秋の風が思いのほか早く吹く様になった9月。
ご老人に関わる仕事をして、ずいぶんになるけれど、ここ数日考え込んでしまっている。
ワタクシにしては、珍しい事。
人が生きる事は、死に向かって進んで行く事で、誰にも止められない事である。
それぞれに、一生懸命に生きている。
心に引っ掛かる二人のご老人。その命の終わりが近づいている。
何度となく経験をしてきた事で、今まではある意味では諦め、ある意味ではホッとする気持ちにもなった。
けれども、今回はそのどちらの気持ちにも当てはまらないのだ。
まだ、何か出来る事があったのではないかと思ってしまう。
もう、医療に任せているので、ワタクシが出来る事はそう多くはないのだが・・・
どうして、心が納得できないのだろう。
年齢的には、何も問題はないのだけどね。
10日前まで元気だったのに、入院をしたら実はガンが全身転移で予後が数日だった。
それは、ご老人では時々はある事なのだが、なんとも胸が痛い。
今は、何も喋らない。朦朧として横たわっているだけだ。
迫っている死を受け入れている様でもあり、たぶん一生忘れられない風景であろう。
「生まれてくるときは皆一人、息絶えるときも一人」
この歌詞の本当の深い意味を知っている。
もう一人のご老人には、まだ少し時間が残っている。
家族を含めての支援が必要で、心の整理をする余裕が残っている。
想定されていた事態ではあるが、もし在宅へもう一度帰るとなると相当のリスクがある。
しかし、家族の意志は明確で、今の山場を越えれば在宅での看取りを希望している。
しなければならない事は分かっているので、在宅へ帰る事が決まれば調整を行うだけ。
ワタクシに心のゆとりや思いを閉じ込める力が少なくなってしまうと、
支援に影響をしかねない。
人の最期のところを支える仕事をしている限り、ワタクシは前に進む事だけを考える。
ワタクシが支えるのは、ご老人だけではないのだから、その先も生き続ける人たちがいるのだから。
見届ける事しか出来ないけれど、それを心に刻み付ける事は出来る。
忘れない事は出来る。
穏やかな気持ちを保ちたい。