昨日から同級生のお宅にお泊りに行ってて息子は留守、今日も仕事に行ってるカミさんの冷ややかな目に耐えつつ9連休最後の日をひとり過ごしている。連休が明けた今週末からはPOOB総会in琵琶湖と全国研修ツアーの始まりで、ほとんど毎日旅の空状態となる。ゆっくりできるのは今のうちなので罪悪感は湧かないのだ。

結構本格的な雨模様の昼下がり、とあるコミックス単行本を片手にドトールカフェへ。単行本の題名は「宗像教授異考録2」。現在もビックコミック連載中の伝奇マンガで、作者は星野之宣氏。私は彼をデビュー当時から知ってはいたが、その頃はSFマンガにもかかわず妙に落ち着いた画風がつまらなく感じ、以降は遠ざかっていた。

今回改めて読もうと思い立ったのは、テーマが民俗学なので彼の画風にマッチしている事と、何よりストーリーにとても興味を引かれた事である。東亜文化大学民俗学教授の宗像伝奇が、昔話や言い伝えの歴史の謎を解いていくという物語で、例えばこうである。

邪馬台国はどこにあったのか? 畿内説(奈良県)と九州説が有力だが、魏国から卑弥呼に下賜された100枚の銅鏡がある場所が卑弥呼の墓、すなわち邪馬台国の決定的証拠となる。だが、この2地点は別々のものではなく、古代日本において深くつながっていたのである。

神話の「天孫降臨」すなわち高天原から天孫一行が降り立ったのが九州の高千穂。以後、彼らの子孫は日向(宮崎県)に四代住んだが、やがて西暦248年頃、卑弥呼の死後、一部の勢力は新天地を目指して旅立った。紀伊熊野に上陸後、着いた先は奈良県大和の地で、そこにクニを築いた。これが神武天皇の東征神話で、大和朝廷の草創だった。

驚くべき事は、九州と大和、特に原・邪馬台国とされる福岡県甘木市周辺と新・邪馬台国とされる奈良県桜井市周辺、さらには東征出発地の日向周辺と上陸地の紀伊熊野周辺の地名とその位置関係がほとんど同一だという事実である! まるで鏡に映したかのように。偶然にしては出来過ぎである、実際に歴史的関係があった見るのが自然だろうと宗像教授は言う。

実は東征は邪馬台国のクーデターだった! 卑弥呼亡き後、新しい王になろうとした男のために内乱が始まったと魏志倭人伝は伝える。卑弥呼が二度と生き返らない呪いのために100枚の銅鏡の全てが割られた。やがて新女王によって内乱は治まったが、分裂派は東征し、大和に新・邪馬台国を築いた。後年、彼らは軍勢を率いて日向に攻め戻ってきた。

彼らの目的は、本家・邪馬台国を潰す他に卑弥呼と共に眠る割られた銅鏡だった。それを大和に持ち帰って量産し、権威を示すために畿内周辺に配るつもりだったのである。だが、後に大和政権が中国から職人を招いて大量の銅鏡を作らせたため、卑弥呼の銅鏡の存在も虚実がはっきりしないままになってしまったという。

「割られた鏡」と題された、このロマンチックな話が、わずか70ページのマンガで味わえるのである。しばし時空を超えた至福の時を過ごした。

この他にも、中国の犬祖伝説、犬を愛した狩猟民族の縄文人とそうしなかった農耕民族の弥生人、さらには里見八犬伝とが絡み合う「花咲爺の犬」、中国、日本、ギリシア神話を結ぶ七夕伝説の「織姫と牽牛」が収録されていた。

たぶん、これらを活字で読むと人名地名漢字のオンパレードとなり、本来のダイナミックさがうまく読み取れず、億劫になってしまうのではと思うが、グラフィック性に優れたマンガであれば、それが十分に伝わってくる。これをキッカケにして本気で勉強したければ、その時きちんと書籍を紐解けばよいのである。

「一流のマンガは一流の書籍に匹敵する価値がある」というのは40年以上マンガを読み続けてきた私の持論である。こういった出会いがあるからマンガはやめられない。