キャン待ち番号12番は、舞台向かって右側の通路。
左側、右側は交互に振り分けていた様なので、右側になったのは本当に運が良かった。(次の回は20時は左側なので)
階段部分では3段目なので、席だとF列あたり。
思ったより近い。
会場に入ってからは、不思議なものでドキドキは遠のいていた。
何にも感じないというのか、『無』になってしまったのかもしれない。
しかし、その『無』ゆえにいろんな思いが交錯したのかもしれない。
「父帰る」
芝居うんぬんの前に、やはり先に書いてしまっておこうと思うのはクサナギさんのコト。
この位置からは、新聞を広げるクサナギさんの横顔が見えるワケですが、
その横顔のきれいだったこと。
この世の中に、こんなにきれいで白い生き物がいても良いのかと思ってしまった。
本当に、この人を見にやってきたんだと実感。
そのまわりも白いオーラがいっぱいで、しかもオーラの強弱を変えながら、
存在自体を包んでいたように思えた。
最初のセリフ「おたあさん」を聞いた時、置き物じゃなく動いた!!となぜか思ってしまった。
「おたあさん」もっとあんな凛とした声じゃなく、少し間抜けな声でも良かったかな?
などと思ってしまった。
いや、もっと優しくても良かったかも。
もちろん、表情は優しいのだけれど、なんだろな、もっともっとあるでしょ!
けれど、それは家長としてのひと言なのだと思えば、納得できたりもするんだけど。
これは、日常のひとこまが急に一気に動き、いきなり非日常になってしまう話なので、
日常の演技を大切にしないと、非日常が浮きたたない。
まわりの演技者の方は、流石というのか、ご飯をよそう、手を洗う、袴を脱ぐ、
動きながらの芝居を積み重ねていく。
クサナギさんは、そこに座ったまま、黙々としている。
そうそう、お味噌汁を飲むタイミングが兄弟揃って全く同じだったね。(これは勝地くんと合わせていたのよね)
そんな事をばく然と見ていた。
感情が一気に高まっていき、激高してしまう場面。
最初は、感情が高まりすぎて、怒りが前面に押し出されすぎていたように感じた。
押し殺すような怒りの表現が、出来ていたのではなかったかと逆にガッカリしたのだ。
が、それはこの「父帰る」についての捉え方が変わることで、見方が変わった。
これは駄々っ子ような甘えが入った怒りだったのではないか。
父の存在を許せない、許さないと思っていた賢一郎。
いきなり自分の築き上げた日常に、土足で上がってきた非日常の父。
その父を父としての尊敬を持って、素直に接する弟妹に、「おい、ちょっと待てよ」と
言いたくなる気持ち(怒り)は理解出来る。
と同時に、「どうしてそうも素直になれるんだ」と羨ましくもあったかもしれない。
そうして、この兄は、きっと自分の逆境を少しは父のせいにはしたかもしれないが、
呪文のように悪人に仕立て上げてなかったんだろうな。
そんな賢一朗の思いを分からないのは、父だけで。
今の時代ならは、あそこで抱きしめてやれば、それで良かったのではなかったと思えている。
威張って入って来たけれど、内心はヒヤヒヤでだったろう父の思いもまた静かに表現されていた。
再度、出て行った父を追いかけるか否か?
唐突な感じがしたのは、たぶんそこまで理解が出来てなかったからだと思う。
最初見終わって、何も感じず、何も言わなかったのはそのせいだと思う。
「屋上の狂人」
階段に立っているワタクシの目の前には、あの屋根。
義が、座って金比羅さんを見ているその目線と同じ高さにいるワタクシ。
なのに、なせだがアゴが上がっていたみたい。首がイタイよ。
ワタクシ的には、こちらの方が期待しておりました。
コミカルに屋根を飛び回るクサナギさんは、義そのものでした。
本当に難しい役だと思います。
どれだけ純粋で、どれだけ無垢なのか、はかり知れない存在の義太郎。
すべてが狂言回しのように進んで行く中で、舞台が躍動的に動くのが楽しい。
最初は、義を父や母が認めて、弟が認められないってのが、しっくりいくかなと
思ってましたけど、実は、みんなが認め愛情を注いでいたのだと、2回目を見て
思いました。
なんて読みが浅いんだ!!
てことで、Fさん、スタバでの会話はなかった事にして下さいませ。
しかし、菊池寛、奥が深い。
って、ことで、そのいろんな感想がごっちゃまぜになりましたが、
20時についても、またアップしますです。