海月玲二
2007-03-03(土)

無題

最近のカラオケ屋には曲検索・入力用の小型端末がよくおいてあったりするよね.

アレを使っててどうも変というか反応が鈍いかなあと思っていたら,突如リブートしだしてびっくりした.リブート時の画面を見てたらどうもなんだか見覚えがあるようなメッセージで,もしかすると中身はlinuxか何かなのか.ext2fsckとか出るし.ときどき聞く組みこみlinuxとかいうのはこういう奴のことなんだな.ふーん.

いや別に国際線には特に問題はないのだ.機内モニタがいくつか映らないとかほとんど日本語のできる乗務員がいないとかそんなのは大したことではない.

問題にしたいのは国内線だ.超年期の入ったヤコブレフ40のガタガタのシートや,いっぱいまで引っ張ってもちゃんと閉まらないシートベルトや,貨物もついでに突っ込んであります的な謎の荷物の山はちょっとどうなのかなあと思うのだ.

搭乗のときには搭乗券を切るわけだが,普通と逆にでかい方の半券を返されて変だなあと思っていたら,予想通り自由席だった.ていうか俺の搭乗券に書いてあった(はずの)席には貨物が山積みだったわけだが.

あとブハラ空港に着いて,人の流れにそって歩いていたらそのまま空港の外に出てしまった.到着ロビーとかそういうのは別にどうでもいいのだろうか.まあ用があるわけじゃないし,問題ないと言えばないのかもしれない.

2007-03-09(金)

ブハラ

この町は旧市街と新市街の差がとても激しい.旧ソ連的大味な通りがえんえんと続く新市街に対し,せまーい土の路地がごちゃごちゃと続いている旧市街.うっかり休日の新市街に入りこんでしまうと,なかなか寂しい気分が味わえる.

旧市街の中心部には歴史的建造物が集まっていて,眺めているぶんには格好よい.ただすでにけっこう観光化されていて,お土産屋の攻勢が正直うっとおしいレベルになっているのが残念.どうでもいいが,土産物売りは日本人を正確に識別するのがちょっと面白い.普通の人達はよく韓国人や中国人と間違ったりするのだが.

これはという建築があるわけではないのだが,もしかすると路地をぶらぶら散歩するほうがおもしろいかもしれない.歴史的街並には違いないしね.ただ旧市街にはあまり店や食堂などが存在せず,食事や休憩などでちょっと困るのだが.小さな露店のようなものならときどき交差点などでみかけるが,そのぐらいである.地元の人は,しっかり買い物するならバザールでするみたいだが,俺はロシア語がほとんどできないのでそう簡単にはいかず.

街道の町.南方からサマルカンドへ向かう道の途中がこの町のメインストリートで,重要な施設は全部この道沿いにある.周囲はほぼ住宅街である.

英語で話しかけてきた人がいて,「こんなところで一人旅の日本人を見たのは初めてだ」などと言う.観光地でむこうから英語で話しかけてくるのは大体ろくでもない話だが,ここでは本当にちょっと話しかけてきただけだった.必死に英語で話しかけようとする地元の学生にも会ったし,単に外人が珍しいだけかも.ただ,日本人旅行者なんか世界中にいるような気もするが.

まあ,確かに観光客が長居するところじゃないのかもなあ.ホテルも一軒しかないようだし,たいていの旅行者はサマルカンドから日帰りするらしいし.でも,小さいながらも青いタイルのモスクやマドラサ,聖者廟や路地裏の散策,バザールなども見ることができて悪くないと思う.地方都市ながらそこそこ活気はありよい雰囲気なので,(寒い時期でなければ)茶でも飲みながら行き交う人々を眺めているのも悪くなさそうだ.

いわゆる「青の都」であるが,正直今はそんな言うほど青くない.現在のこの町は,トタン屋根と細い路地の住宅街+ロシア風の新市街,それに加えてところどころ古いイスラム建築が残っている感じ.というか,シャフリサブスの規模が大きくなったような感じ.旧市街も頻繁に建てかえたり壊したり作り直したりしてるようなので,ブハラと違って古い街並がそのまま残っているわけではないようだ.

わりと大きな町なので,新市街のちょっとお洒落な店などがそれなりに充実している.ネットカフェや食事する店などの選択肢も広いし,スーパーマーケットと称する店すら存在する(日本人の感覚から言うと,「スーパー」とはやや違う気もするが).ウズベキスタンの人々はわりと服にこだわる傾向にあるせいか,ブランドものの服屋などもけっこう見かけた.

サマルカンドのイスラム建築は,さすがにかなり見ごたえのあるものが多い.ただし入場料は(特に外国人は)わりに取られる.入場券の値段の欄が手書きだったりするので,ほんとうはちゃんと交渉すべきなのだろう.百円二百円を交渉するのが面倒で,つい言い値で払ったりしてたが.こっそり某ミナレットに登らないかと誘ってくる警備員だけは,1000円とか無茶苦茶言うのでさすがにちょっと交渉した.

あとシャフリサブスから来る途中の道がちょっとした山越えで,噂通り景色がよかった.旅行者がわざわざ行く価値はあると思う.

タシケントは60年代の大地震の際に大規模な再開発をしてしまったせいで,ごちゃごちゃした旧市街的なエリアがもうあまり残っていない.結果としてなんだかロシアの町のように見える.ロシア系住民も多いし,ロシア語表記もよく見かけるし.ビシュケクとかアルマトゥなんかもこんな感じだろうか.

ただこれだけロシア風の大都市にもかかわらず,バザールとそれ以外の場所ではにぎわいにかなりの差があった.値段がどうとかでは理解しがたいほど違う.このあたりの人々にとって,買いものといえばやはりまず第一にバザールになるんだろうか? マレーシアの人々が屋台大好きみたいなものか?

ここには中央アジアで唯一地下鉄が走っているのだが,ハンガリーやチェコなんかで見た車体とそっくりだった.旧共産圏では,科学技術の類はだいたいソ連から来てたんだろう.どうでもいいが,乗り換え駅が複数の名前を持つ仕様は最初戸惑った.

ところでこの国にはマクドナルドやKFCなんかが存在しないのだが,首都にはやはりそれなりのファーストフード店のようなものがあった(いや,ケバブの屋台とかじゃなくて).見たこともないようなブランドだったが.

2007-03-15(木)

無題

そういえば旧ソ連圏ではだいたい警官が一番やっかいな人種だと相場が決まっていて,ご他聞にもれずこの国でもそういう噂は多い.特にタシケントでは,外人旅行者はよく因縁をつけられて小金をせびられるという話である.

でも,今回は結局一度もそういう目にはあわなかった.というか警官に声をかけられることすらなかった.おやー? 運がよかっただけ?