gene 2004-12-12 23:32「PIERROT『FREEZE』感想。」への追記・補足:
正直に言うと3、4曲目(『PERFORMANCE』『WINDOW』)あたりで「どこがいいのかわかんない。音には身体中が反応するけど気持ちがついていかない。あたしもうピエロについて行けないのかも」と思いました。でもそれは、これまでのピエロのアルバムと同じ聴き方をしたからどこが良いのかわからなかったのだ、と後になって気づきました。
これまでのピエロの楽曲というのは“歌”がメインだったと思うのです。まずは“歌”があってそのために音が存在した。“歌”の持つメッセージを伝えやすくするための付属品というか装飾品というかギミックというか、とにかくそういう役割を持っているだけのものだった。まずは“歌”ありきで、“歌”が伝えんとすることに集中して聴くこと、それが前提で当たり前になっていました。
でも今度のアルバムはそうじゃない。“歌”と“音”が平行して同じ比重で存在してる。これまでは「歌のためにあった音」が、歌のためでなく「音そのものが伝えたいことを伝えんとするため」に鳴ってる。だから“歌”だけでなく、音が伝えたがっていることを聴こうとしないと楽曲のことがわからない。そしてそうやって聴こうとすると、“歌”とはまた別に、ちゃんと“音”がそれぞれに伝えたい感情を持っていることがわかるのです。
最初は「ダメかも」と思ったこの『FREEZE』ですが、5、6曲目(『CLOWN'S MUTTER』『パラノイア』)辺りから“音”の発する“声”が大きくなり、それにつられて“音”の“声”に耳を傾けると、これまである意味“音”の発する“声”に囚われていた“音”がとても自由に、「己の歌いたいこと」を歌っているのがわかる。そして、けれども“歌”と衝突することなく、ちゃんとそれぞれの楽曲を作り上げているのです。それがわかって改めてアルバムを最初から聴くと、1曲目の『FREEZE』からそれぞれの“音”は己の伝えたいことを歌っているのでした。
“歌”と“音”が対等にあるアルバム、どちらがメインでもなくどちらが欠けても成り立たつことはなく、それぞれが存在して初めて作り上げられるこの関係はピエロそのもの、現在の5人の在り方そのもののような気がします。そしてそういう姿がアルバム全体を通して見えてくるから、あたしは「ピエロはそこにいる」と思ったのだと思います。
ちなみに歌詞に関して「キリトさんの弱さが露になっている」というようなことを雑誌で読んでいたのですが、うーん、そうか? という感じです。
歌詞はまったく聞いてないし、歌詞カードを読んでもいないし読む気もないのでそこら辺に問題があるような気もしますが、この『FREEZE』が発売されたということで改めて『ID ATTACK』を振り返ると、『ID ATTACK』の方が「人としての弱さ」が露なような気がするのです。
なぜなら『ID ATTACK』は虚勢に見えるからです。『ID ATTACK』は人としてのいやらしさを臆面もなく曝け出し、それを攻撃性へと転化しているような気がするんですが、攻撃は最大の防御と言うように、そのいやらしさはまさに「己を曝け出すことで露になる弱さ」を突かれないための攻撃性、にも見えるのです。純粋な他者への攻撃でもあるんでしょうけど。
ともあれ『ID ATTACK』は本当に力が入っていたというか、攻撃性を露にしなければ己を保てない状態だったようにも見えるし、それがつまりはピエロの──というかキリトさんの弱さの表れだったと思うんです。『ID ATTACK』も歌詞は読んでないし何を歌っているのかわかってませんが、『FREEZE』を聴いた今になって『ID ATTACK』を思い返すと、その力の抜け加減の元は虚勢だったのだなと思うんですよ。
だから先述の「キリトさんの弱さ」というのにどうにも唸ってしまうのですけど、うーん。どうなんですか、歌詞を読んでる方々。
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すんげーつまらない余談。
『深い眠りが覚めたら』ってアジアン潤じゅんソングだと思った。