出雲眞知子
 以前、雪見さんとの共通のキーワードが森有正だと知って驚いた、ということは書いたと思うのだけど、それはちょっと正確じゃない。一番驚いたのは、雪見さんもわたしも、森有正の本の装幀を手がけたある女性の書いた本を読んだことがあって、しかもその本の中にぼかしながら書かれているあることに、ピンと気づいてしまった、というところまで同じだったことだ。

 その女性、栃折久美子さんの「森有正先生のこと」が出版されたのを知って、ちょっとだけ躊躇したのだが注文、本が手元に来るや否や一気に読んだ。読んで、ああそういうことだったのか、と素直に納得できる気がした。それは確かに恋だったのだが、最初からもたれあうことにはなりえない恋だったのだ。

 一番わかりやすいのは、栃折さんが、大学での森有正の集中講義を聴講に来ていて、学生に話し掛けられたときに答えたことば。

だって、人は何をしてあげることもできないし、してもらうこともできない。本当に人に出会いたかったら、自分の中の暗闇を、どんなに寂しくても一人で行くほかないし、そこしか本当に人と出会うところはないのだと、知ったものだけに通じ合える優しさ。それだから冷たい、といったのよ。(p.93)

 しかしこれはあまりにわかりやすすぎる。むしろ、森有正が東京に事務所を構える構想を抱いて、そこを栃折さんに取り仕切ってもらえないか、と打診をする手紙を送り、栃折さんが概ね承諾をしたことに感謝する森有正の返信の中のことば。

私どもはそれぞれ主体的には第一人称の人間、したがってお互いには第三人称(二人称ではありません)の人間でなくてはなりません。だから、お互いの関係は信頼ではなく、信仰なのです。(p.116)

 この事務所の企ては、かなり長い期間、多少は現実感をもって模索されたようだが、結局実現しなかった。模索された期間、それは両者それぞれにとって、危うい夢だったことも確かだと思う。しかし実現しなかった理由は、それは単に自然の成り行きだった、と理解するのがよさそうである。

 本を読み終えてから、書棚で埃をかぶっていた「モロッコ皮の本」を取り出して、ブリュッセルで彼女がある人を待っていてすっぽかされたという下りを、20数年ぶりに読み返す。2日間待って、結局現れなかった人のことを想う気持ちが書かれているのだが、それが息子夫婦を伴っての来訪だとは記憶していなかった。読み直したら、曖昧だがそのことがちゃんと書いてあった。また、花がドライフラワーのようにしおれてしまったとあって、それをわたしはずっとミモザの花だと記憶していたのだが、そうではなくて黄水仙だった。(ミモザは、同じ本のずっと前の方で出てくる。)

 事情がわかって、その前後の経緯も明かされた上で読み直すと、以前読んだときには、だいぶ思わせぶりに思えた文章も、それなりに切実な気持ちをぎりぎり殺ぎ落としながら書いていたことがわかるような気がする。

逃ゲマセン、モチロン。何モカモ承知デヤッテキタコトダモノ。ドンナコトヲ代償ニシテモ、視テ見甲斐ノナイヨウナ方デハナイ、ト思イマス。本気デ視ルツモリナラ、見甲斐ノナイ人間ナンテ、ヒトリモイナイ、トモ言エルデショウケレドネ。(「モロッコ皮の本」p.142)

 「視ル」というのは、三人称の関係で向き合うことだ。話をし、食事をし、冗談を言い合い、便りをやりとりし、健康を気遣う。そうしながら、それぞれの仕事に全力を尽くす。

 そういう三人称の関係を経験したからこそ、栃折さんは今の今まで一人称で生きてくることができたのだろう。今回この本を書く必要があったこともよくわかるし、わたしの中でずっとぼんやりとはぐらかされたままになっているように感じていたことが、すっきりした気がする。

 というわけなので、読んでみられるとよいかも。
【このトピックへのコメント】
  • 雪見ふ〜む。いろいろ謎が解けそうですね。早速読みます。(2003-10-18 13:02:09)
  • 出雲眞知子うん、うん。わたしの方は、マルクス・アウレーリウスを、と思ってはみるんだけどねえ。(2003-10-18 13:23:00)
 サントリーホールで、ピーター・ゼルキンのピアノ・リサイタル。こういう演奏会に行くのは、実に20年ぶりくらいではないかと思う。この夏に、これからは、聴きたいものがあったらひとりで行くからね、と家族に宣言して、今回がその最初になった。

 ピーター・ゼルキンの演奏を、わたしは以前一度聴いている。記憶では、ベートーベンの最後の3曲のピアノ・ソナタを弾くプログラムで、東京文化会館の小ホールだった。当日は、補助椅子が用意されるほど聴衆がびっしりと詰めかけていた。ピーターのベートーベンは、多少乾いた固い音質で、細部まで神経の張り詰めた、そしてしっかりと音の構成が描き出されたもので、強い衝撃を受けたことを覚えている。それほど、ベートーベンの精神的な奥深さがくっきりと抉り出された演奏だった。ピーターの父親のルドルフ・ゼルキンの生の演奏も、わたしは一度聴いているのだが、その音楽の質は明確に異なるものだった。

 20年ぶりくらいに見るピーター・ゼルキンは、以前の痩せた青年のイメージから、多少胴回りに貫禄の出た落ち着いた紳士、といった印象で、やはり年月が経ったことが感じられた。

 今回のプログラムは、ヴォルベのパッサカリア、ベートーベンの30番のソナタ、そして、ディアベッリの主題による33の変奏曲。

 パッサカリアは現代曲で、わたしはもちろん聴いたことがない。複雑な曲だったが、ゼルキンが現代曲を見事に弾く人だということを目の当たりにすることができた。
 ただ、会場がサントリーホールということで、音が前後と上部に抜けてしまう傾向があり、こちらが慣れないせいもあってか、音がしっかり手元に届いてこないようなじれったさが感じられた。

 30番のソナタはわたしの好きな曲のひとつで、第三楽章が美しい変奏曲になっている。第一楽章と第二楽章の間にまったく休みをおかずに一気に弾き、この第三楽章を丁寧に聴かせてくれた。

 ここまでで印象深かったのは、ゼルキンの音が、以前ほど乾いたものではなく、むしろ柔らかく深いこと。しかしテンポの速い旋律では相変わらず切れ味が鋭い。そうして、何よりも、ピアニッシモのすこぶる美しいこと。消え入りそうなほど弱い音なのに、少しも弱々しくなくしっかりと響いていることに驚く。強い繊細さ、とでもいうのだろうか、とにかく印象的なピアニッシモである。わたし自身がまたピアノを弾くようになって、こういうピアニッシモの音色を出す難しさを実感しているだけに、その見事さに息を呑んだ。

 ディアベッリの主題による33の変奏曲。今までのわたしには、特段美しくもない主題をもとにした、長大なだけの変奏曲、というくらいしか印象がなく、正直あまりきちんと聴いたことがなかった曲だ。
 延々と続く変奏曲のひとつひとつが、実に違った表情を持っていることが、緩急と強弱に変化をつけた演奏によって見事に描き出されていく様子は、聴く者をぐいぐいと惹きつける力を持っていた。決して長大なだけの曲ではなかったのである。しかもよく聴いてみると、変奏が、ベートーベンのピアノ曲が完成されていくその歴史的なプロセスを凝縮したような凄みがあることに気づかされた。最後の4曲あたりには、後期のピアノ曲独特の深い精神性が織り込まれている。しかも演奏会もこのあたりになると、ホールの大きさもちっとも気にならなくなり、音はしっかりと空気に馴染んでいて、聴く者の神経を揺さぶってくる。

 しかしこのリサイタルの圧巻は、さらにここからだった。アンコールが4曲もあったのだ。そのうち3曲は、わたしの聴いたことのない曲ばかり。最初の2曲は、おそらくベートーベンではないかと思うのだが、いずれも地味な小品だ。特に2曲目は、ピアニッシモが主体の美しい曲で、わたしがこの日の演奏で強い印象を受けたゼルキンの音色の見事さが凝縮されたような演奏だった。最後の数小節は、まさに超絶なピアニッシモ。

 アンコールの3曲目は、おもむろに楽譜を持って登場し、現代曲を弾いた。間違っているかもしれないが、たぶん、武満徹の作品ではないかと思う。非常に美しい曲で、おそらくこの日の演奏の中で最高の出来だったのではないか。もうこれでたっぷり聴いた、と思ったら、最後に、なんとバッハのゴールドベルグ変奏曲から主題。この締めくくりには、正直言って参った。

 ディアベッリの主題による変奏曲をメインに置き、その前に変奏曲を第3楽章にもつ30番、そしてアンコールの最後にゴールドベルグという、なんともぜいたくな構成になったわけだ。言ってみれば、アンコールの4曲まで含めた、全体が三部構成のプログラムと言えるだろう。

 この日の聴衆は、かつて東京文化会館の小ホールに集まった人々と同様に、ピーター・ゼルキンが何者かをよく知っていて、ピーター・ゼルキンの弾く質の高い音楽を聴きたくて集まった人々だったのだろう。どの曲でも、最後の一音のあと、ピーターが身じろぎもせずにその響きの最後の最後まで聞き入っている間、観客も全身を耳にして、演奏者がよしとして身体の緊張を解くまでの長い時間をじっと待っていた。アンコールの3曲目のあと大きな咳をしてしまった人がいたのが唯一残念だったが、あとはきっちり最後まで演奏者の音を(余韻の静寂まで含めて)聴き届けることができたと思う。そのことが、この日の演奏会をさらに完璧なものにしていた。

 わたしの経験では、これほど完璧な演奏会というのは、数年に一度あればいいほうではないかと思うくらい、それほど見事な演奏会だった。また聴きに行くぞ、と決めたその最初が、ゼルキンで正解だった。というより、今回があまりに完璧で、次に何を聴くか、選ぶのがかえって難しくなったという気もする。
【このトピックへのコメント】
商店街の歩道を歩いていたら、真後ろから、小さな女の子(たぶん)とその父親の会話が聞こえてくる。

「パパ、ちゃんと歩道を歩かなきゃ駄目でしょっ」
「はーい、ごめんなさい」

そこは歩道がかなり狭く、親子がふたり手をつないで歩くと、他の人と行き違えないようなところなのだ。車道側にいるであろう父親は、自然と時々車道に降りて歩いていたとみえる。

「そこもまだ駄目、もっとこっちがわでしょっ」
「はいはい」

どんな親子なのか気になったのだが、とにかく声がすぐ真後ろなので、振り返るに振り返れず。

しばらく先に進んでから、さりげなく後ろを見てみたのだが、その間に親子はわき道に入ってしまったらしく、もう姿が見えなかった。

残念。女の子の顔を、いや、娘に言いなりの幸せなお父さんの顔を見たかったな。
夕食後の洗いものがちょっと面倒くさかったので、ここは夫に堂々と押し付けてしまおうと思い、
「今日、プリント印刷しててさ、紙で指切っちゃったんだよね。」
と言って(これはホント、ただし血がにじんだ程度でたいしたことはない)、右手の人差し指を差し出して見せる。

すると夫が、
「実は、僕もやっちゃったのさ。」
と言いながら、差し出された指には、すでにバンドエイドが巻かれていた。

また負けたよ。
というわけで、わたしが食器を洗う。まあ、やり始めてしまえばたいしたことはないのだが。

次回は、まず包帯でも巻いてから、勝負に出よう。
【このトピックへのコメント】
  • hirika他人事ながら、なんかちと悔しいですな。>負け。(2003-10-23 00:06:51)
  • 出雲眞知子あはは。一緒に(?)悔しがってもらえて、嬉しいよ。(2003-10-23 22:11:17)
来年度の授業に関して、委員会内でメールのやりとり。

判断を決するまでの時間が切迫しており、かつ日常業務は立て込んでおり、正直言ってパニック寸前の状態で、しかしこれだけは決めておかねば、と思ってメールを送る。

相手も同様の状態で、「支離滅裂ですいません」という後書きつきで返信が来る。

3往復したところで、もうこれ以上遅くなったら、家で子供が飢えてしまう、と思い帰宅。

夕食の後片付けが一段落してから自宅でメールチェックすると、さらに先方から返信が2通入っていた。2通目の最後に、「本日は閉店とします。」とある。

もうこれ以上わたしからメールが来たらたまんない、と思ったのかもしれないな。

どうぞご心配なく、こちらも思考力ゼロ。
いったん書きかけて、消したんだけど、もう一度。

何か書くとしたら、忙しくてどうしようもない、ということしか書けない。
時間破産という表現がぴったりくる。
簡単にできるはずのことまで、できなくなってきている。
お互いに疲れていると、言いたいことが相手によく伝わらなくて、さらに疲れが増す、という悪循環。
が、あまり考え込まずに、自分の信じるところを何度でも伝える努力をするしか、解決策はなさそうだ。

焦らないことだけをこころがける。
環和我話 2003-10-20 23:16「超絶ピアニッシモ」へのコメント:

そうか、こういうサービスがあるのか。
先日のピーター・ゼルキンのコンサートのアンコール曲が、こちらでわかった。

メモしておく。
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ピーター・ゼルキン(ピアノ)
2003年 10月19日(日) 14:00 サントリーホール
 ブラームス:間奏曲 op.119-3
 ベートーヴェン:6つのバガテル op.126より第3番
 武満徹:雨の樹 素描
 バッハ:ゴルトベルク変奏曲よりアリア
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1曲目はブラームスだったか。武満の曲名もわかった。

このリサイタル、11月16日(日)にNHK教育で放送される予定だそうだ。
講義の準備をする際、1年前の同時期のネタを確認してそれを微調整する、ということがよくあるのだが、どうも1年前の自分はひどい状態だったらしい、ということを自覚する。

資料や関連するファイルが元のところに収まっておらず、回収したアンケートなども、ばさっと資料に挟まっていたり。

つまり、使った状態のそのまんまで、放置してしまっていたわけだ。見つからないなあと思って探したら、まとまってとんでもないところに埋もれているし。

それを考えると、今は忙しいとはいっても、まだまし。いや、ずっとまし。
来年度非常勤で行く先から、時間割希望の問い合わせがだいぶ前に来ていたのだが、自分のところのコマが未確定で、少し待ってもらっていた。

ようやく予測が立てられる状況になったので、この曜日のこの時間でお願いできるでしょうか、というメールを送る。

返って来たメールがけっこう長くておもしろい。

学部の授業はぶつからないのだが、大学院の多くの院生はその曜日は都合が悪い。あ、でも今見ると、大学院の授業がない時間がそもそもかなり限定される。学部の方も、その曜日は他の日に比べて授業が少なかったので、とてもバランスがいい。何だか、ぴったり、という気がしてきた。(だいぶはしょっているが、だいたいそんな感じ。)

その授業が学部と大学院の同時開講科目なので、こんなややこしいことになるわけだ。

まるで、面と向って話していて、その場でああだこうだと考えてもらったような雰囲気。思考がぐるぐるしながらも、結局落ち着くところに落ち着いて、最後まで読んだところでほっとする。

返事を下さった方はよく知っている人なので、余計そう感じたのかもしれない。