コトの始まりは、先週の火曜日。
少々無理をして、バホぢに娘たちを任せ、家を出た夕暮れ時。
県庁所在地の郊外のシネコンまで、高速道路を走らせたワタクシ。
愛おしい男(ひと)に、会いに行くために、そそくさと家を出てきた
ワタクシの急ぐ心を、トンネルに入っても、尾を引いてくるオレンジの夕日が、
ちょっと責めているように思えた。
なんとも不思議な感覚だった。
「ホテルビーナス」1人でゆっくり見るはずだった。
確かに、ゆっくりと見たのだけど・・・
あれれ?何か違うぞ。何かが違っちゃったの、「ホテルビーナス」に対してね。
1、2回目と、もう号泣に近かったワタクシなのだが、3回目にして、
ちっとも泣けなくなり、今まで、いったい何に泣いていたんだろうと、
疑問にまで思えてしまった。
感情移入なんぞ出来ていないのに、シーチュエイションで泣かされた感が強くて、
それが何だか居心地悪く感じてしまったのだ。
それとそれ以上にクサナギさんに、まっすぐに進んでいる自分を
発見してしまったのだ。
いかん!いかん!!
これは、もしかしたら、恥ずかしくて書けなかったのだが、恋ではないか?!
今まで、どっちかというと保護者的な見方が強かったワタクシだった。
だから、基本的な好きってところの感覚が、微妙に違っていたかもしれない。
好きだけど、盲目的にはならなかった。
どっかで、冷ややかに自分を見ているもう1人のワタクシがいた。
が、今回、そのもう1人のワタクシが消えてしまった。
う〜〜〜〜〜やばい!!!!
これは、きっと恋。
ギリギリの歯止めを無くしてしまったらしい。><
そのコトに、恥ずかしながら狼狽し、自分でどうしようかと、
思い悩んだ小心者のワタクシなのだ。
自分の気持ちをはっきりと整理するのに、時間がかかった。
そのくらい戸惑いは大きかった。
今までも好きは好きだった。ほれぼれと見ていた。
が、それを傍観者としている、もう1人のワタクシがいて、
いつも「クサナギ、まだまだだぜ」って言っていた。
のだが・・・
今は、少し「クサナギ、OKだぜ!!!」に変わってしまった。
2000年冬に、恋をして(それは人から言われた言葉だった)、
それは確かに恋だったんだけど、時間の中で、思いは同志のように
変わってしまったのかもしれない。
この1週間、クサナギさんのメディアラッシュを追いかけながら、
自分で結論付けたのが、『恋』という言葉だった。
こんなワタクシの思いに、つよ友さんから『それは恋わずらい』と。
そうだ!!
きっと、そうだ!!恋とは思ったが、恋わずらいか!!!
あぁ・・・ありがとう〜〜分かってもらって、うれしい。
あの尾をひく夕日に追われたワタクシは、あの瞬間に、
クサナギさんへの届かぬ思いへ旅立ったのかもしれない。
あぁ、なんてこっぱずかしい言葉を書き連ねてしまっている事か!!
ワタクシ、これでもれっきとした社会人で、母(一応な)で、人妻なのであります。
夫と子供を後にして、若い愛人に会いに行くような、そんな後ろめたさより喜びが
先にたつ思いを感じでしまった。(まだ、こっぱずかしいコトを書くのかい??)
クサナギさんを、微妙に男として意識を持っているバホぢも妙なヤツなのだけど、
そういう意識を抱かせる男になったって事でもあるよな、クサナギさんよ。(感涙)
もちろん、それで夫婦仲が悪くなる事はないのだよ。
「ホテルビーナス」について、『何も感じない』と書かれていた方がいて、
ワタクシの思いも、それに近い事で納得しました。
なのに、涙が出る。泣く理由が分からない。それで、混乱をしておりました。
えぇ、もう何も考えない事にします。
クサナギさんが、情熱をかけて作りあげたものを、なんとか自分の中で咀嚼しようと
していたのだけど、素直に認めたい自分がいたのだけどね。
あと少しの何かが変われば、もっと違ったものになっていただろう事が
口惜しかったりしたのだけど、もう何も考えない事にします。
そうして、クサナギさんだけを見に、もう少しシネコン通いを続けます。(笑)
購入した「写真集」なのですが、「黄泉がえり」の方が、ずっと好きなのですわ。
どれもきれいに撮れてるクサナギさんなのだけど、被写体としてそこにいるだけで、
そこから草なぎ剛が伝わらないのです。
胸にグッとくるものがない。
それって、この映画の世界観なのでしょうか?
現実味がなくて、どこかしら夢の中の話のように思えます。
ってコトで、完全に復活しやした。
これからは、もっとしつこく、もっと深く、そしておバカに書き連ねていく
ワタクシをどうぞよろしく!!
って、事で、今週は「砂の器」も「スマスマ」も具体的な感想はなしです。
「スマスマ」は、ツボがあっちこっちにイッパイで、満足だったのですけどね。(笑)