息子の中学入学式出席のため、一族郎党6名でワイワイと函館へ行った。あいにくボタン雪が降ったり、たちまち晴れたりと春を迎える前のあやふやな天候であった。

入寮式の日。学校の施設は、フローリングの床といい階段の手すりといい、木のぬくもりがふんだんに溢れた想像以上の良さである。しかも隅々まで掃除が行き届いており、すがすがしい。生徒の掃除に加え清掃業者も入れているとか。さすがに落書きひとつない。

1年生は、とりあえず二段ベッドが数十組入った大部屋と個人の机と本棚がある大部屋の自習室が割り当てられる。この自習室で「義務自習」と称する毎晩2時間の強制勉強がある。

新入生はさっそく新しい仲間たちと寮の内外でワイワイ騒いでいる。関西からの入学者も増えているらしく、彼らは特に賑やかである。その横でせっせと一人で荷解きをしている彼らの母親たち。おいおい、それくらい本人にもやらせなさいよ。初めが肝心だろうが。

一方、廊下で何やら母親と座り込んで話している子、自習室の机に向かって勉強し始める子、ベッドに寝そべってひとり本を読んでいる子などもいる。それぞれがさまざまな思いを持ってここにやって来ているのだろう。

ちょっと前までは涙のお別れ風景がそこここで展開されたというが、今回は見た限りなかったようだ。彼らのほとんどは、まるで修学旅行にでも来たような感じで、センチメンタルの欠片もなさそうである。それはそれで頼もしい限りである。

次の日は入学式。中学と高校の合同である。新入生入場に続き、外国人の校長の日本語による話の後、クラス毎に担任から名前を呼ばれ起立し、校長が「入学を許可する」と告げる。そして数名のグリークラブ員による校歌その他の披露。式といってもこれだけである。国旗も君が代もない。来賓祝辞もない。無駄な時間がない分スッキリしている。

とにもかくにも、これで息子は旅立った。といっても今度の帰京はGW前なので、一ヶ月経たずに帰って来てしまうのだが。

それでもこれからの6年間で、北の大地と寮生活はきっと心のタフな息子を作ってくれるに違いないと改めて確信した次第である。

せっかく函館に出向いたので、かの有名な函館ラーメンを食べねばと思い、昼食直後にも関わらず、一族のヒンシュクにもモノともせず、市電に乗って出かけた。

函館ラーメンはもともとは「あっさり系塩ラーメン」だったが、昨今のニューウェーブラーメンの時流に乗り、多めの魚介系スープを加えたり焦がしチャーシューを乗せたりとかなりカスタマイズがなされていて、それを「新函館ラーメン」とも称しているらしい。

そんな流れの中で、今回訪れたのは十字街という場所にある「十字街鳳来軒」である。創業50年の老舗で、今なお元来の函館ラーメンを守っているという。店の外観は、どこにでもある街のラーメン屋という風情であるが、こういう店こそかなりの確率でウマいはずだ。案の定、客は地元の人が大多数である。

さっそく塩ラーメンを注文してあたりを伺うと、ラーメンだけでなくチャーハンや餃子を食べている人もいて、それがとてもおいしそうなのだ。だが、こちらはあいにくいったん昼食を済ませていて、とてもそれ以上は食べられそうにないので、泣く泣く断念。

これぞ「ツルツル、シコシコ」の麺とあっさりながらも奥深い味のスープとの絶妙のマッチング。これなら毎日でもおやつ代わりにだって食べられる。黄色を帯びた透明なスープは単に塩ダレだけではなく、しっかり動物系スープが味を支えている。麺も今まで食べたどの麺よりもノド越しが良く、中太を感じさせない。あっという間にスープまで平らげた。店の人の愛想も良く、大満足。

次の日は、宿泊している湯の川温泉の近くの」「ブルートレイン」という名の店に行く。名前の通りブルトレを模した小さな店で、中もブルトレ関係のグッズが溢れている。ここの売りはあっさり系塩ラーメンに焦がし背脂を散りばめたもので、表の看板には毎日食べても飽きないと書いてあった。

塩ラーメンを東京のような屋台で食べれば、たぶんこんな風になるんだろうと想像させる味であった。鳳来軒よりも濃い目だが、しつこさは無い。焦がし背脂がちょっと武骨な素朴さを醸しだす。これはこれでウマいと言えよう。

どちらの店も500円ちょいの値段というのも良かった。昨今の凝りに凝ったラーメンは一様に値段が高い。私は700円以上の値段では、よっぽどのものでなければ食べようと思わない。材料や調理にこだわれば、それなりにウマくなるのは当たり前。だからといって徒に値段を上げていいってモンじゃないだろう。

ラーメンはやっぱり庶民のB級グルメという位置が適当なのである。

東京の桜が先週から満開だ。一昨日の金曜日は、桜の見所として有名な千鳥が淵へ夜桜見物の散策に出かけた。さすがに一番の見頃とあって、九段下の駅から人がごった返していた。まるで初詣のようだった。

武道館の脇を抜けてたどり着くと、控えめなライトアップに映し出された、お堀に向かって伸びている満開の桜の枝のなんとも妖しい美しさでしばし声が出ない。やはりここの桜は明るい昼間よりも夜の方が数段美しいと再認識した。

今日は練馬区光が丘に買出しに行った。かなり強い風が吹いていて、桜の花びらがフロントウインドウに向かって舞って来る。桜吹雪は昼間がいい。花びらの流れを見ていると、見えないはずの春の風が見えるような気がするからである。なんともさわやかで清清しい。

桜が咲くとすぐにやって来るこの風が雲を運び、雨を降らせる。満開までは多少の雨風にだってビクともしない桜だが、ひとたび満開となると、とたんに風に舞い雨に落ちてゆく。その儚さのコントラストが人々を魅了し、春を感じさせるのだろう。

春は卒業の季節であり、また新たな進路への旅立ちの時でもある。

それなのに公立学校の教員のこのザマは何なんだ!

兵庫県南あわじ市の市立小学校の男性教諭(40)が、今年の卒業生11人に贈る言葉を収録、配布した文集と記念DVDに「国賊に踊らされるな」「不妊の原因は性病のせい」などと記述、発言していた。

東京都大田区立の中学校で昨年度、三年生の学級担任教諭が教室に「極道」と書いた学級スローガンの横断幕を掲げていた。教諭は40歳代で国語担当。卒業式の終了後には「極道」と書かれたタスキをかけて校門で卒業生を送り出した。「物事に臨む際は、道を極めるよう頑張りなさい」が信条で、折に触れて生徒にもこうしたスローガンを説き、生徒の人気も高かったという。「道を極める」の漢字は「究める」が正しい。

大田区内の中学ではテスト問題に男性性器の長さを答えさせる問題が出題されたり、理科の授業中に「R15」指定の映画「バトル・ロワイアル」を視聴させるなどの不祥事が発覚している。

静岡市内の市立中学校を今年卒業した中学三年の女子生徒の卒業アルバムに、元担任の40代の男性教諭が、この女子生徒のことを「厄介者」と例えたと受け取れる英文のことわざを寄せ書きしていた。英文は「There is a black sheep in every flock」(黒い羊はどの群れにもいる)。英語で「黒い羊」は、「厄介者」や「持て余し者」を指す事が多く、英文のことわざは「厄介者はどこにでもいるものだ」という意味になる。

交際していた女性に別れ話を切り出され、ストーカー行為を働いたとして、千葉中央署は、茂原市立豊岡小学校教諭萬崎克己容疑者(46)を逮捕した。同容疑者は「未練があった。別れたくなかった」と容疑を認めているという。

茨城県教委は女性の下着を盗んだとして、住居侵入と窃盗の罪で起訴されたいわき市立平第一小学校教諭、石塚彰被告(44)を懲戒免職処分にした。県内では3月、3教員がわいせつ関連の容疑で相次いで逮捕された。県教委は県青少年健全育成条例違反の罪で略式命令を受けた富岡町立富岡第二中の元男性教諭も4日付で懲戒免職処分としており、残る1人の処分についても検討中だ。

ざっと拾っただけでもこんなにある。これらの事実を知らされた彼らの教え子たちはどんな気持ちだろうか。しかも私と同じ世代の40代というのもひっかかる。

仮にも教職は「聖職」だろうが! いや、今はとてもそう言えなくなったのかもしれないが、少なくとも彼らの学生時代の教師は聖職者と呼ばれていたはずである。

何の思想からか影響からか知らないが、あまりに常識とかけ離れた言動に言葉も出ない。教師になる前に人間からやり直せ!

無理をしてでも息子を私立中学へ入学させた事に、私は今つくづく安堵している。