4月になって、ずいぶんと更新が久しくなってしまった。この間、会議やら出張やら研修やらで忙しく、書きたい出来事も少なかったため、ついぞその気が起きなかったというのが本音である。と言っても、2週間近く更新しないのも、これで結構無言のプレッシャーがのしかかってくる。

というワケで、今回は私の大好物の一つでもある「イカの塩辛」についてちょっと書いてみたい。

私は塩辛についてはかなりウルサい。機会があるたびに全国各地の居酒屋で食べてはいるが、なかなかコレというものにお目にかかれない。ひどい所になると「自家製」と書いておきながら、どうみても出来合いのものを出していたりする。

ホントにおいしい塩辛とは、実際に食べなくても見た目でほとんど判別できるというのが私の持論である。それは、たった一つのポイントだ。

「ワタ汁の色が黄土色かどうか」

その究極は、きちんとした鮨屋で作っている塩辛で、イカの身とワタ汁を別々にしておき、客に出す日に和えるというモノ。身は弾力を失わず、塩を多く入れて日持ちを良くする必要も無いため、ワタ汁が黄土色となるのだ。ワタの程よい磯の風味、時に甘ささえ感じる絶品である。たとえ突き出しとして出されても、私は必ずお替りをお願いする。

逆にワタ汁がピンク色であるほど塩が大量に加えられており、ただ塩辛いだけの粗悪品であると言っても良いだろう。この手のピンク色の塩辛は、地方の土産物屋に限らず、スーパーの瓶詰め、デパートの物産展などでもよく見かけ、色を見ただけで味が想像できてしまう。もちろんノーサンキュー、そんな代物を食べるくらいなら、イカの沖漬の方がよっぽどおいしい。

しがない「ウマい塩辛追い求め人生」で、少なからず私を満足させてくれた市販品を紹介する。

筆頭格は、意外や北海道と関東にあるファミレスとんでんの塩辛である。持ち帰り用220g680円と決して高くはないし、色はもちろん黄土色。正直言って現在までこれを越える市販の塩辛を私は知らない。これだけを買いに車を走らせる事もある。自信を持ってお奨めしたい。

続いては、函館の土産物屋に大抵置いてある「社長の塩辛」である。色は黄土色ではなく薄ピンク。しかしながら塩加減は程よくサッパリで臭みなし。レモン汁を一振りすれば風味が立ってくる。実は土産物屋にロクな塩辛が見当たらず、ダメモトで買ってみたのだが、嬉しい驚きだった。クセのない塩辛を好む人向き。

さらに明太子で有名な福岡の料亭ひしむらの「いかの塩辛わた造り」である。板前さんの少量生産という。ここのはちょっと変わっていてワタ汁がオレンジ色をしている。パプリカ色素を使っているので純粋なワタ汁の色はわからないのだが、塩辛さは抑え目で、やはりレモン汁を一振りすると風味が立ってくる。上品な料亭の一品料理という印象。

・・・てな事を書いていたら、ネットでこんな塩辛を見つけた。ホラ、見事な黄土色でしょ。まだ知らなかった絶品に会える予感・・・。

【このトピックへのコメント】
  • marthaこちらにもお邪魔します。
    塩辛と聞いたら、道産子のわたしとしては書かずにはいられませんでした。
    塩辛はなんと言っても自家製。自家製が一番です。
    我が家のは、ワタと細切りしたイカと岩塩をただ混ぜるだけの単純なものなのですが、自分好みの塩加減で食べられるので、焼酎の肴に最高です。
    因みに家は夫が作ります。
    作ったものを、友人やススキノのお嬢さんなどにプレゼントしてやに下がっています。
    生臭いものをプレゼントするあたり、やっぱり道産子ですネ。
    そう言えば実家でも、生前は父が作っていましたっけ。

    ただ最近いいイカが捕れないそうで、しばらく食べておりません。残念!!

    自家製塩辛、是非研究してみてください。
    (2006-06-06 02:18:45)
  • Chaiemarthaさん、はじめまして。そしてようこそ!
    >塩辛はなんと言っても自家製。自家製が一番です。
    うんうん、そうでしょう。私も昔、一度だけチャレンジした事がありました。結果はダイダイ色のワタ汁になってしまい(多分塩の入れすぎ)、満足いくものができませんでした。
    で、市販品でも構わないから、その中で満足いくようなモノを食べたいと時に手に入ればと思った次第です。
    ちなみに最後に書いた通販の塩辛は大当たりでした。先日二度目の追加発注しました。
    (2006-06-06 15:29:15)

同僚といつもの店で晩飯を兼ねて飲んでいた時の事だった。

どうもこの近くに今はやりの「メイド××」なるものがあるらしい。彼はそこに通い続け、一杯飲む毎に押されるスタンプカードがもうじき満杯になって、階級が二等兵から一等兵に昇格すると言う。最高位は将軍だそうだ。アホか?

秋葉原のメイド喫茶は有名だが、ここ代々木ではアルコールを出すパブで、メイド服の女性が「お疲れ様で〜す」と迎えてくれ、しかも店内には数え切れないほどのガンダム系プラモデルやフィギュアが所狭しと並んでいると言う。

ほろ酔いついでの社会見学とばかりに行ってみた。20人までは入れそうもない狭い店内には、月曜日だというのに男女とり混ぜて8割方の客がいた。同僚曰く、会社や日常生活では決してカミングアウトできないアニメオタク達がプラモデル片手に静かに語り合ったり、心を解放する場所として通って来ているのだと言う。

この日はテーブル席に女性グループが5人、もう一つには男性4人、我々は残り一つのテーブル席に座った。6人ほど座れるカウンターは一人で来る常連客のための席で、そこへ座れるまでには超えなければならない高いハードルがあるそうな。要するにオタクの中のオタク、通のみが座れる席なんだそうだ。

早速、SFチックなメイド姿のやたら足の太い女性がおしぼりを持ってきた。ちっとも「萌え」ないが、お約束で「メイドさんなの?」と訊くと、「いえ〜、メイドロイドなんですぅ〜」。思わずひっぱたきそうになるのをかろうじて堪えつつ「メイドロイドだったら、ツネっても痛くないんだよね」と手を伸ばそうとしたら同僚に止められた。「ここはお触りも写真撮影も厳禁なんですよ!」だと。別にハナから触りたくもなかったんだが。

注文した焼酎のロックを飲みながら周りを見ると、若いオタク顔の店長が、一様に毛糸の帽子をかぶったカジュアル姿の若いグループとアニメソングバンドの話で盛り上がっている。一方で常連専用のカウンター席では、対照的に客5人全員がネクタイにスーツ姿。顔見知りらしい二人が静かに語り合っている一方で、一人でしげしげとアニメビデオやフィギュアに見入っている客もいる。「お前らイイ歳こいてバッカじゃないの?!」と言いたいのをムリヤリ飲み込んだのは言うまでもない。

「彼らはコミュニケーション・スキルがありませんので、くれぐれも睨んだり、大声を出さないようにしてくださいね!」と再び同僚に諭された。ここに来て、ついに自分の中に言い知れぬフラストレーションが溜まっているのがわかった。そう、ここは私のような人間が足を踏み入れてはいけない場所だったのだ。日陰の庭にひまわりは似合わない。

チャージ500円と焼酎代500円の計1000円で想像を超えた世界を見られたと思えば、案外安いとも思える。だが、これが最初で最後の見納め、単に恐いもの見たさだけの愚行だったと後悔するのにさほど時間は要しなかった。

1999年に起きた山口県光市の母子殺害事件。被告の元会社員(当時18歳)は本村洋さん宅に暴行目的で侵入し、妻の弥生さんの首を絞めて殺害後、強姦。娘の夕夏ちゃんを床に叩きつけた後、首を絞めて殺したとされた。1、2審は、前科のない少年だった事を重視し、無期懲役としていた。

検察側は「犯行は冷酷残虐。反省も全くうかがえず、被告の年齢などを考慮しても死刑の適用を回避すべき事情はない」と死刑を求めて上告していたが、前回欠席騒動を引き起こした弁護側も出頭在廷命令により出席し、最高裁小法廷において口頭弁論が開かれた。

弁護側は、被害者の傷と検察が主張する殺害方法が矛盾するとして、「被告に殺意は無かった」などと述べ、「1、2審判決には重大な事実誤認がある」などと主張し、再度弁論を開くよう求めた。浜田裁判長はこれを認めず、結審した。判決の期日は後日指定される。

今朝のワイドショーには被害者遺族の本村洋さん本人が出演し、事件後の経緯や夫婦間の交換日記、そして現在の心境などについて語っていた。それを見ながら、私は涙を禁じ得なかった。20代前半の妻と1歳にも満たない娘を一度に殺された悲しみはいかばかりだろう。

彼の執念と行動が、死刑を求めて検察に上告までさせたと言っていい。

だが世の中には奇妙キテレツな輩もいるようで、死刑廃止論者の安田好弘、足立修一両弁護士は、新たに弁護人として就任するや、弁護士会の模擬裁判リハーサル出席のため最初の口頭弁論に欠席し、挙句の果てに「被告人に殺意は無かった」とのたまったのである。首を絞めたのは偶然の所作だったとまで言ったのだ。さらに彼らは、弁論期日の6月への延期申請をしていたが、即日却下されている。

彼らの言動の意図は、誰がどう見たって、間近に迫った裁判官の定年を見越した引き伸ばしと、死刑廃止の持論実現のためである事は、本人たちが如何に弁明しようが自明である。それにしても信じがたい論理である。

ところが困った事にそれを擁護する輩もいる。

宮崎学氏は自身のブログで「メディアは・・・安田弁護士が死刑廃止運動のリーダー的存在であるために、死刑判決が出る可能性のあるこの裁判を遅らせているかのような印象を抱かせる報道をしているようである。しかし批判すべきは裁判所・検察などの安田弁護士へのヒステリックな反応である」そして「ワシは自分の愛する女房や子供が殺された時、お上に犯人を殺してもらう(死刑)という思想そのものを良しとしない」とまで書いている。

たまたま見かけた「zenkamanの支離滅裂ブログ」では、ブログ主のその名の通りの支離滅裂な意見に対し、370を超える反論コメントが付けられていたりする。

本村さんは言った。「被害者は私ではありません。妻と娘なのです」「真実は天国の妻と娘が知っている。遺族としては極刑以外では納得できない」「殺意があったかなかったかは神様しかわからない事です。でも結果として妻と娘が殺されたというのは揺るぎない事実です」

人間は本来感情の動物である。でも人間社会が秩序(法)で成り立っている以上、感情を抑え込み秩序(法)に従わざるを得ない場合が少なからずある。

法治国家であるこの国は仇討ちなどの私的報復を禁止し、被害者や遺族の感情を抑え込む代わりに法による裁きを行う。刑法の極刑として死刑が定められている以上、裁判を通じてその適用が判断されたのであれば、その時こそ、抑え込まれていた被害者や遺族の感情が、初めて秩序のもとに帰結されるのである。直ちに刑が執行されるかどうかは別にしても。

一方で加害者に更正の可能性があるという声も。だが、「福岡若手弁護士のblog」に記載されている加害者の手紙を見てもそう思えるだろうか。いや、思わなければいけないのだろうか。

加害者の人権という議論もある。確かに加害者と言えど社会に生きる人間の一人であろう。だがそれは、秩序の中にいて果たすべき義務を果たしている場合に、初めて「人」としての「権利」である「人権」が守られるのだと私は考える。秩序をはずれ罪を犯したのなら、それを償うまではその人間の権利は制限されて当然である。さらに償いきれないほどの罪を犯し、かつ社会秩序の中に戻ることを許されないと判断された場合は、死刑によって社会から排除されるのもまた当然なのではなかろうか。

私が本村さんの立場だったら、とうの昔に「秩序」を捨てていたに違いない。

日曜日に投票があった千葉7区の補欠選。連日ニュースで取り上げられたほどのパフォ−マンスを与党・野党ともに競い合い、結局1000票足らずの僅差で26歳の民主党女性候補が勝利した。コメンテーター達は、人気やパフォーマンスではもはや選挙に勝てない時代だと総括していた。

選挙期間中に炸裂した与党側のアホさ丸出しパフォーマンスの数々については「きっこのブログ」に見事に描写されているのでここでは割愛するが、浮動票が多く、とりわけ有権者の年齢層が比較的若い地区では全くの逆効果で、あれならやらない方がよっぽど勝てたのでは?・・・それにしてもハマコーは何の因果で時代錯誤の土下座なぞしに来たんだろ?

話は変わって、みのもんたの「朝ズバ!」でも取り上げられていたが、このところ親子間の暴力・殺人事件が頻発している。ほとんど毎日、日本のどこかでこのテの事件が勃発しては報道されている。少年少女が絡んだ理解不能で刹那的な傷害・殺人事件も同様だ。

やっぱり時代と躾のせいかなと思う。誰もが生活のため、自立のために定職に就く事が当たり前だとした時代が、今はその場しのぎでも十分やって行けるような物の豊かな時代である。世の中も個人の自由のみを拡大解釈し、バイトをフリーターと呼び、不労働者をニートと呼ぶ。まるで一つの生き方でもあるかのように、オブラートに包んだように言い換える。所詮そんな生き方など最後まで通用するはずが無いのを知りながら。

団塊世代以降の親は、子供に対して少なくとも強く怖い存在ではなくなった。自分の親世代で懲りたのだろうが、決して物質的な飢餓感を覚えさせず、ひたすら与え続ける中で、枠を定めぬ自由をも容認してしまった。その結果、子供からは「やりたくてもできないこと」「やってはならないこと」が無くなり、気づいた時には子供はとんでもない場所に行ってしまい、親の声もろくに届かなくなってしまったのだ。

子供は物質的にはほぼ満たされているゆえ、逆にその反動で精神的飢餓に陥ってゆく。ガマンする経験が不足しているので「分相応」という事がわからない。不満の限界もわからない。ある時、何かによって自分の精神的な枠を超えてしまったら、ドップリと落ち込むか抑制の効かない行動に出るか以外に解決を図る術を知らない。一種の思考停止状態とも言えよう。

昔の子供は、親に先生に近所の人に怒鳴られ叱られ、そして褒められて育った。否が応でも自分の周りの大人が自分に積極的に関わってきたのだ。常に大人の目があり、道から外れそうになるとすぐ引き戻された。そもそも怖い存在が身近にあるだけで、子供といえどもそうそう道は外れないものだ。

子供は親の鏡であり、若者は時代の鏡とも言う。責任を伴わない自由は存在しないという言葉も汎用されて久しい。責任を取らない自由とは、突き詰めれば「我儘」に他ならない。昨今の惨状は、無関心な親や大人の「我儘」をそのまま子供に見せてきた結果に過ぎないのではなかろうか。

何日か前のTV番組で、某芸能人(名前は忘れた)の禁煙チャレンジが取り上げられていた。徐放性のニコチンパッチを貼り、だんだんとその大きさを小さくして行き、2ヶ月間で禁煙に至るというプログラムである。

ニコチンには依存性があるので、喫煙家にとって血中ニコチン濃度の低下がタバコを呼ぶ。但しタバコを吸うという行為はニコチンの補充だけでなく、タールを始めとする無数の発癌物質を吸い込む事にもなるので、呼吸機能の低下や発癌といった危険と隣り合わせの状態が延々と続くのである。

これを経皮的にニコチンのみを吸収させ、タバコを吸う欲求と必要を無くすのが禁煙プログラムである。

禁煙に関しては、20歳の時に一度試みた事がある。親から、禁煙すれば小遣いを増額してやると言われ、その気になってお土産に貰ったダンヒルのライター共々タバコを川に投げ捨てた。もちろんその頃はニコチンパッチなどは無いので、ひたすら根性による禁煙であった。

約1ヶ月が過ぎた頃、いつもの服がキツくなった。体重計に乗ってみたら、何と6kg以上太っていた! それまでは人の倍食べようが肉が付かない体質で「ハラが出るってどういう事?」などと本気で思っていた。だが、禁煙直後から食欲の区切りが付かなくなり、しょっちゅう何かを食べていたのだ。その最たるものがポテトチップスだった。

結局、健康のために慌てて禁煙をストップし、毎食後の一服により食欲に区切りをつけたのだが、もはや後の祭り。いったん吸収の良くなる遺伝子が目覚めてしまえば、タバコを吸おうが、食べただけ肉が付いてくる。それまでブルース・リー並みだった筋肉質のボディーが単なる脂肪に覆われた準肥満体と化すまでさほど長い時間を要しなかった。

時は流れて現在。尻込みする同僚を誘って会社近くのクリニックの禁煙外来へ。Drの問診と栄養士による禁煙プログラムの説明後、待望のニコチンパッチ14日分が渡された。パッチは保険適用外なので、初診料等と合わせて8500円也を支払った。タバコを吸うにも止めるにもお金がかかるのだ。

もらったパッチを手にクリニックを出た我々は、2時間近く吸ってなかったのでまず一服。これが今生の別れとなると、なんだか名残惜しい。意を決して昼食後に二の腕にパッチを貼付。同時にタバコとライターは第三者に没収された。同僚と私のどちらかが2週間後の呼気の一酸化炭素濃度測定で再びレッドゾーンを示せば、喫煙の動かぬ証拠となり、ペナルティーとして栄養士の女性共々ご馳走するという約束も交わした。

今回の禁煙プログラムチャレンジにあたっては、私自身に喫煙による肉体的精神的問題があったわけではない。前述のTV番組で、パッチを貼っている時は全くタバコを吸いたくなくなったという某芸能人の言葉に興味を持ったに過ぎない。どれほどの効果が体感できるのか試してみたかっただけである。

今宵は今年初めてのビートルズ・ナイトである。ザル子たち相手に飲み食い歌い、それでも禁煙で乗り切れたら本物である。その時を楽しみにしている。

【このトピックへのコメント】
  • 私の場合禁煙は子供に自分の吸ったタバコの煙を吸わせたくない、そんな想いからでした。禁煙パッチとかそういったアイテム
    がないのでひたすら我慢して現在に至ります。
    しかし途中、社用で中国に7ヶ月あまりいた時はその暇とストレス(言葉が分からない等)で少し吸っていたことを白状します。
    帰国後しばらくは惰性で吸っていましたが「愛妻?」にばれて
    以後は全く吸っておりません。それからでも禁煙して12年になります。今は他の人が吸うタバコの煙がイヤでたまりませんが
    心許せる友の煙は何故か気になりません。去年の総会でchaieさんと激論を戦わせたときも飲みすぎで正体なくしたときでも
    タバコを吸うことはなくなりました。
    chaieさんのご健闘をお祈りします。
    (2006-04-27 19:56:40)
  • Chaie今日でパッチ装着2日目となりました。3日目までがピークだそうで、それ以降は楽になるとの事。ホントかな?
    「タバコが吸いたくなくなる」は、今のところありませんよ(爆
    吸いたい欲求はありますが、ガマンできるという程度です。
    お茶とガムでなんとか一日を送ってます。
    (2006-04-27 21:36:57)
  • 山本太郎こんにちわ、禁煙成功者として優越感を感じながらアドバイスさせて
    いただきます。私は知っています。タバコは吸うのを我慢するのではなく、販売機からタバコを買わなければ自然と吸わなくなるのです。
    これ以上の方法はおそらくないでしょう。
    (2006-04-28 02:55:26)
  • Chaieはじめまして>山本太郎さん
    >販売機からタバコを買わなければ自然と吸わなくなるのです。
    究極の方法でしょうね。酒も飲みに行かなければ禁酒になりますし。
    ・・・でもそれが出来ない。
    (2006-04-28 13:29:12)

いよいよ正念場のゴールデンウィーク9連休に突入したのと同時に、最も苦しいと言われている禁煙3日目に突入した。

TV番組で某芸能人が言ってた「ニコチンパッチを貼るとタバコが吸いたくなくなる」というのは真実ではない。この3日間でも「吸いたい」という欲求は常にあったが、吸わなくても何とかガマンできたというのがホントのところである。おかげでガムや飲み物の消費量が増え、禁煙のための新たなランニングコストに悩まされている。

また、タバコの煙と臭いに敏感になり嫌いになるという事もまだ無い。タバコが夢に出てくる事もない。このまま淡々と進んで行くのだろうか。

ところで、昨日ホリエモンが仮釈放されたニュースが流れた。拘置所から出てきた彼の何とスリムになった事か! 麦飯を始めとした栄養のバランスの取れた質素な食事と規則正しい生活の賜物である。3ヶ月前までのウルトラQの怪獣ガラモン顔あるいはウルトラマンの怪獣ウー顔がすっかり消え、けっこう男前じゃないかと感じたのは私だけじゃあるまい。

私自身のダイエットも11ヶ月が経過する。そろそろこのあたりで-5kgのための第2段ロケットに点火しなくてはならない身にしてみれば、お金を払ってでもいいから「拘置所ダイエットツアー」なるものを体験してみたいと思う。同時に仕事や世俗から離れ、有り余る一人の時間を過ごしてみるのも悪くない。

何せ禁酒も禁煙もダイエットもやり放題なのである。