一昨日見たTBS「報道特集」でも取り上げられていたが、今中国では2008年の北京五輪に向けて市民のマナー意識の向上に躍起になっているとの事である。

交差点での信号無視は日常茶飯事、赤でも止まらず青側とぶつかる。タバコや食べカスの路上ポイ捨ても当たり前。歩きながら平気でタンを吐く、手鼻もかむ。電車やバスでは降りる人を待たずに乗り込む。降りる人はまさに命がけ。

さもありなん。だが決して我々も彼らを笑えない。それはほんの40年前の日本の姿だからである。その昔、日本には禁煙喫煙の別もなかったし、公共の場所であってもゴミは散乱していた。駅のホームや通路には気味の悪いタン壷が置かれていたし、もちろん整列乗車の習慣もなかった。

今の中国、特に経済特区の上海などでは、確かに経済的な発展度合いは先進国並みかそれ以上だが、いかんせん国民のモラル、すなわち「民度」が伴っていない。まったく同じとは言わないが、高度経済成長期の日本さながらではなかろうか。

相手に不快感を与えないために相手を慮る行為を「マナー」という。マナーこそがその国民の精神的・道徳的な「民度」を測る尺度であり、その国の成熟度の証でもある。そこには利他の精神、すなわち譲り合いの精神が不可欠なのである。

だが、自分が食べる事、生きる事に精一杯のうちは、そんな感情の芽生える余地はない。マナーの精神が宿るためには、少なくともそこの人々に生存に対する物理的・精神的不安があってはならないのである。

今、上海では「可愛い上海人になろう」をスローガンにマナーの啓蒙活動が活発化しているという。面白いもので、その広がりは小学校の教育現場から盛り上がって来ているそうだ。大人よりも子供の方がそれをいち早く理解し実践しているというのである。

確かに経済的発展を来たした上海では、かなりの割合で地方の出稼ぎ労働者とその家族が押し寄せている。彼らは、幼い頃からマナーや道徳教育などは受けていないので、なぜ道にタンを吐いてはいけないのか、食べカスやタバコを捨ててはいけないかの意味が分からないと言うそうだ。

営業職やサービス業に至っては、市場経済の経験がないがために奉仕の精神という観念すらない。客に対して笑顔で接するという意味が理解できないでいる。そんな状況で、マナーを学校で学習してきた子供達がそれを親達世代に説いているという。どこにおいても子供は柔軟だ。

そんな子供達を見ていて思った。

もしかしたら、大人達が拘り続けている過去の歴史に縛られた国同士のいがみ合いや利害関係なんかは、きちんとした教育を受けた既成概念を持たない子供達世代では、とっくに雲散霧消している事になるかもしれない。そんな期待を抱かせるニューストピックスだった。