東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年7月9日(水曜日)

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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科
山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年7月9日(水曜日)

今朝晴れて。

そろそろと静かに。真夏のかおりが。
ただよいはじめています。

五月(さつき)がおわり。
六月がおわりました。
夏が三分の一おわりました。
或は「今年も半分」おわりました。

7月の初夏の気配から真夏の気配が
次第に強くなるように。

感じられるような気がします。
日中の空は。
「夏の吐息」であせがおちてくるような感じです。

「7月」になりました。
盛夏間近い。

木々のめぶきの夏の息吹を力強く感じます。
けれども早朝はまだまだ「肌寒い」です。
今年は「寒い」です。
百姓のうまれなので「冷夏」が心配ですが。
やはり夏。あつくなるでしょう。

街路樹はしっかりと
枝木の穂先もたわわにつよく
萌黄色から若葉そして
夏の「木」にかわりました。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックの
庭の。

山椒(さんしょう)の木の芽が
若葉にそだち。
若枝は天高くすこやかにのび。
ますますに
山椒(さんしょう)木はみどり葉
がとても奇麗です。

さんしょうを
木の芽(このめ)といふは
なるほどと
かんがえる
夏来る(きたる)るらし
そらあおくみどりにかがやけり

さんしょう木
もえぎの炎(ほの)ほは芽葉(めは)
わかば葉はいずるは花ならむ
夏(なつ)まつ枝は幹ならむ
いざいまこそは
空(そら)たかくもえたたむ
さんしょう木

山本クリニックの庭には水槽が
「2つ」あります。
めだかが泳いでいます。

夏浮き草の水面(おも)に
めだかのむれはおよぎたり
とびあがらむかかくれむか
ちいさきめだかの
おおきないのち

けれども
まだ早朝は本当にはだ寒いのです。

小さななつみつけたから
しだいに大きな夏みつけた
大きな大きな夏みつけたはまだ
小さい夏みつけた・は。

ちょっと「怖い気」がする
まもなく夏深しです

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ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。
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平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。

祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
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GWの予定ですが。
平成20年4月29日(火曜日)
は祝日です。(はおわりました)
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平成20年5月 3日(土曜日)
平成20年5月 5日(月曜日)

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
(4・29 5・3 5.5)
=>

平成20年5月 6日(火曜日)
は同じく祝日ですが
は「お休み」を頂く予定です。
5月7日(水曜日)より「定常どおり」
になります。
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7月21日(月曜日)は。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
-------------------------------

私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。

朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。

★★★

今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。
東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。

当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。

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2004年10月15日より厚生労働省により

肺炎球菌ワクチン
が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

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成人の風疹急増。
御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

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学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。

今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。

このような今年からは
冬場や春にかぎらずインフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。

麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。

成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です

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「地球温暖化による大気温度差の拡大」で
季節の変わり目に「反復性上気道感染」に
なられるかたが多いです。

「世情は不安定」であり何かひとつ
生活しづらい日々を感じられる
かたも多いものです。。

人間は「倒れるまではたっています」。
人間は「冬・春」の旅に(度に)齢を重ねる。

昔の「数え年」は「たいした物」だと思います。

難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。

私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。

心より感謝・感謝。

「今日は何の日」は
作品「リュートのための古風な舞曲とアリア」の
叙情的なメロディとオーケストレーションによって。
極めて甘美なメロディの特に第3組曲の有名な。
とりわけ「シチリアーナ」は、
アンコール演奏や、オカリナ演奏、コマーシャル、
映画音楽などにふんだんに用いられていることで有名な。

1879年 - オットリーノ・レスピーギ、作曲家(+ 1936年)
の生誕日です。

++++++++++++++++++++++
オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi
1879年7月9日 - 1936年4月18日)は、
イタリアのボローニャ生まれの作曲家です。

代表作としてローマ三部作と言われる、
交響詩「ローマの松」「ローマの祭」「ローマの噴水」
があります。

++++++++++++++++++++++
オットリーノ・レスピーギの生涯
音楽教師の父親から、ヴァイオリンとピアノの手ほどきを受けたのち、
ボローニャの音楽学校でさらにヴァイオリン演奏を学ぶかたわら、
ジュゼッペ・マルトゥッチに作曲を、音楽学者ルイージ・トルキに音楽史を学びました。

その後はロシアに渡り、サンクトペテルブルクで
ヴィオラ奏者としてオーケストラで活動しながら、
ニコライ・リムスキー=コルサコフに作曲を師事致しました。。

このことが後の色彩的な作風を展開する上で、
非常に大きな意味があったと見なされています。

さらにベルリンにも留学してマックス・ブルッフに師事しました。

++++++++++++++++++++++

オットリーノ・レスピーギは
イタリアに帰国後に本格的な作曲活動を開始し、
1913年から1935年まで
ローマのサンタ・チェチーリア音楽院教授に就任
致しました。

1923年から26年まで音楽院の院長も務めましたた。

オットリーノ・レスピーギは
この時期には、20世紀初頭までにはすっかり忘れられていた。

イタリア・バロック音楽の発掘にも努めました。

自らの校訂により、
モンテヴェルディやヴィヴァルディ、
マルチェッロなどの
イタリア・バロック・オペラの復活上演にも取り組みました。

++++++++++++++++++++++

ただし古楽ブームを経た今現在では。

レスピーギ「校訂版」は、ワーグナー以降の
大オーケストラに合わせた
「編曲」にほかならないとされます。

あまり評価が芳しくはありません。

一方では
古い作品を基にしたレスピーギ独特の「再作曲」という評価もあります。

++++++++++++++++++++++
オットリーノ・レスピーギの作曲法に。
これに近い書法は
C・アイヴスやB・A・ツィンマーマンらのコラージュや

他人の作品のテーマをテーマにした変奏曲の例などがあり
ます。

だから
単なる「編曲作品」に留まらないという意見もあります。

++++++++++++++++++++++

オットリーノ・レスピーギは
政治的には
ピエトロ・マスカーニのように「右より」でした。

「ローマ三部作」のように
イタリアの古い文化をテーマにした作品が多い
こともうなづけます。

オットリーノ・レスピーギは
1936年、ローマにて死去。

歌劇《ルクレツィア》を作曲中でした
(後にエリザ夫人により完成)。

遺体は一旦ローマに埋葬されたが、
一年後に故郷のボローニャに再埋葬されました。

++++++++++++++++++++++
オットリーノ・レスピーギの作風・評価

16世紀から17世紀の無名作曲家の。
リュート作品に基づいた。

3つの《古風な舞曲とアリア》や、管弦楽組曲《鳥》は、
レスピーギの新古典主義音楽への取り組みを示すもの
としてしばしばさまざまに評価されて
きました。

この曲集は古い音楽の編曲にすぎず、
本質的に「新古典主義」
と呼べるものではないという意見もあります。

このような立観点に立つ人々は。

レスピーギの作品は
カゼッラやヒンデミット、フランス六人組やストラヴィンスキーの
「新古典主義」とは全く異なるものであり。
だから
古い時代の作曲原理と新しい時代の響きを結びつけたり。
古い音楽をモダンな感覚で編曲しようとするものではないと
主張しています。

++++++++++++++++++++++

レスピーギの作風は折衷的という言い方も出来ます。

同時代のリヒャルト・シュトラウスによって拡張された
大編成のオーケストラを利用して、
極彩色の音色効果を追究する一方。

オットリーノ・レスピーギは
フランス印象主義音楽にならった非機能的な
和声法を取り入れている所にその特徴があります。

またレスピーギは楽曲構成が複雑や曖昧になることを
嫌いました。

代表作の多くの交響詩は、
リストのように単一楽章で書かれながらも、
その内部では
古典的な交響曲のように3〜4楽章のサイクルを取り入れています。

より小さなまとまりに区分して整理して。、
それによって明晰な印象をかもし出すことに成功しています。

++++++++++++++++++++++

レスピーギは、クーセヴィツキーの委嘱によって
ラフマニノフの練習曲集《音の絵》から
5曲を管弦楽編曲致しました。

ラフマニノフは、
ラヴェル編曲による《展覧会の絵》をイメージして
その仕上がりを期待したが、
レスピーギの編曲はラヴェルのそれより華麗さや奔放さに欠け、
このためラフマニノフを大いに落胆させたと言われます。

しかしながら近年ではレスピーギ編曲版がそれなりに
再評価されるようになりました。

録音も増えるようになりました。
新たにポケットスコアも出版されています。

++++++++++++++++++++++
オットリーノ・レスピーギは。

かつては管弦楽曲を中心に評価されてきたレスピーギでした。

けれどもさらに
現在では、ブラームス風の
《ヴァイオリン・ソナタ ロ短調》などの
室内楽曲や協奏曲なども積極的に再評価されるようになって
きました。

未完成を含めて9曲に及ぶ歌劇はほとんど上演されていないが、
その中で「沈鐘」(1927年)が2004年に世界初録音され、
注目されました。

+++++++++++++++++++++

ちなみに オットリーノ・レスピーギのエルザ夫人は。

サンタ・チェチーリア音楽院における作曲の門人でした。

レスピーギと歌曲の共作を行い、
《リュートのための古風な舞曲とアリア》を
バレエ化するのに尽力したほか。

レスピーギの死後に未発表あるいは未完成に終わった
オペラ作品を実用に向けて
完成させました。

彼女は夫の死から60年後の1996年、101歳で他界致しました。

++++++++++++++++++++++
オットリーノ・レスピーギの
主要作品
交響詩「ローマの噴水」(1914-16) -La Fontana di Roma
I. 夜明けのジュリアの谷の噴水 -La fontana di Valle Giulia all'alba
II. 朝のトリトンの噴水 -La fontana di Tritone alla mattina
III. 昼のトレヴィの噴水 -La fontana di Trevi al pomeriggio
IV. たそがれのメディチ荘の噴水 -La fontana di Villa Medici al tramonto
ヴァイオリン・ソナタ ロ短調 (1916-17) - Sonata per violino e piano
リュートのための古風な舞曲とアリア 第1集(1917) -Antiche danze ed arie per liuto,primo serie
バレエ音楽「風変わりな店」(1918) - La Boutique Fantasque
ロッシーニの歌曲・器楽曲の編曲。
ピアノ曲「グレゴリオ旋法による3つの前奏曲」(1920) - 3 Preludi sopra melodie gregoriane
ヴァイオリンと管弦楽のための「秋の詩」(1920〜25) - Poema autunnale
グレゴリオ聖歌風協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1921) - Concerto gregoriano
ミクソリディア旋法の協奏曲(ピアノ協奏曲)(1922) - Concerto in modo misolidio
ドリア旋法による弦楽四重奏曲(1924) - Quartetto dorico per archi
交響詩「ローマの松」(1924) -Pini di Roma
I. ボルゲーゼ荘の松 -l pini di Villa Borghese 
II. カタコンバ付近の松 -Pini presso una catacomba 
III. ジャニコロの松 -l pini del Gianicolo 
IV. アッピア街道の松 -l pini della Via Appia
リュートのための古風な舞曲とアリア 第2集(1924) -Antiche danze ed arie per liuto,secondo serie
管弦楽曲「ロッシニアーナ」(1925) -Rossiniana
交響的印象「教会のステンドグラス」(1925) -Impressioni sinfonico 'Vetrate di chiesa'
組曲「鳥」(1927) -Gli uccelli
I. 前奏曲 -Preludio
II. 鳩 -La colomba
III. めんどり -La gallina
IV. 夜鴬 -L'usignoulo
V.かっこう -Il cuccu
ボッティチェルリの3枚の絵(1927) -Trittico botticelliano
I. 春 -La Primavera
II. 東方博士の礼拝 -L'Adorazione dei Magi
III. ヴィーナスの誕生 -La nascita di Venere
組曲「ブラジルの印象」(1927) -Impressioni Brasiliane
I. 熱帯の夜 -Notte tropicale
II. ブタンタン -Butantan
III. 歌と踊り -Canzone e danza
ピアノと管弦楽のための「トッカータ」(1928) -Toccata
交響詩「ローマの祭」(1928) -Feste romane
I. チルチェンセス -Circenses
II. 五十年祭 -Il giubileo
III. 十月祭 -L'Ottobrata
IV. 主顕祭 -La Befana
管弦楽曲「第12旋法によるメタモルフォーゼ」(1929-30) -Metamorphoseon Modi XII
バレエ音楽「シバの女王ベルキス」(1930-31) -Belkis, regina di Saba
リュートのための古風な舞曲とアリア 第3集(1931) -Antiche danze ed arie per liuto,terzo serie
歌劇「沈鐘」(1927年) -La campana sommersa
ゲアハルト・ハウプトマン原作
パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582(バッハのオルガン曲の管弦楽編曲) ※他にもバッハ作品の編曲を数多く行っている。
5つの「音の絵」(ラフマニノフのピアノ曲の管弦楽編曲)
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オットリーノ・レスピーギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AE

オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879年7月9日 - 1936年4月18日)は、イタリアのボローニャ生まれの作曲家。代表作としてローマ三部作と言われる、交響詩「ローマの松」「ローマの祭」「ローマの噴水」がある。また、「リュートのための古風な舞曲とアリア」は叙情的なメロディとオーケストレーションによって近年極めて人気が高い作品である。特に第3組曲は有名であり、その中でも「シチリアーナ」は、アンコール演奏や、オカリナ演奏、コマーシャル、映画音楽などにふんだんに用いられている。

目次
1 生涯
2 作風・評価
3 主要作品
4 リンク

生涯
音楽教師の父親から、ヴァイオリンとピアノの手ほどきを受けたのち、ボローニャの音楽学校でさらにヴァイオリン演奏を学ぶかたわら、ジュゼッペ・マルトゥッチに作曲を、音楽学者ルイージ・トルキに音楽史を学ぶ。その後はロシアに渡り、サンクトペテルブルクでヴィオラ奏者としてオーケストラで活動しながら、ニコライ・リムスキー=コルサコフに作曲を師事。このことが後の色彩的な作風を展開する上で、非常に大きな意味があったと見なされている。さらにベルリンにも留学してマックス・ブルッフに師事した。

イタリアに帰国後に本格的な作曲活動を開始し、1913年から1935年までローマのサンタ・チェチーリア音楽院教授に就任。1923年から26年まで院長も務めた。この時期には、20世紀初頭まで長らく忘れられていた、イタリア・バロック音楽の発掘にも努め、自らの校訂により、モンテヴェルディやヴィヴァルディ、マルチェッロなどのイタリア・バロック・オペラの復活上演にも取り組む。ただし古楽ブームを経たこんにち、レスピーギ「校訂版」は、ワーグナー以降の大オーケストラに合わせた「編曲」にほかならないとして、あまり評価が芳しくないが、古い作品を基にしたレスピーギ独特の「再作曲」という評価もある。これに近い書法はC・アイヴスやB・A・ツィンマーマンらのコラージュや他人の作品のテーマをテーマにした変奏曲の例などがあり、単なる「編曲作品」に留まらないという意見がある。

政治的にはピエトロ・マスカーニのように右よりで、「ローマ三部作」のようにイタリアの古い文化をテーマにした作品が多い。

1936年、ローマにて死去。歌劇《ルクレツィア》を作曲中であった(後にエリザ夫人により完成)。遺体は一旦ローマに埋葬されたが、一年後に故郷のボローニャに再埋葬された。

作風・評価
16世紀から17世紀の無名作曲家のリュート作品に基づいた3つの《古風な舞曲とアリア》や、管弦楽組曲《鳥》は、レスピーギの新古典主義音楽への取り組みを示すものとしてしばしば言及されてきたが、この曲集は古い音楽の編曲にすぎず、本質的に「新古典主義」と呼べるものではないという意見もある。このような立場に立つ人々は、レスピーギの作品はカゼッラやヒンデミット、フランス六人組やストラヴィンスキーの「新古典主義」とは違い、古い時代の作曲原理と新しい時代の響きを結びつけたり、古い音楽をモダンな感覚で換骨奪胎しようとするものではないと主張している。

レスピーギの作風は折衷的という言い方も出来る。同時代のリヒャルト・シュトラウスによって拡張された大編成のオーケストラを利用して、極彩色の音色効果を追究する一方、フランス印象主義音楽にならった非機能的な和声法を取り入れている所にその特徴がある。またレスピーギは楽曲構成が複雑や曖昧になることを嫌い、代表作の多くの交響詩は、リストのように単一楽章で書かれながらも、その内部では古典的な交響曲のように3〜4楽章のサイクルを取り入れ、より小さなまとまりに区分して整理し、それによって明晰な印象をかもし出すことに成功している。

レスピーギは、クーセヴィツキーの委嘱によって、ラフマニノフの練習曲集《音の絵》から5曲を管弦楽編曲した。ラフマニノフは、ラヴェル編曲による《展覧会の絵》をイメージしてその仕上がりを期待したが、レスピーギの編曲はラヴェルのそれより華麗さや奔放さに欠け、このためラフマニノフを大いに落胆させたと言われる。しかしながら近年ではレスピーギ編曲版がそれなりに再評価されるようになり、録音も増えるようになったほか、新たにポケットスコアも出版されている。

かつては管弦楽曲を中心に評価されてきたレスピーギであったが、現在では、ブラームス風の《ヴァイオリン・ソナタ ロ短調》などの室内楽曲や協奏曲なども積極的に再評価されるようになってきた。未完成を含めて9曲に及ぶ歌劇はほとんど上演されていないが、その中で「沈鐘」(1927年)が2004年に世界初録音され、注目された。

ちなみにエルザ夫人はサンタ・チェチーリア音楽院における作曲の門人で、レスピーギと歌曲の共作を行い、《リュートのための古風な舞曲とアリア》をバレエ化するのに尽力したほか、レスピーギの死後に未発表あるいは未完成に終わったオペラ作品を実用に向けて完成させた。彼女は夫の死から60年後の1996年、101歳で他界した。

主要作品
交響詩「ローマの噴水」(1914-16) -La Fontana di Roma
I. 夜明けのジュリアの谷の噴水 -La fontana di Valle Giulia all'alba
II. 朝のトリトンの噴水 -La fontana di Tritone alla mattina
III. 昼のトレヴィの噴水 -La fontana di Trevi al pomeriggio
IV. たそがれのメディチ荘の噴水 -La fontana di Villa Medici al tramonto
ヴァイオリン・ソナタ ロ短調 (1916-17) - Sonata per violino e piano
リュートのための古風な舞曲とアリア 第1集(1917) -Antiche danze ed arie per liuto,primo serie
バレエ音楽「風変わりな店」(1918) - La Boutique Fantasque
ロッシーニの歌曲・器楽曲の編曲。
ピアノ曲「グレゴリオ旋法による3つの前奏曲」(1920) - 3 Preludi sopra melodie gregoriane
ヴァイオリンと管弦楽のための「秋の詩」(1920〜25) - Poema autunnale
グレゴリオ聖歌風協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)(1921) - Concerto gregoriano
ミクソリディア旋法の協奏曲(ピアノ協奏曲)(1922) - Concerto in modo misolidio
ドリア旋法による弦楽四重奏曲(1924) - Quartetto dorico per archi
交響詩「ローマの松」(1924) -Pini di Roma
I. ボルゲーゼ荘の松 -l pini di Villa Borghese 
II. カタコンバ付近の松 -Pini presso una catacomba 
III. ジャニコロの松 -l pini del Gianicolo 
IV. アッピア街道の松 -l pini della Via Appia
リュートのための古風な舞曲とアリア 第2集(1924) -Antiche danze ed arie per liuto,secondo serie
管弦楽曲「ロッシニアーナ」(1925) -Rossiniana
交響的印象「教会のステンドグラス」(1925) -Impressioni sinfonico 'Vetrate di chiesa'
組曲「鳥」(1927) -Gli uccelli
I. 前奏曲 -Preludio
II. 鳩 -La colomba
III. めんどり -La gallina
IV. 夜鴬 -L'usignoulo
V.かっこう -Il cuccu
ボッティチェルリの3枚の絵(1927) -Trittico botticelliano
I. 春 -La Primavera
II. 東方博士の礼拝 -L'Adorazione dei Magi
III. ヴィーナスの誕生 -La nascita di Venere
組曲「ブラジルの印象」(1927) -Impressioni Brasiliane
I. 熱帯の夜 -Notte tropicale
II. ブタンタン -Butantan
III. 歌と踊り -Canzone e danza
ピアノと管弦楽のための「トッカータ」(1928) -Toccata
交響詩「ローマの祭」(1928) -Feste romane
I. チルチェンセス -Circenses
II. 五十年祭 -Il giubileo
III. 十月祭 -L'Ottobrata
IV. 主顕祭 -La Befana
管弦楽曲「第12旋法によるメタモルフォーゼ」(1929-30) -Metamorphoseon Modi XII
バレエ音楽「シバの女王ベルキス」(1930-31) -Belkis, regina di Saba
リュートのための古風な舞曲とアリア 第3集(1931) -Antiche danze ed arie per liuto,terzo serie
歌劇「沈鐘」(1927年) -La campana sommersa
ゲアハルト・ハウプトマン原作
パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582(バッハのオルガン曲の管弦楽編曲) ※他にもバッハ作品の編曲を数多く行っている。
5つの「音の絵」(ラフマニノフのピアノ曲の管弦楽編曲)

リンク
The Respighi Foundation(イタリア語)
オットリーノ・レスピーギ
レスピーギの墓

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7月9日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%889%E6%97%A5

できごと
455年 - ローマの指揮官アウィトゥスが西ローマ帝国皇帝を宣言。

1575年(天正3年5月21日) - 長篠の戦い

1807年 - フランスとプロイセン王国がティルジットの和約を締結。

1816年 - アルゼンチンがスペインより独立。

1850年 - 第12代アメリカ合衆国大統領のザカリー・テイラーが在職中に死去。
副大統領のミラード・フィルモアが第13代大統領に就任。

1877年 - 第1回ウィンブルドン選手権大会開催。

1917年 - 東京YMCAに日本初の室内温水プールが開場。

1933年 - 松山城放火事件。

1940年 - 在リトアニア日本領事代理・杉原千畝がユダヤ系難民に
日本通過ビザを(9月4日まで2千枚以上)発行。

1955年 - バートランド・ラッセルが核戦争の危機を訴える声明を発表、
アルベルト・アインシュタインや湯川秀樹も声明に署名。

1955年 - 後楽園遊園地開園、日本初の本格的なジェットコースターが設置されていた。

1971年 - ニクソン大統領訪中の下準備のためキッシンジャー大統領補佐官が極秘裏に訪中。

1976年 - 大井川鐵道が、本線上では日本初のSLの動態保存運転を開始。

1982年 - キヤノンが世界初の完全自動化カメラ「スナッピィ50」を発売。

1985年 - 徳島ラジオ商殺し事件で故・富士茂子被告に徳島地裁が
無罪判決(死後再審による初の無罪判決)。

1989年 - JR東海東海道本線金山駅開業。
名鉄金山橋駅が移転、金山駅に改称。JR・名鉄・名古屋市営地下鉄を一体化し、
「金山総合駅」となる。

1990年 - ヒューストン・サミット開幕。

1991年 - 国際オリンピック委員会が南アフリカ共和国のオリンピック大会復帰を承認。

1994年 - パークハイアット東京?が東京都新宿区西新宿に開業。

1998年 - 寝台特急列車「瀬戸」がこの日限りで電車に置き換えられ、
ブルートレインとしての歴史に終止符。

2001年 - 日本科学未来館が開館。

2006年 - 2006 FIFAワールドカップ決勝戦が
ドイツ ベルリンのオリンピアシュタディオンで行われ、
イタリアがPK戦の末フランスを破り24年ぶり4回目の優勝。

2006年 - シベリア航空778便着陸失敗事故。

誕生日
1249年(建長元年5月27日) - 亀山天皇、第90代天皇(+ 1305年)

1654年(承応3年5月25日) - 霊元天皇、第112代天皇(+ 1732年)

1879年 - オットリーノ・レスピーギ、作曲家(+ 1936年)

1907年 - 清水幾太郎、社会学者(+ 1988年)

1908年 - 朝比奈隆、指揮者(+ 2001年)

1914年 - ヴィリー・シュトフ、東ドイツ国家評議会議長・閣僚評議会議長(+ 1999年)

1915年 - デイヴィッド・ダイアモンド、作曲家(+ 2005年)

1916年 - ロバート・マクナマラ、元アメリカ合衆国第8代国防長官・フォード社社長

1919年 - オリン・エッゲン、天文学者(+ 1998年)

1932年 - ドナルド・ラムズフェルド、アメリカ合衆国の政治家、
アメリカ合衆国第13代・第21代国防長官

1933年 - オリバー・サックス、神経学者

1937年 - デイヴィッド・ホックニー、画家

1942年 - 松山英太郎、俳優(+ 1991年)

1945年 - ディーン・R・クーンツ、小説家

1946年 - 中島義道、哲学者・電気通信大教授

1947年 - 細野晴臣、音楽プロデューサー

1947年 - O.J.シンプソン、元アメリカンフットボール選手、俳優

1948年 - エド山口、タレント
1953年 - 稲垣潤一、歌手
1953年 - 安田栗之助、ローカルタレント
1954年 - 田代富雄、元プロ野球選手
1955年 - 石崎岳、衆議院議員
1956年 - トム・ハンクス、俳優
1958年 - 佐久田修、俳優
1958年 - 鳴海章、作家
1958年 - 久本雅美、お笑いタレント
1958年 - 南流石、振付師
1959年 - 布施辰徳、タレント
1959年 - 石川太郎、アナウンサー
1960年 - 浅野ゆう子、女優
1964年 - 可愛かずみ、タレント(+ 1997年)
1961年 - 三輝みきこ、女優
1962年 - 高見知佳、元タレント
1965年 - 山田哲生、ミュージシャン(大事MANブラザーズバンド)
1965年 - 高河ゆん、漫画家
1967年 - 松田京子、フリーアナウンサー
1968年 - 倉田英之、脚本家
1968年 - 松下由樹、女優
1970年 - 三四六、タレント
1970年 - 津田雅美、漫画家
1970年 - 中原翔子、女優
1970年 - 矢部雅史、声優
1971年 - マーク・アンドリーセン、プログラマー
1972年 - 有田真平、放送作家
1973年 - 高橋雄二、俳優
1974年 - 草彅剛、SMAP
1974年 - ギャリー・ケリー、サッカー選手
1976年 - 金沢浄、サッカー選手
1976年 - 志ガヤ一馬、俳優
1978年 - 濱中治、プロ野球選手
1978年 - アレファンドロ・ケサダ、元プロ野球選手
1979年 - 中田浩二、サッカー選手
1980年 - 吉村崇、お笑い芸人(平成ノブシコブシ)
1980年 - 吉野智行、サッカー選手
1980年 - 能海俊介、お笑いタレント(元冷やし中華はじめました)
1981年 - 秋吉里香、AV女優
1981年 - 小泉ニロ、歌手
1981年 - 南竜介、プロ野球選手(千葉ロッテマリーンズ)
1982年 - 安藤梢、サッカー選手
1982年 - 河野淳吾、サッカー選手
1982年 - 吉田友一、俳優
1982年 - 山本左近、F1レーサー
1983年 - 吉澤智恵、バレーボール選手
1983年 - TAKA-P(GOLLBETTY)、ミュージシャン
1984年 - 滴草由実、歌手
1984年 - 高市俊、プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
1985年 - 水橋貴己 、歌手
1985年 - 山田裕司、元プロ野球選手
1985年 - 谷哲也、プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
1987年 - サントス・アンナ、歌手(Bon-Bon Blanco)
1987年 - 川口容資、プロ野球選手(読売ジャイアンツ、育成選手)
1987年 - 古川雄大、俳優
1988年 - 大川裕士、野球選手
1990年 - 池松壮亮、俳優
1994年 - 井手上梓、ファッションモデル
生年不詳 - 今村直樹、声優
生年不詳 - 西川進、音楽プロデューサー・スタジオミュージシャン・ギタリスト

忌日
518年 - アナスタシウス1世、東ローマ皇帝(* 431年)

880年(元慶4年5月28日) - 在原業平、歌人(* 825年)

1386年 - レオポルト3世、オーストリア公(* 1351年)

1441年 - ヤン・ファン・アイク、画家(* 1387年)

1491年(延徳3年6月3日) - 彦竜周興、禅僧(* 1458年)

1553年 - モーリッツ、ザクセン選帝侯(* 1521年)

1575年(天正3年5月21日) - 山県昌景、武将(* 1529年)

1575年(天正3年5月21日) - 馬場信春、武将(* 1513年)

1575年(天正3年5月21日) - 真田信綱、武将(* 1537年)

1602年(慶長7年5月20日) - 前田玄以、大名(* 1539年)

1654年 - フェルディナント4世、ローマ王(* 1633年)

1658年(万治元年6月9日)- 中村勘三郎 (初代)、歌舞伎役者(* 1598年)

1737年 - ジャン・ガストーネ・デ・メディチ、トスカーナ大公(* 1671年)

1746年 - フェリペ5世、スペイン王(* 1683年)

1747年 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ、作曲家(* 1670年)

1797年 - エドマンド・バーク、評論家(* 1729年)

1850年 - ザカリー・テイラー、第12代アメリカ合衆国大統領(* 1784年)

1852年 - トマス・マッキーン・トンプソン・マッケナン、
第2代アメリカ合衆国内務長官(* 1794年)

1855年(安政2年5月26日)- 村田清風、長州藩家老(* 1783年)

1856年 - アメデオ・アヴォガドロ、化学者(* 1776年)

1894年 - 一条美賀子、江戸幕府15代将軍徳川慶喜の正室(* 1835年)

1922年 - 森鴎外、小説家(* 1862年)

1946年 - ラーマ8世、タイ・チャクリー王朝第8代国王(* 1925年)

1951年 - ハリー・ハイルマン、メジャーリーグのプロ野球選手(* 1894年)

1955年 - アドルフォ・デ・ラ・ウエルタ、第46代メキシコ大統領(* 1881年)

1959年 - 橘外男、小説家(* 1894年)

1964年 - 阿部眞之助、第9代NHK会長(* 1884年)

1974年 - アール・ウォーレン、カリフォルニア州知事・アメリカ最高裁長官(* 1891年)

1977年 - 藤木英雄、法学者(* 1932年)

1980年 - ヴィニシウス・ヂ・モライス、作詞家・ブラジル外交官(* 1913年)

1981年 - 春風亭一柳、落語家(* 1935年)

1985年 - マーガレット・モールズワース、テニス選手(* 1894年)

1985年 - シャルロット、ルクセンブルク大公(* 1896年)

1985年 - サイモン・クズネッツ、経済学者(* 1901年)

1996年 - 島津忠秀、水産学者・切手収集家(* 1912年)

1998年 - 幸田宗丸、俳優(* 1920年)

2000年 - 斎藤栄三郎、政治家・経済評論家(* 1913年)

2002年 - ロッド・スタイガー、俳優(* 1925年)

2003年 - 谷恒生、作家(* 1945年)

2004年 - カルロ・ディ・パルマ、撮影監督(* 1925年)

2005年 - 西川清、実業家(* 1938年)

2006年 - ミラン・ウイリアムズ、キーボード奏者(コモドアーズ)(* 1948年)

2007年 - チャールズ・レイン、俳優(* 1905年)

記念日・年中行事
独立宣言の日(アルゼンチン)

ジェットコースターの日