hirika
 今日仕事から帰って来たら届いてた。前回の郡山では1F1列13番だったが、今回は2F28列。
 なので先ほど座席を確認すると……遠い。
 が、栃木に続き今度も下手ってあたりがなんちゅーか。別に念を送っているわけではないが、ほんとに下手率高いやね。つか、センターになったことがないあたり、なんか意図的なものを感じるとゆーか、絶対なんかの力が働いてるよな、と思う。
ずっと長年大変だったMDP、多重人格障害がかなり劇的に改善されてきまして(中略)「病気でいる」のがなぜ大変でなぜ辛いかというと、生きるのが大変だったからなんだな、とあらためて感じました。肉体的な病気だと、具体的に辛いから、みんな必死に直そうとするけれども、精神的なほうは、そもそもものを考える根幹がそうなっているわけだから、これは本当に直すのが大変なんですね。
(中略)
「自分の人格障害が直るとこんなに生きるのが楽になるし、人格障害の相手にふりまわされることもなくなる」ということを、おなじく悩んでいる人たち、なんで自分がこんなに辛いんだかわからないままあがいている人たちに教えてあげられたらいいな、と思ったりするんですけれども、でもそうはゆかないんでしょうね。結局本当にこればかりは、自分自身が苦労して直すことしかできなくて、いたずらにひとにかまけたり、してはならないことをしたり、自分をかえりみることを怠ったり避けたり、ひとのせいにすることで自分の状態から現実逃避していたり、そういう人格障害的な行動をとっている人たちは、結局人格障害があるから辛く、辛いからいっそう人格障害がひどくなり、そして人格障害的にものごとを見るからいっそう──という、非常に大変な悪循環に陥っているけれど、そこから脱出できるのはほんの少しなんだろうと思います。(栗本薫『グイン・サーガ』92巻あとがきより)

 一昨日『グイン・サーガ』92巻を購入し、まずあとがきだけでもと読んだのだけど、上述の部分でなんとも言えない気持ちになりつつ、「やっぱりあたしは間違ってなかったんだな」と思った。
 あたしは人格障害ではない(と思う)が、自分自身を見つめ苦しみ続けることで、ここまで生きるのが楽になった。焦燥に駆られ、自暴自棄になりがちな己をなんとかなだめすかしながら、心を抉ってそこから現れたものを見つめ、またそれを受け入れようとし、そうすることでここまで来ることができた。
「そこから脱出できるのはほんの少しなんだろうと思います」
 あたしはたぶん、脱出できつつあるというか、そちらへ向かえているのだと思う。でも、そこから抜け出したいと願い、それからここまで来るのに8年もかかっている。栗本さんが言うように、その苦しさ、辛さから抜け出すのは容易なことではない。
 そしてだからこそ、宮台真司さんが言っているように「やり過ごすこと」もアリだと、それも大切なんじゃないかと、今は思う。おそらく苦しみから「抜け出すことのできる人」より「抜け出すことのできない人」の方が多いだろう。そしてそういう人達に必要なのは、「自分を見つめて苦しむこと」ではなく、「苦しみからなんとか逃げおおせようとすること」なんだと思う。
 あたしは自分と向き合うことでどんどん、生きるのが楽になっている。でも、だからと言って人にそれを押しつけるのは違う。決して根本的な解決にはならないけれど、そこから抜け出すことができないのなら他の選択肢もある──そう、今は考えるようになった。
 逃げることは、悪いことじゃない。
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 ついでに、今月になってから気づいたのだが、6、7月までは3人くらいいた“私”が、今はひとりになっている。消えた気配はないので、たぶん融合してひとりになったんだと思う。以前のように表に関心を払うことはなくなり、椅子にかけてずっと本を読んでいる。“あたし”達の数も減った。前は何人いるのかわからなかったが、今わかるのは5人くらい。そのうち表に出てくるのは3人で、2人はただこちらを見ている。
 たぶんその辺りも、最近のあたしの変化に関係していると思う。
【このトピックへのコメント】
  • hirika“私”は完全にひとりになってる。「“私”達」と書こうとするとすごい違和感があるし。(2003-10-19 01:25:26)
  • hirikaあ、“わたし”は相変わらずひとり遊びしてる。“わたし”だけはずっと変わらないねぇ。(2003-10-19 01:40:02)
始めからこの腕は何ひとつ失っていなかったことを。

破滅を目指す歴史のストーリー
君を目覚めさせるためならねじ曲げようか。
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 というわけで、出かける準備ができたのでしばしあちら(物語)の世界に閉じこもります。今月中になんとかなるよう、祈っていてください>何を言ってるのかわかる人達。
 自分でも「それどうよ?」と思うけど、読んでない人もいると思うので、以前キレたときの文章を書いときます(ここに書くのもアレだが)。
 あたしは忍耐強いけれど短気という、ものすごく矛盾していたりするので、3回目くらいまでは我慢しますが、その次くらいに人が変わったように、手の平を返したようにブチ切れます。
 ちなみに、キレると誰の手にも負えなくなるのでちうい(←聞く耳持たなくなる。←知ってるって?←すみません)。
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 前々から思っていたことだが、ピエラーの自分語りってどうにかならないのか。全員とは言わないが、メールにしても書き込みにしても相手の言葉など聞く耳持たず、己の言いたいことのみを延々と語り続ける。
 ファンサイトへ行くとそれは非常に顕著だ。「私の話を聞いて」という書き込みしかなく、それに対しての応答も同じように“自分の言いたいこと”のみを語るだけで、決して“応え”になどなっていない。
 デスコミュニケーション。互いに寄り添って独り言を言い合っているだけなのに、それをコミュニケーションと勘違いしている。それでコミュニケーションが成り立っているという共同幻想を見ている。
 なぜそうなってしまうかの理由は憶測だがわかる気はするが、あたしはそんなコミュニケーションを求めているわけじゃない。だからピエラーと関わらならないよう、極力避けているのだ。(今年3/29の本家日記より)
 熱しやすく醒めやすいせいか、頭に血が昇っているときは他のことに思い至らないんだけど、冷静になるとどうにも陰鬱な気持ちになってしかたがないわね。もちろん、自分の態度に関してなんかではないが。
 つか、怒りにはなってなくて、「どーすっかなー」と頭を悩ませ渦巻いていたわけで、そういう状況自体に苛ついてたんだけどさー。
 ま、それは置いといて、こういうことがあると必ず思いを馳せるわけですよ、少年犯罪と対になっている事象をね。

 少女達はもっと、援交だの集団自殺だの心中だの、すればいいと思う。そうしなきゃ馬鹿な大人達は気づかない。今一番虐げられている少女達がやがては母親になり、あるいは逆に男に見切りをつけてしまうことに。未来を左右してゆくんだということに。
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 「物語世界に閉じこもるんじゃなかったのか」と言われそうだが、なんかいろいろなことに邪魔をされてまだ旅立つことができない。むう。
 どうしてこう、図ったかのようなタイミングで、いつもいつも邪魔が入るのか。そういうプログラムになっているんですか?<神さま。
 西条公威さん。

 すんごい好きですな。それほどハマってるわけでも、本を買い集めてるわけでもないけど。内容はエロ描写がかなりハードっつーか、男性向けでもここまでのはないんじゃないかって感じ。SMとか露出ものとか、倒錯系が多い……のかなぁ。
 でもなんか、どれ読んでも痛いっつーか、どれだけすごい描写があってもポルノにはならないのよね。初めて西条さんの小説を──どこでだっけ、b-Boyかなんかで読んだとき(確か『致死量ドール』か『マスゲーム』)、「これは文学だよなぁ」と思ったんだった。
 まぁそれくらい──ハードな性描写と同じくらい衝撃を受けるほどに、西条さんの小説には登場人物の内面というか、心の深淵が描かれていて、その暗い部分に、あたしは強く心惹かれたのよ。
 こう、昔とくらべるとそんなに(それ系の本は)読まなくなったし、それほどたくさんの作家の作品を読んでるわけでもないけど、西条さんと同等以上と思える人っていないねぇ(栗本薫さんは別)。

 ちなみに、BLに免疫のない男性は決して西条さんのご本を読んではいけないと思います。
 ピエロ同人サイトに於いて、以前爆笑ものの注意書きを目にしたことがある。いわく、「読んだら感想を書き込んでください。そういう最低限のマナーが守れない人は来るな!」
 ……ええと、いつから「読んだら感想を書き込む」というのがネットマナーになったんでしょうか? マジで一瞬、問い合わせのメール書こうかと思っちゃったよ。「ねぇねぇ、それって本気で言ってるの? 正気?」みたいな。
 あたしさー、一応ピエロ同人サイトやってるしさー、ピエロ以外の同人サイト巡ったりもしてるけどさー、本家は散文サイトだしさー、それだってSM嬢のサイト読んで感動して「あたしもやってみよう!」つって始めたもんだしさー、日記才人とかテキスト庵に登録して、はっきりきっぱり、ピエロサイトよりそっち系のサイトの方がたくさん読んでるしさー、つまりはどっちかって言ったら、テキストサイト畑の人だと思うのね。
 そりゃテキストサイトとかでもさ、「感想・反応欲しいよ〜」って嘆いてる人はいるだろうし、あたしも以前は散々そう言って嘆いたが、大方の、長くやってる人ほど「何か思うことがありゃ言ってくんだろ」くらいにしか考えてないんじゃないの? むしろ、反応があると応答しなきゃいけないからうぜぇ、とか(←それはあたし。ときどき)。
 まぁそこまでゆかなくとも、読み手が反応するかどうかなんて読み手の勝手じゃん。書き手が強要するもんじゃないでしょ。自発的なものじゃなかったら、それは無理矢理に言わせてるだけでしょ。だからさ、「読んだら感想を書き込む」のをマナーにまでしてしまう、それが守れないのは非常識っつーのはさ、それを人に強要しちゃうっつーのはさ、「人としてどうなの?」って感じ。
 まぁ大抵そういうことを書く人って書くものもアレだから、「そりゃ感想の書きようがねぇよな」と思うんだけど、そういう場合もきちんと、「心に響くもののない、感動のない文章だったので、“ふーん”としか思いませんでした☆」と書いて欲しいのかね。それでいいならいくらでも正直に書くけど。

 で、ここからが本題なんだが、ピエラーちゃんてなぜか「書き込みをしないのは申し訳ない」って思ってる人が多いよね。たぶんおそらくきっと、そういう「他者からの強要」と「それに応えること」がネット以外でも日常的になっていて、さらには周囲の人達もみんなそうだからなんだと思うんだけどさ。
 「みんながしていること=正しいこと」「みんながしていること=しなきゃいけないこと」みたいな感じで、きっと自分で自分を檻に追い込んじゃってるんだろうなー、と思う。で、それが当たり前になっているから、「それはおかしいことだ」ってことに気づけなくなっちゃってるんだろうねぇ。
 まぁなんでそうなるのか、については長くなるので割愛するけど(書いてる時間も余裕もない)、人はさ、他人に強要されて生きてるわけじゃないし、他人の機嫌を損ねないように生きなければいけないわけでもないよ。どれだけたくさんの人に嫌われようと、罵られようと、それでも自分に好意を向けてくれる人はいるよ。
 まぁこういうふうに言ってそれをほんとうにわかる人って、何人くらいいるんだろうねぇ。
【このトピックへのコメント】
  • hirikaローカルルールだって言われたらそれまでだけどさ。<読んだら感想を書き込む(2003-10-26 00:25:34)
 本日、ポニーキャニオンの新譜案内書を見ていたら、12月に発売される、深田恭子ちゃん出演のドキュメンタリーDVDが掲載されていた。東京・神奈川にある「同潤会アパート」という、老朽化のため取り壊されることになったアパートのドキュメンタリー。
 で、あたくしジャーですから、つい「潤」という文字に釣られてgoogleで検索してしまいました。するといろいろな画像を発見。

え? これ壊しちゃうの?

 廃虚スキーならそう思わずにはいられない素敵なアパートがわんさかっすよ。つか、廃虚好きっていうか、こういう雰囲気の建物が好きな人には堪らないんじゃないだろーか、これ。
 「こんな素敵な建物が都内に存在してたなんて知らなかった……。なんで教えてくれなかったんだよう!」って感じ。知ってたら埼玉に住んでた頃見に行ったのに〜。
 なんか、リンク貼るには許可を取らないといけないらしいので、興味のある人は自分で探しましょうって感じなんだけど、九龍城砦とか好きな方はぜひ、ご覧になってくださいませ。あ、九龍よりはぜんぜん奇麗。
2003-10-27(Mon) 14:44

帰宅時間。

 今日から数日間、おうちに帰るのが1時を過ぎる見込みです。夜中の。遊びに出かけるわけではなく、閉店後──てことは11時を過ぎてから、什器の移動だのなんだのの店内の改装作業をするので、遅くなってしまうのです(ちなみに出勤時間はいつもと同じ)。
 最大の邪魔が入りやがった。
 とは思うのですが、仕事ですからやるしかありません。つーか、たった今、もうすでに「考えちゃダメ! とにかく身体を動かさなくちゃ!」つー状態で、肉体が疲労を訴えています。あーあ、せっかく素敵な旅が始まったのに。

 てことで、あたしはしばし疲労困憊になる予定ですので、その旨ご了承くださいませ。つか励ませ(命令なのかよ……)。
 先ほどメールチェックすると、差出人と宛先があたし自身のアドレス、とゆーものがあった。
 これで2通目なんだけど、最近そういうのはやってんのかね? 人様の日記でも「そーゆーのが来た」と記述している方が二人ほどいたし。