海月玲二
2008-01-07(月)

無題

テルミンという楽器においては,結局のところスピーカーも楽器のうちなのであろう.単純な音しか出さないので,逆にスピーカーの特性にすごく影響を受けるわけだ.テルミン奏者の人が本体以外にスピーカー一式も持ち歩くという話も納得できるものである.

年末に仮に作ってみた匡体では,電子工作用のしょぼいスピーカーを付けていたので,低音が全然まるっきり出ないようだった.もちろん回路的にはそれなりに出るはずなのだが.今度はもうちょっとマシなスピーカーをつけてみたので,多少は出るようになった感じである.でも音の高さごとの音量の差はまだまだ残るなあ.特定の高さで匡体に共振もするようだし.

あと低音の出るスピーカーというとどうしても重くなるのも悩ましいところだ.俺の目標は「気軽に持ち運んで気軽に弾けるテルミンを作る」なのだが.マトリョミンはそのへんどうしてるんだろう.あの木の匡体自体を積極的に鳴らすのか.

【このトピックへのコメント】
  • ごんぞこのまま音響工学を勉強してみるとか。目指せボーズ博士!(2008-01-08 01:01:32)
  • 海月玲二本を読んでみたりはしておりますが,全部自己流なので怪しいことこの上ありませぬ.(2008-01-08 08:26:45)
2008-01-08(火)

無題

彼らに必要なのは(あるいは「意味があるのは」)教育でも学習でもない.訓練である.

であるからして,知識を問う試験などやっても無駄だと思うから,俺は試験をやらない.「この子はそれなりに訓練をこなしました」という印として単位を出しているのである.認定スタンプのようなものだな.技能実演型の試験なら意味がないこともないが,200人以上を二人で担当するのにそれはちょっと無理があるしな(だから代わりに毎回の練習結果を提出させることにしている).

ところで四年生がいる場合,ギリギリ落第ぐらいの成績をつけると,要求があったら再試験を「しなければいけない」らしい.なんじゃそりゃ.

2008-01-09(水)

無題

「冬休み」+「工作」という検索で来てる人がちょくちょくいるようなのだが,そんな宿題のある学校もあるのだろうか? 俺はそんなの聞いたことすらないんだが.工作とか自由研究といえば夏休みじゃないの?

ああ,ちなみに,ここにはそういうことに役立つ情報は全然ありませんので悪しからず.

2008-01-09(水)

無題

「講義」というスタイルは,本が高価だった時代の遺物なのではないだろうか?

もちろん,相互にやりとりできる討論形式とか,せめて気軽に質問したり意見を言ったりする雰囲気ならそれなりに意味があると思う.本はものを言わないから.でも,教壇から一方的に解説をするだけ,というのはどれほど意味があるのだ.今のように本やらWebやらに情報が満載の時代,本とかで自習できない奴が講義を聞いたらなんとかなる,などということはとても考えにくい.

まあ百歩ゆずって,ものすごく特徴のある効果的な講義ができる教員なら意味がなくもないかもしれない.でもそんな奴ほとんどいないだろ?

テレビのように「向こうから強制的にたれ流す」という点に意味があるのかな? でもそんなの意味があるのって義務教育までだろ? というかそれなら毎回課題だけ出しておけばいいんじゃないか?

2008-01-11(金)

無題

youtubeでマトリョミン動画をいくつか見てみた.俺式2号はどうも音程変化のときの手の距離が短かすぎるかなーと思っていたが,マトリョミンでもそんなもののようだった.そもそも手で持って演奏する前提だと,あんまり長くても無理か.

ただ高い音でも低い音でも音量があんまり変わらないようなのはさすがである.どうやって調整してるんだろう.スペックを調べると,サイズは俺式2号よりやや細く,倍ぐらいの高さといったところ.重さはほとんど変わらず.ということは,スピーカーユニットはたぶん大差ないと思うのだが.

あと最近練習しているとなんだかノイズが気になる.最初からこうだったのか思い出せないのだが.単なる下手ハンダによる接触不良だろうか? それともLM386様にあまり過大な期待をしても駄目という話か?