先週金曜日に今年最後の専任部隊の研修が終わった。この土日で、木曜の晩に開催された忘年懇親会で午前様になったクタクタの身体をじっくり休める事ができた。どうも最近は復活までの時間がかかる。以前なら翌日の晩までには余裕で復活できたはずなのに・・・。
明日から3日間、Webトレーニングで5回シャベリをやり、その合間にe-Learning教材の修正と全国テスト再試験のチェック、週末はウチの部署のオフサイトミーティングと忘年会、それらをこなせば、とりあえず今年の一件落着だ。
FIFAクラブワールドカップ決勝、ブラジル代表を一人も擁しない南米代表「インテルナシオナル」が、ロナウジーニョ、デコ率いるヨーロッパ代表「FCバルセロナ」を1−0で破って、世界20数万クラブのチャンピオンになった。昨年、ヨーロッパ対南米のトヨタカップからクラブワールドカップとして6大陸代表制になって2年連続南米代表が世界一になっている。
なぜか負けチームからMVPに選ばれたデコのキョトンとした顔と、うっすら涙ぐんでいたロナウジーニョの顔が印象に残った。17歳の天才アレッシャンドレの今後も大いに楽しみだ。
その後チャンネルを合わせたのは、NHKスペシャル「認知症・・・そのとき、あなたは①」だった。
少なくとも人生の半分を折り返したと言える今、この先どういう未来が待っているのかと、ふと思う事がある。サラリーマン生活はいずれ終わりが来る。家族の中では、下の息子も独立していなくなっているだろう。では、その時の自分の健康はどうなっているだろうか。
ガンならずとも、いわゆる生活習慣病のどれかで入退院か寝たきりか。身体はいいけど認知症で介護施設か。いずれにせよ未来予想図は、自分が苦しむか家族や周りが苦しむ様子しか浮かんでこない。妙にリアリティがあるのは、それがたぶん高い確率でやって来る現実の姿だと思えるからだろう。
家の者には普段から「もし倒れたら、2時間待ってから救急車を呼ぶように」とか「ガンになったら延命治療はしない。すぐにモルヒネで緩和ケアにしろ」と言っているが、認知症の場合は自分で判断できなくなるわけだから厄介だ。私の理想の死に方は「酔っ払って寝て、朝になったら死んでいた」というヤツである。
とにかく、いずれ身体の健康か精神(脳)の健康が侵されるのは確実な事である。それらをうまくかいくぐって老衰のみで死ぬなんてのは、奇跡以外何物でもない。では、どうすれば理想に近い死に方ができるか? 残念ながら全くわからない。ヘタに現代医学の手にかかったら、どんな姿になろうとも、イヤでも生かされる事になる。患者をとにかく生かす事が現代医学の正義だからである。
どうやらこの先、生き方より死に方の方が難しそうだ。あ〜あ、また眠れなくなっちゃう・・・。
私の父は去年癌で亡くなりました。
病気が発覚したとき「絶対治るんだ!」と宣言していましたが、万一のときは「無意味な延命はしないでくれ」とも言っていました。そして、治療の甲斐なく危篤状態となり医者から人工呼吸器を付けるかどうか聞かれたとき、私は父の意志を尊重してそれを断りました。
本心を言えば少しでも長く生きていて欲しかった。あのときの決断が正しかったかどうか今でも悩みます。希望通りの死に方をした父は、ある意味、しあわせかもしれません。だけど、自分が人の、ましてや親の生死を決めるなんて、私は二度と御免です。
(2006-12-18 23:49:45)
お元気でしたか? そろそろPOOBに入会されてもいい頃かと・・・(笑)
それはさておき、病名こそ違いますが、私の祖父も同じ転帰を辿りました。最後の心臓マッサージを途中でやめてもらい、そのまま臨終でした。
それ以来、「もし昔だったらとっくに亡くなっていたものが、たまたま現代だからここまで生きられたのだ」と思うようにしています。現代だからこその「長生き」だったに違いないと・・・。(2006-12-19 13:01:53)