河口湖出張からの帰京日、我らがPOOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)の名古屋支部長、ume氏がかつて全損させた206S16からみごとに復活し、新たに206RCに乗って上京しているという知らせがあった。なんと彼はほとんどの出張を206RCに乗ってこなしており、今回は名古屋から山形まで走り、その足での東京一泊だという。こりゃ〜一杯やるしかない。

東京に単身赴任中の岡山支部長、しげドン氏の設定のもと、3人は神田駅西口に集合。私のカミさんも同行してたが、それはどうでもいい。改札脇にしげドン氏の巨体とume氏のスリムな体とが並んで立っていた。相変わらず絵になるほどしげドン氏は目立っている。まるで動くランドマークだ。ume氏と復活祝いの握手を交わし、いざ出陣!

昔から神田界隈は安くてウマい居酒屋の宝庫である。今回はしげドン氏なじみの天ぷら屋兼居酒屋の一軒へ。とりあえずの生ビールが空くのに3分足らず、当然のように焼酎や日本酒の3杯セットに移る。ツマミも天ぷら盛り合せに穴子とキスを加え、富山産の岩ガキ、銀杏、焼き鳥、刺身、塩辛などなどを豪華にはべらせつつ話は弾む。ほどなく3杯セットも2度目の注文に突入。

次回のPOOB総会(と言ってもお泊り宴会&カラオケだけ)は、11月下旬に岐阜ひるがの高原で開催予定である。そこには西から東からPOOBメンバーのプジョーが10数台集結するはずだ。ume氏の206RCの他、さらに2台の206RCも参加予定で、RC3台揃い踏みも期待される。最近のPOOBはOYAJIだけでなく、20代からの若いメンバーも増え、いまや総勢20名を突破する勢いである。来るもの拒まず、仲間が増えるのは楽しいものだ。

だが、問題なのはカラオケのナンバーである。うっかり若い世代にOYAJIたちの知らない最近の歌など歌われてはかなわない。ここはビシッと「80年代までの歌限定」の原則を守り通さねばシメシがつかん、という事で意見が一致。もし新しい歌なぞ歌おうものなら「知らね〜ぞ〜!」コールをお見舞いする事にした。ちなみに私は会社の連中との時は、即「演奏中止ボタン」を押す事にしている。

今日から10月になった。11月なんてあっという間だ。再会を約束しつつ、神田の路上にそれぞれの影が散って行った。

村上ファンドが阪神電鉄株の38%超を取得している事が判明し、阪神グループの経営に重大な影響力を持つ事になった。これに対し星野仙一SDは、タイガースを巻き込みかねない買収劇が進行していることに激しい怒りをぶちまけた。

「非常に残念だし、悔しい。憤りを感じる。タイガースは公共のものであって、私的なものじゃない。今回の件はファンが許さないよ。私も野球界に世話になった人間として、タイガースを愛するものとして、許せないね」

ちょっと待った! これは以前、ニッポン放送株をめぐってホリエモンとフジテレビが攻防していた時に聞こえてきた声と同じじゃないか。心情的にはわかるが、タイガースは決して「公共のもの」じゃないだろ! れっきとした株式会社の持ち物なのである。親会社から見れば、球団は「会社の資産」であり、球団経営は「会社の事業」である。

「せっかく優勝して、ここ数年で球団のブランド価値も上がっているところで、こういうことはして欲しくなかった。球界でも70年の歴史があって…」

だからこそ投資対象として見れば「おいしい」となる。球団だけじゃなく、不動産関係の資産も魅力だろう。株価も手ごろだった。しかも、あのニッポン放送騒動があったにもかかわらず、過半数が浮動株といったスキだらけ。つけ込まれるスキを作っていたのは誰だ?

「本社にも落ち度があるとはいえ、これでは役員も優勝を喜べない」

経営者がやるべき事を怠っていながら、優勝を喜んでどうする! 

ホリエモンの時でも、いわゆる有識者たちは一様に「日本になじまないやり方」だのと不快感を露わにしていたが、「皆さん、わが社の株をどんどん買ってください」というのが「株式公開=上場」だ。上場すれば莫大な金が手に入るが、売り手が買い手を選べるわけじゃない。「じゃあ買いましょう」というのがホリエモンであり、村上ファンドだっただけの話である。どこがいけないと言うのか?

守旧派の人間ほど、想定外の事態になると、とたんに「心情優先」の発言をする。それは一般市民には耳ざわりの良い言葉かもしれないが、資本主義経済では単に「負け犬の遠吠え」の意味でしかない。平時、優位に立っている時にこそ危機管理が必要なのに、ついこの前、怖い前例があったばかりなのに、放置し続けていた経営陣は「負け犬」然りだろう。

地位やお金に汲々とすること、みっともない
そのために姑息な手段も厭わないこと、みっともない

為すべきことから逃げ回ること、みっともない
逃げてる自分にあれこれ理由をつけること、みっともない

いい歳して公私の分別がつけられないこと、みっともない
公衆の面前で化粧したり飲食したり騒ぎまくること、みっともない

他人を平気で傷つけ貶めること、みっともない
そのくせ自分だけは安全地帯から出ないこと、みっともない

自由と責任、権利と義務を履き違えていること、みっともない
自らそれを教え示せないこと、みっともない

・・・・・・・

限りあるのものはいつか無に帰すことがわからないこと、もったいない
限りあるからこその輝きが見えないこと、もったいない

何かをして何かを変えた喜びを知らないこと、もったいない
どうせ何も変わらないさとあきらめること、もったいない

育てることをせず捨ててしまうこと、もったいない
人も物も時間も自分の命すら粗末にすること、もったいない

生かされていることに気づかないこと、もったいない
他人も生かせることに気づかないこと、もったいない

人生の主役が誰だかわからずに生きること、もったいない
意味のない人生など誰にもないとわからないこと、もったいない

・・・・・・・

「みっともない」と「もったいない」が減れば減るほど、世の中は良くなるに違いない、と思う。

遅い夏休みを取り、群馬県の老神温泉に「まったり」しに行ってきた。
天然温泉で循環なしのかけ流しという最低条件をクリアした数ある温泉のうち、ここは東京からの距離も200km弱と適当で、何より歓楽街が無いのが良い。求めているのどかさにもってこいだ、という事で決めたのである。

往路は、敢えて日光経由の遠回りのルートを選んだ。東北道宇都宮ICから日光道路へ。平日とあって快調に走破、いよいよ最初のターゲット、日光いろは坂へ。ここは上下線が別になっており、さらにそれぞれ二車線ある。私のようなハンパな峠好きにはうれしい余裕である。紅葉の季節には渋滞のメッカともなるが、今は季節前の平日、車もさほど走っていないようだ。

しかし、ヒマなおばちゃん連中を乗せた観光バスは健在。列を成して猛然と登っていく。さらにトラックやコンクリミキサー車、そしてファミリーカー等が次々と右車線、左車線に現れる。我がプジョー206は、それらを右に左にパスしながら、ほとんどがヘアピンカーブと言っていい急勾配をクリアして行った。

驚いたのは206のカーブでの回頭性である。

こんなにきついカーブを責めたのは初めてと言ってもいいのだが、実に良く反応し、面白いように回って行く。登りのスピードは他車と同程度だったとしてもカーブで差がつく。だからすべての先行車を簡単にパスできるのである。終いにはベンツやBMWですら我が206の後塵を拝したのであった。これはちょっと自慢だな。

いろは坂を越えれば中禅寺湖畔である。中禅寺湖は中学の林間学校以来、30数年ぶりだ。

ここで、かねてよりチェックしておいた中善寺門前の蕎麦屋「かつら」へGO! 期待に違わぬコシの効いたもり蕎麦に旬の舞茸天を合わせ、雲の薄くなってきた男体山の景色を愛でつつおいしい昼食をいただいた。やっぱり気合の乗った手打ちはウマい!

さらに車を進め、湯滝の始まる湖である湯の湖に立ち寄り、湯滝を上から眺めた後、金精峠へと向かった。ここもりっぱな峠道ではあるが、いろは坂を制覇して来た私には敵ではない。もはや気分はラリースト、ぐんぐん飛ばす。今日は出発時から曇天だったが、峠の途中から晴れ間が顔を出してきた。

いつの間にか背後にAE86を従えつつ、いよいよ群馬県突入である。

本日はここまで。

〜つづく

宿に入る前に訪れたのが「吹割の滝」である。
ここは老神温泉からもほど近く、NHK大河ドラマのオープニング画像にも使われたという。そうと来れば、せっかくなのでその風景を一目見ておかなくてはならない。滝付近のドライブイン兼駐車場は、やはり平日だったのでどこもガラガラ。それでも駐車無料と書いたプラカードを持って客引きしている店には笑わされた。

滝の音が聞こえる散策道に沿って降りて行くと、いきなり川が流れている。さらにその先の広い岩場を行くと、目の前、いや足元に滝が現れた。高さこそ7m程度だが、幾筋も大きく口を開けた巨岩の割れ目を落ちてゆくさまは見事である。スケールは小さいながらも、その姿はプチ・ナイアガラの滝といった光景である。これをアップで撮れば相当な迫力に違いない。

私の立っている岩場は、水量の多いシーズンには殆ど水没するという。川と滝の延長上であるから当然なのだが、こんなエキセントリックな位置から滝を見るという経験は今まで無かった。滝というのはある程度離れて眺めるものだと思っていたから、これは極めて新鮮だった。ふと、酔っていようものなら簡単に滑落もありだな、と余計な想像もしてしまったが…。
時間に余裕があるので、一周2kmの散策路をのんびり歩いた後に宿入りする事にした。

予定より早目に着いた宿は「見晴荘」という客室数5部屋の小旅館。

ここの目玉は、2ヶ所ある「貸切露天風呂」となぜか「北海道の魚介料理」! そのワケは後ほど解明されるのだが、山の温泉のくせに無理して安居酒屋並みの刺身や天ぷらを出す所がよくあるが、ウマかったためしも無く常々興醒めさせられて来た。とはいえ私も、山奥といえど一杯やるには魚料理は欠かせないという、困った人間の一人である。

宿のHPによれば、知床のキンキやノドグロ、希少なブドウエビ、ズワイガニやタラバガニを始めとする「本物の新鮮素材」を適宜使うという。しかも部屋の冷蔵庫には、それらの料理と相性抜群だとお勧めの「出羽桜 桜花吟醸」の四合瓶が鎮座しているではないか! 取り立てて特別視するまでもない銘柄を敢えて推すところが気に入った。こうなりゃ否が応にも期待は膨らむというものだろう。

さて、それではまず「貸切露天風呂」から参るとするか。

〜さらにつづく

この旅館の目玉の一つは、新築された離れ(と言っても隣りの建物)の木曽檜造りの露天風呂である。私もカミさんもこれを楽しみにしていた。
15畳はあろうかという室内は、壁も床も浴槽も檜で囲まれ、檜の香りと抑え目な照明が趣を醸している。高い吹き抜け天井は、その半分が夜空に向かって大きく口を開けている。湯はほんのりと硫黄の香りを持ち、黒っぽい湯花が特徴的だ。湯温も私の好きなぬるめで、骨休めの長湯にはちょうど良い。

これが貸切で自由に入れるのだからたまらない!

○○旅行御用達の雰囲気もバッチリなので、その向きにはお勧めである。まぁそれはともかく、私もカミさんも汗ばむほどまったりと長湯に興じた。
今だから白状するけど、あまりの開放感に思わず湯船に浸かりながら一服くゆらせてしまった。宿の方、後始末はきちんとやりましたので許してつかぁさい…。

ハラも十分減ったところで、目玉のもう一つ、食事である。

冷蔵庫からはビールはパスし、そそくさと出羽桜の四合瓶を出す。まずは甘エビ、イカ、トロの刺身で一献。断っておくが、そんじょそこいらの刺身ではない。どれもが鮮度抜群で、その証拠に普段はエビ、イカの嫌いなカミさんが残らず平らげた位である。 …ちょっとは残したっていいのに。

メインは知床キンキで、煮付けと唐揚げにした巨大なキンキが私とカミさんに一匹ずつ! さらには鮎の塩焼きに茹でタラバガニの足、煮物にジャコおろしなどなど。シメは甘エビ汁に白飯とおろしソバ。とてもじゃないが白飯までは食べられず、しばし放心状態。四合瓶がカラになったところで食事終了。大満足!

さらに翌日の朝食にもビックリ。なんと焼魚に高級魚ノドグロの塩焼きが登場! 旅館の朝食に感動したは、郡上八幡の宿で鮎の一夜干しに出会って以来である。それにしても、東京でもめったに食べられない魚がどうしてここに? もう黙ってられん。おかみさんに聞いてみた。

「北海道に親戚でもいらっしゃるんですか?」
「いえ、主人が北海道が好きで、何度も何度も通ううちに仕入先を開拓しました。毎日でも送ってくれますよ」 

…納得。そして参った。宿の看板に書いてある「おいしいものをお出ししたいだけです」そのものじゃないか!

満足の宿を後にし、天気も良いので赤城高原のドイツ村なる所へ。だが、これが大失敗! 広大な敷地に入場者わずか40人ほど、閑散とした場内にドイツ音楽のBGMだけが空しく響く。とって付けたような施設も半分は休眠状態。平日だからだろうが、これじゃ休日でもろくに人は来ないだろう。入場料1050円はボッタクリだし、ダマされでもしなけりゃ二度は来るまい。30分で撤収。

しょうがないので水沢まで足を延ばし、きんさんぎんさんも訪れた「大澤屋」にて名物の水沢うどんを食す。歯応え十分。これで日本三大細打ちうどんである「稲庭」「氷見」「水沢」を制覇したぞ!
 
水沢うどん街道の途中にあった「おもちゃと人形 自動車博物館」も見応えがあった。昭和年代の駄菓子におもちゃ、映画ポスターや広告の展示、世界のテディーベア・コレクション、極めつけはトヨタ2000GT、ハコスカ、240ZGをメインとした古き良き内外の自動車の大コレクションをたっぷり2時間かけて全部見て入場料は1050円! ドイツ村〜!金返せ〜!

という事で、全行程450kmのまったり温泉行は無事終了した。次回はPOOB総会inひるがの高原への往復900kmの旅が、11月に待ちかまえている。

〜おしまい〜

「法案反対という自らの政治的主張は完敗した事を認めたい」

そう言って、野田聖子議員は郵政民営化関連法案に賛成を表明した。

さらに「自民党が大量当選を果たし、法案の可決は確実」で「議員としての責務は、今後着手される郵政民営化への取り組みがより良い形で達成され、国民生活の向上に資するよう努めることだと考える」とも言った。

これって、大失態をやらかしながら地位に連綿とする企業トップや疑惑がありながらも詭弁を弄する政治家連中と同じなんじゃないの? 

特に政治家は、自らの信念や主張に共鳴した国民によって選ばれ、その代表として国会で活動するのが使命である。その政治家自らが「完敗」と認めてしまうのは「致命的失敗」以外何ものでもあるまい。

もとより彼女の頭には自民党復党があり、彼女を推した自民党県連の思惑もある。除名処分ともなれば、資金的組織的に政治生命を絶たれたも同然で、地位もなくし、推していた連中のメリットも消失する。何とかそれだけは逃れたい。それには今のうちに党にアピールするしかない。世間には「民意」を反映させるための賛成だとし、決して「信念」がブレたのではないという理屈付けをすればメンツは保てる。

「反対を後悔はしていない。真剣に勉強した結果の正直な行動だったと今でも信じている」
「法案は完璧でなく、民営化までの移行期の間に、より良いものを目指して力を尽くしたい」

彼女の言葉には、その端々に「潔さ」を匂わす演出があるが、残念ながら世間ではそれを「自己保身」と言う。上に立つ者が最もやってはならない事である。

彼女なら無条件に投票するという人は別にして、民営化(法案)反対の意思で彼女に投票した岐阜の有権者は、これをどう思うだろうか? 賛成なら初めから対立候補に入れれば良いのだ。敢えて彼女に投票したのは、反対の意思表明だったはず。そしてその「意思」を代表として国会へ届けるのが「代議士」の使命のはずだ。使命を果たすとはそれほど重く責任のある事なのだ。

だからこそ政治家の信念や主張は、その政治家の生命線であり、それが「完敗」したのなら、ぶざまで見苦しい宗旨替え記者会見などする前にやるべき事があるだろう。

みっともない。

2泊3日の福岡出張を終え、昨日帰京。福岡では天気にも恵まれ、同行した同僚と一緒に活イカや箱ウニ、ごまサバやメゴチの天ぷら等のおいしい魚介類を堪能し、生ビールに日本酒2合、焼酎の四号瓶1本を空けた。話もはずみ、いい酔い加減になったところで、二軒目へ。

これまでの出張で何度か行った中洲のカラオケスナックで、ウイスキーを飲みながら歌い、なんと朝まで飲むという、この歳にはメチャメチャハードな一夜になってしまった。結局この晩は我々以外の客は来なかった。カラオケはいつしかママの人生相談に変わり、延々と続き、夜が明けた頃には、ついに店のソファで寝込んでしまった。

こんな事は10年位前までなら何ともなかったのだが、朝9時の段階で確実に酔っ払っていた。これがホントの二日酔い。さすがに翌日のスケジュールをこなすのが精一杯だった。もはや無理が利かない身体になってしまったんだなぁ。・・・ここまでやりゃ十分か?

明けて今日、帰宅後早々に寝たにもかかわらず、やはり寝不足は否めない。だが休む間もなく、3回目のWebトレーニングが始まる。またまたインカムを付けながら、高いテンションが要求される悪戦苦闘の日々が訪れようとしている。同時に、来年発売予定の新製品のための資材作成や研修計画のためのミーティングもそろそろスタートする。

10月も気づかぬうちに、はや中日にさしかかろうとしている。

障害者への福祉サービスを一元化し、利用料の原則1割負担を求める障害者自立支援法案が、参院で可決された。今後衆院に送付し、今国会で成立する見通しとだという事である。法案が成立すれば、現在公費補助がある精神障害者通院費用、透析患者や障害児などの医療費も原則1割に引き上げられる。

この法案は障害者団体などからの負担増への反発が強く、衆院は通過したものの、参院で審議中に衆院が解散されて廃案となり、再提出されたものである。この法案の一番大きな問題点は「利用したサービスの量や医療費、所得に応じた公平な負担」という部分だとする指摘が多い。

(以下、All About 2005.7.6より抜粋改変)

「障害者の多くは低所得であり、これまで障害者の約95%が無料で障害者福祉サービスを利用していた。しかしこの法案が成立すると、生活保護世帯以外は利用料を支払わなくてはならなくなる。障害者年金は月額10万円足らずで、この中から2万も3万も利用料を払って、どうやって暮らしていけるのか」

「親元から自立し、一人暮らしを始めた障害者も、また親元に戻らなくてはならなくなるかもしれない。施設に通って、月1万円ほどの給与を得ていた障害者は、法案成立後は逆に施設の利用料を支払う事になる。わずかであれ、自分で働いてお金を得る事を励みにしている障害者はたくさんいる。それすら取り上げてしまうなんて、こんな内容でありながら「自立支援法」とはいったいどういう事か」

「障害者福祉サービスは、高齢者の介護サービス以上に生活に直結していて、障害が重ければ重いほど、多くのサービスを必要とする。生きていくためにサービスが必要なのに、それを利用するたびにお金を払わなくてはならないのだ。極端に言うと、これからはお金を払わなくては、食べる事も排泄をする事もできなくなるのである」

「利用料を負担してほしい、という事であれば、まず払えるだけの収入が得られる就労の場を確保する事が先決のはず。障害者雇用が遅々として進まない状況の中で、負担だけを求めても無理がある」

法案を「経費削減」から見れば、こういう法案にもなるだろう。逆に「人」と「生活」から見れば、別の案が見えてくるはずだ。だからもっともっと議論すべきなのである。いつも思う事だが、こういうものほどさりげなく進行し、国民の関心の目からスルーされやすいのは、その対象が限られているという事が一因と考える。

だが、高齢者や障害者は、我々と決して無縁な存在ではない。我々は今現在、たまたま健常人だというに過ぎない。高齢者には必ずなるし、それまでの過程で、どんな事故や疾病で障害が発生するかもわからないではないか。

その瞬間、自分やあるいは家族が高齢者や障害者の一人となる。その時、自立支援のはずが自立阻害の法律と社会しかなかったら、どうだろうか? だからこそ、他人事とは思わず、ぜひ一人でも多く関心を持ってもらいたいと、それらは訴えている。