み〜

キタキツネ物語

今日、歌手の朱里エイコさんが死去したと報道された。 朱里エイコさんで思い出したのが映画「キタキツネ物語」。 映画で母親キツネ レイラの歌を担当していた。 (サントラではレコード会社の権利の関係で牧ミユキさんの歌に差し替えられていた。)

「キタキツネ物語」と言えば、その後の動物映画ブームのきっかけになった作品である。 そもそもドキュメンタリーとして公開する予定だったから、ヤラセはまったくない、と言いつつ、実はヤラセがあったという話も聞いたが本当かどうかは知らない。 ヤラセでキツネを罠にかけたのなら問題だし、そうでなければ、ドキュメンタリーだからといって罠にかかるキツネを見殺しにしたのか、といずれにしても厳しい意見がある。

その辺がすっきりしないのだが、敢えてそれに目をつぶれば、映画としては非常に良く出来ている。 同じストーリーをアニメか何かでやったのならば、厳しい意見はなかっただろうが、これほどの効果をあげたとも思えない。 ナレーションに語り手「大木」を配し、キツネの台詞やモノローグは歌に語らせるというのも、なかなかのアイデアだ。 その後の動物映画は、結局この「キタキツネ物語」を超えられなかったと思う。

キタキツネのぬいぐるみが北海道の定番みやげになるのもこの映画以降のことだったと思う(笑)

I-O DATA LAN接続ハードディスク「LANDISK」 AirMac Expressがやってきて、快適な無線LANライフが戻ってきたのも束の間、再びつまづいてしまった。 私がメインに使っているのはノート型のパソコンで、すでに内臓ハードディスクはほとんど使い尽くしている。 一応バックアップ用に外付けのHDDを持っているのだが、これを付けてしまうと鬱陶しくてしょうがないのだ。 せめて、ポータブルの電源不要型のHDDならば良いのだが、FireWireポートは一つしかないので、iPodとの共存に何かと不都合だ。 このiPodも母艦のパソコンとワイヤレスでシンクロして欲しいものだ。

さて、パソコンの内臓ハードディスクを圧迫しているデータは、iTunes のための音楽ファイルだ。 全CDのiTunes登録計画を発動したものの、半ばで止まっているのは、容量のせいだ。 こうなったら、容量を食う iTunes ディレクトリはパソコンの外に放り出したい。 …が、ここで外付けHDDを使ったのでは、無線LANがもったいない。 ここで浮上するのが、LAN接続ハードディスクだ。 そこで前々から狙っているのだが、ごく普通のHDDのように安くはないので、なかなか手が出せないでいる。 価格が改定されたようなのでそろそろ思い切って手を出してみてもいいかもしれない。 ポータブルにもなる新製品も出るようだ。

[8/8追記] …ということで手を出してみた(笑)。手を出してみたのはI-O DATAのLANDISK。 ところが、なかなか思うようにはいかないことが判明。 Macというのがネックになっている。 iTunesの設定で、曲名でファイル名を付けるようにしているものだから、かなり長いファイル名がある。 英語のみのタイトルもあれば、日本語もありごちゃまぜ。 AppleTalkで接続すれば、ファイル名の文字数制限にひっかかり、samba で接続すれば日本語が化ける。 iTunes に登録した曲数は1000曲を超えているので、簡単にライブラリを移動、というわけにはいかなかった。

どうせなら、AirMac Express と直結するAirTunes機能搭載HDDがあればいいのに、なんて思うのだが滅茶苦茶なことを言っているだろうか? iPod用、パソコンのスピーカーでBGMで聴く為、と思っているから、圧縮音声でHDDに放り込んでいるが、クラシック系はやはり圧縮音声では厳しい。 せめてAppleロスレスで蓄積できれば、と思う。 家で聴くのならばCDを出してくればいいじゃないか、と言われそうだが、一度、iTunes の快適さに慣れてしまうと、膨大なCDライブラリから目的の一枚を探して、なんて手間は出来ることなら省きたい。 (CDも増えるとねぇ〜。iTunes化しても元のCDはちゃんと持っていますよ、念のため。) AirTunesという機能を生かし、楽しむためにはやはり大容量のHDDがどうしても欲しくなる。 AirMac Expressは、プリンタがつながるより、HDDがつながった方が、いろいろ面白いと思うのだが、とりあえず広く浅くアピールするには、プリンタだったのだろう。 (実際私もプリンタがつながって嬉しいし)

大草原の小さな家

TVドラマ「大草原の小さな家」に出演したサム・エドワーズさんが死去したそうだ。 1978年から1983年まで銀行員のアンダーソンを演じていたそうなのですが、ウ〜ム、思い出せない…。 物語の舞台になっている町に初めて銀行を開いたスプレイグさんの方が印象が強い。

TVドラマ「大草原の小さな家」は初回放映をリアルタイムで見ていたし、その後、夕方の再放送でも何回か見た。 一番最近のNHKの再放映は日時が変則的だったので見逃すことが多かった。 LaLaTVの再放映は前半しかやってくれない…。

そんなに何度も見なくてもいいのだが、心あたたまる話が多いのにはホッとさせられる。 原作とはかなりかけ離れた内容だったが、いろいろ考えさせられる話も多く、 違うことをあげつらってもしょうがないと思う。 そして今の時代にも通用する話がたくさんある。

太陽と月に背いて 1995年のヨーロッパ映画。日本公開は1996年10月。 レオナルド・ディカプリオ、デヴィッド・シューリス出演。 この8月シネフィル・イマジカで放映中。

アイドル、レオ様がトップ・クレジットのこの映画、なかなか正当な評価を受けるのは難しいかもしれない。 「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」でルーピン先生を好演しているデヴィッド・シューリスが出演しているので、観てみる気になった。 間違っても、「ハリー・ポッター」シリーズのようなファミリー、お子様向け映画ではないので注意。

内容は、19世紀後半のフランスの詩人、ランボーとヴェルレーヌを描いている。 この二人の関係は、ちょっとだが「アマデウス」のモーツァルトとサリエリの関係を思い起こさせる。 この映画においても、「アマデウス」のように史実とは多少異なっても、あるいは想像にたよって、大胆な脚色演出をしても良かったように思うのだが、残念ながらそこまで踏み込んではいない。 実在の人物を扱うのは難しいとは思うが、かといって、詩人としてのランボー、ヴェルレーヌも浮かび上がってこないし、今一つ物足りない仕上がり。 どうせなら、フランス語でやってくれれば良かったのに、とも思う。 意味がわからなくても、フランス語独特の響きで韻を踏んだ詩でも朗読してもらったら、それだけで雰囲気が出るのではなかろうか。

映像は、ヨーロッパ映画らしく綺麗にまとまっていると思う。 細かいことだが、カットのつなげ方がいくつか雑な部分があったのが残念。 それじゃ前後のシーンをいかにも別々に撮りました、みたいな感じ。

若き天才といった役どころはディカプリオにぴったりだと思う。 16歳の天才を、16歳の子役にやらせようと思ってもなかなか難しいだろう。 この映画の時、ディカプリオは20歳くらい。 でも余裕で16歳に見える。 (さすがに「Catch Me If You Can」で13歳を演じたのは無理があったが…) もともと、リバー・フェニックスとジョン・マルコヴィッチで予定されていたようなのだが、リバー・フェニックスが急逝してしまったらしい。 もし、マルコヴィッチがヴェルレーヌを演じていたらそれこそ「禿げた醜いおっさん」に扮してそれはそれでぴったりだっただろう、と思う。 デヴィッド・シューリスもその「禿げた醜いおっさん」に扮しているのだが、この映画の頃は、痩せて背が高くて、きちんと装えばスラッとしているし、手が手タレかと思うくらい綺麗で(笑)、そこまで言うほど醜いかなぁ?という感じ。 (余談だがこれくらい痩せていたほうが shabby なルーピン先生にぴったりだったように思うのだが…。) しかし、芸術家というのは人間的にダメなヤツがやっぱり多いのか…。 それとも彼らが飲んでいた禁断の酒「アブサン」という酒のせいか…。 そんな思いっきりへタレなヴェルレーヌを演じ、ディカプリオ演じるランボーをひきたたせていたシューリスに拍手。 (ヘナヘナっとした雰囲気を出すときの独特の物腰は本人の癖か?一瞬だけだがルーピン先生と同じ。) 「仮面の男」とか「タイタニック」を見てもディカプリオをぜんぜん良いと思えなかったのだが、ここではどうして、良いではないか。 ディカプリオの演技が上手いのか、彼の素の魅力をランボーの魅力に重ねた演出力なのかはわからない。 美少年すぎてしまって、ヴェルレーヌの義母と妻が「薄汚い田舎もの」と思う下りも、ぜんぜんそうは見えない(苦笑)。 これは工夫が足りない、というか、カットのつなぎ同様、雑に作ってしまったと言える部分で残念。 そして、美少年だけに、無理して、ランボー後年の姿を回想シーンのように映像化して入れなくても良かったように思う。 さすがに同じディカプリオが演じるには無理があるしね。

原題の TOTAL ECLIPSE とは皆既食のこと。 そのまま訳語をタイトルにしても、カタカナのままでもいただけない。 しかし、この邦題も、二人の背徳的な関係のみを暗示しているようで、雰囲気はあるけれど…。

Stand by Me

この8月MoviePlusで放映中。 スティーヴン・キング作の短編を原作とした1986年の米映画。 日本公開は1987年4月。

ベストセラー作家の作品の映画化ということで封切り前から話題になっていたと記憶している。 ロードショー公開で観に行った。 夏の終りと子供時代の終り、そして映画を彩る50年代のアメリカン・ポップ・ミュージック。 それらがすべてマッチしていて良い雰囲気だった。 じゃあ、どんな内容だったかな、というとあまり印象に残っていなかったりする。 少年4人が死体探しの旅(旅といってもたった2日間だ)に出る、という映画紹介程度のことはさすがに記憶しているが…。 後で気がついてみれば、リヴァー・フェニックスが出ていた、キーファー・サザーランドが出ていた、ということなのだが、どんな役だったかさっぱり思い出せない。

改めて(テレビで)観て、確かに後味の良い映画ではあるが、内容としてはそんなに濃くないと感じた。 兄を失ったゴーディの家族は、映画「普通の人々」を連想させるが、そのテーマに深く踏み込んでいるわけではない。 それがこのストーリーの目的ではないから当然といえば当然で、少年4人4様の境遇をそれぞれサラリと描く。 これに、兄世代の不良達がからんでくる。 この不良の親分がキーファー・サザーランドだった。 不良達の悪行ぶりを描くよりは、少年4人をもっと深く描いた方が視点が定まったような気もするのだが、 あくまでもサラリと描いているから良いのかもしれない。

これも、サントラ音楽が効果的に映画を彩った作品の一つと言えるだろう。 最後に流れる Stand by Me を聴いていたくて、エンドのクレジットロールを最後まで観てしまう。

野獣死すべし

公開当時(1980年)は角川が非常に元気な時代で世間的にも話題にはなっていたと記憶しているが、はっきり言って血生臭い映画なので、観に行く気はサラサラなし。 その後もテレビでも何度も放映していたとは思うが、敢えて観ようとは思わず、結局、初めて観たのは世紀をまたいでから。 この8月チャンネルNECOで放映中。 (…といってももう明日10日だけか…)

大藪春彦の同名小説を原作とする映画は、松田優作主演のものが有名だが、他にも、仲代達矢主演、木村一八主演でも映画化されているとは今まで知らなかった。 松田優作演じる伊達邦彦は、原作とはかなり違ったキャラクターになってしまったらしいのだが、この映画はこれで完成しているのだと思う。 役作りのために奥歯を抜いたという松田優作は言うまでも無く、脇を固める室田日出男、鹿賀丈史の演技が素晴らしい。 映画にしてはロングカットが多い。 まるで舞台を観ているような錯覚に落ちるほどの緊迫した演技。 この演技を観るだけでも、この映画の価値はあると思う。

ミュージカル「ジキル&ハイド」を観て以来、 実は、「ジキル&ハイド」という作品がとても気になっている。 原作は、一人の人間がもつ二面性という、普遍的とも言えるテーマを扱いながらも、限りなくシンプル。 別の言い方をすれば、どうにでも煮るなり焼くなりアレンジ出来てしまう作品。 様々な解釈で数え切れないくらい映画化されている。 比較的最近の作品ではMary Reillyがある。 この8月はMoviePlusで「ジキル博士はミス・ハイド」を放映している。 これはB級というかC級かもしれないコメディ映画。 シリアスな話もここまでコメディになってしまうかと

Back to the Future 1 NHK-BS2で三夜連続で放映されていたようだが、 マイケル・J・フォックス主演のタイムスリップSFストーリー。 「Part I」の公開は 1985 年。 「Part II」の公開は 1989年、「Part III」の公開はその半年後の1990年。 これは大好きな映画で、3作とも公開時に2回ずつ映画館で観ている。

タイム・トラベルものにありがちなタイムパラドックスを、うまく解決して、いえむしろそれをうまく利用してストーリーを作ってしまい、矛盾なくまとめたところが魅力だ。 また、主役のお父さんとお母さんは現代と過去で同じ人が演じているが、この化けっぷりのメーキャップ技術が、公開当時は非常に目新しいものだった。 CGなどにたよっているわけではないのだ。 「Part I」と「Part II, III」で、主人公のガールフレンドとお父さん役が役者交替しているが、これも指摘されなければわからないくらい…。

とにかく面白いので観てみて下さい、その一言に尽きる。 Part I は30年前の世界にタイム・スリップする。 1985年の30年前だから1950年代だ。 その1950年代は古き良き時代のイメージで明るく描かれる。 クリストファー・ロイドの演じるドクはことエキセントリックな科学者も良い味を出している。 あり得ない話だが、チャック・ベリーに電話するシーンが最高だ。 未来から紛れ込んだ少年がロックンロールの創始者だったなんて!

Back to the Future 2 Part II は、IからIIIへの橋渡しなので、いまいち面白みには欠ける。 描かれている近未来や、すり替わってしまった現代があまり明るくないので、いまいちスカッと楽しめないのかもしれない。 しかし、Part I の場面を織り込んだシーンはスリリングで面白い。

Back to the Future 3 Part III は思いっきり路線変更し、タイム・トラベル的な話は最小限に押さえ、西部劇になってしまった。 なかなかうまいやり方だと思う。 タイムパラドックス云々という細かい話にはこだわらず、というのが逆にいい。 そう、過去を変えてはいけない、という原則に最後は踏み込むのだ。 それでもいいじゃないか。 そう思わせるラストになっているところもうまい。

ゴーストバスターズ この8月、Movie Plusで放映中。 公開当時、かなりの話題になっていた。 ノリのいいポップな主題歌がヒットソングとなり映画もヒットするというパタンが非常に多かった時代で、この映画も例外ではない。 ゴーストの侵入禁止(?)マークも印象的だった。

映画館には観に行かなかったのだが、その後、テレビ放映で観た。 面白かった。 …けど、結局、ノリのいい主題歌と掃除機のようなゴースト退治機くらいしか印象に残っていない。 かる〜いノリで楽しめば良い映画なのだが、今観ると、妙に大作ぶっているのがおかしい。 当時としてはゴーストを見せるSFXが斬新で、それもまた魅力の一つだったのかもしれない。 が、技術というのは古くなる物だ。 技術面の目新しさがなくなっても、内容のバカバカしさとか面白さは今でも通用するものなのだが、「審判の日」だの「神」だの大げさなことを持ち出さなくても良かったのに…とは思う。

ま、面白いけどね。