海月玲二

リヴィウ滞在を終えてバスでポーランドに向かったのだが,これがなかなか苦労した.

まず第一に,ウクライナの出国審査が大変.バスの乗客全員分のパスポートを係官が集め,審査するまで待つ形式のようだったのだが,何故か俺一人だけがわざわざ係官のところまで呼ばれた.で,係官の人が開口一番「ロシア語とウクライナ語とポーランド語のどれならできる?」とかなんとか言う.知らねえよと思ったが,ここの国境を通るのにこのうちどれも知らんほうが例外なのかもなあ.

しかたなく英語でなんとか通そうとするが,係官の人は英語がほとんどできなくて,お互い実に要領を得ない.どうも俺がパスポート記載の本人なのか,あと就労してたんじゃないのか確認しようとしてたみたいなのだが.結局,あまりにラチがあかないので一旦バスに返され,本部のデータベースか何かに照会してチェックしてたようである.俺だけパスポートが返ってくるのがちょっと遅くて心配したが,最終的には出国スタンプを押してもらえて,なんとか一安心.

で,大変なのはここからが本番で,ポーランドの入国に際し当然ながら税関チェックがあるのだが,これがもうびっくりするぐらい綿密なのである.乗員乗客全員の荷物をチェックするのは当然として,バスの床下から天井裏までいちいちパネルをはずしてまで確認して回るのだ.これを全通行車に対してやるもんだから,時間がかかることこの上ない.結局,出国審査が終わってからこのチェックポイントを通過するまでに二〜三時間はかかったと思う.やっぱりEU外から内に入るチェックは厳しいのかねえ.密輸か麻薬でも横行してるのかしらん.

国境通過で時間をとられ到着したのが四時ごろだったため,滞在時間が短くなってしまった.ここは小さいけれども雰囲気のいい町だったのでちょっと残念.旧市街・新市街とも,散歩するのになかなかよい.

実はここの町に関する資料を何も持たずに来ていたのだが,たまたまバスステーションが旧市街に近く,しかもすぐにわかる場所にインフォメーションがあって助かった.鉄道駅はちょっと離れた場所にあるので,うっかり列車で来ていたら苦労したかもしれない.駅の人にはあまり英語が通じないし.切符を買うだけだったら紙に書いて頼めば売ってくれたんだけどね.

ここ以降でも感じたが,ポーランドの町はツーリストインフォメーションがしっかりしていて,職員も熱心な感じがする.で,宿を探してもらったのだが,わりと広めの個室なのに一泊二千円しないとかいうところになって驚いた.最初俺の聞き違いかと思ったよ.いわゆる「ホテル」じゃなくて「ゲストハウス」に分類されるような宿がある町は,金のない旅行者にはありがたい.あとこの宿で面白かったのは,フロントの女の人が全く英語を話せず,俺は全くポーランド語を話せなかったにもかかわらず,問題なく希望の部屋に一泊できてしまったことである.言葉が通じない時点で諦めるタイプじゃなくて助かった.

ちなみに近くにはかのアウシュビッツに勝るとも劣らない重要ポイントのマイダネク強制収容所跡があるそうだが,スケジュールの都合で今回は行ってないのだった.

ポーランド屈指の観光地のひとつ.町だけではなく,アウシュビッツ強制収容所跡やヴィエリチカ岩塩窟への拠点としても便利.行ってないけど.

俺はヨーロッパ旅行の場合教会とか見物するのもわりと好きなのだが,ここの中央広場にある聖マリア教会はちょっとすごかった.教会の内装に赤とか青とか派手な色をばんばん使ってあるのはあんまり見ないと思う.ご本尊もかなり立派だし.あと旧王宮も建物・調度品ともに見ごたえがある.展示を全部見ると大変でお金もかかるので,事前にちょっと計画して行ったほうがいいと思うが.

というわけで,ここは散歩とかヌルい趣味がなくて具体的な観光スポットが必要な人にもそれなりにおすすめできるのである.おみやげ売りも充実してるし.でかいスーパーなんかもあるので,スーパーでおみやげ買うタイプのYにも便利であった.EU内なので,ポーランド製品を探すのに意外と手間取ったけど.あ,もちろん散歩してもいいと思うよ.適当に入った店で飲み食いしても,どこもけっこうおいしかったし.

ここでは旧ユダヤ人街の小さな宿に泊まったのだが,朝四時ぐらいにお祈りの声らしきものが聞こえてきたことがあった.ユダヤ教でも朝早くのお祈りとかあったっけ? あと,夜テレビを見てたら「マッスル行進曲」を実際にやるみたいなバラエティ番組をやってて,実に阿呆だなあと思った.どうでもいいか.

ここのインフォメーションに宿を探してもらおうとしたところ,今日は音楽イベントがあるとかで安い宿はだいたい埋まってるとか言われてしまった.それでも何軒も電話かけ続けてくれ,最終的に市内のプライベートルームを確保してくれた.個人の部屋を借りるプライベートルームというのは当たりはずれが大きいのだが,今回のはかなり当たりのほうだったと思う.実にありがたいことだ.ていうか,なんか今回は宿の話ばっかりでアレだな.ちなみに,件の音楽イベントらしきものは夕方に駅前の広場でやってた.夜遅くまで続いてて,けっこう音がうるさい感じ.

ワルシャワ旧市街は意外に小さかったのでびっくりした.まあ,見所は旧市街中心部に限るわけでもないが.しかし,旧王宮はクラクフのものよりちょっと残念な感じがするがどうだろうか.もともとクラクフの建物のほうがかっこいい感じなのもあるが,絵画や調度品などの展示のしかたがどうも見づらい気がする.

あとショパンの心臓が安置してあるとかいう教会があるのだが,ここが思い切り修理中で,ああいう教会をどういうふうに修理するのかが見れてちょっと面白かった.

2009-09-07(月)

無題

さて今回の旅行は,ほとんどトラブルらしいトラブルもなく快調だったのだが,最後の最後に罠があった話.

帰りはワルシャワ→ヘルシンキ→関空というルートだったのだが,まず最初にヘルシンキに向かう便で,降下のときに妙に急な感じだったせいかどうにも耳ぬきがうまくいかなかった.ヘルシンキに降りても耳に違和感が残ったまま.で,乗り継ぎが二時間もなかったので,回復する間もなくあわてて関空行きに乗ったところ,上昇するにつれて耳の状態がどんどん悪化してきたのである.なんだかわからないが両耳が猛烈に痛み,水を飲もうがあくびをしようが一向に回復する気配がないのだ.

アテンダントの人が心配して点鼻薬やおしぼりを詰めた紙コップ(耳にあてて使う)なんかを持ってきてくれたのだが,結局何をやっても特に改善せず.関空までの九時間,必死に耳の痛みに耐え続けたのだった.最後の降下もかなり辛かったし,いやあ大変だった.今までの人生の中でもかなり上位にくるピンチだったと思う.飛行機には結構乗ってると思うのだが,気圧変化に対応しそこねたことは一度もなかったので油断していたよ.

で結局どうなったかと言うと,家で休んだら痛みはだんだん無くなっていったのだが,耳の違和感は実のところ四日過ぎてもまだ治っていないのである.なんだよもう.

2009-09-11(金)

無題

そういえば,今回の旅行でどうも疑問だったのは,なんだかやたらにたくさん結婚式カップルを見かけたことである.街中で普通に出くわしたりする点については,もしかするとあのへんでは「結婚式後に町の名所を巡って記念写真を撮る」という習慣があるのかもしれないが,やたらとたくさん見かけた理由がわからない.曜日も関係なくどこの町でも会ったし,多いときは一日十組は見かけたように思う.教会で式をあげる順番待ちしてたりするし.なんかキリスト教的にお日がらのよい時期だったんだろうか.

2009-09-13(日)

無題

自分用のおみやげにウクライナで買っておいたウオツカを開けたのだが,なんかラムネの瓶とかに入ってるような小球が入っている変な瓶だった.これはもしかして,「瓶から直接ごくごく飲むのが普通だ」ということなのだろうか? 確かに250mlの小型瓶だけどさ.

あと立方デシメートルなどという微妙な単位表記だったのも謎だ.数値としてはリットルと同じことだが.