海月玲二

カテゴリ別リスト:趣味日記-旅行(325件):新しい順

検索結果:325件中 201件-225件


俺の「旅行」というのは結局のところあちこちの町をうろうろ歩きまわることなのだが,それでもせっかくだから多少は観光地にも行くのだ.今回は,まずシーギリヤは見てみようと思い,ついでに途中でダンブッラにも立ち寄ることにした.ダンブッラは街道の交差点の小さな町で,観光名所は中世からある巌窟寺院.

泊まるところを選ぶとき,トゥクトゥク(屋根つきバイクタクシー的なやつ)の兄ちゃんが客引きもやっていたのについていって決めたところ,こいつがその後もちょいちょい現れてめんどくさかった.

というか,観光地でタクシーとかその手の商売をしている連中に,「ローカルバスとかでちんたら行くことそのものも旅行の目的のひとつなのだ」とかいうことを説明するのはめんどうくさい.だからだいたい俺が説明を放棄しちゃってまともな会話にならない感じ.むこうも「なにこいつ話通じねえ」とか思ってたりしてな.

「シーギリヤまで行くなら,このまま俺が安く乗せてってやるよ」
「いや,バスで行くからバス乗り場まで行って」
「なんで? そんなに高くないし,バスだと不便だよ」
「バスで行くからバス乗り場まで行って」
「バスはまだしばらく出ないし,効率悪いよ」
「バス乗り場行って」
「……」

一応こっちを説得しようとしてるし,嘘もついてこないのがかわいいね.最終的には普通にバス乗り場まで行ってくれた.


2013-12-21(土)

台北

仕事で行ったので,「趣味日記」というカテゴリーは不適切かな?

喫茶店に入って休憩していたおり,「座席に荷物を置いて場所取りをし,注文をしにいく」という行動が普通に行われていたのにかなり驚いた.あれを日本以外で目にしたのは初めてである.

すばらしい治安に加えてやたらに日本の商品・サービスが進出しているので,特に中心部では日本とほとんど同じ感覚である.せいぜい言葉が違うという程度だ(案外英語が通じないことがあるのも日本と同じだな).10年前にも一度行ったことがあるけど,あそこまでファミリーマートだの吉野家だのがそこらじゅうにあっただろうか?

ところで,中国語では本来ゴシック体というのは例外なのだろうか? 周辺部に行ってみると古い店や建物も多いのだが,そういうのの看板はほぼ全部が明朝体(というかそれに相当する中国語の書体)で書いてある.注意書きや案内板などもそうだ.そういえばPCのフォントも中国語用はセリフ付きが多い気がするし.

まあ,今回一番驚くのは,俺のような者に「仕事で外国に行く」などという事態が発生したことであるが.実際にはそれほどたいした仕事はしてないのに,そのわりにいろいろおいしいものが食べられてよかった.残念なのは滞在した三日間ずっと冷たい雨が降りつづけていたことで,多少空き時間ができても散歩に出る気にもならないぐらいだった.

2013-09-12(木)

無題

今回旅行に持ってって役に立ったもの.

  • Bluetoothキーボード

俺は旅行中日記を書く習慣がある.今回はついにIS01をやめてME173Xを持っていったので,ふつうはフリック対応にしたAndroidSKKで書いていたけど,やっぱり机とか確保できたときはキーボードのほうが楽だよな.ということでREUDOの折り畳みキーボードを買ってみた.
最近のAndroidだと,ハードウェアキーボードのキーマップもわりと簡単に変更できて便利である.検索やホームやmenu等の機能キーの位置を使いやすいように変更したらすげえ捗る.あと,最近は「iOS用」という名目で,英語キーボードが豊富に出回るようになったのもなにげにありがたい.まさかこんなことでiOSに感謝しようとは思わなかった.

・ノイズキャンセリングイヤホン

五千円程度の最下級ランクの商品だが,それでも飛行機のゴーッというノイズには絶大な効果を発揮した.映画の音がこんなにはっきり聞きとれたのは初めてである.この品は電車に乗ってるときの騒音とかにはたいして効果がないし,音質もお察しなので,飛行機専用だけどな.

  • 気圧変動対応の特殊耳栓

以前,機内で耳がすごく痛くなって以来おまじないとして使っているものである.やはり効果があるように思う.今回使ったフライトは関空→ドーハ→バクー→トビリシなのだが,バクー→トビリシ間があまりにも短くて気圧変動が激しいので,帰りの便で耳の調整に失敗した.ドーハで乗りつぎ待ちの間もずっと耳に違和感をかかえたままで,最悪ドーハ→関空でまたずっと耳が痛むことも覚悟していたのだが,これが全然痛くならなかったのである.ありがたいことだ.

2013-09-11(水)

無題

でかい小籠包みたいのとか,牛肉スープとか,チーズパイとか,グルジア料理は独自の文化があるし,しかもおおむねうまい.バリエーション豊富だし,味付けもなかなかだ.ただ,コリアンダーをやたらに使うので,あの香りが苦手な人はちょっと選べるメニューが減るかもしれない.観光客向けの店だと,「ハーブ抜き」が頼める場合もあるが.

でかい小籠包は「ヒンカリ」と呼ぶ.まあ,ロシアのペリメニや中国の餃子,チベットのモモなど,ユーラシア一帯に存在する「小麦粉の皮で具を包んだ料理」の一種である.あまりにでかくて,俺は切って食うしかないと思っていたので,どうやっても中の肉汁がこぼれてしまったのだが,あとで調べてみたら手ではじっこを持って食べるとかいう話である.あれに一気にかぶりついたら口の中を火傷しそうな気がするがなあ.

それと「トマトと胡瓜を切って,コリアンダーと塩で味付けしただけ」にしか見えないサラダがとてもうまかったので,だいたいどこの店でも頼んでいた.しかしこれは家で再現してみても微妙に違うような気がするな.単にもともと野菜がうまかったのかもしれない.

あとグルジアといえばワインであるが,わりと気楽に頼めるブランドやハウスワイン,自家製ワインが豊富な感じなので,俺のような貧乏人には助かる.高級ワインもそれなりに値段分はおいしいんだろうか.

また食べてみたいが,日本でグルジア料理店というと,さすがに東京ぐらいにしかないようだ.ぐぬぬ.


2013-09-11(水)

無題

グルジア滞在最終日,トビリシのちょっとはずれのほうを散歩していたら,どうも俺に声をかけてくる奴がいる.何の勧誘かと思ったら,なんとアハルツィヘで会ったG氏であった.これには本当に仰天した.仮にも百万都市の,それも名所でもなんでもないところで偶然再会するとは!

あまりにびっくりしたのでろくに言葉も出てこず,挨拶もそこそこに立ち去ってしまった.正直彼には世話になったわけで,もうちょっと丁寧に話をしたってバチは当たらなかろうと思う.というか若干失礼な応対になっていたかもしれず,けっこう後悔している.こういう予期せぬ事態に遭遇すると,俺本来のコミュニケーション能力の低さが露骨に表れるのだ.

トビリシという町は,昔はなかなか立派な町だったのではないだろうか.旧市街には張り出しテラス型の家がたくさん並んでいるし,周囲の地区にはきっちり飾りのついた大きな建物もわりと多い.問題は,現在ではかなりの建物にそうとうガタが来ているということである.中心部の観光客が多く訪れる地区では再開発が進められているらしく,スタイルを統一したきれいな建物になっているところも多少ある(ムツヘタと同じく「新築の旧市街」的になっていて,これでいいのかはまた意見が分かれるかも).しかし多くの地区では,人々はかなりギリギリの建物で生活しているようだ.
実際,半壊した建物でも,残った部分に人が住んでいたり店を開いていたりすることはザラである.表通りに面したきれいな建物も,裏側は残念な感じだったりすることもよくあった.

純粋に見物人として言うなら,現在のトビリシも,散策するにはとても味があるものだ.崩壊具合が一種芸術的とさえ言えるかもしれない建物も目にする.まあしかし,ここで生活する人々にとっては,もっと多くの地区で再開発を進めていかないとたぶんどうしようもないだろう.可能かどうかは知らないが.
できれば,車のあまり入ってこない地区をある程度残してほしいものだ.現在,旧市街一帯はゆっくり散歩できて,しかも猫がたくさんいるのだ.

ところで,トビリシの市場は大都市だけあって活気があって面白い.というか,ここまで巨大なお買い物複合体ははじめて見た.駅前は巨大な市場を核としてえんえんお店が続いており,どこまで行ってもさっぱり終わらない.古い駅まで市場に転用されているほどだ.人口はせいぜい百万程度だったはずだが,ここまで需要があるものだろうか?

あと旅行者的には,イェレヴァンと同じで中級の手頃なホテルがないのが困るな.「旧市街近くで,バスルーム共同じゃないところ」とか言ってたらちっとも見つからず,結局一泊90$もするところに泊まるはめになった.
というか,ツーリストインフォメーションがもうひとつ頼りないような.


古代イベリア王国の都だった町で,俺の旅行記ではよく出てくる旧首都ジャンルに入る.現代のムツヘタはとても小さな町だが,古くて立派な教会や聖堂がいくつもあり,それなりに観光客が来ている.大聖堂は国内最大規模だし,丘の上の聖堂は6世紀ぐらいまで遡れるそうだ.アクセスも楽で,トビリシからミニバス30分で気軽に来ることができるので,トビリシからの一日観光にも便利だ.

教会は確かにどれも立派である.特に大聖堂はいろいろ謂れがあるらしくて,公認ガイド制度があるほどだ(ちゃんと名札も付けてる).教会としてもふつうに活動中で,俺たちが入ったときもちょうど何かの儀式をやっていた.日曜じゃなかったけど,平日でもそれなりに何か祈祷をしたりするんだろうか.キリスト教のことはよくわからん.

大聖堂の周囲は,一見旧市街のような,デザインの統一された家が並んでいる.しかしこれは復元したもので,別に古い町が残っているわけではないようだ.まあ雰囲気というか観光開発というかそういうアレだ.この開発は最近進められているらしく,なんというか「新築の旧市街」という妙な印象を受けた.
別に古い町並みだって建てた当初は新築だったんだろうが,地区全体が全部新築だから変な感じがするのかな.まだ建てたばっかりで人の入ってない家もちょくちょくあったし.まあ,それなりに人が入ってきてて,おみやげ屋やホテルを営業する人もでてきているようなので,この先どうなるかはわからん.30年ぐらい経ってからもう一度見てみたいものだ.町というのは最初の建設計画よりその後のほうが重要だと思うんよ.

大聖堂前の食堂で昼食にした際,ワインを頼んだら,でかいペットボトルからふつうのコップに注いで出されたので,おおざっぱさに感心した.さすがワインを日常的に計り売りしてるワイン大国だけある.


たいていの旅行者にとっての,グルジア軍道の終点だ.現在の正式名称はステパンツミンダであるが,旧称のカズベギと呼ばれることも多い.旧共産圏諸国ではよくある話だが,やたらに町の名前変えるのやめてほしいなあ.

もう大カフカス山脈はすぐそこなので,この村は本当にすぐ後に険しい山々が迫っている.人が暮らしている村としてはかなり特異な景色だ.六甲山とか目じゃないぞ.夏なので天気にも恵まれ,滞在したときはずっと快晴だったため,空と山の境界が異様にはっきり見えた.なんかもう書き割りのようですらあった.

手軽に行ける名所は,山の上の聖堂である.「手軽」とか言ってみたが,実際は山を二時間ほど登る必要がある.まあ相対的に手軽なのだ.ここは本格的なトレッキングの拠点であり,がんばれば氷河なんかも見ることができるらしい.
聖堂のところまで上ってみると,5000m級の山も近くに見えてきて,俺の旅行スタイルではあまりお目にかかれないような景色が広がる.深く考えずに来てみたのだが,それなりに来たかいがあったように思う.

ここでは,いわゆる民泊というか,個人の家のホームステイというか,そういう宿泊をした.グルジアで宿泊費を安くあげるにはけっこう使われる方式だが,今回の旅行ではここだけ.特筆すべきは,二匹も猫がいて,しかも人間に慣れていた点である.茶色いほうの猫など,人間が近づいただけでゴロゴロ言いだす始末だ.猫撫で放題であり,Y氏は大変御満悦であった.
食事は家の人が作ってくれて,種類もいろいろあるしなかなかおいしかった.むしろ,食事中,他の宿泊者との雑談が大変だ.黙っていれば俺らに話しかけてきたりはしないだろう,と思っていたら甘かった.何人かわざわざ俺にいろいろ話しかけてくるので,乏しいコミュニケーション能力を総動員して英語で雑談する羽目になり,大変疲れた.ひとと交流するのを好む人達はけっこう多いので,どうも厄介だ.そりゃまあ全然つまらないことだとは言わないが.


グルジア軍道というのは,ウラジカフカス(ロシア)〜トビリシ間の街道のことである.軍道とか言っても普通の道路で,ふだんは別に軍が行き来してるわけではない.どっちかというと物流ルートとして重要な感じ.2008年のようにロシアとの関係が悪化すれば戦車ぐらい通るだろうけど,2013年現在の治安は安定していて,やろうと思えばヒッチハイクもできそうなぐらいである.
それはともかく,この街道沿いは大カフカス山脈のステキな景色が眺められるということで,グルジア観光のハイライトのひとつだ.

交通手段としては,大きくわけてミニバスとタクシーの二通りの方法がある.途中いくつか観光スポットがあるので,行きはタクシーを使って,ときどき止まってもらって観光する人が多いらしい.俺はYと6日に合流したあと,「めんどうだしバスで直行でいいよね」などと適当こきながらトビリシのバスターミナルに向かった.

ターミナルでグルジア軍道行きバスはどこかと聞きまわっていたら,一台の車に案内される.……これって車種はふつうのランクルだし,行き先表示板もないし,ミニバスじゃなくてシェアタクシーなんじゃね? と思ってるうちに,俺達二人でちょうど満席になったので出発してしまった.値段を確認すると一人15ラリで,ミニバスの10ラリより高いが普通にタクシー乗るよりはずっと安い.うーんそんならまあいいかなあ.俺一人だけシートの間の板の部分に座ることになったのは,微妙に納得いかないけども.

観光スポットの城塞教会にさしかかったとき,運転手が何やら言い出して,ほかの乗客と話し合っている.どうやら,こういう観光スポットにも止まってやるから一人20ラリ出さないか,ということらしい.乗客全員が観光客だったので,この案に乗ることになった.結局,教会・変な壁画のある展望台・鉱泉の湧き出す場所などに立ちより,それなりに観光もできてけっこう満足だ.これで20ラリ(1200円)なら結果オーライではなかろうか.
なお,帰りは普通にミニバスに乗った.

途中,レストランで昼食休憩があったのだが,俺は腹の調子が悪かったので「腹は減ってないんだ」とか言って食事を控えた.運転手氏と並んで小一時間山を眺めながら他のみんなを待っていたのが,なんとなく思い出に残っている(運転手氏も食事は取らなかったので).


アハルツィヘの町自体にはたいした観光名所はない,と書きそうになったのだが,最近は丘の上の城塞を復元したのでそこが観光名所になったようだ.城本体以外にも周辺の城壁や各種施設も作られていて,なかなか凝っている.「城下町」の部分はレストランやホテルになっていて,宿泊したりもできるらしい.まあ一種の模型というかテーマパークみたいなもんだが,ところどころに妙に古い壁が混じっていたりもする.これはたぶん元々残っていたんだろうな.
この一帯はオスマントルコ帝国の影響が大きかったそうで,トルコ寄りの作りをしている.飾りのついた張り出しテラスのある建物とか,水のある庭園とか,イスラム関連施設とか.

いちおう城塞の脇の斜面が旧市街だが,現在は川の対岸にある新市街が町の中心だ.地方都市なので,それほど複雑な作りではない.城塞内部だけでなく一般住宅でも,わりとテラスのある建物は多いようだ.あとなんか雨樋が妙に凝ってる気がするんだがなんでだろう.
バスターミナルの正面に,二つだけ妙にモダンな建物があるのが目につく.片方はガソリンスタンドとスーパーの組みあわさったもので,これはまあガラス張りなのもわからなくはないが,隣のさらに派手な建物は市役所だった.うーむこれは住民的にはアリなんだろうか.

ここは地方都市だからか,それほど外食したりしないらしい.食事する場所は少しあるだけで,しかもガラ空きだった.喫茶店さえあまりないので,住民は広場などで適当な場所に座ったりして憩いのひとときを過ごすようだ.中央広場にはわりとたくさん遊具が置いてあって,子供たちにはけっこうよさそうである.


アハルツィヘに来た観光客が大抵見に行くのがヴァルジアである.ヴァルジアには岩壁に作られた洞窟都市の遺跡があり,グルジアでは比較的メジャーな観光名所なのだ.けっこう大規模な遺跡で,一部は奥のほうまで入ってみたりもできる.また現在も修道院部分は使われており,修道士が普通に生活している.

入口ひとつの巨大な洞窟ではなく,切り立った崖にたくさん横向きの穴を掘って構成してるところが変わっていると思う.中心部はなかなか入りくんだ複雑な構造になっていて面白い.世界には洞窟都市の遺跡がいくつかあるけど,さすがに現代で実際に使っているものはないのが残念である.部外者の勝手な意見であるが.
まあさすがにそのままでは不便だろうなあ.でも,現代の技術を利用して,地下街を作る要領で洞窟都市を再生したら面白かろうと思うが,駄目かな.なるべく当時の構造を保存してさ.誰もお金出さないかね.ていうかそのままじゃ狭すぎるか.

まったくどうでもいいが,ここを見物しているとき,つい「わあゲームで出てきそう」とか思ってしまった.とんだゲーム脳だ.じっさい,ファンタジーものの創作をする人達って,こういういろんな場所を実地で見てみることって役に立ったりするんかね.

ところで,アハルツィヘからここに来る公共交通機関はミニバスが数本あるだけだ(これでも他の町から行くよりはマシなのだ).ガイドブック曰く「行きは朝10時半発が始発.帰りは13時と15時にある」らしい.
さて朝バスターミナルに行って案内表示を見ると,行きのバスは12時半が最初になっていた.えー.しかし念のため窓口で聞いてみたら,普通に10時半の切符を買うことができた.ええー.いやいやこれは俺が案内の見かたを間違えただけかもしれないな.
帰り,ちょっとかけ足で見物して13時に戻ってきたところ,バスは影も形もない.えー.しかたがないのでしばらく待っていると14時ごろバスが来た.しかしこれが発車したのは結局15時だったのである.ええー.
まあ,よくあることだ.


2013-09-03(火)

無題

さて,タクシーを降りたグルジア側の町はアハルカラキといい,まぎらわしいが目的地のアハルツィヘとは別の町だ.アハルツィヘのほうが設備が整っていそうなのでそこまで行ってしまいたいのだが,まだ車で小一時間かかる距離がある.しかも,どう探してみてもバスやミニバスの類がちっともみあたらない.やっかいなことにまたタクシーしかないらしい(あとで調べたら,朝には多少バスもあるらしかった).すでにこの時点で17時を過ぎていたので,思い切って30ラリ払って(1800円ほど)タクシーに乗った.

そしてこの日はまだまだイベントがあったのだ.アハルツィヘに到着の少し手前で,いきなりタクシーが故障したのである.マジか.運転手が外に出ていろいろやりはじめたとき,車が一台通りかかり,タクシーの運転手はその車の運転手と何やら話をはじめた.しばらくすると,タクシーの運転手は「もうここからはあっちの車に乗せてもらえ」みたいなことを言いだす.えぇ〜?

そっちの車に乗せてもらってさらにびっくり,なんとその人は別にタクシー運転手ではなく,そもそも(最初の)運転手の知りあいですらない.本当にたまたま通りかかっただけの,旅行中の家族であった! 運転しているのはサンクトペテルブルク(ロシア)から来たというG氏,さらに彼の妻・娘・母が乗っていた.曰く「大変そうだから乗せていってやるよ」ということらしいが,どうにも無茶な話だ.あの故障はとてもすぐには直りそうになかったんだろうか.

そうとうびっくりしたがこの話はまだ続く.ほどなくアハルツィヘに到着し,車にガソリンを入れている間にG氏が何か言い出した.

G「これから,俺の友達の案内で,山のほうにある修道院を見に行くんだが,よかったらお前も一緒に行かないか」
俺「え? え? これから?(もう18時) でも,俺はホテルとか決まってないから,今から探さないといけないし」
G「ああ,それなら俺達も一緒だから大丈夫.戻ってきてから探すから,そのとき一緒に探したらいいよ」

なんか押し切られてしまった.しばらくすると本当に友人氏がでかい四駆で登場し,山道を走り出すのだった.かなりすごいオフロードを進み,丘を二回ほど越えると,確かに山奥の修道院が見えてきた.修道院自体は中世からのもので,教会のフレスコ画もかなり残っているし,立地のすごさもあってなかなか見ごたえのあるものだった.サパラ修道院というらしい.

町に戻ってくると,G氏と友人氏があちこち電話してホテルを探している.しばらくして空きのみつかったホテルに向かうと,これがけっこうきれいな部屋で,係の人は俺一人だったら一泊50ラリ(3000円ほど)だと言う.悪くない条件なので,俺もここに泊まったのだった.

サパラ修道院にふつうに行くと,四駆のタクシーをチャーターすることになってかなり大変だったろうし,宿を探す手間もまったく省けてしまった.結局,G氏の行動は単純に親切心からだったらしい.ああよかった.正直,ホテルに着くまでいろんな意味でけっこう緊張していた.俺のような人間からすると,こういうフレンドリーな事態というのは縁遠すぎてピンと来ない.


はい今回は失敗談です.

イェレヴァンからグルジアに戻るにあたって,直行でトビリシ行きのバスに乗るのではなく,グルジア南西部のアハルツィヘを経由して戻ろうと思った.しかしこれが面倒なことに,イェレヴァン→アハルツィヘというバスは朝7時だか8時だかに一本あるだけらしい.10時過ぎにのんびりバスターミナルに行ってみたら,すげなく「今日はもうないよ」みたいに言われてしまった.考えられる選択肢としては

1)寄り道を別のルートにする
2)ともかく途中の町まで行ってみる

ということになる.1)のほうが成功率が高そうだが,せっかくだからここは2)を選ぶぜ.

国境へ向かう途中にギュムリなる町があるので,とりあえずここを目指す.アルメニア第二の都市らしいし,ガイドブックにも「バスは頻発」みたいに書いてあるので,そこまでは行けるだろう……と思ったのだが.バスターミナルの窓口で聞いてみたら「タクシーで行け」などと言う.実際に,ギュムリ行きのバスというものは見当たらず,タクシーしかなさそうである.なんじゃそら.

しょうがないのでタクシーを頼む.これはシェアタクシーなので(数人で乗るかわりに値段が安い),他に客が集まるまで待つことになった.……しかしこれがなかなか来ない.大都市間だからすぐ集まるだろうと思ったのに全然そんなことねえじゃん.二時間ぐらい待ってやっと四人になり,「一人少ないからちょっと割増になるけど,もうこれで行こう」ということでやっと出発できた.

タクシーの中では,「ギュムリが目的地じゃないのなら,さらにグルジア国境を越えたところまで乗らないか」と運転手が営業してきた.待ってる間に別の客に「アハルツィヘまで行くんだ」とか言ったのを聞いてたか.ギュムリ以降は俺一人になるためバスで行く案よりはだいぶ値段が上がってしまうのだが……結局タクシー運転手の案に乗ってしまった.まあほれギュムリから国際バスがどんだけあるかもわかんなかったし.後で調べたところによると,やはり朝に一本しかないらしいから,よかったんだよきっと.うん.日程の都合上,この日のうちにグルジアに入りたかったしね.うん.

ギュムリで俺以外はみんな降り,さらにしばらく荒野を進んだあと国境に到着した.このあとは,国境審査もたいしたことはなく,辺境のため両替所が国境事務所にしかなくて微妙にレートで損したとかはあったが,大きなトラブルなくグルジア側の町に到着した.結局,ここまででイェレヴァンからトータル50$かかってしまった.ぐぬぬ.まあアレだ,交通網の発達してないところで無計画に旅をすると,結局タクシーになって無駄に出費するハメになる,という話.


イェレヴァンはアルメニアの首都なわけだが,この町自体に観光名所はあまりない.観光客的にはどっちかというと,オープンカフェでぼんやりしたり博物館をひやかしたりする感じの町だ.あるいは,前述のエチミアヂン近辺の教会をめぐったり,近郊にある修道院を見に行ったりする拠点として滞在する.物価はそれほど高くないし,スーパーが妙に多いし,治安はかなりいいし,滞在するには悪くないと思う.

ただ交通網が旅行者的には使いやすくなっていないのが,旧ソ連諸国のアレなところである.まずバスターミナルが市中心部から遠いし,地下鉄も接続していない(不慣れな者には使いにくいバスの類しかない).さらに,バス路線そのものもそんなに充実していない(当然ながら鉄道はほぼ使えない).ゲガルド修道院のように,公共交通機関が全く存在しない場合もある.珍しく現地発ツアーとか使っちゃったよ.

イェレヴァンはそれほど歴史がないので,町のつくりはわりと適当である.あちこちで再開発を進めているようで,中心街近辺はそれなりに綺麗なビルが並んでる地区もある.一方,予算のつごうか何か,旧ソ連時代そのままの四角い集合住宅や,あからさまにボロい(というか崩壊寸前の)小さな家が並ぶ地区があちこちに残ってもいる.というか,そもそも誰が金を出してるんだろうな.新しいビルにはそんなに人が住んでるようでもないんだが.一階にカフェが入ってたりすると,そこにはいつも人がいっぱいいるけどね.
綺麗なビルの,スタイルとかはたいして統一されていない.まだらに開発されていることもあって,なんか日本の都市開発を微妙に思い起こさせるかんじ.

ここでは,「ツーリストインフォメーションは閉鎖中」とガイドブックに書いてあったので,真に受けて旅行会社で宿泊先を紹介してもらった.本当のところはどうだかよくわからない.確かにそれらしい看板は見かけなかったけど.それはともかく,ここは中級宿があまりないようなので(高級ホテルか,でなければドミトリーばっかり),珍しくアパートの部屋を借りることになった.そこで斡旋してるのは本来五泊からみたいだけど,三泊でもOKのところを探してくれたのは助かる.外観は旧ソ連丸出しのすげえビルだけど,内部は改装されててとても快適な部屋だった.洗濯機も冷蔵庫も台所も使い放題.一泊五千円ほどかかったけど,まあ大きな不満はない.しいて言えば,あとWiFiがあればなあ.


エチミアヂンはイェレヴァンの衛星都市で,大聖堂がある.ここはアルメニア教会の総本山なので,アルメニア的には大変有名な場所だ.外国に住んでるアルメニア系の人達も参拝に来るほどらしい.

というわけで俺も見に行った.イェレヴァンのヘボいバスターミナルから超ヘボいバスで小一時間ほど.バスには他に三人ほど観光客がいて,日本人の二人連れとロシア人だ.正直,アルメニアで他に日本人を見たのはこの時だけである.ロシア人氏はその二人にどこから来たのか聞いたりしていたが,俺には誰も話しかけないので黙っていた.

バスの途中で中高生の集団が乗ってきて(たぶん遠足とか見学とかそういうのと思われる.大人に引率されて大聖堂に来ていた),そいつらも二人連れにどこから来たのか聞いたりあれこれ話しかけたりしていた.俺のほうを見ながら「あいつも日本人じゃないのか」とかなんとか言ったりもしていたようだが,誰も俺に直接話しかけてはこないので黙っていた.よかったよかった.

ところでエチミアヂン大聖堂は確かにわりと立派だった.日曜だったので大掛りなミサもやっていて大混雑だ.そのスジでは有名な,いわゆる「ロンギヌスの槍」が展示されてるのも見てきた.実際のところ,なんかあんまり刺せそうな形してないが,まあ鰯の頭も信心からとか言うしな.

エチミアヂンの町自体はほんとに小さな町で,店があるようなメインストリートも数えるほどしかない.大聖堂近くに気軽に食事できる店がないのが不便だなあと思った.中央広場にあったカフェに入ってみたとき,食べものがないので「ウォーターメロンフレーバーのアイスティー」なるものを頼んだら,なんか薄めのスイカジュースみたいな味がした.あれは本当にアイスティーだったのだろうか.


今回の旅行の主な滞在先はグルジアである.でもせっかくだからアルメニアにも寄ってみようかな,と思った(アゼルバイジャンは無計画旅行だとビザが取れないので断念).さらに,トビリシからイェレヴァンまで行くのはふつうバスが便利だけど,せっかくだから夜行列車で行けたら面白かろうな,とも思っていた.それでトビリシ空港に14時半ごろ到着して,そのままバスで中央駅に向かったところ,なんかその晩のイェレヴァン行きの切符が買えちゃったんだよね.もう遅いから駄目とか売り切れとか言われるかと思った.

よくある旧ソ連式の寝台車(いわゆるクペー)で,ひとつのコンパートメントに四つベッドが出せる.俺が乗ったコンパートメントでは,すでにほかの三つはうまっていた.ふだんはトビリシ〜イェレヴァンの往復をする列車なのだが,夏季だけトビリシではなく黒海沿岸のバトゥミが始発になるので,そっちから乗っていたのだろう.そもそも,トビリシより前から乗ってた人のほうが多そうだ.

ところで,日本国籍の人はアルメニア入国にビザが必要である.乗車すると,車掌から申請用紙を渡された.しかしここが俺の間抜けなところで,「うーんペン持ってないけどどうしたもんかな」と思ってるうちに寝てしまったのである.日付けが変わったころに国境駅について,俺だけ事務所に連れていかれた(ほとんどの客は現地の人のようで,ビザ不要).係官曰く「なんで申請書書いてないんだよ」俺「すいません今書きますからペン貸してください」こんなんでなんとかなってよかった.滞在先住所もホテルとか全然決めてなかったから空欄にしといたけど,別に何も言われなかったし.ちなみにビザ代は10$払った.本当はもうちょっと安いんだけどドラム(アルメニア通貨)がない.

どのガイドブックを見ても「わりと遅れる」みたいに書いてあるけど,とりあえず今回はおおむね予定通りについて,別に問題なかった.よく眠れたし.せいぜい,トビリシ中央駅で長時間待つのに苦労したぐらいである.駅のフードコートがほとんど全部閉店中ってどうなんよ.


2013-03-20(水)

無題

個人旅行だと,食事をするときどこに入るか,というのはそれなりに難しい問題だ.ほかの人達はどういうふうに選んでるんだろう.ガイドブックに載ってる店に行くこともあるけど,そう丁度いい場合ばっかりでもないしね.俺の場合,地元で普通に使われている食堂的なものを探すつもりで,1)ほどほどに客が入っている 2)客の年齢層が多様である 3)内装が綺麗すぎない,あたりを目安にすることが多い.でもイベリア半島は夕食が遅いので,19時とかに行ったりするとどこも全然客がいないので困った.

あと酒は飲むけどワインはあんまり好みじゃないって人は,一回ぐらいはヨーロッパでいくつか試してみるといいのにな,と思う.ハウスワインとか銘柄無指定とかでいいから.あっちで試してみてもいまいち好きになれなかったら,それはまあ好みの問題なのでしょうがないけど.

今回はドバイ空港のバブリーな免税店街で有名なエミレーツで行ってみた.

行きに搭乗口で搭乗券を処理してもらうと,何か変な反応が出て係の人が確認を取ったりしている.何か忘れてたことでもあったかと思ったら,なんと満席アップグレード,いわゆるインボラでした.12年ぶりのラッキーだぜうひゃっほう.ちゃんと飯もサービスもビジネスクラスだった.ホームページで直接買った最安ランクのチケットだったんだけど,運がよかった.ていうかああいうのってチェックイン時に言われるのかと思ってたんだけど,搭乗寸前で言うこともあるんだね.

今回ビジネスに乗ってびっくりしたのは,座席がほぼ完全に水平(ベッド状)にできたことである.前はこんなことできなかったような気がするけど,これはエミレーツのビジネスクラスがすごいのかそれとも12年で時代が変わったのだろうか.それと付属のヘッドホンがノイズキャンセリング式なのにも驚いた(かなり効果はあった).こっちは,12年前にはそもそもそんな商品はなかったな.いずれにせよビジネスクラスのサービス比較なんて俺にはしようがないのでよくわからん.

ところで,バラハス空港の免税店でエミレーツの乗員が行列しておみやげを買っているので,ちょっとびっくりした.普通はあんまり乗員が免税店にいるの見ないけど,ドバイでワインを入手しようとするとよっぽどコストパフォーマンスが悪いんだろうか(みんなUAE人ではなさそうだった).ドバイ空港の免税店にはお高そうなワイン屋が一軒だけあったような気がするけど.


まあこんなでかい町に一日しかいなかった程度でどうのこうの言うのもアレだ.雨だったから,おみやげ選んだり絵を見てたりしただけだし.

なんつうかスペインてはっきり言って財政的にはギリギリの国のはずだよな.若者は仕事がないほうが普通だとか言って.でもなんかそれなりに活気があるしインフラも別に死んでないようなのはなんでなんだろ.破綻すると突然そういうのが全部死ぬのだろうか.リスボンと比べても,店のつぶれた跡も少ない気がするしバーやレストランなんかも普通に客が入ってるみたいなんだよなあ.サラマンカにも学生がいっぱいいたけど,そのコストって最終的には結局フランスやドイツの税金なんだろうか?
天下国家の話が結局ミクロな生活水準にどう影響するのかって,要因が多すぎていまいちよくわからん.

治安が悪くなったと言われつつも,昼間普通に歩いてて不安を感じるというほどのことはないしなあ.そりゃまあ地下鉄のスリぐらいは出るだろうが.いつも考えてる基準だが,いわゆる社会的弱者に該当する人達が普通に町を歩いてる時点で,そうでない地域とはだいぶレベルが違うと思う.

ところで首都クラスの巨大都市の場合にありがちなミスとして,「道を間違えたまま長時間気付かない」というのがあるが,今回もやってしまった.そう簡単に町外れにならないし,大きなブロックの街区が続くから気付きにくいんだよなあ.プラド美術館を見物に行こうとして,20分もかからんであろう距離に1時間以上かかってしまった.せめて晴れてさえいれば…….

あとバラハス国際空港はやたらでかいのでちょっと大変だった.特に,非シェンゲン国に出発するゲートはそうとう遠い.今回空港についたのは離陸2時間前なのだが,ゲートについて近くの店でおみやげをちょっと買った時点ですぐ搭乗が始まってしまった.

こちらもコインブラと同程度の由緒ある大学があるというので,見物に来た.こっちはコインブラよりもっと規模がでかく,旧市街の外側に大型建物の集まるキャンパスもできている.いちおう旧市街の古い建物もある程度使ってはいるようだが,そういうのも中をのぞくとわりとふつうだったりする.ファサードだけ旧市街に合わせてあるとか.あ,でも公立図書館はなかなか面白かった(単なる観光客でも普通に中に入れる).古い建物を生かしつつそれなりに現代的な内装になっててよい.
というか,旧市街の建物が全部古いわけじゃなくて,けっこう再建されたものもあるご様子.明らかに古い建物以外は,実際に石造りなのかそれともコンクリで建てたものに砂岩のパネルを貼ってあるのかもよくわからない.ただ,ここでは再建したり新しく何か建てたりするときに,カラーをくずさずにやるという決まりかなにかはあるようだ.旧市街だけでなく周辺の新しい町にしても,色は同系統のものが多い.

この町は,中央広場とその前後の通りへの集中がかなり強い.ヨーロッパの旧市街というのは多かれ少なかれ中央広場を中心としているものだが,それにしても極端だ.中央広場周辺とそれ以外で,人の量,建物の豪華さ,店のにぎわいなどに圧倒的な差がある.ちょっと離れたエリアにショッピングセンターやデパートなんかもあったけど,ほぼ住宅街と同様の人通りしかないのでびっくりした.「ショッピングセンター」に至っては,開いてる店が二軒だけだったという有様である.施設全体が休業日なのかと思ったほどだ.だいたい,中規模の町の中央広場で,周囲をひとつの巨大な建物が囲ってる方式はほとんどないのではないか?
というか逆に考えると,賑やかな繁華街と静かな町を両方楽しめてお得とも言えるかもしれん.ちょっと離れたところにある店などでゆっくり酒を楽しんだりするのもよいものだ.

ここではバスルーム共同クラスの安宿に泊まっていたのだが,三泊分前払いしていたのに,二日目に帰ってくると「実は三日目には予約が入ってたの忘れてた.うちでやってる別の宿に移ってほしいんだけど」的な書きおきがあった.適当だな.一泊分15ユーロのままテレビ付きになったし無線LANも接続がよくなったので,まあアップグレードと言えなくもないが,共同バスルームは前のほうが使いやすかったなあ.

ところで,ここの学生はコインブラと違って,夜大騒ぎして回る奴がうじゃうじゃいる.一人で旅行していると,リア充爆発しろ感が大変よく味わえる.
でもあれだホレ,ワインは一人で飲んだってやっぱりうまいんだよ.
当日記はぼっち充を応援しています.


ポルトガルとスペインの間のルートはいろいろあるが,中部を通るルートだと,北部の都市ポルトを出発してヴィセウやグアルダを経由,国境を越え,サラマンカを経由してマドリッド着というバスがあるようだ.コインブラからこのルートに行くには,どうやら途中でバスを乗りかえるらしい.しかしそういうことは全然聞いてなかったので,ちょっと戸惑った.コインブラの観光案内所では「コインブラ発サラマンカ経由マドリッド行き」というバスの案内がもらえたし,バスターミナルでも普通に「サラマンカ行き」という切符が買えたので,最初はそういう直通バスがあるのかと思っていたのだ.しかしコインブラを出て一時間ぐらいするとアルベルガリアなる町で一旦下ろされ,そこでポルトから来たバスに乗りかえろと言われた(ようだった).

というかコインブラのバスターミナルはあまり整備されていないような感じだ.大きな町のバスターミナルというと,ふつうは「10時30分発 マドリッド行き 7番乗り場」みたいな発着案内が一覧で表示された掲示やモニターがあるものだが,そういうのがいっさい無いので,とりあえずバスの運転手に聞いてみるしかない.バスに掲示してある行き先表示もいまいち確実じゃないようだし.インフォメーションカウンターみたいのもないんだよな.

時間はコインブラからサラマンカまで,乗りかえ待ちも入れて総計6時間半だった.まあそんなものだと思う.むしろポルトガルとスペインに一時間の時差があるのをうっかり忘れそうになる.なお両国ともEU(というかシェンゲン国)なので,国境審査はわりあい簡単である.日本のパスポートならちょっと確認するだけで終わりという場合がほとんどだろう.まあバスなので全員のパスポートチェックが終わるまで進めないけど,それでもそう多大な時間はかからないと思われる.

車窓の風景を見ていると,グアルダあたりからだいぶ雰囲気が変わり,まあなんというか不毛な感じになってくる.ポルトガル側ははじめわりと森の多い風景なのだが,それがだんだん石や灌木ばっかりになってくるのだ.そしてなんか砂岩の色をしたサラマンカの町に着いた.


コインブラ大学を見物に来たのがここに来た主な目的だ.中世からの由緒ある大学であり,この町の主な観光名所でもある.エヴォラ大学同様,中世からの建物もちゃんとそのまま授業とかセミナーとかで使っている.もっとも,部屋さえあれば事足りるのは,まあ文系とか教養の授業に限られるな.最近の科学研究をするような部門は,ちゃんと新しく建てた建物に,ふつうの大学とおなじようにあれこれ並んでいた.
ところで,町の大聖堂(もちろんカトリック)と動物学教室が同じ建物にあるというのは違和感を覚えないのだろうか?

ここは大学の町だけあって学生がうじゃうじゃいる.見物に行ったときにちょうど,新入生が無意味に声を出させられる的な行事をやっていた.ああいうのどこにでもあるのな.
しかし学生の町なのにわりとおとなしめなのは不思議である.夜も早くて,19時とかで中心部の店はだいたい閉まってる様子だった.バーを飲み歩いて騒ぐ学生とかそこらに吐き散らかす学生とかもあまり見ない.時期が悪いのかしらん.でも西洋の3月って別に年度末でもなんでもないよなあ.

ところで,この町も例によって坂が多い.大学も急な坂の上にあるので,大学関係者は毎日登ったり降りたりすることになるらしい.難儀なことである.坂の上に直接行けるリフトもちゃんとあって,脚があまり良くない人はこれを使っているようだ.
ただ高低差が多い上に不規則な路地というのは,構造としてはおもしろいものだ.リスボンで言えばアルファマ地区のようなものだが,こちらは大学関係の活動があちこちに見え隠れするところがいいと思う.

また,この町の中心部はまあ歩いてどこでも行けるぐらいのサイズである.しかもそれなりに施設はそろっているので,旅行者にも過ごしやすい町だ(坂にさえ慣れれば).せっかくだからショッピングセンターに行ってみたりして,フードコートで定食を食べたらなかなかうまかったのでびっくりした.


リスボンといえば急坂とトラムと港である.……長崎?
いやそれはともかくこのトラムというやつ,乗ってみるとわかるが猛烈に遅い.下手すると早足で歩いたほうが早く目的地に着けるかもしれないレベル.かなり狭い道が多く,急坂も多いためどうしようもなかろうとは思う.本当に便利なのか疑問になるが,乗ってるのが観光客ばっかりかというとそうでもなくて,けっこう地元の人も乗っているようである.やはり坂が多くてしんどいからだろうか.
というかそもそもこのアップダウンの多い地形で大都市をやっていくこと自体けっこう無理ゲーの気もするが,それなりにがんばっているのはすごい.確かにもともとポルトガルは山がちなので,どこの町に行っても坂ばっかりではある(このへんスペインとはけっこう違う).でも歩いて行動できるサイズの町ならまだいいんだけどなあ.それに今は複数の地区を地下鉄やらリフトやらなんかで結べるが,昔はどうしてたんだ.

ここでは普通に観光名所とか見たりもした.中世の建築とか芸術とかを見物していると,宗教信じてる奴の情熱にはなかなか勝てないよなあとか思う.やたらに詳細に描かれた宗教画の巨大なアズレージョとか,聖堂のはしからはしまで細かい彫刻がしてあったりとか.情熱があればいい作品ができるかというとそれはまた別の問題だけど,一生懸命こつこつやる系のものだと,なかなか普通の人ではあそこまで気合いを維持するのって難しいよな.
ところで,アズレージョといっても適当な絵から異様に詳細な絵まで千差万別だということを初めて知った.適当なのは本当に適当でけっこう面白い.

あと第二テーマに従ってワインバーなるものに行ってみたところ,何ページもあるメニューのほとんどがワインリスト,食べものはオリーブとかハムとかパンぐらいしかないというかなりハードコアな感じだった.ボクチンこんな店初めて入るのでびびり気味だったわけだが,うまいポートワインをいくつか楽しんで6ユーロいかないという驚きのお値段.


さて春の旅行だが,今回のテーマは三つだ.
・古い大学を見物する
・ワインを楽しむ
・ポルトガル語とスペイン語に触れる
というわけで,エヴォラにも古い大学があるというのでちょっと寄ってみた次第である.間抜けエピソードとして,大学がどこにあるのか初日にはどうも見つけられず,二日めにGPS地図を使って探したらあっさり見つかった,というのがあった.初日はずっと雨だったので使えなかったんだよね.意外な弱点だ.

大学は古い建物も使っているらしく,回廊のある修道院状の構造の部分があったり,教室の中も含めてアズレージョ(ポルトガル特有の彩色タイル芸術)で装飾してあったりしてかっこいい.日本の大学も古い建物もっと使おうぜ.再建するとか新しい建物を古い様式で建てるとかでもいいからさ.金がかかりすぎて駄目か.

エヴォラは旧市街が世界遺産ということである.わりにシンプルというか地味な印象の町だ.これは色調がかなり統一されて,しかも塗りがどこもだいたい綺麗なこと,建物のファサードが装飾ひかえめなことあたりが理由ではなかろうか.まあ,そもそもあまり大きな町ではないというのもあるな.オフシーズンだったこともありひっそりした静かな町だった.

というかそもそも店のある通りが少ないような気がしないでもない.スーパーなんかも旧市街にはないようだし.飲食店はそこそこあるようなのだけど.