んー,最近少々忙しいので更新が減っております.
来年度は文系の大学生にプログラミング入門みたいな講義をすることになったらしいのだが,シラバスに載せる講義要項を書けとかいう連絡が来た.うーん,何を書いておこうかなあ.
専業のプログラマじゃなくても,知っておいたほうがお得なプログラミング関係の知識って何があるだろう.
ていうか何の予備知識もない人達相手に半期だけで何ができるのか考えたほうが早いかもしれんが.
そういえば,以前ここに修論卒論の意義を書いたら誰かさんにコメントをもらった気がするが,あの時に議論がかみあわなかった最大の原因として,今の時代に学問として新規に意味のあることが「そもそも可能だと思ってるかどうか」が全く違うという点があげられるのかもしれない.
よく考えたら,俺は学生だろうが大学者だろうがもはや本質的に新しいことは不可能だと信じてるから(もしあったら,それはすでに学問とは呼ばないような形を取ると思う).
大塚英志の本を読んでたら,M君がぱらぱらめくって曰く,文体がなんとなくわたしの語り口に似てると.どうも妙に読みやすいと思ったのはもしかしてそのせいなのか?
なんか微妙にショックな感じ.
ちいさい子供のころ,「茶色」という色がなんでこういう名前なのかとても疑問だった覚えがある.お茶の色は緑色じゃないか,と.
ほうじ茶や紅茶という飲み物も茶の一種であると理解するのは,けっこう後になってからの話.
修士論文を読み返していたら,「××法の限界について」と称した一節があってちょっと笑った.結局俺は昔から,何が「できないか」の話をするほうが好きなんじゃないのか.何が「できるか」にはたいして興味がないわけだ.そういうことは他の人たちがやるさ.
なんか最近は大学での就職活動に関する規制がなくなったらしく,どんどん就職活動の時期が前だおしになってるらしいね.
正直あれスゲエ迷惑なのでなんとかしてほしい.卒論修論シーズンにM1が研究室に参加できなくなるじゃん.卒論修論の議論に参加することは非常に重要,というかあれをやらんのならそもそも修士課程に来なくていいと思う.
ていうかさ,どうやっても卒論とか修論とか書けなかったら,もうどんどん落とそうよ.なんで必死になって全員救おうとするんだよ.おいそれとは落とせないって風潮を作ったのはどこのどいつよ.
工学系では,もう大学院でもこの風潮が全体を覆ってる感じ.文学部だの理学部だのは院だともうちょっとマシかもしれないけど,学部はそんなに変わらんだろう.アホか.
どんどん落とす風潮にしていけば,理系は基本的に全員が院に進むという馬鹿な現象もちったあマシになるかもしんないし.
N君の博士論文の公聴会を見物した.
M1のときにT氏の公聴会を見て,わたしにはこんなことができるようになるのだろうかとおののいたものであるが,まあなんというか結局のところできるようにはならなかったのだ.ふむ.
来年度の,1回生向けのぱそこん入門の講義もやってくれとかいうメールが来たので,気軽に引き受けてみたのだが.
よくよく書類を見てみると,なんか週4回も担当しないといかんらしい.最終的にはなんと週に6コマも担当することになってしまった.あれー,来年度は昼寝して暮らす予定だった気がするんだけどなあ.
どうでもいいが俺にWordやExcelやPowerPointの演習を担当させるというのはもはや一種の冗談であるな.せっかくだから,「Wordのファイルはメールに添付してはいけません」だとか「PowerPointのアニメーションとか動画の機能は邪魔だから可能な限り使うな」だとか好き放題やってやろうと思う.
高校以前の時代についてあまり記憶がない.
単に記憶力がないせいかとも思っていたが,それにしては大学以降との残りかたにずいぶん差があるのが謎なのだ.
思うに,「記憶にあまり残したくなかった」とか「記憶に残したいと思うような出来事がそもそも起きていない」とかいう説のほうが正解に近いのかもしれない.
子供のころ住んでいたところはとても嫌いだった.
今日はなんつーかちょっと大人げない対応をしてしまった気がする.
でもさあ.「あれが通るんなら,そもそも研究指導なんてまったくしなくても同じことじゃないですか?」というのは今でも撤回する気は起きないけどさあ.