ずっと長年大変だったMDP、多重人格障害がかなり劇的に改善されてきまして(中略)「病気でいる」のがなぜ大変でなぜ辛いかというと、生きるのが大変だったからなんだな、とあらためて感じました。肉体的な病気だと、具体的に辛いから、みんな必死に直そうとするけれども、精神的なほうは、そもそもものを考える根幹がそうなっているわけだから、これは本当に直すのが大変なんですね。
(中略)
「自分の人格障害が直るとこんなに生きるのが楽になるし、人格障害の相手にふりまわされることもなくなる」ということを、おなじく悩んでいる人たち、なんで自分がこんなに辛いんだかわからないままあがいている人たちに教えてあげられたらいいな、と思ったりするんですけれども、でもそうはゆかないんでしょうね。結局本当にこればかりは、自分自身が苦労して直すことしかできなくて、いたずらにひとにかまけたり、してはならないことをしたり、自分をかえりみることを怠ったり避けたり、ひとのせいにすることで自分の状態から現実逃避していたり、そういう人格障害的な行動をとっている人たちは、結局人格障害があるから辛く、辛いからいっそう人格障害がひどくなり、そして人格障害的にものごとを見るからいっそう──という、非常に大変な悪循環に陥っているけれど、そこから脱出できるのはほんの少しなんだろうと思います。(栗本薫『グイン・サーガ』92巻あとがきより)
一昨日『グイン・サーガ』92巻を購入し、まずあとがきだけでもと読んだのだけど、上述の部分でなんとも言えない気持ちになりつつ、「やっぱりあたしは間違ってなかったんだな」と思った。
あたしは人格障害ではない(と思う)が、自分自身を見つめ苦しみ続けることで、ここまで生きるのが楽になった。焦燥に駆られ、自暴自棄になりがちな己をなんとかなだめすかしながら、心を抉ってそこから現れたものを見つめ、またそれを受け入れようとし、そうすることでここまで来ることができた。
「そこから脱出できるのはほんの少しなんだろうと思います」
あたしはたぶん、脱出できつつあるというか、そちらへ向かえているのだと思う。でも、そこから抜け出したいと願い、それからここまで来るのに8年もかかっている。栗本さんが言うように、その苦しさ、辛さから抜け出すのは容易なことではない。
そしてだからこそ、宮台真司さんが言っているように「やり過ごすこと」もアリだと、それも大切なんじゃないかと、今は思う。おそらく苦しみから「抜け出すことのできる人」より「抜け出すことのできない人」の方が多いだろう。そしてそういう人達に必要なのは、「自分を見つめて苦しむこと」ではなく、「苦しみからなんとか逃げおおせようとすること」なんだと思う。
あたしは自分と向き合うことでどんどん、生きるのが楽になっている。でも、だからと言って人にそれを押しつけるのは違う。決して根本的な解決にはならないけれど、そこから抜け出すことができないのなら他の選択肢もある──そう、今は考えるようになった。
逃げることは、悪いことじゃない。
---
ついでに、今月になってから気づいたのだが、6、7月までは3人くらいいた“私”が、今はひとりになっている。消えた気配はないので、たぶん融合してひとりになったんだと思う。以前のように表に関心を払うことはなくなり、椅子にかけてずっと本を読んでいる。“あたし”達の数も減った。前は何人いるのかわからなかったが、今わかるのは5人くらい。そのうち表に出てくるのは3人で、2人はただこちらを見ている。
たぶんその辺りも、最近のあたしの変化に関係していると思う。