3月4日から3日間、友人と湯沢にスキーに行ってきた。ちなみに友人達は立派に高校を卒業した連中である(爆)。

 NASPA、上越国際、岩原の三ヶ所に行った。このうち、NASPAのみがスノーボード全面滑走禁止なのだが、そこで気付いた、というよりは、改めて確信したのが「スキーヤーとボーダーは犬猿の仲」だということである。

 スキーヤーにとってボーダーというのは、リフトを降りた直後の場所にたむろしていたりゲレンデのど真ん中で休憩をとっていたりするとても悪質で迷惑な連中なのだ。彼らがいるだけで、滑るスキーの風斬る速さは60%ほどダウン(当社比)してしまう。しかも人気が出始めてから日が浅く、へたくそがとても多い。初心者コースなど、ボーダーで溢れかえっていることだってある。

 対して、ボーダーから見ると、スキーヤーほど迷惑な存在はない。何の因果かボーダーを目の敵にして文句をたれ、停止した状態を維持できないからしゃがみこんでいるだけなのに、邪魔だと言って批判してくる。おまけに初心者コースで練習しているところを馬鹿にでもするかのように凄いスピードで滑りぬけていくのだ。

 というように、まるで歩行者と車かのようにスキーヤーとボーダーは対立しているのだ。私はどちらも楽しむのだが、ボードをやっているときはスキーヤーが、スキーをしているときはボーダーがチョー(c)邪魔なのだ。将来的にはボード専用とスキー専用のスキー場(はて、ボード専用でもスキー場?)に分かれて欲しいものだ。

 先日上野マックで行われた「第一次わーす君の将来会議(今命名)」において決定された事項<わーす五ヶ年計画>を確認してみる。

 まず、私はとりあえず人気サイトを作る。そうして知名度を上げたところで、適当な出版社に原稿を持ち込み、本を出す。それと、高校はしっかり卒業せねばならない。そして、親元から自立できるだけの資金を溜めたら大学をやめ、一人暮らしを展開しつつライター稼業を目指す。
 こんなところである。なお、その後に追加されたところでは、人気サイトを制作する前に下着をトランクスに替え(謎)恋人を作るべきらしい。

 そんなわけでどんなわけで(c)、とりあえず表は一旦閉鎖します。元々素晴らしいまでの更新速度を誇っていたわけだし(ぉ。表で更新され得る可能性のあったものは全部こっちに持ってきて、完全に一から作り直そうと思ってます。フレームとか(謎)。んで、裏も最低二日いや、三日に一遍(ぉは更新する所存であるかも知れません(ぉ。葉っぱ^H^H^H発破よろ。
 つまるところ、生き物というのはけっこう自由であると思う。たとえ何か束縛するものがあっても、それは束縛する側に力があるのではなく、実のところ束縛されることを選んでいるのではないだろうか。

 例えば、警察に捕まるから人殺しはできない、としよう。一見法律によって束縛されているように思えるが、その法律に引っかかたくないために人殺しをしないことを選んでいるのは他でもない、あなたなのだ。

 つまり、何事につけ抑止力というものは存在するだろうが、それにからめとられることを嫌って事をなさないのは、単なる自制である。
だから、学生が「校則が厳しくて自由がない」などというのはちゃんちゃら可笑しのホムーラン王だ(古違)。

 では、自由でない、とはどういうことか。
自分がそれをしたいと望んでいても、直接的な力で押さえられていて、その力を跳ね返す力を自分が有していない場合である。
例えば、誘拐された子どもなどは、自由を著しく害されながらも、それを跳ね除けることはできない。それに対して、身の代金を要求された親の側は、それを払わないという選択もできる。ただ、それによって生じる不利益=子どもの身の危険という要素のために普通は選ばないというだけに過ぎない。

 自縄自縛は不自由とは言わないのだ。自由であるってのは、至極当然のことで、何も特別なことではないのだ。だからほんとは、敢えて言うほどのことでもないんだけど。
 私の夢の一つに、空を飛ぶことというのがある。勿論飛行機だとか、ヘリコプターだの戦闘機だのは不許可である。ハンググライダーやスカイダイビングはやったことないからわかんない。戦闘機にも乗ったことないけど(笑)。

 なんでかはよくわからないが、自分なりに分析してみるとこんなところだろう。
 まず、自分には不可能なことで、且つとても気持ちが良さそうだということ。「私に翼があったなら、好きなところへ飛んで行けるのに」てなところだろうか。「あなたのもとに」でないところが淋しい限りである(笑)。
 次に、空の持つ魅力。魔力と言ってもいい。深く湛えられた水をジッと見てると、なんとなく引っ張られるような感じがしない?それと同じような感じで、青く澄んだ空も、私の心を惹きつけるのだ。感覚としては、空を飛ぶというより、空に飛び込むというところかな。

 さて、首尾良く空を飛べたなら、次はそのまま地面に落下して死ぬ番である。
 予定では、空を飛ぶのに満足した頃、私は幸福の絶頂にいるはずなので、その満足感を抱えたまま、飛行能力を失ってしまいたい。そうすれば「ああ、良かったな」と思いつつ死んでいけるというものだ。死んだ後どうなるか、という知識的欲求も満たすことができるので一石二鳥というものだ。

 ところで、空を飛ぶ夢は欲求不満を表すと言うが、無意識下以外でもこんなことを考えている私は、欲求の塊かなんかなのだろーか(爆)。あながち外れてない気もするが。

 この夢を実現するのに最も適しているのは舞空術だと思うのだが、誰か教えて下さい。