のうつろい
に気づきます。

今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
今は昔々里山(さとやま)であそび。
今は昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
今は昔々里山(さとやま)でまなんだ。
今は昔々のその日々の思い出は。
今は黄金(こがね)か。あるいは。
今は銀か。いぶし銀か。
今はもしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
今は重さは鉛のようになり。
今は心の奥深くに埋もれて感じられます。

「幸せ色」=「しあわせいろ」

ならばよいです。

けれども
早朝は非常にあたたかくなりました。

やま中さまよいて
やま中をわけいらば
やま中大樹の根元に隠れたり
やま中あけぼの色のちひさき炎(ほのほ)
やま中みつけたりやまの秋の華。
やま中やまの秋葉木のかくれんぼ
やま中大樹の根元に隠れたり
山はぜの葉木。
やま中やまうるしの葉木。
やま中あきやまはぜとふるやまうるし。
「はだか木」。
元気な木。たくましき木。

山萩(やまはぎ)の
花をかくして燃えたたむ
あきに実りの祭りなり
あき山はぜの葉炎
あき天高く燃ゆ

やまはぎの
はなをかくしてもえたたむ
きせつにみのりのまつりなり
きせつやまはせのほのほ
きせつてんたかくもゆ

ひろくなりけり空(そら)たかし
さとやまに木々のみどり木
こもれびうけて燃えるがごとし
みどりの炎(ほのほ)
ほのほうちけさむかすみはあおし
ほのほにかすみにただよひて
うるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
やまさとのやまみどり
やまさとのふかみどり

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。

「大きな夏みつけた」

から

「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」

そして

「小さな冬みつけた」

そして

「大きな冬みつけた」。

そして

「小さい春」がみつかって。

しだいにおおきな。

「春」になりました。

「夏」がちかづく「八十八夜」

秋が過ぎて。ふゆがすぎて。はるがすぎて。
なつがすぎてあきがすぎて。ふゆがすぎて。

今はふたたび「はる」。

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成21年01月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年2月11日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年3月20日(金曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成21年4月29日(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年5月4日・5日・6日・
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成21年7月20日(月曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ。

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年8月14日(金曜日)と15日(土曜日)
の「二日間」
は病院の医療コンピューターの更新のため。

診療ができないので二日間「休診日」になります。

平成21年8月13日(木曜日)まで平常どおり。
平成21年8月18日(日曜日)から平常どおり。
はおわりました。

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平成21年9月21・22・23日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成21年10月12日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成21年11月 3日(火曜日)
平成21年11月23日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成21年12月23日(水曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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年末年始の診療
平成21年12月30日(水曜日)*まで
診療を行います。

また
平成22年1月は。
1月4日(月曜日)*より診療を開始致しました。

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年始の診療
平成22年1月11日(月曜日)
平成22年1月11日(月曜日)は。
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成22年3月22日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

------------------------------

平成22年5月3・4・5日
(月曜日)(火曜日)(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

平成22年7月19日(月曜日)祝祭日は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成22年の8月12日(木曜日)(休診日)
より
平成22年の8月15日(日曜日)まで
の8月12日・13日(金曜日)・14日(土曜日)8月15日
は館内改装のため「夏季休診日」とさせていただきます。
きまっている休診日を除けば
8月13日(金曜日)と8月14日(土曜日)
が休診日となります。
院長は病院に常在到します。

よろしくお願いいたします。

はおわりました。

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平成22年9月20日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成22年10月11日は(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。

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平成22年11月3日(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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平成22年11月23日(火曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。

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山本クリニック脳神経外科世田谷では
平成22年12月29日(水曜日)まで診療を行います。
そして
平成23年1月4日(火曜日)より診療を開始到します。

平成22年12月30日(木曜日)より
平成23年1月3日(月曜日)までは年末年始体制で
休診日とさせていただきます。院長は常時病院に滞在到します。

はおわりました。
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平成23年1月10日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成23年2月11日(金曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
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平成23年2月21日(月曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。
------------------------------

平成23年4月29日(金曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
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平成23年5月3日(火曜日)
平成23年5月4日(水曜日)は
元来は「祝日で休診日」です。

けれども「完全御予約制」の

御予約の患者さんのみ

限られた時間帯で診療を行います。
はおわりました。
------------------------------

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円

2回法=7.000円

です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------

学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。

「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。

作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。

「今日は何の日」は。

1900年 - ハンス・シュミット=イッセルシュテット、指揮者(+ 1973年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++

ハンス・シュミット=イッセルシュテット
(Hans Schmidt-Isserstedt、1900年5月5日 ベルリン - 1973年5月28日)は、
ドイツの指揮者です。

生い立ち
ベルリン東部で200年続いていた旧家であるビール醸造所の息子として生まれ
ました。

”イッセルシュテット”の名は母の旧性です。

1928年にベルリンに在る
多くのシュミット家と差別化するために改名したものです。

++++++++++++++++++++++

7歳の頃、実家の営むカフェに訪れた楽団に強く影響を受けバイオリニストを目指
しました。

音楽に造詣の深かった両親はバイオリンを買い与えました。

9歳の時に家族でカール・ムックの指揮するワーグナーのローエングリンを
ベルリン王立歌劇場で観覧し、
以降次第に音楽に魅せられていきました。

++++++++++++++++++++++

中でも、家族コンサートで演奏した
モーツァルトのクラリネット協奏曲からは
生涯における音楽的な影響を受けたと語っています。

また、指揮者となったきっかけには、
アルトゥール・ニキシュの指揮する振舞とその音楽の創造性に
感銘したことが決定的だと語っています。

++++++++++++++++++++++

指揮者として
1918年にベルリンでアビトゥーアを取得、
ベルリン・ミュンスター・ハイデルベルクに学びました。

1922年3月には、ハインツ・ティーセン率いる
ベルリン大学楽団連盟のスェーデンツアー公演に
コンサートマスターとして参加致しました。

1923年からベルリン高等音楽学校において
院長のフランツ・シュレーカーに作曲を師事、
『イタリアがモーツァルト初期の歌劇作品の楽器構成に与えた影響』
(原題:"Die Einflusse der Italiener auf die Instrumentation
der Mozartschen Jugendopern")の論文で博士号を取得致しました。

++++++++++++++++++++++

1923年にバルメン(現在のヴッパータール)の歌劇場で
コレペティートルを務め、
1928年には自作『ハッサンの勝利』(原題:Hassan gewinnt)を
演奏するにいたりました。

その後ロストック・ダルムシュタットで研鑽を積み、
1935年にハンブルク国立歌劇場の首席指揮者となりました。

1942年にはベルリン・ドイツ・オペラの歌劇監督に就任致しました。

1944年8月には芸術家としての保護恩赦Gottbegnadeten-Listeを受け、
戦線に向かうことは無かったが、ナチス党員にはなりませんでした。

++++++++++++++++++++++

北ドイツ放送交響楽団の創立者として。
第二次大戦後、一月も立たない内に
英占領軍のジャック・ボーノフ少佐は
、占領地域の北ドイツに於いてBBC交響楽団を模範にした
管弦楽団の設立を模索し、
非ナチ党員であったシュミット=イッセルシュテットにその任を託しました。

シュミット=イッセルシュテットは実現に向け、
直ちに各地を回り楽団員を召集致しました。

楽団に与えられた早急の指名は
ナチスの統制下で圧迫を受けていた作曲家の作品の
掘り起こしと復権を行ない、
また放送用の音源コンテンツを提供できる体制を整えることにありました。

++++++++++++++++++++++

シュミット=イッセルシュテットは
超人的な速さでこれを実現し、
1945年8月にはユーディ・メニューインを招いて
第一回の演奏会を実現させました。

この時の演目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でした。

なお、この時点で北ドイツ放送(NDR)と
西ドイツ放送(WDR)とは未だ分割されておらず、
1956年まではこの管弦楽団を
北西ドイツ放送交響楽団
(Nordwestdeutschen Rundfunks Sinfonieorchester Hamburg)と
称していました。

また、現在のケルンWDR交響楽団は
1947年に既にその前進となるケルン放送交響楽団を
別途1947年に設立しています。

++++++++++++++++++++++

シュミット=イッセルシュテットの統率の下、
管弦楽団は飛躍的な進歩を遂げ、
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーや
ハンス・クナッパーツブッシュ等のトップクラスの
指揮者を客員に迎えるにいたりました。

シュミット=イッセルシュテットと
北ドイツ放送交響楽団は、1961年に西側の管弦楽団としては
初めて当時のソ連を訪れ、
モスクワとレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)で演奏会を行ない
喝采を浴びました。

その他にもその手兵たる楽壇を率いて
フランス・イギリス・北米などでの海外公演を実現させています。

++++++++++++++++++++++

就任後、26年にも亘り1971年7月31日の退任まで
事実上の音楽監督職も務めていた首席指揮者の地位にあり、
退任後は終身名誉指揮者とされました。

海外に於ける公演活動 [編集]戦後は、
北ドイツ放送交響楽団 を基盤にした活動の他にも、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初めとする
世界の114のオーケストラでタクトを執っており、
ハンブルク州立歌劇場やコヴェントガーデンなどの
主要な歌劇場でも活躍致しました。

また、1955年から1964年までは
ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も務めました。

++++++++++++++++++++++

音楽
]
特に、モーツァルトを敬愛し、自分にとても近しい存在だと述べ、
生涯をかけてその音楽を吸収しようと致しました。

その他、ハイドン、ベートーヴェンやブラームスら
古典、ロマン派の作品を主なレパートリーと致しました。

また、同時代の音楽の紹介と普及にも早くから関心を寄せ、
友人でもあったストラヴィンスキーを始め、
ヒンデミットやブラッハーなど積極的にとりあげ、
ハルトマンやラファエルなどの作品を初演し、
その造詣の深い指揮者としてもドイツ内外で名声を馳せました。
その音楽作りは、あざとさやけれん味がなく
、自然な息遣いとおおらかな流れが特長です。

++++++++++++++++++++++

評論家の門馬直美氏は、
「激しい熱気を漲らせるというよりも整理整頓したもので、
常に温和な格調を保っている。

そのしっかりとした重い厚い響きなどは、
いかにもドイツの主流をゆく指揮者といった感じを与える。」
と評されています。

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ハンス・シュミット=イッセルシュテット出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%88

ハンス・シュミット=イッセルシュテット
(Hans Schmidt-Isserstedt、1900年5月5日 ベルリン - 1973年5月28日)は、ドイツの指揮者。

来歴
生い立ち
ベルリン東部で200年続いていた旧家であるビール醸造所の息子として生まれる。
”イッセルシュテット”の名は母の旧性であり、
1928年にベルリンに在る多くのシュミット家と差別化するために改名したもの。
7歳の頃、実家の営むカフェに訪れた楽団に強く影響を受けバイオリニストを目指す。
音楽に造詣の深かった両親はバイオリンを買い与え、
9歳の時に家族でカール・ムックの指揮するワーグナーのローエングリンを
ベルリン王立歌劇場で観覧し、
以降次第に音楽に魅せられていった。

中でも、家族コンサートで演奏したモーツァルトのクラリネット協奏曲からは生涯における音楽的な影響を受けたと語っている。

また、指揮者となったきっかけには、アルトゥール・ニキシュの指揮する振舞とその音楽の創造性に感銘したことが決定的だと語っている。[1]

指揮者として
1918年にベルリンでアビトゥーアを取得、ベルリン・ミュンスター・ハイデルベルクに学ぶ。1922年3月には、ハインツ・ティーセン率いるベルリン大学楽団連盟のスェーデンツアー公演にコンサートマスターとして参加した。1923年からベルリン高等音楽学校において院長のフランツ・シュレーカーに作曲を師事、『イタリアがモーツァルト初期の歌劇作品の楽器構成に与えた影響』(原題:"Die Einflusse der Italiener auf die Instrumentation der Mozartschen Jugendopern")の論文で博士号を取得する。 1923年にバルメン(現在のヴッパータール)の歌劇場でコレペティートルを務め、1928年には自作『ハッサンの勝利』(原題:Hassan gewinnt)を演奏するにいたった。その後ロストック・ダルムシュタットで研鑽を積み、1935年にハンブルク国立歌劇場の首席指揮者となった。1942年にはベルリン・ドイツ・オペラの歌劇監督に就任。 1944年8月には芸術家としての保護恩赦Gottbegnadeten-Listeを受け、戦線に向かうことは無かったが、ナチス党員にはならなかった。

北ドイツ放送交響楽団の創立者として [編集]第二次大戦後、一月も立たない内に英占領軍のジャック・ボーノフ少佐は、占領地域の北ドイツに於いてBBC交響楽団を模範にした管弦楽団の設立を模索し、非ナチ党員であったシュミット=イッセルシュテットにその任を託した。シュミット=イッセルシュテットは実現に向け、直ちに各地を回り楽団員を召集した。 楽団に与えられた早急の指名はナチスの統制下で圧迫を受けていた作曲家の作品の掘り起こしと復権を行ない、また放送用の音源コンテンツを提供できる体制を整えることにあった。 シュミット=イッセルシュテットは超人的な速さでこれを実現し、1945年8月にはユーディ・メニューインを招いて第一回の演奏会を実現させた。この時の演目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だった。なお、この時点で北ドイツ放送(NDR)と西ドイツ放送(WDR)とは未だ分割されておらず、1956年まではこの管弦楽団を北西ドイツ放送交響楽団(Nordwestdeutschen Rundfunks Sinfonieorchester Hamburg)と称していた。また、現在のケルンWDR交響楽団は1947年に既にその前進となるケルン放送交響楽団を別途1947年に設立している。 シュミット=イッセルシュテットの統率の下、管弦楽団は飛躍的な進歩を遂げ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやハンス・クナッパーツブッシュ等のトップクラスの指揮者を客員に迎えるにいたった。 シュミット=イッセルシュテットと北ドイツ放送交響楽団は、1961年に西側の管弦楽団としては初めて当時のソ連を訪れ、モスクワとレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)で演奏会を行ない喝采を浴びた。その他にもその手兵たる楽壇を率いてフランス・イギリス・北米などでの海外公演を実現させている。 就任後、26年にも亘り1971年7月31日の退任まで事実上の音楽監督職も務めていた首席指揮者の地位にあり、退任後は終身名誉指揮者とされた。

海外に於ける公演活動 [編集]戦後は、北ドイツ放送交響楽団 を基盤にした活動の他にも、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初めとする世界の114のオーケストラでタクトを執っており、ハンブルク州立歌劇場やコヴェントガーデンなどの主要な歌劇場でも活躍した。 また、1955年から1964年まではロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も務めた。

音楽
]
特に、モーツァルトを敬愛し、自分にとても近しい存在だと述べ、生涯をかけてその音楽を吸収しようとした。 その他、ハイドン、ベートーヴェンやブラームスら古典、ロマン派の作品を主なレパートリーとした。 また、同時代の音楽の紹介と普及にも早くから関心を寄せ、友人でもあったストラヴィンスキーを始め、ヒンデミットやブラッハーなど積極的にとりあげ、ハルトマンやラファエルなどの作品を初演し、その造詣の深い指揮者としてもドイツ内外で名声を馳せた。 その音楽作りは、あざとさやけれん味がなく、自然な息遣いとおおらかな流れが特長である。

評論家の門馬直美氏は、「激しい熱気を漲らせるというよりも整理整頓したもので、常に温和な格調を保っている。そのしっかりとした重い厚い響きなどは、いかにもドイツの主流をゆく指揮者といった感じを与える。」[2]と評している。

++「続きを読むです2」++++++++++++++++++

5月5日出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
5月5日(ごがついつか)はグレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。

2011年 5月(皐月)
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
365日
各月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
目次 [非表示]
1 できごと
2 誕生日
2.1 人物
2.2 人物以外(動物など)
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 フィクションのできごと
5.1 誕生日
5.2 忌日
6 関連項目

できごと [編集]
フランスで174年ぶりに三部会が開催される(1789)
カーネギー・ホール開場(1890)
ストックホルムオリンピック開幕(1912)1789年 - フランスで、聖職者・貴族への課税を審議する三部会がルイ16世臨席の下、開会。
1889年 - パリ万国博覧会開幕。321mのエッフェル塔が公開される。
1891年 - ニューヨークにカーネギー・ホールが開場。
1912年 - 第5回夏季オリンピック、ストックホルム大会開催。7月22日まで。
1912年(ユリウス暦4月22日) - 『プラウダ』が創刊。
1921年 - 第一次世界大戦戦勝国によるロンドン講和会議で、ドイツに対し1320億マルクの賠償金支払い受諾を要求(ロンドン最後通牒)。
1925年 - 「衆議院議員普通選挙法」改正法が公布され、25歳以上の男子に選挙権が認められる。
1932年 - 上智大生靖国神社参拝拒否事件がおこる。
1936年 - 第二次エチオピア戦争:イタリアがエチオピアの首都アディスアベバを占領。戦争が終結。
1937年 - 岩手県釜石市が市制施行。
1944年 - 古賀峯一海軍大将の殉職が国民に伝えられた。
1945年 - 熊本県・大分県境にB29が墜落。米兵4人が虐殺され、残り6人も九州帝国大学で生体解剖。(九州大学生体解剖事件)
1949年 - 欧州評議会創設。これにちなんで欧州評議会は5月5日をヨーロッパ・デーとしている。
1951年 - 日本で「児童憲章」制定。
1952年 - 愛知県安城市が市制施行。
1955年 - 西ドイツが主権の完全回復を宣言。
1958年 - 多摩動物公園開園。
1961年 - アメリカ人宇宙飛行士アラン・シェパードが、アメリカ人としては初めて有人宇宙飛行を行った。
1965年 - 国立こどもの国開園。
1972年 - 東京都秋川市(現 あきる野)が市制施行。
1978年 - 成田空港問題: 京成スカイライナー放火事件が起こる。
1980年 - イギリスのイラン大使館占拠事件が解決する。
1982年 - シブがき隊がシングル『NAI・NAI 16』でレコードデビュー。
1983年 - 中国民航機韓国着陸事件
1984年 - 阪急神戸線六甲駅列車衝突事故
1988年 - 日本テレビがエベレスト山頂からの衛星中継を放映。
1995年 - 新宿駅青酸ガス殺人未遂事件
2000年 - 与野市・浦和市・大宮市(現在のさいたま市)で「さいたま新都心」が街開き。
2001年 - 千葉県四街道市で工場の従業員宿舎が全焼。11人死亡。
2007年 - 大阪府吹田市にあるエキスポランドのジェットコースター「風神雷神II」で脱輪事故。1人が死亡、19人が重軽傷。
誕生日 [編集] 人物 [編集]

神聖ローマ皇帝レオポルト2世(1747-1792)誕生
哲学者、セーレン・キェルケゴール(1813-1855)誕生。
絶望とは死にいたる病である。自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである。——『死に至る病』(1849)

経済学者、カール・マルクス(1818-1883)誕生。
哲学者はさまざまなやり方で世界をただ解釈してきた。しかし、肝要なのは、世界を変えることなのである。——『フォイエルバッハに関するテーゼ』(1845)

アイヌ語を研究した言語学者、金田一京助(写真左; 1882-1971)。石川啄木(右)の親友でもあった
小説家、中島敦。
共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。——『山月記』(1942)

ゲームデザイナー、ピーター・モリニュー(1959-)1210年 - アフォンソ3世、ポルトガル王(+ 1279年)
1560年(永禄3年4月10日)- 後藤基次、武将(+ 1615年)
1747年 - レオポルト2世、神聖ローマ帝国皇帝(+ 1792年)
1813年 - セーレン・キェルケゴール、思想家(+ 1855年)
1818年 - カール・マルクス、経済学者・思想家(+ 1883年)
1826年 - ウジェニー・ド・モンティジョ、フランス皇后(+ 1920年)
1829年 - ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト、医師、日本の近代医学の草分け(+ 1908年)
1833年 - フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン、地理学者、探検家(+ 1905年)
1842年 - ヴィクトル・ハルトマン、画家、建築家(+ 1873年)
1846年 - ヘンリク・シェンキェヴィチ、小説家(+ 1916年)
1858年 - ピエール・アドルフォ・ティリンデッリ、作曲家・ヴァイオリニスト(+ 1937年)
1862年 - ジークベルト・タラッシュ、チェスプレーヤー(+ 1934年)
1864年 - ネリー・ブライ、ジャーナリスト(+ 1922年)
1865年(慶応元年4月11日) - 石井十次、社会事業家(+ 1914年)
1869年 - ハンス・プフィッツナー、作曲家(+ 1949年)
1878年 - 佐々木隆興、医学者(+ 1966年)
1882年 - 金田一京助、言語学者(+ 1971年)
1884年 - チーフ・ベンダー、メジャーリーガー(+ 1954年)
1900年 - 平野威馬雄、詩人、フランス文学者(+ 1986年)
1900年 - ハンス・シュミット=イッセルシュテット、指揮者(+ 1973年)
1903年 - 丸岡秀子、評論家(+ 1990年)
1907年 - 松平頼則、作曲家(+ 2001年)
1909年 - 中島敦、小説家(+ 1942年)
1910年 - レオ・レオニ、児童文学作家・絵本作家(+ 1999年)
1911年 - 市古貞次、国文学者(+ 2004年)
1912年 - 清水金一、喜劇俳優(+ 1966年)
1913年 - 近藤芳美、歌人(+ 2006年)
1914年 - タイロン・パワー、俳優(+ 1958年)
1915年 - アリス・フェイ、女優(+ 1998年)
1916年 - 山口政信、プロ野球選手(+ 1976年)
1917年 - 木原太郎、物理学者(+ 2001年)
1919年 - ゲオルギオス・パパドプロス、ギリシャ大統領(+ 1999年)
1921年 - ミスワカサ、漫才師(+ 1974年)
1921年 - アーサー・ショーロー、物理学者(+ 1999年)
1922年 - 山崎竜男、政治家(+ 2009年)
1924年 - 岩崎純三、政治家(+ 2004年)
1925年 - 菊村到、作家(+ 1999年)
1929年 - 斉川一夫、俳優
1934年 - 海老沢勝二、第17代NHK会長
1935年 - 岡嶋博治、プロ野球選手
1938年 - バーバラ・ワグナー、フィギュアスケート選手
1940年 - ランス・ヘンリクセン、俳優
1941年 - 若乃洲敏弥、大相撲力士(+ 1984年)
1942年 - 嶌信彦、ジャーナリスト
1942年 - 地井武男、俳優
1942年 - 船田和英、プロ野球選手(+ 1992年)
1943年 - マイケル・ペイリン、コメディアン・俳優(モンティ・パイソン)
1944年 - 松岡達英、絵本作家・イラストレーター
1944年 - 高橋善正、プロ野球選手
1944年 - 時葉山敏夫、大相撲力士、年寄富士ヶ根(+ 1995年)
1944年 - ジャン=ピエール・レオ、俳優
1945年 - ジミー・ロザリオ、プロ野球選手
1945年 - マイク・ベネツィア、騎手(+ 1988年)
1946年 - 坂口尚、漫画家(+ 1995年)
1946年 - ウラジーミル・トゥクマコフ、チェスプレーヤー
1947年 - Dr.コパ、建築家・風水師
1947年 - 伴大介、俳優
1947年 - 佐藤道郎、プロ野球選手
1947年 - 矢崎節夫、児童文学作家
1948年 - 笹岡繁蔵、声優(+ 1998年)
1948年 - 桑原隆、サッカー選手、指導者
1948年 - ビル・ワード、ドラマー(ブラック・サバス)
1949年 - 浮川和宣、ジャストシステム創業者
1949年 - 大村憲司、ギタリスト(+ 1998年)
1949年 - 桑野議、プロ野球選手
1951年 - モト冬樹、タレント・ミュージシャン
1953年 - 金田一秀穂、言語学者
1953年 - 天野滋、ミュージシャン(+ 2005年)
1954年 - デーブ・スペクター、TVプロデューサー・タレント
1955年 - 近藤雄介、アナウンサー
1955年 - 宮田律、政治学者
1957年 - 石橋貢、プロ野球選手
1958年 - そうる透、ミュージシャン・ドラマー
1959年 - スティーヴ・スティーヴンス、ギタリスト
1959年 - ピーター・モリニュー、ゲームクリエイター
1960年 - 奥山一寸法師、実業家
1961年 - 渋谷哲平、俳優・歌手
1961年 - 馳浩、プロレスラー・政治家
1961年 - 杉永政信、プロ野球選手・審判
1961年 - 春川正明、読売テレビ解説委員
1962年 - 和田薫、作曲家
1963年 - 工藤公康、プロ野球選手
1963年 - 佐藤竹善、ミュージシャン(Sing Like Talking)
1963年 - ジェイムズ・ラブリエ、ミュージシャン(Dream Theater)
1963年 - 長田弘幸、パラリンピック・ノルディックスキー選手
1964年 - 高山みなみ、声優・ミュージシャン(TWO-MIX)
1965年 - 大橋隆志、ミュージシャン
1966年 - ジョン・健・ヌッツォ、歌手
1967年 - 葛西稔、プロ野球選手
1967年 - 子安武人、声優
1968年 - 森川美穂、歌手・女優
1968年 - 渡辺陽子、アナウンサー
1968年 - 渡部篤郎、俳優
1969年 - 伊良部秀輝、プロ野球選手
1969年 - 仙田和吉、毎日放送アナウンサー
1969年 - ソフィー・モニオット、フィギュアスケート選手
1970年 - 飯野賢治、ゲームクリエイター
1970年 - YOGGY、DJ(EAST END)
1971年 - 田中哲司、俳優
1972年 - 長見賢司、プロ野球選手
1974年 - 荒聖治、レーシング・ドライバー
1974年 - 小林徹弥、騎手
1975年 - ただすけ、ミュージシャン
1975年 - 井上麻美、歌手、タレント
1975年 - 沈正洙、野球選手
1976年 - フアン・パブロ・ソリン、サッカー選手
1977年 - 田中雅興、プロ野球選手
1978年 - 幕田賢治、プロ野球選手
1979年 - 中谷仁、プロ野球選手
1979年 - 大谷未央、サッカー選手
1980年 - ヨッシ・ベナユン、サッカー選手
1980年 - 松浦宏治、サッカー選手
1980年 - 翁長吾央、プロボクサー
1981年 - ビートまりお、同人歌手
1981年 - クレイグ・デイヴィッド、歌手
1984年 - 金澤岳、プロ野球選手
1985年 - 中川翔子、マルチタレント
1986年 - 吉原夏紀、タレント
1987年 - 手塚りえ、グラビアアイドル、桜(もも)mint'sメンバー
1987年 - ほしのみゆ、AV女優
1988年 - アデル、歌手
1988年 - 矢口はな、AV女優
1988年 - ブルック・ホーガン、歌手
1988年 - スカイ・スウィートナム、歌手
1989年 - クリス・ブラウン、歌手
1989年 - 鈴木裕斗、声優
1992年 - 深澤辰哉、ジャニーズJr.
1992年 - 安田遼、タレント
1993年 - ヴィクトリア・ヘクト、フィギュアスケート選手
生年不詳 - 鈴木菜穂子、声優
生年不詳 - 金子英彦、声優
生年不詳 - 石松千恵美、声優
人物以外(動物など) [編集]2005年 - サクセスブロッケン 競走馬
忌日 [編集]
ローマ皇帝ガレリウス(250-311)没。キリスト教徒を迫害した最後の皇帝であった
ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)、幽閉先のセントヘレナ島で没。現在も死因は不明。
戦争は、我が手中にある無政府状態の解毒剤であった。

数学者ペーター・グスタフ・ディリクレ(1805-1859)没。関数に現代的な定義を与えた
海洋画家、イヴァン・アイヴァゾフスキー(1817-1900)。画像は『第9の波濤』(1850)
アール・ヌーヴォーからアール・デコにかけてのガラス工芸家ルネ・ラリック(1860-1945)。画像は『鶏』311年 - ガレリウス、ローマ皇帝(* 250年)
1061年(康平4年4月13日)- 藤原信家、公卿(* 1018年)
1194年 - カジミェシュ2世、ポーランド王国ピャスト朝国王(* 1138年)
1237年(嘉禎3年4月9日) - 藤原家隆、公卿・歌人(* 1158年)
1309年 - シャルル2世、ナポリ王(* 1248年?)
1582年 - シャルロット・ド・ブルボン=ヴァンドーム、オラニエ公ウィレム1世の妃(* 1546年?)
1682年(天和2年3月28日)- 西山宗因、俳人・連歌師(* 1605年)
1705年 - レオポルト1世、神聖ローマ皇帝(* 1640年)
1714年 - シャルル・ド・ブルボン、フランスの王族、ベリー公(* 1686年)
1717年 - フランソワ・ド・カリエール、外交官(* 1645年)
1782年(天明2年3月23日)- 楫取魚彦、国学者・歌人(* 1723年)
1821年 - ナポレオン・ボナパルト、フランス第一帝政皇帝(* 1769年)
1827年 - フリードリヒ・アウグスト1世、ザクセン王(* 1750年)
1839年 - エドゥアルト・ガンス、法学者(* 1797年)
1859年 - ペーター・グスタフ・ディリクレ、数学者(* 1805年)
1863年(文久3年3月18日)- 井田磐山、書家(* 1767年)
1892年 - アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン、化学者(* 1818年)
1900年 - イヴァン・アイヴァゾフスキー、画家(* 1817年)
1921年 - アルフレッド・フリート、法学者・平和運動家(* 1864年)
1928年 - 尾上松助 (4代目)、歌舞伎役者(* 1843年)
1934年 - 中村憲吉、歌人(* 1889年)
1942年 - 豊國福馬、大相撲力士(* 1893年)
1945年 - ルネ・ラリック、フランスのガラス工芸家・宝飾デザイナー(* 1860年)
1947年 - 鹿嶌洋起市、大相撲力士(* 1914年)
1949年 - 長田秀雄、詩人(* 1885年)
1955年 - ルイ・ブレゲー、飛行機技師(* 1880年)
1956年 - 申翼煕、韓国の国会議長(* 1894年)
1957年 - ミハイル・グネーシン、作曲家(* 1883年)
1959年 - カルロス・サアベドラ・ラマス、アルゼンチン外相・国際連盟事務総長(* 1878年)
1969年 - エディ・シーコット、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1884年)
1976年 - アリソン・アトリー、童話作家(* 1884年)
1977年 - ルートヴィヒ・エアハルト、ドイツ連邦共和国第2代首相(* 1897年)
1981年 - パウル・ヘルビガー、俳優(* 1894年)
1981年 - 清水多嘉示、彫刻家(* 1897年)
1984年 - 吉岡隆徳、陸上競技選手(* 1909年)
1989年 - カレル・ゼマン、アニメーション監督(* 1910年)
1990年 - レジナルド・グッドオール、指揮者(* 1901年)
1994年 - 沼田恵範、宗教家・実業家・ミツトヨ創業者(* 1897年)
1995年 - ミハイル・ボトヴィニク、第7・9・11代チェスの公式世界チャンピオン(* 1911年)
1996年 - サリー・テリー、歌手(* 1922年)
1996年 - 艾青(zh:艾青)、詩人(* 1910年)
1998年 - トミー・マクック、サクソフォーン奏者(* 1927年)
1999年 - 中島河太郎、ミステリー評論家(* 1917年)
1999年 - 上野俊樹、経済学者(* 1942年)
2000年 - 奥野高廣、歴史学者(* 1904年)
2000年 - ジーノ・バルタリ、自転車競技選手(* 1914年)
2001年 - ブーズー・チェイヴィズ、ザディコミュージシャン(* 1930年)
2002年 - 塩谷庄吾、俳優(* 1966年)
2004年 - ホセ・マセダ、作曲家(* 1917年)
2004年 - コクソン・ドッド、音楽プロデューサー(* 1932年)
2004年 - 岡崎律子、シンガーソングライター(* 1959年)
2005年 - 遠藤浩、法学者(* 1921年)
2006年 - 金谷治、思想史家(* 1920年)
2006年 - 岩田順介、政治家(* 1937年)
2006年 - 上本孝一、プロ野球審判員(* 1963年)
2007年 - セオドア・メイマン、物理学者(* 1927年)
2007年 - 今村仁司、哲学者(* 1942年)
2008年 - 朴景利、小説家(* 1926年)
2009年 - やまだ紫、漫画家(* 1948年)
2010年 - 田宮謙次郎、元プロ野球選手・監督(* 1928年)
2010年 - ジュリエッタ・シミオナート、メゾソプラノ歌手(* 1910年)
2010年 - ウマル・ヤラドゥア、ナイジェリアの政治家、第13代大統領(* 1951年)

記念日・年中行事

こどもの日、端午の節句
ヨーロッパ・デー。1949年の欧州評議会創設にちなむこどもの日(日本)

国民の祝日の一つ。
ゴールデンウィーク(日本)

端午の節句
おもちゃの日
日本玩具協会・東京玩具人形問屋協同組合が1949年に制定。
端午の節句に因み、おもちゃや人形のPRの為に設けられた。

子供へ本を贈る日
書籍取次のトーハンが制定。

わかめの日
日本わかめ協会が1983年に「こどもの日」に因んで制定。

シンコ・デ・マヨ(メキシコ、アメリカ合衆国)

ヨーロッパ・デー
1949年の欧州評議会創設にちなむ。

手話記念日
日本デフ協会が2003年に制定。手話が左右の五本指を使うことから。

自転車の日
自転車月間推進協議会が1998年に制定。5月の自転車月間の中の祝日を自転車の日とした。

薬の日
全国医薬品小売商業組合連合会が1987年に制定。
611年(推古天皇19年)のこの日、推古天皇が大和の兎田野で
薬草を採取する薬狩りを催し、
これから毎年この日を「薬日(くすりび)」と定めたという故事に因む。

フットサルの日
フットサルに関する事業を行う株式会社エフネットスポーツが制定。
フットサルが5人対5人で行うスポーツであることから。

レゴの日
デンマークのプラスチック製ブロック玩具・レゴの日本法人であるレゴジャパンが制定。
「0505(レゴレゴ)」の語呂合わせによるもの。

立夏(日本、2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が45度の時で、夏の気配が感じられるころ。

ジャグラーの日
パチスロ『ジャグラー』シリーズを販売する北電子が制定。
同シリーズのボーナス確定ランプの
「GOGO」の語呂合わせによるもの。
2008年8月に 日本記念日協会にて認定を受けた。