富士山を含めた4件が、世界文化遺産の暫定リストに追加された。かつてゴミ問題で落選した後、ボランティアによる撤去作業が報道されてきたが、まだまだ心ない輩とのイタチゴッコは終わらないという。

TBSの「世界遺産」はよく見ているが、改めて世界遺産を調べたら、「日々狂簡」というブログに分かりやすくまとめられていたのでリンクさせていただいた。四方を海に囲まれ、その国土の8割が山という日本は、自然遺産の宝庫であると言えよう。さらに叡智に富んだ民族の作り上げた建造物等は文化遺産だらけと言っても過言ではない。

では、世界遺産に登録済みの文化遺産644、自然遺産162、文化と自然の両方の価値を持つ複合遺産24の計830件のうち、日本のものが13件というのは多いのか少ないのか?

諸外国の「世界遺産登録は民族の誇りである」という執念にも似た意識が、日本民族には薄いのかもしれない。大昔から単一民族国家で、外敵の侵略で興亡してきた歴史を持たず、他民族によって自分たち民族やその文化が絶滅、破壊される危機に日常的に接して来なかった。だから民族意識というもののDNAが弱く、ことさら固執しないのかもしれない。

もうひとつの民族間の問題である宗教にしても同様な事が言えるだろう。神という絶対の存在を畏れ崇める一つの宗教で日本民族がまとまっているという事はない。逆に人間が仏に近づく道としてさまざまな宗派があった。だが、近代ではそれすら揺らいでいる。精神的支柱においても日本民族の基盤は弱まっているのである。

それゆえ富士山麓のゴミ投棄ように、あるいは神社仏閣の落書きのように、己れの利益や欲望のためにはかけがえのない財産であるはずの自然や文化も平気で汚せるのだろう。その意味では日本民族の「民度」もたかが知れている。恥ずかしい限りである。

欧米では、戦争で破壊された歴史的建造物は、その破片をつなぎ合わせ、ヒビに至るまで同じ材料で忠実に復元するという。その執念が彼らの民族文化の誇りであり、確固たるアイデンティティの源になっているのだと思う。

誇りを持たない、あるいは持てない民族は必ず滅んでゆく。