今日はDAMONEの『FRUSTRATED UNNOTICED』な気分。つまり、
My heart is strong
I'll be the one
Who takes control
なわけで、よーするに疲れてるってことですな、こんなものを聴いて自分をなぐさめたくなるってのは。
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本家の散文はエッセイのようなものというゆーか、日記とは明らかに違うもので、それゆえたま〜に感想メール・書き込みをいただくわけです。
が。
なんだろうなぁ、こう、よくコミュニティサイトなんかであるじゃないですか、コミュニケーションを目的とした文章を書いて、仲良くしましょう・友達になりましょう、みたいな感じでやりとりすること。そういうね、感想とは思えない内容を書いてくる方が去年からずううううううううううううううううううううっと続いていて、いい加減げんなりしてます。
あの、本家の散文て「そうそう、そうなんだよね」とか「私もそうなの」みたいな感じで会話が弾みそうな内容のものはそう多くないと思うし、そもそもそうなることを目的として書いたものじゃあないのです。中には散文を日記だと思っている方もいらっしゃって、なんというか「これほど“その文章が何を目的として書かれたものか”を読み取れない人がいるのか」と思うほど。
小説とか随筆とか論文とかエッセイとか、「そういうものですよ」と書き記しておかなければ「これは日記の延長でコミュニケーションを目的として書かれたものだ」と思ってしまうのかもしれません。それほどに文章を読み取ることが困難なのか、それとも、web上に綴られた個人による言葉というのはすべて、コミュニケーションを目的としたもので情報には成り得ない、と思われているんでしょうか。
まぁ中にはその辺のところをちゃんと読み取ってくれる人もいるんですけど、なんかね、「感想」ってのはどういうものなのか、さらにはどう書くのか、がわかってないんじゃないかなーってのが多く。今
ここで調べてみましたが、感想というのは「あることについて、感じたり思ったりしたこと。所感。感懐。」なわけで、“あること”というのはこの場合、「読んだ文章」を指すわけですな。にも関わらず、あたしの元へ届くのは「共感しました」のひとことでそれをすませ、それを枕に自分語りをするものが多いのです。本人は感想を書いているつもりなのでしょうが、主体が“自分のこと”にすり変わっていて、それに気づいてないみたいです。
これはねぇ……。
「あたしはあんたのこと知らないし、だから興味もないし、そうやって自分のことばかり書かれてもうれしくないとゆーか、むしろ知りたくもないことを押しつけられて迷惑」みたいな? 別に「自分のことをまったく語るな」とは思わないですけど、それはあくまで「感想」──自分が何をどう感じたかを伝えるために必要な要素に留めるものであって、「自分がどんな人間であるか」を相手に語り出したら、それはもう感想なんかじゃなくなるわけです。
や、宿題の読書感想文とか書評とか書くんならそれでもいいと思うんですよ。でもね、書き手に感想を送る場合「それってどうよ?」みたいな。あたしは別に友達募集とか、人と議論したくて本家散文を書いてるわけじゃないし。なのに見ず知らずの相手から「私は今こういうことで悩んでます」とか「私は今こういうことをしています」と言われてもねぇ……。「感想を書いてくれたのかな」と思って読んだらそんなんだったとき、あたしは一体どうすればいいですか。しかもそんなメールや書き込みばかりしか来なかったら。
──なんてことを仕事中考えていて(実は昨晩、あまりにもアレなので頭に血が昇ってしまい、ぐるぐる考え込んでてなかなか寝つけなかった。で、朝起きてもどうにもすっきりしないので仕事中までごちゃごちゃと考えていたのだった)、ふと思ったことがあって。
「日本人の平均的国語力って低下してるよなぁ」ってのと、「感想っていう体裁をダシにして自分語りをせずにはいられない人間の心理」
まぁこの二つって部分的に密接な関係があると思うんだけれども、特に後者、これなぁ。自覚がないのが質が悪い、と思うんだけど、でもこれって「これがふつう」ってゆーか、一般的ってゆーか大多数ってゆーか当たり前ってゆーか、そんな感じだとも思うのよね。
自覚のないままに「自分の話を聞いて」ってことばかりに集中しちゃって、人の話を聞いたり人の立場になって考えたりすることができないっていう、そういう人がすんげぇ増えてるなーって気がする。前にちょっと書いた承認の問題も絡んで来るんだけど、なんかねぇ、ほんとに、「ふつうに見えるけど実は心の病」って人しかいないんじゃないかって気がしてきて、「小泉さーん、派兵がどうのと言ってる場合じゃないんじゃないのー?」と思ってしまう。同じ国語を話す人々でさえこうなんだから、外国語を話す人とのそれを考えたら何をか言わんや、じゃないですか? みたいな。
や、今日書いてることって「こんなこと考えてグダグダ書いてないで本人に直接言えよ」って話だし、こうして分析に走っちゃうのは逃避だってわかってるんだけど、なーんか、ねぇ。この辺のところを自分が何をしているのか自覚のない人に説明してわかってもらうのってむずかしいし、「うれしい感想」をくれたわけでもない人にそこまでするのは、ねえ。そんな義務ねぇじゃん。つーかさ、そういう人全員に「わかってもらえるよう努力」してたらさ、気が狂うっての。
わかる人だけわかればいいってのが本心で。歩み寄りたいと思う相手なら努力したいけど、すべての人にわかってもらうよう努力する義務は、どんな人にもないよ。