連休明けのリハビリの一日になるはずだったのに、担当製品の研修の予演会があったため、無理して意識レベルを奮い立たせた一日になってしまった。疲れた。

前年度に習った配当漢字の読み書きテストを実施した「日本教育技術学会」は、2004年4〜5月、全国の小1〜中1を対象として計480校、延べ約3万7000人から回答を得た結果を発表した。

それによると、学年別で最も書けない漢字は小6が「支持」の「支」(正答率7%)等だった。「ひとつ」という問題に「一つ」と正解できた小2は70%に留まり、「人つ」や「入つ」などの誤答が見られた。一方、「実り」を「みのり」と答えられなかった小4と、「末は外交官に」の「末」を「すえ」と読めなかった小5がそれぞれ4割に達するなど、訓読みが苦手な傾向も見られたという。

ここで言う「配当漢字」とは、常用漢字(1945字)のうち、学習指導要領で小学校6年間に「読み」と「書き」を学習することが決められている漢字の事で、教育漢字とも呼ばれ、現在は1006字ある。

私は10数年前から、毎年入社してくる新入社員に加え20代の社員の漢字力と文章力が急激に衰えている事を肌で感じ、事ある毎に発言してきた。日本に生まれ育ち、なかんずく最高学府を卒業してきた大人が、ロクに字が読めない書けない喋れない事が信じられなかった。

もとより、これは文系理系で片付けられる事ではない。原因を推察するに、よく言われてきた活字離れやゲーム世代というのもあるのかもしれない。だが、プリントやドリル等を使った漢字の書き取りがほとんどなくなった、受験科目として読み書きの比重が下がったというように、読み書きに関するトレーニングが質量共に激減している時代背景が一番大きいように思う。

日本語の読み書きは日本人としての基本スキルであるにも関わらず、その教育をないがしろにして何を学ばせられると言うのか。大人になって恥をかいたり困ったりするのは、結局そんな教育を受けさせられた連中なのである。

見てごらんなさい。街を歩けば、そんな日本人モドキが「チョ〜○○!」だの「つーか、○○みたいな」「○○食ったらさあ〜」「○○やっちまった!」などと、女性の口からおよそ女性とは思えない言葉が飛び出してくる。こういう連中の口からは、敬語はもちろん謙譲語や丁寧語すら発せられる事はない。そんな立ち居振る舞いでは「お里が知れる」は、とっくに死語だ。

読み書き話し言葉が教養と品性の象徴として求められた時代が過去となり、いつしか本は読まない、手紙は書かない、時には話もしないで済む時代となってしまった。私の目から見ても、日々日本語は崩れてきていると感じている。

日本の言葉が持っている意味の幅と深さ、時に感性に訴えてくる音の響き、浮かぶ情景を都度言い分ける事より、いつも同じ直線的な言葉で直球を投げる事が受け手にも容認されてしまっているのだからどうしようもない。

落ちている事に気付く事なく、言葉が文化がただただ安きに流れる。