クレージーキャッツの植木等氏が、先月27日呼吸不全で亡くなった。享年80歳だった。

去年、青島幸男氏の葬儀に酸素ボンベを引きずって焼香に現れたのが公的な最後の姿だった。その様子を見てCOPD(慢性閉塞性肺疾患、肺気腫を含む)を患っていると私は確信した。酒は全く飲めなかったらしいが、COPDの原因となるタバコは吸っていたのだろうか。昔付き人だった小松政夫氏が「せめて老衰で逝ってほしかった。悔しいです」と言ってたが同感である。

彼の全盛期の頃、私が覚えているのは「シャボン玉ホリデー」のザ・ピーナッツの歌とクレージーのコント場面だ。この番組を大人の世代で見ていた人は、こぞって「彼はギターの名手であり、天才的なボーカリスト。高度な技術の裏付けがあるから芸が光るし、カッコイイ!」と言うが、子供だった私にはただの「バカ面のおもしろいオジサン」だった。

あの独特の笑い方と共に「およびでない?・・・およびでない。コリャまた失礼いたしました〜!」という決めゼリフに何度笑わされたか。今から思えば、不思議な事に現代のどのお笑いにもないモダンでスマートなネタばかりだった。後年、弟分のドリフがその一部をマネたが、発するオーラは遠く及ばなかった。

一度聴いたら忘れられない彼の歌の数々。だが、カラオケで歌おうとしても、これが結構難しいのである。ジャズを基調にしたメロディーは変化に富み、転調も自在。聴くと歌うのギャップが思ったより大きい。それをあれほどあっけらかんと歌いこなしていた彼のレベルをやこそである。

ご同輩、感謝を込めて今夜はカラオケで歌おうじゃないか!

「わかっちゃいるけどやめられねぇ〜!」っと。

4月になり新社会人のスタートが切られた。ウチの会社でも50人以上の新入社員を迎え、昨日本社で入社式が執り行われた。

公務員も一斉に入庁式などが行われていたようだが、話題の東国原知事は、数日前に感染したインフルエンザを取り上げ「タミフルを飲んだので異常行動を起こすかもしれない」「(問題発言があれば)タミフルのせいだと思ってください」などと述べたという。

異常行動とタミフルとの因果関係は疑いの段階ではあるものの、少なくとも服用患者で死亡例が出ている現実を考えれば、受け狙いの話で持ち出す題材ではない事ぐらい判りそうなものだろうに。あんたが期待され支持されているのは、ひたむきさと明るい姿勢に対してであり、いくらシニカルだのブラック・ユーモアだのを持ち出しても、そんな路線は逆効果になるだけである。勘違いしてそこを踏み違えると、マスコミと世論はいともたやすくバッシングに転換するぞ!

そうかと思うと、さいたま市内で開かれた新規職員就任式の式辞では、上田清司知事が「自衛官の人は大変ですよ。いつも平和を守るために人殺しの練習をしている」と発言した。さらに「だから、われわれは『偉い』と言って、(自衛官を)ほめ称えなくてはいけない。頑張れ、頑張れと」と述べたという。アホか!

自衛隊諸君、今後は埼玉県での災害対策や救助活動は一切する必要なし! 埼玉で戦争が起きない限り、少なくとも県政トップには諸君らの任務はマトモに認知されないぞ!

続いて彼は、警察官にも言及し「県民の生命や財産を守るという崇高な使命の下に、どうかすると人を疑ったり人を痛めつける練習をしなくてはいけない」と発言したという。言語道断!

極めつけは、さらに唖然とさせられた、それに続く発言だった。

「(県職員は)そういう類いと違って多くの方に喜びを与え、感謝され、自分もその喜びを感じることができる素晴らしい仕事」と続けたという。

をいっ! 自衛官や警察官の仕事は「そういう類い」か! 自分が何を言ったか自覚してるか? とんでもない思い上がりだ! 

いつから県職員が「喜びを与え、感謝される」仕事と言い切れるものになったのか? 県民の血税で裏金を作り、公費のムダ遣いをし、挙句の果てに怠慢業務が日常化している「類い」の、どこが喜びを与え感謝される仕事なんだ? まるで血税を吸い続ける「吸血鬼」だろうよ!

あんたの言う「そういう類い」の人たちは、ひとたび災害や犯罪が起きれば、最も住民に近い部分の援助をするのだから感謝されて当然じゃないか。線路に入った女性を助けようとして電車にはねられ殉職した常盤台交番の宮本邦彦警部(当時53歳)を忘れたか! 人を疑ったり痛めつける練習でできる事か!

さらにさらに、接戦の末に当選したばかりの愛知県の神田真秋知事は、入庁式で職員の福祉に対する意識に触れ、先天的障害のある人などを指して「悪い遺伝子を持った方」と発言した。言うに事欠いて「悪い遺伝子」とは何だ! 空いた口が塞がらないとはこの事だ! 

でも不思議な事に、この題名が書かれたニュース記事から、該当する記事本文が次々と削除されていた。東国原知事と上田知事の記事はそのままなのに・・・何かの圧力が働いたか?

ともあれ、もはや怒りを通り越して、この言葉を聞いた障害者本人やその親御さんたちが気の毒でしょうがなかった。

トンデモ国会議員に続いて知事クラスにもこんな低俗な感覚と認識しか持たない輩がいたのである。いったいこの国は、政治家の質がどこまで低下してきているのだろうか? ごたいそうなマニフェストなんかを出す前に、まずは自らを律しなさいな。みっともない。

のんびりとした午後3時過ぎ、オフィスの北側の窓から見える空が一天にわかに掻き曇ってきたと思ったら、たちまち暗転。その時南側の空は日差しも覗く曇り空で、まだ十分明るかった。

だが、しばらくしたらその空も真っ暗となり、やがて雷雨となった。が、次に見た時には、な、な、なんと雪が降っているではないか! 今は確かに4月だよな?

一昨日起こったソロモン諸島の地震は、当初注目された震源地に近いギゾ島(約7000人居住)では、少なくとも死者が30人以上だそうだ。ところが今日のニュース記事によれば、震源地に最も近いシンボ島(約500人居住)では、一つの村が津波で壊滅的な打撃を受け、ほとんど丸ごと消滅していたという。全体の死者数はこんなものではないと思われる。

ソロモン諸島の総面積は岩手県の約2倍だが、約49万人が大小1000以上もの島々に分散して居住している。首都ホニアラは、太平洋戦争における旧日本軍の玉砕地として有名なガダルカナル島にある。その意味では日本とも関係の深い国の一つと言えよう。

2004年12月のスマトラ沖地震といい、先日の能登半島地震といい、このところ海中を震源地とする地震が目立つ。スマトラ沖地震もそうだったが、こういう地域では地震以上に津波の被害が大きい。海が震源地であれば津波が起こるのは当然だが、悲しいのは住民に津波に対する知識がなかったばかりに、まともに被害に遭ってしまっているという事だ。「TSUNAMI」は公用語だったはずなのに。

一方で、地球温暖化による海面上昇のために沈みゆく国と言われる「ツバル」がある。ニュースによれば、島の海岸線は波による浸食を受け、地面からは海水が噴き出しているという。その結果、地下水に海水が流れ込んで飲み水がなくなってしまったり 土中に海水がしみ込んで作物が育たなくなってしまったりと、国土と共に人が住む環境も破壊され始めているという。

これらに比べれば「暖冬」だの「スキー場に雪が無い」だのと騒いでいる我々は悲しいほどオメデタイと思うが、そろそろ「不都合な真実」に本気で目を向けるべきだろう。

【このトピックへのコメント】
  • ごんぞ[URL]ツバルは最近ニュース番組とか情報番組とかで放映されることが多くなってますね。
    「不都合な真実」 はもちろん自分たちもそうだけど、一番真剣に目を向けないといけないアメリカが…ですからねえ。
    (2007-04-04 20:37:08)
  • Chaie二酸化炭素だけじゃなく、石油も核も自分達の思うままにならないといられない大国、アメリカ。まずは京都議定書にサインしろっての。(2007-04-05 09:56:13)

「休肝日」の多い人の方が、少ない人よりも死亡率が低くなる事が、厚労省研究班の4万2000人のアンケート調査と10年の追跡調査で明らかになったという。

昔から休肝日は大切だと言われているので、やはりそうだろうなと思うが、今回の調査では具体的な摂取量と死亡リスクまで明らかになったところが新しい。

追跡調査期間中に死亡した約3900人について、飲酒の頻度や飲酒量を調べたところ、週あたりのエタノール摂取量が300g(毎日日本酒2〜3合)以上になると、同じ摂取量でも休肝日なしの方が、休肝日ありよりも死亡率が大幅に上がった。年齢や喫煙、肥満度など死亡に関連する他の要素の影響を考慮しても、エタノール摂取量が300〜449gの場合、「休肝日なし」の死亡率は「あり」の1.5倍、450g以上では1.8倍になったという。

つまり、飲まない日を作らずに日本酒3合以上に相当するエタノールを摂取し続けると、死亡リスクが50%増加するという事である。それが5合以上になれば80%増加する。週あたり同じ量を飲むのなら、飲まない日を作って飲む日にガッツリ飲むというメリハリをつける方がまだましだという事だ。

その根拠の一つとして、研究員は「死者の4割は癌だった。休肝日がないと、酒の代謝後にできる発癌性を持つとされる物質が常に体内に存在し、癌の危険性が高まるのかもしれない」と話しているという。

昔読んだ医学記事を思い出したが、日本酒2合相当を20年間毎日飲み続ければ、ほとんど肝硬変になると書いてあった。肝硬変自体が死亡率の極めて高い疾患だし、いきなり肝癌を発症する事もあるし、肝硬変から肝癌に移行する事もある。いずれにせよ、高濃度で細胞を破壊する毒物であるエタノールの過剰摂取がいいはずがない。逆に、純エタノールは癌細胞を破壊するために医療現場で使われているほどである。

禁煙を始めて今月26日で1周年を迎える。それまでは家で晩酌の習慣はなかった私だが、ついつい家でも飲むようになってきていた。外では相変わらずシコタマ飲むのに・・・。いつの間にか休肝日が極めて少ない日常になりつつあったので、この調査結果で改めて自戒の念を強くした次第である。

それでなくても飲んで記憶を無くすまでの時間が短くなってきている今日この頃なのだ(爆)

一昨日の統一地方選挙で、都知事は石原慎太郎氏の3選が決まった。人気狙いや目立ちたがり屋の泡沫候補達はともかく、反石原の最有力候補のはずだった元宮城県知事の浅野史郎氏は、なんと100万票以上の大差で敗れた。

これもひとえに浅野氏の戦前のイメージと、立候補前後のもったいぶった態度に加えて選挙戦を通じての優柔不断な態度とのギャップが負の相乗効果となって、石原批判票を集めきれなかったというのが本当のところではなかろうか。浅野氏だって決して甘く見ていたという訳ではないだろうが、結果として状況判断を誤った面もあろう。だが、やはり何事も中途半端では規定路線を崩すには至れないだろう。現に9つの知事選挙は、すべて現職が再選を果たしたのである。

まあ、「Noと言える日本」で硬派タカ派の代表格となり、それが支持された石原氏ではあるが、彼も彼で「過ぎたるは及ばざるが如し」で、言い過ぎやり過ぎが鼻についてきたのも事実である。だが、その意思を受け止められるほどの候補者が現れなかったのも、終わってみればいつもの都知事選と言えば都知事選だった。

さて、私は来月の全国研修ツアーに向けて、コンテンツ作成に取り掛かっている。ゴールデンウィークがあるので、予演会も含めて最終的に月末までには完成させなくてはならない。だが、それだけに没頭させてくれるほどウチは甘くない。途中には同業種中途入社社員の研修や久しく出動できなかった営業スキルアセスメントにも行かなくてはならない。

春の訪れと共に人が増え、よって研修の数も機会も増えるのは常である。特に私が研修を担当している新薬の承認が来週で発売が6月ともなれば、言われなくとも気合が入ろうってモンである。

それとは別に、ついに今月から内勤、出張に関わらず就業時間中は全面禁煙となり、喫煙者はそのために席を立つ事も許されなくなった。喫煙目的でいなくなろうものなら「職場放棄」となりかねないのである。外勤者も就業時間中は車の中といえども禁煙である。・・・ああ、禁煙しててよかった。

桜は咲いても三寒四温という状態もようやく和らぎ、やっと気温が上がるのみの春一直線が見えてきた。さて、わが身にもうひとムチくれて頑張るとしようか。

一週間前から4月入社の同業種中途入社社員研修が始まり、私の担当製品の研修が昨日から2日間の予定で始まった。「渡りに船?」で書いた彼も受講者として参加している。

例によって一日中立ちっぱなしの講義は辛いものも感じるが、そこはそれ、できる限り熱を伝えるためには頑張らねばならないのである。まっさらな人材を適切な色に染め上げるのは研修をする側の責任でもある。

同時に今年度の新卒新入社員研修も始まっている。明らかに研修担当者のマンパワーは減らされているのだが、何とかやり繰りしろという事なのか。だが、できないものはできない。結局は人が減っても補充しなかったマネジャーの管理能力の問題である。

そんな実情を知ってか知らずか、彼のプライベート送別会を昨日の研修初日の晩に開催した。もちろん二次会のカラオケボックスでの彼の選曲には、十八番の「来島海峡」をはじめとして感慨深いものを感じざるを得なかった。

子供達が独立して奥さん一人になった愛媛県の自宅に帰ろう、もう一度外勤の営業職で自分を試してみたい、そしてやたらと横ヤリの入る新人研修業務にはホトホト嫌気がさしたというのが異動話に乗った理由だそうだ。誰もが大きな変化を避けたがる50代半ばにしての彼のこの決意に敬意を表したい。

歌いまくって盛り上がった席で分かった事は、彼も私も根本の部分では一緒だったという事である。今さら会社の考え方、上司の考え方を変えようとは思わない。今さら自分の存在が組織や会社に変化をもたらすとも思わない。とすれば、今後は自分の存在価値や発揮できる職能のみを自分自身で見つめていくしかない。まあ、この会社は、もともとそういう考え方を持った個人が付き合っていくべき会社なのかもしれない。

だからこそ、やる気のある人間が第一線から退かなければならなくなるし、毎年入る新入社員のモラルの低下も取りざたされるのである。現に今日の夕方、新入社員の彼らは、本社正面玄関で大声で気勢を上げていた。彼らなりのアピールなのかもしれないが、少なくとも我々の年代ではあり得なかった行動である。

彼らは今現在、何一つとして会社に利益貢献をしていない。だが会社は少なくとも近い将来までに彼らが会社に大きな利益をもたらす存在に育ってくれるだろうという期待を込めて給料を支払うのである。だから彼らは義務として、一刻も早く会社の戦力となれるよう日々最大限の努力で研鑽を積む事が仕事なのである。

さあ、新人諸君! オジサン達が見慣れないデザインのスーツを身にまとって出勤してくるのも、初めは目をつぶろうではないか。君達の会話、感性が我々と相容れない部分があるのも認めようじゃないか。

その上で、求められる事と成さねばならぬ事はしっかり取り組んでくれ。せめて給料分は貢献してくれ。