海月玲二

カテゴリ別リスト:趣味日記-旅行(337件):新しい順

検索結果:337件中 201件-225件


橋の町.町の象徴もであり主な観光名所であるところのスターリモスト「古い橋」を中心とした町である.観光客的には,ほぼこの橋周辺しか見るところはないので,ドブロヴニクやサラエボからの日帰りで来る人が多いと思われる.じっさい,日が落ちたらずいぶん静かになった.コトルなんかと同じパターンだ.

この町のあたりは,ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争のときは激戦地になったらしい.橋もそのとき落とされたのだが,十年ほど前に再建されている.それでまあ,最近は観光客の皆さん来てくださいねアピールもしてるようである.……のだが,まだ壊れたままのビルはけっこう残っていた.弾痕がどうこうという以前に,見るからに廃ビルな感じのものが中心部にもわりとあるのだ.やはりそう簡単にはいかんものである.まあ,少なくとも橋を中心とした旧市街はおおむね修復が完了しているので,とりあえずそこだけ見ておくぶんには大丈夫といえば大丈夫.何が大丈夫か知らんが.

戦時中に川の両岸をそれぞれクロアチア人とムスリム人(ボシュニャク人と呼ぶほうがいいのか?)勢力が押さえ,今でもそのまま分かれて住んでいるそうだ.一見,川の両側に同じような感じでそれぞれの勢力の町があるようにも思えるが,クロアチア人側のほうが奥が広い.ショッピングセンターやきれいめなホテルなんかもだいたいこっち側にあるようだ.ショッピングセンターにはそこそこ人が入っていて,それなりに賑わっていた.

この町を見ていてどうも不思議だったのは,町のみんなが集まるような中心地がどこなのかよくわからなかったことである.ふつう中心街や中央広場のようなものがあって,夏の晩などはみんなでそこに繰り出したりするもんだが,ここでは町のいろんなところでばらばらと人の姿が見られる感じだった.というか今でも川の両岸の行き来は少ないのだろうか.確かに橋を渡ってるのは観光客ばっかりだったけど.


このエントリーからしばらく夏の旅行.今回も性懲りもなくバルカン半島にやってきた.主な行き先はボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアとスロベニアである.

今回はサラエボ着ザグレブ発で飛行機を取ってみた.サラエボ空港は,地方都市の空港によくある,到着ホールと出発ホールが別に分けられてないタイプである.ティラナとかザグレブとかの空港と同じような規模だ.まあ規模は別にいいが,町までの公共交通機関が存在しない,という点はちょっと難儀なことである.基本的にはタクシーを使えということらしい.ヨーロッパの空港でこういうのは初めてである.トビリシ空港なんかも需要のかなり少なそうな空港だったが,あれはまだ,空港近くの住宅街に向かう市バスが空港にも行ってくれてるのでなんとかなった.サラエボでは,空港に直接向かうバスは廃止になってしまったらしい.

しかたがないので,タクシーが嫌いだという俺みたいな手合いは,空港からちょっと歩いて市バス(トロリーバスだけど)停留所まで行く必要がある.具体的に言うと,(1)空港を背にして進み,なんとかしてBraće Mulićなる大通りに出る (2) その通りを,空港を背にして右方向にしばらく進む (3) Mercatorというでかいスーパーの手前が停留所なので,103番のトロリーバスに乗るべし.

というかLonely planetとか読めば書いてあるけど.あたりは単なる住宅街なので,夜じゃなければ別に危険なことはないと思う.たいして遠いわけではないし.バス停の前に売店もあるので,ちゃんと切符も買えるぞ.


各種カレー.カレーをかける対象はけっこういろいろあって,ごはん,ロティ(小麦粉にココナツを混ぜて生地を作るクレープ状のやつ),ホッパー(お椀状のクレープ),ストリングホッパー(麺状の食べもの)などなど.わりと粉もん天国だと思う.でもいわゆるナンはあまり食べないようで,そのへんはインドとは違うみたい.あとホッパーとストリングホッパーは全然違う食べ物に思えるのだが,なんで同系統の名前がついてるんだろう.

カレーはともかく,カレーじゃないものもなくはない.結構パンも食べられているのがやや意外だった.まあ,中にカレーが入ってることもあるが,そうじゃなくて普通の食パンとか甘い菓子パンとかもちゃんとある.あとチャーハンみたいのにカレーをかけて食べたりするが,別にチャーハンだけでも頼める.だからときどき辛くないものを食べたい,というぐらいだったらなんとでもしようがあるので安心だ.

まあでも,カレーや辛いものが全くダメ,という人はやっぱ少々つらいかな.俺は胃腸が弱いので,旅行中は基本的にずっと腹の調子はよくなかった.

今回一番うまいと思ったのは,ヌワラエリヤのレストランで頼んだ卵カレーとトマトスープである.けっこう辛かったけど.あとカタラガマの食堂で食べたカップケーキみたいのが,ほんのりバナナ風味ですごくうまかった.


スリランカの鉄道は,本数が少ないしコロンボ中心の放射状路線だしいまいち使い勝手はよくない.基本的にはバスのほうが便利である.でも,別にすごく遅いわけではないし(というかバスがそんなに速いわけではないし),狭い席にじっと座ってなければならないバスよりは楽といえば楽だし,旅行者的には使える路線は使ってみると気分が変わってよいと思う.内戦中は「鉄道は危ないからバスで行け」とか言われたらしいが,今は安全面でも特に問題はない.

俺は普通に当日朝に駅に行って切符を買って乗ってみたところ,なんかボール紙の小さい切符だった.そうでないような切符を持ってる人もいて疑問に思っていたら,座席を確保するために前日に予約を入れる人もいる,と途中で会った別の旅行者に教えてもらった.でも予約すると値段が倍ぐらいになるそうで,微妙なところである.

いくつか評判の景勝路線があって,そういうところは外国人観光客もわりとたくさん見かける.個人的にはコロンボから南下する路線の,海のすぐそばを走ってたり海辺の村をぬって走ってたりする区間が面白いと思った.正直,コロンボ近くの区間はあまりにも海に近すぎてむしろ怖いぐらいである.津波が来たときはそれこそイチコロだったろう.


「ウチのカミさんがね……」(綴りが違う).

スリランカの事実上の首都.なんか長い名前の,国会議事堂だけ建っている地区のことはこのさいおいておく.コロンボは首都だけあって,この国で唯一の大都市である.外国人がスリランカに期待する見どころがあまりないし,しょうもない詐欺も多いので,正直旅行者にはあまり人気がない.

とりあえず,途上国の大都市にありがちだが,急速な都市化で巨大になっているわりに交通が不便なのはなんとも厄介だ.地下鉄の類はないし,車は多くて慢性的に渋滞してるし.俺は嫌いだがトゥクトゥクの類を使わざるをえない場面もあった.市バスはけっこう充実しているので,目的地の地名が言えるならそれでもいいのだが(スリランカのバスは均一料金じゃないので,車掌に「〜まで行く」と言う必要がある).

でもアレだ,ローカル食堂とかパン売りの車(ロバのパンみたいなやつ)とかどうでもいい軽食を売ってる屋台とか,スリランカの町の風情はコロンボでもあちこちにあるんだよね.確かにほかでは見ないような高級住宅や高級ショッピングモールとかもあるし,プリウスとかの高級車乗ってる奴もいるけど,高層マンションのそばでも普通に移動販売車からパンを買ってたりもする.将来的にはどうなるんかねえ.

あとペター地区は観光する価値があると思う.コロンボ唯一の徒歩サイズの市街であり,活気もあって人と物と荷車でいっぱいだ.


2014-03-11(火)

ゴール

ゴールという名前の町だが,旅行はまだ終わりではなくてもうちょっと続く.

ここの旧市街は世界遺産であり,有名な観光地だ.さすがにわりときれいにしていて,外人観光客向けの店も多く,いかにも観光地である.コロニアル風の町並みということだが,あまり高い建物はない.ヨーロッパ風味の入った南国の町並みという感じ.スリランカには珍しく,猫がわりといた.

旧市街でぼんやり海を見ていたら,後からやってきたフランス人の家族が海を指して何か騒いでいる.聞いてみたらウミガメが見えるとのことで,確かによく見ていると時々甲羅が見えたり水面から首を出していたりした.そういえばここの海はそのままインド洋なわけで,砂浜もあるし,ウミガメが来たりもするんだな.スリランカは自然が豊かなので,町の近くでさえもいろんな動物が見られたりするようだ.カタラガマやキャンディなんかでは普通にサルの群れとかいたしな.

現在の町の本体は旧市街の外側である.この地域では一番大きな町なので,それなりに賑やかだ.ハプタレーやカタラガマのあとで来たので,かなり文明圏に戻ってきた気分だった.町の中心部から30分ぐらい散歩すると,クローゼンバーグホテルとかいうイギリス提督の屋敷を改装したかっこいいホテルがあって,お茶を飲んで休んだ.というか,宿泊せずに喫茶コーナーだけ使っていいのかわからなくて,前をうろうろしたあげくに帰ろうとしたら,フロントの人が声をかけてくれた.ここはウェイターも感じがよかったし,お茶もうまかったし,なかなかよかったと思う.

まったくどうでもいいのだが,工事中の建物のところに「PARKING AT YOUR OWN RISK」とか書いた貼り紙があったのには笑った.別に禁止ではないんだ.


さてカタラガマの町だが,ここはいわゆる門前町であろう.南海岸街道のどんづまりであり,基本的にはド田舎なのだが,ここにはカタラガマ神という「なんでも(善悪を問わず)願いを叶えてくれる」という神様の神殿がある.このため,スリランカ中から人が来るらしい.この神殿がなければ,町というほどの規模にはならないと思われる.

ふつうセイロン島南東部に来る外人観光客というのはサファリツアーを目当てに来るわけで,その拠点であるティッサの町に泊まる人がほとんどだ.カタラガマまで来る奴もいなくはないが,まあサファリツアーのついでだろう.ティッサとカタラガマは30分ぐらいしか離れていないので,わざわざこの町に泊まっていく外国人というのはほとんどいないようだった.食事をするところなどもほぼローカル食堂しかないので,うかつにカレーを頼んだらかなりハードな辛さだった.

宿も,いわゆる外人向けクオリティのものは少ない.最初に見たところはかなり薄汚れた感じだったのでさすがにパス.二軒目に見たところは比較的マシだったのだが,泊まってみたら,隣の部屋との仕切りがいいかげんであることが判明した.バスルーム使用中の音が互いに丸聞こえ,というすげえ仕様だ.まあ値切りもせずに1500ルピー(1200円ぐらい)だったし,あまり期待しても仕方がない.

もちろんせっかくなので神殿は見に行ってみた.夕刻のお参りの時間になると本殿前には人が行列しており,何かの踊りがあったり火をたいてみたりいろいろやっていた.行列した人達は順に中に入っていき,近くの店で買った供物を神官に渡すわけである.やっぱりそれなりに本気でお参りしてるんかなあ.


ここはジャンクションの町である.つまりバスを乗りつぐために降りる人が多く,この町自体に用があるという人は別にあんまりいない.だから町はすごく小さくて静かなわりに,バスターミナルだけは巨大で人が多い.俺も,乗りつぐためだけにここで降りた.そもそもハプタレー(やその他の中央高地の町)から直接南部海岸地方まで行くバスはほとんどないので,やはり一旦ウェッラワーヤ行きに乗るのが便利なようである.

さて,ここからカタラガマの町まで行ってみようと思ったのだが,あたりで案内などを見ていると例によってトゥクトゥクの連中が「カタラガマ行きは三時間以上ないよ」「俺が直接2000ルピーで連れてってやるよ」とか何とか言ってくるが,まあ普通に「いや,バス待つんで」などと答えてスルー.

本当に三時間以上ないのか確認しようと思ったのだが,バスの事務所の部屋に行っても係員が誰もいない.ときどき現地の人も部屋をのぞいては諦めて去っていったり,あたりを探したりしている.しかたがないので,誰か戻ってくるまで待ってようと思っていると,さっきの連中がときどき現れては,微妙に安い値段で再営業をしてきたりした.

そのうち,連中の言葉が「何時間も待つのはいくらなんでも無駄だし,途中まで行ってバスを乗りかえたほうがいいと思うよ」に変わってきた.それは俺もそう思う.しまいに,「あのバスに乗って乗りかえればいいよ」とか教えてくれた奴がいたので,それに乗ってみることにした.車掌にも話しておいたら,ちゃんと分岐点のところで下ろしてくれて,無事カタラガマ方面に向かうことができたのだった.めでたしめでたし.


中央高地をさらに奥に進んだところにある,山の上の町.本当に山のてっぺんあたりに町がちゃんとあるのだ.なかなかすごい景色でおもしろい.当然ながら町からの眺めもいいのだが,わりと朝晩霧が出るのでそんなに遠くまで見えない場合も多い.霧というか,単に雲が町の近くの高さにあるだけのような気もする.

もちろんそんなところにあるので,小さな町である.でも四〜五階建てぐらいの建物は普通にあるし,中心部は商店街と言って差しつかえないぐらいには建物が並んでいる.住人だってそれなりにいるのだ.正直,町の建設はけっこうな手間だったろうと思う.周辺地域の茶生産の拠点として町を作る必要があったから発展したそうだが,イギリスが来る前はどんな感じだったんだろうか.

周辺は茶畑ばっかりで,宿から徒歩ですぐ茶畑である.ヌワラエリヤと違いバスに乗る必要すらない.まあしかし,ひとが汗水たらして働いてるところをただ見物するというのもどうなのだろう.ほどほどにしておいた.

ここで泊まった宿,チェックインから退出まで,結局一度も名前を書かなかったしパスポートも見せなかった.要するに部屋番号ごとの勘定書きだけですべて管理しているらしい.こういうシステムは珍しい.外国人を泊めるのに,(建前だけでも)名前やパスポート番号がなくても平気なのかな?

スリランカ中央高地の中心都市.リトルイングランドとか言ったりするらしい.アレか,なんかいつも曇ってたり雨が降ってたり,どんよりした天気だからか.いやまあ,たまたまだと思うけども! いずれにしろ,かつてイギリス人はここの気候が気にいって避暑地にしたらしく,ヌワラエリヤにはゴルフ場だとか乗馬クラブだとかでかい庭園だとかそんなんまである.

実はこの町自体にはそんなに行くところはなくて(ゴルフでもするつもりなら知らんが),観光客の多くは周辺の国立公園とか植物園とかそういう所に出かけて自然と触れあうらしい.俺は自然と触れあわないタイプなので,町の中心街とか住宅街とかを無意味に散歩して楽しく過ごした.リトルイングランドだけあって小洒落た建物なんかもときどき目にする.

あと行き先としては周辺のお茶工場に行ってみるというのもあって,これは俺もひとつ行ってみた.まあ工場をちょっと見学してみたり,お茶を摘んでるところを見たり,即売所でお土産を買ったりとかそういう感じ.もちろん,ここで買ったお茶がコロンボでも売ってたりするのはお約束である.どうでもいいが,なんか日本人の観光客が俺に話しかけてきてびっくりした.俺に話しかけるような奴など,普通は客引きぐらいのもんなのだが.

ほかにびっくりしたことといえば,夕食にとあるレストランに入ったら,現地の男でいっぱいで,みんな煙草を吸ったりビールを飲んだりしてたことである.スリランカの道徳観念的にはあまり飲酒や喫煙は誉められたことではないそうで,確かに街中でそういうシーンを見ることは少ない.それでも,やっぱり飲酒喫煙したいと思ってる奴はけっこういるようだね.


スリランカ第二の都市ということだが,キャンディの町はあまり大きくない.中心部は歩いて散歩しても一〜二時間で一周できてしまうような規模である.なので,路地とかもそれほどない.複雑な構造になるようなサイズではないのだ.よく田舎に,街道一本に沿って建物が並ぶ形でできている町があるが,ああいうのが五本分ぐらい組みあわさったような感じの町だ.

中心部を取り囲んでいる丘の上や,街道沿いにも,それなりに町があることはある.いつもの俺の旅行からするとこのへんも散歩してまわるところなのだが,すげえ暑かったことと便利な公共交通機関がないことが原因で十分には見てない感じ.あと主な宿泊施設があるのも丘の上が多く,まあ眺めはいいのかもしれないが,町に出かけるのには不便でしかたがない.なんとかしてほしいなあ.

いちおう旧首都ジャンルの町だが,歴史的な町並がどうこうという話は微妙である.ときどき町の建物にユネスコマークが付いてるときもあるけど,なんかそんなに見てびっくりするようなものではない.というか,この町の「歴史と伝統」パートは,仏歯寺のある一角が一手に引きうけている感じだ.メジャーなコロニアル建築であるクイーンズホテルもこの近くだし.

仏歯寺というのは,仏陀の歯をお祀りしてるとかいう寺である.スリランカでは伝統的に,これのある町が都になったらしくて,三種の神器みたいに王権の象徴でもあるそうな.しかしまあ,こういう聖遺物信仰って,(「プ〜ねこ」のネタじゃないけど)もし仏陀とかキリストとかそのへんが実際に見たとしたら「ちゃうねん」とか言いそう.「ワシそないなこと言うてへん」みたいな.でも,具体的なモノを拝まないで信仰なんかできちゃう特殊な人って少数派なんだろうね.


スリランカでも一二を争う大観光地,シーギリヤロックを見に来た.五世紀に,巨大な一枚岩の上に宮殿を作っちゃった奴がいるらしくて,その残骸が残っている.実際見てみると,五世紀という時代に,そもそもなんでそんなことが可能だと考えたのか理解しがたいな.資材とか全部人力で運んだんだよな,200m近くの切り立った崖の上に.

彼の王朝が長続きせず,町は残らなかったのが実に惜しい.そのまま現代も町になってたらとても面白かっただろうに.石を登り降りするエレベーターとか作られてたかもしれんな.

現代では,小さな集落と,あと外人観光客向けの店や宿泊施設が並ぶ一角があるぐらいだ.集落のほうに行ってみると,シーギリヤロックを逆側から見ることができるので微妙に面白いと思う.なんか蓮でいっぱいの貯水池のあたりが見やすい.すわってぼんやり眺めていたら,象に乗った観光客が入ってきてちょっとびっくりした.

ところで,微妙に離れた場所の宿に泊まってしまったので,いろいろ行ったり来たりするのが面倒だった.しかも夜は道が真っ暗になるので,なんとなくシャレで持っていったLEDライトが意外に役立つことに.


俺の「旅行」というのは結局のところあちこちの町をうろうろ歩きまわることなのだが,それでもせっかくだから多少は観光地にも行くのだ.今回は,まずシーギリヤは見てみようと思い,ついでに途中でダンブッラにも立ち寄ることにした.ダンブッラは街道の交差点の小さな町で,観光名所は中世からある巌窟寺院.

泊まるところを選ぶとき,トゥクトゥク(屋根つきバイクタクシー的なやつ)の兄ちゃんが客引きもやっていたのについていって決めたところ,こいつがその後もちょいちょい現れてめんどくさかった.

というか,観光地でタクシーとかその手の商売をしている連中に,「ローカルバスとかでちんたら行くことそのものも旅行の目的のひとつなのだ」とかいうことを説明するのはめんどうくさい.だからだいたい俺が説明を放棄しちゃってまともな会話にならない感じ.むこうも「なにこいつ話通じねえ」とか思ってたりしてな.

「シーギリヤまで行くなら,このまま俺が安く乗せてってやるよ」
「いや,バスで行くからバス乗り場まで行って」
「なんで? そんなに高くないし,バスだと不便だよ」
「バスで行くからバス乗り場まで行って」
「バスはまだしばらく出ないし,効率悪いよ」
「バス乗り場行って」
「……」

一応こっちを説得しようとしてるし,嘘もついてこないのがかわいいね.最終的には普通にバス乗り場まで行ってくれた.


2013-12-21(土)

台北

仕事で行ったので,「趣味日記」というカテゴリーは不適切かな?

喫茶店に入って休憩していたおり,「座席に荷物を置いて場所取りをし,注文をしにいく」という行動が普通に行われていたのにかなり驚いた.あれを日本以外で目にしたのは初めてである.

すばらしい治安に加えてやたらに日本の商品・サービスが進出しているので,特に中心部では日本とほとんど同じ感覚である.せいぜい言葉が違うという程度だ(案外英語が通じないことがあるのも日本と同じだな).10年前にも一度行ったことがあるけど,あそこまでファミリーマートだの吉野家だのがそこらじゅうにあっただろうか?

ところで,中国語では本来ゴシック体というのは例外なのだろうか? 周辺部に行ってみると古い店や建物も多いのだが,そういうのの看板はほぼ全部が明朝体(というかそれに相当する中国語の書体)で書いてある.注意書きや案内板などもそうだ.そういえばPCのフォントも中国語用はセリフ付きが多い気がするし.

まあ,今回一番驚くのは,俺のような者に「仕事で外国に行く」などという事態が発生したことであるが.実際にはそれほどたいした仕事はしてないのに,そのわりにいろいろおいしいものが食べられてよかった.残念なのは滞在した三日間ずっと冷たい雨が降りつづけていたことで,多少空き時間ができても散歩に出る気にもならないぐらいだった.

2013-09-12(木)

無題

今回旅行に持ってって役に立ったもの.

  • Bluetoothキーボード

俺は旅行中日記を書く習慣がある.今回はついにIS01をやめてME173Xを持っていったので,ふつうはフリック対応にしたAndroidSKKで書いていたけど,やっぱり机とか確保できたときはキーボードのほうが楽だよな.ということでREUDOの折り畳みキーボードを買ってみた.
最近のAndroidだと,ハードウェアキーボードのキーマップもわりと簡単に変更できて便利である.検索やホームやmenu等の機能キーの位置を使いやすいように変更したらすげえ捗る.あと,最近は「iOS用」という名目で,英語キーボードが豊富に出回るようになったのもなにげにありがたい.まさかこんなことでiOSに感謝しようとは思わなかった.

・ノイズキャンセリングイヤホン

五千円程度の最下級ランクの商品だが,それでも飛行機のゴーッというノイズには絶大な効果を発揮した.映画の音がこんなにはっきり聞きとれたのは初めてである.この品は電車に乗ってるときの騒音とかにはたいして効果がないし,音質もお察しなので,飛行機専用だけどな.

  • 気圧変動対応の特殊耳栓

以前,機内で耳がすごく痛くなって以来おまじないとして使っているものである.やはり効果があるように思う.今回使ったフライトは関空→ドーハ→バクー→トビリシなのだが,バクー→トビリシ間があまりにも短くて気圧変動が激しいので,帰りの便で耳の調整に失敗した.ドーハで乗りつぎ待ちの間もずっと耳に違和感をかかえたままで,最悪ドーハ→関空でまたずっと耳が痛むことも覚悟していたのだが,これが全然痛くならなかったのである.ありがたいことだ.

2013-09-11(水)

無題

でかい小籠包みたいのとか,牛肉スープとか,チーズパイとか,グルジア料理は独自の文化があるし,しかもおおむねうまい.バリエーション豊富だし,味付けもなかなかだ.ただ,コリアンダーをやたらに使うので,あの香りが苦手な人はちょっと選べるメニューが減るかもしれない.観光客向けの店だと,「ハーブ抜き」が頼める場合もあるが.

でかい小籠包は「ヒンカリ」と呼ぶ.まあ,ロシアのペリメニや中国の餃子,チベットのモモなど,ユーラシア一帯に存在する「小麦粉の皮で具を包んだ料理」の一種である.あまりにでかくて,俺は切って食うしかないと思っていたので,どうやっても中の肉汁がこぼれてしまったのだが,あとで調べてみたら手ではじっこを持って食べるとかいう話である.あれに一気にかぶりついたら口の中を火傷しそうな気がするがなあ.

それと「トマトと胡瓜を切って,コリアンダーと塩で味付けしただけ」にしか見えないサラダがとてもうまかったので,だいたいどこの店でも頼んでいた.しかしこれは家で再現してみても微妙に違うような気がするな.単にもともと野菜がうまかったのかもしれない.

あとグルジアといえばワインであるが,わりと気楽に頼めるブランドやハウスワイン,自家製ワインが豊富な感じなので,俺のような貧乏人には助かる.高級ワインもそれなりに値段分はおいしいんだろうか.

また食べてみたいが,日本でグルジア料理店というと,さすがに東京ぐらいにしかないようだ.ぐぬぬ.


2013-09-11(水)

無題

グルジア滞在最終日,トビリシのちょっとはずれのほうを散歩していたら,どうも俺に声をかけてくる奴がいる.何の勧誘かと思ったら,なんとアハルツィヘで会ったG氏であった.これには本当に仰天した.仮にも百万都市の,それも名所でもなんでもないところで偶然再会するとは!

あまりにびっくりしたのでろくに言葉も出てこず,挨拶もそこそこに立ち去ってしまった.正直彼には世話になったわけで,もうちょっと丁寧に話をしたってバチは当たらなかろうと思う.というか若干失礼な応対になっていたかもしれず,けっこう後悔している.こういう予期せぬ事態に遭遇すると,俺本来のコミュニケーション能力の低さが露骨に表れるのだ.

トビリシという町は,昔はなかなか立派な町だったのではないだろうか.旧市街には張り出しテラス型の家がたくさん並んでいるし,周囲の地区にはきっちり飾りのついた大きな建物もわりと多い.問題は,現在ではかなりの建物にそうとうガタが来ているということである.中心部の観光客が多く訪れる地区では再開発が進められているらしく,スタイルを統一したきれいな建物になっているところも多少ある(ムツヘタと同じく「新築の旧市街」的になっていて,これでいいのかはまた意見が分かれるかも).しかし多くの地区では,人々はかなりギリギリの建物で生活しているようだ.
実際,半壊した建物でも,残った部分に人が住んでいたり店を開いていたりすることはザラである.表通りに面したきれいな建物も,裏側は残念な感じだったりすることもよくあった.

純粋に見物人として言うなら,現在のトビリシも,散策するにはとても味があるものだ.崩壊具合が一種芸術的とさえ言えるかもしれない建物も目にする.まあしかし,ここで生活する人々にとっては,もっと多くの地区で再開発を進めていかないとたぶんどうしようもないだろう.可能かどうかは知らないが.
できれば,車のあまり入ってこない地区をある程度残してほしいものだ.現在,旧市街一帯はゆっくり散歩できて,しかも猫がたくさんいるのだ.

ところで,トビリシの市場は大都市だけあって活気があって面白い.というか,ここまで巨大なお買い物複合体ははじめて見た.駅前は巨大な市場を核としてえんえんお店が続いており,どこまで行ってもさっぱり終わらない.古い駅まで市場に転用されているほどだ.人口はせいぜい百万程度だったはずだが,ここまで需要があるものだろうか?

あと旅行者的には,イェレヴァンと同じで中級の手頃なホテルがないのが困るな.「旧市街近くで,バスルーム共同じゃないところ」とか言ってたらちっとも見つからず,結局一泊90$もするところに泊まるはめになった.
というか,ツーリストインフォメーションがもうひとつ頼りないような.


古代イベリア王国の都だった町で,俺の旅行記ではよく出てくる旧首都ジャンルに入る.現代のムツヘタはとても小さな町だが,古くて立派な教会や聖堂がいくつもあり,それなりに観光客が来ている.大聖堂は国内最大規模だし,丘の上の聖堂は6世紀ぐらいまで遡れるそうだ.アクセスも楽で,トビリシからミニバス30分で気軽に来ることができるので,トビリシからの一日観光にも便利だ.

教会は確かにどれも立派である.特に大聖堂はいろいろ謂れがあるらしくて,公認ガイド制度があるほどだ(ちゃんと名札も付けてる).教会としてもふつうに活動中で,俺たちが入ったときもちょうど何かの儀式をやっていた.日曜じゃなかったけど,平日でもそれなりに何か祈祷をしたりするんだろうか.キリスト教のことはよくわからん.

大聖堂の周囲は,一見旧市街のような,デザインの統一された家が並んでいる.しかしこれは復元したもので,別に古い町が残っているわけではないようだ.まあ雰囲気というか観光開発というかそういうアレだ.この開発は最近進められているらしく,なんというか「新築の旧市街」という妙な印象を受けた.
別に古い町並みだって建てた当初は新築だったんだろうが,地区全体が全部新築だから変な感じがするのかな.まだ建てたばっかりで人の入ってない家もちょくちょくあったし.まあ,それなりに人が入ってきてて,おみやげ屋やホテルを営業する人もでてきているようなので,この先どうなるかはわからん.30年ぐらい経ってからもう一度見てみたいものだ.町というのは最初の建設計画よりその後のほうが重要だと思うんよ.

大聖堂前の食堂で昼食にした際,ワインを頼んだら,でかいペットボトルからふつうのコップに注いで出されたので,おおざっぱさに感心した.さすがワインを日常的に計り売りしてるワイン大国だけある.


たいていの旅行者にとっての,グルジア軍道の終点だ.現在の正式名称はステパンツミンダであるが,旧称のカズベギと呼ばれることも多い.旧共産圏諸国ではよくある話だが,やたらに町の名前変えるのやめてほしいなあ.

もう大カフカス山脈はすぐそこなので,この村は本当にすぐ後に険しい山々が迫っている.人が暮らしている村としてはかなり特異な景色だ.六甲山とか目じゃないぞ.夏なので天気にも恵まれ,滞在したときはずっと快晴だったため,空と山の境界が異様にはっきり見えた.なんかもう書き割りのようですらあった.

手軽に行ける名所は,山の上の聖堂である.「手軽」とか言ってみたが,実際は山を二時間ほど登る必要がある.まあ相対的に手軽なのだ.ここは本格的なトレッキングの拠点であり,がんばれば氷河なんかも見ることができるらしい.
聖堂のところまで上ってみると,5000m級の山も近くに見えてきて,俺の旅行スタイルではあまりお目にかかれないような景色が広がる.深く考えずに来てみたのだが,それなりに来たかいがあったように思う.

ここでは,いわゆる民泊というか,個人の家のホームステイというか,そういう宿泊をした.グルジアで宿泊費を安くあげるにはけっこう使われる方式だが,今回の旅行ではここだけ.特筆すべきは,二匹も猫がいて,しかも人間に慣れていた点である.茶色いほうの猫など,人間が近づいただけでゴロゴロ言いだす始末だ.猫撫で放題であり,Y氏は大変御満悦であった.
食事は家の人が作ってくれて,種類もいろいろあるしなかなかおいしかった.むしろ,食事中,他の宿泊者との雑談が大変だ.黙っていれば俺らに話しかけてきたりはしないだろう,と思っていたら甘かった.何人かわざわざ俺にいろいろ話しかけてくるので,乏しいコミュニケーション能力を総動員して英語で雑談する羽目になり,大変疲れた.ひとと交流するのを好む人達はけっこう多いので,どうも厄介だ.そりゃまあ全然つまらないことだとは言わないが.


グルジア軍道というのは,ウラジカフカス(ロシア)〜トビリシ間の街道のことである.軍道とか言っても普通の道路で,ふだんは別に軍が行き来してるわけではない.どっちかというと物流ルートとして重要な感じ.2008年のようにロシアとの関係が悪化すれば戦車ぐらい通るだろうけど,2013年現在の治安は安定していて,やろうと思えばヒッチハイクもできそうなぐらいである.
それはともかく,この街道沿いは大カフカス山脈のステキな景色が眺められるということで,グルジア観光のハイライトのひとつだ.

交通手段としては,大きくわけてミニバスとタクシーの二通りの方法がある.途中いくつか観光スポットがあるので,行きはタクシーを使って,ときどき止まってもらって観光する人が多いらしい.俺はYと6日に合流したあと,「めんどうだしバスで直行でいいよね」などと適当こきながらトビリシのバスターミナルに向かった.

ターミナルでグルジア軍道行きバスはどこかと聞きまわっていたら,一台の車に案内される.……これって車種はふつうのランクルだし,行き先表示板もないし,ミニバスじゃなくてシェアタクシーなんじゃね? と思ってるうちに,俺達二人でちょうど満席になったので出発してしまった.値段を確認すると一人15ラリで,ミニバスの10ラリより高いが普通にタクシー乗るよりはずっと安い.うーんそんならまあいいかなあ.俺一人だけシートの間の板の部分に座ることになったのは,微妙に納得いかないけども.

観光スポットの城塞教会にさしかかったとき,運転手が何やら言い出して,ほかの乗客と話し合っている.どうやら,こういう観光スポットにも止まってやるから一人20ラリ出さないか,ということらしい.乗客全員が観光客だったので,この案に乗ることになった.結局,教会・変な壁画のある展望台・鉱泉の湧き出す場所などに立ちより,それなりに観光もできてけっこう満足だ.これで20ラリ(1200円)なら結果オーライではなかろうか.
なお,帰りは普通にミニバスに乗った.

途中,レストランで昼食休憩があったのだが,俺は腹の調子が悪かったので「腹は減ってないんだ」とか言って食事を控えた.運転手氏と並んで小一時間山を眺めながら他のみんなを待っていたのが,なんとなく思い出に残っている(運転手氏も食事は取らなかったので).


アハルツィヘの町自体にはたいした観光名所はない,と書きそうになったのだが,最近は丘の上の城塞を復元したのでそこが観光名所になったようだ.城本体以外にも周辺の城壁や各種施設も作られていて,なかなか凝っている.「城下町」の部分はレストランやホテルになっていて,宿泊したりもできるらしい.まあ一種の模型というかテーマパークみたいなもんだが,ところどころに妙に古い壁が混じっていたりもする.これはたぶん元々残っていたんだろうな.
この一帯はオスマントルコ帝国の影響が大きかったそうで,トルコ寄りの作りをしている.飾りのついた張り出しテラスのある建物とか,水のある庭園とか,イスラム関連施設とか.

いちおう城塞の脇の斜面が旧市街だが,現在は川の対岸にある新市街が町の中心だ.地方都市なので,それほど複雑な作りではない.城塞内部だけでなく一般住宅でも,わりとテラスのある建物は多いようだ.あとなんか雨樋が妙に凝ってる気がするんだがなんでだろう.
バスターミナルの正面に,二つだけ妙にモダンな建物があるのが目につく.片方はガソリンスタンドとスーパーの組みあわさったもので,これはまあガラス張りなのもわからなくはないが,隣のさらに派手な建物は市役所だった.うーむこれは住民的にはアリなんだろうか.

ここは地方都市だからか,それほど外食したりしないらしい.食事する場所は少しあるだけで,しかもガラ空きだった.喫茶店さえあまりないので,住民は広場などで適当な場所に座ったりして憩いのひとときを過ごすようだ.中央広場にはわりとたくさん遊具が置いてあって,子供たちにはけっこうよさそうである.


アハルツィヘに来た観光客が大抵見に行くのがヴァルジアである.ヴァルジアには岩壁に作られた洞窟都市の遺跡があり,グルジアでは比較的メジャーな観光名所なのだ.けっこう大規模な遺跡で,一部は奥のほうまで入ってみたりもできる.また現在も修道院部分は使われており,修道士が普通に生活している.

入口ひとつの巨大な洞窟ではなく,切り立った崖にたくさん横向きの穴を掘って構成してるところが変わっていると思う.中心部はなかなか入りくんだ複雑な構造になっていて面白い.世界には洞窟都市の遺跡がいくつかあるけど,さすがに現代で実際に使っているものはないのが残念である.部外者の勝手な意見であるが.
まあさすがにそのままでは不便だろうなあ.でも,現代の技術を利用して,地下街を作る要領で洞窟都市を再生したら面白かろうと思うが,駄目かな.なるべく当時の構造を保存してさ.誰もお金出さないかね.ていうかそのままじゃ狭すぎるか.

まったくどうでもいいが,ここを見物しているとき,つい「わあゲームで出てきそう」とか思ってしまった.とんだゲーム脳だ.じっさい,ファンタジーものの創作をする人達って,こういういろんな場所を実地で見てみることって役に立ったりするんかね.

ところで,アハルツィヘからここに来る公共交通機関はミニバスが数本あるだけだ(これでも他の町から行くよりはマシなのだ).ガイドブック曰く「行きは朝10時半発が始発.帰りは13時と15時にある」らしい.
さて朝バスターミナルに行って案内表示を見ると,行きのバスは12時半が最初になっていた.えー.しかし念のため窓口で聞いてみたら,普通に10時半の切符を買うことができた.ええー.いやいやこれは俺が案内の見かたを間違えただけかもしれないな.
帰り,ちょっとかけ足で見物して13時に戻ってきたところ,バスは影も形もない.えー.しかたがないのでしばらく待っていると14時ごろバスが来た.しかしこれが発車したのは結局15時だったのである.ええー.
まあ,よくあることだ.


2013-09-03(火)

無題

さて,タクシーを降りたグルジア側の町はアハルカラキといい,まぎらわしいが目的地のアハルツィヘとは別の町だ.アハルツィヘのほうが設備が整っていそうなのでそこまで行ってしまいたいのだが,まだ車で小一時間かかる距離がある.しかも,どう探してみてもバスやミニバスの類がちっともみあたらない.やっかいなことにまたタクシーしかないらしい(あとで調べたら,朝には多少バスもあるらしかった).すでにこの時点で17時を過ぎていたので,思い切って30ラリ払って(1800円ほど)タクシーに乗った.

そしてこの日はまだまだイベントがあったのだ.アハルツィヘに到着の少し手前で,いきなりタクシーが故障したのである.マジか.運転手が外に出ていろいろやりはじめたとき,車が一台通りかかり,タクシーの運転手はその車の運転手と何やら話をはじめた.しばらくすると,タクシーの運転手は「もうここからはあっちの車に乗せてもらえ」みたいなことを言いだす.えぇ〜?

そっちの車に乗せてもらってさらにびっくり,なんとその人は別にタクシー運転手ではなく,そもそも(最初の)運転手の知りあいですらない.本当にたまたま通りかかっただけの,旅行中の家族であった! 運転しているのはサンクトペテルブルク(ロシア)から来たというG氏,さらに彼の妻・娘・母が乗っていた.曰く「大変そうだから乗せていってやるよ」ということらしいが,どうにも無茶な話だ.あの故障はとてもすぐには直りそうになかったんだろうか.

そうとうびっくりしたがこの話はまだ続く.ほどなくアハルツィヘに到着し,車にガソリンを入れている間にG氏が何か言い出した.

G「これから,俺の友達の案内で,山のほうにある修道院を見に行くんだが,よかったらお前も一緒に行かないか」
俺「え? え? これから?(もう18時) でも,俺はホテルとか決まってないから,今から探さないといけないし」
G「ああ,それなら俺達も一緒だから大丈夫.戻ってきてから探すから,そのとき一緒に探したらいいよ」

なんか押し切られてしまった.しばらくすると本当に友人氏がでかい四駆で登場し,山道を走り出すのだった.かなりすごいオフロードを進み,丘を二回ほど越えると,確かに山奥の修道院が見えてきた.修道院自体は中世からのもので,教会のフレスコ画もかなり残っているし,立地のすごさもあってなかなか見ごたえのあるものだった.サパラ修道院というらしい.

町に戻ってくると,G氏と友人氏があちこち電話してホテルを探している.しばらくして空きのみつかったホテルに向かうと,これがけっこうきれいな部屋で,係の人は俺一人だったら一泊50ラリ(3000円ほど)だと言う.悪くない条件なので,俺もここに泊まったのだった.

サパラ修道院にふつうに行くと,四駆のタクシーをチャーターすることになってかなり大変だったろうし,宿を探す手間もまったく省けてしまった.結局,G氏の行動は単純に親切心からだったらしい.ああよかった.正直,ホテルに着くまでいろんな意味でけっこう緊張していた.俺のような人間からすると,こういうフレンドリーな事態というのは縁遠すぎてピンと来ない.