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リーガはバルト三国最大の都市で,普通に都会である.見所も多いし治安もかなりいいし買い物もしやすいし,観光地として一般的にお勧めできると思う.物価が高くなるのはやむを得ないが,西欧の先進国よりはまだやや安いかもしれない.ただし,ホテルの値段は西欧並.
ていうかこのクラスの都市としては,治安の良さは特筆すべきだと思う.昼間は町を歩いていてほとんど不安を感じない.夜中は酔っ払いが騒いでいることがあるようだが.
街並マニア的には,ここは旧市街よりもむしろ新市街が興味深いという珍しい例である.いや旧市街もそれなりにいろいろあるのだが,多数のアールヌーボー建築が構成する新市街はかなりナイスだ.そもそも,長い歴史の中でわりといろんな時代の建物が混在しているそうだ.
住人のラトビア人率はそれほどでもないとガイドブックに書いてあったが,確かに予想以上にロシア語が幅をきかせていた.案内などにロシア語が併記されてるのはもちろん,日常会話がロシア語でされているのも頻繁に耳にした.
あと猫が多い.しかもわりといいものもらってる様子.観光名所などでは人に寄ってくる猫すらいる.

フィンエアーは評判がわりとよいそうだが,主に安全性とか定時性とかそういうので評価されてるのかな.確かに乗り継ぎスケジュールはかなりよかったし,ヨーロッパまで最短時間で行けるわけだし,遅れもほとんど無かった.行きのスケジュールなど乗り継ぎ時間がたったの1時間で,ほとんど限界スレスレだった.
機内設備とか機内食とかサービスとかそういうものは別に普通.というか設備とかは微妙にくたびれてる感あり.まあ,ビジネスクラスのサービスがすばらしいとかだったら俺には知りようもないことだが.あと機内用のイヤホンがすごくでかいので,耳が痛くなって難儀をした.
トイレが少ないようで,妙にいつでも行列ができていたのも地味に困った点である.もしかするとやたらに長く使う人が多かったのかもしれないが.
どうでもいいが乗員の制服は地味である.
タシケントは60年代の大地震の際に大規模な再開発をしてしまったせいで,ごちゃごちゃした旧市街的なエリアがもうあまり残っていない.結果としてなんだかロシアの町のように見える.ロシア系住民も多いし,ロシア語表記もよく見かけるし.ビシュケクとかアルマトゥなんかもこんな感じだろうか.
ただこれだけロシア風の大都市にもかかわらず,バザールとそれ以外の場所ではにぎわいにかなりの差があった.値段がどうとかでは理解しがたいほど違う.このあたりの人々にとって,買いものといえばやはりまず第一にバザールになるんだろうか? マレーシアの人々が屋台大好きみたいなものか?
ここには中央アジアで唯一地下鉄が走っているのだが,ハンガリーやチェコなんかで見た車体とそっくりだった.旧共産圏では,科学技術の類はだいたいソ連から来てたんだろう.どうでもいいが,乗り換え駅が複数の名前を持つ仕様は最初戸惑った.
ところでこの国にはマクドナルドやKFCなんかが存在しないのだが,首都にはやはりそれなりのファーストフード店のようなものがあった(いや,ケバブの屋台とかじゃなくて).見たこともないようなブランドだったが.

いわゆる「青の都」であるが,正直今はそんな言うほど青くない.現在のこの町は,トタン屋根と細い路地の住宅街+ロシア風の新市街,それに加えてところどころ古いイスラム建築が残っている感じ.というか,シャフリサブスの規模が大きくなったような感じ.旧市街も頻繁に建てかえたり壊したり作り直したりしてるようなので,ブハラと違って古い街並がそのまま残っているわけではないようだ.
わりと大きな町なので,新市街のちょっとお洒落な店などがそれなりに充実している.ネットカフェや食事する店などの選択肢も広いし,スーパーマーケットと称する店すら存在する(日本人の感覚から言うと,「スーパー」とはやや違う気もするが).ウズベキスタンの人々はわりと服にこだわる傾向にあるせいか,ブランドものの服屋などもけっこう見かけた.
サマルカンドのイスラム建築は,さすがにかなり見ごたえのあるものが多い.ただし入場料は(特に外国人は)わりに取られる.入場券の値段の欄が手書きだったりするので,ほんとうはちゃんと交渉すべきなのだろう.百円二百円を交渉するのが面倒で,つい言い値で払ったりしてたが.こっそり某ミナレットに登らないかと誘ってくる警備員だけは,1000円とか無茶苦茶言うのでさすがにちょっと交渉した.
あとシャフリサブスから来る途中の道がちょっとした山越えで,噂通り景色がよかった.旅行者がわざわざ行く価値はあると思う.
街道の町.南方からサマルカンドへ向かう道の途中がこの町のメインストリートで,重要な施設は全部この道沿いにある.周囲はほぼ住宅街である.
英語で話しかけてきた人がいて,「こんなところで一人旅の日本人を見たのは初めてだ」などと言う.観光地でむこうから英語で話しかけてくるのは大体ろくでもない話だが,ここでは本当にちょっと話しかけてきただけだった.必死に英語で話しかけようとする地元の学生にも会ったし,単に外人が珍しいだけかも.ただ,日本人旅行者なんか世界中にいるような気もするが.
まあ,確かに観光客が長居するところじゃないのかもなあ.ホテルも一軒しかないようだし,たいていの旅行者はサマルカンドから日帰りするらしいし.でも,小さいながらも青いタイルのモスクやマドラサ,聖者廟や路地裏の散策,バザールなども見ることができて悪くないと思う.地方都市ながらそこそこ活気はありよい雰囲気なので,(寒い時期でなければ)茶でも飲みながら行き交う人々を眺めているのも悪くなさそうだ.

この町は旧市街と新市街の差がとても激しい.旧ソ連的大味な通りがえんえんと続く新市街に対し,せまーい土の路地がごちゃごちゃと続いている旧市街.うっかり休日の新市街に入りこんでしまうと,なかなか寂しい気分が味わえる.
旧市街の中心部には歴史的建造物が集まっていて,眺めているぶんには格好よい.ただすでにけっこう観光化されていて,お土産屋の攻勢が正直うっとおしいレベルになっているのが残念.どうでもいいが,土産物売りは日本人を正確に識別するのがちょっと面白い.普通の人達はよく韓国人や中国人と間違ったりするのだが.
これはという建築があるわけではないのだが,もしかすると路地をぶらぶら散歩するほうがおもしろいかもしれない.歴史的街並には違いないしね.ただ旧市街にはあまり店や食堂などが存在せず,食事や休憩などでちょっと困るのだが.小さな露店のようなものならときどき交差点などでみかけるが,そのぐらいである.地元の人は,しっかり買い物するならバザールでするみたいだが,俺はロシア語がほとんどできないのでそう簡単にはいかず.
いや別に国際線には特に問題はないのだ.機内モニタがいくつか映らないとかほとんど日本語のできる乗務員がいないとかそんなのは大したことではない.
問題にしたいのは国内線だ.超年期の入ったヤコブレフ40のガタガタのシートや,いっぱいまで引っ張ってもちゃんと閉まらないシートベルトや,貨物もついでに突っ込んであります的な謎の荷物の山はちょっとどうなのかなあと思うのだ.
搭乗のときには搭乗券を切るわけだが,普通と逆にでかい方の半券を返されて変だなあと思っていたら,予想通り自由席だった.ていうか俺の搭乗券に書いてあった(はずの)席には貨物が山積みだったわけだが.
あとブハラ空港に着いて,人の流れにそって歩いていたらそのまま空港の外に出てしまった.到着ロビーとかそういうのは別にどうでもいいのだろうか.まあ用があるわけじゃないし,問題ないと言えばないのかもしれない.
首都だけあって,この町は立派な大都市だ.わりと何でもある.近代的な高層ビル群やお洒落なお店もあれば,屋台街や夜市,ごちゃごちゃした路地もある(マレーシアの人は本当に屋台が好きなようだ.どこの町にも屋台街や夜市の類はあるみたい).観光スポットもいろいろあるので,チェックポイント巡回型が好きでも安心.物価もまだまだ安めだが,物売りの類がしつこいとか治安がものすごく悪いというほどのことはない.アジア的な大都市を楽しみたいというのであれば,なかなかバランスがよろしいと思う.少なくとも,今は.
しかしコタバルとかとの差はものすごい.同じ国とは思えん.ブルノとプラハの差なんて全然まったく目じゃないね.ひとむかし前の日本みたいに,地方から出てきておろおろしてる人とかたくさんいるんだろうなあ.長距離バスターミナルなんかも,誰かが「一昔前の上野駅」とか形容していたが,たしかにそんな感じだ.
この町では猫をほとんど見かけなかったので,そこは残念であった.まあ大都市だからある程度はしょうがないのかもしれないが.たまたま通った場所にあまりいなかっただけかな?
マラッカ→コタバルは長距離夜行バスで移動し,これはそんな特筆するようなこともないのだが(冷房が強烈で死にそうだったことぐらいか.Yは先頭の席だったのでジャングルの中を疾走する景色がよく見え,わりに興味深かったらしい),コタバル→クアラルンプールは(後半で疲れていることもあって)飛行機移動にした.で,この際に各所で噂の激安会社AirAsiaの飛行機に乗ってみたのである.
で,話に聞いていた
・搭乗券がレシートみたいな安っぽさ
・飛行機なのに座席指定がない
・飲み物とかは有料
・異様に安くてもちゃんと飛ぶ
というのは全部事実であった.すべての努力をコストダウンの方向に費しているとは言え,バスで一晩かかる距離を飛行機で移動して二人6000円(諸費用込み)というのはすごいと思う.これでも最安チケットではなかったし.ていうか「墜落するとものすごくコストがかかるから,落ちはしないように整備とかはちゃんとやってる」という噂はどこまで本当なのだろうか.
今回は遅れもなかったので,非常に良い移動であった.けっこう遅れることはあるらしいけどね.
えー,結論から言うとここは別に観光地でもなんでもないようだ.いちおう町のあちこちに観光案内板みたいのがあることはあるが,普通の旅行者にとって魅力的な観光スポットとかそういうのはちょっと期待しないほうがいいと思う.この町は,北上してタイに行く人とか,島のリゾートに行く人とか,ジャングルトレッキングに行く人とか,そういう旅行者が通るところらしい.
街並もすごく地味だ.マラッカの郊外みたいなのが全体に広がってる感じ.そもそも人口もそんなに多くないと思う.小綺麗なショッピングモール的なものは,町にひとつだけ存在してるようであった.
町の暮らしをのぞき見して面白いと思う向きには,マレーシア西海岸の町とはだいぶ雰囲気が違うので興味深いと思う.ほとんどの住民がイスラム教徒で朝晩お祈りしなさいコールが流れるとか,夜が異様に早い(18時にはほとんどの店が閉まる)とか,食事の注文方法が謎の申告制だったりとか,中央市場が本当に地元民の生活基盤になってたりとか,いろいろ見ることができる.お祈りタイムには夜市(屋台街)が一斉に一時閉店したりするのだ.隠れてごはん食ってる奴が説教されたり,外人客すらとりあえずすみっこにのけられていた.
ただ乾季に行ったせいか,とにかく暑くて乾燥してたのには参った.気軽に散歩もできない勢い.アイスコーヒー(激甘)飲みながらぐったりしていた.
あとここもそこらじゅうに野良猫がいた.暑いせいか町があまり豊かじゃないせいか,なんか弱り気味の猫も多かったが.屋台のおこぼれをもらったり縁の下で強烈な日差しをしのいだりして暮らしているらしい.
いちおう観光都市だと思うのだが,正直地味である.それなりに見所もあるのだが.とりあえず,チャイナタウンを中心とした,いろんな影響の混じった独特の街並はなかなか興味深い.綺麗に残っているショップハウスはかなり格好いいと思う.こういうのをもっと保全していくと観光地としてどしどし売り出せなくもないかもしれないが,そうするとのんびり散歩できる魅力は薄れるのかもねえ.
中心部をはずれるとけっこう気の抜けた適当な街並になるんだけど,もともとこうなのか古い町が壊れて適当に再開発していったのかはよくわからない.のんびりした雰囲気もあって,なんだかポカラ(ネパール)の郊外を連想した.
今の地味さは,アクセスの悪さも原因の一つなのかもしれない.わざわざ寄らないと来れない位置にあるもんな.バスターミナルはすごく立派で,綺麗なショッピングモールも併設されててとても良いんだけどね.市内バスの乗りかたは慣れるまでわかりにくいが.
あと野良猫がやたらにいた.野良猫っていうか誰かごはんあげてるのかもしれないけど.
いやこれはオマケなのだが,ある意味今回最もびっくりした.
今回は航空券の都合上行きは北京,帰りは上海で乗り継ぎだったのだが,どうもなんだか変だったのだ.
まず行きの北京では,単に乗り継ぎなだけなのに入国・出国カードが何故か必要に.しかも北京→ウィーン便,ウィーン→ブダペスト便はチェックインしてないのにいつのまにか席が決まってて,北京で搭乗券を手渡しされた.
これだけでも何か変わってるなあと思ったのだが,帰りの上海ではもっと変だった.到着して乗り継ぎカウンターなり通路なりを探すのだがちっとも存在せず,そもそも一回ゲートを出て中国に入国するしかない模様.つまり,一回入国してあらためて普通に上海→関空便をチェックインし,出国しなおすのである.待ち時間が4時間ばかりあったから,行こうと思えば上海市街に行けてしまうのだ.ふつう,それ用の航空券じゃないとストップオーバーはできない気がするんだけど.
そもそもこういうのって普通トランジットとは言わNeeeeと思ったんだけど,よくあることなの? ウィーンやアムステルダムが特殊なの?
プラハもけっこうゴジャースだ.ウィーンほどではないかもしれんが.
何がゴジャースってとりあえず物価が.宿代なんかブルノの倍はしたぞ.同じ国とはとても思えん勢い.まあ,そのぶん今回一番きれいで便利な部屋だったけどね.ぼろい安宿とかももっと探せばあったのかなあ.それにしてもウィーンより高いなんて.
建築見物的にはプラハはなかなか面白い.宮殿系から変な現代建築まで,なんでもある.それでいて,フンデルトヴァッサーハウスみたいにものすごく我が強いということもなく,それなりに全体として街並になっている気がした.まあ「地味」とも言うのかもしれないが,みんながちょっとずつ好き勝手してる雰囲気はわりと好ましいと思う.
この町は完全に先進国の雰囲気だったのだが,今回物乞いを一番多く見たのもここである.それも一種の先進国の情景なのだろうか.ていうか,ブルノと差がありすぎだってば.
ここではとにかく道に迷った印象が残っている.まあわたしが知らない町に行くとだいたい一度は道に迷うものだが(それもどうかと),ここではお城のある丘に到達するのにたっぷり一時間以上はおなじようなところをぐるぐる回っていた気がする.なんか行けそうで行けないところがあったり,案内板が変なほうを差していることがあったりしたと思うんだけど,気のせいだろうか.
まあお約束通り,必死にたどりついたお城の展示は休館日だったわけだが.冬季は休みが多くなるね.しょうがないけど.
あとここでは珍しくインフォメーションや旅行会社を通さず直接ホテルを決めてみた.建物にちょっと特徴があるとかいうのでそこに行ったのだが,某歩き方に載ってるせいか日本人客がけっこう泊まっていた.どうでもいいがチェコまで来て痴話喧嘩すんなよ.
チェコはスロバキアと比べて明らかに豊かだ,というのが町を見ているとよくわかる.生活に全然必要ないもの(レジャー用品とか)がどれくらい売ってるかってひとつの尺度かね.
この日はとにかく風が強くて寒くてたまらんかった.気温がそもそも0度ぐらいだったので,体感気温はどのくらいだったのやら.しかも,次の朝出発するときには吹雪いてましたよモウ.
町の散歩をするにはあまりに辛いので,いろいろと微妙なことに楽しみを見出す.お城の丘を登ってきたあげく休館日なのに気付いてがっかりする人達を観察したり,ショッピングセンターの喫茶店でぼんやりしてみたり,スーパーでおそうざいを買って晩御飯にしてみたり.現地語の「100」だけ覚えておいたので,計り売りのサラダみたいなのも買えましたよ.
そもそもここはあまり観光地じゃないし,とんでもない寒さだしであまり他の観光客も見なかった.日本人かなと思った人は一人だけであったよ(確認はしてない).ウィーンではあんなに見たのに.
地味だけど町の雰囲気は悪くなかったので,せめてもう少し風が弱かったらなあ.
ウィーンはとにかくゴジャースである.
- 建物がどこも壊れてないし,車も列車もぴかぴか
- キレイなお店もいっぱい
- すごい美術館や博物館もいっぱい
ハンガリーからオーストリアに入ったとたん,ほんとにいきなりきれいになるのだった.この町までがいわゆる「西側」なんだろうなあ.人々の喫煙率も急低下,物価は急上昇ですよ.
でも,大観光地だから日曜にしても大丈夫だろう,と思ったのはさすがに甘かったようで,店とかは軒並お休み.昼すぎからどんどん寒くなってしまいに雪が降り出すし,あんまりうろうろすることもできなかった始末.
とりあえず今回わかったこと.
- フンデルトヴァッサーは好きになれない
- 結局,絵画のよさは俺にはわからない
- キリスト教国の日曜に多くを期待するな
国境の小さな町で,「ヨーロッパの古い町」と言って想像するイメージに近い感じ.まあ,見所の旧市街をちょっとはずれると,やっぱりとたんに建物とかボロくなるんだけど.
2chで噂を聞いていたとおり,歯医者がやたらに多かった.そういえばブダペストでもらった観光マップにも歯医者の位置はちゃんと書いてあったなあ(ハンガリーは歯医者が優秀なので有名らしい).
あと国境の町らしく,ドイツ語併記が徹底していた.通りの名前の看板すらそうだったよ.オーストリアから,歯医者とかちょっと観光とかで客がけっこう来るという話も本当なのだろう.
どうでもいいが,泊まったところに猫がいて,チェックアウト時にはじめて姿を見せた.もっと出てきてもいいのに.