英語の添削サービスを頼むと,物が主語の文が人間を主語の形に直されてることが多い気がする.「椅子がすぐ回って困る」→「意思に反してすぐ回してしまうので困る」とかそういう感じ.日本語にすると後者の書きかたで自然な文にはしにくいが,英語だと前者のほうが不自然な感じがするんだろうかね.
今回の課題:
- punctuation
- to不定詞と動名詞と抽象名詞の使い分け
- thatとwhichの使い分け
ときどき院生とかが,英語で発表しなきゃいけないから上手にできるか不安だとか何だとか言ってるのを見るのだが,今にして思えばそんなことで一々悩むのは実にまったくに馬鹿げた話である.
内容が覚えきれなかったらあんちょこ見たらいいし,発音が通じてないようだったら通じるまで繰り返したらいいし,言葉が出てこなかったらそのへんの日本人に「○○って英語で何て言うんですかね」とか小声で聞いたらいいじゃん.どうせたいがいの参加者は英語の発表なんかヘッタクソなんだって.気にするだけ無駄だって.
ていうかそもそも発表自体真面目に聞いてる奴はほとんどいないと思うけどね.もともと院生の発表なんてハクを付けに行ってるだけ的なのばっかりだし.
まあ,うちらのジャンルが特に腐ってるのは異論がないところだがな.K研の発表みたいな内容だったら学生でなくても誰も聞いちゃいないよ.
大学の授業ってだいたい講師以上じゃないと「講義」を持たせてもらえず「演習」だけだと思うんだけど,あれってよく考えると変な気もするね.演習だって真面目にやったら講義と同じくらい大変,下手すると演習のほうが大変にもできるんだし.演習の内容が決まっててガイドするだけだったら楽かもしんないけどさ,そんなの実際ほとんどないじゃん.
まあ給料は変わんないみたいだから一応ちゃんとやるけどさ.それとも私が知らんだけで違ってるんだろうか.
単なる思い入れとかノスタルジーとかを一生懸命正当化してる人というのはもう不愉快というよりむしろ興味深くさえある.別にいいじゃん個人の思い入れやノスタルジーや感傷でもそのまま言っとけばさあ.必死になって一般的な意義なんかでっち上げないほうが好ましいと思うんだけど.